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哲学・宗教質問箱

452迷える大羊:2010/03/16(火) 22:39:27
またまた、すみません
 いつも、答えづらそうな質問に丁寧に対応いただき恐れ入ります。ちょっと、くどくなるかもしれませんが、キリスト教とか信仰の世界をまったく否定的にみている、なんてことは決してありません。キリスト教にしたって文化とか思想としては大いに肯定しています(本当ですよ)。

 また、「不幸云々〜」などという話を他人事のようにお話しましたが、私だって悩みもあれば劣等感もありますし、人生の上で大失敗、失策も数多くしでかしてますし、自分の力だけで人生を切り開いてきた、なんて自惚れているわけでもありません。
 遠藤周作氏の信仰、キリスト教エッセイ「私にとって神とは」は非常によく理解できましたし、だから、「信仰」に頼る人々の気持ちが100%全くわからないわけではないとは思っていますが・・・。

>病気や死に向き合う家族が「信仰があるから」と言ってくれるのって、それこそ救いですよ。

 ちなみに私の母親はとある仏教系の宗教団体の信徒です。別に彼女は信仰を私に押し付けたりしません。だからこそ、単なる私自身の好き嫌いではなくキリスト教でも、あまりに他宗教への考え方が排他的すぎる教会とか教派は困るのです。

>夫婦が別の宗教でうまくいっているところもいくらでもありますし

 私もそう思うんですが、保守的なキリスト教会とかクリスチャンはそうは思わない、クリスチャンファミリーの形成に熱心な方が多いみたいで、彼女の母教会が所属する団体から、「クリスチャンでない家族を持つ女性へ」(特定の団体についてあれこれいうことが目的ではないので、題名はぼかしてます)なんて本が出てまして・・。要は身内がノン・クリスチャンである、ということは彼らには「試練」らしいんですね。思ったほどには独りよがりな内容ではなかったですが、やっぱりよくわからない感覚で、そんな、家族、夫婦といえど、心の内面まで同じにできるわけないじゃないか、自分に合った信仰を選ぶ(「選ぶ」って不遜ですかね?)より他ないじゃない、というのが私の感想でした。

 実際、私がクリスチャンになったからといって、同じような「信じ方」をするとは限らないし、なまじ同じ神様を信じてる、ということで却ってその「違い」が目についてしょうがない、ってことになりそうな気がしないでも・・。
 実際、私の見聞、独断と偏見ではクリスチャンとかキリスト教徒といっても、「イエスを救い主とする」「使徒信条の内容を肯定する」以外には皆、信仰面でも政治面でも右から左までバラバラ、(非クリスチャンと比較して)特別な要素は何もないと思いますし、皆、クリスチャンになればうまくいくってことなら、世界の三分の一(クリスチャンの世界人口比)は平和で離婚もないってことかい?とシニカルなことを思ってしまいますね。

 あと、もう一つ、ご質問してみたいと思うことに「信仰を持つ」ってことは(神とか聖書とかイエスに対し)「疑う」とか「自分で考える」ってことをやっちゃいかんのかなぁ?ということですね。それこそ、自分の目で冷静に各教会を比較してみたり(別に優劣を比較しているわけではないですよ)、こちらの質問箱でもたびたびしたような、聖書の矛盾点とかトンデモない部分について質問したり(ちなみに彼女はこれやるとイヤな顔、というか「キリスト教批判」と受け取るみたいで、こちらは困惑するのですが・・・)するってことは「神への冒涜」になるんですかね?

 聖書に書かれていることなら(現代の感覚、常識、非クリスチャンからして)どんなに無茶苦茶だったり、奇異に感じられることでも、「これは意味のあること」「誤りなき神のみことば」と信じることが「良き信者」なのですかね?
 なんていったらいいのか、その辺りの感覚も私にはなかなか分からない点でもあります。


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