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Web誌友会 板/2
4582
:
a hope
:2014/10/31(金) 10:08:39 ID:cEpBaIdo
(
>>4581
a hope所感)
<<電車なら線路がなくては人生の行路が歩めぬかもしれぬが、人間は神の子であるから、それ自身の自由にゆだねられたときかえって、
それ自身の中心を得て完全に回転するのであります。>>
わたしは母親として子供達を見ていて、この事はすごくよくわかるような気がします。
身近なことですが、子供たちが学校から帰って来、宿題をやらないで遊び始めたとき、
「宿題を先に終わらせてよ!」とわたしが強制的にやらせた場合、子供たちは一応やり始めますが、
子供達の心の中に「遊びたい!」という気持ちが残っているので、集中力に欠け、時間ばかり食って、
能率が上がりませんし、せっかくの学習も身につかない様子です。
ですが、子供が遊び始めた時に、「今日は宿題はあるの?夕飯は6時の予定なんだけど?」と声掛けすると、
子供達は、「じゃあ、一回ゲームやってからやるよ。」とか、「夕食、食べ終わってからやる。」とか、
それぞれが、答えるのですが、そうすると本当にその時間になると必ずやり始めるのです。
そして、ものすごい集中力を発揮して、短時間で終らせます。
ここで、大切なのは母親の声掛けした後の態度なんだと思います。
わたしも何度も失敗しましたが、一度声掛けした後は、子供を信じて黙って見守ってあげなければいけないのですね。
子供が自主的にやりだす前に、「ほら、ゲーム一回終わったでしょ?早く宿題やりなさい。」とか、
夕食を食べている最中に、確認するように「あなた、夕食食べたら宿題やるのよね?」とか言ってしまうと、
子供は母親に信頼されていないと感じ、ますますやる気をなくすのだと思います。
身近な家族を信頼する、特に自分からみればまだまだ未熟に見える子供達を信頼し、
自由にさせるというのはなかなか難しいですが、
母親にそれができたとき、子供たちは本来の「神の子」の無限に伸びる力を発揮してくれるのだ、
ということがやっとわかってきました。
(つづく)
4583
:
a hope
:2014/10/31(金) 10:10:45 ID:cEpBaIdo
>>4582
つづき
p126 8行目〜
<<決して相手を縛って導こうとしてはならない。
自分自身が得ている真理で何か相手に捧げる実行的奉仕を為しつつ、相手自身を相手の思考の自由にまかせておくのがよいのであります。
相手の「神の子たる善さ」を信じてその自由にまかせておくのであります。
かくて人は本当の自由にまかせられるとき、廻っている独楽を触らないで自由に委(まか)すとき、
心軸を中心として立ち上がるように正しくいきるようになるのであります。>>
ここに、まさにわたしが「子供達への対応」に関して感じている結論の正しさを証明してくれるような文章が書かれていました。
聖典「生命の實相」はわたしの「座右の書」であり「人生のバイブル」です。
4585
:
トキ
:2014/10/31(金) 10:59:24 ID:O7P5.4T.
そうですね、最近、感じるのですが、「千里の道も一歩から」という言葉の意味です。
国家や環境の問題も重大ですが、まずは、目の前に、困っている人がいるのなら、その
人のために何かをする。個人なら家庭を明るくする。そういうところから始めてこそ、
国家の問題についても、環境の問題についても、説得力が出て来る、と感じます。
4586
:
a hope
:2014/10/31(金) 22:44:11 ID:cEpBaIdo
トキさま みなさま こんばんは
今月も今日が最終日になり、明日からは第29回web誌友会が開催します。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第29回 web誌友会 予告
期間 11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第14巻 倫理篇〈下〉p127〜p199
内容 「生長の家」の児童教育法
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
わが家の子供たちもそれぞれ順調に成長してくれていますが、まだまだいろいろと心配事も多いです。
ですが最近は、子どもの問題行動もすべて自分の心の影なのだから、
自分の心を変えることが問題解決への近道だということがわかってきました。
今回さらにお勉強して「生長の家」の児童教育法をしっかりと自分のものにしたいです。
子育て中のみなさまも、そでないみなさまもどうぞご気軽にご参加くださいね。
それでは、明日になりましたら「開会の祈り」と、p128にある「児童教育に関する神示」を謹写させていただきます。
4587
:
a hope
:2014/11/01(土) 08:07:46 ID:cEpBaIdo
11月に入りましたので、第29回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
4588
:
a hope
:2014/11/01(土) 08:09:19 ID:cEpBaIdo
「児童教育に関する神示」
多くの母親は子供のことを余りに取り越し苦労するために、
かえって子供に悪思念を放送して子供の健康や運命を害している。
ある母親は一瞬間でも自分の眼の前にいないと心配でたまらないのである。
彼は自分の想像の中で、躓(つまず)いて転んでいる自分の子供の姿を思い浮かべる。
自動車にひかれて死にかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
水に陥って溺れかかっている自分の子供の姿を思い浮かべる。
世の母親よ、なぜあなたはこの反対をしてはいけないのか。
こんな取り越し苦労が起こるのは、
子供を神の子だと思わないで人間の子だと思うからである。
神の子は神が育て、人間の子は人間が育てる。
人間の子だと思うものは終世、取り越し苦労をして育てねばならぬ。
子供を神の子だと思うものは、子供を尊敬してできるだけその世話をさせてはいただくが、
神が守ってい給うと信ずるがゆえに取り越し苦労は必要はないのでる。
人間力で子供を生かしうると思うなら終日終夜起きて子供の番をしておれ。
それはできなかろう。
できない間に子供を生かしているのは神の力である。
感謝 合掌。
4589
:
a hope
:2014/11/02(日) 11:55:31 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p129
われわれを神が造った。神と呼ぶのが嫌な者は生命といってもよい。
神の力を疑うものは馬鹿者だ。神が造った万物のなかでその主位にある人間の力を疑うものは真理を見る目のない者だ。
われわれの内に無限が宿っている。この無限を掘り出せば人間はみんな天才となるのだ。
天才を、人間は皆もって生まれて来ているのだ。それに人間はみんな天才にはならない。それは不合理だ。
その不合理は誰がするか。人間が真理を知らないからだ。親たるものが真理を知らないからだ。
ダイヤモンドをもっていながら石だと思って捨てて顧みないからだ。
人間を信ぜよ。神の創造を信ぜよ、生まれたままの人間を信ぜよ、それは幼児だ。
幼児に宿っている天才はまだ彫琢しないダイヤモンドだ。傷のつかない高貴だ。
表面にまだなんの天才の閃(ひらめき)がないからとて失望するな。表面を見て神の創造を疑うな。
神が天才を造って人間ひとりひとりの中に埋蔵(かく)しておいたのは、神が人間をして安価な怠惰の中に腐敗せしめないためだ。
人間みずからの努力と発見とを神が喜び給うからだ。
なぜなら人間は一個の生命であるから、発見と創造とに生きねばならぬからだ。
天才の閃きがわが子にあらわれないからとてわが子を軽蔑するものは、生命を軽蔑するものだ。
神を軽蔑するものだ。子供をわが子だと思うな。子供の生命の背後には無限生命がある。
神がある。明日火に投げ入れられるべき野の草の小さな花すら、神でなければ造られない装いがあることを知るものは幸いだ。
いわんや造られたるものの主位に位する人間の子供の天才を疑うな。
子供の天才を生長させるために必要な根本事項は神の創造に対する信頼だ。
親はわが子を神の創造だと信じ、できるだけ子供自身が神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならない
という魂の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。
4590
:
a hope
:2014/11/02(日) 12:06:15 ID:cEpBaIdo
(
>>4589
a hope所感)
ここには、現象世界からではなく実相世界からの見解でわたしたち人間が神の創造であるということが
とても力強く述べられていて、拝読していてもとても元気になりますし気持ちがよいです。
そして、
<<子供の天才を生長させるために必要な根本事項は神の創造に対する信頼だ。
親はわが子を神の創造だと信じ、できるだけ子供自身が神の創造を自覚し神の創造をはずかしめてはならない
という魂の高貴さを養成するように努力しなければならないのだ。>>
とあり、母親が子供の「天才」を生長させるためには、その神の創造を信頼ることと、
魂の高貴さを養成する努力が必要だとあります。
p131
<<子供を礼拝せよ。子供の内に埋蔵された才能の宝を拝み出せ。信ぜよ。
なんじ癒えたりと信ぜば病も癒えるのである。
いわんや、あなたの子を信じて、あなたの子が善くならないということはないのだ。
子を信ずるものは人の父を信ずるものである、神を信ずるものである。>>
これは、子供だけに言える事ではないですね。
人間は一人残らず「神の子」なのですから、誰一人として、信ずるに値しない人間はいないのだと思いました。
4591
:
トキ
:2014/11/02(日) 18:02:54 ID:AXe06p4A
a hope様
web誌友会の開催、ありがとうございます。
真理を勉強する場所が少なくなっているので、こういうネット上での
勉強はとても大事だと思います。皆様のご参加を心からお待ちしており
ます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
4592
:
a hope
:2014/11/03(月) 10:54:59 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p131 後から2行目〜
生命の目的は「生長」することである。そして生命は生長の営みによってのみ生長する。
生命の営みとは「活動」である。生命はきざしているところの「動」を現実の「動」に変えることによって生長する。
わが子が弱いとか、まだ発達期でないとか思うな。わが子に今あるところのすべての能力を発揮せしめよ。
きざしている芽のすべてをすくすくと伸ばさしめよ。
4593
:
a hope
:2014/11/03(月) 10:57:23 ID:cEpBaIdo
(
>>4592
a hope所感)
この後、なぜ「幼児」が乱暴をしたり、いたずらをしたり、物を破壊したりという脱線をするのか、
そのような「幼児」の脱線行動に大人はどのように対応すべきなのかが説明されています。
谷口雅春先生は児童心理学者でも教育学者でもありませんが、本当によく「幼児の心理」を理解されていると感じます。
まあ、「幼児の心理」というよりも、「生命の本質」と言った方がいいのかもしれませんが・・・。
p134 2行目〜
<<子供のさわがしさを叱る者は生命の生長に重大な障礙(さまたげ)を置くものだ。子供の伸びようとする生命はおさえられて浪費する。
かかる抑圧が永続的に行なわれるときそれは浪費される以下である。
なぜなら生命の発露を常におさえつける習慣をつけるとき生命は委縮するからである。
使わない能力は発達しない。使わない生命は生長しない。いな、それ以下である。
抑圧された衝動が子供の成長後いろいろの精神障礙および肉体的症状となってあらわれてくることは、
最近の精神分析が証明しつつあるところだ。>>
4594
:
a hope
:2014/11/03(月) 10:59:20 ID:cEpBaIdo
>>4591
トキさま
こちらこそ、このトキ掲示板があるからこそ、わたしは大好きな聖典「生命の實相」のお勉強がみなさんと一緒にできるのです。
管理人のトキさまにはいつも心から感謝しています。
といいながら、わたしは事情がありまして、明後日から1週間〜10日ほど自宅のパソコンをつかえない状態になります。
時々、この掲示板は拝見するつもりでいますが書き込みはほとんどできないと思います。
今回のweb誌友会の範囲は、「生命の實相」第14巻の『教育篇』p127〜199までとしてありますので、
トキさま、「訊」さまなどで、お勉強を進めてくださるとありがたいです。
閲覧者のみなさま
ただ、自分が感動したところ、赤線を引いたところを、こちらに謹写し紹介してくださるだけでもお勉強になります。
もし子育て中の方でしたら子育てに関する質問をされてもいいですね。
この掲示板は、志恩さま始めたくさんの「生長の家の教育法」でお子様方を立派に育てられた
先輩方も閲覧してくださっていると思うのです。
きっと、よいアドバイスをいただけるのではないかと思います。
4595
:
a hope
:2014/11/04(火) 21:43:18 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」p136 2行目〜
白百合にバラの花をつけさせようと思うな。白百合の清さは一つの天才である。バラの花の美しさも一つの天才である。
諸君は「鈴懸(すずか)け」の小さな白い花房や、萩の可憐な赤紫の荳(まめ)のような小花(おばな)にも、
ほかの花卉(かき)とは取りかえることができないそれぞれの美をばみとめないであろうか。
どんな小さな花にさえも人工は及ばない。
「ソロモンの栄華の極み」の時の装いだも、その美しさは野辺に咲く名なし草の小花にも及ばないのだ。
いわんや、造られし物の首位にある人間の天才は、それがどんな種類の才でも、自然を曲げたものよりは高貴であるのだ。
生命を信じて礼ぜよ。
子供の生長、人間は常にここから始まらなければならない。
大地に根をおろさなければ偉大なる生長はのぞまれない。大生命に根をおろさなければ、偉大なる生長はのぞまれない。
天才は、それが偉大なのは大地に根をおろした生長であるからだ。
大地に根をおろした生長であれば、大工になる時左甚五郎のような巨匠となるであろう。
粘土細工の好きな鼻垂らしもロダンのような巨匠となるであろう。
4596
:
a hope
:2014/11/04(火) 21:44:39 ID:cEpBaIdo
(
>>4595
a hope所感)
<<いわんや、造られし物の首位にある人間の天才は、それがどんな種類の才でも、自然を曲げたものよりは高貴であるのだ。>>
「天才」とは、個性生命が大生命から与えられた「使命」のことではないかと感じました。
何物にも拘束されず自由に生きることができたとき、誰にでもその天才は発揮されるのだと思います。
わたしの子供達にはどんな「天才」があるのか、そしてわたしの中にも必ず「天才」があるはずです。
考えただけでもワクワクしますね!
「生長の家」はその教えを信仰すれば、全ての人間が「天才」に生長するから「生長の家」というのでしょう?
「生長の家」の信仰といえば、やっぱり「人間神の子」の自覚を得るための三正行ですね!
4597
:
トキ
:2014/11/08(土) 22:10:43 ID:9laNyN1c
生命の実相第14巻の193pより、御文章を紹介させていただきます。
「毎朝『馬鹿者!」だとか、「強情」だとか、「仕事のない悪い子だ」とか、
親たちや教育係からいわれでないで育ちえた子供はほとんどこの世界にないと
はなんという悲しいことだろう。「生長の家」は敢然かかる教育法に反対する
ために出現したのである。」
これは中学や高校で体育会系の活動をした人なら、体験があると思います。
どうも、努力や根性の押しつけが横行し、まるで軍隊の内務班のような押し
つけが普通になってました。
しかし、最近のスポーツの世界では、こういう極端な上下関係の存在は
功少なく、弊害が多い事が指摘されています。例えば、喧嘩空手で有名な
極真空手などは、この種の「シゴキ」がなく、かえって広がったともいわ
れています。
最近では女子柔道の世界で、この種のシゴキをして問題になっています。
戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったの
は知るべきだと思います。
4598
:
「訊」
:2014/11/08(土) 23:00:50 ID:???
>>4597
トキ理事長
・・・・誌友会論点からはややずれますが、以下の件にコメントを。
>>>しかし、最近のスポーツの世界では、こういう極端な上下関係の存在は
功少なく、弊害が多い事が指摘されています。例えば、喧嘩空手で有名な
極真空手などは、この種の「シゴキ」がなく、かえって広がったともいわ
れています。<<<
>>>戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったの
は知るべきだと思います。 <<<
これは確かに、その通りです。最近では所謂「しごき」ですが、部活動から姿を消しつつありまして、私なんかも非常にうれしく思っています。いやホント、しごいたって「スポーツは上手くならない」のです(笑)。考えれば誰でもわかることなんですが、まあ、誰も分っちゃいなかった(笑)。しごかれて野球がウマくなるなら例えば、私なんか今頃「ヤンキースでエースになっているハズ」です(笑)でも、なってイナイんです(笑)・・・・・・しごきなんて、無意味。それが一点目です。
で、二点目に述べたい点なんですが、「なんで最近野球界ではしごきがなくなってきたのか」に関して触れます。これ、「オリンピック・マター」なんですよ、実は。さてこの「オリンピック・マター」の意味とは・・・・・・
・・・・・ご存知か知りませんが、野球競技ですがなんと、「五輪から外れた」んです(!)。これ、野球界では激震が走っておりまして、もう、プロもアマもおろおろしているんです。
で、五輪競技復活!を目指す野球界ですが、高野連が着手したのが「しごき・いびりの根絶」なんです。最近は強豪校の済美高(愛媛)や日南学園(宮崎)が出場停止処分になったんですが、これ、今までであれば「OK」だったケースです。今までであれば「騒動の責任者である選手個人だけを処分」にし、「チーム全体は出場してもよい」てな裁可がくだったはずの、軽罪だったんですが・・・・・・・両校ともに「出場はNo」となったんでありました。そしてこの、済美高(愛媛)と日南学園(宮崎)への処分から我々は、「ああ野球界・・・もう、ホンキだな」と察しているわけです。前段で述べた五輪競技の復活ですが、野球界はホンキになってます。そして、今後はしごき・いびり等は「厳格に処分されるであろう」、そんな流れです。
・・・・・まあ、トキさんは、「戦前、谷口雅春先生が言われた事が、21世紀になって常識になったのは知るべきだと思います。」とお書きでしたが、まあ野球界に関して云えば、ややニュアンスが違いますかね(笑)。正確に描写すれば、「自壊作用(=五輪競技から外れた)により、野球部部員たちは今まで以上に、野球そのものを楽しめるようになって来た」かな、と。もっと誉め言葉で盛り上がるようになれば、野球界もホンモノなんですがね(笑)。まあ以上、誌友会テーマからはやや外れますが、ちょっと補足したくなった事柄でございました。
拜
4599
:
「訊」
:2014/11/08(土) 23:19:43 ID:???
(×)野球競技ですがなんと、「五輪から外れた」
(○)野球競技ですがなんと、「五輪種目から外れた」
4600
:
トキ
:2014/11/10(月) 09:50:29 ID:4moBTNpA
>>4598
訊け管理人様
うーん、野球というのは華やかな世界に見えますが、たいへんな背景があるのですね。
明治時代など、野球をするのは不良扱いをされていた時期もあったみたいです。内村鑑三
の長男の内村 祐之は東大医学部教授として有名ですが、同時に、野球人としても有名です。
内村鑑三は長男が野球をするのは反対でしたが、「一高、東大でトップなら」という条件で
野球をするのを認めた、と言われています。
戦前は野球人の地位が低かったので、地位向上を目指した人たちが熱意のあまり、つい、
シゴキのような事を始めて、その悪弊が今日まで残ったのでしょうか。
ともあれ、ああいうシゴキみたいな事を根絶するのが、谷口雅春先生の願いかもしれま
せん。
4601
:
a hope
:2014/11/13(木) 10:38:41 ID:cEpBaIdo
生命の實相 第14巻 p138 2行目〜
善い言葉で暗示を与え、子供を十分信頼してやり、仕事の種類と時間とを子供の好きにまかしてやるならば、
子供はめったに仕事の選択に失敗するものではない。
子供を信ずること、および善い言葉で「あなたは善い子だからこれが上手だ」というふうに導くことを忘れてはならない。
4602
:
a hope
:2014/11/13(木) 10:39:59 ID:cEpBaIdo
(
>>4601
a hope所感)
「子供を褒める」というのはなかなか難しいことだと感じています。
ここでは、『善い言葉で暗示を与える』とありますが、それはだだ「褒めまくる」こととは、
まったく違うのだと思うのです。
ここで重要なのが「子供を十分信頼」するということで、それは、親の理想通りの子供に仕立て上げる(親の敷いたレールをおだてて走らせる)、
ということではないですよね?
まれに、親が子供を医者にしたいからと、眠っている子どもに「お前は将来医者になる」と暗示をかけ続けて育てたら
本当に医者になったというような話を聴きますが、その子に医者の天才(素質)がなかったら、
たとえ、親の希望通り医者になったとしてもその子の人生は決して幸せにはならないのではないかと感じています。
わたしは自分の子供達を同じように育てているつもりですが、それぞれ性格や得意なことが違います。
その子供の天才を無視して、親が自分の見栄や欲、または自分が出来なかった夢を実現させたいがために、
子供をおだてあげて自分の理想通りに育てようとすることの弊害は大きいのではないかと感じています。
ですが「人間神の子」という「生長の家」の祈りの言葉は万能ですね!
ジュニア「希望の祈り」―― 毎日の進歩のために―― には、
誰が読んでもその子(人)の天才が引き出されてくるような祈りの言葉がたくさん詰まっています。
たとえ、子供が反抗期などでその「祈りの言葉」を唱えたがらなくても、
母親や父親が子供の代わりに読んだり唱えたりすることでその子供の天才が引き出されてくるような気がします。
わたしにも現在、反抗期の子供がいますのでこれからその子に代わって「人間神の子」の祈りの言葉を唱えていきたいと思います。
4603
:
a hope
:2014/11/13(木) 10:42:17 ID:cEpBaIdo
トキさま 「訊」さま
わたしのいない間、web誌友会にご参加くださりありがとうございます。
また、パソコンが使えるようになりましたのでお勉強を再開させていただきます。
感謝 合掌
4604
:
a hope
:2014/11/15(土) 08:55:38 ID:cEpBaIdo
生命の實相 第14巻 p148 8行目〜
円満な神の姿を小児の心にえがかせよ。完全な仏の姿を小児の心にえがかせよ。
いかなる場合にも、自己が全能なる神または仏の愛の手にいだかれていてなんの危険もないものだ、という自信を子供の時代から人間に植えつけよ。
幼児からのこの自信は将来のその人の運命を決するものだ。
子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。
かくのごとき謙遜は子供の想像力を自分の想像力を自分の欠点の方へ働かしめ、子供の自信力をめちゃめちゃにして子供の生長に邪魔を置くことになるのである。
自身を常に「駄目だ駄目だ」といわれているときは、その言葉の力でその子供の周囲や表情には、一種のダメな無力な沈衰(ちんすい)した感じがつきまとい、彼の将来の運命を真に駄目にしてしまうのである。
諸君よ、何も神がつくったところの人間を指して、それがたとい自分自身だからとて、自身の肉身の子だからとて、駄目だとか、馬鹿だとか、かりそめにも悪くいわねばならない理由はないではないか。
それは創造主(つくりぬし)への冒涜である。それはわれわれをつくって生命を与え給える「ある者」をけがすものだ。
けがすだけではない。自分自身の運命を、自分自身の子の運命を、知らず知らずのうちにダメにしつつあるものだ。
子供をして彼自身を「神の子なり」と信じせしめよ。
神父(ちち)はその子をその全能な力にて常に完全に導き給い、無限生長に導き給い、どんな不遇の場合にも必ず守りていたまうことを信ぜしめよ。
どんな場合にも失望しない心、取り越し苦労しない心、摂理に信じまかせ切って、晏如(あんじょ)たるを得る心、倒れても倒れてもまた起き上がることのできる心、これらは幼児の心にきざまれた完全円満なる神を父とする想像から力強く生まれ出て来るものなのだ。
神仏を礼拝する習慣、これがここにも幼児から人間の生長に必要なものであることがわかってくるであろう。
子供に彼を保護する神を想像させよ。しかし神を恐れさすな。神を父と思わせよ。愛深き全能の力をもて守りたまう神を想像させよ。
4605
:
a hope
:2014/11/15(土) 08:57:26 ID:cEpBaIdo
(
>>4604
a hope 所感)
<<子供の教育に当たっては人前だからといって自分の子供を遜(へりくだ)って、「この子はとてもイタズラ好きで駄目なんです」とか「この子はずいぶん馬鹿でして」などというな。>>
日本人には、それが謙遜であると勘違いをして、この間違いをしてしまう親がとても多いのではないかと感じています。
また、子供同士の間でも、「自分はバカだし・・・」とか、「どうせオレは駄目な奴だし・・・」自分を見下すような発言をして友達の気を引こうとする子供の様子もよく見られます。
反対に、あまり自信過剰になって派手に振る舞えば、いじめの対象になってしまう危険もあります。
自分だけが特別に「神」に愛されているのではなくて、「自他一体」であり相手も自分と同じ「神の子」である、という生長の家の「自他一体の自覚」があれば、
親子関係もお友達関係もすべてうまくいくのではないかと思います。
4606
:
管理人さまへ
:2014/11/15(土) 16:17:41 ID:aSbVs1pI
トキ管理人さまへ
訊け管理人さんなどがルール違反しているので、注意してください。
訊け氏が部室版で違反しているいるあいだ、わたしのほうでも
ここや他の版で、トキさんが注意するまで書かせてもらいます。
4607
:
管理人さまへ
:2014/11/15(土) 16:21:01 ID:aSbVs1pI
8020 :シャンソン:2014/11/14(金) 20:31:23 ID:syXTb1eg
>>7271
訊けさんがこないだからおなじことばかり主張しているのは知っています。
わたしが尋ねていたのはトキ管理人さんにです。
訊けさんはトキさんではないのですから、横から割り込まないで下さい。
そして一人一役もできないトキさんは回答をさけているので、これについて今は
問い合わせていませんと書きました。
今後、訊け管理人さんがおなじことを繰り返してきた場合は、悪意のある妨害行為と
みなして、管理者にもその責任を問いたいと思います。
4608
:
管理人さまへ
:2014/11/15(土) 16:25:56 ID:aSbVs1pI
1859 :「訊け」管理人:2013/11/27(水) 07:20:49 ID:???
>>トキ理事長
――――――――――――――
1560 名前:トキ 投稿日: 2013/09/16(月) 18:22:04 ID:8wIrzEBg
追伸
うのはな様も訊け管理人様を話題にしないし、逆もそう、という約束は有効だと思います。
――――――――――――――
珍文の整理、よろしくお願い致します。
4609
:
管理人さまへ
:2014/11/15(土) 16:43:07 ID:nhF2iOV6
8048 :「訊」 :2014/11/15(土) 16:39:44 ID:???
>>トキ理事長
在トキ会の同意の下、
>>8046
宣言文が「適用の運びとなりました」ことを、ここにお喜び申し上げます。今後は同宣言文の「厳格な適用」を求めたく、罰ゲームの提案などをさせて頂きました次第です。なお、その、罰ゲームの内容は
>>8047
文に明記致しましたので、ご確認の上今後、同宣言文の「公平なる判定者」としてのお立場を、貴殿に強く働きかける所存であります。
最後に繰り返しではありますが、在トキ会の同意の下、
>>8046
宣言文が「適用の運びとなりました」ことを、ここにお喜び申し上げます。
拜
4610
:
「訊」
:2014/11/15(土) 16:47:46 ID:???
>>>珍文の整理、よろしくお願い致します。<<<
完全同意です。ここは、誌友会スレでありますからね。ですので、完全同意です。
4611
:
トキ
:2014/11/15(土) 17:22:46 ID:kJfjg7Wc
皆様のご理解に感謝します。web誌友会ですから、誌友会に戻りましょう。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
4612
:
a hope
:2014/11/16(日) 23:06:03 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p151 7行目〜
真(しん)に人類の生長を望む者は人類が臆病になるべきいっさいの原因を一掃しなければならぬ。
「生長の家」がこの世に出現した一つの動機はこの目的を果たすためだ。
「そんなに悪いことをしては鬼が来て食べますよ」式におどしつけて子供を善導しようと思う者は、
ついに人類を不幸につき堕(おと)すことになるのだ。
元来、刑罰が恐ろしくて善き行いをする者は本当の善き人ではない。
刑罰の有無にかかわらず、善を愛する心から善をなす者にしてはじめて真に善人ということをうるのである。
形の上から見れば同じ行為をしたにすぎなくとも、刑罰を恐れて善事をするものは境遇に強いられた被征服者であり、
善を愛する心から善をなすものは自主独立の支配者である。
4613
:
a hope
:2014/11/16(日) 23:07:44 ID:cEpBaIdo
(
>>4612
a hope所感)
ここには、とても重要な事が述べられていると思いました。
人々に「善き行い」をさせるために、おどしつけてさせてはいけないということが書かれていて、
そうすると、人類を不幸につき堕(おと)すことになるとあります。
誰からもおどされたり強制されたりすることなく、信徒が「神の子」の自覚を持つことで、
喜んで自主的に善をなすようになるのが「生長の家の教え」なのですよね!
4614
:
a hope
:2014/11/17(月) 22:07:23 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p152 8行目〜
人間にとって、何よりも大切なことは、自分の脚で大地に立つということである。
何者にも強いられないところの不羈独立(ふきどくりつ)の精神で、自由に、のびのびと善事を行う生活こそ「生長の家」の生活であるのだ。
善を欲するがゆえにわれ伸び伸びと善を為す――かくのごとく幼児の精神を「生長の家」式に導いてゆくことによってのみ、
人間の人格の自由と強さと円満さと朗々たる明るさを得ることができるのである。
4615
:
a hope
:2014/11/17(月) 22:12:35 ID:cEpBaIdo
(
>>4614
a hope所感)
各自の人格の自由が保障された上で、自由にのびのびと善事を行うのが「生長の家」の生活なのですね!
テキストにはこの後、「悪」や「罪」の観念に支配されてしまい、
「万引きをすれば警察へ引っ張られる」と想像できても万引きをやめられない婦人の例や、
「甘い物をたべたら胃が痛む」と想像できても甘い物がやめられなかった作家の具体例があげられ、
「観念の強制力」がどれだけ強いものなのかが説明されています。
p154 1行目〜
<<この観念の強制力を「善」の方向に利用せよ。悪なるもの、不完全なるもの、
歪(いびつ)のもの、暗きものの想像をスッカリ子供の心から逐(お)い出し、
善なるもの、完全なるもの、円満なるもの、明るきもののみ心にえがきせしめよ。
観念の強制力が自ずから働いて、その子供の善をなそうという傾向、円満に達しようとする傾向、明るい快活な生き生きとしたことを好む傾向が増大してくるのだ。>>
4616
:
a hope
:2014/11/18(火) 22:48:40 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p155 5行目〜
直観力というものは実に不思議な力である。それはたんなる想像力とも異なって一種の洞察力である。
片鱗を知って全体がパッと明るく頭の中へ閃いてくるところの霊感的な力である。
たんなる想像力がこれよりあれへと外形をたどって連想や類推をかさねて、いろいろの形や物語の筋を組み立ててゆくに反して、
直観力は直接的に物全体に突き入って、そのもの全体を端的につかんでしまうものである。
この不思議な霊感的な洞察力はいかなる職業に従事する者にも必要であるが、特に宗教家、教育家、音楽家、芸術家、詩人等においては必要欠くべからざる性能である。
かくのごとき霊感的な直観力なくしては、何人も真の偉大に到達することはできないし、
真の偉大な事業をなしとげることはできないのである。
真の宗教家は天徠(てんらい)の声を語る詩人であり、真の教育家は霊感にみちびかれた預言者であり、
あらゆる芸術家は霊界よりインスピレーションを受けた者でなくてはならぬ。
・・・(中略)・・・
この直観力というものは類推によらず、分類によらず、実にパッと霊感的に、輝くように、
ものの全体の姿が心に映って来るところの天徠の閃光(ひばな)である。
子供においてはこの直覚の火花を十人のうち九人まではすでにその心のうちに燃やしかけているのである。
もし、この燃えかけている子供の直覚の火花を教育者や保護者が押し消さぬようにすれば、
ずいぶん宗教界にも、科学界にも、芸術界にも、
今よりズッと多くのいっそう偉大なる人物が輩出していたに相違ないと思われる。
しかし現今一般に流行している※唯物論哲学は、せっかく燃えかけているこの霊感の炎を押し消し、推し込むことになるのである。
宗教家にして※奇蹟を知らず、死後を知らず、生命のいずこより来りいずこに到るかを知らず、
科学者にして真に大なる発明のできないのは、すべてこの霊感的直覚の欠乏より来るのである。
・・・(中略)・・・
神秘を知らない人間ほど始末におえないものはない。
そんな人間にとってどこにも不思議と称すべきものはないのであって、至る所に満ちているのは、
ただ「当たり前」の興味のないガラクタ現象ばかりである。
彼は何を見ても不思議がらない、何もかも神秘ではない。だから何を見てもなんのインスピレーションもないのである。
リンゴの落ちるのは当たり前だし、湯気が鉄瓶の蓋をもち上げるのも当たり前だし、植物が生長するもの当たり前だし、
人間が生きているのも当たり前である。
(頭注より)
※ 唯物論哲学・・・ただ物質ののみが存在するものと考え、世界の存在のもとは物質であるという思想をもとにした哲学
※奇蹟・・・人間の常識では実際に起ることが考えられないような不思議なこと。
4617
:
a hope
:2014/11/18(火) 22:53:37 ID:cEpBaIdo
(
>>4616
a hope所感)
ここには宗教家にとって「霊感的直観」(直覚力)がいかに重要であるということが述べられています。
そしてそれは<<たんなる「想像力」がこれよりあれへと外形をたどって連想や類推をかさねて、
いろいろの形や物語の筋を組み立ててゆく>>ことつまりは、
「論理的推察力」とは反していると述べられています。
この「霊感的直観力」(直覚力)というのは、本来すべての人間が持っているのだと思いますが、
子供の頃から「唯物論的教育」を受け、その結果、魂や神の存在を認めず、奇蹟などの神秘現象を
偶然の出来事だと考えるような大人になってしまうと、その「霊感的直観力」が十分発揮できなくなるようです。
<<子供においてはこの直覚の火花を十人のうち九人まではすでにその心のうちに燃やしかけているのである。
もし、この燃えかけている子供の直覚の火花を教育者や保護者が押し消さぬようにすれば、
ずいぶん宗教界にも、科学界にも、芸術界にも、
今よりズッと多くのいっそう偉大なる人物が輩出していたに相違ないと思われる。
しかし現今一般に流行している唯物論哲学は、せっかく燃えかけているこの霊感の炎を押し消し、押し込むことになるのである。>>
谷口雅春先生が「唯物論」を虚説として激しく排撃しているのはこの理由からですね。
4618
:
<削除>
:<削除>
<削除>
4619
:
a hope
:2014/11/20(木) 23:36:36 ID:cEpBaIdo
>>4618
トキさま
トキさまはいろんな種類のたくさんの本を読まれているのですね。
そうなんですか、中国は<<文化大革命で伝統や文化、信仰が徹底的に破壊された>>のですね。
確かに、東日本大震災の時に東北の方々が秩序を乱さずお互いを思いやる態度をとることができたのは、
他の国の人々にとても賞賛され、それこそ日本人の「大和魂」だったのではないかと感じ、
あの時は本当に自分が日本人である事を誇りに思いました。
ですが現代の日本人のすべての人がそういう態度をとれるとは言い切れませんよね?
日本人であっても非常識な人はたくさんいますし、凶悪な犯罪を犯す人もいます。
それにむしろ現代の日本には「無神論」者や「唯物論」者の方が多いのではないかとすら感じています。
一方、中国の方々の中には、日本人にはないような素晴らしい長所を持たれた方もたくさんいらっしゃいます。
わたしは、どんな国の人であっても「人間神の子である」という実相一元の「生長の家の教え」を信仰していきたいです。
4620
:
a hope
:2014/11/21(金) 10:12:21 ID:cEpBaIdo
>>4619
補足
>>4618
でトキさまが「中国人は雑巾と布巾の区別ができない」(西谷格著)というご著書を紹介され、
言わんとしていることはわたしにもなんとなく理解できます。
<<著者は、その差が生まれる根拠を「宗教」に求めています。
信仰や伝統が一応、存在する日本の社会と、文化大革命で伝統や文化、信仰が徹底的に破壊された中国の社会の差という事です。
その証拠に中国でも、チベットなどの宗教が存在する地域では、普通の常識や人情が存在すると指摘し
ています。>>
著者は「唯心所現」等で心の大切さを説く「宗教」が、
いかにに人間社会のモラル(秩序)を保つために重要なのかを実際の中国の現象をルポされて説明しているのですよね。
ですが、もし、この著書を日本語が読める中国人が読んだらどの様に感じるでしょうか?
または、この著書が中国語に翻訳されて多くの中国人に読まれるこになったらどうでしょうか?
反日感情をさらに掻き立てる要素となりませんでしょうか?
わたしは、例え日中関係であっても、日韓関係であっても、「合わせ鏡の真理」の例外ではないと思っています。
わたしには、実際中国人の友人がいます。
思いやりがあって親切で、行動力もある素晴らしい方です。
4621
:
トキ
:2014/11/21(金) 11:45:40 ID:ONqfu1kY
a hope様
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。私の書き方が悪かったみたい不快感を
与えたらお詫びします。
個人的には仲の良い中国人の長年の友人がいて、中国にも見識、人格が立派な人が
多数おられるのも承知しております。ただ、私の友人自身が、この本に書かれている
事を同じ話をしており、嘆いていましたから、全ての中国の人とは言えませんが、
相当数の人は納得する内容かと考えています。
最近の香港の反中国デモ等も、同じ民族で、似たような言語を話す香港の人たちが
本土の人達を強く批判している背景もこういう部分があると感じます。
大手の貿易商社にお勤めで中国貿易を担当している生長の家の人の話を聞く機会があ
りましたが、
「中国の社会は謎が多く、日本人は入っていけない。そして、残念な事に最近の中国
の社会は拝金主義が横行し、平気で人を騙す人が増えてきた。しかし、全部の中国の人
がそうではなくて、真面目で信頼できる人もいます。そういう人を見つけてビジネスの
パートナーにできるかがポイントだ。」
と話していました。
(つづく)
4622
:
トキ
:2014/11/21(金) 12:05:08 ID:ONqfu1kY
マスコミがいう事と実際が合致するとは限りませんが、私が知る限り、実際に
中国でビジネスをしている人の感想もほぼ同じです。それがビジネスの世界にと
どまらず、最近は軍備を増強して近隣諸国を脅かしているのは洒落にならないと
思います。
ただ、最近、中国のビジネスの社会で稲盛和夫先生の著書がブームになっている
とも聞いています。また、マスコミによれば、中国で宗教が民衆の間に浸透してお
り、キリスト教の地下教会や、法輪功などの信仰が、当局の弾圧にもかかわらず、
広まっているともいいます。
私の中国人の友人も、「今の中国はまだ未成熟な社会で、公害問題なども、これ
から日本に学んで対策を立てる段階。それを知る必要がありますよ。」と話して
いました。
つまり、人間としては、日本人も中国人も神の子であり、尊い存在ですが、
社会としては、中国の政府の政策が間違っており、中国の社会でいろいろと大きな問題が起きているの
は否定できないと思っています。
しかし、中国人も賢い民族ですから、いつかは文明や文化、信仰についての
政策を改め、よりよい社会を作ると信じています。と、言うよりも、すでに、そう
いう点に気がついている中国の人が増えていると感じます。
余談ですが、少し前に読んだ「 北京と内モンゴル、そして日本――文化大革命
を生き抜いた回族少女 の青春記」: 金佩華著、などを読むと、文化大革命の時期の
宗教の弾圧などは酷いものだったみたいです。
(つづく)
4623
:
トキ
:2014/11/21(金) 12:32:39 ID:ONqfu1kY
ご指摘の通り、日本でも凶悪犯罪をする人が増えています。とても残念な事です。
昔、神戸の連続児童殺傷事件が起きた時に、ニューヨークに所用でいましたが、
ハーレムの人が「ハーレムでもあんな恐ろしい事件は起きないよ」と話していました。
そう言えば、そのハーレムでは、教会があちらこちらにあり、黒人が教会で
ゴスペルをきれいな声で歌っていました。
以上、要するに、民族や社会の優劣を論じたのではなく、社会における信仰の重要性
についての例としてあの本をあげたのですが、それが誤解を生んだとしたら私の本意で
はないので、お詫びします。
合掌 ありがとうございます
4624
:
トキ
:2014/11/21(金) 12:39:44 ID:ONqfu1kY
追伸
>>それにむしろ現代の日本には「無神論」者や「唯物論」者の方が多いのではないかとすら感じています。
この本の著者も本の中で、a hope様と同じ部分について言及されておられます。
しかし、中国は国として積極的に宗教を否定し、または政府の管理下に置く方針にあり、
その点、日本と違うみたいです。ご指摘の通り、日本でも唯物論の人が増えて、それに
ともない日本でも社会の混乱が生じている点は全くその通りだと思います。
貴重なご指摘に深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
4625
:
トキ
:2014/11/21(金) 22:05:35 ID:ONqfu1kY
4618は削除させていただき、別の文章をかかさせていただきます。
生命の実相第14巻の167pから謹写させていただきます。
「そもそもわれらが日常感覚にふれるところの事物は、それがいかなるものにせよ、感覚
器官という入り口をくぐって、心の奥座敷まで這入ってしまい、心の奥座敷の住民となって
しまうのである。だから成人でも環境をよくすることは必要だが、発育期、生長期にある
児童にとっては、このことはなおいっそう必要なことである。環境にあるいっさいの事物が
幼い心にその姿を映す。心に映し込まれた姿は、一種の種子であって、すぐその時生えなく
ても、やがて、その種子の発芽に適する条件が揃ってくれば生えて来るのである。」
これに関して、立花隆さんの「臨死体験」に興味深い話が紹介されています。
ある男性は長年、なぜか自分の言動に自信が持てなかったのです。その理由が本人にも不明
でした。ところが、ある事で、その理由がわかったのです。
男性は生まれた時に未熟児だったそうです。出産直後、産婦人科医が虚弱児で死にかけている
彼を見て言ったのが、
「ほうってほけ。どうせロクに育たないよ。」
という言葉だったそうです。その言葉が彼の潜在意識に残っていたのです。
産婦人科医はわからないだろ、と思っていたのですが、赤ちゃんはちゃんと覚えていたのです。
それが、その人を長年苦しめる結果になった次第でした。
こういう実例があるのは驚きですが、注意すべきかと思います。
4626
:
SAKURA
:2014/11/21(金) 23:03:59 ID:???
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
■
トキ様へ
「トキ様」の【雑巾・フキン】の話から〜〜
随分昔の事です。…が?
私が当時「町田の小田急百貨店」にて…販売を依頼されました時の事です。
同じフローア−で当時「藍工房」と言います常設のショップと
対抗しての販売の時の事です…。
当時は?1週間という販売期間ですから『客の集客』には正直申しますと…
かなりのプレッシャーが…
ですから?時間的には『暇…』だったのです。ウフフ!
その時「常設のショップ…藍工房」の方が、【モップ掃除】を始められました。
私どもは〜〜〜当前視線がそこに…集中!
エ〜〜〜ッ!そこからが〜〜〜驚き!なのです…。
『床(土足で歩きますョネ)を掃除しました…モップ』次ぎに〜〜〜何と!
商品の置いてあります『棚…』『電話…』を〜〜〜吹き始めました。
容姿は〜〜〜全く持ちまして【日本人?】なの?このような人がいるの?…二人して顔を
見合わせました。それくらい【日・本・語・堪・能】なのです…。
ですから…この頃ではあの人は〜〜〜『中国の人』立ったのですネ!
■先日より…投稿内容を拝読しながら…ここに投稿させて頂きます。
『国際化運動』此の事は?すばらしい〜事と思います。…が?
此処で…【日本語が堪能】だからと言いましても『常識派』とは言えないと
思う次第です。…が?それは、国により『慣習が異なる』という事ですから。。。
ですから…それに関して…ア〜〜ダ!コ〜〜〜ダ!と評価はその人の理解度と言えると思います。
余談ですが…【国際化】に関しましての【問題】は〜〜
今でも日常茶飯事にて起きて居る問題でもあると思います。
時間がありましたら…他にも多々なる“エピソ−ド”投稿させて頂きます。
今では〜〜〜笑い草となって居りますネ!!
❤〜SAKURA
4627
:
a hope
:2014/11/21(金) 23:26:09 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p160 7行目〜
あらゆるものが頭でわかると思うな、あらゆるものが科学的知識でわかると思うな。
分類的分析的な知識にのみ頼りすぎると直観力は鈍りがちである。
昔の医術では、望診といって患者と少しく離れた距離から容貌を見るだけで、その患者が何病であるかわかった大家もあったが、
現代の医術では。聴診打診はむろんのこと、レントゲン診断までしても、まだ病因のはっきりしない場合があるのである。
それは決して現代の医術が悪いのではない。現代の医術は実に人間の知識の精華である。
許されるならば、人間が神に対して誇りうる一つの名誉であるといってよいくらいだ。
しかしこれを学ぶものが分析的知識だけにとらわれず、さらにすすんで自己の霊性を啓発し、
直観たちまち病因とその治療法とを知るほどの人が少ないのはまことに惜しいことだ。
だが、また嬉しいことには、『生長の家』の誌友にそうしたこの種の霊性を啓発しつつある医師が多数できつつある。
これを要するに直観力は一見たちまち事物の真理を洞察し、高貴と無価値とに見分け、
欲する結果を得るためには何をなすが最も適当であるかを直観的に知り得る力である。
それゆえこの直観力はたんに科学者の発明や、芸術の創作や、宗教家の天啓に必要なばかりではなく、
実業家にもまた絶対に必要であるのである。
実業家が多くの事業にたずさわりながら、目まぐるしい経済界の変動に善処して、希望の成果を獲得するにぜひ必要なものは直観力であるのだ。
(つづく)
4628
:
a hope
:2014/11/21(金) 23:27:17 ID:cEpBaIdo
(
>>4627
a hope所感)
大調和の神示の冒頭に、
『汝ら天地一切のものと和解せよ
天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。
天地一切のものが汝の味方となるとき、天地の万物何物も汝を害することは出来ぬ。
・・・』
とあるように、本当に天地一切のものへの感謝が出来ていれば、どんな病気と診断された人であれ必ず救われるのだと思いますが、
ふつうの人間はそんなに簡単に天地一切のものへの感謝はできないわけですから、
やはり病気になれば、病院へいって治療をするのが正しい行動ではないかとわたしは思っています。
ですが、「生命の實相」のどこかにも書いてありましたが、医者の一言で病気が治ってしまったり、
悪化してしまったりということも本当にある事だと感じています。
そのように、医者というのは、患者の生命に大きな影響を与えてしまうわけですから、
直観たちまち病因とその治療法とを知ることのできるという「霊的直観力」があるということがとても重要になってくるのだと思います。
おそらく「霊的直観力」のある医師は患者からの評判がよく、その病院も繁昌しているでしょうから、
もし病気になってしまったら、できるだけ繁昌している評判のよい医師に看てもらうのがよいのではないかと感じています。
また、他のどんな職業であっても「霊的直観力」のある人の方が、能率よく仕事をこなし、社会的にも貢献しているのだと思います。
この後、テキストにはどうすればこの「霊的直観力」を養成できるのかが説明されています。
テキストの謹写を続けます。
4629
:
a hope
:2014/11/21(金) 23:37:11 ID:cEpBaIdo
トキさま
トキさまがどのような意図で、このご著書をご紹介されたのかよくわかりました。
丁寧なお返事をくださりありがとうございます。 合掌。
4630
:
a hope
:2014/11/23(日) 12:01:05 ID:cEpBaIdo
>>2621
〜
>>2624
トキさま
トキさまが中国人の長所もたくさん認めてくださっていて、中国の将来についても明るい見通しを持ってくださっていることをとてもうれしく思います。
ですが、今回の件で、もう少し思うことがあるので、わたしの正直な気持ちを述べさせていただきます。
かつて、日本が高度成長期だったころ、日本人は拝金主義になりませんでしたでしょうか?
「海外旅行での恥はかき捨て」だと言って、海外の高級店での買いあさりなどのひどいマナーでの買い物をしていませんでしたでしょうか?
また、食材の産地書き換えや使い回し等、程度の差こそあれ、似たような非常識は日本人もしています。
実際、台布巾で床も拭いてしまっているような日本人をわたしは知っています。
布巾と雑巾の区別をしない人は、日本人にもいるのです。
中国と日本は国土、人口等の規模が違いますから比較にはなりませんが、もしかしたら、日本人も似たようなことをしていないかと、
中国人の行動を見て批判する前に自らの行動も反省すべきなのではないでしょうか?
目の前に現れる現象は、すべて自分の心の影ですよね?
そして、本当の「悔い改め」には、自己反省が必要だとここで学びました。
日本人は「神の国」に生まれたから特別な人種なのではなくて、「神の国」に生まれたからこそ、
「神の子」の自覚を持って生きて行かなければいけないのだと思います。
「生長の家」がこの日本国に出現した理由は、その自覚をもった日本人を増やすためなのではないでしょうか?
それに白人から見れば、中国人も日本人も韓国人も同じ顔をしたアジア人で大差ありません。
そのアジア人同士が波長を合わせて、どちらの国が優れているとか、どちらの国が野蛮だなどと批判し合っているのはとても悲しい現実だと思います。
せめてわたしたち「生長の家の教え」を信仰するものは、たとえ他国の事であっても現象の悪を認めず、
相手の実相を信じて礼拝していきたいですね!
4631
:
a hope
:2014/11/23(日) 15:07:07 ID:cEpBaIdo
>>4630
訂正
偽)
>>2621
〜
>>2624
トキさま
正)
>>4621
〜
>>4624
トキさま
4632
:
トキ
:2014/11/23(日) 19:55:18 ID:.7kA9qJU
>>4630
ご丁寧なコメント、ありがとうございます。
優しい御心には感激しました。
今後ともよろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
4633
:
SAKURA
:2014/11/23(日) 23:37:01 ID:???
こんばんは… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>4626
の投稿の続きです。…が?
■拝読しながら…気になる文章がありましたので…
>>4630
の文章の中から…
>>「生長の家の教え」を信仰するものは、たとえ他国の事であっても現象の悪を認めず、
相手の実相を信じて礼拝していきたいですね!<< (一部抜粋)
■現状の国際化…この問題の前に「戦争時代」にも…多々なる問題がありましたかと。
過去の歴史を振り返りますと…当時からの国家間でのその思想・思考の相違からの
多々なる弊害が現在まで及んでいる事は歴史上取り消す事はできないものです。
多くの方々は、その事に関しましては、内心思い当たる事がある面ではないのでしょうか?
■【此の雑巾・フキンのお話…】なのですが…?
現状、【日本国内】での販売時にて目の前で見た事であり…正直申しますと?
他の場所でも数回見た事があります…。
確かに?日本人の中でもそのような?区別の出来ない方も…戦後は多かったかと?
しかしながら「義務教育」を受ける世代からは、…つまり「断魂・断崖世代」では、
少なくとも「義務教育」の学校教育課程で教えられたモノという記憶があります…。
但し?その中でも…【環境・境遇】からは、本人の捉え方の問題になりますでしょうか?
失礼ながら…「炭鉱関係」とか?
■「しつけ」と云うことに最終的にはなりますのでしょうか?
■【 他国の事…実相を見るべき… 】。。。
確かに仰います通りとは思います。…が?
現状では…日本国に来日されて生活する上では、少なくとも『慣習』は、その国の『慣習』に
基ずいた行動を執って戴きたいモノです。
国際化というベールで…御本人達の国の慣習をそのまま持ち込んで「日本国内」での
生活をなさいますと…その考え方に同調します日本人は…それはそれで…いいのでしょうが?
現状?見えない形での【弊害】が起きて居るのは事実ですかと。
つまりは最終的には『 類の法則 』と云うことになりますのでは????
少なくともその事に寄ります【衛生問題】が将来的に於きました時は?
如何なものなのでしょうか?この頃…考えてしまいます…。
(又!時間がありました時に投稿させて頂きます…。)
つづく
❤〜SAKURA
4634
:
a hope
:2014/11/24(月) 00:42:33 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」 第14巻 p161〜
さてしからばこの何事にも絶対に必要な直観力を養成するにはいかにすべきか。
先刻もいったように、幼児より子供の「神秘がる心」を押し消さないようにすることだ。
神秘なることを神秘として教えよ。
深く考えれば実に神秘であるところの現象を、当たり前の茶飯事だとして、見のがしてしまうような習慣をつけてはならぬ。
草木をただの毛細管現象で生長する機械だと教えてはならぬ。
あらゆる物にやどる生命の神秘を教えよ。
神秘に驚異し、崇敬し、その生命の神秘に一歩でも近づくことを名誉と思い、生命を合掌礼拝するように子供を教えよ。
ああ、生命の神秘を驚異し尊ぶ心――隣人愛も、生物愛護も、敬虔なる宗教心も、画期的な科学的発明も、偉大なる哲学も、妙なる芸術も、
それから実業界のすばらしき成功さえも、皆この生命の神秘を礼拝する心によって得られるのだ。
(中略)
こんなことを書いてもわたしは神仏に祈って相場をやれというつもりではないのだ。
ただわたしのいいたいのは、神仏はあるぞということだ。信仰は運命を支配するぞということだ。
いっさいの大成に必要な直感とか霊感とかいうものは、神秘を礼拝することによって得られるということだ。
諸君よ、石像を石だと思うな。木像を木だと思うな。そこには神秘な力と交通するアンテナが張られているのだ。
どんな小さな神社でも軽蔑するな。その前を通る時には頭を下げて通れ。
諸君よ、大芸術を産み出すために祈れ。自分の心を浄めるために祈れ。自己の生活を傑作とするために祈れ。
確乎不動の信念を得るために祈れ。友だちの病気の平癒のために祈れ。
わたしは「生長の家」の兄弟たちのために毎日祈っているのだ。
諸君は諸君で自己の家族や知人の平安のために祈れ。諸君の子供の生長のために祈れ。
そして諸君の子供にも親たちと一緒に神仏を祈ることを教えよ。
祈ることを教えることは神秘に近づく道を教えることだ。
かくする時、いっさいに応用してあらゆる偉大なるものを産み出すところの源泉となるべき霊感と直覚とが、
やがてあなたの子供たちを祝福する日が来るに相異ないのだ。
4635
:
a hope
:2014/11/24(月) 00:43:13 ID:cEpBaIdo
(
>>4634
a hope所感)
<<祈ることを教えることは神秘に近づく道を教えることだ。>>
人生を幸福に導く「霊的直観力」を養うカギはどうやら「祈り」にあるようですね。
4636
:
a hope
:2014/11/24(月) 00:50:14 ID:cEpBaIdo
>>4633
SAKURAさま
貴重なご意見をいただきありがとうございます。合掌。
たしかに、国際関係は複雑な時代背景があったり、それぞれの国の生活習慣等も異なったりしますからなかなか難しいのかもしれません。
ですが、生長の家の「人間神の子」の真理は万国共通の真理ですから、わたしたちは自信を持って信仰できますね。
SAKURAさま、お元気そうでなによりです。
また、いつでもご気軽にweb誌友会にご参加くださいね。
4637
:
a hope
:2014/11/28(金) 09:57:50 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p166 5行目〜
信仰実話は数多くたびたび繰返して子供に話してきかせよ。
しだいにそれより導いて、ついに彼をして大生命と一体であるとの自覚までに高めあげるのである。
ひとたび自己を守護する大生命の存在を深く心に印(いん)せられたものはあらゆる事物に恐怖しない。
彼は恐怖しないがゆえにたとい病気に罹ることがあっても速やかに治るのである。
彼は恐怖しないがゆえにいかなる困難にも挫折しない。
彼は恐怖しないがゆえに新しい試みをなすに躊躇しない。
・・・
4638
:
a hope
:2014/11/28(金) 09:59:06 ID:cEpBaIdo
(
>>4637
a hope所感)
どんなに頭脳明晰で勇敢な人間であっても無神論者(神さまの存在を信じていない人)は、
何かのきっかけで「恐怖心」に捉われたとき、人生に挫折してしまうのだと思います。
たとえどんなに失敗しても、人生は「魂を磨くための学校」であり、神さまがいつも温かく見守ってくださっていることがわかっていれば、
人は必ず立ち上がることができるのだと思います。
4639
:
a hope
:2014/11/30(日) 00:18:57 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」p173 5行目〜
自己を尊敬されたいものは、ひとを尊敬せよ。世界は正札であって駆け引きではない。
支払ったものだけのものが、自分に返って来るのである。尊敬を支払えば尊敬が返ってくる。
深切を支払えば深切が返ってくる。愛を支払えば愛が返ってくる。
だから子供から尊敬せられようと思う親たちは、子供を尊敬することを吝(おし)むな。
子供を尊敬すれば、子供もまた「善き父」または「善き母」としてその親たちを尊敬するのだ。
子供の教育には「道理」をもって子供の心のうちの神(道理)に相対するようにせよ。
強制は決して子供の心のうちにある神を生かしはしないのである。
かくのごとく「道理」をもって子供たちに内在する神に対するとき、
時には子供の方か大人に対して理論上勝つということもありうるのである。
かくのごときときには、大人の権威にかかわると思って※横車を押しとおすようなことをするな。
あらゆる者は大人でさえも、真理(神)の前には跪(ひざまず)かねばならぬところの
最小(いとちい)さきものであることを知らしめねばならぬのである。
真理の前に大人が跪いて見せるとき、子供もまた、真理の前に跪かねばならぬことをさとるのである。
大人が子供にいい負けたと思わせるような解決をしてはならない。
子供に負けるのではない、真理の前には大人でも素直に頭を下げるのが
どんなに善いことかであるかの実例を見せるようにするのである。
実にこのことは人間性の素直な発達のために大切なことであって、
すぐ子供も真理の前には頭を下げはじめるのである。
大人が自己のまちがっている場合に、そのまちがいを押しとおすようにしないならば、
子供の性質も素直になって悪いと自覚しながら頑張るというようなことはだんだん少なくなってくるのである。
※横車を押す ・・・ 横に車を押すこと。転じて無理と知りながら自分の言い分を通すこと。
4640
:
a hope
:2014/11/30(日) 00:20:46 ID:cEpBaIdo
(
>>4639
a hope所感)
<<かくのごとく「道理」をもって子供たちに内在する神に対するとき、時には子供の方か大人に対して理論上勝つということもありうるのである。
かくのごときときには、大人の権威にかかわると思って横車を押しとおすようなことをするな。>>
わが家でも、このようなことはしばしば起こります。
子供がすぐにいうことを聞いてくれなかった時など、感情にまかせて叱っていると、
子供の方がずっと冷静に、なぜ、わたしの言うことを聞きたくないのかを説明しだしたりします。
子供には子供の言い分がちゃんとあるんですよね。
そういうときに、「親に反抗するとは、けしからん」と叱って強制してやらせるのは、生長の家の教育法ではないわけですね。
そこで一呼吸して、「そうか、そういう理由があるんだね、それじゃあ、今すぐじゃなくてもいいから、やってくれるとうれしいな」
と言いかえたりすると、子供は「うん、後でやる」と本当に素直にやってくれます。
自分の子供って自分から生まれていますから、なんとなく自分の分身か付属品のように感じてしまいがちですが、
本当は、一人一人が尊い〝神の子さん〝 なんですよね。
でも、そんな大切なことを、忙しい日常に追われているとついうっかり忘れてしまいます。
<<だから子供から尊敬せられようと思う親たちは、子供を尊敬することを吝(おし)むな。
子供を尊敬すれば、子供もまた「善き父」または「善き母」としてその親たちを尊敬するのだ。>>
そうか、わたしが子供達に尊敬されていないのは、わたしの「子供たちへの尊敬の念」が足りないからだったのですね・・・
がんばります( `―´)ノ
4641
:
a hope
:2014/11/30(日) 16:26:01 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第14巻 p176 2行目〜
大人よ、子供の考えることに碌(ろく)なことがあるかという先入観を棄ててしまえ、
天国に入る者は心は幼児の心のごときものであると古(いにしえ)の聖者はいった。
そのように時として子供の唇からは天的な啓示が語られることがあるのである。
たとえにも「負(お)うた子に教えられて浅瀬を渡る」という。
子供の言葉に霊界よりの啓示を聴くことのできるものは祝福された人である。
子供が自分自身で考えついた考えを尊重してやることは、その考えと同じ方向にはたらく心の働きを励まし助長してやることになるのである。
これは実に大切な励ましである。
子供は「励まし」か「嘲(あざけ)り」かでいっそう高く発達もすれば、
逆にいっそう低く退歩もする分水嶺(ぶんすいれい)に立っているのである。
多くの若き心はもう一歩のところで大発明大発見をするという瀬戸際まで漕ぎつけながら大人の嘲笑にあって委縮してしまっている。
世界はこうした愚かな大人の嘲笑がなかったらならば今よりもいっそう進歩していたかもしれないのである。
大人よ、若き心の独創的な考えの芽を摘むな。
どんなにそれが小さくとも、いやしくとも独創的でありえさえするならば、その価値を讃えよ。
どんなにそれが早熟的な、大人にとって嫌や味なものであろうとも、子供の独創性が発揮されているものならばその価値を認め、
価値をたたえられることによって発達するのが生命の法則であるからである。
4642
:
a hope
:2014/11/30(日) 16:27:58 ID:cEpBaIdo
(
>>4641
a hope所感)
この後テキストでは、<<幼児期の心に印象された記憶がいかに大切なものであるか>>が述べられていて、
「生長の家の教育法」の目的、根本原則、方法がさらに詳しく説明されています。
また、
>>4625
でトキさまが、立花隆さんの「臨死体験」をご紹介くださり、たとえ生まれた直後の嬰児であっても、
産婦人科医の不注意で言った言葉が潜在意識にあっために、その後の男性の人生に大きく影響していた、
という興味深い事例をご紹介してくださっています。
<<子供は生まれつきの霊感的語学者であって、音で聞いて言葉の意義を霊感で直接的に把(つか)むのである。
彼は不思議な直覚的理解力をもっていて大人の言語を大人の言語をかなり十分理解しうる。>>p183 7行目〜
人は大人になるにつれて、色々な経験をして世間的に賢くなると同時に、
この「直覚的理解力」が衰えてきてしまうのかもしれませんね。
生まれたばかりの嬰児は(生まれる前の胎児もですが)、そういう意味では全く汚れのない「神聖」そのものなのですね。
(つづく)
4643
:
a hope
:2014/11/30(日) 16:29:52 ID:cEpBaIdo
(
>>4642
つづき)
その、「神聖な命を守る運動」にわたしも協力しています。
大熊先生ががんばってくれているからこそ、わたしもこの素晴らしい運動に参加することが出来ています。
大熊先生のブログを見たり、you-tube を視聴するだけでも応援になるそうです。
みなさま、ご協力をどうそよろしくお願いいたします m(__)m
http://blogs.yahoo.co.jp/inoti333mamoru777/MYBLOG/yblog.html
以下、大熊先生からのメール内容を転載させていただきます。 合掌。
―――――――――――――
速報です。
合掌 ありがとうございます。
赤ちゃんを守る救命センター。
一般社団法人いのちを守る親の会
「奇蹟の事務所」設立秘話が8分の、
動画になって全世界に公開されました。
ぜひ、皆さん、ご覧下さい。↓
http://youtu.be/A1Hjhegwj88
宣伝くだされば下さるほどに
妊婦さんや赤ちゃんが救われます。
どうか、ご協力お願致します。
合掌 再拝
大熊 良樹 拝
――――――――――――――
4644
:
a hope
:2014/11/30(日) 23:21:49 ID:cEpBaIdo
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
第30回 web誌友会 予告
期間 12月1日〜12月31日まで
テキスト 「生命の實相」第15巻 人生問答篇 上
内容 新生活への出発 人生の悩みを解く(上)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
早いもので、今日で11月も終わり、明日から12月に入ります。
そこで、テキストを第15巻の「人生問答篇」に進めたいと思います。
現在の「生長の家」教団は、あまり個人救済に力をいれていらっしゃらないようですが、
「生命の實相」を拝読していると、昔の生長の家は「生長の家」の人間神の子の真理を伝えることによる個人救済が
活動内容の大部分を占めていたような印象を受けます。
それに昔は「生命の實相」を拝読するだけで病気が治ってしまうという奇蹟が現実にたくさん起きていたのですよね。
現代の情報化社会に生きるわたしたちは、ふつうに生活しているだけで色々な情報が否応なしに入ってきてしまいます。
ですから「生命の實相」を拝読しても、わたしたちの頭の中にはいってしっている余計な知識が邪魔をして、
素直に真理が心に響かなくなっているのではないかと感じています。
わたしはこれからも出来るだけ心を真っ白にして、聖典「生命の實相」を拝読していきたいです。
4645
:
a hope
:2014/12/01(月) 10:43:29 ID:cEpBaIdo
12月に入りましたので、第30回 web誌友会を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
住吉大神様 住吉大神様 谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます
世界平和の祈り
神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。
光明思念の歌
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
4646
:
a hope
:2014/12/01(月) 10:47:51 ID:cEpBaIdo
つづきまして、今回のテキストである 第15巻の『新生活への出発―― 幸福なる生活への序曲―― 』(序章)より抜粋謹写させていただきます。
・・・(前略)・・・p14 後から4行目〜
諸君よ、この書を手にせられたのを機会に今日からあなたの家庭をもっと明るく笑いに満ちたものとしようではないか。
苦い顔は家庭の外でも見飽きるほど見ているのである。
厭味(いやみ)や小言はもう飽き飽きするほど家庭の外で聞かされているのである。
せめてわれらは家庭にいる間だけでもわれらの人生を楽園としようではないか。
われらが外へ出て人生の戦いを戦うとき、振り返って、帰れば楽しい明るい慰められるべき家庭があることはなんという力強いことであろう。
諸君よ、この人生の楽しいオアシスを、決して苦い火宅とするな。
あなたの天国に地獄を持ち込むな。
一歩あなたの家庭に入るとき、そこを天国だと思え。
家庭の全員が、そこを天国だと思うようにするならば、そこに本当の天国ができ上がるのである。
「運命の神も、快活な人には十歩も百歩も譲歩する」(Fate itself has to concede a great many things to the cheerful man.)
という西洋の諺がある。
日本の諺「笑う門には福来る」というのと好一対(こういっつい)である。
天照大神が岩戸隠れをせられて天地ただ暗黒に満たされたとき、その暗黒の真っただ中にあって悲観せず、失望せず、
陽気な音楽を奏でつつ明るい笑いを笑い、ついにその暗黒を笑いによって吹き飛ばした天宇受売命(あまのうずめのみこと)こそ
生粋の古代日本人の標本であり、「生長の家」人の好標本であるのである。
苦難に面するとも朗らかに哄笑(こうしょう)せよ。
やがて諸君はその苦難を征服することができるであろう。
天宇受売命(あまのうずめのみこと)は八百万(やおよろず)の神々の奏(かなで)出でる音楽につれて明るい踊りを踊ったのであった。
音楽にもいろいろあるが、明るいリズムの音楽は聴く人の心のリズムを明るくし、肉体のリズムまでも調子よくし、
その結果心の悩みはもちろん、肉体の健康をさえもよくするのである。
近頃、琴曲(きんきょく)の名人でその演奏によって他人の病気を治したという実例がある雑誌に出ていたが、さもあるべきことである。
(つづく)
4647
:
a hope
:2014/12/01(月) 10:49:44 ID:cEpBaIdo
(
>>4646
つづき)
輝くような明るい笑いは人生の不幸を吹き飛ばし、不治症をさえ雲散霧消(うんさんむしょう)する不思議な効果をもっているものなのだ。
われわれが健康でなかったり、不幸であったりするのは自己の魂の中の天照大神が岩戸隠れをしているからであるのだ。
魂の中の天照大神が岩戸隠れをしてしまったら、形の世界はことごとく暗澹として光明を失ってしまうのである。
なぜなら形の世界は心の世界の映像(かげ)にすぎないからである。
諸君もしらるるとおり、日本古典の『古事記』によれば、天照大御神が天岩戸に御隠(みこも)りましたとき、
万物ことごとく暗黒の中に沈水してしまったのである。
その時、心の岩戸を開いて天照大神の出御(しゅつぎょ)を促したところのものは、
天宇受売命の明るい動作に促された八百万神々ことごとく高天原を揺り動かすような哄笑(おおわらい)であったのである。
諸君はこれをたんなる神話だと思うか。
しからず、これは生命の創価作用を説明する深遠なる象徴劇であったのだ。
「生長の家」ではわれわれ人間は皆神の子であるという。
われわれが神の子であるとは、各人は「天照大御神」を各自の魂の底に包蔵しているということである。
言い換えれば皆が天照大御神の御子(みこ)であるということである。
では、われわれは今日から神の子らしく朗らかに生き、各自に宿る天照大御神を岩戸を開いて導き迎え奉り、
この大御神の子たる実をあらわし、われわれは太陽の子だということを実相を現実にあらわそうではないか。
陰鬱にふさぎ込んで明るさを失ってしまうことは心の天の岩戸を閉ざしてしまうことである。
どんな善人でも陰気が心の中に籠っては太陽の魂が閉ざされているのであるから、本当の善人だということはできないのである。
本当の善人は心が明るくなければいけないし、いつまでも暗(やみ)を見つめる心を捨てなければならないのである。
(つづく)
4648
:
a hope
:2014/12/01(月) 10:51:27 ID:cEpBaIdo
(
>>4647
つづき)
禍(わざわい)を転じて福とするのが日本精神である。
死んでも死なないのが日本人であった。
伊邪那岐命が、その子迦具土神(みこかぐつものかみ)を切り給うたとき、その御刀につきたる血からも、
殺されました迦具土神の頭(こうべ)からも、胸(みむね)からも、腹(みはら)からも、陰(みほと)からも、
左の手からも、右の手からも、左足からも、右足からも、神々が生まれ給うたと『古事記』にある。
日本人にとっては一つの「死」は多くの「生」への始まりであった。
「死」さえも明るく見るのが日本精神であったのだ。
・・・ (中略)・・・
諸君はみんな神の子ではないか、神の子が朗らかに笑うほど自然な行事はないのである。
諸君が明るく笑う時、たちまち諸君の本性たる「神の子」に立ち帰るのである。
諸君が神の子たる本性に帰るとき、明るく朗らかな朗らかな神の子の本来の面目に復帰する時、諸君はもうそのままで自由自裁なのである。
天之岩戸は外にはなく、心で築いたものであるから、心が明るく朗らかなるその本来の面目に帰るとき、
もうそこには天岩戸は消えているのである。
何よりも明るく朗らかに笑うことが自己に宿る無限力を引き出す第一歩である。
「明るく朗らかな神の子が自分である。ああ自分が神の子であることがありがたい。」
今日から、就寝前の一分間と、朝目が覚めたときの一分間とに、こう二十回ほど繰り返して丹田に力を籠めた低声で自分の心に言って聞かせよ。
そして機会あるごとに大笑(たいしょう)せよ。
諸君の運命と健康とはこの言葉の力と笑いの力で日々にその前日よりもいっそう明るく改善されたものとなるであろう。
この一文をもって本章の序章とする。
本書は「生長の家」が昭和九年八月にその本部を東京に移転する以前、阪神間、住吉村の道場で実際にわたしに人生指導を求められた際の対談であり、
掲載の順序は第一章以外は座談の年代順に集めたものである。
著書しるす
感謝 合掌。
4649
:
トキ
:2014/12/01(月) 21:56:43 ID:SPm6GZyk
a hope様、誌友会ではお世話になります。
よろしくお願いします。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
4650
:
a hope
:2014/12/01(月) 23:03:02 ID:cEpBaIdo
>>4648
訂正
自由自裁→自由自在
4651
:
a hope
:2014/12/01(月) 23:05:46 ID:cEpBaIdo
みなさま こんばんは
今日から、第15巻の人生問答篇に入りたいと思います。
今朝、序章となっている「新生活への出発」の後半部分を謹写させていただきました。
第1章の「家庭争議の解決を語る」を拝読して感じたのですが、
昔の信徒さんというのは本当に「生命の實相」の真理をそのまま家庭生活で実行されていたのですね。
家庭の老人が小言をいうのも「自分の心の影」であり、
「生命の實相」をお友だちが受け取ってくれないのも「自分の心の影」であり、
ご主人の入れ歯を女中が割ったのも「自分の心の影」であると自己反省されることで、
家庭や友人関係を調和させてしまっています。
とても素晴らしい信仰姿勢だと感じました。
拝読していて、本当にうらやましいと思ったのはは、登場されている信徒の方々が、
谷口雅春先生と普通に対話されているということです。
当時は、質問すれば雅春先生から直接お答えがいただけたのですよね。
わたしたちは、もう雅春先生の直接のご指導は受けることはできませんが、
雅春先生が残してくださった聖典はいくらでも拝読することができます。
今回のテキストのように対話形式になっていると、具体的で判り易いですし、
雅春先生に対してとても親近感がわいてきます。
みなさんも、どうそご一緒にお勉強してくださいね!
4652
:
a hope
:2014/12/06(土) 00:25:56 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第15巻 p38 10行目〜
杉野――ところがこの四、五日来憂鬱(ゆううつ)が来ましてねぇ。
理由がわからないで心境が朗らかになれない。
別に原因がないのに心が憂鬱なのです。
そうしますと今まで順序がトントン拍子にいっていた会社の仕事が一時失敗(しくじり)ましたのです。
それは委(まか)してある店の者が不良品を買ったというようなことですが、
わたしの心が朗らかであればこんなことは起らない。
わたしの心が朗らかでないために、それが会社の仕事、店の者の仕事に反映してそういうことが起こったのであります。
実に環境はわが心の影というわけですねぇ。
それがどうしてわたしの心にこういう朗らかでない心境が起ってきたのであるかどうかもわからない。
ところがよくよく反省してみますと四、五日前に『三日会会報』というのが来ました。
それをポケットに入れて電車の中で読んだのであります。
いつでも会社へ往復の電車の中では聖典『生命の實相』を読むようにしていましたのですが
ちょうど『三日会会報』が来たものですから、この雑誌も『生長の家』の分身だと思うものですから、
読んだら真理を知る上に同じ効果があるつもりで読み始めたのですが、
読んでいると『生長の家』と少し違うところがあるような、変な不安な憂鬱な気がしたのです。
なんだかその理論は物質の存在を認めているような、
小我自我(にせもののわれ)の存在を認めているような点がありますので、
読んでいるうちに物質も存在する、現象も存在するというような気がしてきたのです。
(つづく)
4653
:
a hope
:2014/12/06(土) 00:30:31 ID:cEpBaIdo
(
>>4652
a hope所感)
<<この雑誌も『生長の家』の分身だと思うものですから、
読んだら真理を知る上に同じ効果があるつもりで読み始めたのですが、
読んでいると『生長の家』と少し違うところがあるような、変な不安な憂鬱な気がしたのです。
なんだかその理論は物質の存在を認めているような、
小我自我(にせもののわれ)の存在を認めているような点がありますので、
読んでいるうちに物質も存在する、現象も存在するというような気がしてきたのです。>>
わたしは杉野さんが読んだという『三日会会報』というものがどんなものかはまったく知りませんが、
雅宣先生のご文章を拝読していると、わたしはまさに上のような感じがするのです。
確かに、雅宣先生は実相世界の存在をお認めになっていて、実相独在であるということも、
現象世界が「影の世界」であることもそのご文章中に表現されてはいますが、
一方で、本来ないはずの現象世界や罪を犯す現象人間をもあたかも存在するかのように表現されてしまっているので、
わたしはそのように感じてしまうのだと思うのです。
この後に雅春先生の杉野さんの発現へのお返事がありますので、明日謹写したいと思います。
4654
:
a hope
:2014/12/06(土) 00:33:08 ID:cEpBaIdo
>>4653
訂正
杉野さんの【発現】へのお返事 →杉野さんの【発言】へのお返事
4655
:
a hope
:2014/12/06(土) 10:45:03 ID:cEpBaIdo
>>4652
つづき
「生命の實相」第15巻 p39 後から7行目〜
谷口――「ニセ物の我」とか「本物の我」とかいう区別はない。
いずれも真我(ほんもの)の表現だという、偽説に迷いなさるな。
「生長の家で物質は無い、現象界は蜃気楼のように心の影にすぎない」と申しますのは理論や理屈でそう言うのではなく、
実際真理において「物質はない」から無い(○○)と言うのであります。
実相から観て現象は映像(かげ)でるから映像であるというのであります。
そのほかに別に理由はないのであります。
むろん聖典『生命の實相』の中には椽大(てんだい)の筆を揮(ふる)って物質のない理論が詳しく書いてあります。
しかしそれは実相の悟りに導くためにそう書いてあるだけでありまして、
理論がこうだから「物質は無い」と結論するのではありません。
理論は、真実の悟りに導く方便として後から造ったものであって、理論より先に「物質はない」という真説があり、
その真理の啓示を解りやすく納得させるために理論を説いているのであります。
だからその真理に権威があって読んで信ずる人の心に「生命の実相」を悟らせ、自由自在の心境に達せしめ、
その副作用として医術難治の痼疾(こしつ)でもズンズン治る例がたくさんあるのであります。
むろん、理論はどうにでもつけられる。
「物質は有る」とでも「ニセ物の我こそは本当の我である」とでもどうにでもつけられます。
そしてその理論を信じたい者は信ずることができます。
それを信ずることも自由であります。
しかし、そういう理論を信じますと、信じなくとも多少在来の信念に動揺を来(きた)しますと、
「物質がある」という自己の信念の結果、物質によって自分自身が自縄自縛(じじょうじばく)せられることになり、
先の自由自在の心境が不自由な心境になり、不完全なる「ニセ物の我」を真我(ほんもの)の一顕現として肯定する結果、
不完全な状態が自分の世界にいっそう多く顕れて来、今までトントン拍子にいっていたことがトントン拍子にゆかなくなるのであります。
(つづく)
4656
:
a hope
:2014/12/06(土) 10:47:37 ID:cEpBaIdo
(
>>4655
つづき)
われわれが五官で物質を観、現象を観、それに立脚していろいろ複雑な理論を作りあげて、
物質もある、現象もあると肯定するのはいともやさしいことなのであります。
科学者はみんなそれをやっている。
しかし実相覚で「物質は無い」というのは理屈ではないのです。
誰でも頭の善さを信じて理屈で真理に這入ってゆこうとして理屈をますます複雑にし、
「物質は無い」と単純に承認すればよい所を、
「物質は無いと有るとを超越したところの有るである」と無理に複雑化して言ったり、
「ニセ物の我は無い」と単純に否定すればよいところを「ニセ物の自分も真我(ほんもの)の一顕現として実在である」
などと複雑に言っていられると、いつのまにかその人は物質があるやらないやら、
自分自身で言っていながらわからなくなるのです。
(つづく)
4657
:
a hope
:2014/12/06(土) 10:51:36 ID:cEpBaIdo
(
>>4655
>>4656
a hope所感)
次に、雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』p82から雅宣先生のご文章を一部ご紹介させていただきます。
<<・・・しかし、その一方で、生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。
この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、
地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。
そうすると「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。
しかし、その場合、自然界の法則によるのは、「百年に一回起こる大地震」だけではなく、
「九十九年間は大地震が起こらない」状態も当然含むのだから、「九十九年間の地殻の安定は神がもたらす」ということも同時に言わなくてはならない。
なぜなら、〝法則としての神〝 は人間にとって悪いことだけをもたらすのではなく、良いこと、ありがたいことも、常にもたらしているからだ。・・・>>p86 3行目〜
(一部分だけの紹介をお許しください。)
みなさんは、この雅宣先生のご文章を読まれて混乱されませんか?
ここにある「物理学や化学の法則」または「自然界の法則」とは地殻変動等を起す「物質世界の法則」のことなのだと思いますが、
雅宣先生は<<「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。>>
とお答えになってしまっているのです。
要するに、物質世界を神の創造であると複雑な表現ではありますが、認めてしまっておられるのです。(二元論)
物質世界(現象世界)は実相世界が屈折されて投影された映像であり、本来無いものであり、
決して神の創造ではありませんよね?
わたしが理解している「神の法則」は「神への中心帰一の法則」です。
「神の法則」が完全に顕われている「実相世界」は久遠の今であり、人間に不幸をもたらすような不安定は存在しない、
常に安定だけをもたらす、完全円満な理想世界だと信じています。
みなさま、わたしの解釈に間違いがあれば、どうそご指摘ご指導をよろしくお願いいたします。
4659
:
トキ
:2014/12/06(土) 19:39:28 ID:0iMHaNvk
>>4657
a hope さま
総裁のご文章は、すごく分かりにくい文章ですが、総裁の言いたい事はこういう事でしょうか。
>>生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」
というところから、いきなり、
「物理学や化学の法則も、法則とある以上は、神様が作ったものである。」
として、次に、
「地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則に基づくものである。」
とあるから、
>>「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。
という結論に至る、という解釈かしら?
(つづく)
4660
:
トキ
:2014/12/06(土) 19:47:53 ID:0iMHaNvk
私個人の解釈では、
>>生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」
というのは、もともと、「心の法則」を説明する時に使う説明です。
同じ「法則」でも、物理や化学の「法則」は現象世界の問題と理解します。
百歩譲って、法則が神様が作ったとしても、その法則を使うのは、神様では
ありません。以前、Winyというソフトを作った人が逮捕されましたが、使った
人には責任はあるが、作った人には責任がないと無罪になりました。それと同じ
で、法則を作った事から、その法則が作動する行動や言動(かりにこういう
表現を使いますが)をした人と、法則を作った(?)人とは、別の存在です。
この総裁のご文章は彼個人の自然観を説明するための文章ではありますが、
生長の家の信仰を伝えるものではない、といえます。
4661
:
SAKURA
:2014/12/06(土) 23:11:50 ID:???
こんばんは…… ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
「トキ様」「a hope様」へ……横スレにて…失礼いたします…。
■□ 『小櫻姫物語』からなのですが??
その中から「橘姫さまのお話」――>入水についてのお話で。。。詳しくは、
【 四十一、海神の怒り 】の内容から………
時代背景と致しましては……重複しますでしょうが?
「神武天皇のお后さまの入水の事」からでも思いますには、
やはり『人・霊』から来る事もあるようですし………
■【地・震】は?やはり『神の法則』から来る事もありますでしょうし……?
更に……
『人間の念』からでも、来す事もある事ではと思う次第です。
■□『小櫻姫物語』の中から……(具体的投稿文…抜粋)
「小櫻姫様の指導霊のお爺様」の“言・葉”からの抜粋なのです。
>>■橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私とし
て、ちっとここで申添えて置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でござい
ます。大和武尊さまのような、あんな御立派なお方が、何故なれば海神の怒り
を買われたか?――これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、実
は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでご
ざいます。その時お爺さんは斯う答えられました。――
『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとり
て並びなき大恩人であることはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身
になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。命の手にかかって滅ぼさ
れた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨靈となって隙を窺
い、たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨を巻き起し
たのじゃ。
あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほど
のいたずらはせなかったであろう。たまたま斯うした二つの力が合致したれば
こそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。
当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。姫があれを
ただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、
あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。
あれほど真心が何ですぐ神々の御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたれば
こそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが出来たのじゃ。
橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』
私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さ
まの御参考までに、私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。<<
上記を投稿させて頂きましたが……
『人間の念…想念感情』からと…考えられますのでは??
皆様も御存知の■【源氏物語…蒼い君】…にでも伺えますかと…思うのです。
最後に…「霊の世界」へ持って行けますモノとは『物質』はできませんが〜〜〜
『想念感情』は持って行けるモノ…これだけは断言できますでしょうか??
❤〜SAKURA
4662
:
a hope
:2014/12/07(日) 00:18:41 ID:cEpBaIdo
トキさま
お返事をありがとうございます。 合掌。
(トキさまのご発言)『生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」
というのは、もともと、「心の法則」を説明する時に使う説明です。』
ですが「神の法則」とは現象人間の偽我による「心の法則」のことではないですよね?
わたしは現象人間の過去に犯した罪や迷いが「心の法則」によって現れるのが自壊作用なのではないかと理解していますが、
この「神の法則」とは「心の法則」でも、実相世界の展開のことなのだと思うのですが・・・。
わたしは、現象世界の法則であっても、その法則が人間の迷いや罪によって屈折することなく実相世界からそのまま真っ直ぐに投影されていれば、
すべてが大調和して現れると思うのです。
ですから、地震などの天変地異などによって現象人間が被害を受けて見えてしまうのは、
現象人間の過去の迷いが消えるための自壊作用なのではないかと思っています。
たしか、雅春先生は、「津波は流産児の涙である」と言われたのですよね?
(今、大熊先生が「赤ちゃんの命を守る運動」を頑張って展開してくださっていますが・・・)
ですから雅宣先生の<<地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。>>
というお考えにはすごく違和感があります。
なぜなら、「甘露の法雨」にも、
「神があらわるればすなわち 善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり、
一切の生物処を得て争うものなく、相食むものなく、病むものなく、苦しむものなく、
乏しきものなし。」
とあるように、神があらわれれば地震などという人間を苦しめるような不調和な事態は起きないのが真理だとわたしは信じているからです。
それに、天変地異も戦争も不慮の事故も病気もすべて現象世界の出来事ですから、すべては影であり実在ではないわけですから、
たとえ何が起っても、わたしたち「生長の家の教え」を信仰しているものは実相世界の完全円満さを信じることができるわけですから、
わたしたちは本当に幸せだと思います。
(トキさまのご発言)『 この総裁のご文章は彼個人の自然観を説明するための文章ではありますが、生長の家の信仰を伝えるものではない、といえます。 』
トキさまがハッキリと、「生長の家の信仰を伝えるものではない」と否定して下さっていて「ホッ」としました。
雅宣先生のご文章を拝見していて感じることは、雅宣先生は「生長の家の教え」の概要は頭では理解されているようですが、
「生長の家」の信仰はされていないのではないかということです。(純子先生にも同じことを感じます。)
だって、お二人のFBにも、ブログにも、神想観をしているとか、聖典を拝読しているとか、愛行をしているとかそういうお話はほとんど出てきませんものね。
わたしの感じていることが間違いだったら心からお詫びいたしますが、もしそれが当たっていたとしたら、
そのお二人が「生長の家」の頂点に立つ総裁・副総裁をされているというのはとても不思議なことですね。
4663
:
a hope
:2014/12/07(日) 00:33:36 ID:cEpBaIdo
>>4661
SAKURAさま
web誌友会ご参加ありがとうございます。 合掌。
今夜は遅いので、また明日お返事させていただきますね。
4664
:
志恩
:2014/12/07(日) 05:39:31 ID:.QY5jUA6
a hope様
トキ様、SAKURA様が、コメントされてましたが、大熊良樹先生も ブログに、
この事に関する 生長の家の教えから 観られた コメント を載せておられましたので,転載させて頂きます。
……………………………………….
大熊良樹先生のブログより
📈【 地震は地球の 感情座の異変】📉 平成26年19月9日
▽いのちはひとつであり。。互いに影響 し合っている のである。
それは、人間の関係 においてもそうであるし・・(自他一体であるという事である)
自然(地球)と人間も同じ関係にある。
自然災害について、思う事があります。結果には 必ず原因があり、そこには 必ず法則が 働いています。
法則自体は「悪」では ありません。。
現象顕現の法則は、「現れ」即「洗われ」として、 浄化の働きを 持つのであります。。
現象は、諸行無常であり、「出たら」(かたちになったら)「消える」(無くなる)のです。
一定のエネルギーがたまると 抑えられたエネルギーは、容量を越えると、機会(縁に触れて)をえて「発露(顕現)」するのが法則であります。
しかし、なに(原因)に対して、なに(結果)が起こるか、法則に照らして、知ること わかること(理解すること)は、 災難を回避するための、
重要な智慧であると思います。。。
▽昭和52年刊行の「如意自在の生活365章」(日本教文社)p45にて、
谷口雅春先生は、天変地異 について こう説かれています。
地球もまた生命体であるから、人間とひとつであり、(「人間は「体」の面から見ると地球より 発生した「地球の子」みたいな
ものであるから」【本文引用】と表現されています。。)
原爆水爆など 地殻実験したり、地球を汚し貶めると)人間の想念感情が乱れたりすると、(また人間同士で貶め合うと)
地球の内層にある霊体・幽体・エーテル体 等に損傷をうけて、
(地球からまた)人間感情に影響を与えたり、噴火 地震などの天変地異という 現象となるという内容である。。。
(あい呼応してしまう・・という事である)
まさに人と地球は ひとついのちであり 強くつながっているのだ。
地震は周期的に起こるだろうが、起きるタイミング。 人時処、三相応が重大である。。。
同じ地震 といっても・・ 地震の起こる場所で規模で タイプで、津波が起こるか 起こらないが決まる。
また、住宅の 建てる高さ海抜、位置。に寄って被害が変わる。。
朝か、昼か、夜か、いつ起こるかで・・被害も変わる。。
人間の想念感情 ということでいえば・・先祖が津波は ここまで来るぞ、と書いて石碑で残しているのにも関わらず、
無視して・・・千年に一度の災害が 来るものですか・・と、国民を代表する国会議員が震災直前に 言ったりする。。
われわれは、大いに「神」に「先人」に 御先祖様の声に・・・大自然の声に耳を 傾けなければ成らないと思うのであります。。
何々したから これこれが起こった・・ というのは光明思想 ではありません。(天罰思想と いうのでしょうか・・)
神は愛であり、裁きや試練など 一切与え給わないので あります。逆であります。これこれを大事に しなさいという愛の教訓。
これを大事にしたら幸福になれますよ・・ という「幸福への鍵」。
幸福人生への重大ヒントともいえる・・
大切な教えが 暗示されているのが 現象なのであります。これを「心象」といいます。
われらはなお一層、真摯に声なき声に耳を傾けて「心象」たる「現象」から、 如何に生きてゆくべきか 学んでゆかねばなりません。
中絶をこのまま赦し続けて、尊き赤ちゃんのいのちを 見殺しにし続けるのならば、いくら上っ面の「国際平和」を祈り、
(深層に根差した祈りとは いのちを礼拝する祈りである。)
「自然保護運動」を展開しようとも、
(現象は心の影であり、 いのちを礼拝するところから自然が整う。)
それは「空念仏」であり、 本末転倒となるのであります。
そういう「正中」(御意)を外した祈りなき信仰者は私の周囲にはいませんが・・。この事は実に大切なことであります。
4665
:
志恩
:2014/12/07(日) 05:43:58 ID:.QY5jUA6
4664: 平成26年19月9日 ➡平成26年10月9日に訂正
4666
:
志恩
:2014/12/07(日) 07:53:44 ID:.QY5jUA6
「法則」(ルール)について
雅宣総裁が語られる「物理学や化学の法則」というのは、人間が作り上げた 地球でしか通用しない「地球の法則」
と,私は受け取っております。
一方、谷口雅春先生が説かれた「心の法則」とは、雅宣総裁が言われる
「地球の法則」を“超越した“ “人智を超えた“高級霊界に導かれている「宇宙の法則」だと思っております。
ともかく、いま地球は 大激変中のようですね...、それに伴って、それに連動するかたちで、生長の家も 大激変中のようです。
前に、縹様が詳しく教えて下さいましたが、
雅春先生の神示や、様々な預言に書かれてある通り、 今、われわれは、新しい時代の潮流「宇宙の法則,心の法則」の時代へ と
大きく舵を切ろうとしている転換期の時代のところに 差し掛かっていて、そういう時代に ご一緒に 生きている….。
そして、本来の生長の家の「心の法則」とは、
雅宣総裁が、今、語られておられるような1000人のうち、5人が、理解出来るかどうかも分からないというような
「複雑」「難解」な法則ではなく、創始者であられる雅春先生が説かれておられた法則は、もっともっと「単純」な法則なのでは?
この法則で生きれば、都会に生きようが、森で生きようが、どこで生きようが、どこのどなたでも 大安心の気持ちで生きられる 平易な心の法則です。
このような 元の教えの 心の法則を 確信し、実践さえすれば、
「束縛」➡「自由」
「不公平」➡「公平」
「ムダ・ムラ・ムリ」➡「効率」
「短所是正」➡「長所進展」…..の世界が、宇宙に通用する永遠の法則なのですから、自ずから展開しだすと思います。
「心の法則」ではなく、
雅宣総裁のお立場に立ち、雅宣総裁の説かれる、「地球の法則」の お考えに照合した考え方をしてみますと、正しいことを仰っている。
《人間の文明がこれまで築いてきた社会システムや考え方のために、地球環境は今、大変な危機に直面していること、
それらの危機の原因を作ったのは、人間のエゴと嫉妬心が産み出したことだ。》
この雅宣総裁の これらの考え方は、「地球の理・法則」なのですが、「地球の理・法則」とは、人類が作り上げた、地球でしか通用しない法則のことですから。
もうすぐ通用しなくなりそうですよ。
そして、ここ10年の間に、このような雅宣総裁の考え方は急速に勢いをなくしつつあるように思います。
いま幸せに生きている人たちは、ほとんどが「宇宙の理・心の法則」に従って生きようとしている人たちだからです。
「地球の理・法則」を、
雅宣総裁が、音頭をとって、主張されてる事と,裏腹に、生長の家の教団内部の組織自体が、エゴに支配された閉鎖的な空間になっている、
そのエゴの法則に支配された組織になってしまって、教団全体が、こんなに凋落しているのは、どういうわけでしょう。
このことを1つとっても、このお考えが
人類を幸福にするものとは、正反対である 誤った一時的な法則である事が、理解出来るではありませんか。
一方、これと対極に位置するのが、雅春先生が説かれた「宇宙の理である心の法則」であると存じますが、
こちらの方が、開放的で共生と融和を基礎にした永遠の法則のようです。
なるべく早く、元の教えであるこちらに変わるのが正しいと思われます。これは「全宇宙で通用しているルール」で、開放系のルールですから。
4667
:
a hope
:2014/12/07(日) 10:09:47 ID:cEpBaIdo
>>4661
SAKURAさま
『小櫻姫物語』の興味深いご文章を紹介してくださりありがとうございます。
志恩さまご紹介の
>>4664
の大熊先生のご文章にも『「地球」が「人間の感情想念」にあい呼応してしまう』という内容があります。
SAKURAさまのご紹介してくださって文章の内容となんとなく似ていると感じました。
以前、このweb誌友会でも、『「人類意識」と大きな災害の関係』の内容を学んだ気がしています。
後で探して、復習してみますね。
SAKURAさまのご参加とても嬉しです。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。 合掌。
4668
:
a hope
:2014/12/07(日) 10:12:05 ID:cEpBaIdo
>>4664
志恩さま
大熊先生の貴重なご文章を探し転載してくださりありがとうございます。
このご文章は、赤ちゃんの命を含めた個人の命(魂)の救済をおろそかにしている現教団への警告のようにもとれますね。
<< (現象は心の影であり、 いのちを礼拝するところから自然が整う。)>>
この言葉が「どーん」と心に響きました。
また、
>>4666
では「法則」についての素晴らしいご指導をありがとうございます。
わたしは、雅宣先生は「生長の家の教え」は小さいころから学ばれていたでしょうから、
頭では十分理解されているのではないかと思うのです。
ですが、現象の問題を見つめられすぎて、そのことに捉われてしまわれた。
そこで、「現象は本来無い」と理屈ではわかっていても、現象的な「地球の理・法則」を重視され、
どうしても現象処理的な運動をされてしまうのだと思うのです。
でも、それは志恩さまがおっしゃるように、雅春先生が説かれた「宇宙の理である心の法則」とは、
まったく別物ですよね。
雅宣先生が一日もはやく、本来の「生長の家」の教えの素晴らしさを思い出して下さることを祈っています。
4669
:
a hope
:2014/12/07(日) 10:16:06 ID:cEpBaIdo
みなさま おはようございます!
今朝、大熊先生のブログへ行きましたら新しyou-tube が紹介されていましたのでご紹介させていただきます。
https://www.youtube.com/watch?v=9pmz3jbNI8E&feature=youtu.be&list=UU72N5dUOwviUHUlBGtmU92w
↑「いのちを守る親の会」大熊理事長の情熱溢れる文書「退職の辞」公開!!( 2014/12/06 公開)
4670
:
トキ
:2014/12/07(日) 20:54:46 ID:PIBoJmSc
a hope 様
コメント、ありがとうございました。
遠出をしていましたので、ただいま帰りました。お返事遅れてごめんなさい。
最初に谷口雅春先生のご著書、「人間そのものの発見とその自覚」という聖典
を拝読させていただきます。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------
「人類の運命を決するもの」という題で話すことになっております。「人類の運命を決す
るもの」という題を話すについては、運命とはなんぞやということを話さなければならな
いと思います。運を天に任せるなんていう言葉がありますが、運という字はめぐるという
字が書いてあるのであります。運というのは誰か神様から強制的に吾々に割り当てられた
ところの宿命というものではないのであります。「因果はめぐる」なんていう諺がありま
すように、原因、結果の法則によって、その原因が結果となり、その結果がまた新たなる
原因を作って循環してゆくことになっているのであります。
従って、いいことをしたらきっといいことが出てくる。悪いことをしたらきっと悪いこ
とが出てくる。人を憎めば憎まれる。奪えば奪われる、というところのその根本的な
「因果の法則」というものがあるのであります。その「因果の法則」をまた「業の法則」
とも言います。或いは「心の法則」ともいうのであります。吾々個人も、その運命とい
うものを自分がつくってその結果を穫り取るのでありますが、「大体、個人の運命とい
うものは決まっているか」と言うて訊く人がありますが、大体、生まれた時にその運命
の三分の一は決まっているのであります。
それは、何故、決まっているかというと、これは神様が与えたんじゃなくて、吾々は
何回もこの世に生まれ更わってきているのでありますから、過去に、生まれ更わる間に
積み重ねてきたところの業の蓄積によって決まっているのであります。
(p198より謹写)
(つづく)
4671
:
トキ
:2014/12/07(日) 21:23:10 ID:PIBoJmSc
谷口雅春先生の教えで、「神」と「法則」の言葉が出てきた場合は、いわゆる
「縦の真理」で言及される場合もあれば、「横の真理」で言及される場合もあり
ます。
例えば、聖経 続々甘露の法雨の中にある、
「神の子 人間」の上には、神の法則のみ支配す。
とあるのは、縦の真理と理解するのが普通でしょう。一般論として使う場合は、
「神」と「法則」が出てきた場合、大半は「縦の真理」で理解すべきです。
ただし、「心の法則」での説明と理解すべきあと思われる場合もあります。
「人間そのものの発見とその自覚」(谷口雅春先生著)のP210にある、
「法則としての神と個別的人格としての神」というくだりは、横の真理と解釈する
のべきだと私は解釈しています。
「神は法則である」という言葉が、生長の家の講演などで使われる場合は、だいたい
「不昧因果」(ふまいいんが) に近い意味に使われています。「神は法則である」と
出たら、だいたい、「だから、えこひいきしない」という言葉が続くのが普通です。もっとも
これは繰り返しますが、私個人の理解ですが。
特に、総裁がこの二つの言葉を
>>「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」
という理論を正当化する根拠に使ったなら、これは「横の真理」の例えとして使ったとしか
考えられないからです。(「縦の真理」だと、これは疑問の余地なく間違いになります。)
以上、ご説明申し上げました。
さて、誌友会に戻ります。
(つづく)
4672
:
トキ
:2014/12/07(日) 21:43:12 ID:PIBoJmSc
さて、生命の実相第15巻の95pに谷口雅春先生が
「心で心が治せないというのは「迷いの心」で「迷いの心」が治せるはずが
ないということなんでしょう。「迷いの心」でいくら力んでみても「迷いの心」
は治せません。「迷いの心」を治すのは、「真理を知った心」のみです。
とあり、「迷いを治すのは真理のみです」と書かれています。
ほんとうの真理を知ることの大切さを痛感する次第であります。
4673
:
a hope
:2014/12/08(月) 00:08:39 ID:cEpBaIdo
>>4670
>>4671
トキさま
「心の法則」と「神」に関するご説明をありがとうございます。
とてもよく理解できました。合掌。
たしか「不昧因果」(ふまいいんが)という言葉は、以前トーキングスティックボードで復興Gさまが、
「百丈野狐」のお話をしてくださった時にお勉強したのを思い出しました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/154
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/159
少し難しいお話だと感じましたが、雅春先生のご解釈が深くて感動したのを覚えています。
<<「人間そのものの発見とその自覚」(谷口雅春先生著)のP210にある、
「法則としての神と個別的人格としての神」というくだりは、横の真理と解釈する
のべきだと私は解釈しています。>>
「人間そのものの発見とその自覚」というタイトルの聖典もあるのですね。
雅春先生はいろんな角度から真理を説いて下さっていますが、わたしは今まで雅春先生の聖典を拝読していて、
矛盾を感じたり混乱したりしたことは一度もありません。
それは、本当に「神さまのお言葉」なんだからだと感じています。
ところで、先日
>>4656
で謹写した部分の最後の一文が抜け落ちていたので半分だけ再掲させていただきます。
―――――――――――――
p40 後から3行〜
われわれが五官で物質を観、現象を観、それに立脚していろいろ複雑な理論を作りあげて、
物質もある、現象もあると肯定するのはいともやさしいことなのであります。
科学者はみんなそれをやっている。
しかし実相覚で「物質は無い」というのは理屈ではないのです。
誰でも頭の善さを信じて理屈で真理に這入ってゆこうとして理屈をますます複雑にし、
「物質は無い」と単純に承認すればよい所を、
「物質は無いと有るとを超越したところの有るである」と無理に複雑化して言ったり、
「ニセ物の我は無い」と単純に否定すればよいところを「ニセ物の自分も真我(ほんもの)の一顕現として実在である」
などと複雑に言っていられると、いつのまにかその人は物質があるやらないやら、
自分自身で言っていながらわからなくなるのです。
理屈は迷わせるのです。
―――――――――――――――――――
抜け落ちていたのは「理屈は迷わせるのです。」という最後の一文ですが、
雅宣先生のご文章は、本当にこの理屈が多いようにわたしは感じています。
4674
:
志恩
:2014/12/08(月) 09:29:46 ID:.QY5jUA6
a hopeさんは、他の掲示板はご覧になってないそうですが、「愛国」本流掲示板にa hopeさんのご発言が転載され、それに対するコメントも書かれてありましたのでご紹介します。
雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』に混乱・・・ (5593)
日時:2014年12月06日 (土) 12時23分
名前:きんき
トキ掲示板より
a hope:2014/12/06(土) 10:51:36 ID:cEpBaIdo
(
>>4655
>>4656
a hope所感)
次に、雅宣先生の「次世代への決断」の『大地震は〝神のはからい〝 か?』p82から雅宣先生のご文章を一部ご紹介させていただきます。
<<・・・しかし、その一方で、生長の家では「神は法則である」とも「法則の形をもって現れ給う」とも説く。
この観点から考えると、地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから、
地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。
そうすると「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。
しかし、その場合、自然界の法則によるのは、「百年に一回起こる大地震」だけではなく、
「九十九年間は大地震が起こらない」状態も当然含むのだから、「九十九年間の地殻の安定は神がもたらす」ということも同時に言わなくてはならない。
なぜなら、〝法則としての神〝 は人間にとって悪いことだけをもたらすのではなく、良いこと、ありがたいことも、常にもたらしているからだ。・・・>>p86 3行目〜
(一部分だけの紹介をお許しください。)
みなさんは、この雅宣先生のご文章を読まれて混乱されませんか?
ここにある「物理学や化学の法則」または「自然界の法則」とは地殻変動等を起す「物質世界の法則」のことなのだと思いますが、
雅宣先生は<<「地震などの天変地異は神がもたらすのか?」という質問には、「そう言うこともできる」と答えても完全な間違いではない。>>
とお答えになってしまっているのです。
要するに、物質世界を神の創造であると複雑な表現ではありますが、認めてしまっておられるのです。(二元論)
物質世界(現象世界)は実相世界が屈折されて投影された映像であり、本来無いものであり、
決して神の創造ではありませんよね?
わたしが理解している「神の法則」は「神への中心帰一の法則」です。
「神の法則」が完全に顕われている「実相世界」は久遠の今であり、人間に不幸をもたらすような不安定は存在しない、
常に安定だけをもたらす、完全円満な理想世界だと信じています。
みなさま、わたしの解釈に間違いがあれば、どうそご指摘ご指導をよろしくお願いいたします。
……………………………………………………………………
おいおい、「物理学や化学の法則」が「神」かよ。 (5599)
日時:2014年12月07日 (日) 11時48分
名前:講師会長やめました。
>地震などの地殻変動は、物理学や化学の法則にもとづいて起こるのであるから<
>地震が起こる所には「神が現れている」と考えることもできる。<
おいおい、「物理学や化学の法則」が「神」かよ。
科学万能は「唯物論」だよ。
霊の法則が抜けているよ。すなわち、「愛の法則」ダ。
さては、講師試験、受けていないな?この人は。
a hopeさんの言われる通りですね。
4675
:
a hope
:2014/12/08(月) 11:55:04 ID:cEpBaIdo
>>4674
志恩さま
愛国掲示板の記事をご紹介くださりありがとうございます。
わたしは生長の家関係の掲示板は、すべて拝読はしませんが目を通すようにしていますので、
時々、わたしの投稿を紹介してくださっている方がいるのは知っていました。
今回は、「講師会長やめました。」さんが、わたしの投稿に賛同してくださるコメントをくださっていて心から感謝しています。 合掌。
他の雅宣先生の講習会での質疑応答の内容や、組織板でトキさまが教えて下さった教団の来年度の方針などを拝見してしると、
現教団がおおきく真理から外れて、迷走している様子がハッキリと伝わってきます。
なぜ、この様なことが起こっているのかわかりませんが、わたしはたとえ一人になっても「生命の實相」を学び続け、、
正しい「生長の家」の信仰を続けていきたいと思っています。
4676
:
SAKURA
:2014/12/08(月) 19:52:07 ID:???
こんばんは…… ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>> 4667 「a hope」様 お返事ありがとうございました…。「感・謝」……
昨日…横スレにて…投稿させて頂きました中に…『霊の世界』……
■「小桜姫物語」の引用を…投稿させて頂きました…。
(尚!この著者は、「創立者 谷口雅春先生」とも関連されました方かと思います…。)
尚!重複しますが…下記が詳細投稿の記事(フェイス・ブック)からの抜粋投稿と……
させて頂きます…。此処で…討論されていましたところの
『地震』に関しての話題は〜〜〜『神が与えたもうか?』…
この件の参考になればと…個人的なる解釈として詳細投稿させて頂きます…。
↓↓
つづく
❤〜SAKURA
4677
:
SAKURA
:2014/12/08(月) 19:54:36 ID:???
こんばんは…… ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>>4676
投稿の続きです。
■―― 霊界通信 ――■ −その63−
「小桜姫物語」 浅野和三郎 著 (転載編) ―その1―
―― 【 四十一、海神の怒り 】 ――
――――――――――――――――――――――――――――――
■私が伺った橘姫のお物語の中には、まだいろいろお伝えしたいことがございますが、とても一度に
語りつくすことはできませぬ。
何れ又良い機会(おり)がありましたら改めてお漏しすることとして、ただあの走水の海の御入水遊ば
されたお話だけは、何うあっても省く訳にはまいりますまい。あれこそはひとりこの御夫婦の御一代を
飾る、尤も美しい事績であるばかりでなく、又日本の歴史の中での飛び切りの美談と存じます。
私は成るべく姫のお言葉そのままをお取次するRことに致します。
『わたくし達が海辺に降り立ったのはまだ朝の間のことでございました。風が少し吹いて居りましたが、
空には一点の雲もなく、五六里もあろうかと思わる広い内海(いりうみ)の彼方には、総の国の低い
山々が絵のようにぽっかり浮んで居りました。
その時の私達の人数はいつもより小勢(こせい)で、かれこれ四五十名も居ったでございましょうか。
仕立てた船は二艘、どちらも堅牢な新船でございました。
『一同が今日の良き船出を寿(ことほ)ぎ合ったのもほんの束の間、やや一里ばかりも陸へ離れた
覚しき頃から、天候が俄かに不穏の模様に変って了いました。西北の空からどっと吹き寄せる疾風、
見る見る船はグルリと向きをかえ、人々は滝なす飛沫を一ぱいに浴びました。
それにあの時の空模様の怪しさ、赭黒い雲の峰が、右から左からも、もくもくと群がり出でて満天に
折り重なり、四辺(あたり)はさながら真夜中のような暗さに鎖されたと思う間もなく、白刃を植えた
ような稲妻が絶間なくなく雲間に閃き、それにつれてどっと降りしきる大粒の雨は、さながら礫
(つぶて)のように人々の面を打ちました。
わが君をはじめ、一同はしきりに舟子達(かこたち)を励まして、暴れ狂う風浪と闘いましたが、
やがて両三人は波に呑まれ、残余(のこり)は力つきて船底に倒れ、船はいつ覆るか判らなくなり
ました。すべてはものの半刻(はんとき)と経たぬ、ほんの僅かの間のことでございました。
『かかる場合にのぞみて、人間の依むところはただ神業ばかり……。私は一心不乱に、神様にお祈祷
(いのり)をかけました。船のはげしき動揺につれて、幾度となく投げ出さるる私の躯――それでも
私はその都度起き上りて、手を合せて、熱心に祈りつづけました。と、、忽ち私の耳にはっきりとした
一つの囁き、『これは海神の怒り……今日限り命の生命を奪る……。』
覚えずはっとして現実(うつし)にかえれば、耳に入るはただすさまじき波の音、風の叫び――が、
精神(こころ)を鎮めると又もや怪しき囁きがはっきりと耳に聞こえてまいります……。
『二度、三度、五度……幾度くりかえしてもこれに間違のないことが判った時に、私はすべてを
命に打ち明けました。命は日頃の、あの雄々しい御気性とて「何んの愚かなこと!」とただ一言に
打ち消して了われましたが、ただいかにしても打ち消し得ないのは、いつまでも私の耳にきこゆる
あの不思議の囁きでございました。
私はとうとう一存で、神様にお縋りしました。
「命は御国にとりてかけがえない、大切の御身の上……何卒この数ならぬ女の生命を以て
命の御生命にかえさせ玉え……」
二度、三度この祈りを繰りかえして居る内に、私の胸に年来の命の御情思(おんなさけ)が
こみあげて、私の両眼からは涙が滝のように溢れました。一首の歌が自ずと私の口を突いて
出たのもその時でございます。真嶺刺(さねさ)し、相模の小野に、燃ゆる火の、火中に立ち
て、問いし君はも……。
『右の歌を歌い終ると共に、いつしか私の躯は荒れ狂う波間に跳(おど)って居りました、
その時ちらと拝したわが君のはっと愕かれた御面影――それが現世での見納めでございました。』
― その2 ―に続く
❤〜SAKURA
4678
:
SAKURA
:2014/12/08(月) 19:56:51 ID:???
こんばんは…… ローマ字(大文字)のSAKURAで〜〜す。
>>4676
>>4677
の投稿の続きです。
■―― 霊界通信 ――■ −その63−
「小桜姫物語」 浅野和三郎 著 (転載編) ―その2―
―― 【 四十一、海神の怒り 】 ――
――――――――――――――――――――――――――――――
■橘姫の御物語は一と先ずこれにて打ち切りといたしますが、ただ私として、ちっとここで申添えて
置きたいと思いますのは、海神の怒りの件でございます。大和武尊さまのような、あんな御立派な
お方が、何故なれば海神の怒りを買われたか?――これは恐らくどなたも御不審の点かと存じまするが、
実は私もこれにつきて、指導役のお爺さんにその訳を伺ったことがあるのでございます。
その時お爺さんは斯う答えられました。――
『それは斯ういう次第じゃ。すべて物には表と裏とがある。命が日本国にとりて並びなき大恩人である
ことはいうまでもなけれど、しかし殺された賊徒の身になって見れば、命ほど、世にも憎いものはない。
命の手にかかって滅ぼされた賊徒の数は何万とも知れぬ。で、それ等が一団の怨靈となって隙を窺い、
たまたま心よからぬ海神の援けを獲て、あんな稀有の暴風雨を巻き起したのじゃ。
あれは人霊のみでできる仕業でなく、又海神のみであったら、よもやあれほどのいたずらはせなかった
であろう。たまたま斯うした二つの力が合致したればこそ、あのような災難が急に降って湧いたのじゃ。
当時の橘姫にはもとよりそうした詳しい事情の判ろう筈もない。
姫があれをただ海神の怒りとのみ感じたのはいささか間違って居るが、それはそうとして、
あの場合の姫の心胸にはまことに涙ぐましい真剣さが宿っていた。あれほど真心が何ですぐ神々の
御胸に通ぜぬことがあろう。それが通じたればこそ大和武尊には無事に、あの災難を切りぬけることが
出来たのじゃ。橘姫は矢張り稀に見るすぐれた御方じゃ。』
私はこの説明が果してすべてを尽しているか否かは存じませぬ。ただ皆さまの御参考までに、
私の伺ったところを附け加えて置くだけでございます。
つづく
❤〜SAKURA
4679
:
SAKURA
:2014/12/08(月) 20:00:19 ID:???
「トキ様」 へ 「a hope様」 へ 「観覧者の皆様」へ
こんばんは…… ローマ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜す。
>>4676
>>4677
>>4678
の投稿の続きです。
>> 4667 「a hope」様 お返事ありがとうございました…。「感・謝」……
私の申し伝えたい事は…
■【人間の念!〜〜思念!〜〜〜】つまり人間は肉体人間ではなく…
生命そのもの…つまり!霊的のモノ――>すべて「霊的人間」とは???
【心…】から来るものではないのでしょうか・『心の法則』
ですから〜〜〜
■□「地震・災難」とか?その他の場合は、やはり!
■「霊・界」でも軌道修正は、なされている様です。…が?――>『レイヌのお話』より!
(生命の実相に記載されています。)それが〜〜〜悲しいかな?
『念!〜〜思念!〜〜“心の世界感”が〜〜〜悪の方へ傾いた場合』は、
しかもかなりの【悪・念…】がきたす時は、さすがに「霊・界」でも……
やはり「軌道修正は出来ないとの事」を【生命の実相】でも書かれていました。
…が?【地・震】も〜〜〜「念…想念感情」から?起こりうる事と〜〜〜
そうしますと、現状…【生長の家】は、唯!
全面的に【エコ運動】中心を打ち出している中身ですから『心・の・法・則』は……
都合のいい解釈論で云っているように思います。
本当に!『心が豊かになる!!』のは〜〜〜【物からの“唯物論”の展開】に
どうしても見えて致し方ありません。
■今!の【生長の家】は夜の世界=水物中心とか?このように見えてしまいます。
色々な方の情報を収集しましても……変です〜〜〜ョネ!
最終的には【知・識】これは〜〜〜【心の状態によるモノ】では〜〜?
「神の世界」から〜〜〜遠のいた感じ〜♫が見えて致し方がないのですョネ!!
今回!【小・櫻・姫・物・語】を読んでから、
正直な話…3代目…今の「総裁御夫婦」におりましての【愛…】とは…??
この頃?疑問が〜〜〜いたるところに見えてしまいます…。
また!最近まで「HO職員」という名目上の職員(臨時?外部職員?)なのでしょうか?
果たして、これは【教・化・部】にどのような影響を及ぼすモノなのでしょうかと、
個人的ではありますが〜〜〜じっくり!じっくり!見ております…。
❤〜SAKURA
4680
:
a hope
:2014/12/08(月) 21:29:55 ID:cEpBaIdo
「生命の實相」第15巻 p41 7行目〜
南――それではわれわれは「物質は無い」「ニセ物の我は無い」と単純に信じていれば一番よいのでございますね。
谷口――そうです。それを反駁(はんばく)する理論づけすることは、肉眼で見て有るように見えるものを有るといい、意識に有るように感じられる「我」を有るというのですから最もやさしいことで、もっとも信じやすい理論ができるのですが、それは今までの人間知恵であって人間が新たに生まれ更(か)わって救われる真理にはならないのです。
南――それでもお釈迦さんは『涅槃経』で「我」があるということをお説きになったではありませんか。
谷口――そうです。お釈迦さんは四十余年間「無我無我」といって「お前たちの我(われ)だと感じている我というものは本来無いものじゃ」とお説きになり、徹底的に「ニセ物の我(われ)」の非存在をお説きになった後、『法華経』と『涅槃経』とに「本物の我」の 存在をお説きになったのです。
『般若経』に無我が説かれていて、『涅槃経』の「有我」が生きてくるのです。
『般若経』のごとくに「我」の存在を否定することをせず、「ニセ物の我」というのも「本物の我」を肯定主張することになりますと、わがまま勝手次第、生存競争、弱肉強食、病気の我の存在をも肯定することになり、そこからショーペンハウエルのように暗い人生観が生まれてくることになるのであります。
4681
:
a hope
:2014/12/08(月) 21:31:58 ID:cEpBaIdo
(
>>4680
a hope所感)
ここでも、偽我「ニセ物の我」の否定と、真我「本物の我」の肯定つまり「悔い改め」がいかに大切か述べられています。
ですが、わたしたちはこうして生きていても、自分が悪いことをしているとか、罪を犯しているなんて思いながら生活している人はあまりいないと思うのです。
ほとんどの人が自分は正しいことをしていると感じているからこそ、衝突が起きたり、喧嘩がはじまったりするのだと思います。
テキストでは、この後、原さんという方が、雅春先生にどうしたら「本当の我」と「ニセ物の我」の区別がつくのかと質問しています。
続けて、謹写していきます。
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