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哲学・宗教質問箱
491
:
Sekko
:2010/09/19(日) 00:39:46
無神論の本について
「匿名希望」さま
>竹下節子さんはキリスト教が嫌になったので、無神論という本を書かれたのですか?
そんなことはまったくありません。そう読めたとしたら、私の力不足です。
キリスト教の歴史の中でも、他の宗教もそうですが、どうしても人は「自分」や「自分の家族」や「自分の共同体」の損得や都合によって、神も宗教も変質させていく傾向があり、けれども、それに対して、いつの時代にも、エゴイズムを離れた刷新の力もまた生まれるもので、それによって、「既成宗教」もまた、自分を見直していく、そういう繰り返しだと思います。
キリスト教の中には、人と人が支配関係や依存関係を維持するのに都合よく作られた偶像を破壊する力があると私は思います。(別に他の宗教にはその力がないという意味ではありませんが。)
逆に、キリスト教と称していても、キリスト教信者と称していても、弱い立場の人を従属させたり依存させたり無視したりする個々のケースはあるわけで、そういう場合は、名前が「キリスト教」だからといっても、本質は遠いところにあると思います。たとえ「無神論者」と称している人でも、今目の前に倒れている知らない人をすすんで助けるとしたら、倒れている人にとっては、道路の反対側に渡ってしまうキリスト教信者よりも、「隣人」ですよね。福音書にあるとおりです。
結局は、一人一人が、実際にどうやって他者とかかわって行くかという毎日の実践が問われていると思います。
その意味で、「キリスト者」だと言われるかどうかよりも「隣人」だと言われるように生きたいですが、難しいですね。
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