クリマは哲学者として認識されてましたよ。
クリマの小説には確かにSMやスカトロジーのシーンが出てきますが、彼のソリプシスムと明らかに連動してる哲学小説の面があります。社会主義政権が倒れた後すぐにプラハのある出版社がクリマの小説を他の匿名小説と共にキッチュな小説として出しました。それで誤解を招いているのかもしれません。
エリカのお勧めは1909年に彼が自分が神であるという啓示を得たときと並行して書かれた『チェコ物語』で彼の父親がモデルになっているようですが、その政治家のインセストシーンなど出てきます。でもその主人公は独我論にたどり着くのです。ストイシズムとマゾヒズムは同根で、神の創造の業はマゾヒズムの一種であり、クリマのソリプシズムも苦しみの中から生まれた、とエリカは言っています。『チェコ物語』は発見されている断片の半分くらいがチェコで出版されていますが、残りはエリカが持っているということです。
私は全集に入っている仏訳の Le Grand Roman を読みかけています。なかなか途方もないものです。
Jan Nepomucen Potocki
お蔭様でパトチカならぬポトツキ伯爵(1761− 1815)と云ふ奇人を知りました。
彼がフランス語で書いた『サラゴサ手稿Le Manuscrit trouve a Saragosse』は映画にもなつてるさうですね!
パスカル・キニャールを知つたのも最近です、マラン・マレとサント・コロンブの話も面白さうですね − DVDも千円程度なので機会があれば。
フッサールの弟子だったエデイット・シュタインが現象学を捨てて神学に向かったのとは反対に、後にヨハネ=パウロ2世となるカロル・ヴォイティラ(以下JP2)は、神学と現象学(これもシュタインと同じくフッサールの弟子でユダヤ系でカトリックに改宗したマックス・シェーラーの価値倫理学がJP2の学位論文)を統合しました。スコラ哲学のトマス・アクィナス神学を現象学によって読み替えたのです。トマス神学では、神にのみ絶対の権利を認め、人間同士の権利や義務は相対的な関係性にあるという立場でしたが、JP2は、倫理や価値は人間の外にあるのではなく人間の自己像という意識化と切り離せないものだと考えました。
私が行動を起こす、という能動と、何かが私の中で起こる、という受動の二つが、内在性と超越性というものが同時に作用しあうという意味で、自己表現に結実すると考えたのです。(Personne et Acte)
post modern
竹下さんお久しぶりです。小谷野敦です。震災以来、まともな知性の持ち主まで陰謀論にはまっていて困って竹下さんの本を見てみました。すると「ポストモダン」という語が出てきたので気になりました。私はポストモダンというのは建築の用語以外には使えないと考えていますが、竹下さんはどういう定義で使っておられるのでしょうか。