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素朴な疑問
1388
:
ゆうじ@禁煙中
:2004/05/28(金) 21:32
愛煙家さん、
>地球の成立時に人間界の衆生はどうやって生命維持をしてきたのか、ということです。
「化石などの発掘などでは…」と、愛煙家さんもおっしゃっているように
地球成立時には人間界の衆生は地球にはおらず、生命維持もしていないと思います。
実際にその時のことを知ってる訳ではないですが、たぶん正しいと思います。
>人間の姿のままで境界が変化するということではなく、元々畜生だった衆生から人間界の衆生が発生した、という事が私の疑問点なのです。
>ですから、進化論と仏法の整合性を考慮する必要はあると思うのですが。
とのことですが、進化論の考え方から「畜生界の衆生」→「人間界」に変化した事を何か「劇的な変化」のように捉えるのは無理があるような気がします。
猿人から進化し、火や道具の使用といった知恵で、肉体的には非力な人間が食物連鎖の頂点に上り詰めたことはそれなりにすごいとは思いますが、
それでも哺乳類の中の霊長類の一種だということに変わりは無い。
つまり進化論から「人間とサルは兄弟のようなもの」という結論は導き出せますが、
仏教で説く「畜生界と人界」ほどの異差を指摘することは出来ないと思います。
仏教の考え方で「進化論」を消化することは可能だと思いますが、逆は無理だと思います。
ちなみに僕なりに進化論を考えてみますと、仏教では
「於戯佛法に値ふこと稀にして、喩へを曇華の萼に假り類ひを浮木の穴に比せん」(日興遺誡置文)
などとありますように、仏様に巡り合えることを、大変稀な有難い事と説きます。
そのような考えで地球の誕生から生命の誕生・進化の長い長い歴史を考えると、人類が仏教というものに巡り合えている期間がいかに短いかが良く分かり、逆説的に仏教の正しさを証明しているような気がしますが…。
いずれにせよ信徒の立場からの都合の良い自己満足的な解釈であるという批判は免れないと思いますので、
「そんな風に考えている人もいるのねぇ〜」程度に受け止めていただけたら幸いです。
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