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素朴な疑問

1397一刀両断:2004/06/22(火) 16:28
独歩さん
定業、不定業の定義については詳細には存じ上げませんが、顕正会では定業であっても日蓮信仰、ことに顕正会活動を行う事によって宿命を転換できるのであると強く言っています。
この理屈は、大抵の幹部の言葉、体験発表、また決意発表などというものを聞いても多く使用され、定業は人にはそれぞれ既に決定しているものであり、甘んじて受ける以外に逃れる術はないのであるが、それをこの信仰によってのみ変更できるのである、と言う訳です。
しかし人は二通りの生き方を同時進行させて比較することはできません。
ですから、どのような理由でも付加できてしまう事も否めないと思うのです。

先日、顕正会幹部とばったり会う機会があったのですが、その際に私が本仏論否定、戒壇之本尊否定をすると「結局貴方の宿命は何も変わっていなかった」「上っ面の信仰しか持たないから日蓮師より信仰を召し上げられた」とこう言うわけです。
それはそれで相手の見解なのでしょうが、その言葉を聞いて感じたのは、漠然とでしたが、人というものは自分にも他人にも結果を以て語る理由付けを常に欲しているのではないだろうか、ということだったのです。
結果を見て人はその原因を過去に当然追究するでしょうし、それは可としても、何より生きていく拠り所と言いましょうか、自分の人生が前進しているという理由付けを常に求めずにはいられない生き物なのではないだろうかと思ったのです。
未来に人が生きようとした時も、これから求める結果を得られるのか得られないのか、その不安を払拭する為に、何らかの根拠を常に求めている生き物なのではないだろうかと思ったわけです。

非常にもどかしい表現しかできませんが、そもそも宗教の発生はこういったことが根本にあると考えられるのですが、こういった考え方全般に対して、私は一旦は離脱してしまう、脱却してしまう程遠ざけてしまう考え方にもなるべきではないかと、ふと思ったものでしたので、皆さんの御意見があればお聞かせ願いたいと書き込みをしました。

しかし問いかけた当の本人がよく分かっていない状態なので、流して下さって結構です。
失礼しました。


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