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哲学・宗教質問箱

485Sekko:2010/09/07(火) 01:50:04
グドウシャさま
 まず、宗教としてのキリスト教を信じるとはどういうことかについて。

 私が合意する見解は次のようなものです。

 唯一創造神が万物を造った。
 ナザレのイエスが生きて十字架上で殺され、復活した。
 ナザレのイエスが救世主である。

 このみっつを信じて受け入れることでしょう。これが宗教としてのキリスト教の必要最低限の根幹だと思います。
 後は、教義(とそこから派生する典礼)の違いによって宗派の違いがあります。それは歴史的、時代的、文化的、民族的、地政的ないろいろな要因によって形成されてきたり分かれてきたものなので、どれが正しいとか異端とか言えるものではないと思います。

 三位一体の教義は、わりと本質に迫ると私は感じます。神が人となったとか、復活による永遠の命とかいうニュアンスを理解するためにはなかなかすぐれものだと思います。

 後は、いわゆる信仰共同体というものの問題があり、普通の人は多かれ少なかれ「家の宗教」や「地域の宗教」の土壌や習慣の中で生まれ育つわけで、それは特定の宗派や人間関係や、多分権力関係とか、支配従属関係と無縁ではないでしょう。そういうものとどう折り合って、ほんとうに納得のいく「救い」を求めるのか、別の共同体を探して模索するのか・・・あるいは宗教書や人生読本を読んで自分の安心立命を得るのか、どの宗教でも尊敬できる師のような人と出会って私淑するのか、いろいろな場合があると思います。

 私がキリスト教が好きなのは、創造主とか復活がどうしたというところは、まあ、判断できないというか考えてもしょうがないのでスルーなのですが、自力本願や修行とか悟りとか解脱とか、自助努力、刻苦精励、進歩向上系が個人的に苦手なので、「えっ、偉いはずの神さまが辱められて抵抗されずに殺されたんだって???そんなんでいいのか・・・」というナザレのイエスのラディカルな悲惨さに惹かれるからかもしれません。だから、復活というミステリーが光ります。いったい何が起こったんでしょう・・・卑怯だった弟子たちがそれで一転して「福音」を述べはじめたのですから。

 偉い神さまや仏さまがいても、それは弱い衆生とは所詮別世界、その偉い神仏の助けを得るにはそれなりのプロの仲介者を経て、規則を守って精進しなくちゃいけない、というシステムは、ある程度自信があって元気でないときついものがあるような気がします。

 救われる条件らしきものをイエスが言ったのは、とりあえず自分より困っている人や弱い人の役にたつようにしなさい、ということなので、それを心がけるくらいならなんとかできるかなあ、という感じです。

 で、この、弱い者の側に常に立ってればいいことや、自分は弟子たちからも一度は見捨てられてしまったイエスが救世主だという逆説的な教えのおかげで、キリスト教は本質なところで弱さの中での「神人一如」の部分があって、親しみが持てます。すごーく立派なリーダーやカリスマを崇め奉らなきゃいけないというのも苦手なもので。

 あ、もちろん、キリスト教の中にも禁欲苦行する人とか自分に厳しい人たちもたくさんいるわけで、人のタイプや文化や時代によってどの宗教でも似たようなヴァリエーションがあるのも事実です。

 そんなわけで今のところ私自身は精神的にはあまり悩んでないので、その余裕の部分でどなたかのお役に立てることがあればいいと思ってこのコーナーを存続させています。

 聖書の読み方ですが、私の体験では、気にいっている著者や研究者や宗教者や雑誌などが、その都度、トピックを解説してくれるようなものが好きです。自分で読んでいるだけでは全然見えないことが見えてくるし、語句もそうですが、前後の文脈によって納得のいくこともあるし、文字通り「目から鱗」の説教や解説にもたくさん出会えました。

 聖書の中で好きなところや気になるところについて、解説書を読み比べて見て、いちばん共感の持てるものを選んで他の部分も読んでいかれたらどうでしょう。翻訳の問題の深みにはまってあれこれ考えるより、魅力的な先人が幸いたくさんいるのでいろいろ参考にしたほうが楽しいと思います。聖書だけいきなり一人で読んでも見方によっては突っ込みどころが多すぎると感じるだけになりかねませんから・・・

 自分の言葉でちゃんと語ってくれる解説がいいですね。また、それこそ「神も仏もあるものか」って状況(十字架上のイエスもそうだったかもしれません)にある人が聖書を生きるよりどころにしている場合の文章には心を打たれます。

 無料で敷居の低い「聖書勉強会」などでもすばらしいものもあるようです。私は若い頃に日本にいた時は「聖書研究会」なんて言われると即カルトの勧誘かと警戒しましたが、あるいはジョークの通じない悩める人たちの集まりかと敬遠しましたが、いい場所でいい人に出会えれば、一人で本を読むよりも豊かな経験ができると今は思います。

 グドウシャさんが「道」を見つけられることをお祈りします。


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