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Web誌友会 板/2

4682a hope:2014/12/08(月) 22:01:26 ID:cEpBaIdo

>>4676 〜 SAKURAさま

ご紹介くださった「小桜姫物語」の著者、浅野和三郎さんというのは、大本教を谷口雅春先生と御一緒に退会された方ですね。
以下、ウキペディアから抜粋させていただきます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5

<<専従活動家時代[編集]
早稲田大学を中退して大本の専従活動家になっていた谷口は、出口王仁三郎の『霊界物語』の口述筆記を任せられたり、機関紙の編集主幹などを歴任するなど、教団内で嘱望されていたが、1922年(大正11年)の第一次大本事件を期に、浅野和三郎に従って大本から脱退。浅野が旗揚げした『心霊科学研究会』で宗教・哲学的彷徨を重ねていたが、当時流行のニューソート(自己啓発)の強い影響を受け、これに『光明思想』の訳語を宛てて機関紙で紹介した。>>

そしてこの「小桜姫物語」というのも、霊界通信のようですがとても興味深い内容ですね。

ところで、SAKURAさまも、最近の教団や雅宣先生や純子先生のご様子がおかしいと感じていらっしゃるのですね。
わたしは、現「生長の家」教団は、どんどん人の感情や心を大切にしないつまり「愛」のない宗教団体になってしまっていくような気がしています。

4683a hope:2014/12/09(火) 21:56:46 ID:cEpBaIdo
>>4680訂正 

正)谷口――そうです。お釈迦さんは四十余年間「無我無我」といって「お前たちの我(われ)だと感じている我というものは本来無いものじゃ」とお説きになり、徹底的に「ニセ物の我(われ)」の非存在をお説きになった後、『法華経』と『涅槃経』とに「本物の我」の 存在をお説きになったのです。
『般若経』に無我が説かれていて、『涅槃経』の「有我」が生きてくるのです。
『般若経』のごとくに「我」の存在を否定することをせず、「ニセ物の我」というのも「本物の我」【というものもひっきょうは一つの真我の顕われだと言って、「ニセ物の我」】を肯定主張することになりますと、わがまま勝手次第、生存競争、弱肉強食、病気の我の存在をも肯定することになり、そこからショーペンハウエルのように暗い人生観が生まれてくることになるのであります。

※【 】内の文が抜けていました。m(__)m

4684a hope:2014/12/09(火) 21:58:21 ID:cEpBaIdo
>>4683につづきます)

原――この行為は「本当の我」の顕われであるか、「ニセ物の我」の顕われであるかとういうことはどうして区別をつけたらよいのですか。

南――誰か悟りというのもを持って来て、これが悟りじゃと見せてくれませんか?

南――(誰も無言なので自分で悟って)心というものを見せてくれというのと同じか。ハッハッハッ……。

谷口――われらの実相は自他一体のものであるから、ヨリ多く自他一体の働きをするものはヨリ多く「本物の我」が顕われており、自他一体を切り割(さ)く働き――利己主義、忘恩、反逆などという「自他一体を切り割(さ)く働き」は「ニセ物の我」が顕われているのです。

4685a hope:2014/12/09(火) 22:00:41 ID:cEpBaIdo

>>4684 a hope所感)

自他一体を切り割く働きが、利己主義、忘恩、反逆などだとすると、その対義語を考えれば自己一体の働きということなのでしょうか?


利己主義(自分の利益だけを考え,他人を顧みないこと) ←→ 利他主義(利他を第一に考えて行動する主義)

忘恩(受けた恩を忘れること)←→ 報恩(恩返し)

反逆(権威・権力などにさからうこと)←→ 帰順(反抗をやめて服従すること)

また、以前、「自他一体の自覚」は生長の家の愛だともトキさまから教わりました。
今の「生長の家」にこの「愛」はあるのでしょうか?

4686a hope:2014/12/14(日) 18:51:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p49 後から7行目〜

谷口――病気の症状も「家庭の中の小言」と同じように、これは「身体(からだ)の中の小言」ですから、やはり、家庭の中の小言をなくする方法と同じようにして治るのですよ。

佐瀬さんのおっしゃった「小言も愛さなければならない、小言を言う人の身になって、ああ言って下さるのでありがたいと思うようになったら、かえって家庭の中の小言がなくなった」という事実と同じように身体(からだ)の中の小言でも同じことです。

身体の中にも治す力と舅姑(しゅうとしゅうとめ)がいて、それが自分の心、身体に応じて小言を言ってくださるのです。

その小言が熱となり、痛みとなり、苦しみとなり、吐瀉(としゃ)となり、下痢となって現われるのですから、自分の内部に働いている「自然寮能博士」という舅姑の心持ちになって、「こんなわたしの身体に気をつけてくださるのだ、ありがたい!」という気持ちになって発熱でも疼痛(とうつう)でもありがたく受ける気持ちになれば速やかにその病が治ってしまうのです。

4687a hope:2014/12/14(日) 18:53:59 ID:cEpBaIdo

>>4686 a hope所感)

『大調和の神示』に「天地万物に感謝せよ」とありますが、わたしたちは病気や犯罪、
災害等の自分にとって不都合にしか思えないことには、なかなか感謝できないのが普通だと思います。

ですが、『それをしなさい』と神さまは「大調和の神示」で繰り返されていますね。
実相世界は「感謝」で満たされていて、「病なく、迷いなく、罪なく」すべてが大調和しているのだから、
わたしたちもすべてに感謝できて、天地の万物と和解できれば、みんな、救われるのですよ、と。

そして、それができるのが「神の子人間」であり、それを人類に知らしめていくことが、
生長の家の「人類光明化運動」なのだと思いました。

4688a hope:2014/12/17(水) 09:59:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p50 6行目〜

谷口 ―― 雑念というのも、病気の症状や家庭の小言と同じことです。
小言は家庭を善くする働きであって、その小言の使命を知り、その小言はありがたいと思って反撥せずに素直に受けるようにしますと、自然と小言を言う必要がなくなって家庭が平和になり統一するのと同じように、雑念というのも実は心を平和にして精神統一をする働きがあるのです。
空の雲というものは一見、空を曇らしているように見えますけれども、雲というものは本当は空を綺麗にすみきらす働きをするものなのです。
(中略)
雲は空気を澄みきらす働き、症状は病気を治す働き、雑念は心を澄みきらす働きなのです。

4689a hope:2014/12/17(水) 10:00:08 ID:cEpBaIdo

>>4688 a hope所感)

途中、中略しましたが、ここに「空の雲」を例えにあげて、「業の自壊」(自壊作用)の説明がとても詳しくされています。
晴れ渡った実相世界から見れば、現象世界での様々な不都合と見える状態はすべてこの雲に当たるのですね。
そう思うと、なんだかどんな困難な現状でも冷静に対応できそうな気がします。

4690:2014/12/17(水) 10:10:20 ID:???

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写―

◆ 信仰の満潮期と干潮期

 吾々が真理にふれる時、そして神との接触が行われたと自覚された時、凡ゆる方面に吾々の生活が輝いて来て、病は癒やされ、家庭は調和し、事業は繁盛におもむき、「行く所可ならざるなし」というような状態になるのが普通である。そういう時にその人は信仰に熱がのっていて、所謂る「感激中」というような状態になるのである。所がその感激中は、そう長くは続かないのであって所謂信仰の「干潮期」がやってくるのである。最初に自分を感激せしめたその同じ真理が、今では一向自分を感激せしめないし、それに伴って自分をとり囲んでいる物質的環境も順調に行かなくなって色々の悩みやいらいらしさが現れて来るのである。
 ある場合には、自分自身又は家族の中に突然の病気が現れて来たり、愛する者との間に何か紛争が捲き起って来て耐えがたいような状態を演出することもある。暗黒が自分の周囲をとじこめて、迷宮はますます迷宮に入り、再び真理の光を見る望みは失われ去ったようであり、ともすれば、自暴自棄になろうとする。病気や周囲の不調和そのものの苦しみよりも、一度はあんなにも奇蹟を現して、自分に輝く世界を見せてくれていた真理が、今は何の効果もなく、この悩みを解決する力を失ったという事の打撃の方が、尚一そう痛切に感じられるのである。もう拠り所がない、もう掴むべき一筋もないというような時が往々にして訪れる。淋しい信仰の頽廃期である。

◆ 真理の種子は暗黒の中にも生長する

 かかる時吾々の魂は叫ぶ。真理は無力なのか? 信仰は無駄なのか? 祈りはきかれないのか? 否、否、祈りはきかれているのである。真理は有力に働いているのである。吾々はそれに対して信仰をもたなければならない。ただぐらつきかけているのは自分の信仰だけである。暗闇の中でも心臓は鼓動し、肺臓は呼吸して吾々を生かしている。かように、真理は吾々の暗黒期の中でも有力に働いていてくれるのである。祈りはきかれてすべてが順調に進んでいるのである。暗黒に見え、逆境に見えている時にさえも、真理の種子はそこに生長し、祈りはそこに実現すべく働いているのである。祈りによって蒔かれたる真理の種子は潜在意識の暗黒の大地の中に蒔かれていて、そこには日光が射さないけれども、種子は次第にふくらみかけているのである。そして、緑の小さい芽がその胚芽から生長し出でつつあるのである。吾々は一旦自分の潜在意識に蒔かれたる真理の種子が、もう芽をふかないかと思って、掘りかえしてみるような愚かな事をしてはならないのである。吾々が種子を目に見えない地面の中に植えつけて、その発芽するのを大地の力に任せてしまうかのように、吾々は祈りの結果を、祈りによって蒔かれたる真理の種子の生長を、神のみ手に完全に委ねて、神が神の方法によってそれを適当な時期に適当な形で、芽を出し茎をのばし、葉を広げ、蕾をつけさせてくれるまで待たなければならないのである。神に任せてこの待つ心のないものは遂に美しき花を見ずに終るかも知れないのである。

4691:2014/12/17(水) 10:11:16 ID:???

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写――

◆「現象の善さ」よりも「魂の善さ」を

 一たん蒔かれたる真理の種子は、吾々阿が信念の欠乏から、掘り返してみない限りは必ず膨脹し、必ず根を拡げ、必ず芽を出し、頭をもたげ、土を破るのである。その結果は破壊と振動とがその周囲に起るのである。それが起らないようでは、その祈りが効果があったというに足りないのである。新しい大きな芽が頭をもたげる時には大地の周囲が破壊するのである。かくて古きものは破壊し新しきものが現れるのである。周囲に起る不調和と見えたものは吾々が祈りを求めた新しき状態に移るために古き状態が真理によって爆撃されつつある光景にすぎないのである。これを吾々は「迷いの自壊作用」といって来たのである。この自壊作用そのものの中に神が吾々の祈りに応じ給うた解答があるのである。吾々はその変化の中に、擾乱の中に、不調和の中に、病気の中に、周囲の反抗の中に、祈りの実現しつつある過程を見て、感謝し得るだけの智慧をもたなければならない。吾々に必要なのは形の世界がすぐに調和してしまうということではないのである。神の求め給うのは吾々の生命の進化であり、魂の発達である。そんな擾乱の中に於いてすらも、その奥に神の智慧と愛との導きのあることを見得る所の魂の発達こそ、神が吾らに課し給うた所のものであるのである。吾々は直に小さな「現象の善さ」を求める。然し、神はもっと立派な「魂の善さ」を与えようと欲していられるのである。吾々が神の前にさし出す盃が余りにも小さいのである。吾々はもっと大きな盃をださなければ神の愛と恵みを完全に受けることはできないのである。神は吾々が形ある小さきものの成就を求めたのを契機に、形なき宇宙に拡がる魂の喜びを与えようとしておられるのであるということに気がつかなければならないのである。

◆ 解決を神の方法に委せ切れ

 もし吾々があらゆる方面に行きつまって何事も思うように行かないというような状態が信仰を得た後に、毎日祈っているにも拘らず現れたとしたならば、吾々は喜ばなければならないのである。それは大地がわれる程の大きなものが下から芽をふきつつあるのである。地面が動きだしたからといって、その地面の動きを征服しようと戦ってはならないのである。またその地面を平かにしようと鍬や鋤を加えてはならない。吾々は驚いたり騒いだりしてはならないのである。吾々は神に全托しなければならない。神は「神の方法によって」吾が祈りにこたえ給うのである。自分の我の心で「神の方法」を批判してはならない。かかる時に於いて我らの祈るべき言葉は、
「神よ、あなたの無限の智慧を以って吾を導き給え。神よ、この解決を貴方の方法にお任せ致します。今起っている事件の意義を知り得る智慧を与え給え、そしてこの試みに耐えてわが魂の発達致しますように」というようでなければならないのである。
 もし吾々が、祈りにも拘らずそこに現れた不完全な状態と見えるものに対して、恐れ戦き、或は周章狼狽し、我の心でその状態を変化しようと努力するならば、折角「神よあなたの方法にお任せ致します」と祈ったその祈りを、取消してしまうことになり、神の智慧に逆いて我の智慧を行使することになり、結局、祈った事物の実現をおくらしてしまうことになるのである。
 祈りは我々が神のみ心に対して完全に任せきり、「神の方法」に逆わなくなった時に、もっともなめらかに実現するのである。然しこれは時としては甚だ難しいことがあるかも知れない。ある場合には、今迄かくも愛し、かくも恩恵を与えてきた相手が自分に反抗して立ち、自分に矛を向けて、小さな欠点を鵜の目鷹の目で探しだし、恩を仇で返すような仕打をしてくることがあるかも知れない。そのような時に、普通ならば吾々は彼を憎み、自己を弁護するために、彼と同じように彼の欠点を数えあげて相手を傷つけたくなるであろう。然しそれでは決して神のみ心にかなうやり方ではないのである。かかる状態が自分の目の前に現れたということは、自分の魂がそれによって磨かれて、かかる敵をすらも愛する力を、わが魂に実現せんがための、神の摂理であるのである。

4692:2014/12/17(水) 10:16:53 ID:???


>>4688 a hopeさん

 上記は自壊作用に関する、私の好きな文章の紹介です。雅春先生は、本当に素晴らしいと思えます。

 さて以下に同書より、もうひとつ紹介します。祈りですが、「効果があるから不調和な事が起こるのだ」・・・・・その事がよく理解できる御文章です。そして不調和の中にあっても「これは、祈りの効果が現れつつある過程である」、そう確信できる御文章でもあります。ご紹介しますが、

『生活と人間の再建』第11章「信仰生活の種々相」より謹写――

◆ 祈りの反応としての不調和

 祈りの反応として現れて来る不調和な状態の中には、時として自分自身が病気になり、時として自分の愛する家族が病気に罹ることがあるのである。そんな時に祈りの効果を疑ってはならないのである。

 それはむしろ祈りの効果が現れつつあるのである。すべて古きものの破壊は新しきものの実現の場所を造りつつあるのである。

 発熱の中に、発疹の中に、下痢の中に、古きものが燃焼しつくされ、排泄され、新しき組織ができつつあるのである。これは祈りの応答として、神があなたに病気を課しつつあるのではないのである。肉体は魂の「機関」であり、精神の「座」であるから、発達せる魂が、尚一そう自由なる精神をその機関を使って働かせんがために、必要なる所の改造が行われつつあるのである。それは肉体の不調和の状態の如く見えているかも知れぬけれども、それは病気でもなければ不調和でもないのである。魂の機関が、精神の座が、それによって浄められつつあるのである。祈りの応答としてのかくの如き肉体の状態の意味を吾々が本当に知ることができるならば、吾々はその肉体の状態に対して、否、その奥に動いている所の浄化作用に対して「ありがとうございます」と感謝しなければならないのである。




4693「訊」:2014/12/17(水) 16:22:31 ID:???

 「web誌友会参考文献板」にも、自壊作用のご文章を掲載しました。199と200がそれです。

 ご参考になさってください。



4694a hope:2014/12/17(水) 22:25:15 ID:cEpBaIdo

>>4692「訊」さま

自壊作用に関する雅春先生の素晴らしいご文章をたくさんご紹介くださりありがとうございます。合掌。
拝読していて、「谷口雅春に訊け」ブログを思い出していました。

毎回、雅春先生やその御子弟の先生方のご文章にぴったりの音楽と映像をつけて紹介してくださっていて、
当時のわたしはあのブログにどれだけ感動してどれだけ救われていたかわかりません。
今となっては懐かしい思い出のようにもなってしまいましたが・・・。

ところで、「迷いの自壊作用」ですが、これぞ「生長の家」の〝個人救済の要〝 となる真理なのではないかと感じています。

わたしは「自壊作用」というと、聖経「天使の言葉」の冒頭にに収録されている「久遠生命」の神示を思い出します。

「久遠生命」の神示
(無相円相一切相の神示)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1896
(帰幽の神示)
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322022766/1897


わたしは、人が本当に救われるというのは、病気が治ったり、お金に困らなくなったり、人間関係がうまくいったりするような、
現象的に都合がよくなるようなことではないと思っています。

どんな困難な事に出くわしても、神を信じて大安心の心持ちでいられるようになること、
「生き通しの生命」を心から信じられるようになること、
どんな相手であっても自他一体感を感じられるようになること、

そういうことではないかと感じています。

4695まこと:2014/12/17(水) 22:39:53 ID:bVgHiQ3c
雅則さんって
教えを何もわかってないのですねえ世襲って駄目ですね。
さ悟った人がなると良いですね。
物質無しをね。
な中々いないでしょうが。

4696まこと:2014/12/17(水) 22:48:20 ID:bVgHiQ3c
どんな困難に出くわしても、、、
行き遠しの命を信じて、、、
a hopeさん
そうですね、すごい!
そうなれない自分、いったいいつになったら、、

4697a hope:2014/12/18(木) 10:36:13 ID:cEpBaIdo

>>4695 >>4696 まことさま

web誌友会ご参加ありがとうござます。 合掌。

ところで雅則さんとは雅宣先生のことでしょうか?

わたしは、雅宣先生は「現象問題」に捉われすぎてしまって、
混乱されているように感じています。

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。

だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、
それが迷いだとは気づかないわけですから、同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。

「生命の實相」は完璧な聖典です。
わたしたちは、本当の悟りが得たかったら、大悟された雅春先生の「聖典」だけを拝読していればいいのだと思います。

4698a hope応援団:2014/12/18(木) 10:51:20 ID:V8o5OZMU
その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。

だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、
それが迷いだとは気づかないわけですから、同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。

                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

4699トキ:2014/12/18(木) 11:14:22 ID:W358PcAI
 私が若いころは、まだ、谷口雅春先生の直弟子の方々がご存命でしたが、
こういう方々でも、晩年、

 「長年、生長の家をやってきて、やっと最近になって、谷口雅春先生の
言われていたことが少しわかるようになってきた。」

としみじみ述会されていたのを思い出します。現象の世界に生きる私たち
が、谷口雅春先生の教えを完全に体得するのは、少し時間がかかるのかも
しれません。谷口雅春先生ご自身が、「自分も一修行者」と言われていま
したが、進歩向上の余地が無限にあることに喜びを見出すべきなのかもし
れません。

4720a hope:2014/12/18(木) 19:02:05 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p52

荒川――われわれは過去にいろいろ「集積」があってそれを浄めるためにはいろいろの努力をしなければならない。
一朝一夕にその「集積」が集まらない。
善くなろうと思えども善くなれない憾(うら)みをうたた感ずるのであります。

谷口――達磨が「悟り」ということを言い出したために悟らぬ人が殖え、『大乗起信論』に無明の起源が論ぜられたために「無明」はあると思って迷う人が殖えたのです。
「無明」なんか本来ないのですよ。集積は無いから放っておけば自然に消える。
「迷い」は本来無いから放っておけば自然に消える。「ある」と思えば引っかかる。
無いとわかれば自由自在なのです。

荒川――なるほどよくわかりました。

谷口――「迷う我」が本来あると思うから、いろいろと苦労をして迷いから覚めねばならぬと思うのですが、「迷う我は無い」と知ったら「迷い」から覚めねばならぬと苦労する必要はない。
「迷い」から覚めようと苦労しないからいつまでも「迷い」ままでいるかというとそうではない。
心が「迷い」という自分の仮相のものに引っかからなくなるから、「迷い」が自然になくなるのです。・・・

4721a hope:2014/12/18(木) 19:06:45 ID:cEpBaIdo

>>4720 a hopeまとめと所感)

この後、雅春先生は『「迷う我」というものの考え方に三つある』としてその三つをご説明くださっています。(p52 後から3行目〜)

以下にまとめてみます。

「迷う我」の三つの観方

一、「迷う我」は無い(「生長の家」の考え方)
→「迷うまい」と自力的に努力しなくても、無いものに引っかかりようがないから、「迷う我」に引っかかりようがなくなり、自然に本当の自分が顕われてきて本来の自由自在な自分が顕現し現実の上にも人間がよくなる。


二、「迷う我」と見えるものも大生命の大きな一つの流れである(ショーペンハウエルの考え方)
→我欲の自分をそのままのさばらせることも大生命の働きだからそれでいいと肯定することになりこの世に修羅の巷(ちまた)を現出することになる


三、「迷う我」は大生命の顕われだけれども歪な顕われであるから、それを努力によって正しく修養してゆかねばならない(荒川氏の考え方)
→われわれは不断の努力がなかなか大変であって迷わぬまでに修養を継続してゆくことが果たして人間にできるかが問題になる


わたしは、「迷いは自由から来る」とご主張されている雅宣先生の「迷う我」の観方は、
この三番目の荒川氏の考え方によく似ているのではないかと感じています。

4745嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/18(木) 22:45:17 ID:V8o5OZMU
削除合戦どうしたの

少し時間がかかるのかもしれません……嘘つきトキ

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。
だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。・・・a hope
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                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

嘘つきトキ&a hope&縹さんは 真理を知った偉い方なんですね  4000人もの信者の方を迷い道まっしぐらと云えるのですから

只今 訊けさん推薦で広報活動に参っています 耳触りのいい話で釣っておいて 実はここだけの話ですが 版が荒れ 教団と本流両方にダメージを与えて
 漁夫の利を狙っているのよ 私たち嘘つきトキ&訊けは

4746a hope:2014/12/18(木) 23:17:17 ID:cEpBaIdo

「嘘つきトキ&「訊」応援団さま」は曳馬野さまなのですか?

もし、曳馬野さまでしたら、いったいどうされたのですか?

雅宣先生が「生長の家」の正しいご教義をされているのなら、それでいいではないですか。
わたしのような信仰歴の浅い人間の掲示板での発言など誰も気にしないと思いますよ。

4748a hope:2014/12/18(木) 23:42:03 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第15巻 p53 6行目〜

谷口―― (略)病気でも同じことで、「病気は自分の本来の姿ではない」と知っても病気の状態の実在を認めて「治そう治そう」と考えている間は病気に心がひっかかっていて治りにくいのです。
ところが、「病気の自分は本来無い」とわかれば、病気に引っかからなくなり、病気が消えてしまうのです。
「病気の我」も「健康の我」も同じく大生命の一つの顕われでありがたいという観方になれば、それでありがたいという平和な念を喚起して病気が治ることもありますが、病気の相(すがた)を人間本来、生命本来の相(すがた)だと肯定すること、たとえば我欲の自分も大生命の顕われだとそのまま肯定するのと同様になりますと、「迷いの自分」と「本来の自分」とを混同することになりまして、いつまでも迷いの世界に流転しなければならなくなるのです。
だから、どうしても「病気の自分は無い」と悟る、「迷うわれは本来無い」と悟る――そして常住悟っている、常住健康である自分を見出すことが最も勝(すぐ)れた悟りであって、病気の中に治そうとして働いている生命の力に自分の生命を観、神を見出すのはやはり病気の存在を認めているから最勝(さいしょう)の悟りとは言えないので、次善の悟りということになるのであります。

第一章終わり

4750嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/18(木) 23:51:07 ID:V8o5OZMU
4000人からの人を迷いの道を進んでいると云ったのはあなた  あ な た

お偉いあなた あ な た なんです

4752a hope:2014/12/19(金) 00:04:03 ID:cEpBaIdo
>>4750 曳馬野さま

わたしはそんなことは言っていませんよ。
どこにそんな証拠がありますか?

4753トンチンカン:2014/12/19(金) 00:07:38 ID:r6TJQSCM

<転載>


1600 :トンチンカン:2014/12/18(木) 22:20:00 ID:r6TJQSCM

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
何故か、「苛立(いらだ)ち」を隠せない、マサノブ爺さん!!

賛同者(信徒)の激減に、「視界不透明」で失敗続き、アァ、八方破れの八つ当たりか?
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・30年も前から、「綿密に」マサノブ流の<主張>を画策し、清超先生の帰幽の後には、
 <独裁者>として君臨するに至ったのであります。

 <光明掲示板> 「<生長の家・30年の暗黒史>(改訂版)」、、、をご覧下さい!!
  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&amp;mode=res&amp;log=461


・「時代と共に変化する」、、との<詭弁>を弄し、雅春先生の説かれた<御教え>の根幹
 部分にまで手を着けるに至ったのであります。


・それだけではありません。 「原宿本部」は解体してしまったのです。 長崎の総本山
 は土足で蹂躙したのです。 ついには、「聖経もどき」までもが・・・


・内心では、「谷口雅春先生を超えた」気持ちだったのでしょうか・・・


・でも、でも、「信徒の目」は騙(だま)し切れるものではありません。


・最近の、「急激なる教勢の低下」こそが、すべてを物語っているのです。


・岡山の「講習会」では、「前回の受講者数」ではなく、35%も低く設定した「目標値」
 との比較をし、「目標を大幅に上回る受講者数」、、と、信徒の目を欺くような<手法>
 を取らざるを得ない所まで、追い込まれてきているのです。


・「衆生の救済」ではなく、「マサノブ爺さんご自身の救済」しか念頭にないのでしょう。


・コトここに至って、周囲に「八つ当たり」しても詮無いことではありませんか?


・「大調和の神示」を説きながら、「ご兄弟との大不調和」を省(かえり)みない、その
 根幹部分をこそ、徹底して<脚下照顧>していただきたいと思う次第であります。

4754嘘つきトキ&「訊」応援団:2014/12/19(金) 00:18:49 ID:V8o5OZMU
a hopeさんへの答え

少し時間がかかるのかもしれません……嘘つきトキ

その人が真理を悟っているかいないかは、完全に悟っている人ではないとわからないと思うのです。
だから、わたしたち一般人は、悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います。・・・a hope
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                     ↓
言葉を変えれば岡山の講習会参加者の半分が自由意思参加者として、4000人は迷いの淵に沈みつつある馬鹿者だということになる

嘘つきトキ&a hope&縹さんは 真理を知った偉い方なんですね  4000人もの信者の方を迷い道まっしぐらと云えるのですから

4755a hope:2014/12/19(金) 00:56:15 ID:cEpBaIdo

>>4754曳馬野さま

お返事をありがとうございます。

ふ〜ん。
そういう風に飛躍して解釈されてしまわれたのですね。

でも、先ほども言いましたが、4000人の信徒さんの誰もわたしの発言など気にしないと思いますので、
そんなに感情的になってこの掲示板を荒らさなくてもいいのではないかと感じてしまいますが・・・。

わたしの発言で曳馬野さまがご気分を害されたのであれば、心からお詫びいたします。

4757「訊」:2014/12/19(金) 07:07:48 ID:???

BGM “Rom&eacute;o et Juliette-Aimer ”
https://www.youtube.com/watch?v=MuZ4-cdGgQE

>>曳馬野サマ

 ご立派ですが、認知症の貴殿へお知らせです。以下は、マチガイです。以下は誌友会スレでの、貴殿からhopeさんへのレスですが、

>>>ここに来ているのは『訊け』さんの許可のもとに来ています <<<

 と、ありますね。そして「ここ」とは「誌友会スレ」を指すわけですが「マチガイ」です。

 ・・・・確かに私はドンドンやってね、そう、申しましたよ。けれども「誌友会スレに関して」は、なんと書いていますか。誌友会スレに於いては「堂々のやり取り」を条件にしてます。堂々のやり取りを条件に「来られたし」・・・・当方はそう、申していたわけです。さて、ここで問題ですが、誌友会スレでの貴殿の御振る舞いは、「正々堂々」ですか。



追伸

>>トキ理事長

 誌友会スレの珍文ですが、削除願います。ええ、無論、そんな事をすれば「和解してない!」と(笑)そんな次元で攻撃されましょう(笑)。珍文を削除すると和解していない、そんな事になるそうですが、それでもヤリましょうよ・・・・・・・・。

4758神の子さん:2014/12/19(金) 08:07:00 ID:BSasglMk
203  御教の中へすーっと自分を入れて行く、後は神が好いようにして下さいます。
あとこちらは「WEB誌友会用の資料」を、確認するための場所です



4年経ってもこの掲示板なり生長の家の現状を神がよくしてくれないのは単なる能書きマンであることを証明してるのでしょうか?
「WEB誌友会用の資料」の価値がないと思われますね

それとも別の目論見で能書きするのでしょうか?
また始まったか嘘つきが 訊けの出るとこはどこでも行く 敢えて誌友会版に誘うのかね 荒れるようにしたいのですね と確認済み
嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん

4759「訊」:2014/12/19(金) 08:08:32 ID:???

>>>嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん<<<

 じゃあ、サヨウナラ(笑)。

 お疲れ様でした。

 もう、来ないでくださいね、おなごり惜しいですが(笑)

4761「訊」:2014/12/19(金) 08:13:19 ID:???

 ここをアラしては、いけません・・・・・OK?

 >>4757を再読されて、さらには「嘘つきと話はしない」を実行されて、今年の仕事納めを(笑)もう、早急に(笑)

4762神の子さん:2014/12/19(金) 08:23:49 ID:BSasglMk
203  御教の中へすーっと自分を入れて行く、後は神が好いようにして下さいます。
あとこちらは「WEB誌友会用の資料」を、確認するための場所です

4年経ってもこの掲示板なり生長の家の現状を神がよくしてくれないのは単なる能書きマンであることを証明してるのでしょうか?
「WEB誌友会用の資料」の価値がないと思われますね

それとも別の目論見で能書きするのでしょうか?
また始まったか嘘つきが 訊けの出るとこはどこでも行く 敢えて誌友会版に誘うのかね 荒れるようにしたいのですね と確認済み
嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん


嘘つき目論見さんが出てこなけりゃ静かなもんぜよ

4763「訊」:2014/12/19(金) 08:25:35 ID:???

>>>嘘つき目論見さんが出てこなけりゃ静かなもんぜよ<<<

 なぜか文末が土佐弁になっちゃいましたが、それは兎も角・・・・・・

>>>嘘つきと話はしない 嘘つきトキ&訊けさん<<<

 じゃあ、サヨウナラ(笑)。

 お疲れ様でした。

 もう、来ないでくださいね、おなごり惜しいですが(笑)

4764a hope:2014/12/19(金) 10:05:30 ID:cEpBaIdo

>>4756曳馬野さま

<<雅宣総裁は現象に引っかかり迷っている → 悟らずに迷っている人の書いた文章を読んでも、それが迷いだとは気づかないわけですから、
同時に迷いに落ちていってしまうのだと思います → 雅宣総裁は無視して雅春先生の著書だけ読もう

これがあなたの主張  発言を気にするしないの問題でなく あなたの主張が正しいか否かの問題です>>


わたしの言わんとしていることはまさにそういうことです。
わかりやすくまとめてくださり感謝したします。

わたしは、雅宣先生が環境問題に興味を持たれ運動をされるのはなにも問題ではなく、
むしろ「生長の家」の運動としてもふさわしいと感じています。

わたしが問題だと感じているのは、雅宣先生が
『その環境保護運動を正当化するために、生長の家の教えや伝統を都合のいいように変質させていってしまっている』
ということなのです。


わたしのこの主張が正しいのか否か、ぜひここで曳馬野さまやみなさまのご意見を伺いたいです。

4765「訊」:2014/12/19(金) 13:31:26 ID:???

>>a hopeさん

 やや、余談です。「こんな時こそ雅春先生」てな、そんな話です。

 さて、政治スレにも書いたのですが「我が国」は、これから益々・・・・・・・マズイ状況になりましょう。残念ですが、確定です。政府の予算額を見る限りまた、自殺者3万人を超える年がつづくと思います。自国政府が国民に「困窮化路線」・・・・これを強いているのですから、もう、どう仕様もナイ状況です。

 とまあ、五官で観る限りの話では、そうなります。

 五官で観る限りはそうなりますが、でも、我々には、谷口雅春先生がおられます。

 この事実がしみじみと、有難い昨今ですね。

 ・・・・・・いや、これ、私ですがもしも、「谷口雅春」という人物に出会っていなかったら、どうだったでしょうか。政府が今回発表した「数値」ですが、これを見た瞬間「狼狽した」と思います。狼狽して、とんでもナイ解決策をこれまた、人間智で打ったことでしょう(そして失敗した事でしょう)・・・・・

 五官で考える限りは絶望的ですが、私には「谷口雅春先生」がおられます。>>4507に書いた件を再読し、不足感をも礼拝していこうと思います。

以上、誌友会テーマとはやや逸れますがどうぞ、お許しください。今回感じた「不足感.」ですが必ず、大調和にて陰極陽転することでしょう。雅春先生がそう仰るんですから、間違いナイはずです。






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