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哲学・宗教質問箱

524Sekko:2011/03/10(木) 07:10:32
ポスト構造主義など
私も学生時代が構造主義全盛でした。なつかしいですね。
まあ構造主義がその後どのように展開したかなどはネットで検索するか別の一般質問掲示板にでも問い合わせてください。

私は日本で構造主義を知り、その後フランスに住んでいる者としての印象だけ言います。

言語構造主義が人類学や民俗学や比較宗教などに応用された時、それまで、日本にいて「欧米思想」を学んでいた人たちにとって、

東西の文化の差などは表面に現れた差であってその底には人類共通の語りの構造だの、普遍的な概念図式だのがある、と言われたのはちょっとしたグローバリゼーションというか、自分たちの言葉で自分たちの文化から構造を抽象してグローバルに語るという快感があったような気がします。

同時に、ほぼ並行して、すでにポスト構造主義のデリダの脱構築のような言説も入ってきました。「文化的差異の奥には普遍的な隠れた構造がある」というのはいわば理神論や無神論のヴァリエーションであり、一神教的ヨーロッパに中心となる視座をもつものである、という批判のもとに、構造が解体された中心なき相対主義が流行ることになったわけです。
文化や社会現象の意味は多様であって、構造主義の「構造」をなしていた二元主義的価値観の要素は否定され、すべてはグラデーションをなしているかのようでした。

この構造主義からポスト構造主義への推移は、常に疑似科学的な衣をまとっていました。キリスト教的自由意思を駆使したリベラルなユマニズムにおける人間主体の世界観から、非宗教的で中立的で普遍的な価値を探ろうとしたわけです。

そこにアメリカ的なコミュニタリアニズムだとかマイノリティの尊重などの流れも加わったので、日本では

「欧米中心主義の時代は終わったよね、今はアジアが面白いよね」

という動きも生まれまして、その一部は内向きになり、縄文文化礼讃とかナショナリズムにまで向かったように思います。

フランスではアングロサクソンの共同体主義に対抗する普遍主義の伝統があるので、「普遍主義の中での相対主義」という構造主義的立場が今でも根強くあります。
「普遍=絶対」ではないわけで、相対主義は、普遍主義が全体主義に向かわせない有効な歯止めとなっています。

それは思想のトレンドなどではなく、政治理念として残っているわけです。

今の世界は全体としてはまだまだ蒙昧や宗教原理主義や狂信や人権無視がはびこっていますから、過去にそれらに対する最も有効な防護策として登場した「普遍理念」自体を脱構築的に相対化して有名無実にしてしまうのは100年早いと私は思います。

フランス人の一般がどうとかは分かりませんが、

「理念や価値観というのは、個人や社会にとって、具体的な行動の規範になる選択を倫理的に決断したものであるべきだ」

と考えている人たちが確実にいて、私はその一人です。

今のアラブ世界の民主「革命」を見ていて、自由とか民主主義というものがただのスローガンなのか、どの程度の普遍性と実効性があるものか、それらは果たして民族や文化によってヴァリエーションがあるものなのか、などについて考えています。

日本にとって「舶来」の自由とか民主主義は常に「言葉」であって、倫理的に決断して選択した行動規範ではなかったと思います。アメリカが持ってきたものも「言葉」で、彼らの行動は一貫してパワーゲームでした。

この辺の事情について今いろいろ考えているところです。

http://setukotakeshita.com/


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