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哲学・宗教質問箱
468
:
Sekko
:2010/05/10(月) 05:35:00
marie josephine さん
声楽をなさったり、お年寄りに喜んでもらえたり、すてきですね。
スクルス神父さまたちと出会われたのもよかったですね。私が最初に会ったfrancophone
の神父さまは1970年代、アテネフランセのアヌーイさんでした。フランス語がうまくないのにフランス語で卒論を書かなくちゃいけなくて、だれも見てくれるあてがなかったので、突然アヌーイさんにタイプ原稿を持っていったんです。教会はもちろん個人的な関係はまったくなかったのに。私がよほどおどおどしていたらしく、サンタクロースのような風貌のアヌーイさんは、原稿を受け取ると、にっこり笑って、「もう大丈夫、僕がいるからもう大丈夫」と言ってくれました。忘れられません。
あと、楽器演奏なんかそうなんですが、いくら練習しても、あるところまでいってどうしても壁に突き当たる曲とかがあります。そんなとき、無理強いしないでちょっと休んで他の曲とか弾いていて、しばらくぶりに前の曲を弾くと、練習していないのに、壁を超えていることがよくあります。私たちはこれを「熟した」と表現するんですが、多分かってに熟したんじゃなくて、練習してなかった期間にも、頭の中でその曲を反芻していて、それが「聞こえてくる」のをキャッチしようと自然に耳をすませていたのかもしれません。
信仰の形とか共同体との付き合い方とかにもそういう面があるのではないでしょうか。今の形にこだわらなくとも、耳をすませていれば、また「熟した」形で自然に共同体と連帯できる日も来るかと思います。
神父さまたちはきっと祈っててくださってますよ。
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