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哲学・宗教質問箱

470:2010/06/03(木) 22:43:01
純粋理性批判 序論
純粋理性批判を、光文社の中山元訳で読み始めたところです。

「005アプリオリな認識と純粋な認識」の項に以下の記述(A)があります。
『そして、アプリオリな認識のうちでも、経験的なものがまったく混ざっていない認識を、純粋な認識と呼ぶことにしよう。だから、たとえば、「すべての変化にはその原因がある」という命題はアプリオリな命題であるが、純粋な命題ではない。変化という概念は、経験からしか引き出せないものだからである。』

また、
「007アプリオリな純粋判断の実例」の項には次のような記述(B)があります。
『人間の経験のうちには、このように必然的で、厳密な意味で普遍的である判断、すなわち純粋でアプリオリな判断が実際に存在することを示すのは、たやすいことだ。【自然科学からその実例を引き出すとすれば、数学のすべての命題がその好例となる。】日常的な知性の利用のうちに、こうした実例を探すとすれば、「すべての変化には原因がある」という命題を示すことができよう。この命題で使われている原因という概念には、原因が結果と結びつく必然性という概念と、この[因果律という]規則が厳密に普遍的なものであるという概念が明らかに含まれているのである。』

素人目には、ひとつの命題に対して「A-純粋命題ではない」「B-純粋命題である」と、異なる記述がなされているような印象を受ける、つまり、上の2つの記述は矛盾しているように感じるのですが、納得させていただけないでしょうか。


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