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哲学・宗教質問箱
456
:
迷える大羊
:2010/04/10(土) 19:15:19
現世利益
連続投稿失礼します。
>「困った時の神頼み」的に気軽にいってお賽銭を投げたりお札をもらったりできる神社仏閣は日本では事欠きませんしね。
以前のご質問で御回答の中に、上のようなお言葉があり、ちょっと気になりました。教会なんかに行くと、確かに「キリスト教は現世利益を追求する宗教ではない」とよくいいますし(まあ、普遍宗教はみなそうだと思いますが)、それを誇りにしてますよね。
そりゃ私だって、年がら年中「金儲けたい」とか「病気退散」みたいなことを露骨にいってる宗教って「胡散臭いな」とか「下品」で宗教としてレベル低いんじゃないの?思ったりします。
でも、一方でそういった(現世利益)を全く気にしない、そんな「煩悩」とは100%無縁に信仰を得られる「立派な人」って一体どれくらいいるんだ?という疑問が・・。
天国に行けるとか、(たとえ気休めであっても)安心が得られる、というのも立派な「御利益」じゃ?と思ったりもしますし、100%「御利益」というものを心の底から否定できる「立派な人」ならそもそも宗教とか信仰なんてはじめから必要ないんじゃないの?と思ったりします。
つまり、よほど立派な、強い人間でない限り、ある程度は宗教とか信仰に「御利益」を期待してしまうのは人間の性みたいなもんで、それはそんなに悪いことなのかな?(もちろん、度を過ぎているのはバツですが)、という疑問がわきます。
実際、聖書とかキリスト教が全くそういう現世的なことを軽んじているのか?というとそうでもないような・・。たとえば、ルカの福音書などカネの絡んだ話が結構多いし(無くした銀貨を見つける話とか、塔を立てるために費用を見積もる話とか、遺産を使い込んだ放蕩息子の話とか、借金をごまかした不正な管理人の話とか)、主の祈りでは「日毎の糧を私たちにお与えください」としっかり祈りますし。
宗教改革、というかルターのカトリック告発のきっかけとなった有名な「免罪符の発行」も見方を変えれば「(罪からの解放、救いを手軽求める)一般大衆のニーズ」に応えていた、という面も無きにしもあらずかも?と思ったりします(いいのか?こんなこといって)
話をまとめると、現実のクリスチャンの皆さんは本音部分で誰もが期待すること(御利益というか自分の個人的な幸せ、救い、安心の追求)と、なんていったらいいのか?キリスト教の理想の部分とをどのようにしてバランスをとってますか?
また、本音の部分で「神様、仕事うまくいきますように、給料上がりますように」なんて祈るのは「悪いこと」ですかね?まあ、あまり露骨なのはキリスト教云々に関係なく、下品だ、とは思いますけど。
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