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Web誌友会 板/2

1トキ:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。

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管理人「トキ」 敬白

2901復興G:2013/09/24(火) 14:42:46 ID:AB6RqYXc

 一昨日の22日(日)、私は讃美歌などを無我になって美しく合唱するつどいに行ってきました。

 そこでだいたいいつも最初に歌うのは、讃美歌310番 「しずけき祈りの…」 です。 その歌詞は――

1.しずけき祈りの ときはいと楽し
 なやみある世より われを呼びいだし
 父のおおまえに すべての求めを
 たずさえ至りて つぶさに告げしむ

2.しずけき祈りの ときはいと楽し
 さまよいいでたる わが魂(たま)をすくい
 あやうき道より ともない帰りて
 こころむるものの 罠(わな)をのがれしむ

 ――これを歌って、私はある誌友会のことを思い出しました。

 それは、先祖供養のことを話題にした時、ある女性の方がこんな話をされたんです。

 その方は最近お姉さんを亡くし悲嘆に暮れていらっしゃったとき、ひろ・さちやさんという仏教学者の話を聴かれた。ひろ・さちやさんは、こう言われたそうです。

 「皆さん、みんないずれあの世へ行くことになるんですが、あの世へいくのに手ぶらで行きますか、それとも何か手土産を持って行きますか?」 と問いかけられた。「手土産を持って行くとしたら、どんな手土産がいいでしょうか?」 と。

 それでみんな考えてしまったけれど、ひろさんの答えは、

 「あの世への手土産は、この世で悩み苦しんだ話、苦情や小言をいっぱい土産話に持って行きなさい。あの世は極楽で、なんにも苦しみのない世界だから、そういう苦しみの話が、よい手土産になるんですよ。」

 ということだった。それを聴いたその方は、なにかホッとして、とても救われた気持になったと話されました。

 私は言いました。

 << 「あの世」 というのを、死後霊魂が修行する場としての霊界と考えると、そこは現象界の続きだから、必ずしも 「なんにも苦しみのない世界」 ではない。だけど、「あの世」 というのを 「実相世界」 「絶対愛の神の国」 と考えれば、そういうことが言えるでしょうね。>>

 と。そのことを思い出して、讃美歌310番 「しずけき祈りの…」 の歌詞――

1.しずけき祈りの ときはいと楽し
 なやみある世より われを呼びいだし
 父のおおまえに すべての求めを
 たずさえ至りて つぶさに告げしむ

 ――というのは、「あの世への手土産」 のことだな、と思いました。その 「あの世」 は、なにも死んでから行くところではない。今、此処にあるんだ。今、ここにある天国浄土、神の国なんだ。それは時空を超えた今、「久遠の今」 此処なんだ! 「父」 とは、その絶対愛にしてわれらの内より導き給う神なのだ! そう思いながら、うれしい感動をもって歌っていたのでした。
<つづく>

2902復興G:2013/09/24(火) 14:43:35 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 2番の歌詞――

2.しずけき祈りの ときはいと楽し
 さまよいいでたる わが魂(たま)をすくい
 あやうき道より ともない帰りて
 こころむるものの 罠(わな)をのがれしむ

――は、「生長の家の歌」 の3番の歌詞

  (三)古事記讃歌

 天津日子(あまつひこ) 火遠理の命(ほおりのみこと)
 現象の わなにかかりて
 海幸(うみさち)を 我(が)の力にて 釣りたまう
 されどつりばり 失いて
 まがれる鉤(はり)に まようとき
 しおづちの神 あらわれて
 めなしかつまの み船にて
 龍宮城に みちびきぬ
 龍宮城は いま此処ぞ
 龍宮城は いま此処ぞ

――を思い起こさせてくれました。

 「さまよいいでたる わが魂(たま)」

 というのは、私たちが 「實相独在」 をわすれて現象界を 「あり」 とみて、我(が)の力でガンバロウとする心です。五官の世界を 「あり」 と見る 「現象のわな」 が、「こころむるものの罠(わな)」(讃美歌) であります。

 「めなしかつまの み船」 とは、時間・空間の目盛のない、時空がそこから現れた一切創造の根源世界、創造(うみ)の根底(そこ)なる龍宮界へ航行する船。そこへ導いて下さるのが、しおづちの神すなわち生長の家の大神であるわけですね。

 こんな解釈をしながらうたうことは、まことに 「しずけき祈り」 であり、 「いとたのし」 であります。


 さらに、16世紀の宗教音楽家 パレストリーナ作曲の“Sicut Cervus” 「ああ神よ 鹿の渓水(たにがわ)をしたい喘(あえ)ぐごとく」 も歌いました。これは、

   泉を求める鹿のように

 清水わく泉をもとめる鹿のように。
 神よ、このように私の魂はあなたをもとめる。
 生命(いのち)の泉たる神を、私の魂は渇望している。
 いつのことか、私の神の御前にすすみ出るのは?
 昼も夜も、私の涙が私の糧である。
 あなたの神は何処(いずこ)? と
 日々私に語りかけるとき。

 というような意味の歌詞をラテン語で歌うのです。

 私たち人間の本当の故郷(ふるさと)は神の国、実相世界ですから、人間の魂はみな、清水わく泉をもとめる鹿のように、みおやなるかみ、主(主人公なるほんもののわれ)をしたい喘(あえ)ぐのですね。

<つづく>

2903復興G:2013/09/24(火) 14:44:24 ID:AB6RqYXc

<つづき>

 そして23日(秋分の日)は、お寺での彼岸会供養の法事に行きました( >>2890 既出)。

 ここでは、50人近くの参加者全員で、観音経(妙法蓮華経 観世音普門品)と、般若心経を読誦しました。

 ほとんどの人には、「さっぱり意味が分からない」 での読誦だったようですが、私は 「半分以上、意味が解るよ」 と言えました。それは、大聖師から 『日々読誦30章経』 3日の経言 「観音妙智観」 で 観音経の意味をわかりやすく教えられ、『あなたは自分で治せる』 の第13章 「般若心経講義」 で般若心経の深い意味をご教示いただき、そして聖歌 「生長の家の歌」 では

   (二)仏教讃歌

 衆生 劫(こう)つきてこの世の
 焼くときも 天人みつる
 我が浄土 安穏なりと
 釈迦牟尼の 宣りたまいしは 現象の
 この世かわるも 実相の
 浄土はつねに 今ここに
 久遠ほろびず 燦々(さんさん)と
 まんだらげ降り 童子舞う
 光輝く世界なり
 光輝く世界なり

   (四)万教帰一讃歌

 しおづちの うみのそここそ
 創造の 本源世界
 汝らの 内にありとて
 キリストが のりたまいたる 神の国
 この世焼くるも 亡びずと
 法華経の説く 実相の
 浄土何(いず)れも ひとつなり
 十字まんじと 異なれど
 汝のうちにある天国ぞ
 汝のうちにある天国ぞ

とお教えいただいていたからにほかなりません。

 昨日はキリストの讃美歌、今日は仏陀のお経を、何の違和感もなく一つの真理だとして、ありがたく歌ったり読誦する、このような芸当ができるのは、「現象なし」 とする生長の家ならでは、おそらく不可能なことだと思います。

>>2962 でも書きましたが、

 この 「万教帰一の真理」 を、完璧に伝え伝えて行くことこそ、私たちに課せられた大切な大切な使命であると信じます。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 「汝らは地の塩なり。塩もし効力を失わば、何をもてか之に塩すべき。後は用なし、外に捨てられて人に踏みにじらるるのみ。

 汝らは世の光なり。山の上にある時は町は隠るることなし。また人は燈火(ともしび)をともして升(ます)の下におかず、燈台の上におく。かくて燈火(ともしび)は家にある凡ての物を照らすなり。かくの如く汝らの光を人の前にかがやかせ。……
 (新約聖書 「マタイ伝」 第5章13〜15節)

 ですね。

 テキスト 『生命の實相』 第4巻の191ページで、谷口雅春先生は

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 谷口――自殺するというような人は、心が狭くて主我的で自分の一つの考えに執着しすぎて、世界を自分の考え方に強制するか、でなければ世界から自分が逃げて行こうとするのです。自分の考えばかりを通そうとして、他の考えを生かそうとしないものはかえって自分自身が生きなくなるのです。

 「自分」 という殻から一生出ないひよこは死んでしまうほかはないのです。「自分」 という殻を破って出たときに人間もはじめて生長できるのです。人間は一度は自分の小さい世界を捨てる修行をしなければならぬのです。その方は今その修行を神さまから課せられているのでしょう。

   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 とご教示くださっています。

 「久遠の今」 なる本源世界に超入し、自由を得て、あらゆる殻を破りすべてを生かす精進・伝道を、実践してまいりましょう。

2904復興G:2013/09/24(火) 14:54:51 ID:AB6RqYXc

>>2900 :閲覧者99さま

うれいいコメントをありがとうございました。

こちらこそ、今後ともどうぞ よろしくお願いいたします。

合掌

2907復興G:2013/09/25(水) 12:19:26 ID:AB6RqYXc

 合掌 ありがとうございます。

 今日 「web誌友会参考文献板」 にアップさせていただいた榎本恵吾先生の 『神癒の展開としての人類光明化運動』 <九十三>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/124

を拝読して、再確認したこと――

 「万教帰一」 の 「帰一」 とは、「一」 に帰るということですが、その 「一」 とは、「久遠の今」 であることです。

 現象界のすべての教え、すべてのものは、「久遠の今」 なる 「一」 から展開して出てきた映像(かげ)であるが故に、その本源(もと)の 「久遠の今」 なる 「一」 に立ち還ってみれば、すべての教えの神髄はひとつであることが自明の理としてわかる。

 谷口雅春先生は、その本源(もと)の 「久遠の今」 なる 「一」 に立って、「万教帰一」 を説き給うたのである、ということです。

 「久遠の今」(1) 谷口雅春先生ご講義
http://www.youtube.com/watch?v=e2ol5ztA3z8

 「久遠の今」(2) 谷口雅春先生ご講義
http://www.youtube.com/watch?v=lDSwsxbLfes

 榎本先生も、この 「久遠の今」 を自覚し、「久遠の今」 に立って 『神癒の展開としての人類光明化運動』 を書かれていると思います。

 私たちは皆、この 「久遠の今」 から顕(で)てきたものであり、 「久遠の今」 こそ私たちの本当の故郷(ふるさと)なのです。

 この故郷に帰れば、私たちは本当にくつろぐことができて、癒やされる。

 だから、讃美歌517番の歌詞に

 1.「われに来(こ)よ」 と主はいま、
  やさしく呼びたまう、
  などて愛のひかりを
  避けてさまよう。

  「かえれや、わが家(や)に
  帰れや」 と主は今呼びたまう。

 2.つかれはてしたびびと、
  重荷をおろして、
  きたりいこえ、わが主の
  愛のみもとに。

  「かえれや、わが家(や)に
  帰れや」 と主は今呼びたまう。

 とあるのです。

 この 「わが家」 が 「久遠の今」 であり、それが 「生長の家」 であると思います。

 この、生命の故郷(いのちのふるさと)にかえれば、みんな一つ生命(いのち)だとわかり、仲良くなれるのだと思います。そして、ただ喜んでよろこんで、よろこびのうちに無限生長して行ける! ここに立ち還りましょう!

2909ユタカ:2013/09/25(水) 19:29:01 ID:R1D4Jmeg
そうでしたね、、、現象は無かったのですね。。。

今、すべて光明燦然として輝いていたわけですね。。
 そうか・そうか・・・そうでした。。。


どうしてすぐ忘れてしまうのかな〜〜自分? 実相に浸る時間がすくないのかも・・・
もう少し自己分析しないと!

2910復興G:2013/09/25(水) 19:32:07 ID:AB6RqYXc

 イエスは 「真理は汝を自由ならしめん」 と言いました。「佛」(ほとけ)とは束縛からほどけて(解脱して) 自由になった者、という意味だと教えて頂きました。

 それは、この時空超脱の 「久遠の今」 を知り、肉体はない、自分はないと知り、 「久遠の今」 に立って、愛に生きること。

 時間は本来なく、空間も本来ない。それは生命の中にある。時空は生命が創りだした認識の形式にすぎない。生命は時間の中に、空間の中に生まれたのではなく、時間・空間を作り出したものである。

 「現象時間は存在しない、従って非存在の現象時間の中にある事物も存在しない」。それが 「現象はナイ」 の意味である。したがって、罪も病いも死もない、争いも不調和もないのである、あるかのごとく見えてもそれは悪夢に過ぎず、と教えて頂きました。

 この 「久遠の今」 に立つと、聖典に書かれてあることが、よく解るようになります。

 たとえば、『幸福生活論』 の 「はしがき」 に、

     *  *  *  *  *  *  *

 多くの人達は、幸福をもとめながら、しかも不幸になっているのは何故でしょうか。幸福の法則を知らないからです。多くの人達は物質や、富や、領土や、凡(およ)そ形あるものを目蒐(めが)けてそれを掴もうと思って驀進(ばくしん)して行くのでありますが、「形あるものは形なきものの影」でありますから、影のみを掴むと、掴んだと思った刹那(せつな)、それは消えてしまうのであります。本当に幸福になるためには吾々は影の奥にある「実物」(実相)を把まなければなりません。

 人類が平和を求めながら戦争に突入し、永久平和の至福の世界を求めながら、それが実現しないのも同じ原理によるのです。また、あなたが健康を求めながら健康を得る事が出来ないのも同じ原理によるのです。形あるものはすべてその奥にある、形なきフィルムの投映(かげ)ですから、形なき世界を捉えて自由にすることを知らなければならないのです。

 幸福の法則を知ると云うことは、換言すれば原因結果の法則を知ると云うことです。これは簡単に云えば、因果の法則を知ると云うことです。昔から蒔かぬ種子は生えぬ、瓜の蔓(つる)には茄子(なす)が生(な)らぬと申します。

 仏教では三界唯心(さんがいゆいしん)と申します。基督(キリスト)教では「汝の信ずる如く汝になれ」と申します。あなたの心の状態が形の世界にあらわれて来るのです。

 あなたが何を心に捉えているかと云うことが形の世界にあらわれて来るのです。争いの心で「物」を捉えたのでは、「争い」が出て来るばかりで、幸福が出て来る筈はありませぬ。
  (谷口雅春先生著 『幸福生活論』 はしがきより)

     *  *  *  *  *  *  *

 ――多くの人は、上記のように教えられても、その 「因果の法則」 の 「因」 は、現象界の中の原因だと思っている。現象はもともと無いもので、私たちはその奥にある根本因、即ち 「久遠の今」 なる 形なきフィルムに、至福平和の理念という第一原因があると知らなくてはなりません。それを谷口雅春先生は、この本の第一篇第一章に 「先ず神をわがものと為せ」 とお説きくださっているのです。

 第三章には、「吾に宿る力」 という小見出しで、次のように書かれています。

     *  *  *  *  *  *  *

 「無限者」 の力は私の中に、あなたの中に、全ての人の中に宿っているのであります。「無限者」 とは神のことです。

 神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。

 ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。

 しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。

 わが内に宿るところの生命は決して有限なる内の力ではない、神そのものの生命(いのち)なのです。吾々人間に生命を与え給いし神の愛を理解するにつれて、聖パウロが嘗(かつ)て言ったように神に満たされているように吾々はなることが出来るのです。
  (谷口雅春先生著 『幸福生活論』 p.61〜62より)

<つづく>

2911復興G:2013/09/25(水) 20:08:13 ID:AB6RqYXc

 私たちは、かつて谷口雅春先生に頼りすぎていたのです。

 『菩薩は何を為すべきか』 に

 <<生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。>>

 とあることを金科玉条として、神意は総裁・副総裁を通してのみ天降るのであって、生長の家信徒たるわれわれは、それに盲目的に従わなくてはならない、と思い込んでいたのは間違いであった。

 私たちは、「神意」 に中心帰一しなくてはならない。それは、前記 光明化運動指針第9条のつづきに、

 <<如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。

 若(も)しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が真に中心を明らかに自覚している場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時かその人に頼り過ぎ、その人が転任或は他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。

 すべて皆中心を誤っていることに気がつかなかった為である。光明化運動に於いては人は中心ではない。神意が中心である。>>

 と書かれているのでありますし、>>2910で引用させていただきました 『幸福生活論』 では

 <<神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。

 ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。

 しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。>>

 とご教示いただいているのであります。

 今でも、「神意は総裁を通してのみ天降るのだから、総裁に中心帰一しなければならない」 と、信徒に盲目的な奴隷信仰のようなことをすすめる役員や講師があるようですが、それは雅宣総裁が排除される 「原理主義」 に通じることで、間違っていると思います。

<つづく>

2912復興G:2013/09/25(水) 21:56:15 ID:AB6RqYXc

>>2911 のつづきです>

 私たちは、「法燈継承」 には 「外なる法燈継承」 すなわち形の上で教団総裁の後継者を決めることと、 「内なる法燈継承」 すなわち信徒一人一人が谷口雅春先生のお心をしっかと受け継ぐこと、の両面が必要なのではないかと、論議してまいりました。

 ふりかえってみますと、それは、「トーキングスティック板」 から始まって、「web誌友会板(1)」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/
では、次のようなやりとりがありました。

     *  *  *  *  *  *  *

36 :金木犀:2012/05/20(日) 23:05:24 ID:L0Ei6.zw

私が君民同治の神示を謹写いたしましたのは、天皇というものが日本国民にとって、どういうものかをはっきりとこの神示で、皆様に自覚して欲しかったということと、憲法が占領憲法のままでは日本の実相が蔽われていることの最も象徴的なことであるということを考えて欲しかったからです。

この神示は、国と言うものが日本国民の外延であり、天皇の神聖性が日本国民自身の神聖性の自覺から来ているものであることを示して下さっており、さらには、観られるものは、つまり環境は観るものの心の反映であることを教えて下さっております。

いわゆる心の影ということではありますが、
環境とはわが心の世界、外延であるということであれば、
生長の家教団における総裁先生の行状は、信徒の心の反映であります。
法灯を正しく継承しない総裁は、信徒自身が法灯を正しく継承しないことから来ているのだろうかとも思います。
また、愛国書を絶版にされていることは、信徒が愛国的な真理を理解しないか、そういう愛国の思いが希薄になってきたことの心の反映なのではないかと思います。
このことは、雅春先生の強い愛国の情からすれば、まさにその法灯が継承されていないのではないかと考えます。

生長の家とは堂塔伽藍でもなく、建物や組織でもなく、生命の實相を語る神の言葉のあるところが生長の家だとすれば、実相世界の生長の家が現われたものが、教団であるのか、それとも本流であるのかは、両者の意識次第ではないかとも思います。

真理の法灯を継承するという意識の強いものが、法灯を継承することになるのではと考えます。組織の大きい小さいとか、教団という名前には関係ないのではないかという気もします。心の反映が環境でありますから、一滴もこぼさずに継承するという意識のないところには、法灯の継承が形の上でも現れず、それが生命の實相の敗訴にもなったのではないでしょうか。

(中略)

総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、
真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。

     *  *  *  *  *  *  *

37 :a hope:2012/05/21(月) 08:35:08 ID:kcv2QXTk

金木犀さま

素晴らしいご意見をありがとうございます。

大切なのは、わたしたち「生長の家」を愛する一人ひとりが、そのことを自覚することなのではないかと感じました。

そこに、素晴らしい正論があっても、わたしたち一人ひとりがそのことを自覚して、
正しい行動をしていかなかったら、物事は良い方向に進展していかないのではないかと思います。

金木犀さまの最後のお言葉

>>真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<<

これが、心に響きました。

復興Gさま、わたしは、この金木犀さまのお言葉が今回のweb誌友会のテーマにふさわしいように感じました。

つまり、

『わたしたち一人ひとりが、真に法灯を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

です。

そのことを、是非、みなさんと一緒に考えていきたいとわたしは今思っています。

     *  *  *  *  *  *  *

<つづく>

2913復興G:2013/09/25(水) 21:57:12 ID:AB6RqYXc

<つづき>

     *  *  *  *  *  *  *

39 :復興G:2012/05/21(月) 09:23:59 ID:84pogn5s
>36 :金木犀様。

>総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<

a hope様は、>30で

>今、「生長の家教団」において、昔のような奇蹟が起きなくなってきてしまっているのは、まさに、現総裁が現象の悪や罪を認め、人間を神の子として認めていないからだとわたしは感じてしまいます。<

と、率直な感想を述べてくださいました。

>環境とはわが心の世界、外延であるということであれば、生長の家教団における総裁先生の行状は、信徒の心の反映であります。法灯を正しく継承しない総裁は、信徒自身が法灯を正しく継承しないことから来ているのだろうかとも思います。<

とすると、信徒一人一人が正しく法燈を継承すること――それは、基本としては、前回のWEB誌友会のとき出てきた言葉――

>われわれが「生命」を礼拝すると申しますれば自分自身を敬い拝むことになるのであります。
――自分が生きているのではない。神が今ここに生きていらっしゃるんだ。だから、自分を拝むことが、神を拝むことなんだ。<

>谷口雅春先生は「皆さんが神の子=神ですよ」と、『生命の實相』の本を通して、今も私たちを拝んで下さっているのです。
「ありがとうございます」と、その御言葉を素直に受け、私たちもまた、常不軽菩薩となって、自分を拝み、すべての人を拝ませて頂く。それが、「信徒一人一人が法燈を継承する」ことではないかと、今、思っています。<

と書いておりました、これが基本ではないかと私は考えておりますが……


>37 :a hope様。

すばらしいご意見をありがとうございます。

『わたしたち一人ひとりが、真に法燈を継承するには、具体的にはどうすればいいのか?』

これを今回のweb誌友会のテーマとして、みなさんと一緒に考えていきたい、ということですね。

それで行きましょう! ありがとうございます!

     *  *  *  *  *  *  *

――というようなことで、「一人ひとりの法燈継承」 ということをこのweb誌友会では大きなテーマとして、今まで1年半ほど、17回にわたり続けてきたのでした。

ありがとうございます。

2914復興G:2013/09/25(水) 22:29:25 ID:AB6RqYXc

 「君民同治(くんみんどうじ)の神示」 を再度掲示させていただきますと――

     *  *  *  *  *  *  *

   君民同治の神示

 国は人間生命の外延(がいえん)である。それは身体が人間生命の外延であるが如くである。

 人間生命が神より生れたる神聖なるものであるという自覚が、その外延であるところの国をも神より生れたる国であるとの神聖性を要求するのである。

 この要求が神によってその国が造られたのであるとの神話を創造するのである。

 しかも人は自己が無にして絶対であり、一切の主(しゅ)であり、永遠者であり、久遠の主宰者である(民主)との自覚を、生命の外延の世界に於ても持つことを要求するのである。観られる世界は観る人の心の世界であるからである。

 身体も国も共に観る者(主体)から反映せられる世界(客体)である。観る心の要請が身体に於ては脳髄の存在となり、国に於ては永遠の元首なる、無にして絶対であり、一切の主であるところの天皇の存在を要請するのである。

 天皇の神聖性は、人間自身の生命が神聖であるところから来る。即ち観る主体(民)が神聖であるから、観らるる客体である天皇が神聖なのである。

 観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなるのは其のためである。今の状態がそれである。

 人間は自己自身の神聖性の故に神造の国家に神聖降臨の神話を創造してその歴史の中に住む自己を観るのである。天孫降臨とは人間自身すなわち民自身が天孫であり、神の子である自覚の反映にほかならない。

 かく天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。

 是を主客合一の立場に於て把握すれば主客一体であり、君民一体であり、民は君を拝み、君は民を拝む。民を拝み給う治(じ)は、君を拝むところの事(じ)と一体である。治事一体であり、治めると事(つか)えるとは一体であり、君民同治である。

 天皇は絶対者にましますとは、観る主体たる人間(民)の絶対性より来る。民が自身の絶対性の把握が破れるとき、その反映として国の絶対性と天皇の絶対性とは破れるのである。

 打ち続く敗戦により、民自身の永遠性と久遠性との自覚が破れたのが国家大権、天皇大権の一時中断の形をもって現れたのである。
(一二・二八 午後一二時)

     *  *  *  *  *  *  *

 ――これが 「君民同治の神示」 であります。

 「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」

 これは、生長の家において、

 「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」

 と置き換えることもできるでしょう。

 私たち信徒一人一人が、真剣に生長の家の深い真理を学び、愛を実践してまいりましょう。

2915トキ:2013/09/25(水) 22:36:10 ID:WYu6F15c
 復興G様のご意見に全く賛同します。

 生長の家がここまで大きくなったのは、生長の家の教えが優れていたからですが、同時に谷口雅春先生が人間的に優れていたから
というのも事実です。私がお話をした先達の一人は戦前入信の医師の方でしたが、
 
 「谷口雅春先生は人間味溢れる方でした。そこにいるだけで、心が暖かくなるような人でした、」

と言われていたのを覚えています。信徒は、皆様、谷口雅春先生を父親のように愛していたとも聞いています。しかし、そのような
風潮が、教えよりも、総裁個人への崇拝という風潮を作った可能性もあると思います。(大先達の復興G様の前で、こんな事をいう
のは思い上がっていると思うので、お詫びします。)でも、これは、谷口雅春先生のご真意というか、ご希望ではなかったと拝察
しています。

 その意味で、復興G様のお考えは、今後の指針となるものだと思います。

2916復興G:2013/09/25(水) 22:42:50 ID:AB6RqYXc

>>2915 :トキ様

ご賛同、ありがとうございます。

合掌

2917ユタカ:2013/09/25(水) 22:44:56 ID:R1D4Jmeg
>その意味で、復興G様のお考えは、今後の指針となるものだと思います。

そして、原点でもあるような気もします。

復興Gさま、有難うございます。全くその通りだと、完全同意します。ごめんなさい。

2918復興G:2013/09/26(木) 03:59:41 ID:AB6RqYXc

>>2917 :ユタカさま

ありがとうございます。

合掌

2919志恩:2013/09/26(木) 05:18:36 ID:.QY5jUA6
復興G様

曵馬野様が、「皆様、【君民同治の神示】を読んで下さい」とおっしゃいましたが、
過去にWEB誌友会で、復興G様ご指導のもと、長期間語り合っていたテーマでした。

今回、曵馬野様がおっしゃってくださいましたので、
あらためて、この重要な神示の意義を学べまして、ありがたく思っております。

>>2913:復興G様より

>36 :金木犀様
>>総裁先生の實相を礼拝することは、もちろん大切で、総裁先生がどういう使命をもって、
今の姿を現しておられるかということを受け取り、懺悔と感謝をしつつ、
真に法灯を継承するとはどうすればいいかを、考えて実行することではないかと思います。<<

これは、昨年の5月に、金木犀様が投げかけて下さったコメントですけれど、

これにつづいて、復興G様ご指導のもと、
「1人1人の法灯継承..」....このことについて、

皆様とともに、長期間、今まで学ばさせて頂いて来たのでした。
私もWEB誌友会の過去文を、読み返してみましたが、昨年より、今の方が、おっしゃることが、
納得出来るようになりつつあります。

また、気持ちを新たに、教えて頂けますこと、深謝申し上げます。

2920復興G:2013/09/26(木) 10:40:19 ID:AB6RqYXc

>>2919 :志恩さま

 ありがとうございます。

 ほんとに、この約1年半の記録をざっと読み返してみて、われながら真剣に取り組んで来れた、充実した勉強が出来たと思います。それは、神(高級霊)のお導きをいただけたおかげであり、また多くの天の使いともいうべき方々が参加されて貴重な発言をしてくださったおかげであると感謝しています。志恩様とは必ずしも常に意見一致ばかりではありませんでしたが、だんだん解って頂けるようになりつつあるとのこと、うれしく思います。

 まだまだ、私もこれからが正念場の本番だと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。

 頓首 合掌礼拝

2921復興G:2013/09/26(木) 12:03:17 ID:AB6RqYXc

>>2914 で私は 「君民同治の神示」 から、

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」

 これは、生長の家において、

 「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」

 と置き換えることもできるでしょう。<<

 と書いておりました。

 ここに、「民が主」 あるいは 「信徒が主」 という言葉がありますが、その 「民」 や 「信徒」 は、現象界の対立する自我であってはならない。肉体の自我を 「無し」 と消し去った、「久遠の今」、絶対なる神、佛なるものでなければならないと思います。


<< 神は吾々の外にあるのではない。また或る特定の人、法王や、皇帝や、祭司や、管長やのみにあるのではないのであります。

 ある時代には、吾々は神の力は吾々を離れて遠き所にあると思っていましたし、また或る時代には、或る特定の階級人のみに神意が顕現していると考えていました。

 しかし宗教にも民主的な時代が来たのです。今や吾々は聖パウロが言ったように神はわが内に、全ての人の中(うち)に宿っていることを知ったのです。>>

 と書かれている谷口雅春先生のご著書 『幸福生活論』、私は旧かな・正漢字の旧版も持っていますが、これを読みやすい大きい活字の 『新版 幸福生活論』 として新たに出版し平成20年全国大会のテキストとして使用されたのは、現総裁 谷口雅宣先生です。

 総裁 谷口雅宣先生を讃嘆し、感謝します。

 (「総裁」 という役職名に 「先生」 をつけて 「総裁先生」 というのは、社員が 「社長様」 とか 「社長先生」 というのがおかしいように、社会常識からいって誤用でありおかしいので、私は 「総裁先生」 とは言いません。)


 また、「本流」 の方たちは、私を>>2910>>2911に書きましたような心境に導いて下さいました、生長の家信徒の自覚を深め高めるための使命を持った菩薩様であると認め、感謝します。
 (ただ罵詈雑言のような自我まるだしの言葉を吐かれる方があるのは戴けませんが)


 生長の家の原点、時空超脱の 「久遠の今」 に立つ時、分裂は 「無い」、争いは 「無い」。


<<  天地一切と和解する祈り

 ・・・・すべての人と事と物とは、今ここに渾然と調和しており、たがいに争い立つということはないのである。

 現象の世界に、如何なる対立の関係があろうとも、如何なる闘争の関係があろうとも、それは妄想の顕わすところであり、妄想はやがて消えるべき運命にあるのであるから、私はそれを恐れることもないし、それに愕(おどろ)くこともないのである。

 妖雲羃々(よううんべきべき)と空を覆(おお)うことがあっても、その上には常に蒼空(あおぞら)があるのと同じように、如何に暗澹(あんたん)たる状態が現象的にあらわれてこようとも、その状態に対して心を動ずることはないのである。

 心を動ずることがないから、何らの対策をも講じないのかというと、決してそうではないのである。心を動ずることがないから、最も適切なる智慧が泉の如く湧き出でて暗(やみ)を消してしまう処置ができるのである。
 (『真理の吟唱』 より) >>

 ありがとうございます。

2922mm:2013/09/27(金) 22:00:51 ID:Aleu45Tg
布教功労物故者追悼慰霊祭について

ユタカ様の記述に事実誤認があるようですので。

事実ではないことから始まる議論は、真実味がありませんので。

参加者189名!
少な!
生長の家、終わり?
みたいなコメントにつながっておりますが、189名の方は今回新たに合祀された布教功労物故者の方々です。

ちなみにホール最前列中央は、新たに合祀された遺族の席。
壇上にに向かって右は、良本長老以下来賓席。
聖歌隊寄りの左側はどのような方が座っていたのか、知りませんが。
雅宣総裁からは遠い位置だと思いますが。

遺族として物故者慰霊祭に参列した者として、その意義も知らず教団の揚げ足を取る目的で参列した方がいると思うと悲しい限りです。
慰霊祭はそんな場ではありません。

現教団云々以前に、慰霊祭自体は非常に厳かな行事だと、私は以前親族が合祀されたときに思いましたね。

2927mm:2013/09/27(金) 23:32:53 ID:Aleu45Tg
事実を正しただけなんですが・・・
爆発しちゃえば!
私は、事実なら何を言おうと一切感知しませんので。

2928mm:2013/09/27(金) 23:48:52 ID:Aleu45Tg
そういえば信徒行持要目に、「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」てのもありましたね。
なかなか実践するのは、難しいですが。

2930ユタカ:2013/09/27(金) 23:54:51 ID:R1D4Jmeg
189名のことは本部に各自で確認してください。

揚げ足とりは事実ではありません。

2933復興G:2013/09/28(土) 16:58:27 ID:AB6RqYXc

>>2922 :mm様

しばらくこの掲示板を見ていなかったのですが、今はじめて見ました。

ユタカ様は、一年半にわたり掲示板上でお付き合いしてきてわかることですが、「物故者慰霊祭に教団の揚げ足を取る目的で参列」 するような、曲がった根性の人では絶対にありません。

きわめて純情で、直情径行の人、というのが私のとらえているユタカ様の印象です。

思ったこと、感情的にもあふれてきた言葉をそのままバッと表現される方ではありますが。

教団組織からしばらく離れて、「本流」 の方に行っていたけれども、私がいつか<< 「生長の家」 は 「一つ」 でなければならない>> と書いたことから、教団組織に復帰することを決意され、現在聖使命会員、組織会員として復活、活躍されているのです。

春季慰霊祭は、原宿の本部会館使用の最後だと聞いて、会館の見納めのためにもと参加された。

ところが、中央正面に 「實相」 のお額が見えず、それは赤い布で覆い隠されていると思い、かっと怒りがこみ上げた、というのが真相のようです。

お互い、冷静に、真実霊性に徹し、光明面を見てまいりましょう。

私はこれから出かけなければなりませんので、しばらくこの掲示板を見ることはできません。よろしくお願いいたします。ありがとうございます。合掌

2934志恩:2013/09/28(土) 19:50:12 ID:.QY5jUA6
>>2928 mmさま

>>そういえば信徒行持要目に、「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」てのもありましたね。
なかなか実践するのは、難しいですが。<<

  お前もな!! 私もな!! 総裁もな!!

2935うのはな:2013/09/28(土) 20:30:44 ID:.nzoConk

神様は、「そういう」ために、私たちを出合わせた。
 実は、そういうことのために、わたしたちは、出会っている。

2936志恩:2013/09/28(土) 20:40:54 ID:.QY5jUA6
>>2935:
うのはなやっこねえさん

なかなか、意味深いことばですね。

>>神様は、「そういう」ために、私たちを出合わせた。
 実は、そういうことのために、わたしたちは、出会っている。<<

2937HONNE:2013/09/28(土) 23:05:06 ID:BwZCzsIU
「常に人と事と物との光明面を見て〜、暗黒面を見るべから〜ず!」
という人が、実は、暗黒面にこだわりつづけ、光明面を見ずにいる。
誠に滑稽なことであります。
続きは、明日、書いてみたいと思います。

日時計とは、太陽に照らされてできる影の位置で時刻を知るものです。
さて、光はどこにある。
そんなところからです。

2938マリーゴールド:2013/09/29(日) 00:18:25 ID:???
私は、どう考えても、復興G様の仰る

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客であ る。」

これは、生長の家において、

「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客で ある。」

と置き換えることもできるでしょう。<<

が、どうしてもわかりません。

どうわからないかと言うと、なぜ教団のことが、天皇陛下に例えられるのでしょうか?
生長の家が、高天原だからですか?
決して「総裁が悪い」という角度から質問しているわけでは、ありません。

2939神の子さん:2013/09/29(日) 00:21:14 ID:???
真理で人を裁くべからず・・・

この戒めを今の教えは守らないのですね。なんか終末を感じます。

2940神の子さん:2013/09/29(日) 00:23:49 ID:???
上記はmm氏の書き込みに対する感想です。

2941志恩:2013/09/29(日) 05:38:51 ID:.QY5jUA6
マリーゴールド様

正直に申しますと、私もマリーゴールド様、同様に、
復興G様が、おっしゃる、それは、理解できません。

「合わせ鏡」という考え方で、以前にも、このお話は
ここの話題にでました。
私は、どうしても、未だに、分からないし、納得がいかないことの1つです。

以前のとき、私は復興G様に
「それでは、北朝鮮の将軍様のされることも、私の心の影(反映)というか、合わせ鏡なんですか?」
と、おたずねしましたところ、
復興G様は、「そういうことになりますね」とおいっしゃいました。

雅宣様のされることだけでなく、将軍様のされることも、
どこかで、詐欺や殺人をやった人のことも
世界中で起こる、すべてのことが、自分の合わせ鏡(自分のこころの影、反映だ)
そうです。

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客であ る。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客で ある。」
と置き換えることもできるでしょう。<<

私も、上記のことは、天皇が、国民を想われるお気持ちであるのであって....
と考えておりまして、
私にも、置き換えて、考えられません。

2942志恩:2013/09/29(日) 05:45:39 ID:.QY5jUA6
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/?q=%B9%E7%A4%EF%A4%BB%B6%C0

2943志恩:2013/09/29(日) 05:48:45 ID:.QY5jUA6
>>2942は、昨年5月にweb誌友会板で「合わせ鏡」のお話が出たときの再掲です。

2944志恩:2013/09/29(日) 05:56:35 ID:.QY5jUA6
2942につづく「合わせ鏡」の話題が、もう少しございました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/?q=%B9%E7%A4%EF%A4%BB%B6%C0

2945志恩:2013/09/29(日) 06:26:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

光明掲示板2に、投稿された 
まめすけ様のコメントです。


>>悪口を書くつもりはありません。ただお伺いしたく思いました。

会費は十数年収めていて、普及誌も多数取っています

ただ最近、純子先生のブログなど拝見していると
お料理や、景色や、自然や・・・

一生懸命コツコツ貯めて、やっと会費を払える状況なので、
現象的には、貯金も少ないし、大きな家や、田舎の家を買えない私には

(そうしたくても、仕事や持ち家や、お金の問題があります)

自慢にしか見えなくて、貧しい今の自分と比べてしまい
良い環境に住めない、今の自分はダメなのかな・・・と
凹むことがあります。

はっきり言って、会費や神誌代を払えるほどの余裕もありません。

でも一生懸命、それだけは払っています。

でも、そのお金が、1部の人達の贅沢な生活に使われてるようで・・・悲しくもあります。

総裁先生に対し、こんな事を思っちゃいけない、バチが当るのでは、などと思ってしまう、情け無い自分が居ます。

純子先生のブログで、豪華な料理を見ると、お金持ちってすごいなあ・・・とため息ばかり出て、全然嬉しくありません。

総裁先生=神様の天下りだとの教えを習ってきたので、
一緒によろこべない自分を、悪い自分だと思ってしまいます・・・

綺麗な景色、自然、料理。いかにも幸せはそれで分かります。

でも、貧しい中から、必死で数千円のお金を払っている私は
こんな贅沢の為に、お金を納めているんだろうか・・・と

疑問というか、ねたみというか・・・
そういう気持ちで、とても嫌な気分になるのです。

ポスティングジョイに、何か投稿しても、愛を与えましょうとか、祝福をしていないからでは、とか色々と裁かれてしまうので
、以前嫌になってやめました。

真理だけを生きている、上級者たちだけで,,,,,,,          (略)<<

このように、
生長の家のポスティングジョイに、割り切れない総裁ご夫婦のことで、投稿しても、帰って来る解答は

「愛を与えましょう。祝福しましましょう。」そして、「合わせ鏡だから自分を内省し祝福し祈りましょう」

というのなら、
信徒の心は、救われないと思います。

2946神の子さん:2013/09/29(日) 07:41:49 ID:???

給食にハエ付きパン…除いて食べるよう学校指導


岐阜県可児市の市立蘇南(そなん)中学校と市立東明(とうめい)小学校の給食で出されたパン計約100個にハエが付着していながら、両校とも付着した部分を取り除いて食べるように指導していたことが28日わかった。

 市教委によると、付着していたのはクロバネキノコバエ(体長約1ミリ)。蘇南中では今月2日、ハエが付いたまま焼かれた丸パン4個が、また東明小では同9日、同様のクロワッサン約100個が見つかった。両校とも児童生徒の訴えで明らかになった。そのパンを食べた子供もいた可能性があるという。

 市教委は、給食の異物混入で、「健康に影響がないと判断した場合は食べる」との方針を手引書で示しており、両校ともその手引書に従ったという。市教委は「配慮が足りなかった」として、手引書の改定を検討している。

・・・・・・・

 どこかの宗教法人と同じだ。

2947ユタカ:2013/09/29(日) 10:11:15 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。

他版で雅宣先生の過去のあいさつ文を読みました。今まで受け入れられなかったのが、今度は少し読めて自分が少し進歩した。

実相額が赤いカーテンで隠されていたのは、神様からまだまだ自分の実相が出ていないよ、もっと、もっと勉強しなさい、魂を磨きなさい。

「死は悪でない」 と皆さんも皆さんも死ぬ。 と失礼極まりない総裁の言葉。

これは復興Gさまの指摘にもありましたように、私は純情、直情径行の人間なので、自分の知らないところで 人を傷つける言動をしているのだな、と反省しました。

今回の総裁のスピーチに腹を立てたのは私の間違いでした、私をよりすばらしい人間に導こうとしてくださった観世音菩薩様のお示しと感じさせていただきます。

神聖なWEB版に、変な投稿をしてしまいすみませんでした。。。

ありがとうございます。 合掌。

2948マリーゴールド:2013/09/29(日) 10:19:21 ID:???
>>2941志恩様
ありがとうございます。
私も以前より、復興G様が仰って下さっている、合わせ鏡の話と、君民同治の神示の解釈の話が、どうしてもわかりません。

わからないなら、わからないで、私は良いと思うのです。
無理にわからないで良いと思うのです。

ただ、私は若輩者ながら甚だ失礼を覚悟で申し上げるのですが、すべてがすべて合わせ鏡であるならば、現象なしの教えであれど、苦しむ人が出てくるように感じるのです。

いま時間がございませんので、また時間とれるときに、ゆっくり拝見させてもらいます。

2949志恩:2013/09/29(日) 11:24:59 ID:.QY5jUA6
>>2948:マリーゴールド様

>>わからないなら、わからないで、私は良いと思うのです。
無理にわからないで良いと思うのです。<<

そうおっしゃって下さったので、とても気が楽になりました。
ありがとうございました。

2950ユタカ:2013/09/29(日) 17:39:44 ID:R1D4Jmeg
志恩さま

復興Gさまのおっしゃいます合わせ鏡の意味ですが、間違えていたら修正して頂きたいのでこちらに書きますね。

合わせ鏡とは自分の前におかれた鏡ということ。 たとえば、自分の顔の頬ににゴマがついていても自分自身では見えませんよね?

ですから、鏡をみるとよくわかるという事ですね。 その鏡とは、自分の現状の姿を教えてくれる人やすべての現象ということではないでしょうか?自分に向かってくる誰かが顔にゴマを付けていても見落としてしまったり、気がつかなかったりするので、目の前に現れた人が顔の頬に黒マジックで大きく丸いものを書いてきて「あなたはこんな姿」ですよ。と教えてくれる。

ゴマだと小さくて気がつかないから大写しでくる。 それを見ると自分はそんな姿ではない!と思う。そんなことかな?と思いました。

それが、観世音菩薩やあわせ鏡というのではないでしょうか?

書き方が悪くて意味が通らなかったらすみません。

2951ユタカ:2013/09/29(日) 17:43:48 ID:R1D4Jmeg
あとで、もう少し、丁寧に書きます。はしょりすぎかな?

2952復興G:2013/09/29(日) 20:08:24 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

私は、私事ですが今日は朝早くから東京国体の自転車競技ロードレースに孫の一人が出場するので、家族と一緒に奥多摩まで応援に出かけていき、かなり疲れて帰ってきました。

明日も午前・午後と重要な行事があり、その準備をしっかりとしなければならないので、今夜はあまりここに書くことはできません。

志恩様・マリーゴールド様から、私が書いた

>>「天皇の神聖性は人民自身の神聖性より反映するのである。されば民が主であり、君は客である。」
これは、生長の家において、
「総裁の神聖性は信徒自身の神聖性より反映するのである。されば信徒が主であり、総裁は客である。」
と置き換えることもできるでしょう。<<

ということが、どうしてもわかりません、ということですが、
私は>>2875>>2895に、少し具体的な私の思いを書いていますから、ご覧になってください。

また、私が今読んでいる本のひとつ、曾野綾子さんの 『人間にとって成熟とは何か』 という本で、トマス・アクィナス(13世紀イタリアの神学者)が

「すべて存在するものはよきものである」

といっていることを知りました。

そしてweb誌友会参考文献板で、榎本恵吾先生は

<< 神は暗を見給わないのである。神は罪も迷いも病も死も見給わないのである。それ故、生長の家人類光明化運動は暗を知らないのであり、暗を見給わないのである。>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/122


<< 「生長の家人類光明化運動」 は 「光明化」 と書かれているかぎり、これは 「暗(やみ)」 を相手にした、光明一元ではない、相対の運動ではないか。という言葉をきいたことがある。

 しかしながら、 「暗」 という字をよく見れば、 「日」 と 「音」 との組み合わせで出来ており、 「日」 が二つも使われていて、これほど明るい字は無いということに気がつくのである。……>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/127


<< 神が天地を創造され給うたのは、ご自分の中の不満足、不完全を満たすために創造され給うたのではないのである。神は不悩不苦(ふのうふく)そのものであり給うのである。生長の家人類光明化運動も不悩不苦なのである。

 また、神は懺悔(ざんげ)をし給わないのである。神は罪を犯してい給わないからである。その如く、生長の家人類光明化運動は罪を犯してい給わないのである。そこにはただただ創造的前進あるのみなのである。

 生長の家人類光明化運動の歴史は成功の歴史であって、反省のための歴史は有り得ないのである。この運動は 「罪を犯さんと欲(ほっ)するも罪を犯すこと能(あた)わず」 と約束されているからなのである。

 ここに書きつづられている 「覚え書き」 も反省のためのものでは決して有り得ないのであって、ただただ讃偈(さんげ)のためのものであるのみなのである。>>

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1372208204/129


――とおっしゃっているご文章に、「これが生長の家の神髄だ! 相手の悪、欠点を見て自己反省するのではなく、“悪は無い” と自覚することだ。光明の前進あるのみだ!」 と思いました。悪と見えるものも、善が現れようとしている過程であり、なにかを気づかせ教えて下さっているのだと思います。

しかし、信徒は総裁の奴隷ではない。一人一人の内なる神の声に耳を傾け、それを宣べ伝えていくことが必要だと思っています。(>>2910>>2911

ありがとうございます。

2953志恩:2013/09/29(日) 22:39:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

お疲れで帰宅されましたのに、ご丁寧なお返事をありがとうございます。
お孫さんのおひとりが、東京国体の自転車競技ロードレースに出場されたそうで、
それは、わくわくされましたでしょう。
見にいらしたそうで、よかったですね。

「合わせ鏡」のお話は、どんなに教えて頂いても、
いまの私には、どうしてもピンと来ませんので、
それにつきましては、申し訳ありませんが、わからないままにさせて頂きます。

2954志恩:2013/09/29(日) 22:42:50 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

「合わせ鏡」が分からないといって、その意味じゃないんだけれど。(爆笑)

でもさ、私、わかんないから、無理にわかろうとしても、無理だから、
そのままで居たいのです。ご深切に、ありがとう。

2955マリーゴールド:2013/09/29(日) 23:16:58 ID:???

復興G様

お疲れのところ、コメントいただき、感謝申し上げます。
復興G様の言われるところも拝見させてもらいましたが、私も志恩様同様に、全くわかりませんので、わからないままでいさせていただきます。

ゆっくり、お休みになってくださいませ。

志恩様

何故か私は、この件においては、素直にわからないままでいいと感じました。思うことは多々ありますが、敢えていまは口には致しません。
これからも、よろしくお願いします。

2956復興G:2013/09/30(月) 06:43:07 ID:AB6RqYXc

おはようございます。

志恩様
>> 「合わせ鏡」のお話は、どんなに教えて頂いても、
いまの私には、どうしてもピンと来ませんので、
それにつきましては、申し訳ありませんが、わからないままにさせて頂きます。<<

マリーゴールド様
>> 何故か私は、この件においては、素直にわからないままでいいと感じました。思うことは多々ありますが、敢えていまは口には致しません。<<

――わかりました。それは、
「わたしはもう、谷口雅春先生のお教えはどうんなに教えて頂いてピンもと来ませんので、わからないままにさせて頂きます。」
ということですね。

谷口雅春先生は、

<< 「“本当の教祖” というべき “真理の啓示者” は “實相世界” にある “神” のみなのである。イエス・キリストも 『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』 といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。實相世界に生長の家の本部はある” といっているのである。」

 このような文章――神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応(こた)えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些(いささ)かの悔いることなくお応えし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。
(中略)

 諸賢が本著に親しまれることにより、“聖なる求め” を放棄することなく、日に日に高きを望み、深きに入りて真理を体得せられんことを、神に代り切に切に望むものである。
    昭和六十年五月二十八日>>

 (谷口雅春先生が最後に書かれたと思われる 『實相と現象』 の 「はしがき」 より)

 ――とおっしゃっているのですよ。この 「“聖なる求め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがですか。


 今日は朝から出かけますので、また夜に。

2957マリーゴールド:2013/09/30(月) 07:07:56 ID:???

復興G様

おはようございます。コメントくださりありがとうございます。

ひとつだけ申し上げます。私は雅春先生の説かれていらっしゃる真理がわからないのではありません。
たった一度として、教えを学ぶことをやめたことはありません。

復興G様のお考えと申しますか、復興G様におかれては、真理の解釈を分かりやすくご指導下さっておられるとぞんじます。
ただ、真理がわからない…ではなく、復興G様の、その点に関する真理の解釈が、私にはわからないのです。

これ以上は、話の堂々巡りになってしまいますから、そっとしておいてくださいませ。
これから外出しますので。

2958志恩:2013/09/30(月) 07:11:33 ID:.QY5jUA6
>>2956:復興G様

>>――わかりました。それは、
「わたしはもう、谷口雅春先生のお教えはどうんなに教えて
頂いてピンもと来ませんので、わからないままにさせて頂きます。」
ということですね.
この 「“聖なる求め”を 放棄する」 のであれば、
もう “「谷口雅春先生を学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがですか。<<
................................................................
私は、
雅春先生の教えを放棄するとは、申し上げておりません。
雅春先生の教えの「君民同治の神示」についてのご解釈が、

復興G様が受け取られた解釈と私の解釈は、以前から異なりますので、
その1点につきましては、復興G様とは、考え方が違いますので、

恐れ入りますが、「分からないまま」にさせて下さいと
申し上げたのです。

同じ「真理」の解釈でも、
どうしても、その人と同じ解釈では ない場合や、ご説明に
納得出来ない場合もあると思います。

同じ人間では ないのですから。

その場合は、
それつきましては、分からないのに、分かったふりは、
私は昔から出来ないのです。

ですから、いつかは、分かるかもしれませんが、今は分かりませんので、
今は、分からないままでいたいですと、申し上げたのです。

そのほうが「分からない!、分からない!」と自分を苦しめなくて済みますから。

お気にさわられたようですが、申し訳ありませんでした。

その他の真理につきましては、ご教授下さいます事は、納得出来ますし、
大変有り難く、学ばせて頂いております。

いつも、ありがとうございます。

2959志恩:2013/09/30(月) 07:21:40 ID:.QY5jUA6
「君民同治の神示」=「合わせ鏡」のことです。

復興G様のご解釈ー

>>世界中で起こる悉くが、自分の「合わせ鏡」であり、

  自分の心の映し(心の影)である。

  雅宣様のことも、悉く、自分の心の映しである。<<

2960a hope:2013/09/30(月) 10:49:38 ID:dyDQLtZQ
―――――――――――――

合わせ鏡 (Wikipediaより)

合わせ鏡(あわせかがみ)とは、2枚の鏡を合わせる(向かい合わせに配置する)ことである。

【概要】

鏡は自分の姿を写すために使われるが、その原理上、正面しか写らない。しかし自分の背中を見たい場合はある。そういうときは、背面に鏡を一つ設置、そこに背中を写して、正面の鏡で背中側の鏡に映った像を見ることができる。これが合わせ鏡である。

――――――――――――――


自分が鏡を見るとき、普通の状態では自分の正面の姿しか見えませんよね。
でも、もう一枚手鏡を使えばあらゆる角度から自分の姿を客観視できます。

わたしは、自分の周りに現われる人々は、すべてその手鏡(合わせ鏡)の役割をしてくださっているのではないかと思うようにしています。

だれしも、自分像(自己評価)というものをお持ちだと思いますが、でも、それだけが本当の自分とは限りませんよね。

たとえば、

人のケチな性格が気になる人は、自分にケチな心があるからだと言われていますが、
その人は自分にそんな「ケチな心」があるということにまったく気づいていないから、平気で「あんなにケチな人はいない!」と相手を批判してしまうのだと思います。

でも、「合わせ鏡の真理」を理解していると自分の心の中にも「ケチな心」があったんだと自己反省できるのだと思います。


ですが、これはすべて心理学的な解釈になると思うので、「生長の家の教え」でいえば、心の法則にあてはまる解釈なのだと思います。(間違っていたら、ご教示ください)

復興Gさまは(榎本先生も)、唯神實相のお立場から真理を教えてくださっているので、わたしたちにはわかりにくいのだと思います。

2961閲覧者B型:2013/09/30(月) 12:08:08 ID:3YSjwQJ6
>>2960
雅春先生は唯神実相ではないということですか?
確かに、直弟子と言われる人の文章をはわかりにくいですが…。
谷口雅春先生のお言葉の方が分かりやすいです。
このサイトでもよくわかります。
http://m.blogs.yahoo.co.jp/meikyou123/12029963.html

2963マリーゴールド:2013/09/30(月) 12:58:40 ID:???
>>2960

大聖師 谷口雅春先生は、唯神実相の世界をお説き下さりました。
宇宙の法則をお説き下さいました。
谷口雅春先生は、御自らを「ラッパ」であると仰いました。

ですから、どんなに素晴らしい著名な先生でいらっしゃっても、偉大なる真理を、雅春先生が説かれた真理を、後世にお伝えすることが使命であって、その先生方自らの意見を述べられることは決して否定しませんが

純粋に真理をお伝えする際に「真理ではこう述べられている。だからこうなるのだ」と個人的な感情を入れるようなことは、決してならないと思います。

その点は、私自身も人から尋ねられることがあれば、気を付けていかねばと思っています。谷口雅春先生だったら、どう仰るだろうかと、常に思い真理の書を拝読しています。

2964a hope:2013/09/30(月) 13:49:57 ID:dyDQLtZQ

>>2961 閲覧者B型さま(面白いネーミングですね!)

今日は久しぶりに平日の仕事休みです。
家事もしなくてはいけないのですが、わたしには真理のお勉強の方が楽しくて困ってしまいます(笑)

このご質問、(生長の家の「唯神実相」と「唯心論」の関係)に関しては、以前はわたしも混乱していて、
web誌友会で質問させていただき、復興Gさまからご指導いただきました。

探してきましたので、その場所をご紹介させていただきます。


web誌友 板(初板の方です)>>1615

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1336818752/1615n-


わたしの書き込み方が下手で、ごちゃごちゃしてて読みにくいと思いますが、るんるんさまや、復興Gさまがとても丁寧にわかりやすくご指導くださっていますよ!

あと、<<直弟子と言われる人の文章をはわかりにくいですが…。>>に関しましては、
たぶん、何を目的に書かれているかによってわかりにくかったりわかりやすかったりすることもあるのだと思います。

たとえば、復興Gさまが毎日web誌友会参考文献板にご謹写くださっている、榎本恵吾先生の御文章は、「覚え書」とありますから、
恵吾先生が、ご自分の「お悟り」をご自分のために書き留められていたのではないかと思われますので、その心境に共感するのはなかなか難しいのだと思います。

一方、雅春先生はたくさんの聖典を執筆されていますが、「生活読本」や、「人生読本」などはとても分かりやすく書いてくださっています。
それは、雅春先生が、「生長の家の真理」を子供でもお年寄りでも誰が読んでもわかりやすいようにとのご愛念で書かれたからだと思います。

わたしは、『生命の實相』の中でも「万教帰一篇」なんかは、とても理解するのが難しいと感じています。

2965志恩:2013/09/30(月) 14:05:10 ID:.QY5jUA6
「合わせ鏡」について

教団は、「中心帰一」の洗脳が大きいと思います。
復興G様だけではありません。雅宣総裁のことを問題にしたら、教団のお方は、
『君民同治の神示』で反論してくるのです。

雅宣総裁と自分(信徒)とは、「合わせ鏡」であるから、
自分たちが、雅宣総裁の実相を観る眼が曇っているから、
雅宣総裁の実相が眩まされているんだ、それをもって「合わせ鏡」だとおっしゃるわけです。

「観る主体(民)の神聖性が包まれ蔽われて混濁するとき、天皇の神聖性は蔽われて発現しなくなる」
この「神示」を提示される教団のお方達は、一応は、雅宣総裁も おかしいという認識は、持っているお方も
多いのです。

でも、その総裁の、おかしさは、自分たち信徒にこそ問題がある、信徒のせいだと、このようにもっていくわけです。
だから、雅宣総裁の実相が現れるまで実相を拝み切るようにしましょう…、
それが、今は何より、大事だと。。。。。

「なにせ、総裁とわれわれは「合わせ鏡」なのだから」、と。

そこまで言われるなら、「甘露の法雨」の読誦は、お辞めになって、
日々、雅宣様の「大自然賛歌」と「観世音菩薩賛歌」経を、徹底して読まれたらいかがかと思うわけです。
「合わせ鏡」なんですから。

しかし、それらは、読みませんとおっしゃる…気分が悪くなるからとか。

一方でそう言っておきながら、「合わせ鏡」だから実相を拝みましょいうというのでは、
ちょっと、私は、納得が行かないのです。

なぜ、「合わせ鏡」だとおっしゃりながら、読めないのでしょうか?

読めないご自分が一方にいて、それでなおかつ、総裁の実相を拝みましょう…?なんて、
矛盾してませんか?

「読めないご自分」から逃げているのではありません。

だいたい、
「総裁の実相を祈る」などというのは、
単なるきれいごとであり、欺瞞であると思います。

「総裁の実相を祈る」ということは「総裁の実相が顕われて居ない」ということを認めていることであり、
「総裁が、間違った行いをしている」ということも、認めていることでしょ?

なのに、「総裁の実相を祈る」、というのは、間違った行為を認めているのと、同じだと
私には、思えるのです。
それだと、間違った人と、共犯者になってしまうと思えるのです。

「あわせ鏡」だからと、言われて、「実相を祈らなきゃならない総裁って」
いったい なんなんだろうか..............

わたしには、どうしても、分からないのです。

2966志恩:2013/09/30(月) 14:19:58 ID:.QY5jUA6
光明掲示板2より

“洗脳最先端教区・福岡”の面目躍如?!NEW (1341)
日時:2013年09月30日 (月) 10時41分
名前:「靖国見真会」参加者


福岡教区の「機関紙」がスゴイと話題になっています。

「地方講師会」の10月の内容がコレです。

>研修課題

①「森の中のオフィス」に今回、「神像」を移設し、「七重塔」と「五つの橋」の施設を導入しましたが、その意義について説明して下さい。

テキスト 機関誌「生長の家」10月号
     「聖使命」新聞5月1日号

研修課題

②生長の家が目指している「脱原発」について、生長の家を知らない人から尋ねられた場合、あなたならどう答えますか?その理由をできるだけ多くあげてください。

テキスト 『次世代への決断−宗教者が〝脱原発〟を決めた理由』

※総裁・谷口雅宣総裁のブログ「小閑雑感」をはじめ機関誌及び普及誌『いのちの輪』『白鳩』『日時計24』等は常時テキストとして活用してください。<


こんなことを勉強するんだったら、私はイヤですね。

イヤならば辞めるしかない!

こんなことに付き合わされる地方講師の皆さん!

本当に、こういうことが生長の家地方講師の「研修課題」なのですか?

よくこういうことに我慢できると、心底、不思議に思えてなりません。
..............................................................................................

福岡教区の
「地方講師会」の10月の内容だそうですが、

こんなひどい状況に、なってるのに、『合わせ鏡』だから、雅宣総裁の實相を祈りましょう。
なんて、
なんだか、私には理解出来ない事です。

2967a hope:2013/09/30(月) 14:20:13 ID:dyDQLtZQ

>>2963 マリーゴールドさま

お久しぶりです!

わたしは、雅春先生のお言葉であろうと、清超先生のお言葉であろうと、雅宣先生のお言葉であろうと、
榎本先生のお言葉であろうと、復興Gさまのお言葉であろうと、トキさまのお言葉であろうと、
マリーゴールドさまのお言葉であろうと、志恩さまのお言葉であろうと、SAKURAさまのおことばであろうと、
また、自分 a hope の言葉であろうと、どなたのお言葉であっても、それが「真理」であれば、
必ず、真理を求めている人の心(魂)に響くのではないかと思っています。

雅春先生は確かに神さまの「ラッパ」だったのだと思います。
でも、わたしたちだって、その気になって真剣に真理を求めれば必ず神さまの「ラッパ」になれると思うんです。

だって、雅春先生ご自身が皆さんをさしながら「あなたが谷口雅春ですよ」とおっしゃったのですものね!

ただ、その時に気を付けなくてはいけないのは、生悟りなのに、わかった気になって増上慢になることだと感じています。
だから、このたくさんの方々が閲覧してくださっているトキ掲示板で、ノビノビ発言させていただいています。
わたしが間違ったことを発言すれば、必ず、先輩方がご教示くださると信じているからです。

わたしも「真理の言葉」を伝道するときに、個人的な感情を持ち込むのは良くないと感じています。
それは、いつも、気をつけたいと思っています。

マリーゴールドさま、すばらしいご教示をありがとうございます。合掌。

2968志恩:2013/09/30(月) 14:28:47 ID:.QY5jUA6
>>2966:の光明掲示板2の記事は、
同じものが、トンチンカン様によって、本流対策室にも転載されてました。
見落としていて、すみませんでした。

2969閲覧者B型:2013/09/30(月) 15:12:42 ID:M9X/hRgg
>>2964
a hopeさま

せっかく過去のweb誌友板を紹介してくださったのですが、唯神實相と唯神論の違いではなくて、

2960でa hopeさまが
>>復興Gさまは(榎本先生も)、唯神實相のお立場から真理を教えてくださっているので、わたしたちにはわかりにくいのだと思います。<<

と書かれたものですから、わかりやすく示して下さる雅春先生は「唯神實相のお立場から真理を教えてくださっている」のではないのかなと疑問に思ったので質問させていただきました。
復興Gさまも榎本先生のもご教示はいりません。
a hopeさまにyesかnoで聞きたかっただけです。

2971a hope:2013/09/30(月) 17:07:29 ID:dyDQLtZQ

>>2969 閲覧者B型さま

早とちりいたしまして、大変失礼いたしました。
もしかして、閲覧者B型さまは大先輩なのではないでしょうか・・・。

<<わかりやすく示して下さる雅春先生は「唯神實相のお立場から真理を教えてくださっている」のではないのかなと疑問に思ったので質問させていただきました。>>

↑のわたしなりのお答えですが、雅春先生は唯神實相を完全にお悟りになっていらしたと思うので、お立場も自由自在だったのではないかと思います。

相手の悟りのレベルに合わせて、ときには唯神実相のお立場から真理を話され、ときには、唯心論のお立場から心の法則をお話されたのではないかと拝察しています。

この トキ掲示板のweb誌友板で復興Gさまが、唯神実相のお立場でハイレベルのお話をしくださっているのは、
ここをご覧になっている閲覧者の方々や、書き込みされている方々のレベルが高いからだと思っています。
ですから、わたしは背伸びをしてがんばってそのハイレベルなお話についていきたいと思っています。

また、先ほどは>>2961で、明鏡さまのブログを紹介してくださりありがとうございます。

明鏡さまは、光明掲示板にも時々書き込みされている方ですよね?

先ほどは時間がなくてゆっくり拝見できませんでしたが(家事をしなければいけなかったので・・・汗)、
今拝見すると本当にわかりやすく真理のお言葉や、雅春先生のご著書のご紹介をしてくださっていますね。

お気に入りに入れて、お勉強させていただきます。
ありがとうございます。 合掌。

2972「訊け」管理人:2013/09/30(月) 17:30:05 ID:???


>>志恩さん

 シンプルにお聞き致します。「じゃ、何をされるのですか?」と云う質問です。さて、下記が貴女様ご投稿文です。

>>>だいたい、「総裁の実相を祈る」などというのは、
単なるきれいごとであり、欺瞞であると思います。<<<

 との事ですが、それでは ―― それでは今後、どうされるのですか。シンプルな質問ですがどうするのか?これは、非常に重要だと思いましたので、お聞き致します。




2973曳馬野:2013/09/30(月) 17:47:46 ID:7iGSjyRU
>>2965

志恩さん

それは違いますよ、訊けさんの出してくだすった末井先生の講話を聴いてもわかりませんか。

唯心実相論しかないというのが生長の家、他に何かあると思うのが迷い、実相しかない、なのに何か違うものが見え、何かを感じ、考えてしまう、

そんなことは止めなさいと、現象無と散々説かれているのではないですか。

雅春先生はどこかに書かれていますよ「私にはこう見えると云うのなら、目をくり抜いてしまいなさい、斯う感じ考えると云うのなら、脳髄を取ってしまいなさい」と。

何処に書いてあるかは復興さんにでも聞いて下さい、私には時間がありません。

末井講師は皆さんは服が何着もあるから、どれにしようかと悩み迷うけれど、私は一着しかないから何にも迷わないと、服に譬えて実相一元の私は歓びしかないと云っていませんか。


実相一元の雅春先生を信ずると云うのなら、現象を認めうだうだいうのは止めて歓び讃嘆感謝の道を歩まれては如何ですか。

実相が現れていないので実相を感じなさいではないんです。それでは実相を信じているのではなく、唯心所現の理により、現象を変化させようと云うに等しく、

その人は現象に住む人と云わざるを得ません。実相世界に住んでいることを自覚することが最も大事なことではありませんか。

雅宣先生がどうだこうだではないんです。実相を感じられない自分が問題なんです。雅宣先生を変化させるために実相を見るのではないんです。


谷口雅春著【神と偕生きる真理365章)のなかの【神想観の神髄】をよくよく読んでみてください。(私の実相を見てないからそう云うのだ、の突込みはなしでお願いしますね)

2974曳馬野:2013/09/30(月) 17:56:56 ID:7iGSjyRU
唯心実相論は変換間違い

唯神実相論です

2975志恩:2013/09/30(月) 18:26:06 ID:.QY5jUA6
どんだけ何十年と祈って来たと思ってるんですか?
で、まだ実相を祈れ、実相を祈れ、やれ合わせ鏡だ、信徒の責任だ、似た者同士だ。
やいやい やいやいと。
実相は、そのうちに自分で出て来るんじゃなかったんですか?
どういうかたちで出て来るかは、しりませんが。

現象はない、現象はない、と、
みざる、きかざる、いわざるばかりですね。私は、今、いそがしいから去る。

2976:2013/09/30(月) 18:47:54 ID:GFCWEKlA

 みサル、訊カザルが健康のためですね。ハッタリサルも去りなさいよ!!

2977マリーゴールド:2013/09/30(月) 19:47:36 ID:???
>>2965
志恩様に完全同意いたします。
雅宣さんのお経は読めない…だから、総裁の実相を祈りましょうと逃げているように見えます。

合わせ鏡を言うならば、少し前の民主党政権下の日本と教団の姿が合わせ鏡のように、思えますが。

現象なしの教えですが、現象処理は必要です。

2978マリーゴールド:2013/09/30(月) 21:04:12 ID:???
>>2956
復興G様

>>――とおっしゃっているのですよ。この 「“聖なる求 め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を 学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがです か。>>

こう相手に仰るくらいであれば、ご自身で復興G教団でも、設立されたら如何ですか?

2979ユタカ:2013/09/30(月) 21:38:46 ID:R1D4Jmeg
ちょっとさーーー。

話がどんどん創作されていって、全然生長の家の真理とかけ離れているじゃん。

誰が総裁の実相を祈ろうなんていったのですか??? WEB版では聞いたことないな。

志恩さま達が合わせ鏡がわからないことが分からない。あわせ鏡なら全身、後姿までみえるじゃないですか?

自分の見えないところまで。 総裁の姿と自分の心を真釣り合わせることが、合わせ鏡だということだと思います。

2980ユタカ:2013/09/30(月) 21:51:24 ID:R1D4Jmeg
>復興G様

>>――とおっしゃっているのですよ。この 「“聖なる求 め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を 学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがです か。>>

こう相手に仰るくらいであれば、ご自身で復興G教団でも、設立されたら如何ですか?


これは、

ちょっとこれは、復興G様の真意を理解できていない人の言葉ですねーーー。

ちょっと、残念だなーーー。マリーさまは沢山謹写されてご愛行をされていらっしゃいますのに。。。

復興G様にご自分から質問をされておいて、それを最後まで、自分が納得できるまで、なぜ、理解しようと思わないのですか??谷口雅春先生のお説き下さる真理を中途半端で話を途切らすのですか??

沢山質問してくださると、私たちも勉強になるのですが??

復興G様は生長の家教団と一体だしねーーー。復興G教団なんて、面白い!復興G教団があるならここ、WEB版2かな?(笑)

2981閲覧者B型:2013/09/30(月) 22:10:02 ID:YAg1Bdbk
>>2971
a hopeさま

簡潔なお返事ありがとうございました。

大先輩も大後輩も、ハイレベルもロウレベルも関係ないと思いますが、ありがとうございました。

雅春先生は、>>相手の悟りのレベルに合わせて<<などといった「上から目線」ではなかったと思いますが、ありがとうございました。

雅春先生のお言葉だけを後世に伝えていきたいと思います。

ちなみに私は、現教団会員でも学ぶ会会員でもありません。

合掌 ありがとうございました。

2982マリーゴールド:2013/09/30(月) 22:40:16 ID:???

ユタカ様

いろいろと有難うございます。

>>復興G様にご自分から質問をされておいて、それを最後まで、自分が納得できるまで、なぜ、理解しようと思わないのですか??谷口雅春先生のお説き下さる真理を中途半端で話を途切らすのですか??>>

私は過去に「みすはなまる」の名前で、WEB誌友会にて、この「あわせ鏡」の話や「君民同治の神示」に関することで、どうしても何度思い返しても、復興G様の仰ることが理解出来ず、納得することが出来なかったのです。
その際に自分の意見や考えも述べました。
それでも、復興G様の意見や御指導に納得理解することが出来なかったのです。

今回こちらを、偶然読んでおり、ついつい自分が「復興G様のおっしゃる、合わせ鏡が解らない」と発言してしまったのです。


失礼を承知で正直な感想を申し上げると、復興G様は雅春先生の真理を、この場においてお伝えされつつも、御自身の感情をmixされて、御指導されているのではないかと・・・。
とくに、この「合わせ鏡」の件と「君民同治の神示」の件では、そう感じたのです。

だからこそ、
>>「“聖なる求 め”を 放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を 学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがです か>>

という言葉が、志恩様や私に対して、復興G様の口から出られたのではないかと感じたと同時に、復興G様の傲慢さを、失礼ではございますが感じたのです。


ユタカさまも仰るように、復興G様は教団所属の方でいらっしゃいますから、もしも万一、教団の方針で復興G様のみならず、講師の方皆様が「合わせ鏡である」と御指導されているのであるとするならば、それはどうしても理解することは不可能だと思いました。
しかし、ユタカさまが仰る

>>沢山質問してくださると、私たちも勉強になるのですが??>>

のお気持ちは理解はできます。


かなり前に、こちらの掲示板で疑問に思い、合わせ鏡において書いたことを改めて書いてもよいのですが、他にすることが沢山あるのでやめておきます。

私は、復興G様の真意が理解出来なくても、構いません。

神想観に励み、生命の實相を学び理会して参ります。

信仰において大先輩でいらっしゃいます、復興G様に対して、多大な失礼を申し上げましたことに対しては、お詫び申し上げます。
しかしながら、ウソ偽りのない正直な思いを書かせて戴きました。

2983トキ:2013/09/30(月) 23:01:50 ID:3636Vies
 個人的な感想ですが、生長の家の講師(総裁や理事も本流復活派の指導者も講師です)が、間違った場合、それを指摘する事は
悪い事ではないと思います。言い方が悪いですが、食堂に入って、うどんを注文したら、餃子が出て来たら、「それは違うよ」と
指摘する事は、生長の家の信仰を持っているとしても、別に問題はないと思います。ただ、それは、あくまでも利害関係者として
自分の不利益を回避し、または他の人の不利益を回避するという意味では肯定できますが、そこに信仰上の意味とか義務とかまで
結びつけて、相手を否定し、かつ自分を過度に正当化するのもできないとは感じます。

 総裁にしろ、教団の理事にしろ、本流復活派の指導者にしろ、私達と同じ人間であり、神の子であります。神の子ですから、
同じ価値を持ちます。同時に、現象として動いている以上、私も含めて、間違いをします。しかし、何か問題が起こったら、
それをどう考えるか、で、魂が向上もし、または心境が落ちます。今回の一連の騒動は、生長の家という組織には不幸ですが、
生長の家という信仰にとってはどうなるか、わかりません。

 受験生ならご存知の『Z会」、つまり学力増進会という通信添削の会があります。この会の創始者は、もともと学校の教師だった
人ですが、病気になり、声が出なくなってしまいました。学校の教師にとって、声が出なのは致命的ですから、教師を辞職せざ
るを得なくなりました。そこで、生活のために、受験生を相手の通信添削を始めたのです。この仕事が成功し、『Z会」という
ブランドは受験の世界では有名になり、この教師も成功者になりました。もし、この人が声を失わなかったら、平凡な教師の
ままだったと思います。それはそれで良かったとは思いますが、しかし、「Z」会は存在せず、多くの受験生が不利益をこう
むったと思います。すると、一見、不幸に見える『声を失った」という事実は、この人には、飛躍のきっかけとなったのです。

 こう考えると、悪い事ばかりではないかもしれません。

 ただし、これは、トキの愚見であります。復興G様から、正しいご指導があると思いますから、トキの意見は、よく言って
気休め程度にご覧下さい。

2984復興G:2013/09/30(月) 23:42:03 ID:AB6RqYXc

皆さま、ありがとうございます。

私は今日一日出かけていて、いろいろあって予定よりだいぶ遅くなって帰ってきました。
皆さまから活発なご意見、書き込みが出ているようで、ありがたく感謝いたします。

もう私から特に言うこともないのですが――

私は、曾野綾子さんの 『人間にとって成熟とは何か』 という新刊書を読んで、思いました。
雅宣総裁は、ワンダフル wonderful な総裁であると。

ワンダフルという語は、普通 「すばらしい」 と訳されることが多いが、原義は、full of wonder で、驚きに満ちているということ。

3.11の大地震津波は 「想定外」 のことだったと言われるが、“wonderful” というのも 「想定外」 の驚きがいっぱい、というニュアンスが含まれる言葉だと曾野さんは言われる。

そういう意味で、雅宣総裁は、ワンダフルな総裁であると思いました。

人生には 「想定外」 のことが次々に起こるのが当たり前である。人間は、あまり平穏無事でありすぎるとつまらなくなって、驚きを求めて冒険をしたくなるもののようです。そして、だから人間は進歩します。

生長の家も、谷口雅春先生ご在世の時、「想定外」 の奇蹟的なことが次々に起こり、驚喜して先生を神とも崇め、この教えの伝道を生き甲斐としてこれに生命をかけた信徒がいっぱいいた。そうして生長の家は大きく発展し、日本の国も救われて驚くべき発展を遂げた。

そして今は、別の意味で 「想定外」 の驚きに満ちたワンダフルな総裁をいただいている。

それは、創始者谷口雅春先生の教えや人格をそのまま受け継いだような方が三代目総裁になられたら、信徒はいつまでも総裁にばかり頼り切って、表面は平穏無事かも知れないが、實相神の子の無限力を発揮することなく惰性に流れてしまう。

だから、雅宣総裁のようなワンダフルな三代目が現れられたのは、私たち信徒一人一人がもっと自分自身で考え努力して 「神の子」 の自覚を確立し、飛躍向上するために、ふさわしい神の配剤なのではないか――私はそう考えています。

それは、トキ様が>>2983で言ってくださったこととだいたい同じですね。

また私は、ユタカさんが言ってくださってるように、「総裁の実相を祈る」 とか 「祈りましょう」 と言ったことは一度もありません。そのようなことを言った記録があったら教えて下さい。私は 「総裁の実相」 「○○の実相」 というようなバラバラな 「実相」 というものがあると考えたことがないから、言ってもいないはずです。実相は、対立のない 「一つ」 です。

志恩さんは >> 「合わせ鏡」 だから実相を拝みましょいうというのでは……云々 << といわれるが(>>2965)、何処でだれがそんなことを言ったか、教えて戴きたいと思います。少なくとも私は、そんなたわけたことを言った覚えはありません。

マリーゴールドさんは、私の発言に傲慢さを感じられたそうですが、私はマリーゴールドさんと志恩さんの発言に傲慢さを感じていました。いや、「いました」 という過去のことだけでなく、今もその思いは消えていません。なぜなら――

マリーゴールドさんは、>>2982でも、まだ
>>私は、復興G様の真意が理解出来なくても、構いません。<<

とおっしゃっていて、神意を理解しようと思わない、という態度だからです。だから
>>信仰において大先輩でいらっしゃいます、復興G様に対して、多大な失礼を申し上げましたことに対しては、お詫び申し上げます。<<
とおっしゃるのは、口先だけと感じられるからです。

私も、
>>「“聖なる求め”を放棄する」 のであれば、もう “「谷口雅春先生を学ぶ」 ことをやめる会” でも結成されたらいかがですか>>
と書いたのは、たしかに感情的になった点があります。私だって、感情的になることもあります。それが傲慢と感じられても、今それについて謝ることはしません。

私も、ウソ偽りのない正直な思いを書かせて戴きました。

ありがとうございます。

2985志恩:2013/10/01(火) 01:36:00 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様は、以前に「実相独在」を熱心に説かれておられました。
そして、「命がけで「実相独在」と相手を礼拝するのみ」と言われました。
雅宣様に対しても、しかり、というお話をされて、われわれをご指導下さいました。

復興G様は、自分は、日々実相礼拝をしているとも申されました。
それは、ご自身が範を示して下さっている訳で、われわれをご指導下さってる
わけですから、直接的には、「あなた方も、雅宣総裁の実相を祈りなさい」と
言われたのではないけれど、遠回しな言い方では、仰っておられたのです。

ですから、私は、復興G様を見習って、ずっと、雅宣様の実相礼拝は、続けているのです。
昨年の復興G様と、私のやりとりの一部を再掲させて頂きます。
..........................................................................................
トーキングスティックボードより転載
1886 :志恩:2012/05/07(月) 23:16:13 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

「立ち向かう人の姿は鏡なり」とは、身近に接する家族や職場の人のことでは、ないのですか?

たとえば、北朝鮮の将軍様、政治家、世の中には、大勢の,あり得ないと思えることを為す方達が,居ますが,それらの方達が、悪いことをすることも

すべて、「立ち向かう人の姿は鏡なり」なんですか?
..................................
1888 :志恩:2012/05/07(月) 23:32:27 ID:.QY5jUA6
復興Gさまは、

雅宣総裁先生が、雅春先生の教えを,どんどん自分流の替えて行ってしまう事も、
立ち向かう人の姿は鏡也ということで、

復興G様は、
ひたすら今後も「実相独在」と実相を祈られる事は、私も,復興G様を見習ってさせていただいている祈りがございますから、
その点は、理解出来ていますが、

では、具体的に,今後、彼の行いについて、どう思われ、どう、対処されていくのでしょうか?
全てを、認めて生きて行かれるということですか?

2986志恩:2013/10/01(火) 01:42:53 ID:.QY5jUA6
(つづき)

1891 :復興G:2012/05/08(火) 10:29:57 ID:ojEbkDH2

志恩様。

昨夜からたびたびにわたるコメント、ありがとうございます。

このテーマについては、組織板・女子会板など複数の板にまたがって投稿が行われているようですね。
女子会板の<1298>金木犀様コメントも、そうでしょう。
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<女子会板>1298 :金木犀様2012/05/07(月) 21:47:24

志恩様、全く同感です。一度でも雅春先生の教えに触れて、感激した経験があるなら、生長の家は魂のふるさとであり、
それは教団に属していようといまいと、そういうこととは関係なく、雅春先生の思いに応えたいという気持ちがあります。

だから、雅春先生とは異なる主張に教団が変化するならば、それは耐え難いものがあり、それは違うと言いたくなります。

雅宣総裁の実相を見る見ないとは関係なく、雅春先生の教えと違えば、それを何とか正さねばと思うのは、
師にたいする弟子としての誠意の問題である気がします。

だから、教団が変わらないならば、雅春先生の正統な教えを受け継ぐべく、別派を立ち上げるのは当然であり、そうしないと、
失われていく儘に放置することになり、弟子として、法灯継承したことにならないと思います。

問題は、今の時点で、どうやって雅春先生の教えの一滴もこぼさずに後世に伝えることが出来るかの工夫ですね。
これに関しては、ほんとに住吉の大神に頼るしかないのではという気がします。
    〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
上記、金木犀様が「住吉の大神に頼るしかないのではという気がします」とおっしゃる「住吉大神」は、外にいらっしゃるのではなく、わが内に今此処にいらっしゃるのですね。
内なる住吉大神に全托する、というのは、”使命感に対して、唯「ハイ」と従って実行する、ということになるのでしょう。

さて、志恩様。
>「立ち向かう人の姿は鏡なり」とは、身近に接する家族や職場の人のことでは、ないのですか? 
たとえば、北朝鮮の将軍様、政治家、世の中には、大勢の,あり得ないと思えることを為す方達が居ますが,

それらの方達が、悪いことをすることもすべて、「立ち向かう人の姿は鏡なり」なんですか? <

の答えは、ひと言で言えば、「その通りです」となりましょう。
まずは、聖典から谷口雅春先生のお言葉を繙いてみましょう。ハマナス様も、上記<<1889に、適切なご教示文を謹写紹介してくださっています。

『新版 真理』7巻p.16-17
『新版 叡智の断片』p.35-37, p.127, p.330-331

などに、根本的なお教えがあります。

2987志恩:2013/10/01(火) 01:47:24 ID:.QY5jUA6
(つづく)

1892 :復興G:2012/05/08(火) 15:51:18 ID:ojEbkDH2

志恩様。
(略)
谷口雅宣総裁についても、今、真に神の国を地上に実現するためになくてはならぬ役割を与えられ、その使命を果たすべく現れていらっしゃる方ではないかと拝するのであります。

 金木犀様が、<<1164で、

>私は分裂したことは悪いことではないと考えます。これは生長の家がより発展する可能性がでてくるものだと思います。
(中略)私は、こういうことでもなければ、分裂も出来なかったのではと思うと、
もしかしたら、総裁先生は、分裂させるために現れて下さった観世音菩薩ではないかと、ふと思ったりもするのです。

出来れば、もう一度教団には原点の思想に帰ってもらって、今度はお互い連携しつつそれぞれ個性を生かした運動をしていけたら理想的ではと考えているのですが。どうでしょうね。<
と、書かれていましたね。

私は、信仰/体験板<331>で、

<総裁谷口雅宣先生は、まことに偉大なる使命をお持ちになり、自己の信念を貫いていらっしゃる、超人的なお方であるとご尊敬申し上げます。
偉大なる谷口雅春先生の遺された大教団を率いる中心者として、われわれ凡人には想像もできない重責にあって、信念を曲げることなく生ききっていらっしゃるのですから。

谷口雅宣先生が今、あえて今までの生長の家を否定するようなことをおっしゃるのはなぜか。
それは、谷口雅春先生が「皆さんはイエスと同じ神の子である。皆さんが谷口雅春である」とおっしゃっても、

なかなかそれを実感として体得することは難しく、私たち信徒は『生命の實相』の本や谷口雅春先生に頼り切っていた。
その信徒を本当に目覚めさせる使命、役割を持って、あらわれていらっしゃるのではないかと、私は思います。

その重大な使命感に従い、いかなる困難にも屈することなく信念を貫いていらっしゃる総裁谷口雅宣先生に、心からなる感謝を捧げます。>

と、書きました。

2988志恩:2013/10/01(火) 02:35:27 ID:.QY5jUA6
復興G様

「立ち向かう相手は鏡なり」という数々の真理は、
雅春先生は、数々の聖典の随所でお説き下さっていますが、

榎本先生は「生長の家の信仰は,家庭信仰である」とどこかに書かれていらしたのを
読んでことがあるのですけれど....、

「鏡」ですから、身近なに映せる間柄の場合についてを
「合わせ鏡」というのではないかしら...というふうに私は、今まで捉えて参りました。

一番多く使われて来た「合わせ鏡」の例は、「夫婦」の例です。
似た者同士という意味で、使われて参りました。


雅春先生時代を振り返ってみますと、
あの当時は、共産主義や社会主義が、世の中で大手を振って歩いていた時代でしたが、

雅春先生は、あのころ、共産主義や社会主義に対しては「実相を礼拝する」だとか
「実相独在」だとか、おっしゃっては、おられなかった。

そのような間違った思想の方達のことは、
激怒されたり、激しく反論されたご講話もされてましたし、
大批判のご文章も、書かれておられたことは、ありましたが....

雅春先生は、そのような相手について、
「皆様、「実相は独在ですから」とか「合わせ鏡」ですから、と
 静かに 批判せず、沈黙されて いらっしゃいましたか?』

鈴木邦男さんだって、、当時、生学連として、使命感に燃えて、
張り切りすぎて、全学連と闘争までされていらしたではないですか。

雅春先生は、公人に対しては、とても厳しいお方でした。

そのような雅春先生の過去の出来事に、思いを馳せましても

私は、公人として世の中に大きく影響を与えるような方達や、
尖閣諸島を、自分の領土だと息巻いている中国も韓国や、不正をする政治家や、
北朝鮮の将軍も、「私の合わせ鏡」だとは、到底思うことが出来ないのです。

雅春先生だって、そのような、間違った思想を持った公人や間違ったことを主張する
諸外国を、ご自分の「合わせ鏡」だと、おっしゃっていらしたという記憶は、
私には、無いのです。

そして、雅宣総裁は、生長の家の後継者でおられます。公人です。

ですから、公人である総裁につきましては、
彼と私が「合わせ鏡」だとは、思う事は出来ないのですけれど、

復興G様が、おっしゃっておられますように、
雅宣様は、
なにか、われわれに大きな深い意味を教えて下さる、そのような重要なお役目を
持たれて、現れて下さったビックな存在でいらっしゃるということは、
そうでいらっしゃるだろうな、と同意出来ますし、納得させて頂いております。

2989復興G:2013/10/01(火) 04:44:52 ID:AB6RqYXc

志恩様。

合掌。
過去の発言録を丁寧に掘り出して再掲示していただいた御労苦に、感謝いたします。

「実相を拝む」 というとき、それ(実相)は自分の外にあるのではない。「自分を拝み、他(ひと)を拝む」 という言い方をすることもありますが、そのとき、「自分の実相」 と 「他人の実相」 が別々にあるわけではない。「実相」 は 「自他一体」 にあり、「一つ」 である。

だから、「総裁の実相を拝む」 という言い方はおかしいと私は思っています。「実相を拝む」 というとき、それは 「総裁は自分そのものである、自分の外延である」 という自覚がなければ、空想的に夢を描いているだけになっているのではないかと私は思うのです。だから、金木犀さまは 「雅宣総裁の実相を見る」 という言葉を使っておられるところがありましたが、私はそういう言葉は使っていません。

一切者の自覚、一切は自分の心の展開であるという自覚をもつことは、どんな場合にも静かに批判せず、沈黙していなさいということではありません。「未発の中(みはつのちゅう)」 すなわち時空未発の本源世界に立てば、そこは対立のない、「すべてが一つ」 の世界ですから、間違ったことが現れて見えれば、それを激しく批つことも 自由自在である。

谷口雅春先生は 「本当の和解とは、間違った奴をのさばらせておいて、自分は天地一切と和解しているんだなんて思ったら大間違いである。本当の和解は、未発の中から発して節(せつ)に中(あた)ることである」 とおっしゃって、志恩様がおっしゃるように、

「間違った思想の方達のことは、激怒されたり、激しく反論されたご講話もされてましたし、大批判のご文章も、書かれておられたことは、ありました」。

のは、その通りです。

で、志恩様は最後に

>>ですから、公人である総裁につきましては、彼と私が「合わせ鏡」だとは、思う事は出来ないのですけれど、復興G様が、おっしゃっておられますように、雅宣様は、なにか、われわれに大きな深い意味を教えて下さる、そのような重要なお役目を持たれて、現れて下さったビックな存在でいらっしゃるということは、そうでいらっしゃるだろうな、と同意出来ますし、納得させて頂いております。<<

と書いてくださった。

「合わせ鏡」 というのを、「常に自己反省ばかりしておれ」 という意味にとっていると、
>>公人である総裁につきましては、彼と私が 「合わせ鏡」 だとは、思う事は出来ないのです<<
 ということになるかも知れませんが、必ずしもそういうことではない。剣道でも自他一体の自覚を持てば、相手を撃つことは自分を撃つことで、自分の隙は自分で知っているから、ぴしりと急所を突いて撃つことが出来るという 「無敵流平法」 のように、適切な発言も行動もできる――それが本当の 「和解」 ではないかと、私は思います。

が、ともかく、昨夜は私もムキになって、激しいことを言い過ぎたかも知れません。その点は、謝ります。

「世界平和の祈り」 をして、マリーゴールド様も含め、すべての人々の平安を祈ります。

ありがとうございます。 合掌

2990復興G:2013/10/01(火) 09:07:19 ID:AB6RqYXc

一切は、自分の内にある。外にはない。

私の中にあなたがあり、あなたの中に私がある。

相即相入(そうそくそうにゅう)、すべては 「一つ」 である。そして、不調和はない、すでに大調和している。

有情非情同時成道、山川草木国土悉皆成仏。
天上天下唯我独尊(この 「我」 というのは、個我ではなく、「一切者」 なる我れである)。

――というのが 「実相」 です。 (『新版 真理』 第7巻 第1章)

2991志恩:2013/10/01(火) 10:31:57 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様、ご丁寧なご説明に感謝致します。
2989:のお話は、分かりやすく、私にも理解出来ましたので、ありがたかったです。

復興G様やトキ様は、ちがいますが、

私は、「君民同治の神示」、「合わせ鏡」を、教団の特に大幹部級のかたがたが、
ご文章やご講話で、信徒に対して、たま〜に、使われるのを知り、
ほんとうに生長の家のことを真摯に考えて発言される方々の発言封じ的に使用している事を
悲しく思うのです。

ですから「合わせ鏡」ということは、わからんちんで、すみませんけれど、
しばらくは、分からないことにさせて下さいますようにお願いします。

復興Gさまは、以前から けっこう、おこりんぼ です。
でも、雅春先生も、おそばで拝見していて、怒るべきときは、怒っておられるお方でした。

復興Gさまも、、怒りたいときは、遠慮なく怒ってくださいませ。

人間らしく いらして、そのほうが、好感がもてます。

わたしなんか、しょっちゅうです。

2992復興G:2013/10/01(火) 11:46:45 ID:AB6RqYXc

志恩様、ありがとうございます。


ところで 志恩様が、去年の 「トーキングスティックボード」 の記録を教えてくださったので、読み返しますと、金木犀さまの発言で、

>1164 :金木犀:2012/04/12(木)

>> 私は分裂したことは悪いことではないと考えます。
これは生長の家がより発展する可能性がでてくるものだと思います。

新時代には、新しい運動形態があるべきだと思いますが、実相哲学としては 同じ思想を目指しながら、各団体によるその運動の雰囲気個性が少しづつ違って、そこに波長の合う人が各団体を選んで入信するようにすれば、より多くの人を吸収できるのではと考えるのです。その準備段階かと考えるのですが。

私は、こういうことでもなければ、分裂も出来なかったのでは と思うと、もしかしたら、総裁先生は、分裂させるために現れて下さった観世音菩薩ではないかと、ふと思ったりもするのです。

出来れば、もう一度教団には原点の思想に帰ってもらって、今度はお互い連携しつつそれぞれ個性を生かした運動をしていけたら理想的ではと考えているのですが。
どうでしょうね。<

――と書かれ、また女子会板 >1298に

> 一度でも雅春先生の教えに触れて、感激した経験があるなら、生長の家は魂のふるさとであり、それは教団に属していようといまいと、そういうこととは関係なく、雅春先生の思いに応えたいという気持ちがあります。
だから、雅春先生とは異なる主張に教団が変化するならば、それは耐え難いものがあり、それは違うと言いたくなります。

雅宣総裁の実相を見る見ないとは関係なく、雅春先生の教えと違えば、それを何とか正さねばと思うのは、師にたいする弟子としての誠意の問題である気がします。

だから、教団が変わらないならば、雅春先生の正統な教えを受け継ぐべく、別派を立ち上げるのは当然であり、そうしないと、失われていく儘に放置することになり、弟子として、法灯継承したことにならないと思います。<<

と書かれています。

上記について、再び思うこと――

生長の家の運動は、神が始められた運動であり、本当の生長の家本部は神界、実相世界にある、と言われています。

<< 「“本当の教祖” というべき “真理の啓示者” は “實相世界” にある “神” のみなのである。イエス・キリストも 『師というべき者は、唯ひとり天の父のみである』 といっているし、谷口雅春も、“自分は教祖ではない。實相世界に生長の家の本部はある” といっているのである。」(『神 真理を告げ給う』)

 このような文章――神の言(ことば)に接する毎に、私は畏れ平伏(ひれふ)すのである。そして図り知れない神のはからい、摂理、お導きに、谷口は十二分にお応(こた)えし得たであろうか、この九十余年の生を以て些(いささ)かの悔いることなくお応えし得たであろうか、と魂の打ちふるえるのを覚えるのである。そして谷口に賜った神々の大いなる恩寵に、唯々感謝合掌、悦びが、悦びの波紋が見渡す限り拡がる様を、心眼に拝するのである。
 (『實相と現象』 の 「はしがき」)>>

――この、実相世界にある生長の家本部は、当然 「一つ」 でありますから、それが地上に正しく投影されたら、生長の家は 「一つ」 でなければならないのが当然であります。

今、現象的に分裂状態が現れているのは、実相の 「神の国」 が地上に顕現する過程として、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」 として必然性があるとしても、一時的なものであって、やがて必ず 「一つ」 の本物、実相が顕現するのだと思います。その 「実相」 を観じ、祈りながら行動して行きたいと思います。

2993志恩:2013/10/01(火) 13:10:38 ID:.QY5jUA6
復興Gさま

お懐かしき金木犀様の過去文を貼って下さって、ありがとうございました。
金木犀様は、すごいお方でいらして、
私は、いつも、金木犀様の的を得た表現力に感心していました。
あれから1年経ちますが、お元気でお暮らしでしょうか。

2992:復興G様の
それは、もう、おっしゃる通りだと存じます。
元はといえば、生長の家人同士なのですから、将来はもとの1つになる運命だというふうに
私も感じています。

でも、このように、心ある勇気のある方々が、身銭を切ってまで、原点回帰運動に
次々に立ち上がっておられる事は、これも、必然であり、神様のお働きである
聖なる運動の一環だと思えるのです。

そうして、深遠な意味で捉えれば、
復興G様が、仰るように、雅宣様も聖なるお働きをされてるお一人なのかもしれませんね。

2994志恩:2013/10/01(火) 13:41:27 ID:.QY5jUA6
このたび、マリーゴールド様が、
「合わせ鏡」のことで、私に同調されたコメントをされたのは、

かって、何度も
私が経験したと同様の、悲しみを
マリーゴールド様も、味あわれたので、おっしゃったのだと理解しております。

2991:志恩
>>私は、「君民同治の神示」、「合わせ鏡」を、教団の特に大幹部級のかたがたが、
ご文章やご講話で、信徒に対して、たま〜に、使われるのを知り、
ほんとうに生長の家のことを真摯に考えて発言される方々の発言封じ的に使用している事を
悲しく思うのです。<<

2995復興G:2013/10/01(火) 15:33:21 ID:AB6RqYXc

志恩様
ありがとうございました。


私は日経新聞を購読していて、「私の履歴書」 というのを愛読しています。1ヵ月毎に選手交代するのですが、9月はオリックス会長の宮内義彦さんでした。

 こういうことが書かれていました――

   *  *  *  *  *  *  *

 <第10回>
 新会社(オリエントリース)の事実上のトップに就いた乾恒雄副社長。(ニューヨーク支店から)帰国直後、われわれ12人の前に挨拶にこられた。

 リース業とはどんなものなのか。乾さんはニューヨークで勉強された知識をみんなに披露された。
 だがそれは、わたしがサンフランシスコで習得したリース業のあり方とは違ったものだった。乾さんの趣旨は、どちらかというとレンタル事業に近い概念だった。

 「副社長、お言葉ですがそれは間違っています」。
 みんなが耳を澄ませるなかを、わたしはリースが金融業の一翼を担っていることなどを無我夢中で話した。

 図らずも若造が最年長の乾さんに意見するかたちになったことに、ご本人もほかの社員もびっくりしたに違いない。
 わたしに乾さんを非難する気持ちはこれっぽっちもなかった。新会社の舵取り役になる方に正しい知識を持っていただきたい一心だった。

 「あのときの君には参ったよ」。
 程なく社長に就き、16年後にその座をわたしに譲るまでオリエント・リースを率いた乾さんは、ことあるごとにこう言って笑っておられた。……

       *

 <最終回>
 ……戦後68年、日本はすっかり変わった。今の豊かさは想像を超えたものだ。一番素晴らしかったのは戦火に巻き込まれなかったことだ。これからもぜひそうあってほしい。

 社会に共助の精神が芽生えている。悪いことではないのだろう。しかし
 何よりも自分の足で立ち、困難に立ち向かい、そして自分の頭で考えることを忘れてほしくない。

   *  *  *  *  *  *  *

 ――生長の家教団のあり方にも、示唆を与えるものがあるように思います。信徒一人一人が、何よりも自分の足で立ち、困難に立ち向かい、そして自分の頭で考え、信念を持って組織上部の人にも発言し行動するような勇気を持たないと、生長の家は神から与えられた本来の使命を果たすことができないと思います。

2996マリーゴールド:2013/10/01(火) 21:20:52 ID:???

 合掌 有難うございます。

 復興G様

 >>2984において、復興G様より私へのメッセージを拝見させて戴きました。
 私は、好い加減なお返事をさせて頂きたくはありませんし、いま現在、>>2984の復興G様の私に対しての御言葉に私自身、言葉がまとまりません。
 いま現在は、「心から感謝申し上げます」という言葉のみにさせてくださいませ。

 そして>>2989におきまして、私を含めお祈りをして戴きましたこと、魂の奥底より感謝申し上げます。
 
 復興G様と志恩様の対話を拝見させて戴きました。
 >>2989におきまして、復興G様が大変わかり易く、説明くださいました。

>>「合わせ鏡」 というのを、「常に自己反省ばかりしておれ」 という意味にとっていると、
>>公人である総裁につきましては、彼と私が 「合わせ鏡」 だとは、思う事は出来ないのです<<
 ということになるかも知れませんが、必ずしもそういうことではない。剣道でも自他一体の自覚を持てば、相手を撃つことは自分を撃つことで、自分の隙は自分で知っているから、ぴしりと急所を突いて撃つことが出来るという 「無敵流平法」 のように、適切な発言も行動もできる――それが本当の 「和解」 ではないかと、私は思います。>>

なるほど・・・。
ここを読ませて戴いたときに、私が教団信徒を辞めて間もない頃に抱いた感情を思い出しました。
その感情とは

「雅宣総裁、有難うございます。あなたが総裁でいらっしゃったお蔭で、私はこれほどまでに、生命の實相を学びたい。真理を真剣に学びたい・・・そう感じることが出来ました。雅宣総裁でなければ、私はそのように恐らく感じなかったでしょう。雅宣総裁は、ハッキリと真実と偽を分けてくださった。有難うございます。」
という感情です。
「合わせ鏡」というのは、必ずしも「相手の姿をみて反省」ではなく、相手を通して学ばせて頂く学びではないか・・・と感じました。
「あの人がこんな事しているから、私はしないようにしよう」という見方もあるやも知れません。
私が感じましたのは、「相手の存在を我が学びにしよう」それこそ、「合わせ鏡」かしら・・・と思いました。

それから、復興G様は>>2992におきまして、金木犀様のご文章を掲載下さいました。
大変懐かしく拝見させて戴きました。

>>今、現象的に分裂状態が現れているのは、実相の 「神の国」 が地上に顕現する過程として、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」 として必然性があるとしても、一時的なものであって、やがて必ず 「一つ」 の本物、実相が顕現するのだと思います。
その 「実相」 を観じ、祈りながら行動して行きたいと思います。 >>

の中で、「迷いと迷いとが相撃って自壊する過程」と御説明下さっておられます。

この「迷いと迷い」と申しますのは、教団と社会事業団の裁判のことを指しておられるのでしょうか?
もしくは、現在の教団と学ぶ会等のことを指して仰っておられるのでしょうか?

私は現在、教団信徒ではございませんから、教団に関することの直接的な意見は控えます。
もしも万一、復興G様の仰る「迷いと迷い」が教団と学ぶ会等の本流のことを指して仰っておられるとするならば、私はここに疑問が生じます。

その疑問とは、「生命の實相を護ろう・・後世に遺そうと立ち上がっている社会事業団や、学ぶ会などの団体が、何故に“迷い”として表現されるのでしょうか?

(次につづきます)

2997マリーゴールド:2013/10/01(火) 21:34:46 ID:???

>>2996につづきます。

「合わせ鏡」についての話になりますが、復興G様と志恩様の会話を拝見させて戴いておりますと、どうしても「実相と現象」が頭から離れませんでした。

その昔、教団において女子活動をしていた時の「花のつどい」で「実相を観る」ことは本物と偽物を知ることであると学んだ機会がございました。
その際のテキストは、谷口雅春先生御著書「女の教養」P67であります。
以前に、光明掲示板・第一におきまして、このことを“さくら様”あてに投稿させて戴いたことがございます。
以下に再掲させていただきます。

☆☆☆☆☆

合掌 有難うございます。

 さくら様 お久しぶりです。


 谷口雅春先生御著書 『女の教養』P67に雅春先生は以下のようにお書き下さっています。


*****


>実相を観るということは、虚構を真実だと思い込むことではありません。
虚構を真実だとその実相を知り、真実を真実だとその実相を知ることです。

>キリストも蛇の如く叡く(さとく)、鳩の如く柔和であれと仰せられました。
相手が神の子の実相を出しているか仮相の狼を出しているかを見わけることが肝腎です。
何でも彼でも相手を信じさえすれば好いのだと思っていてはなりません。

******

私は貴女にアドバイスも何も出来る立場にございませんが

ただ申し上げたいのは
私は、雅宣総裁の神性・仏性を否定するものではありません。


生長の家の真理を普及されている教団において
雅宣総裁の言動・指導が
「虚構が真実」であるという実相を知ることが大切であると思うのです。

貴女の人生ですから、貴女の思われるように祈り実践されたらよろしいと思います。

雅春先生は

「心さえもない」とお説き下さっています。

神想観は現象の自分が実相を観ずる祈りではなく
実相が実相を観ずる祈りであると受け止めています。


とは言う私も悩みは多いですけどね。


「学ぶ会」をはじめとする本流の団体は
その存在が宇宙にコダマする偉大な祈りであると信じています。


 合掌 再拝

☆☆☆☆☆

以上です。

(次につづきます)

2998マリーゴールド:2013/10/01(火) 22:02:26 ID:???

>>2997につづきます。

私は花のつどいで、「実相を観るということは、虚構を真実だと思い込むことではなく、
虚構を真実だとその実相を知り、真実を真実だとその実相を知ることだ」と学んだとき、このことは将来の旦那様だけに言える話ではなく、あらゆることにおいて言えることであると思いました。

上記の>>2997での雅春先生のご文章のあとに、以下の御言葉が続きます。

「本来人間は善人でありますが、五官の快楽に捉われたときに仮相が出るのです」

五官の快楽には様々なものがあると思います。
私自身は、決して様々な快楽を否定するものではありません。
「環境問題」も大切な研究分野であると思います。しかしながら、「環境問題」に執着しすぎてしまうと仮相が出てしまうのではないか・・・と個人的に思いました。

上手く言葉をまとめることが出来ませんが
私自身はどうしても、雅宣総裁の御指導に「真理」を感じられなかった。
だから、雅宣総裁は本来善人であるけれども、雅宣総裁のお蔭で、こんなにまで真理を学ぼうと思わせて戴いた感謝はあるけれども、雅宣総裁の説かれていることは、虚構が真実であるとの実相を知ったから
雅宣総裁に感謝をして、教団を去ったと申し上げれます。

今の私は、まだまだ勉強不足ですから、「君民同治の神示」と教団・・・雅宣総裁に関して同じように考えることは、出来ません。
いつかは、解る日が来るやもしれませんし、来ないかもしれません。
纏らない内容で申し訳ございません。

   感謝合掌再拝

2999マリーゴールド:2013/10/01(火) 22:21:46 ID:???

 志恩さまへ

 >>2994において、温かい御言葉を戴きまして、心より感謝申し上げます。
 たしか・・・本流対策室板で、トンチンカン様が「WEB誌友会板は雅宣総裁の教えを学ぶ会ではないでしょうか」という内容を眼にしました。

 私は個人的に、この誌友会を「生命の實相」を学ぶ板と思っておりますが(おりましたが)、複雑な思いもございます。

 これからも「神――開祖――御教え」の真理を学んでいきたいと思っております。

     感謝合掌再拝

3000志恩:2013/10/01(火) 23:24:48 ID:.QY5jUA6
 >>2995:復興G様

>>――生長の家教団のあり方にも、示唆を与えるものがあるように思います。
信徒一人一人が、何よりも自分の足で立ち、困難に立ち向かい、そして自分の頭で考え、
信念を持って

  💛組織上部の人にも発言し 行動するような勇気を持たないと💛、

生長の家は神から与えられた本来の使命を果たすことができないと思います。 >>

この💛マークをつけたところについてですが、
今の教団の上部におられる方々は、破格の高給を支給されているイエスマンばかりなのだそうですから、
だれ一人、雅宣総裁に、忠告できないです。

われわれ信徒たちが、上部にも掲示板で訴え続けて来ていますが、
上部の方々も、皆様、馬耳東風です。

ですから、原点回帰するために、
教団から、分かれて、本流の皆様が、運動されているのです。

将来1つになるという意味は、どのような形で1つになるかわかりません。

闇は、自ずから消えて、ほんものが残り、最終的に 1つになるのだと思っています。


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