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哲学・宗教質問箱

514Sekko:2011/02/20(日) 20:53:46
ルカ16章
いいテーマですね。

私はイエスのたとえ話の中でこの手の、説教者が「・・・」となってしまいがちなものが好きです。初期教会の頃から、「不都合なエピソード」を削除するチャンスがいくらでもあったと思うのにちゃんと残しちゃうのが、かえって本物っぽい感じがするからです。

「神からのお告げ」というのは言葉にした途端に何らかの解釈や恣意が入りそうですが、周りの人と同じ言葉を使って話していたイエスの言葉の聞き書きって、もちろん伝聞の不確かさはあっても、「ちょっと変」なものを残しているところが誠実な感じがします。

特にこの話は、

「この世の子らは、自分の仲間に対して光の子らより賢くふるまっています。」

と、明らかに、信者にとって一見「不都合」な対比がありますからね。

まあ、いろいろなこじつけに近い解釈がたくさんあり、一番まともそうなものは、その前の「失くした銀貨の話」や「放蕩息子の話」の流れで読むことで、神の前では数字の多寡などこの世の物差しは関係ないという風に読むものです。また、「金を作るより友達を作ることの方が大事」という意味だとか、「ここでの『金』とは愛のことで、愛を独り占めにするとよくないので他の人にも大盤振る舞いをすることで赦されるのだ」とか、「誰でも自分の罪を十字架のキリストに背負わせて購ってもらうので、その手続きを罪人が他の罪人にしてもいいのだ(つまりここでは、横領していた人が、勝手に別の人の借金も軽くする)」という意味だという人もいます。

私は、今のネオリベラル経済の世界の中での格差の問題とアラブ社会で次々と起こりつつある民主主義革命との関係を見ていると、このエピソードがよく分かります。

いや、このエピソードが「よく分かる」というより、このエピソードを通して見ると現実世界の状況がよく見えてくる、といった方がいいでしょう。

聖書の「?」な箇所、特に「科学的に見て『?』な箇所」の取り扱いには、一つは非神話化というか、ここはシンボリックな意味であり実はこういう意味なのだ、という風なやり方があります。でも、聖書の記述を無理に「リアル」に合わせるよりも、「リアル」の出来事を、聖書の記述を通してシンボリックに解釈していく方が、目が開かれることがあると思います。

長くなるので私の見方については別のところでまた書いて、あらためてここでお知らせします。

http://setukotakeshita.com/


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