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素朴な疑問
1364
:
地名
:2004/05/18(火) 22:37
1361 顕正居士さん
>1360番で引用している地名辞典の記事で、なぜ日目、日道を南条氏と書いているのでしょう。日目師の母堂は南条時光殿の姉であり、姻戚関係はあるが、南条氏と新田小野寺氏は全く別の氏族です(南条氏は平氏、小野寺氏は藤原氏)。
ご指摘頂きありがとうございます。鎌倉時代の氏族の呼び名の使用法については私は全く無知ですので教えて頂き感謝しております。地名辞典を書かれた筆者でないと詳細はわかりませんが、私は「家中抄」日精師の以下の文で「南条一族」とするもまあいいのではと思いました次第です。
歴全二−237頁「日目遺跡付属日道道理非一。其故は新六人初日代者日興付処居住重須。日澄は先て而逝去、日道是次第の法将なり。勲功可重。学解亦勝故、是一。日道者目師甥南条時光養子性相近。最堪為付属。況日道は目師直弟、日郷は伊賀阿闍梨日世の弟子而目師孫弟子なり。是故目師常の持言に云、此栗者いかの中よりほり出と庸常御出言ありき。日代遺状の内、付処と云へる以例知之、是二。日道は時光後室妙法養子なり。上野皆南条領内なり。何閣有縁日道、可被付属無縁日郷、是三。亦次付属之状無之云事、亦以無謂。右譲状新田の坊地を日道に譲与と者、下之坊事なり。上新田講所たるへしとは大石寺の講所たるへしと。以下略」
日精師の記述の正誤は、いま問いません。
>そもそも道郷紛争は南条家と小野寺家の代理戦争のようにみえます。
この点についてもう少し詳しく教えて頂けないでしょうか。
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