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哲学・宗教質問箱

513:2011/02/19(土) 23:54:37
ルカの福音書第16章
ルカの福音書第16章は聖書中の最難関といわれています。不正な管理人のたとえが記載されています。

イエスは、弟子達にいいました。

主人に一人の会計管理人が雇われていました。この男は主人の財産を無駄使いしていると告発する者がいました。主人は会計管理人を呼んでいいました。

「あなたのことについて聞いていることがありますが、本当はどうなのですか。会計の報告を出しなさい。管理を任せておくわけにはいきません」

会計管理人は考えました。

(どうしようかな。主人は私から会計の仕事を取り上げようとしている。土方をする力もないし、乞食をするのも恥ずかしい。そうだ、いい考えがある。会計の仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような人を作ればいいんだ)

そこで会計管理人は主人に借りのある人を呼んで、最初の人に

「私の主人にいくら借りがあるか」

と聞きました。

「油100缶だ」

というと、会計管理人は

「これがあなたの証文です。急いで50缶と書き直しなさい」といいました。

また、別の人に「私の主人にいくら借りがあるか」と聞きました。

「小麦100俵だ」というと会計管理人はいいました。

「これがあなたの証文です。80俵に書き直しなさい」

主人はこの、不正な会計管理人のやり方をほめました。

「この世の子らは、自分の仲間に対して光の子らより賢くふるまっています。不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば金がなくなったとき、あなたはがたは永遠の住まいに迎え入れてもらえるでしょう。ごく小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実です。ごく小さなことにも忠実でない人は、大きなことにも忠実ではありません。だから不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当の価値あるものをまかせるでしょうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたのものを与えてくれるでしょうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を軽んじるか、どちらかです。あなたがたは、神と富に仕えることはできません」

この「主人」は原典では、ルカがイエスにだけ使用した「ホ・キュリオス」となっていますので、通説では「主人」はイエス自身であるとされています。また、このたとえは弟子達に話されています。

イエスの会計管理人は、ユダですので、これはユダへの皮肉なのかもしれません。ユダは横領の疑いをかけられていたのかもしれません。

俗説では、「富の追求の批判である」とか、「唯一無二の主人であるべき神への忠誠の勧めである」などといわれていますが、はっきりしないように思います。教会の関係者に聴いても、明瞭な解釈を示してくれた人はいません。直後に、この話を聞いていた金に執着するファリサイ派の人々が、イエスを嘲笑ったと書かれています。

禅問答のようなこのルカの福音書第16章ですが、聖書というテキストの奥深さを感じさせてくれる一章だと思います。

ルカの福音書第16章について、どのようにお考えでしょうか。長年の課題ですが、まだ、はっきりした結論がだせないでいることの一つです。


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