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聖典引用 板

770復興G:2012/06/02(土) 09:30:21 ID:84pogn5s

<つづき 4>
 天之御中主神の「中」の理念が天降って、天孫降臨(理念の降臨)となり、それが具体化して神武天皇の“八紘を宇(いえ)と為す”(八方の国々を一家庭的邦とする)即ち世界連邦の基礎国家としての「大和」の国の建国となったのであります。

 大和(ヤマト)の国は「大和の国」であると共に、単なる集団の国ではない、天津日嗣(あまつひつぎ)の国であ、る。天津日嗣とは、天之御中主神の「中」の理念が天降って来ることを言うのであります。日嗣の「日」は「霊(ヒ)」であって「霊的理念」のことであります。「中」の理念をさながらに承け継いで、そしてその姿が国家として顕れたのが、「天皇を中心とするところの国家」である、其処にある天皇の権威と云うものは、真理の体現者としての権威であって、決して個人が強いから天皇になって、その権力に依って人民を圧えているのではないのであります。そして、その天之御中主神の理念の継承実現としての真理国家たる日本国の中心核体として其処に天皇が顕れていられるのであります。随って天皇を中心と仰ぐ日本国家の形態は、天皇の人民支配の手段としての国家形態というようなものではないのであります。

 だから日本国は「天皇国家」であると云っても専制君主的なところは微塵もなく、宇宙の真理、即ち神意の地上顕現の至純至高の理想形態としての日本国家の形成であります。天皇あるがゆえに人民あり、人民あるが故に天皇あり、天皇と人民とはその生命の本源に於て一体であり、それが、天之御中主神の理念に随って所を得ているのです。どんな細胞にも、どんな電子にも、どんな太陽系統にも、みんな「中心帰一理念」と云うものが現れているのであります。国家だけが中心のないバラバラの存在であると云うことは宇宙意志の自然の発現にそむくわけであります。その「中心帰一理念」と云うものが、現象界に天降ってきて自然に中心帰一国家を最も理想的に形成したのが日本国でありますから、日本の国家は「宇宙真理」即ち「神様の御心」の地上顕現の最も純粋であり、最も高き形態としての国家であるといい得るのであります。

 国家を単に国民が幸福になるための施設であると見て、個人が幸福になれないような日本国家ならつぶしてしまって、ソ連の様になった方が都合がよいじゃあないか。アメリカのように大統領でもいいじゃあないかと言う人もあるそうで、鈴木茂三郎氏のことを或る党員は「大統領、大統領」と言って居たともききましたけれども、日本国家は大統領や書記長で治めようと思っても、それはいけないのです。仮りにアメリカが大統領でうまく治って行ったとしても、ソ連が書記長でうまく行っておるとしても、そんな事はまた別の建国の歴史をもった他の国のことであって、日本には日本としての抜きさしならぬ歴史を背負った特殊性があるのであります。日本民族というものが如何に何処から如何なる自覚を持って生れて来たか。古事記に表れたような民族神話をつくり「命」の自覚を代々継承して今日に至る、そう云う霊的歴史的伝統のすべてを背負って、今此処に出現しているところの日本民族の特殊性というものを知らなければならないのです。
<つづく>

771復興G:2012/06/02(土) 09:31:10 ID:84pogn5s

<つづき 5>
 民族の特殊性を強調しますと、それは偏狭であって、人類的で無くなるように思う人もありますけれども、実は決してそうじゃあないのであります。どの民族でも、その民族固有の特殊性を完全に発揮することに依って、却って全人類が幸福になるのであります。

 それは何故かと申しますと、吾々人間でも、頭脳は頭脳としての特殊性を持って、その特殊性が「考える働き」であるとするなら其の「考える働き」という特殊性を頭脳が完全に発揮する時にはじめて人体が最も完全に、その生理機能を営むことが出来るのと同じであります。手として生れたものは、手としての特殊性を完全に発揮することに依って人体全体が幸福になるのであります。全ての世界各国の民族も、民族各々の特殊性をよく自覚して、その特殊性を発揮することに依って人類全体が本当に幸福になるのであります。

 そう云う訳で、日本の国家にも其の個性的な特殊性がある。即ちそれは上述の如き真理国家であって、天之御中主神の理念そのものが実現している万邦無比の国体であると云うことである。今の中学生や高等学校の生徒に「国体」と言ったら、「国民体育」の略称かと思って、「真理国家としての国体」などと云うと何の意味かわからぬ人がある。まことに残念な事でありますが、解り易く言いますと、其の“国”の本来の在り方として内在する「国家理想」と言うものが国体であります。「日本国の実相」と云ってもよろしい。日本のそうした「国の本来の在り方」というものはまことに素晴しいものなのであります。即ち大和国(ヤマトのくに)を基礎国家として、「六合を兼ねて都をひらき、八紘を掩いて宇と為し」世界の国々をこわすことなく一つの家族的つながりの国とする使命を内在する国家なのであります。私たちがこのような国に生れたことは実に有難いことであると云う自覚を持たなければならない。その自覚は自分だけが持っていたら、それで足れりとするようなものではない。この箇条の最後に書いてありますように、各自互に明確に自覚し合わなければならない。「自覚し合う」のであって、互いにその自覚を研き合い、「その行動の根拠となし合う」べきであると示されているのであります。
<つづく>

772復興G:2012/06/02(土) 09:31:49 ID:84pogn5s

<つづき 6>
<人類光明化運動指針>

 第九条 生長の家の各員は、如何に運動の分野が多岐にわたり組織が複雑化すると難も、光明化運動の中心が何であるかを常に見失うことなく明らかに自覚して行動すべきである。
 生長の家大神――総裁・副総裁――御教。この三つを結び貫く神意の展開が、光明化運動の不動の中心である事を、生長の家人たるものは一瞬たりとも忘れてはならない。如何にその人が有力者であろうと長年光明化運動に献身して来ようと、素晴らしき体験をもつ指導者であろうと、断じてその人を中心にしてはならない。若しも人を中心とすれば、その人が理解し把握している以上の運動の展開は不可能となり、歪んでいれば運動も歪むほかなく、その人とそりの合わぬ者、反対意見の者は身を引くか、対立して禍根を残すであろうし、若し或る人が情熱的な信仰を持つ場合、その人が真に中心を明らかに自覚している場合はよいが、唯熱心であるだけならば、何時かその人に頼り過ぎ、その人が転任或は他界した場合は、忽ち火の消えた様に衰微してしまった如き事例は往々にしてある。すべて皆中心を誤っていることに気がつかなかった為である。光明化運動に於いては人は中心ではない、神意が中心である。その神意現成の組織に於ける自己の部署と役割とを誤りなく遂行して、始めて人はその使命を果たし得るのである事をよくよく銘記して行動すべきである。

       ○

 さて、此の条では、生長の家の各員、即ち生長の家の人類光明化運動に参加している全ての菩薩たちは、これは幹部でなくとも、単なる誌友であっても、今日入信した人でも、一ヶ月前に入信した人でも、皆含まれているわけでありますが、その運動が色々広般に亘って、その分野も複雑に岐れておりましても、光明化運動の中心体と云うものが何であるかを見失ってはならない、即ち――功徳の由って来る本体が何処にあるかと云うことを忘れてはならないと云うことが書かれているのであります。この生長の家の人類光明化運動というのは、谷口雅春個人が始めたのではないと云うことであります。此の文章にありますように、「生長の家大神――」と棒が引いてあって、「総裁・副総裁――御教」とあります。此の棒は教えが其の本源から流れて通過して出るパイプの系列を示しているのであります。生長の家の本部は“実相の世界”にあるということが『生命の實相』総説篇の冒頭に宣言しているのでありまして地上の生長の家本部が事務を執っている所の建物の如きは、地上で仕事をする為の中央事務所に過ぎないのであります。そしてまた私を生長の家の総裁と云うけれども、総裁と云うのは一体何かと言いますと、要するに爰に「生長の家大神――総裁・副総裁――御教」と書いてありますように、総裁・副総裁を通して生長の家大神の御教えが流れ出ている其のパイプ的役割が総裁・副総裁であります。即ちこの運動は宇宙の創造神に在しますところの生長の家大神が或る時期に住吉大神と顕れてコトバの力によって御禊祓をなしたまうところの運動であります。

 古事記によりますと、西洋的物質文化を代表する伊邪那美神の軍隊に東洋の霊的文化を代表する伊邪那岐神が追いまくられて、ついに「吾はいな醜め醜めき穢き国に到りてありけり」と仰せられて御身の祓をせられた其の伊邪那岐大神の宇宙潔めの働きとして、上筒之男命、中筒之男命、底筒之男命と云う風に上・中・底と秩序整然とあらわれて出て来ておられるのでありますが、この三柱の神様を総称して潮筒之男神即ち塩椎神と申上げ、別名を住吉大神、又は「すみのえの大神」と申上げるのであります。愈々此の住吉大神の宇宙浄化の働きが起って宇宙の浄化が完成されると、やがて伊邪那岐大神の左の眼から天照大御神がお生れになると云う段取になるのでありまして、この順序は古事記に記載されているのであります。第一回の天照大御神の御誕生は「実相の世界」に既にあったのでありますが、第二の天照大御神の御誕生とはこの現象世界に光明無量が誕生することであり、第二の天之岩戸開きが行われるのであります。新しき天と地とが天降る(黙示録)のであります。新しき世界秩序が発現するのであります。
<つづく>

773復興G:2012/06/02(土) 09:32:27 ID:84pogn5s

<つづき 7>
 今までは贋物の世界の発現でありました。贋物の世界と云うのは、アダムとイブとが土の塵をもってつくられ蛇の知恵にだまされて知恵の樹の果を食べた結果、エデンの楽園から追出されて「汝は苦しみて子を生まん……額に汗して食を得ん、土は薊(あざみ)と棘(いばら)とを生ずべし」と宣言せられた世界であります。ところが今度再び、光明遍照のエデンの楽園が地上に生れて来るのが、この天照大御神様の第二の御誕生であり、ついで第二の地上の「天之岩戸びらき」が実現するのであります。その前駆として、宇宙浄化の働きが始まっているのであります。

 ところが、一方に於て此の宇宙浄化の働きは、一種の自壊作用を伴って出て来るのでありますけれども、他方に於て、住吉大神即ち仏教では観世音菩薩の慈悲によって、人類の霊的目覚めの運動と云うのが起され、宇宙浄化の働きによる自壊作用に伴う人類の悲惨を出来るだけ緩和するための人類光明化運動として現れているのであります。即ち私たちの人類光明化運動とはこの世界の自壊作用の悲惨の程度が、それほど悲惨でなしに人類が通過出来る様に、まず人類の心を潔める運動として起っているわけであります。人類の心が潔められていたならば、それだけ汚れが少く、潔められるべき業が少いから、洗濯をするのに酷い振動を与えないでも、楽にその汚れや業が消えて行くと云うことになるのでありますけれども、その宇宙浄化の自壊作用が起るまでに若し魂の浄まりが少いようでしたら、余り汚れの酷い洗濯物は、これを只一寸ゆすぐだけでは汚れが除れないから、うんと強力に叩きつけるか、劇い苛性ソーダでも使って、布地が破れるほどに洗わなければ綺麗にならんのと同じ様に、この世界の自壊作用が非常に強烈なものとなり、その悲惨な状態が非常に耐えがたいものとなるのであります。随ってその自壊洗濯作用というものを出来るだけ少くする為には、あらかじめ人類の魂を浄めて置かなければならないと云うので、人間霊魂の浄化運動を行い地上に於ける精神波動を浄めると云う方面を分担しているのがこの生長の家の魂の自覚運動即ち「人類光明化運動」と云うことになっているのであります。
<つづく>

774復興G:2012/06/02(土) 09:33:03 ID:84pogn5s

<つづき 8>
 そう云う訳で、宇宙の創造神の慈悲の御はたらきが、人格化して現れているのが生長の家大神であります。その大神の御旨を受けて、各々の役割に随って、沢山の高級霊が協同運動をしているのであります。谷口雅春と云う一個の人間が其の「思い附き」で運動をしているのじゃあないのであります。住吉大神の御旨を受けて沢山の高級霊や、準高級霊が白色スピリットからブリュー・スピリットに至るまで其の能力に随って夫々分相応の色々の役割を分担して総動員されているのであります。これは国家総動員じゃなくて、謂わば、「地球世界非常事態宣言」にもとづいて宇宙の高級霊総動員と云うわけで協力運動を推進しているのであります。そして其の教えや事務を地上で遂行する機関として、総裁・副総裁というものが出来、生長の家本部の理事長・理事・局長以下本部講師であるとか地方教化部の幹事長・幹事であるとか、或いは地方講師会長及び地方講師であるとか、青年会の支部執行委員長であるとか、白鳩会・誌友相愛会の県連会長であるとか、皆夫々この光明化運動に於て役職がつきますと、その役職に従って霊界の高級霊のうちから、夫々の能力と役割とをもったところの高級霊が、其の役職に関する守護霊として、その人たちに一々配属されると云うことになるのであります。そしてその役職に随って人をインスピレーション式に指導したり、組織活動を遂行する上に色々の良きアイディアを与えたりするのであります。

 それぞれ配属された守護霊は、その役目にしたがって、“これはこうしたらよかろう”“これはああしたらよかろう”と云うヒントをインスピレーション式に与えるようになっています。例えば、地方講師なら地方講師の辞令を頂くと、その地方講師たるに相応しい守護霊が其人に配属されまして、その講師を指導すると云うことになるのであります。だから自分は、自分自身だけでは、大して力が無くとも、人を指導する場合に、素晴しい智慧が自ら湧き出て来て、自分はそんな体験も知識もないのに、夫婦調和をさせるにはこう云う話をしたらよかろうと云うようなことが、インスピレーション式にスラスラと話すことができ、その指導の通りにすると好結果が得られると云うような実例が出て来ます。或る講師の体験談では、自分はそう云う経験がないのに、夫婦仲がどうしても好くなれないのをどうしたらよいかと相談に来た婦人に、「あなたは結婚する前に好きな人があったんだろう」と指摘したらその通り当っていた。「その相手の男がやはり思いつめていてその念波が来て、現在の結婚を不仲にしているのだから、その男の念波を成仏さすために、その男の名前を書いて『甘露の法雨』を読んでこうこうしなさい」と思わず、そう言って指導したら、その教えられた通りにやったら、それ切り夫婦仲がよくなってしまったと云うような実例もありますが、そう云う適当な指導が、フッと思い浮ぶのは、自分が自分の頭に自分の力で思い浮べたようでありますけれども、実はそうじゃないのであってその講師に配属されている高級霊が指導して、一寸、常識では思いつかないような、そう云う巧みな指導を与える事になるのであります。

 そう云う訳で、この人類光明化運動というものは、実は宇宙の創造神の御心を受けた高級霊界に於ける一大救済運動であって、その霊界に於ける救済運動の写しが地上に顕れて居るのであります。だから、この人類光明化運動に現実に参加している「肉体の人間」と云うものは、それぞれその指導霊に導かれて、人々を救済するのでありますから、色々と奇蹟的なことがあらわれるのであります。
<つづく>

775復興G:2012/06/02(土) 09:33:57 ID:84pogn5s

<つづき 9>
 昨年三月、宇治修練道場に於て体験談をされた京都の人は、道場の浴場へ行くと体中皮膚病で腐っている醜しい人が、その皮膚病のきたない身体を風呂の中でゴシゴシ洗っているのを見て突然怒鳴りたくなって、口をついて自分の思いもかけない言葉で、其の不心得を諭した。そして「其の皮膚病が治りたいか。治りたければ斯う斯うせよ!」と思わず言ってしまった。すると、その全身の皮膚病が数日のうちに痊(い)えてしまっていたと云うのであります。

 このような事が起るのは、宇治の修練道場を守護して居る霊が、其処に適当にやって来て、その人は単にその守護霊の放送のマイクロホンの如く、スピーカーの如くなって、その人を指導したのであります。イエスの仰せられた通り「われみずからにては何事をも為し得ず、天の父われにいまして御業を為さしめ給うなり」と云うようになっているからこそ、そのような不可思議な奇蹟的治癒と云うものが現れて来たのであります。

 このような機構によって現実界の人々は救われるのでありますから、或る講師や先輩の信者に救われたら、「私はあの人を媒介として救われたのである」と大いに感銘して感謝をするのはいいのですけれども、その講師や先輩が何かの心境変化で生長の家の役職を辞めたら、「私はあの人に救われたのだから、あの人が辞めたら、私が生長の家にいてはあの人に義理が立たぬから、私も生長の家をやめます」なんて云うのは、大変な心得ちがいであります。夫々の講師や先輩は神様から見れば一つのスピーカーとして働いて、そのスピーカーから出る教えによって相手の人は指導されて救われたのでありますから、救いの本尊は高級霊界にあり、その奥に創造神の大慈悲があるのであります。だからある講師とか役職の人が辞めることになったら、スピーカーの取替が行われたと云うことになるのであり、又かわりの人はおのずから次ぎにちゃんと用意されると云うことになるのであります。

 例えば先般生長の家のさきの婦人部長が或る事情で退職なさいました時の如き、その退職を申出られた丁度其の翌日に、実にその翌日にです。前に長崎大学の学長をしておられた高瀬清博士とその夫人の高瀬不二子さんが私の宅へやって来られて、高瀬博士は、千葉県の或る病院と、八王子の或る病院と、もう一つ東京の或る病院と、此の三つの病院から掛け持ちで来て呉れと云うので、広島から東京に移住することになったので挨拶に来ましたと言われる。そして当分、博士の方は、千葉の病院の公宅に住むことになっていて、其処でちゃんと食事の世話もして呉れるし、日常生活の色々の世話も係りの人たちがして呉れることになっているから、夫人の方は暇だから、何か生長の家の用事があったら使って下さいとこう言われたのであります。私が「千葉から本部へお通いになるのは遠いですな」と言うと、「いや、東京の板橋に妹の家がありまして、そして何時でも出て来られるのですから、毎日でも本部へ出て来られます」と言われる。それで高瀬夫人なら、在来の御経歴から、生長の家に深い御体験のある上から、適当な方であるので、丁度今椅子が空いている本部の婦人部長に就任して頂くようお願いした訳であります。必要な役職の人員が一人辞められるとちゃんとその次ぎに後任が出来ていると云う此の事実は、この運動が、人間だけの運動ではなくして、高級霊界からの運動であって霊界の運動が地上に投影しているのであるから、霊界の影として、其処に必要な人物は登場して来ることになるのです。だから霊界に人類光明化の運動があるかぎり、スクリーンが幾ら変っても、其処には、やはりその通りの影が映って来る訳であります。
<つづく>

776復興G:2012/06/02(土) 09:34:36 ID:84pogn5s

<つづき 10>
 そんな訳でありますから、或る講師や先輩を媒介として救われたら、その講師や先輩に感謝するのは無論いい事でありますけれども、その先輩その人が彼を救ったのであると考えると間違いでありまして、真実は高級霊界からの人類救済運動が地上に映って、それに指導されて救われたのであると云うことを知らなければならないのであります。

 だから、「生長の家大神――総裁・副総裁――御教」と云う教えの通過する系列のうち、その総裁でも、現在の総裁たる私が死んだら生長の家も駄目になるであろうと考えるのは間違であります。私が死んでも、私は一種のパイプでありスピーカーに過ぎないから、又次ぎに私に嗣いでスピーカーとなる総裁と云うのが出来まして、その人が私と同じょうな役目につき、一層新型の素晴らしい良質のスピーカーになって、私よりも上手に教えを宣べつたえ教化の体制を整備すると云うことになるのでありますから、そのことについては心配がいらないのであります。既に清超先生が私に劣らず教化の力を発揮しておられまして、今後ついに私を凌駕するようになることは必然であります。
<第9条の解義・完>

777金木犀:2012/06/02(土) 12:22:32 ID:j28jHRaM
復興G様

『菩薩は何をなすべきか』の素晴らしい謹写有難うございます。
拝読させて頂きました。改めて、感銘を深くしました。
信徒として、人類光明化運動指針は何度も繰り返して読んで心得るべきですね。

778金木犀:2012/06/02(土) 12:24:24 ID:j28jHRaM
『生長の家』誌昭和52年8月号から、
【八月の法語】 谷口雅春先生 より(5)

三十日の法語  “十三千大千世微塵数(じゅうさんぜんだいせんせみじんじゅ)”の意味するもの

「十三千大千世微塵数」と、わたしは数(すう)と普通に訓(よ)む字を“じゅ”と読みましたが、仏教では数という字を「じゅ」と読む慣例になっているからであります。

それは念珠のことを「じゅず」と言う時にも、数(じゅ)と珠(じゅ)と書いて「じゅず」と読みます。

大千というのは千を二乗した数です。つまり千に千をかけた数です。千を三乗した(千を三べんかけ合した)数であるという説もありますが、ともかく“大千”というのは千の二乗又は三乗の数です。そしてその数を十三千倍したのが十三千大千でありまして、その次に“世”とありますのは“世界”の事で、これは“蓮華蔵世界”の如く、中心に須弥山のある太陽系統みたいなものを、一“世界”と当時のインドの人は考えたのです。一つの太陽系統が一世界、その太陽系統を千の二乗した数を十三千倍した実に多数の太陽系世界を微塵にすりつぶして歯磨き粉のような微粒子にして、その歯磨き粉の微粒子の数一個を一つの言葉であるとして数えただけの文字又は用語が、竜宮に秘められてあった。『華厳経』の“上本”に書いてあったと言うんですから、『華厳経』のコトバの数は無限の数なんですね。

何しろ太陽系統一つを、すりつぶして歯磨き粉みたいな微粉末にしただけでもその微粉末の数は大変なもんだけれども、十三千大千という多数の世界をすりつぶして、微粉末にした、その粉末のひとつひとつが竜宮界に秘められている華厳経に書かれている文字の数であるなんていうことになると、もうこれは数えようがないということになるわけなんです。

このことは何を意味するかというと、華厳経というのは、そんな紙や竹篇に書いた経文ではない、“海の底”即ち「創造の本源世界(うみのそこにあるせかい)」にある所のあらゆる真理のコトバそのものが華厳経である。この“あらゆる”真理のコトバという意味が、この無限数の文字で綴られた経典が華厳経であるんだと、いうようにこの神話は解釈できるわけであります。

さてお釈迦さんは、この驚くべき真理のコトバを、華厳経に於いてそのものズバリとお説きになったのですが、先刻(さっき)言いましたように、お釈迦さんが亡くなって四百年か八百年経って龍樹菩薩という霊的天才が現れて、神通力によって「創造の本源世界(うみのそこ)」なる竜宮に渡って『華厳経』を読破し、その簡略本を地球上へ持ち上がって来た。それが、今地球に伝わっているところの『華厳経』であると、こういうことになっているんです。


三十一日の法語  華厳経の描いた大宇宙の霊的構造

その『華厳経』はどういうことが書いてあるかというと、この大宇宙の霊的構造が書いてある。すなわち、宇宙の中心座にベローシャナ仏、毘盧遮那如来、盧舎那仏、大日如来、天照大御神、その具体的、人格的、顕現として天皇が中心にまします、こういう霊的構造の世界がこの宇宙であり、この霊的構造は毘盧遮那如来が「正法を演説し給うた」そのコトバの展開として出現した世界であるから、「金剛の厚地にして永遠に破壊(はえ)されない実相」である。それは、“常”の世界であって、無常の世界ではない。それはイエス・キリストが「主の祈り」に於いて「神意(みこころ)の天に成れる世界」と説いた世界であり、従って“苦”の世界でなくて天国的“楽”の世界であり、それは“神意(みこころ)”という“大我”が中心にまします“浄”の世界である。すなわち“常楽我浄”の金波羅華の実相世界を釈尊は成道の最初の説法に於いてお説きになったが、その真理は時期尚早として秘められていたのでありますが、今や時節到来、この荘厳なる宇宙構造が開示されんとしつつあるのであります。

【この法語は9月号に続くことになっていますが、9月号を所持していないためここで終わらせて頂きます。】

779SAKURA:2012/06/02(土) 12:59:14 ID:pTRr5CN6
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

ロ−マ字の【SAKURA】です。
此処しばらくかなりの睡眠不足です。若い時は何ともないぐらい〜〜〜
回復力が〜〜〜昨日は特に!きつかったのですが〜〜「雅春先生の言葉」は神なりと、
思うぐらい自然に、体力回復してきました〜〜〜が!
さて!「今日の言葉」は???ぺ〜〜ジを開きます。

■【幸福を招く365章】
――――真理は実践しなければならぬ―――――

「人間本来完全」の真理を教えられて知ったならば、如何なる問題でも起こって
来たときに、その問題が、自分の問題であろうと、家族の問題であろうと、
友人の問題であろうと、どんな小さな問題であろうと、大きな問題であろうと、
「あの人は完全だ、善い人だ、不親切な人ではない」と云う風に、相手の心の
うちで拝んで、その実相の完全さを常に念ずるようにすることです。
そうすると念じた通りにその完全さがあらわれて来るのです。先ず小さな問題から
始めることです。そしてその効果を体験することによって、自信を増し、更に段々
ほかの大きな問題を念ずるようにするのも好い方法である。併し、最初から
「世界平和」を念ずるようにすることは、結果はすぐあらわれないでも自己の魂の
向上にだけでなく健康増進のためにも大いに役にたつのである。
                           (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私も、現在「大きな問題」を抱えています…。「祈る!」時は、やはり【実相礼拝】
「大きな問題」がありますから、そこから順次かたずけて行くより〜〜><
出来る事から〜始めましょう〜〜〜!そうした方がいいです〜〜〜ョネ!

今回!あちらの集団の方々?には、ほとほと〜〜><あきれるばかりなのですが…?
今回「葉書問題…」が、発生!!!【緊急事態!!】

実は私の“住所”を勝手に使用して、“第一教区の練成とか?”…><
いろんな“行事”に“参加”していたのでしょうか??
今回!教区からの“案内はがき”の名前が……
私の姓ではなく?別の人の姓?です…。何度も〜何度も〜舞い込んで来ていまして、
その度に、TELしていましたが…

今回!変!と思うようになり、これが【外部の動き?】でしょうか…
今回!或る突っ込みで分かり、これは“ダイレクト葉書”をかなり悪用している事が、
分かりました…。更に?ある時は、名前の方を使い…
今回幾ら【正義…】と言っても、これは行きすぎではな〜〜い?と思います。

■…でしょうか??
更に!【真理…】は、いつも一方通行で“セット期間が、ゼロに近い…ブル−カラ−”    
教区の友人は、今の総裁先生で“十分”と言っていますし、
“心”がフラ〜フラ〜何処に行っても「向こうの方々」は、同じ繰り返しで〜ショ!
先ずは「良い種」を…
今回は「現総裁先生…」勇気を持っての“行動”…その様に思います。
信者は、“ブログ”etc拝読しながら、総裁先生の人格を 認め出しておりますし、
「種を蒔く」これからの「芽が発芽」致しますまでは、気〜〜長に行こうと思います。

■【心の法則】ですから、心が念じた通りになるのが、今の「現象世界」なのです。
更に!今「芽…」が現実として現れなくとも、何か別の形で出ているのでは?と
思います。
今回!此処至り【真理の勉強】が、前以上に“進歩”しています。

今の私には、とるにたらない“エッセンス”と、言える位…
【真理=>心の中はクリスタル?】なのです…。
とても“自由自在”なのでしょうか……?今のままでは……?

例え!!「小さき生長の家」として「現象=現実世界」に投影されても、
そこに集まる【集団…人!・人!】で、助け合っていこうと思います…。
更に!私もTYOに,戻れば…【私の本格的活動のペ―ジ】の始まりでもありますネ!
                             再合掌

トキ様 へ
【真理…】本当に“行”じなければ、「から念仏」と同じ事ですョ〜〜ネ!
昨日は“小さき愛行”を、させて頂きました…。「ノ―ミ−ト運動」実践!
少しは理解して頂いたものと思いますが…!これも【環境問題…】に入りますモノ!
本日の言葉…【真理=実践】どのように受け止められていらっしゃいますでしょうか?

780SAKURA:2012/06/02(土) 22:24:43 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…ロ−マ字の【SAKURA】です…。
毎日“パソコン”を打ち込んでいますと、やはり良いです〜〜ネ!
“スル―”して流すより、私の考えの根本は“ず〜〜〜と価値”もあり、
更にKEY ボ−ドを打つことで【真理】が身につきますので…
【SAKURA】は、がんばって“パソコン…”と“にらめっこ”です?
今から…“祈り”ま〜〜す。…“スタ―ト”

■【幸福を招く365章】
―――――人から誤解された場合――――――(谷口雅春著)

他人から誤解されたからと云って失望してはならない。自分も多くの人々の美点
の総てを見ることに失敗し、時々誤解によって人々を悪しざまに思ったことが
あるからである。肉体の人間は視野が狭いから時々観察を誤るものであると云うこと
を知って、誤解した人を宥さねばならない。又どんなに偉い人でも、釈迦でも、
キリストでも、親鸞でも、日蓮でも、誤解されてその時代に容れられなかった時が
あるのだと云うことを知って、自分が受けた批難くらいは何でもないことだ、
と心から捨ててしまうことが必要である。そして「すべての人は神の子であるから、
互いに愛し合い理解し合っていて誤解し合っている人は一人もない」と
実相調和の有様を心に描くことがひつようである。


■今日は“各提示版”でも、いろんな事?が、発生しています〰〜ョネ!
不思議なのです〜〜ョネ!本当に…“本…”を開きますと?
神様の“メッセ−ジ”が、私の「心の修行」でしょうか…?
『ピッタリ〜〜”心“にフィット!』です〜〜〜ネ!

他人はそれぞれ“捉え方”が違いまし、“能力・知識・思想・理念…etc”も〜〜><
違いますでしょ〜〜!若い時は、人は誰も同じ様な気持ちに、必ず!
なれると信じていました…。

■これが若さの“甘さ”でしたのでしょうか?過去最大の“失敗”!!!!!

私の「聴覚喪失」も失なったわけです〜〜〜ョネ!
此の様に「誤解」は、いつもつきもの?なのですが…?
「今日の雅春先生の言葉」から、相手を悪く見る“好悪観”が【100%の場合】は、
人間は“念の波動”があります。ですから…いやな観念が相手に【伝染】します。

良い意味でならば、いいのでしょうが…><悪い“念の波動”は、早いのです〜〜ョネ!
なので「祈り」に、私の波動を調整して、前に行ってる処なのですが…?
今回は“楽しんでいました〜♫”から〜〜〜“いやみな文章”でも…
相手の“レベル…”を見ながらでしたが…

更に!貴方に云ってます〜〜ョと、深切に教えてくれる人も…いらっしゃいまして
複雑な気分でした。世の中不思議〜まか不思議〜〜☆異国のひびきにて不思議〜〜☆
色々な「考え・捉え方」を、改めて勉強させて頂きました…。

■……此処で“ブレイク”しますが…?
【赦す…】を、「雅春先生」は…【宥す事…】此の“漢字”を使われています…。
【宥…の意味】は????果たしてどの様な“感情・感覚”なのでしょうか?

■なだめる===>軽く受け流すこと!中国の方が“まぁ〜〜まぁ〜〜”と、
云いますでしょ・・・!つまり!
脳に入れ込まない==>潜在意識に受け入れない……此の様に考えますと…
【人間性=信仰=祈り(イメ−ジ・トレ−ニング)実相調和の世界観】です〜〜ネ!

今!今!私も〜〜〜“心をオ−プン”に!モット〜モット〜広げて行きます…?
私も“モット〜〜かる〜〜い感覚”で理解出来るようにと、思っていますが…?
今日の先生の“言葉”より更に!【心でつくる世界…総てをつくる】のですネ!

■「われは好悪を捨て 私心を去り 我の判断を捨て 心を空しくして 
神の叡智に一体ならんことを期す 神の叡智我に流れ入り給いて 
御心の如く導き給うのである」 今日も“祈り”に徹します。
                             再合掌

PS:トキ様へ…【前回・今回の“雅春先生の言葉“】先生の“漢字・カナ遣い”
つまり!日本語の素晴らしさ!思います。反面「英訳」の難しさ?…><
此の点は、如何お考えでしょうか???

781金木犀:2012/06/03(日) 00:57:22 ID:j28jHRaM
『生長の家』誌昭和52年8月号より
実相研鑽会「生命の進軍」から
諸田浩幸講師(武蔵野市・地方講師)の体験談

有難うございます。私は東京第二教区、武蔵野市吉祥寺の駅前で診療所を開設いたしておりますが、今日私がこの座に立たして頂けるのも、生長の家あればこそでございます。この御教え無かりせば、私の今日は無いのです。

と申しますのは、私は肺癌という業病にとりつかれ、もう十年以上も昔のことになりますが、尊敬する医学の恩師沖中博士から、「君はもうあと一ヶ月保たないねえ」と宣告されたのでした。そう言われた時には、正直申しまして、目の前が真暗になる思いがしました。生長の家の真理を説かして頂いている立場でありながら、何とみじめなことであろうと、本当にそう思いました。

けれども皆さん、信仰は有難いものでございまして、沖中先生からそう言われたけれども、一瞬目の前が暗くはなりましたが、“ああ、天下の大家と言われる先生から、これほどハッキリ太鼓判をおされて、本当に有難うございます。これ以上何も申すことはございません”と思わず合掌させてもらいました。

吾にまだ使命あるなら

さあ、そうなると、あと三十日、私もまだまだやり残したこと、お約束させてもらっておることなど、山ほどございます。
「先生、今日はこのまま入院治療させて頂くわけにはいかないのですが、まことに申し訳ありませんがこのまま帰していただけますでしょうか」
と、御無理をお願いして帰らせてもらいました。そして車にとび乗り、約束の時間に間に合うべく急いで講演会場に駆けつけました。当時、医学講演会、そして生長の家の地方講師としての活動も熱心にやっておりましたので会場に駆けつけさせて頂き、三時間、四時間という長講の講演を致しまして、しかし皆さん、これが心の法則ですが、そういう長い講演を済ませて帰る途中で車の中で、大量の喀血を致したのでございます。“神よ吾にまだ使命あるならば、御心の如くならしめ給え、私の全てはあなたに捧げます。お托(まか)せ致します”と言って、それは命がけで祈りました。本当に真剣に祈らせてもらいました。

その後も各所からの講演の要請があり色々なところへ出向かせて頂き、その途次、高崎市の観音山の白衣観音のあの胴体の中を登り、頭部のところに座しまして、神想観を行じました。真剣に行じておりますと、“お前は肉体ではないのだ!!”現象は無いのだ!!実相そ’の’も’の’がお前ではないのか!!と、内なる神の声の激励を受けたのです。そしてその真理が深く自覚できたのでした。見るものきくものすべてが御光であり、神の祝福であり、唯々、触れるもの感ずるものが皆有難く、感謝感謝の気持がむくむくと起こって参りました。

すると、過去におきまして、事業を経営しておりました時に、二十一億数千万円という大損害を与えられた、部下であるところの私の会社の重役が浮かんで来ました。二十一億数千万円という、大きなどえらい穴をあけられて、そのために私は家屋敷まで売り払い、すべての損害の穴うめをしたのでしたが、そんなものも現象であり、実相(ほんとう)の姿ではなかったのだということを悟らして頂いたのです。今まで恨み、怒り、不愉快な思いをしていたその気持ちが、いっぺんに晴れやかな爽やかな素晴らしい気持ちにならせて頂いたのでございます。これ即ちみんな神の御教えのお陰でございまして、本当にこの気持にならせて頂いたお陰をもって、病気は一昼にして忽然と吹き飛んでしまいました。(拍手)
(つづく)

782金木犀:2012/06/03(日) 00:58:15 ID:j28jHRaM
(つづき)
『光』一元の世界観

さて、本日頂いておりますお題は、“いのちの進軍”でございます。『生命の實相』第十一巻の八頁から九頁にわたって、こうお示し頂いております。
『神が天地を造り給うには材料にも手段にも別に物質というものをお使いにはならなかったのであって、霊を実質とし、また霊を創造(つく)る力とせられたのであります。物質というものは本来定形(かたち)のないものであります。それは本来空(むな)しきものである。空である。それは積極的な存在ではない。それは光を非在にした状態である。光が無゜い゜ということの別名が暗゜黒゜であるということであって、暗黒(やみ)そのものには積極的に実在を主張する力はないのであります。それはただ受身的に消極的に存在するのであります。此処にはその消極的原理を「淵(わだ)」とか「水」とかの言葉で言いあらわしてあります。霊感によりますと、人生とは暗゜の中を厳(おごそ)かに進軍して行く光であるとも、「死」の中を進軍して行く「生命」であるとも教えられております。「神の霊、水の面を覆う」というのは、「水」を以て表した「消極的存在」即ち「無」「仮相」「暗」「死」「無明(まよい)」の中を「積極(プラス)的存在」たる「神の霊」即ち「有」「実在」「光」「生命」「智慧」が、厳かに圧倒的勢いをもって進軍して行くことを言ったのであります。ここに是非とも注意しなければならないのは「無」と「有」との対立、「仮相」と「実相」との対立、「暗」と「光」との対立、「死」と「生命」との対立、「無明」と「智慧」との対立は本当の対立ではなく、これを対立と考えるのは人間の「思考の形式」の誤りであるということであります。「無」と「有」と対立すると言いましても、一方は無゜い゜のでありますから、対立のしようがない訳で、本当は「有゜」の独在――「有゜」の絶対的存在――であります。それと同じように「暗黒(やみ)」も「死」も「無明」も、光が無゜い゜、生命が無゜い゜、自覚(さとり)が無゜い゜というふうに“nothingness”の別名にすぎないのでありますから、この世にありとしあらゆるものは、すべて「光明」であり「生命」であり、「智慧」であるのであって、その反対のものは、どんなにあるように見えても本当は”nothingness”(絶無)なのであります。だから「無゜」の゜中゜に゜「有゜」を゜肯゜定゜す゜る゜の゜は゜な゜ん゜で゜も゜な゜い゜。それは「一人角力(ずもう)」をすれば必ず勝つというのと同じで、神が、ただ、「光あれ」と言い給うだけで、「光」は既に「暗」を征服したのであります。』

かくの如く、尊師谷口雅春先生はお説き下さっているわけでございます。

この真理の実証は、私自身、あと一ヶ月保たないと宣告された肺癌が、忽然と消え去った体験でも明らかなわけですが、もう一つ、あるレプラ(癩病)患者についての体験をお話させて頂きたいと思います。(つづく)

783金木犀:2012/06/03(日) 01:00:16 ID:j28jHRaM
(つづき)
鍵のかかった部屋で

私はある収容所に参りました。この患者さんは、レプラ患者の中でも特に重症で、特別隔離室に鍵をかけて収容されております。その部屋に、鍵をあけて頂いて入らせて頂きました。八年の長い間この患者さんは、親兄弟、親戚すべての人の訪問なく、手紙一通さえ来ることなく、あらゆるものを呪い、恨み、“自分が好きでこんな病気になったのではない。この世の中に神も仏もあるのか”といった暗い悲しい気持ちで暮らしていました。当時、米軍から支給された野戦用の鉄のベッドの上に粗末な毛布をただ一枚敷いただけで、その上に横たわり、本当に、全身の関節という関節は皆曲がり歪んで皮膚は破れて、膿み爛れて、まったくこれ悲惨な状態でございました。

さすがの私も、この姿を見まして、“ああ、地獄というものがあるならばこれが本当の地獄ではないのか”と思いました。私は、その人の名前を呼びまして「○○さん、今日は。今日私がここにお伺いしましたのは、あなたと仲良くしてお話合いがしたいので来たのです」そう言いまして、思わずベッドのそばに近より両手をとりますと、本人はビックリ致しまして、「何をするんだ!!出ていってくれ!!」と怒鳴られました。それも無理からぬことです。八年もの長い間、誰一人として訪なう人のないこの部屋に、突然入って行ったのですから。
「俺は、親も兄弟も、誰一人として来てくれない、手紙一通もくれないのにその俺に、見たことも会ったこともないあんたのような人が、何のために来たのか!!」

そう言って、形相も凄く私の顔を睨みつけておりました。
「○○さん、あなたは八年という長い間どなたが会いに来なくとも、今、あなたの目の前に私が会いに来ておるではありませんか」

と申しますと、じっと私の顔を見つめていらっしゃいました。私は、また、しばらくしてから静かに両手をとって、体を引き寄せ肩を抱いて、耳もとで、

「○○さん、あんたと私とは今日只今から兄弟ですよ。私の方が年上のようだから兄貴、あんたは弟。今から仲の良い兄弟ですよ。兄貴の言うことだから、弟はきいてくれるね……」と、静かに言いました。そして、この素晴らしい生長の家の真理を懇懇と話させて頂きました。聴いているうちにその人は身を震わせておりましたが、たまりかねて、声を出して泣き出してしまわれました。「先生、有難う、有難う」と言って、私にしがみついて来られました。「ああ、よかったね。有難うを言うのは私の方だよ」と、私もともに涙にくれました。

「ああ、よかった。よかった。これでよかったね」
と言って、その日は『甘露の法雨』を一冊置きまして、「そのうちに又来るからね」と言って帰らせてもらいました。(つづく)

784金木犀:2012/06/03(日) 01:01:36 ID:j28jHRaM
(つづき)
素晴らしい聖使命菩薩に

そして三日後の朝、私は癩療養所から連絡を受けました。この御本人が、その朝突然に立ち上がられたという御連絡でございました。(拍手)まったく、八年間も、動くことも、立つこと坐ることさえも出来なかったこの重症患者が、三日目の朝に、皆さん、立ったのです。

これは、医者の業では出来るものではないのです。神あればこそのことでございました。生長の家のこの素晴らしい御教えあればこそ、谷口先生居られればこそでございます。(拍手)まことに有難いことでございます。

この本人が、一ヶ月足らずのうちに療養所内の専門医の診断を受け、無事に、有難くも、全快全治の認定を受けまして、外出証を発行して頂き、八十キロあまりもある私の自宅まで、わざわざ、不自由な身体を運ばれて面会に来てくれました。(拍手)

本当に素晴らしいことだと思うのでございます。
 
その後一ヶ月足らずのうちに、この人、本当に全快して、今日なお所内に踏みとどまりまして、療養所内の患者の指導に当っておられます。生長の家の幹部として、聖使命菩薩の行を、今日もなおひたすらに励んでおられるのでございます。

皆さん、かくも素晴らしい聖使命菩薩がおられるのです。本当に有難く、頭の下がる思いが致します。
有難うございます。
私たちは、これほどまでの生命の尊さを知るとき、この生命の素晴らしさをお説き下さる御教えを、一人でも多くの人にお伝えしなければと思います。神誌拡大の弾丸を雨ふらし、進軍ラッパも勇ましく、堂々の“いのちの進軍”を続けて行こうではありませんか。
有難うございます。           (拍手)
(終わり)

785真に生長を導く者:2012/06/03(日) 03:24:16 ID:KdhUxVl.
なんか㊦↓の>>28に犯行予告している奴がいるぞ

【裁判】 「興奮とストレスで歯止めが利かなかった」 強制わいせつ致傷公判で元京都府警巡査(28)、起訴内容認め結審…大津地裁 
ttp://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1338533270/l50

786a hope:2012/06/03(日) 08:21:46 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

困難な仕事ほど面白い


人生の経験はちょうどオリンピック大会のようなものでありまして、
いろいろの障害物や困難があるのでおもしろいのであります。
水の中を泳いでみたり、高跳をしたり、何かそこに唯の平地を歩く以上の障害物があるで
力を入れて熱心にやるだけの値打ちがあるのであります。

だから皆さんは難しい仕事や、難しい勉強や、困難な境遇に置かれる毎(ごと)に常に
オリンピック大会に出ている選手みたいな必算(つもり)で、
その時間、その境遇にできるだけ全ての経験をえさせていただきましょう、
と喜んでその境遇、仕事、学科、時間を生きてゆきますと、
どんな時でも喜ばれる、事柄が難しければ難しいほど喜ばれるはずであります。

事柄が難しいほど私達はそれに対して真剣になります。
又それから得られる教訓も、経験も多いという事になります。
困難な事柄がどんなに起こってきましても、それが皆拝めるようになりましたら、
そこから不平というものが一切なくなる、
総(あら)ゆる難しい境遇は、私達の心を富(と)まし、
私達の心に栄養を与える良い機会だ、ああありがたいという事になるのであります。

(つづく)

787SAKURA:2012/06/03(日) 12:47:01 ID:N28agCuQ
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは・・・ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。
“天使の声”が、鳴り響いています〜〜♫〜〜
昨日から“キン〜〜コン〜〜カン〜〜♫”と“教会の鐘”が〜〜〜
まるで「生長の家の扉…」??そうなのです!!
私たちの「聖典板」此処に集まれる“言葉”すべて【天使の狂想曲…】を、
鳴り響きませましょう〜〜〜♫〜
さて!今日の言葉〜〜〜〜♫〜〜〜“導き下さいませ〜〜☆”

■【幸福を招く365章】
――――真理は実践しなければならぬ―――――

「人間本来完全」の真理を教えられて知ったならば、如何なる問題でも起こって
来たときに、その問題が、自分の問題であろうと、家族の問題であろうと、
友人の問題であろうと、どんな小さな問題であろうと、大きな問題であろうと、
「あの人は完全だ、善い人だ、不親切な人ではない」と云う風に、相手の心の
うちで拝んで、その実相の完全さを常に念ずるようにすることです。
そうすると念じた通りにその完全さがあらわれて来るのです。先ず小さな問題から
始めることです。そしてその効果を体験することによって、自信を増し、更に段々
ほかの大きな問題を念ずるようにするのも好い方法である。併し、最初から
「世界平和」を念ずるようにすることは、結果はすぐあらわれないでも自己の魂の
向上にだけでなく健康増進のためにも大いに役にたつのである。
                           (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私も、現在「大きな問題」を抱えています…。「祈る!」時は、やはり【実相礼拝】
「大きな問題」がありますから、そこから順次かたずけて行くより〜〜><
出来る事から〜始めましょう〜〜〜!そうした方がいいです〜〜〜ョネ!

今回!あちらの集団の方々?には、ほとほと〜〜><あきれるばかりなのですが…?
今回「葉書問題…」が、発生!!!【緊急事態!!】

実は私の“住所”を勝手に使用して、“第一教区の練成とか?”…><
いろんな“行事”に“参加”していたのでしょうか??
今回!教区からの“案内はがき”の名前が……
私の姓ではなく?別の人の姓?です…。何度も〜何度も〜舞い込んで来ていまして、
その度に、TELしていましたが…

今回!変!と思うようになり、これが【外部の動き?】でしょうか…
今回!或る突っ込みで分かり、これは“ダイレクト葉書”をかなり悪用している事が、
分かりました…。更に?ある時は、名前の方を使い…
今回幾ら【正義…】と言っても、これは行きすぎではな〜〜い?と思います。

■…でしょうか??
更に!【真理…】は、いつも一方通行で“セット期間が、ゼロに近い…ブル−カラ−”    
教区の友人は、今の総裁先生で“十分”と言っていますし、
“心”がフラ〜フラ〜何処に行っても「向こうの方々」は、同じ繰り返しで〜ショ!
先ずは「良い種」を…
今回は「現総裁先生…」勇気を持っての“行動”…その様に思います。
信者は、“ブログ”etc拝読しながら、総裁先生の人格を 認め出しておりますし、
「種を蒔く」これからの「芽が発芽」致しますまでは、気〜〜長に行こうと思います。

■【心の法則】ですから、心が念じた通りになるのが、今の「現象世界」なのです。
更に!今「芽…」が現実として現れなくとも、何か別の形で出ているのでは?と
思います。今回!此処至り【真理の勉強】が、前以上に“進歩”しています。

今の私には、とるにたらない“エッセンス”と、言える位…
【真理=>心の中はクリスタル?】なのです…。
とても“自由自在”なのでしょうか……?今のままでは……?

例え!!「小さき生長の家」として「現象=現実世界」に投影されても、
そこに集まる【集団…人!・人!】で、助け合っていこうと思います…。
更に!私もTYOに,戻れば…【私の本格的活動のペ―ジ】の始まりでもありますネ!
                             再合掌

トキ様 へ
【真理…】本当に“行”じなければ、「から念仏」と同じ事ですョ〜〜ネ!
昨日は“小さき愛行”を、させて頂きました…。「ノ―ミ−ト運動」実践!
少しは理解して頂いたものと思いますが…!これも【環境問題…】に入りますモノ!
本日の言葉…【真理=実践】どのように受け止められていらっしゃいますでしょうか?

788SAKURA:2012/06/03(日) 13:04:13 ID:N28agCuQ
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんにちは…… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。
どうしたら?・・・「真理の道」に・・・「大道部門のロ−ド」・・・?と
皆様も、そう思っていられるのではないのでしょうか!!!
答えは“簡単”なのです〜〜〜ョ〜〜〜
毎日「聖典を読む!」理解できなければ?何度も読むこれだけでしょうか???
しいて言えば・・・毎日のごはん作りをちゃんとしますでしょ〜
日々読む・理解しようとする心…此処からが出発点なのですモノ〜〜♫〜〜

■【幸福を招く365章】
―――――人から誤解された場合――――――(谷口雅春著)

他人から誤解されたからと云って失望してはならない。自分も多くの人々の美点
の総てを見ることに失敗し、時々誤解によって人々を悪しざまに思ったことが
あるからである。肉体の人間は視野が狭いから時々観察を誤るものであると云うこと
を知って、誤解した人を宥さねばならない。又どんなに偉い人でも、釈迦でも、
キリストでも、親鸞でも、日蓮でも、誤解されてその時代に容れられなかった時が
あるのだと云うことを知って、自分が受けた批難くらいは何でもないことだ、
と心から捨ててしまうことが必要である。そして「すべての人は神の子であるから、
互いに愛し合い理解し合っていて誤解し合っている人は一人もない」と
実相調和の有様を心に描くことがひつようである。


■今日は“各提示版”でも、いろんな事?が、発生しています〰〜ョネ!
不思議なのです〜〜ョネ!本当に…“本…”を開きますと?
神様の“メッセ−ジ”が、私の「心の修行」でしょうか…?
『ピッタリ〜〜”心“にフィット!』です〜〜〜ネ!

他人はそれぞれ“捉え方”が違いまし、“能力・知識・思想・理念…etc”も〜〜><
違いますでしょ〜〜!若い時は、人は誰も同じ様な気持ちに、必ず!
なれると信じていました…。

■これが若さの“甘さ”でしたのでしょうか?過去最大の“失敗”!!!!!

私の「聴覚喪失」も失なったわけです〜〜〜ョネ!
此の様に「誤解」は、いつもつきもの?なのですが…?
「今日の雅春先生の言葉」から、相手を悪く見る“好悪観”が【100%の場合】は、
人間は“念の波動”があります。ですから…いやな観念が相手に【伝染】します。

良い意味でならば、いいのでしょうが…><悪い“念の波動”は、早いのです〜〜ョネ!
なので「祈り」に、私の波動を調整して、前に行ってる処なのですが…?
今回は“楽しんでいました〜♫”から〜〜〜“いやみな文章”でも…
相手の“レベル…”を見ながらでしたが…

更に!貴方に云ってます〜〜ョと、深切に教えてくれる人も…いらっしゃいまして
複雑な気分でした。世の中不思議〜まか不思議〜〜☆異国のひびきにて不思議〜〜☆
色々な「考え・捉え方」を、改めて勉強させて頂きました…。

■……此処で“ブレイク”しますが…?
【赦す…】を、「雅春先生」は…【宥す事…】此の“漢字”を使われています…。
【宥…の意味】は????果たしてどの様な“感情・感覚”なのでしょうか?

■なだめる===>軽く受け流すこと!中国の方が“まぁ〜〜まぁ〜〜”と、
云いますでしょ・・・!つまり!
脳に入れ込まない==>潜在意識に受け入れない……此の様に考えますと…
【人間性=信仰=祈り(イメ−ジ・トレ−ニング)実相調和の世界観】です〜〜ネ!

今!今!私も〜〜〜“心をオ−プン”に!モット〜モット〜広げて行きます…?
私も“モット〜〜かる〜〜い感覚”で理解出来るようにと、思っていますが…?
今日の先生の“言葉”より更に!【心でつくる世界…総てをつくる】のですネ!

■「われは好悪を捨て 私心を去り 我の判断を捨て 心を空しくして 
神の叡智に一体ならんことを期す 神の叡智我に流れ入り給いて 
御心の如く導き給うのである」 今日も“祈り”に徹します。
                             再合掌

PS:トキ様へ…【前回・今回の“雅春先生の言葉“】先生の“漢字・カナ遣い”
つまり!日本語の素晴らしさ!思います。反面「英訳」の難しさ?…><
此の点は、如何お考えでしょうか???

789ハマナス:2012/06/03(日) 19:20:23 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
ありがとうございます。

人間は進歩と向上あるのみ  (『新版 生活の智慧365章』P.170)

 変化を悦びと見ないで、過去の栄えと今の衰退とを比較して歎く者は憐れなるかな。
また過去にありし労苦を反芻(はんすう)して、持越し苦労を続ける者も愚かなるかな。
植物に春夏秋冬の変化があるが如く、人生にも春夏秋冬があるのである。冬が来て外に
目立って伸びない時に植物は年齢の間隔をせばめて堅緻な材質をつくるが如く、人間も
艱難で鍛えられて堅実なる人格と不撓(ふとう)の意志とが養成せられるのである。
未来の変化を想像して取越苦労をする者は、神の此の世を“変化の芸術”とした摂理と
慈悲とを知らないものである。未来は悉く現在よりも、内容的に豊かにして責める者と
なることは間違いないのである。

 年老いれば、外から見れば、形容枯槁し、その姿に老醜をあらわすと雖(いえど)も、
それは蚕が脱皮するに先立ちて、その皮膚の色変化し醜くなるのと同じことであって、
も早役に立たぬ外皮を脱ぐ準備をしつつあるに過ぎない。吾れら更に脱皮して霊界に
天翔けらん。人間の生命には、ただ進歩あるのみ、向上あるのみである。

感謝合掌

790a hope:2012/06/04(月) 07:46:01 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

なぜ人間は仕事を嫌うか


人間は妙な習慣がありませして、どういうものか仕事をする事を嫌う人が多いのであります。
仕事をしたら損だという間違った観念がどうして起こったかは知りませんが、
恐らく仕事というものは強制させる事から、その反動的に起こってきたものであろうと思います。

仕事が嫌になるのは、人から強制されたと思うからで、
人間の生命というものは自由というものを求めておりますから、
自由に反して、これからお前は金で雇ってあるから働けというように縛られた気持ちになると、
どうも仕事をするのが面白くなくなるのであります。

しかし、働いてお金を貰うからとて、お金に縛られて強制せれるのだなどとは考えないで、
ただ仕事そのものを考えて、それを熱心にやる、あるいはこれは自分が神様から授かった尊い仕事である、
これで自分の生命(いのち)を伸ばしていただくありがたい勉強であると考えれば、
どんな仕事も、縛られたというような不快な感じなしに喜んでやれるようになるのであります。

勉強という言葉は、「努め強(し)いる」と書いてありますから、
勉強というだけでも嫌いな人がありますが、それを勉強だと考えずに、
自分の生命の伸びる唯一の機会であると喜ぶようにすることが肝腎であります。

「神は今に至るも働き給う」と聖書に書いてありますが、
私達は神の子ですから働きが神の子の使命であり、
働きが神の子の本然(もくぜん)であります。

働かなければ神の子の生命は伸びないと分かったら、
自分の生きる道は働くしかないという事になるわけであります。
言い換えると、仕事をする事その事が自分を伸ばす仕事であって楽しいと思うようにならなければ、
人間は本当に発達するものではないのであります。

(つづく)

791SAKURA:2012/06/04(月) 21:23:53 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

昨日は“オフ・タイム”でした…。久しぶりに“公園周辺”を〜♫〜“ペット”と?
更に「現総裁雅宣先生の観自在菩薩」のシリ−ズ第4回まですが…><
第3回まで拝読させて頂きまして…
■何と!!!【法則・法則…?此の言葉“心”に残り…やはり!
ゆっくり読み直しますと、その中には「雅春先生の真理」が〜〜
受け継いでいます〜〜〜ョネ〜〜〜!では今日も【SAKURA流】 でゴ−!!

■【幸福を招く365章】
======心の窓を閉じて自分を護ること======

外に寒い風が吹きすさんだり、あまり外に埃が立つときに諸君は窓をしめて、
その風が吹きこまないようにするであろう。それならば、誰かが貴方の心の中に
激情の嵐を吹き込ませたり、怒り憎しみや悪口雑言の埃を吹き込ませたりするときに
何故あなたは自分の心の窓をひらいていて、その嵐で自分の心の中をさわがせたり、
吹込んで来る怒りや憎しみの埃だらけの心にしてしまうのであろうか。
人が誰かの悪口を云うときには自分の心の窓を閉じよ。人が汝を悪しざまに
云うときには自分の心の窓を閉じよ。人が病気の話をするときには
自分の心の窓を閉じよ。           (谷口雅春著)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

今日の“言葉…”は本当に思います…。
「学ぶ会」・「ときみつる会」・「靖国会」…etcの皆様…
この「三者の会…の皆様」……
「現総裁雅宣先生」への“批難”・“中傷”は、すごい〜〜〜ですネ!
いつも〜〜いつも〜〜“批難”集中型です…。
しかも!【悪口・憎怨・悪念集団…】の様に見えまして、
このような時は、本当に!私でも“心の窓”を閉じる事でしょう〜〜!!

しかも「ネット世界」此の事が…【世界中に配信…】されていますとしたならば、
本来の「生長の家」の理念であります…【言葉=言霊=美点】如何なものでしょう?

■“いやな言葉”は……!!!!!
【言 わ ざ る!聞 か ざ る!・見 ざ る!】でしょうか…?

でも!「心の窓」を閉じて、冷静に物事を、見直す事も大事でしょうかしら〜〜ン?
私も、もう少しで?去年は事の成り行きの判断が、分からないままに?
冷静に判断出来ず、のせられそうにもなりましたが〜〜〜???

■【人間関係=コミュニケ−ション】の中で、必要な事です〜〜ネ!
【のせられない様に〜〜〜><】
それには【神と一体】となる事が、不可欠なる条件です〜〜ネ!
今日から、気をつけて“心の窓”を閉じて…私なりの【運動展開】を!!!

                               再合掌

PS:トキ様へ
今日の言葉…【自分の心の窓を閉じよ〜♫〜】この様な状況に、至られました事?
ございますでしょうか…?
今回の「お家騒動」此の事は。。。信者に取りまして当に!冷静に判断する為には、
必要な事と痛感していますが…?【心の窓を閉じよ〜〜】
あくまでも【人類!!信者!!】人々への救済…此の認識を持っての、
【裁判…地裁・高裁…】への行動でしたのでしょうか???
当初は社会事業団からの申し入れとか??お聞きしましたが??
非常に【憤り…】を感じます次第ですが…?

792愛国掲示板より転載:2012/06/04(月) 22:08:15 ID:eWw166D.

>≪衝撃ニュース≫4月に1万人近くの会員が退会した!! 投稿者:情報通V


 ≪衝撃ニュース≫4月:生長の家聖使命会員が、
            月間1万人近くが退会した!!

   生長の家・・・・・・戦後最大級の退会記録。

   原因は、
  「4月1日発表の大自然賛歌」に信徒「激昂!!!!」。

   谷口雅春先生の「聖域」を犯した3代目に怒り爆発・・。

   最大退会教区は、東京第一教区。2000人集団退会。

   愛知。岡山。
   神奈川。兵庫。高知。300人〜400人以上集団退会。

   宮城、広島、埼玉、熊本、京都第一、宮崎、福岡、
   島根、三重、札幌、他・・集団退会100人〜200人以上

   たった、1か月で1万人近く退会したということです。

   雅宣氏は、懲りずに
   5月28日には「観世音菩薩賛歌」を発表。

   今のペースでも「年間10万人退会」のペースだが、
   もしかするとこれで、加速すること必至。

   (最近まで国内70万信徒であったが・・)
    このままでは、50万信徒が、
    来年春までには10万人くらいまでに
    減るのでは・・。

   そうなると、広大な敷地を維持できなくなるのは必至。
   ここ、2〜3年がリミットだろう。

   まさかの経済破綻である。

793ハマナス:2012/06/05(火) 00:17:17 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。遅くなりました。

無限の力は肉体の内にはない  (『新版 生活の智慧365章』P.171)

 吾々は自分の持っていない力をあらわすことはできない、と同時に自分の持っている力でも、
それを自覚しない時にはそれを自由に使うことはできないのである。他の人の持っている金を
自分が自由に使うことができないのと同様、その力を他の人がもっているのでは自分の自由に
ならないのである。自分の“内”に“無限の力”が宿っていると自覚することができる者のみが
その力を自由に使うことが出来るのである。その自己内在の“無限の力”を自覚するには、自分
自身を単なる肉体だと思う観念(かんがえ)を打ち破らなければならないのである。

有限矮小なる一個の肉塊、かくの如きものの内に、何ぞ“無限の力”が内在する道理があろうや。
そこで肉体を単なる人間の外皮と見、人間の実相が、虚空に満つる霊体であり、神の生命につな
がる者、神と一体であるとの自覚を得なければ“無限の力”が自己の内に内在するということは
到底自覚することはできないのである。

感謝合掌

794a hope:2012/06/05(火) 07:19:37 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

仕事するほど健康になる


私は自分の事をいうのは気がひけますが、私などは朝起きると寝るまで
常に働いて休暇というものは一年中一日もないのであります。
夏休みというものもありませんけれども、仕事そのものが楽しいのですから、
仕事の中に休暇があるのです。

私達の心臓だって一日も一時間も休暇した事はない。
心臓が休暇をとったら人間は死んでしまう。
心臓が休憩してくれないからこそ、私達は夜寝ていても生きている。
心臓がいつも働く事によって私達は健康を保っているのであります。

ところが世間には、吾々が働き過ぎるから神経衰弱を起こすとか、
仕事をし過ぎるから病気を起こすとか考えている人がありまして、
往々にして深切な人々から「あんたは病気ですから、神経衰弱だから、
家にいてぶらぶらしていなさい」と言われることがありますけれども、
これは、決して本当の深切ではありません。

その証拠に老人になって、会社の仕事をやめて、隠居でもいたしますと、
直ぐ人間は老衰してくるのです。
なぜ老衰してくるのかと言いますと、それだけ働きが無くなったため、
人間の生命は働きそのものでありますから、働きそのものが無くなった時、
生命の生きる力、神の生命(いのち)がだんだん現れなくなってこの世から不要になり、
その挙句の果に本当に死んでしまう事になるのであります。

神は生命であり働きでありますから、私達は働きさえしたら生きる。
心臓にしても、細胞にしても、常に働いて、「新陳代謝」といって、
新しいものを入れ、古きものを排泄して、常に働いているからこそ生きているのであります。
ですから、私達は働かなければ却って自分自身が死につつあるという事を考えなければならないのです。

(つづく)

795SAKURA:2012/06/05(火) 23:32:36 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
毎日の日課ですが…思いもかけない“気付き”もあり〜毎日“心の掃除”でしょう?
「雅春先生の言葉」で、前に進む事が出来ますし、更に!気がつかなかった事も?
明るみに判り……毎日“心の掃除”なのです〜〜〜が?今日も「心の掃除…」を
では!!参りましょう〜〜〜“スタート!!”

■【幸福を招く365章】

――−――神想観の時の注意――−――
漠然と無意識・無想念のようなボンヤリとした想念の状態に於ては、
それは放送された精神波動に対して選波作用(どの波長を選ぶかのハタラキ)
がありませんから、浮動する出鱈目の精神波動を感受してそれによって動かされます。
それでは其の人は目的の定まらぬ気の変わり易い浮浪者になってしまいます。
従って、神想観をするときには無意識をするときには無意識、
無想念になって、何も考えなくなるのは良くありません。
必ず実相円満の完全なる世界像と人間像とを心に描いて、
それに精神を集中するようにしなければなりません。すると、
実相界の完全なる波動が自分の「人間受信機」に受信され感応されて、
そこに現実界にも幸福なる完全なる有様が現れて来るようになるのであります。
ハッキリと自分の欲する状態を心で選び取らねばなりません。
                        (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

【神想観…中】なのですが〜〜♫〜〜?
「神の無限の力〜〜〜我が中に流れいる〜〜〜♫〜〜〜」と…唱えています時、
ふと!「無意識状態」になりますと…段々!変な方向に流されて〜
これは確かに“本来の思念”が、おかしくなる時もあります…ネ!

■【無意識?無想念?…】は、本当によくありませんです〜〜ネ!!
更に!そのような状態の時は、「悪い波動」も入り込みますから……
最近は“ず〜〜〜っ”と“思念…!”して行きますと「丸い円の中に、小さな字」が…
見えるのです。そして、意識的に見ようと思いますと…読めない状態に陥りますが?
その間の“時間”はまちまちで、瞬時?消えたり?少しの間は見えたりで…
まるで何処かの「言葉…」なのでしょうか〜〜〜??

次に“風景”が見えたり……「宇治の総本山」が見えたり?色々忙しいですが…
更に見て行きますと、必ず“答”を私に下さいますモノ〜〜〜♫
“パートナー”は、何か起きますと?「要望…意識?」が生じまして…
必ず!見える様な感じなのですが???

例えば、今回の「物件…」建物の玄関が“アーチ風”で“街路樹?”が見えるとか?
そのような時は、良く“神からのメッセージ”が此の現実世界に反映・投影され、
その通りの事が現れて来ますから〜〜〜更に!私も“直観”が鋭くなります。〜♫〜
やはり【神想観…】は〜〜〜?
自分の欲することが【宇宙の法則】として“叶う”のなら、必ず【願いは叶う】のです。

■>【実相円満の完全なる世界像と人間像とを心に描いて、
それに精神を集中するようにしなければなりません。実相界の完全なる波動が
自分の「人間受信機」に受信され感応されて、
そこに現実界にも幸福なる完全なる有様が現れて来るようになるのであります。
ハッキリと自分の欲する状態を…心で選び取らねばなりません!!】<
                                
■ ■ 益々!!!【内的意識に集中!!!】なのです…。      再合掌

PS:
トキ様へ…「神想観中…」人間受信機に、ぼんやりとした想念を送りますと〜〜???
今日の「雅春先生」がおっしゃっています“言葉”が〜〜〜?
トキ様は、どのような経験?(ボンヤリとした状態)の時の…メッセージがおありでしょうか?

796ハマナス:2012/06/06(水) 00:54:50 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

真理の理解に二種類ある  (『新版 生活の智慧365章』P.172)

 自己の内に“無限”が宿っているということは『生命の實相』を読みましてわかりましたが、
その“無限”を現実世界に顕わす事は中々困難であって、到底それは私に出来ない事ですという
人々が随分あるのである。それは「人間・神の子」の真理を頭脳の表層で理解したに過ぎない
からである。頭脳で理解したから「もうこの真理は解った」と思う。しかしその真理と自分の
全生命とが“一つ”になり切らないでいるからその真理が現実化しないのである“読書百遍、
意おのずから通ず”という諺があるが、最初『生命の實相』を二、三回読んだだけでは頭脳の
表層に印象されただけで、深く自己の潜在意識に印象するためには、それを繰り返し繰り返し
聖典を読誦して潜在意識の深層に呼びかけなければならないのである。それは恰も「眠る」と
いう語(ことば)を度々繰り返されることによって如何なる反抗者も催眠状態に入れるのと
同様である。

 併し現在意識は同一語の反復を嫌うのである。即ち「もう知っている」と思い、「知って
いることを繰り返すのは面倒くさい、退屈だ」と思う。そのために『生命の實相』の同じ巻を
幾度も繰り返すことが不可能になる。その不可能を可能とする為に、同一真理を別の言葉に
よって表現し、更に一層精密に解読した次の巻や、毎月の神誌や、新刊の真理解説書が必要に
なるのである。これらの神誌、聖典、書籍を巻を変え、号を重ねて読むことによって、真理を
語る言葉の刺激が新しくなって、潜在意識に深く真理が印象され、更に潜在意識の奥底に眠って
いた実相の「神性」が活性をもって呼び覚まされることになるのである。


『生命の實相』40巻を3、4回通読していますが、今日の雅春先生のご文章、“二、三回読んだ
だけでは頭脳の表層に印象されただけ”を拝読しまして、“潜在意識の深層に呼びかける”
ために、自分で目標を作り、これからも読み続けていこうと思いました。
一生の内に、何回通読できるか楽しみです。先ずは、10回をめざします!

聖典特に、『生命の實相』は、我々信徒のみならず、多くの人類の“宝”であると思っています。
素晴らしい聖典を残して下さいました、谷口雅春先生に心より感謝申し上げます。

感謝合掌

797a hope:2012/06/06(水) 08:10:41 ID:kcv2QXTk

人生読本 谷口雅春先生著

神経衰弱を治す法


陽気にしておれば、楽をしておれば、その方が健康になるという考え方は、
今までの考え方なのでありますが、それは実際は嘘なのです。間違いなのです。

神経衰弱の患者なんかが私のところへやってこられて相談をなさると、
「あんた働きなさい」こう申し上げて働かせると病気が治るのであります。
これは何も生長の家だけの話ではないので、精神衰弱の治療法で
医学博士になった森田正馬(まさたけ)博士なども、そう説いていられる。

あの人の療法は作業療法といって、働く事によって病気を治すのです。
病院を建てて入院料を取って働かせる。
入院患者は、金を払った上でガラス障子を拭かせられたり、
廊下を拭かせられたり、畑を耕したりさせられる。
男の人でもレースの編物や、毛糸の編物までさせられて、
一生懸命に働かせられて、それによって病気が治るのであります。

そういう工合(ぐあい)に、働く方の人が金を払って働かせてもらうと病気が治るのですが、
月給を貰って働くと働くのがばかばかしくなる人が多いのは変な話であります。

その病院に入院すると入院費が要る。即ちこちらから病院へ月給を払うわけです。
それで早く治すためには働かなかったら損だというので、一生懸命働く。
長くいるほど金が要るから、早く働いて早く治らなかったら損だというので、
一生懸命働くのです。そうすると本当にその病気が治ってしまうのです。

それで森田さんは、入院費を貰って人に働かせて、お剰(まけ)に自分は博士になったのです。
そういうふうに、働きというものは、私達を健康にする不思議な力をもっているのです。
というのは、人間の生命(いきるちから)は働きであるから、私達は働けば健康になるわけです。
(つづく)

798SAKURA:2012/06/06(水) 23:18:16 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…
もう“梅雨シ−ズン”なのです〜〜ネ!
「通勤途中…」に、或るお店の軒先の前に“アジサイの花”が〜〜♫〜〜
くたびれた様な?元気のない“色”に、一瞬見えてしまいまして???
今から…段々色づいて行きますでしょうが〜〜〜 ><
これも【私の心のレンズ】が、曇っているのでしょうか???
さて!【心のレンズの焦点】を、キャッチ出来ます〜〜〜ョネ!
勿論!「雅春先生の言葉」で可能ではないでしょうかしら〜〜ン!!
いまから開きます・・・・・・【さぁ〜〜〜“スタ−ト”】

■幸福を招く365章
――−――汝の霊の根元に感謝せよ――−――
骨が折れるのは、神と先祖と父母に対する尊敬と愛が足りないからである。
ホネは霊根である。自己の霊のそだつところの根元である。
吾らの霊は、神・先祖・父母と云う風に伝わって来て今日あるを得たのである。
霊根をつちかわないから骨が折れる。父母に反抗している場合に脊椎カリエスに
かかっていて医療では中々治らない場合がある。北海道の札幌で幹部教修会が
あったときに○○修二と云う人が話した体験によると、十四歳の時に家出して
ヤクザの群に入り、ついに刑務所で服役までしたのであるが、出獄後脊椎カリエス
にかかり三つの楼口から毎日多量の膿を排出し、段々生命旦夕に迫ると云う処まで
来たが、たまたま自分の父親が七十幾歳にて老衰した姿で枕元に来て優しい言葉を
かけてくれたとき、父がこんなに老衰させたのは私が済まなかったと思って
おわびの心をおこしたのである。するとその重体が三カ月で癒え炭坑で
重労働をしても耐えられる健康さが恢復したのであった。
                       (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

【両親に感謝する事】でしょうか……?今の私は、もう“両親”はいないのですが?
時折…「仏壇のある部屋」に行きますと、元気な姿の“両親の写真”が……
時々!思い出してしまいます…。一抹の寂しさも?この頃は感じます…。

「父・母の時代…生長の家の活動」を思い浮かべますと…当時は!のどかな感じ〜〜♫
でしたでしょうか〜〜〜?
自宅に本部講師であられました「亡き喜多先生」何度か私の自宅に宿泊して…
その当時の“誌友さん”と…雑談!!今思いますと“身近な存在”当に!!
和気あいあい〜♫〜でしょうか。懐かしく思う次第です…。

更に!当時の私には、そこに集まる方達(誌友さん)は、普通の方が多く…
どうかしますと「知識階級が多かったですもの??」
今思いますと、その様に見受けられるのです。
そして、集まる方達は“熱心”そのものでしたし、
やはり「亡き父」の周りは多くが【大卒…】その中で「亡き父」は〜〜〜!
更に!私自身も“落ちこぼれ族”なのでしょうか〜〜〜? ウフフ

■或る時?小学校の頃でしょうか…?
【佐賀の教化部長】でしたでしょうか…?「喜多先生」が私の家に“講演”
更に!【泊まり込み体制】なのです。{何度か泊まられました〜〜ネ!}

■戦後の事ですから〜〜当時“近所”では〜〜隣の夕食が分かる時代ですモノ?
子供の頃、私は?此の先生が「怖い〜〜〜おじさん」に見えた時がありました。
が……“大人…”は、いつも〜いつも〜笑い転げていた様ですが…?
【真面目に布教活動】されていた“地方講師の方”で、
人気がありましたかと?確か??当時“78歳…”ではなかったかと?いつも
「誌友会」に来られて、又!此の先生にも【個人相談…集中】です。私に家で!

どうかしますと、夜遅くまでの【相談者が多く】私の家は、いつも人だらけ ><
子供の頃落ち着く場所がなく、そのまま“高学年”に入ってからは、
正直申しまして、余計に“落ちつく場”がなく〜〜良く反抗したモノですが??

その私が〜〜今では「生長の家の布教…」を真剣に考えている事に、自分自身
驚いています次第です。そして「此の教え…」を導いてくれました…
「亡き両親…」に対しまして…深く〜〜深く〜〜感謝している昨今です。

■今から【新・生長の家の門を…今は“狭き門”でも“心で広き門”に入門!!】
【両親の愛に護られて…私は今から〜〜“父・母の伝導”を再開始!!】致します。
更に仲間が…頑張れ〜〜♫〜〜と!毎日“連絡…”なのです。
此の出会い…めぐり合い…感謝!!感謝!!         再合掌

PS:トキ様へ…「今日の言葉」からの受けられた“感想”何かありますでしょうか?

799ハマナス:2012/06/07(木) 00:31:52 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
ありがとうございます。

真理の消化、吸収  (『新版 生活の智慧365章』P.173)

 潜在意識の奥底に横たわる普遍にして超越せる超在意識――“個”としての肉体自己を
超越しながら“個”として其処に顕現し表現せんとしている“本当の自己”(即ち神性)の
内には“無限”が内在しているのである。その無限を開発すれば、無限を内蔵する鉱山から
欲する鉱石を掘り出してくるように、自己の欲する色々のアイディアや能力を喚び出して来る
ことができるのである。

 吾々の意識の奥底に潜在する“無限”を現実化するには聖典、聖経、神誌の反復精読のほか
に神想観の如き瞑想によらなければならないのである。潜在せる“無限”は色々の成分を含んで
いるところの植物みたいなものであり、それを真理解説の聖典等によって頭脳に入れることは
その食物に消化するようなものであり、神想観の如き瞑想法は、その消化した真理を吸収し同化し、
真理と自己とが一体となる行事である。その時、真理と自己とが一体となり、真理の馬に人間が
乗っているのではなく、”鞍上人なく鞍下馬無し”の如く「真理即自己」となるのである。

感謝合掌

800ハマナス:2012/06/08(金) 00:22:12 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

運命における栄養不良  (『新版 生活の智慧365章』P.174)

 若しあなたが非常に少(すくな)くしか神誌・聖典を読まず、非常に少くしか神想観を行わない
ならば、“無限”の栄養ある食物を与えられながら、それを少ししか咀嚼せず、少ししか消化せず、
少ししか吸収同化しないようなものであって、誠に残念な事だと言わなければならないのである。
若し食物の栄養分を吸収同化することが十分でないならば、その外的表現としてあなたの肉体が
痩せて来るのと同じように、若しあなたが内在“無限”の宝庫から充分のアイディアや能力を消化
吸収同化することをしないならば、その外的表現としてあなたの運命が痩せて来ることは当然だと
いわなければならないのである。しかも気の毒にも、その運命の悪い人は、何故自分の運命が悪い
のかその理由を知らぬ場合が多いのである。

 そのような運命の栄養不良の人たちは、肉体の栄養不良の人たちが何か間食を求めたり刺激物を
求めたりするように、ない具の“無限”から汲むべきことの代償として、肉体的五官の快楽で、
一時の衰弱感をまぎらそうとすることになるのである。

感謝合掌

801SAKURA:2012/06/08(金) 04:26:16 ID:ZlYnQTFI
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

おはようございます…  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

益々”心”をしっかり意識する訓練が、必要になりましたです〜〜ョネ!
今日は、更にそれを意識強化する言葉は?……【意識革命!】でしょうか〜〜〜??
勿論!先生の書物をしっかり”インプット”のみです〜〜〜ネ!そうしますと…
益々!現在の総裁の先生の本も、理解力アップ!ができますのでしょうか〜〜?
【意識に繋がる本〜〜〜”スタ〜〜〜ト!”

■【幸福を招く365章】
――−――神は暗黒を照す光――――

神は人間が暗黒なる状態を通過する時に、是非なくてはならない光である。勇気を
見出すであろう。神は遠いところにましますのでなく、極めて
近く自己の内にましますのである。次の如く念ぜよ。
「我は神の子である。神の光が自分に宿っていて自分を導き給うのである。
神の光は智慧の光である。智慧の光の射すところ決して暗きことはないのである。
神の智慧の導きに感謝します。」     (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■ 「神様」は?まるで遠くにいるような気持ちに〜〜
以前は確かにその様な私ではありましたが…
或る時から「神様は、私の内にあるのだ〜〜ワ」と、分かり、それが“心…”なのです〜〜ョネ!
【心=潜在意識】に入り込む…【内なるもの!】それは〜〜〜♫
“意識”で物事を見て行く事に…ある本に【霊界…】に行きますと“言葉で会話する”のではなく
“意識”で話をしているのだと、云う事になりますよ〜〜ネ!

■以前!妹がまだ結婚したばかりの頃の家に、子供が生まれて“和室の部屋”に、
子供を寝かせていますと…当時!賃貸の一軒家でしたから…実はその部屋に、
その部屋は少し不気味な部屋でしたが…><
子供が生まれましたので、その“部屋を使用する事”に…したのですが?
ある時、御主人の帰宅が遅くて、子供を寝かせるために、一緒に添い寝していますと…
何となく〜〜誰かがいる様に思え、こっそり薄眼で“眼”を開けますと…
布団の横に“年寄りのおばあさん”が坐っていたのだそうです…。
瞬間!妹は“ぎゃ〜〜〜〜〜ッ”と声を…!同時に…妹は“心”でつぶやきはじめたのです…。
「〜〜〜あっちに行って!〜〜〜!あっちに行って!〜〜〜」と!集中して…
【30分間位…思念!!】していますと、いつの間にか消えたそうですが…?
その後!このような状態が再び起きましても、いつものお決まりに〜〜
本人なりの【呪文…としての活用】を、したそうですが〜〜〜><
後日!!調べますと、やはり“元の賃貸の方の幽霊”でしたが〜〜〜><

■この様に、気づかずに、妹は【心で対話・・・幽霊と…!!】をしたのです〜〜〜ョネ!
つまり【内的意識…集中!!】でしょうか??
“心”で“【内的意識=心の念波】は、通じるのですから、今の現状も
【祈り…】で、叶うはずですョ〜〜ネ!益々!断定しまして【祈り…】に“今日の言葉”を念じます。

■■「我は神の子である。神の光が自分に宿っていて自分を導き給うのである。
神の光は智慧の光である。智慧の光の射すところ決して暗きことはないのである。
神の智慧の導きに感謝します。」 
【意識=心】が、先生の言葉で、今日は、良く解りましたので、さっそく【実行!!】です。

きっと“私の願い”は、叶うのみです〜〜〜〜〜ネ!!!
【本来の生長の家…】への願い        ありがとうございます…。

                                                再合掌

802金木犀:2012/06/08(金) 10:36:40 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より)

生命軽視の風潮はどこから来るか

皆さん、有難うございます。(拍手)
今日の皆さんの発表、大変感激致しました。特に、最後の諸田講師のお話は、本当に実相を直視された素晴らしい体験であると思いました。

さて、“いのちの進軍”という題でありますが、“いのち”というものは一体何であるか?今までは人間の生命というものは、なにか物質のアミノ酸というような簡単な蛋白質の一種みたいなものの分子が偶然に衝突して結合して出来た、それが段々と進化して猿になり、その猿が人間に進化したと、そんな風に人間の生命を、つまらない物質の分子の結合であると思っていたのでは、本当に生甲斐というものは感じられないわけであります。

戦後、小学生や中学生という幼い少年たちが、ちょっと親から叱られたら自殺するとか、あるいは上級学校の入学に失敗したから自殺するとかいうような、生命を軽視する傾向があるのですが、そういう子供が生れてきたということは、これは戦後の教育が人間の神聖性を失わしめている。人間をただの物質の結合である、“肉体の子”である、きたないセックスの結合から生れて来たところの存在であるというような低い次元に立って人間を説いて来たからであります。

そして、それが民主主義の人生であるというようなに人生観をずうっと学校で教えて来た。だから肉体を感覚的に楽しませている時にはそれに気を取られて別に悲しいとも思わない、むしろ楽しいと思うかも知れないけれども、一つ躓(つまず)いたり、一つ叱られたり、一つ失敗したりしたら、忽ち自分の生命の拠り所がない。そこに“何のために生れているのか”という自分自身の価値(ねうち)の自覚というものが失われてしまっているのです。物質というものには、本来値打ちはないのです。

それでは値打ちとは一体何かというと、これは、本当にあ’る’というものに値打ちがある。結局諸行無常で壊けてしまうものが自分であったとしたならば、結局それはなくなる値打ちであって、値打ちの外観を呈しているようでも、そんなものには値打ちがないのである。こうして、本当の値打ちの自覚というものが内部にないものだから、生甲斐が感じられないということになるわけなのであります。

803金木犀:2012/06/08(金) 10:40:16 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より) (2)

なぜ地上に人間が誕生したのか

吾々がどうしても生甲斐が感じられる人生を生きようと思ったならば、根本的に、“人間とは何ぞや”という観方が変わらなければならないのです。それが“いのちの革命”ということになる。ここに私の書いた『いのちの革命』という本があります。ちょっと開いてみます。
『そこで神様は、御自分の生命を人間として顕現して、大自然の生の力のままでは出来なかったところの創造の御業(みわざ)を、人間の姿に神があらわれて、それを完成したまうということになったのです。これが地上に人間が誕生したところの目的であるということができるのであります』と書いてある。

火山を爆発させ、台風を吹かせ、地震を揺らせる、これらの大いなる自然力というものは、吾々が見ることも体験することも出来ますが、その大自然力で一つ、この湯呑を拵えてみよと言っても、神様には出来ないですね。どうしても、芸術的作品といったようなものは神様にはできない。神様が自然力のままではできないのです。そこで神様は、出来なものがあったら全知全能の神という資格がない、もっとも神様は資格など欲しがりはしないけれども、その全知全能の創造の働きが無限に完全に、無限に細かいところまで気がついて、そして、どんな自由自在なものでもつくるという、この神様御自身の創造の喜びを完(まっと)うするために、神様の生命が具体化として、しかも無機物的な具体化ではなくて、有意識的な具体化として、ここに人間が生れて来た。そこに、地上に人間が誕生した価値があると考えられるわけなのであります。

そこで、その人間誕生の価値を本当に生かすとすると、神様が大自然力の段階においてはできなかったその神様の生命がそこに噴出して来るということになるのですから、不可能なことはなくなる。人間誕生の価値を本当に生かした生き方に吾々の生活がグラリと変って来たときに、例えば病気でも大自然力のままではもう死ぬはずの生命であっても、それがもう一つ飛躍した高い段階で、“人間として現われた神”であってはじめてできるという価値を創造できるようになったら、それは神様の大歓喜であるから、神様の生命の流れが滔々として吾々に流れ入って来て、今までになかった新しい生命の噴出がそこに起って来るということになるわけなのであります。

こういうところから先程の諸田講師の御自身の体験でも、又、諸田講師が導かれた病人の体験でも生れてきたわけで、そういうところまで生命の自覚を高めてあげることが出来たら、どんな病人でも再び生きかえるということになるのであります。

804金木犀:2012/06/08(金) 10:45:37 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より) (3)


人間は神様のアイディアの具体化

さて、人間の生命というものは、そういう神様の自己顕現でありますが、人間の生命だけではなく、他の生命という問題をも考えてみたい。

最近、私の書いたものが集まって、『国のいのち人のいのち』という書物が出たのですが、そこに詳しく出ていますが、日本国がどうして誕生したかという問題がある。日本国の生命の発現の原点とでも言いますか、それはどこにあるかといいますと、それは『古事記』にあるように、天照大御神様の御心の中に発現したわけである。全てのものは神様の生命の中にあるところのアイディアの具体化であります。聖書のヨハネ伝には「太初に言あり、言は神と偕にあり、言は神なりき。万の物これに由りて成り、成りたる物に一つとして之によらで成りたるはなし。之に生命あり……」とありますが、この場合の言(ことば)とは、神様の生命のエネルギーの上に乗っているところのアイディアであります。アイディアというものは、いたるところに充満している。

例えば冬になって雪が降ってくる。あの雪の結晶を顕微鏡でのぞいてみると、六稜形の美しいデザインがちゃんと出来ている。それが、細部の構図まで皆同じかというと、六稜形という輪郭は同じでも、その中の細かいデザインが一つ一つ異(ちが)うというのです。無数のアイディアが宇宙にあって、ある条件が整えばそれが形になって現われて来るということになるのであります。

終戦後間もなく、私が東京から九州の島原の方へ講習に行った時、正月のことでしたが非常に寒かった。寒いけれどもその時分は物資の欠乏で暖房などはなく、徐行の汽車ですから、東京から行くととこかで夜行にならなくては仕方がなかった。その時も九州のあたりで夜行になって、夜が明けた。すると汽車のガラス窓に実に美しい絵模様が出来ているのです。吾々の吐く息の水蒸気の分子の結晶が、金魚藻のような、あるいは正月の鏡餅の上に飾るウラジロのような、隠花植物の葉や枝のそのデザインが、ずうっとどの窓にも結晶しているんです。それは同じ水の結晶であっても、あの雪の結晶とは形が違うのであります。神様の心の中には無数のアイディアが初めからある。隠花植物のようなアイディアも六稜形の雪の結晶のようなアイディアもある。しかし、その中から、それが現れ出るのにふさわしい条件が整うたものだけが形となって出て来るのであります。

それは恰度、無限のテレビ番組が放送局から送られて来ていても、波長を合わせた番組だけがテレビ・セットの画面の上に浮かんで出て来るようなものです。

私はその汽車の窓ガラスに浮かび出た絵模様を見て、非常に神秘の感じに打たれたのでありますが、後に、あの「牝鹿の脚の話」で有名なグレン・クラーク教授の別の本を読んでいると、こういう話が出て来たんです。

ガラスの表面に水蒸気の水滴が結晶するときに、暗い夜半に結晶すると隠花植物のような姿が現れて来る。ところが、同じような温度で、同じ汽車の窓のようなガラスにおいて、昼の明るい太陽の光線を当てながら結晶させると、バラの花のような又ボタンの花のような美しい花の姿にその水滴の結晶があらわれるというわけです。そういう実験をクラーク教授は書いているのです。

この世界には無限のアイディアがあるのだけれども、そのアイディアの、放送局が神様みたいなもので、その受像機つまりテレビセットが無限のアイディアの中からそれを受けとる波長になった時に、ある場合には隠花植物、ある場合には顕花植物の素晴らしく明るいバラやボタンの花の恰好のものがそこに現われて来るという訳なのです。

805金木犀:2012/06/08(金) 10:54:40 ID:j28jHRaM
国の生命と自分の生命は一つである  谷口雅春先生
(『生長の家』誌昭和52年8月号より) (4)

国柄も神様のアイディアの実現

ところで、何故私がこういう話をするかといいますと、この日本の国が天皇国家として天皇中心の形をもって現われているのは、それは住んでいる人間が勝手に相談して、吾々個人でバラバラだったら敵が襲撃して来たとき防ぎのしようがないから、自分たちを守るために国家というものをつくろうじゃないかそれには規則がいるから憲法みたいなものを拵えようというわけで、部分部分なる人間が相談をして拵えた国家というものではないということです。

日本の国家が天’皇’国’家’としてそこに出現しているということは、もっと次元の高い天照大御神様の宇宙放送局みたいなところにある“尊いアイディア”がそれを日本民族が受像する心境において、自然に天皇国家として現われて来たものである。すなわち、人為的な存在として日本国家があるのではなく、これは惟神(かんながら)の、神様の御意(みこころ)の中にある“日本国はどうしても天皇国家でなければならない”というアイディアが実現して来たものであるのです。そこに、日本国の生命の尊’さ’というものがある。

これは神様のプランの内につくられているのであるから、日本民族というものは他の民族とはとり替えようがない尊い民族であり、他の国の国柄とはとり替えようのないところの国柄が、この天皇国家なる国柄であるということが言えるわけです。ここに、日本という天皇国家なる国柄の中に生れさせて頂いた自分の使命というものの自覚が大切になって来るのであります。

例えばソ連なら、あの鎚と鎌の国旗に表れている、ああいうアイディアが具象化してプロレタリア独裁の国柄が、あそこに現われている。アメリカならば、国旗に水平の直線で表された“天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず”という平等の思想と、色々の地域民衆が各州となって星の数だけ集まっているという合衆のアイディアの実現である。これとて人間がつくった国家ではないと思うのです。アメリカ合衆国にあるテレビ・セットが、神様の無数の国家のアイディアの中から、ああいう国家のあり方を受像して実現したということなのであります。


国の生命と一つになった時本当の喜びがある

こうして、各々の国家は夫々の神様のアイディアをそこに実現しているのであるから、アメリカが大統領でもうまく治まっているのだから日本も大統領でもいいのではないかという考え方はあてはまらないわけです。それは桜の花は五弁で大変美しく出来ているのだから、すべて他の花も桜の形でいいではないか、藤の花とかボタンの花の形になる必要はないではないかというのと同じである。すべて、ボタンの花にボタンの形を与えているのは、これは神様のアイディアであり桜の花に桜の形を与えているのは神様のアイディアであるし、日本国家に天皇国家の形を与えているのも、これも神様のアイディアであるのです。

吾々日本国民はどうしても、この国家形態の奥にあるところの神様の御意(みこころ)を守って行く。そうして個人の生命が神様のアイディアの中にまで延長して行って、つまり、自分が国家のために生きることによって自分の生命を国家的な広さにまで広げて行く、小さな個人の生命が国家の生命と一つになる、そこに本当に吾々の生きる喜びというものが起こって来るのであると、私の体験から言うと、そういうように感じられるわけなのであります。

それで、この個人の谷口の生命は結局「天皇国日本」の生命と一つである、どうしても天皇国日本を守らなければならないし、又守ることが、私をはじめとして日本人ひとりひとりが本当に生きる道であって、この他に尊き道はないのであると、この天与の尊き道を生きる時その人は本当の生甲斐が感じられる。そういう感じを私は持たして頂いているのであります。

今日はこれで終ります。(拍手)   おわり

806金木犀:2012/06/09(土) 15:10:41 ID:j28jHRaM
聲字即實相の神示

吾が第一の神殿は既に成れり。名付けて『生命の實相』と云ふ。完成(ななつ)の年になりて吾が第一の神殿が完成するのも生命の顕現には周期的波動があるからである。七つが事物の顕現の周期律になってゐる。吾に神殿は不要であると嘗て示したことがあらう。吾は道(ことば)であるから、吾が道(ことば)を語るところに吾が神殿は築かれる。吾が道(ことば)を載せた『生命の實相』こそ吾が神殿である。『生命の實相』は吾が本體であり、無形の『生命の實相』を形にあらはしたものが『生命の實相』の本゜である。『言葉』を載せた書物を『本』と云ふのも、『言葉』こそ事物の本であり本質であり、本體であり、本物であるからである。『言葉の宇宙』が先づ出来て、『形の宇宙』がその映像(かげ)としてあらはれるのである。今迄の宇宙は、『言葉』が實相を語らず、不調和で濁ってゐたから、宇宙の萬物の運行が亂(みだ)れて生活苦や、病気や、天災や戦争など色いろ不調和なことばかり起ったのである。『生命の實相』の本゜が出た以上は、言葉が實相を語り、善き圓滿(えんまん)な調和した言葉の『本』が整うたのであるから今後何事も急轉直下(きゅうてんちょっか)する。『生命の實相』を披(ひら)くだけで病念は去り、煩悶は解決し、人々ただ自己生命の實相(ほんとのすがた)を知り、歓喜踊躍して手の舞い足の踏む所を知らないに至る位はその三番叟(さんばそう)にすぎない。その歓びの相(すがた)こそ人間の生命の實相である。吾が道(ことば)を『生命の實相』と呼ばしめ、それを本の形にして、披いて讀むものにさせたのも象徴的因縁のあることである。『生命の實相』を展開(ひら)けば形の理想世界が成就するのである。今は過渡期であるから、仮相(かりのすがた)の自壊作用として色々の出来事が突発する。日支の戦ひはその序幕である。神が戦ひをさせてゐるのではない。迷ひと迷ひと相摶(あいう)って自壊するのだ。まだまだ烈しいことが今後起るであらうともそれは迷ひのケミカライゼーションであるから生命の實相をしっかりと握って神に委せてゐるものは何も恐るる所はない。
(昭和七年一月十一日神示)

807金木犀:2012/06/09(土) 16:07:59 ID:j28jHRaM
a hope様

人生読本のつづき、待っています。毎朝、a hope様の人生読本を読まないと
一日が始まったけじめがなんとなくつかないで困ります。
私達は皆修行途中の菩薩ですから、いろいろありますが、
明るく神様の方を向いて、頑張りましょう。

808神の子さん:2012/06/10(日) 12:51:04 ID:YqJJ0isE
「トンデモ本の世界」と学会・編
トンデモ用語の基礎知識
●シオンの議定書(プロトコール)
「ユダヤプロトコール」とか「シオン長老の議定書」などとも呼ばれている、ユダヤ人が世界征服のために記し
た恐るべき大陰謀の秘密文書、ということにされてしまっている文書のこと。二十四の議定書に分けられてお
り、「我々の合い言葉は権力と偽善である」とか「計画遂行に役立ちさえすれば、暗殺、買収、詐欺、裏切り等
に決して尻込みしてはならない」とか「神聖なるユダヤ王の頭に、欧州各国が彼に捧げる王冠を戴くとき、彼は
全世界の族長、家長となるであろう」などという文句がちりばめられ、いかにして非ユダヤ人の国家を衰退さ
せ、ユダヤ教以外の宗教を撲滅し、世界統一の革命を起こすかということが繰り返し書かれている。
『プロトコール』の存在が広く世間に広まったのは、一九〇五年に神秘主義者セルゲイ・ニルスが自著『卑小な
るもののうちの偉大』の第三版に収録してからだ。『プロトコール』が日本に上陸したのは、一九二一年にシベ
リア出兵した兵士らが、わら半紙五十枚ほどに書かれた物を持ち帰ってきたのが最初とされる。日本で単行本化
されたのは一九二四年で、包荒子というペンネームで書かれた『世界革命之裏面』が最初といわれる。
『プロトコール』は、一八九七年にバーゼルで開かれた第一回シオニスト会議の議事録という謳い文句で広く流
布された文書だが、その文章の五分の二までが、モーリス・ジョリという人物がナポレオン三世批判のために出
版した『モンテスキューとマキャべリの地獄対話』(一八六四)というパンフレットからのパクリだった、とい
うことが一九二一年に英国『タイムズ』紙の報道で暴露されている。
 つまり、『プロトコール』は、疑いようのない明らかな偽書なのだ。

809神の子さん:2012/06/10(日) 12:51:54 ID:YqJJ0isE
(つづき)
 だが、『プロトコール』を読んだヒットラーは、「歴史的に事実かどうかなどはどうでもよい。内容的に事実
であれば体裁などは論ずるに足らん」と述べたとされ、『プロトコール』はナチスのユダヤ人迫害にも大きな力
を貸した。
 この史上最低の偽造文書についての最もまとまった書としては、『シオン賢者の議定書』(ノーマン・コーン
・KKダイナミックセラーズ・一九八六)がある。同書は、一八世紀末から始まったユダヤ=フリーメーソンの
陰謀史観を詳細に迫っていき、最終的に『プロトコール』は、ロシア帝国秘密警察のピョートル・イワノビッチ
・ラチコフスキーが、ロシア帝国政府のユダヤ人弾圧のためにでっち上げたものだと断定している。
『プロトコール』はユダヤの陰謀に名を借りた、ユダヤ人迫害のための陰謀の書であることに間違いはない。
 どう見てもおかしいトンデモ本の多くが、普通の人に広く、まじめに読まれてしまっているという日本の現状
が身に染みている我われとしては、「大衆の力は盲目で、非理性的で、判断力が無く、従って右にも左にも耳を
傾けるものであることに注目しなくてはならない」(第一議定書)などと宣う『プロトコール』が、偽書で良か
ったとつくづく思うわけである。
参考文献:『シオン賢者の議定書』、『増補ユダヤ人論考』(新泉社)

810 志恩:2012/06/10(日) 13:19:51 ID:.QY5jUA6
むかし、むかし、上記のような極悪人の賢者・「シオン」が、居たのですね。
おなじ呼び名の、現代のシオン「志恩」は、皆様に知れ渡ってる通りの 「非・賢者」ですので、
おまけに、そそっかしいところもありますので、油断されてて、だいじょうぶです。

811金木犀:2012/06/10(日) 13:42:07 ID:j28jHRaM
本當の信仰についての神示

平和は内界にあるのであって、外界にあるのではない。外界は現象であり目眩(めまぐる)しく移り変る世界である。常に変移する世界を追ひ廻してゐて落着かうと思っても落着けるものではない。一世を支配する権力者の位置にのぼれば誰も自分を脅かすことが出来なからうと思って最高の位置にのぼってみても、高ければ高いほど不安であるのが常である。では、誰よりも下座の地位について、もうこれ以上は落ちようのない貧しい生活を送ったら不安がなからうと思って、乞食の生活を送ってみても、やはり不安は去るものではない。下座々々と心掛けても、一碗の食にありつくとき、尚、その一椀の食にすらありつき得ない同胞があることを思ったら、その一椀の食も安心して食べられないであらう。所詮は、高く上(のぼ)るも、低く下るも、比較上の世界に住む以上は、その人の心から不安が去らないのは当然である。

何故汝らは絕對の世界に住しないのであるか。目眩(めまぐる)しく回転する円周の世界を追い廻さないで、円の中心の世界に住しないのであるか。中心の世界に坐せば、上下左右天地四維(しい)のいづこに顕現するとも不安はないのである。『我れ神の子』の世界に住すれば、如何に高き位置につくとも高過ぎると云うこともなく、如何に低き位置につくとも穢されたと云う感じも屈辱の感じも受けるものではないのである。かくの如き『我れ神の子』の實相に参ぜしめ、無畏怖の境地に入らしめるのが本当の宗教である。

恐怖心を唆って遷善改過(せんぜんかいか)せしめるものは、それは一種の社会施設であり、刑務所であり、懲治場(ちょうちば)であって宗教ではないのである。宗教とは己が真性を自覚せしめ、上下左右天地四維いづれに動いても、いづれに置かれても、縛られない、恐れない、自由自在の『神の子』たる本姓を自覚せしめるものを云うのである。

汝ら恐怖の宗教に心せよ。神の子は、金剛不壊の実相身、無礙自在(むげじざい)の無罣礙身(むけいげしん)であるから、凡そ恐怖すべき何ものもないのである。恐怖を教えるものは迷を教へるものである。恐怖を唆るものは、迷を唆るものである。病気や天変地変や色々の災厄で恐怖を教へるものは人間の幸福が物質の増減で左右せられ、或は火に焼かれ、或は水に溺れるものだとの迷信に立脚して教をなすのであり、それを信ずる者は、それは信仰は信仰であっても、迷信に堕するものである。火にも焼けず水にも溺れず、天地四維上下左右いづれに置かれるも自由自在な人間の本性を信ずる信仰こそ本当の信仰である。    (昭和8年8月5日神示)

812SAKURA:2012/06/11(月) 21:45:39 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは
静かな流れの中の聖典でしょうか??久しぶりに訪れまして
人それぞれの捉え方を見ますとオモシロイですネ此処でも
類は友を呼ぶのでしょうか??さて・・・私の捉え方の解釈で今日もSTART!!

■【幸福を招く365章】
―――――自己の内に宿る神を自覚せよ―――――

あなたの中に「今」神が宿っているのであります。神の無限力があなたを支えて
いるのです。神の愛があなたを護っているのです。神の生命があなたに流れ込んで
あなたの生命となっているのです―――此の素晴らしい真理を目を瞑って、黙想
してごらんなさい。悦びがしみじみと内から湧いてまいります。どんな困難でも、
大問題でも、神にゆだねて解決しないと云うことはありません。
神と云うのは外にあるのではありません。あなたの内に宿っていられるのです。
あなたの肉体は神様のお宮なのです。「わが内に宿り給う無限力なる神よ、あなたは
常に私を導いてくださいます」と呼び掛けなさい。
あなたの肉体は神の宮であり、神の叡智の湧き出でるパイプであり、神の生命が
具体的に顕現するための自動的機構であります。その中に神は座しまして
あなたを導き、動かし、生かしていられるのです。あなたの肉体はあまりに完全
な自動的機構でありますから、それ自身、「我」の意識を有していて、時としては
内に宿りたまう神(これが本当の貴方自身です)の御意に背反するようなことを
行うことがあるものです。そう云うような時に、所謂る「我が出た」と云うことに
なるのでありまして、事物が調子よく行かぬようになったときにはよく反省して
神に懺悔し、神の御心に従って実践して行きますと万事よくなります。
あなたの内に宿り給う神は、常にあなたを内部から力づけ、善き想念を生み出し、
善き計画を思いつかせてい給うのであります。あなたの内に宿りたまう神は、
常にあなたに呼びかけて次のように云っておられるのです。
「わが愛する者よ、わたしはお前を愛している。わたしの愛を受けよ、そして
お前のハートを、全身を全霊をわたしにおくれ。わたしはお前と一体になり
たいのだよ」と何故あなたは、神様のこの尊き求愛を受けないのですか。
神の愛を受けて一体となるとき、貴方には何んでも貴方の欲するものを
得ることが出来るのです。神は無限の富者であるからであります。
                          (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

今日!久しぶりに【神様に導き給え〜〜〜】と、唱えまして“本”を開きますと!
〜〜〜アッ!!何と【心 の 法 則】なのです…。
まだ〜まだ〜足りない「精神面がある!」私自身にと、「自覚…」しましたが…><

そうです〜〜ネ!物事が思うようにいかない時は、私自身の“我”が
芽生え出しますのでしょうか?又“出た〜〜の”と【反省…】なのですが…?

此処「2チャンネル…」は本当に“我”の働きが強く出ていますでしょうか??
さて!!ここが“肝心…”ですかしら〜〜〜ン!

私自信を磨く“精神修行…場”と、この頃ようやく思えるようになりました。
本を開くと「神様の導き…」を〜〜♫〜〜更に!「暗示を下さいます」…。
本当に【感謝!感謝!なのです〜〜〜ョネ】…
そして【内なる神様】は、私の“心…”ですから、どんな状況でも必ず!必ず!
私を「いい方向に導いてくだる」のです。

しかも!【内なる神様】は、私自信ですから、正しい“理念”も植え付けて下さるのです。
■モット〜〜♫〜〜♫〜〜「神様…」に甘えて行こう〜〜〜!!
更に【神様に、全身全霊…集中!!して“神地一体”になった時、
必ずや・…私の「希望=夢」は“実現”です〜〜〜ネ!】

今日から【内なる自己の神様に“トレ−ニング”……start!!ダッシュ!!
■■「わが内に宿り給う無限力なる神よ、あなたは常に私を導いてくださいます」と…
神様への“メッセ−ジ”
                     
                                 再合掌

PS:トキ様へ
今日の言葉…私自身“全托”が出来ない時も〜つまり“我”が先に?“欲望”と
申しまっすかしら〜〜ン?優先してしまいます時があります。特に!精神的に
余裕がない時起きますのですが?
トキ様は、如何でしょうか?

813ハマナス:2012/06/11(月) 22:10:56 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

来週は谷口雅春先生の二十七年祭が総本山でおこなわれます。
団体参拝でいらっしゃる教区もあると思います。その前まで、雨が降っていても、不思議に
お祭りの直前にうぐいすの美しい声とともに、雨が止みます。
今年も素晴らしい年祭であります事をお祈り申し上げます。

光明面のみを見る  (『新版 生活の智慧365章』P.173)

 事物の暗黒面を見てはならない。また他(ひと)の暗黒面を見てはならない。更にまた
自分の暗黒面をも見てはならない。暗黒面を見るとき、必ず自己の“心”の中に暗黒な事を
描くことになるのである。そして自己の“心”の中に描かれたものは必ず、いつかはその描か
れたる姿が現実化して自己の運命となったり、自己の境遇となったり、不測の災いとなったり
してあらわれて来るのである。


 暗黒面を見るかわりに事物の光明面を見よ。他の光明面を見よ、更にまた自己の光明面のみを見よ。
光明面を見るとき、光明面のみが“心”に描かれ、“心”に描かれたものが増大し、具体化し、
自分が一層明るい気持ちになり、運命が一層好転し、身辺に気持ちよきもののみが現れ、ついに
自己の住む世界が地上の天国浄土となるに至るのである。暗黒面を見るよりも、光明面を見る方が
余程楽であり、容易であり、気持ちがよいのに、何故多くの人々は光明面よりも暗黒面を見たがる
のであろうか。彼らは心の法則を知らないからである。

感謝合掌。

814HONNE:2012/06/11(月) 23:27:54 ID:jtmmmlXY
単純な質問です。

谷口雅春先生は、「諸悪の根源は現憲法」と仰った。
上記掲載の「光明面を見る」の引用は、「物事は正確に見て判断する」と
混同しているように私は考えますが、いかがでしょうか。
「物事は正確に見て判断する」ことは「暗黒面を見る」とは違うと考えます。
「諸悪の根源は現憲法」とすることが、「暗黒面を見る」ことにはならないでしょう?

815金木犀:2012/06/12(火) 08:04:41 ID:3iUAOjZ.
HONNE様

「諸悪の根源は現憲法」とすることが、「暗黒面を見る」ことにはならないというのは、
おっしゃる通りだと思います。
谷口雅春先生は、和解の倫理について、虚説に和解してはならぬと
仰せられています。汝の敵を愛せよといったイエスも、サタンに対しては
決して和解せず、その邪説に耳を傾けようとはしなかったと言われて、
このサタンとは、異端、邪説、妄説、妄想、雑念のことであると仰っています。
「ただ神のみ、ただ実相のみを観よ」ということが、「主なる汝の神を拝し、
ただこれのみに事(つか)うべし」ということであり、そのほかの妄説妄想には決して
和解してはならない、耳を傾けてはいけないとおっしゃって、かつて、
雅春先生の弟子で、新説を出して「真我も迷う」と言い出した人の説を、
雅春先生は、文章において、徹底的に排撃されたそうです。しかし、そのかたの実相は、
あくまで神の子で、完全であるとして、そのかたの行った公金横領などの罪は、
許されて、実相を観られたということです。
そして、和解とは実相に対して和解することであり、
皆さんも虚説は、徹底的に排撃してくださいとおっしゃっています。

この日本国憲法というものは、唯物的肉体的な考えに基づいて民主主義が語られており、
基本的人権も、その人権が、実相の人間ではなく、唯物論的な人間の人権であり、国家観も
雅春先生が説かれるような生命体国家としての国家ではなく、部分としての個人が集まって
国家という全体が出来上がったとする、組合的国家観であり、日本国家の実相を現していない
憲法であり、唯物論憲法です。
雅春先生は、虚説の中で、最大の虚説は「物質はある」という見解だと仰っていますから、
この憲法がひとつの大きな虚説であることは確かであり、だからこそ「諸悪の根源」となって
いるのだと思います。
この虚説である日本国憲法を破棄して、神話研究など、日本というものを真剣に研究した井上毅が
起草した大日本帝国憲法こそ、実相の観点で書かれた憲法であると思います。

憲法のことが中心の話になり、申し訳ありませんでした。

816SAKURA:2012/06/12(火) 22:37:55 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。
どのような状況でも…どのような環境でも…【真理をつかむ事…】???
『マザ−テレサ』も“祈り”に徹する…最後!に【ゴ−ル!】でしょうか??

■今日も【SAKURA】は【GOAL…】に向かい“一直線…”
そうなのです〜〜ョネ!!【明日に架ける…一本道…GOAL!】なのです…。

■【幸福を招く365章】
―――――呟けば病気となり感謝すれば治る――――

呟くかわりに感謝することです。万物に感謝することをもって新生活を
始めようではありませんか。同じものでも不平をもって受取っては、自分自身の
心も苦しいではありませんか。同じものでも感謝して受取れば、苦痛が苦痛で
無くなり、困難が困難で無くなるのです。和歌山の講習会で川上喜一氏と云われる
元海軍将校が終戦後内地に帰還して見ると、国内の状態は見るに耐えない有様なので
それに対して不平不満の心ばかりを起していたら、全身が硬直して全然板のように
棒のようになっていて一寸も動かない病気に罹った体験談をなさいました。
阪大病院で診て貰ったが全然治療法がない。その時、和歌山県の生長の家連合会長
藤田氏に触れて毎晩『甘露の法雨』を読むことと、『有りがとうございます』を
一日一万編となえて感謝の念を起すことを勧められた。さて手が動かないので
『有りがとうございます』を何遍となえたかをどうして教えようかと思って、
天井の羽目板の木目で心覚えをして其の言葉を心で唱えていたのです。
すると、自分の子供が二個の熟した柿の実を樹からもいで来て、「お父さんこれを
おあがり」と云って懐に入れてくれた。その時、無性にありがたい感じが起って
思わず、自分の手の胸の上へあげて合掌した。その時はじめて手が動きだした
ことが分かり、やがて、全身が自由に動き出したのである。
                         (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

■ネガティブ感情「呟く…」前に【感謝!感謝!】なのです〜〜〜〜〜〜〜ネ!
今日は、早速“呟き悲しむ状態”に、陥りそうになりましたが……><
このような“心境”こそ、私の“精神”を高める為の【原動力…パワ−】でしょうか?
その様に思いますと……
“心”を静めて「神の叡智」に〜〜〜【祈る!】
そうなのですョ〜〜〜ネ!
【一心に“神の御心”に、そうように“祈る!”…】と?
自ずから“答え給う”…“神の提示”を頂けるように思えました…。

そして【感謝!感謝!…】の“心”の訓練は、勿論!
「生長の家」では、伝統的な「御教えの一つ」でもありますが……!

■【感謝!】が生みだす“原動力=パワ−”は、私の“エネルギ−”です〜〜ネ!
そして【感謝=愛!!!】でしょうかしら〜〜〜ン?

今日も、こうして「パソコン」に向かい“KEY”を打つ事ができます事に【感謝…!】
更に!投稿者の皆様のいろんな考え方・思考を教えて頂きまして【感謝!・感謝!】

そうなのですョ〜〜ネ!
■■【感謝!】から〜〜〜“私の生命(いのち)”がほとばしるように…
滔々と“川の流れ〜♫〜”のように“アイデアの源泉”が湧き出でて参ります“モノ”

今!【感謝!】此のポジティブなる素晴らしい〜〜“感情”から〜〜
“身体が軽く〜〜軽く〜〜♫”なりました。ありがとうございます…。
【賛歌の合唱です〜〜♫〜〜 “感謝の言葉”】

■ ■すべての言葉のしめくくり〜〜♫〜〜【ありがとうございます…感謝の言葉】
                             
 再合掌

PS:トキ様へ…今日の「雅春先生の言葉」に関しましてどのように受け止められ
ましたでしょうか?“アドバイス”頂きますと幸いです…。

817ハマナス:2012/06/13(水) 00:07:33 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま、金木犀様、
こんばんは。
HONNE様のご質問に対する、素晴らしいご返答をありがとうございました。

汝の信ずる如く汝になれ (『新版 生活の智慧365章』P.176)

 心に描くものが形にあらわれ、心に信ずる如くその人は成るのでる。これが釈尊のお説きになった
“三界唯心”の真理であり、キリストがお説きになった「汝の信ずる如く汝になれ」の真理である。

若し面白くない事件が過去の暗い想念の具象化としてあなたの周囲に起こったとしても、その時、
自分の心を暗黒の方向に下降せしめて暗い失望落胆の境地に陥れてはならないのである。若し暗い
失望落胆の谷底にあなたの心が堕ちるならば、折角、暗黒の後に光明が訪れて来ようとしている時に
その光の流れを堰き止めてしまう事になるのである。

 暗黒が現象世界にあらわれて来るのは、過去の暗黒な想念の貯蓄が、窓口から現象界に払い戻されて、
「暗黒の貯蓄」の残額が少なくなりつつあるのだということを充分知って、もう「暗黒の貯蓄」は払い
戻されたのだから、今後は決して「暗黒」なことは出て来ないということを知り、心を一転して光明面
に転ずる習慣をつけましょう。習慣は第二の天性となり、今後は常に幸福が訪れましょう。 

感謝合掌

818金木犀:2012/06/13(水) 00:34:27 ID:3iUAOjZ.
ハマナス様

うっかり、現憲法という言葉に反応して、差し出がましいコメントを
書いてしまいましたが、そのように仰って頂き、有難くうれしく感じます。
いつも謹写されている真理の言葉から差してくる光明に、はっとして暖かくなります。

819HONNE:2012/06/13(水) 11:22:36 ID:jtmmmlXY
生長の家の人の感覚は、一般常識人からズレているのではないかと思います。
間違った事、又は不適正な事を指摘すると「暗黒面を見るな」と言う。
誰がこの中に「暗黒面」を見ているにでしょうか? 生長の家の人だけではないでしょうか?
指摘した人は「暗黒面」など見ていません。「善」の実現のため指摘しているだけなのです。
私が投稿した№814の趣旨がうまく伝わっていないように感じます。
「光明面を見る」ということについて、私は考えます。
誰かが私の行動について間違いを指摘しました。その指摘が当たっているなら、私は指摘した人に対して
感謝し、善き結果を得るよう行動を改めます。その指摘に不満なら、お互いに納得できるように話し合います。
未来がマイナス(思考)にならないようにすることが「光明面を見る」ことなのだと私は思います。

820金木犀:2012/06/13(水) 16:36:14 ID:3iUAOjZ.
HONNE様

何となくあなたの御投稿の主旨からずれたような気がしましたが、
そのまま投稿してしまい、憲法の話のようになり申し訳ありませんでした。

正しい指摘が、暗黒面を見ることにならないとおっしゃることはその通りだと思います。

821金木犀:2012/06/13(水) 18:39:46 ID:3iUAOjZ.
HONNE様

>>820のように言いましたが、
その人の実相の完全円満さを見るということが常に伴っているならば、指摘するのも
指摘しないのも、ケースバイケースだと思います。
でも、基本的には、仰るとおりでいいのではないでしょうか。

822うのはな:2012/06/13(水) 21:02:00 ID:gTn97m6I
智慧の言葉 (新編 聖光録)

○ 意志の力よりも想像の力の方が強い。想像力は創造力だ。

○ みずから起て。自分の弱さを語るな。自分の弱さは語るほど自分を弱める。

○ 人は自分と同じ者を相手に見出す。あらゆる場合において、人は相手そのものを
  見るのではない。自分の心を相手という鏡にうつして見るのである。

○ もっと奥深い「生命」まで突っ込んで行け。奥の奥、裏の裏にある生命を見よ。

○ 愛でひとを世話する人もあるが、誇りでひとを世話する人もある。前者は神の前で
  高くせられ後者は神の前で低くせられる。

○ 世話したい人には素直に世話してもらって感謝し、世話されて余裕のある人は、また
  助けを呼んでいるものを世話してあげよ。これが愛の巡環であり、報恩の道である。

823SAKURA:2012/06/13(水) 21:53:03 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

■「生命の実相」より一部抜粋

厳として今ここに、実相の浄土が存在するのであって、その実相円満完全の表面
に、心頭滅却したり、心境を一変したり、向下したり、向上したり、劫火が燃えていたり、
原子爆弾が爆発したり、衆生阿鼻叫喚につつまれていても、それは玲瓏円月上の身雲が
描く陰影にすぎないのである。病気もまた、一片の浮雲にすぎない。
三省して自己の実相の円満完全さを見よだ。


「生命の実相」より抜粋です!!!      谷口雅春著

              <つづく>

■別の「ボ−ド」では”やくざみたいな方の文章??”拝読していますと…
まるで”現象で物事”を、語られています…。
【現実=現象】で見るのではなくて【実相=心の目】で見る事でしょうか??

これって?とても〜とても〜♫〜大事なのではないかしら〜〜ン?
先ず【心の法則】にもとずく”エクササイズ!!”をしてまいりますと…
全て!整っていくようで〜〜〜す。当時の私は【現象で物事】を考える…
そうです〜〜ネ!「タタキ男…」に振り回されてしまいました”結果”は?
「聴覚喪失…」となります結果に…><
モット〜モット〜【心の法則…】を、しっかり〜〜【心の中に根ずかせて…】!!
いましたら、きっと!!「聴覚喪失」までには、至らなかった事でしょう!!

■■”心を駆使”できる人は【心の王国…ですから、絶対の『君臨…王者』】です…。

                            再合掌

824みすまる:2012/06/13(水) 22:21:35 ID:GpLjp1XI
ハマナスさま

800のご文章大変心に染み入りました。
反省と学びの機会を与えて頂いてありがとうございます。

合掌

825HONNE:2012/06/13(水) 22:26:53 ID:jtmmmlXY
本スレッドには適さない事かもしれません。
人間というものは、善に向かう行動しかとれないと思います。
自分が楽しくなりたい、幸せになりたいという思いが第一義だと思う。
ただ、ここに欠落するのは『自分以外の者(他者)』だ。
想像するに、雅宣総裁も自分にやりたい事が第一義として、
創始者である雅春先生の思いに優先させている事が混乱の原因だと思う。

さて、指摘という行為も善に向かう行動といえる。
特に自分に関わるような問題が発生した場合は、一刻も早く解決したいというのが一般的で
あろうと思うし、その解決手段として原因がどこにあるのか、何なのかを指摘することはある。
一方、「時間が解決する」という事もあり、何も対応策を取らない事もある。
この場合は、問題を持つ当事者間に解決のための時間的緊急性はないと思われる。

826ハマナス:2012/06/13(水) 23:43:39 ID:u5mC.eb2

神の子のみなさま
こんばんは。

宇宙の本源に無限智がある  (『新版 生活の智慧365章』P.177)

 宇宙の最始元には、物質はまだ存在しなかった。真空よりして物質が発生するその過程は
今でも見ることができるのである。宇宙最始元の其処は、星と星との間の空間のように真空で
あったのである。その真空の中に極めて微量の水素がつくられつつあり、それが、宇宙雲として
観測せられるのである。その水素は微量であるが、宇宙空間は広いのであるから総計すれば随分
多量に上り、それが集団して天体を形成したのだと天文物理学者は説明する。

 そうして出来上がった天体上に無数の生物が生れたが、その生物の微妙精緻な構造は、偶然に
物質が集合して出来たというにしては余りにも精巧複雑であり、人間が脳髄の知識などでは到底
製造できない極めて高度の知性の表現であるのである。即ち宇宙は「真空」を素材として、高度
の知性によって一切を現したものだということができるのである。鉱物の結晶から人体の組織に
至るまで色々の形、構造、組織等悉く人知の及ぶことのできない智慧によって設計されている
ことを思うとき、どうしても宇宙の本源に無限智の神を認めずにはいられないのである。

感謝合掌

827ハマナス:2012/06/13(水) 23:59:08 ID:u5mC.eb2

みすまる様
 
暖かいお言葉をありがとうございます。励まされます。
私も謹写しながら、自分にぴったりのご文章だなと思うことが度々、あります。
素晴らしい聖典を通して真理を教えて下さいました生長の家と、雅春先生とに感謝します。

感謝合掌

828金木犀:2012/06/14(木) 08:24:37 ID:cOQV.ogI
HONNE 様の問いかけられた問題に、少なからず関係ある気がするので、
本流掲示板の伝統様のスレッドにありました尊師の真理の言葉を転載致します。

日時:2012年06月02日 (土) 05時07分
名前:伝統


     *『光明道中記(六月 神にむすばる)』より

六月ニ日  恐れずに所信を貫く日

 【闇に対しては光をもって相対せよ。
  非実在を滅するものは実在のほかに在(あ)らざるなり。(『甘露の法雨』)】


悪は無いと云うことと、悪を征服することとの問題が時々混同せられる。
彼らは悪が有(あ)るからこそ征服しなければならぬのではないかと言う。

併し私に言わせれば、悪は無いからこそ征服し得るのである。
暗は無いからこそ光によって征服し得るかのようにである。

光が如何にして暗を征服するかの過程をよく眺(なが)める時、
吾等は教えられるところが非常に沢山あることを発見する。

光は暗をみとめてその進軍を遠慮すると云うことはない。
光は驀(まっしぐ)らに暗に向かって進むのである。
光が暗に向かって進軍するとき暗は消える。

進軍は行(ぎょう)である。

「本来『悪』無し」とは、悪に対して卑怯にも眼を閉じて、
「悪」を見ることを避け、それに触れることを避けて、
「触らぬ神に祟りなし」式に行動することではない。

「悪」をその眼の中に直視するのである。
偽存在(にせもの)はその眼をじっと視詰(みつ)められると、裁判官の前に
引き出された罪人のように眼を外(そ)らして、其処にいたたまらなくなるであろう。

光に視詰められるとき暗は消えるのであって、
暗を消す方法は、暗なんてどうせ無いのだからとて
灯(あかり)を点(とも)さないことではない。

829HONNE:2012/06/14(木) 19:41:16 ID:jtmmmlXY
闇に対しては光をもって相対せよ。

闇というものは本来存在しません。それは光が当たっていないだけです。
あらゆる角度から光を当てれば、影(闇)はなくなります。

指摘のいうものは、光はどこにあるのか、どこに光を当てれば影が無くなるのかという
いわば気付きのための助言のようなものです。
ものの見方を変えれば、あらゆる事象の中に光を見出せます。ありがとうございます。

830SAKURA:2012/06/15(金) 00:19:42 ID:L/SSPPk2

トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

「真理の言葉」は、矢張り【心の探究…書物】に、限ります〜〜〜ョネ!
その「秘訣」は、【真理の本を読む事!更に…毎日がグッド!デ―!】でしょう?
では【心の世界…に“START “〜〜〜♫】

■【栄える生活365章】
――――困難に遭って――――

落葉したときに、その木は委縮したのではなく、年輪をきざみつつ、
その木質は堅緻となる。而して来春の花のために準備がすすめられつつあるのである。
それと同じく、人間も失敗したように見え、行き詰ったように見え、
足ぶみしたように見えるときに、その魂は進歩しつつあるのである。
外に見えるものだけで自分の運命を判断してはならないし、自分を不幸だなと
考えてはならないのである。一長一弛のうちに生命は進歩し、
内在の無限の美と力とを一層より多く展開して行きつつあるのである。
砂の上に建てられた楼閣は崩れ易いけれども、色々の困難によって
搗きかためられた地盤の上に建てられた楼閣は、地震が来ても、大風が来ても
崩れるということはないのである。いつも伸びてばかりいる草木
はウドの大木の如く、堅緻さを失って、早く腐敗してしまうのである。
よくよくこの理を考うべきである。
                       (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■ 今!まさに「現象…」で見ている世界に【意気消沈…><】……ダウン!ダウン!
その様に見えました時は,

わたしの“心は曇り空”でしょうか〜〜〜?
この様な時こそ【祈りが一番…】なのです〜〜〜モノ!!
そして【魂の生長(成長)?】を、前以上に高めてゆけますから、当に!今の現状は、
【魂の進歩の過程〜〜!】なわけなのですョ〜〜〜ネ!

こんな時こそ〜♫〜どんな時こそ〜♫〜【自分に誇り…】に思う様に…
【心の世界を広げる!】時なのです〜〜〜ョネ!

■通じない“相手”と話す場合は、本当に〜〜〜〜〜 ><
【出口が〜〜〜なくなる〜〜〜><】と聞きましたが…
当に、今日はそれを【体験…】…今の私は〜〜〜【ストップ!モ−ション!!】
その様な時こそ…ひたすら【神にゆだねます…!】といいです〜ネ!!

■■【ウドの大木の如く、堅緻さを失って、早く腐敗してしまうのである】
当に“当たり〜☆☆☆☆☆ 5つです!!”その様に、本日は思いました…。
■【意味のない会話】【上げ足を取る事】しかできない人は〜〜〜><
そう言いますと…此処“九州…?”は、多いですかしら〜〜ン?
【上げ足…取るマン?ウ−マン?連合会】でしょうか??
全くいつまでも、伸び〜〜伸び〜〜しています【草木…】と一緒です〜〜〜ネ!
「だらだら会話」でしょうか??それとも「根なし草…」と云います言葉が、
一番適しておりますでしょうか??
この様に思いました私は…【一歩引く事…!】と判断いたしましたが??

■どんな状態でも、私の「思考」は崩さずに、更に!「精神は揺るがない心」を、
植え付ける様に…今日は一つ勉強になりました…。ありがとうございます…。

■■【魂の修行】をしてきました〜〜〜ルンルン〜〜〜♫〜〜〜が??
まだ!まだ!見えない【心の世界の法則…】に、見えを張らず…
“地”に“足”をつけて〜〜〜【実相世界…】に、当に【突入〜〜〜なのです。】

                            再合掌
PS:トキ様
本日の【言葉…】にて理解しましたのが「ウドの大木」……
この言葉の表現…「雅春先生」はすごいです〜〜〜ネ!本日の“言葉”?
どの様に捉えられましたでしょうか…??

831ハマナス:2012/06/15(金) 01:02:13 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。
『生命の實相』の第14巻にHONNNE様のご質問に関するご文章がありましたので、
謹写させて頂きます。

現実の悪はどう改善するか  (『生命の實相』第14巻 P.108〜P.111)

 しかし、「悪」が現にここにあるのを見ないでもよいものでしょうか。「悪」をそのまま
放置してそれを改善するためのなんらの手段方法をもめぐらさないでもよいもので
しょうかとは、わたしがしばしば質問を受けることであります。しかしわれわれは「悪」に
執着しないでも「悪」を改めしめることは可能であるのであります。それが「悪」であると
われわれが知るのは、そこに「善」が無いということであって、悪が積極的にあるという
ことではないのです。――これは実に大切なる真理であります。「悪」は無でありますから、
「悪」を除かずとも善をつけ加えれば「悪」はおのずから消尽してしまうのであります。
「善」をつけ加えるにはどうすればよいかといえば、どこまでも、どこまでも相手を理想化し、
さらに理想化してどこまでも無限に相手を高め上げてゆくことにすればよいのであります。
どこまでも人間を理想化して眺めても、人間は理想化しすぎるということはありません。
なぜなら人間の実相は神の子であり無限に善さを備えているからであります。

 およそ相手を善くするには自身を良くすることが第一であります。自身が良くならないのに
相手をよくなしうるということは困難であります。そしておよそ自身をよくするための方法は、
自分の心の中に光明の精神波動を照り輝かすことであります。自分の心の中に光明の
精神波動が波立っているときその人は善き人であり、自分の心の中に光明の精神波動が
波立っていないとき、暗黒の思念が押しかぶさっているとき、その人は悪しき人なのであります。
人の欠点を見るとき、その欠点に自分の心が捉(とら)われ、それをとやかく言挙げするとき
自分の心の中には暗黒の思念が波打たずにはいないでしょう。「暗黒の思念」は決して相手を
良化することはできないのです。良人(夫)を良くしてやろうと思って小言をいう細君が良人を
ますます悪くするのは、細君の心の中に「暗黒」の思念が波打っているからであります。細君を
良くしてやろうと思って叱りつける良人が細君を良化しえないのも、細君を叱るときの良人の心
には「暗黒の思念」が波打っているからであります。相手を良化しようと思うならば、先ず自分
の心の中から「暗黒の思念」を除去(とりさ)らなければならない。まず自分自身を、「光明思念」
でみたさなければならない――換言すれば、相手の悪を見るような心になってはならないのです。
結局相手の悪を見ないで実相を見る心にならなければならないのであります。ここにこそ自分
自身が光明化し、さればこそまた相手が光明化してくる可能性があるのであります。

(つづきます)

832ハマナス:2012/06/15(金) 01:06:23 ID:0kyCzJg6

(つづきです。)

 「われらが何人に対してでも相手の実相を見るようにするとき、われらは相手と調和するよう
になってくるのであります。実相においてはわれらは本来自他一体であるからである。調和し
ないで反目し相争うのは実相を見ないからであります。妻は良人の実相の円満完全なる姿を見る
ようにするとき良人と完全に調和してしまうのです。親は子の実相を、子は親の実相を見、執着
の念を捨て、神の完全な護りのうちにあることを信じて、相手を神にまかせ預けるとき、親子は
調和したものとなってしまうのです。そしてその家庭は幸福の家と化し天国浄土となってしまう
のであります。

 諸君よ、どれだけでも自分の妻を無限によい妻だと思い、自分の良人を無限によい良人だと思い、
自分の親を無限によい親だと思い、自分の子を無限によい子だと思え。善く思いすごすことに遠慮
するな。どれほど諸君は自分の家庭を理想化して考えてみても考えすぎるということはないので
あります。この行事を毎日続けよ。諸君の親は、諸君の良人は、諸君の妻は、諸君の子供は日増し
にその理想に近づいてくるでありましょう。進歩は絶えず継続する。そして歓びに満たされた
家庭は出現する。家族の各員たち互いに相手を理想化して眺める行事にもまして尊い行事はない
のであります。

感謝合掌

833金木犀:2012/06/15(金) 06:39:32 ID:cOQV.ogI
ハマナス様

いつも本当に素晴らしい御文章を謹写されますことを、感謝致します。
心に響くような感じで拝読しました。有難うございます。

834SAKURA:2012/06/15(金) 21:20:05 ID:V.pKl3yA
トキ様へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
今日も、いつものように“本”を……開きます。
正直、以前は【栄える365章…】を日々読んでいましたが…… ><
現在の私は【幸福を招く365章…】を、中心に“日々拝読”しています…。
この本は「亡き母」が、生前使用していました“モノ”なのです…。
所々に“赤いボ−ダ−ライン”が、入っています…。「亡き母」の字が…><
無くなる!“3年前の字体”なのでしょうか??
よ〜〜く見ますと“字体”が、くずれてきた様な感じで…
ふと!「亡き母」の…若い頃の“字体”を思い出しながら〜「きれいな字」でしたが?

■【幸福を招く365章】
――――人間の本質は健康である―――――

神の子は、その本質に於て神と同質であり、神の美と健康と一切の宜しさとを
表現せるものであるのである。神の自己表現であるところの自分が不完全で
あったり、不健康であったりする筈はないのである。神の完全さはその無限の力を
もって、視えざる世界から絶えず間断なく見える世界へと表現すべく押し迫って
来ているのであるから人間がその力にまかせ切るとき不健全などになりようは
ないのである。若し神の完全さがあらわれないならば、それは、神に委せ切らず、
神の生命の流れ入るのに素直にならず、我の働きが神の波長に合わなかった
結果にほかならないのであります。我によって「癒ろう、癒ろう」と力むことは
却って神の癒す力の流通露を妨げることになるのである。自分を捨てよ
「ままよと云う心にならねばお陰は得られぬ」と金光教祖もいっている。
                           (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■まだ!まだ!「神様は遠くにいるような気持ち??」になる事が、しばしばですが??
このような時は、まだ「神様に甘えていない私?」なのです〜〜ョネ!
更に!もっと掘り下げますと…「まかせ切れていない“私”なのかも?」
その様に、思ってしまいます…。

■今日の言葉から“現在の境遇”に、もう〜〜〜“アキラメ気分”の私が
チョッピリ“心”の隙間にもたげだした事に…気づき出しました…。

■時間のたつのは??速いものでしょう〜〜〜か?「此処4年目…」に入りまして、
どうしても【自由…!】が〜〜〜><と云う感じで
毎日!毎日!絶え間なく「監視されているの〜〜〜?」
その様な気分に陥りやすいのですが…全く!此処30年間近く“接点”のない人物が…
他人の【プライバシ−に土足で入り込む…】つまりは【監視…】です…。
勿論!【行動も全て監視…状態】に、されているとの“判断”しましたのが…
そうです〰〜ネ!【3年前…】でしょうか〜〜〜?
思い出しますが…「3年前…東京の美容院」に参りました時も…“娘”に…??
でしたかしら〜〜〜ン!!

■まだ「神様に…私は完全に全托?出来ていないのでしょう〜〜か?」と…
今日、つくづく思いました。もう一度「神様に甘えるように」すがって
【祈り…】に徹してみようと…そうなのですョ〜ネ!
「今日から〜〜再スタ−ト」
東京在中の時は、いろんな【奇蹟…】がありまして【祈り…】もそれなりに〜ですが…

■■今の私達は、まだ〜まだ〜【現象で物事を判断している】と自覚しました。
「梅雨に入り」このような時こそ…【ボディティブにて祈り】…との思いにて、
【神様に…全てを“おまかせ主義”…】委ねて行きま〜〜〜す。

                                    再合掌
PS:
トキ様へ…「神の子」この自覚が…本当に出来る方は少ないものと思います…。
此の点は?どう思われますか…?(難しい時がありますのですが〜〜)
「雅春先生の書物」の中からの抜粋…当に“その人の心の影…”と申しますか・
都合のいい解釈論での抜粋になりますかしら〜〜ン!
いつも「祈り…」にて、“本”を開きますと…不思議なのですが??“ピッタリ”
これも?【神様におまかせ?】ウフフ?
本当の「神の子…の自覚」これは…『父上様である我が神…』に全て委せ切る…
これが何処まで出来ますかと云うことが…“課題”なのでしょうか?

835HONNE:2012/06/15(金) 21:52:22 ID:jtmmmlXY
私の問いかけに関して、雅春先生の文章が掲載されました。ありがとうございます。
さて本題なのですが、
掲載された雅春先生の文章と、雅春先生が「諸悪の根源は現憲法である」として
『明治憲法復元』の主張及び運動したこととの整合性を説明してもらえないでしょうか。

836ハマナス:2012/06/16(土) 00:40:21 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。
金木犀さま
ありがたいお言葉を恐れ入ります。

想念は万物の創造者  (『新版 生活の智慧365章』P.178)

 原子は無論肉眼には見えないし、顕微鏡下にも殆ど見えないほどの微小なるものである。
この極小の中に驚くべきエネルギーが詰め込まれていて、そのエネルギーの扉を開くとき
巨大な動力又は爆発力を得ることができる事は既に何人もよく知る通りである。単に物質の
微小体だと思われていたところのものが、実は“原子の扉”を開いてみるとき、原子全体が
驚くべきエネルギーの宝庫であり、物質とは実はエネルギーの圧縮された塊であったことが
判るのである。宇宙は実にエネルギーが法則によって、無相より無限の相(すがた)に色々
と姿を変えてあらわれているものであることが判明したのである。

 神はどんな微小体にも秘められている此の無限に巨大なるエネルギーをば、如何なる手段
によって変形して、この宇宙を、天体を、万物を造ったのであろうか。宇宙の最始元には
如何なる物資的道具も機械も無いのである。神はただ“心”によって創造するほかに方法を
もたなかった。即ち神の“心”は唯“想念”することによって万物を想像したのである。

感謝合掌

837金木犀:2012/06/16(土) 00:45:58 ID:3HEelJFk
HONNE様

私は>>819で、あなたが憲法に関しては、ただ例としてあげられただけで、
暗黒面を指摘するという事の意味を、問題にされているのかと思いました。

とはいえ、憲法問題が主旨であられたとしても、この伝統様の引用された御文章は
憲法にも当てはまると考えます。
私は、現憲法は、諸悪の根元ですから、本来無いものであると
思います。だから>>828での文章のように、しっかりと見つめてその正体を見れば、
この憲法が、本当は正しい手続きによらないで成立させられたもの、日本の国体を表してないもの、
そういった様々な矛盾が暴露されてくるという意味にとりました。
だからこそ、この憲法をしっかりと見つめてこの憲法の正体を国民の前に暴くことが
必要であり、石原都知事はその一石を投じられたと評価します。そして、本来あるべきでないものとして、
破棄されるべきであると考えます。

もっとも運動論方法論は、あなたの仰るように、運動しながら、それを分析しては、
工夫を凝らして発展させてより良くしていくべきと思います。
運動や方法の結果分析を、暗黒面を見るといって拒否する人がいるとは思えませんが。
また憲法が悪いと知った人が、憲法が間違っているといった人を、
暗黒面を見ていると批判するとは考えられない気がします。

838金木犀:2012/06/16(土) 01:35:44 ID:3HEelJFk
HONNE様

今最初のご質問の部分を見なおしまして、物事を正確に見ることは暗黒面を見ることにはならないと仰ったことについて、
それはそのとおりですが、物事を正確に見た上で、悪は無いと否定することが、暗黒面を見ないということだと思います。
また、人間のような人格を見る場合と憲法のような、理念そのもののようなものを見る場合は違うと思います。

人間は表面の現象がどんなに悪く現れていても、その実相は神の子で完全円満であると教えられました。
だから、表面の現象の奥にある実相を見ることをまず行わなくては、その現象の間違っていることをいくら指摘しても、
それは時には素直に受け入れられる場合もあり、時には反発されることもあると思います。
これは実相を見て、本来善であり、悪はないと否定するときに、
その人の素直さが現われて、指摘したことをすぐに受け入れてくれることもあるでしょうし、
間違った部分を指摘しないで、良いところを逆に指摘したほうが、
かえって良いところが伸びることによって悪いところが改善されることもあると思います。
実相を見ないで、間違っているところを指摘しただけでは、
感謝して受け入れる人もあるかも知れませんが、
反発して激怒する人もあると思います。

それから憲法は、基本法という理念そのものですから、その理念が間違っていれば、(理念というべきかわかりませんが)
これは良くなりようがないのですから、完全に悪として拒否しなくてはならないものだと思います。
妄念、妄説、虚説に相当するものだと思います。

あなたの問いかけがハマナス様への問いかけだったのかも知れませんが、
一応私としても答えさせて頂きました。余計なことだったらすみません。

839ハマナス:2012/06/16(土) 23:52:54 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

全ては想念の具象化  (『新版 生活の智慧365章』P.179)

 人間は神の生命を宿し生まれた。(実は神の他に生命の根源はないのだが)そして、神の生命は
心に“想念”を思い浮かべる事によって万物を想像したのである。そうすれば神の生命を宿し生れた
人間もまた想念によって万物を想像することができる筈である。実際、一切の発明も、設計も、機械
も、建築も、文学も、美術も、彫刻も、政治も、戦争も、平和も、悉く、もとは“想念”として心に
思い浮かべられたものが具体化したのである。

 では、あなたの“想念”に暗黒な事を描くな。あなたの“想念”に唯光明のみを描けよ。あなたは
神の如く、“想念”によって万物を造る。殊更に、“想念”に暗黒を描いて暗黒なものを作る必要は
ないではないか。あなたは“想う”という過程を通して、常に間断なく“何ものか”(あなたの想う
もの)を形の世界にあらわすべくその要素を引き寄せつつあるのである。あなたの“心”はラジオ派
のように宇宙にひろがる。そして肉眼に見えない処のものを動かして引き寄せつつあるのである。

感謝合掌

840HONNE:2012/06/17(日) 19:40:25 ID:jtmmmlXY
ハマナスさんの投稿意図とは全く違う事とは思いますが、私の勝手な解釈から考えてみました。
指摘という行為の前に、「“想念”に暗黒な事を描くな。」を思う人もいるのではないか。
コレは妙な事だ。
「光明面を見よ」の生活を提唱しながら、指摘という行為の中に
「“想念”に【暗黒】な事を描くな。」という【暗黒】を見出す事に躍起になっているように思える。
「光明面を見よ」という人が、【暗黒】に対してこだわるというのか、通常以上に反応することには滑稽に見える。
ひょっとして、光明面を見る人は、暗黒を探すのが好きなのだろうか?

841HONNE:2012/06/17(日) 19:51:29 ID:jtmmmlXY
補筆

「本音を見透かれる」ということがすべての人に適用されるのなら、
人はもっと純粋に生きることができるのかもしれない。
この世ではないけれど、そのような世界もあるそうだ。

842SAKURA:2012/06/17(日) 22:48:28 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
「本格的?梅雨…」に入り“湿っぽい空気が部屋の中に?充満”でしょうか?
“雨ふり〜〜のこの頃”ちょっと“見方”の角度を変えてみますと〜〜?
“楽しい雨〜〜”になります〜〜ネ!

もう何十年ぶりでしょうか?「学生時代」からでしょうか〜〜〜?
先日「素敵な雨用の靴…ハ―フ靴」を見つけました。
今!その品物が来ますのが〜〜〜“楽しく!ルン〜♫ルン〜♫”です…。
意外にも、これだけの些細な事でも、何となく〜〜随分“気持ちの変化!”が…
通勤時の『カラフルな雨傘…雨用の靴…』  ウフフ!
さて!! 今日も【楽しい心のペ−ジ】を…もっと“心の探求心”も出来ますように!

■【幸福を招く365章】
――――難問題は神様に委ねること――――

事態が紛糾して来て解決がつかなくなったと思われるような時に直面したならば、
その時に必要なのは、取越苦労でもなければ、とつおいつの思案でもない。
あらゆる人間智を捨ててしまって、神の智慧を呼び出すのが解決の早道である。
心が転倒したり、腹が立ったり、恐怖したりした瞬間に、カッとなって物事を
断行してはならないのである。そんな時に必要なことは唯一つ、心を平和にして、
難問題を神様の肩の上に委ねることである。それには
(一)先ず取越苦労をやめる。
(二)必ず良き解決の道があることを信ずる。そして「わが内に宿りたまう神、
無限の智慧をもってすべての人に最もよいように問題を解決し給う」と
繰返して念ずることである。
                   (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■【問題?】…そうなのです【難問題は神に委ねる事…】でしょうか〜〜〜?
幾ら、「心をイメ−ジ」してみましても…『現象』で物事を見て行きやすいです〜〜ネ!
そんな時は、やはり“目”を閉じて…私の“心の奥殿”に入り“対面”でしょうか???

ア〜〜〜ッ!時間が〜〜〜 ><その様な“云い訳…”タブ−でしょうかしら〜〜ン!
「わずらしくても、ちょっと“5分…10分間”…心の“目”を…
目を瞑る「イメ―ジ」するだけでも…『現象的な判断が消え』去って行っていますし、
更に!もっと深い“内容”でしたら…これは?そうですョ〜〜ネ!

■【神想観=瞑想…】でしょう〜〜〜か???神様への“メッセ―ジ”

なのに不思議と【現象的=現実的】に見てしまいますし“理性”で判断しがちですが…
今後!気軽に【祈り…】です〜〜〜ョネ!
【祈り=神=潜在意識に突入=イメージ物事の解決】なのでしょうか???

今日は、出勤前に「軽い神想観」をしましたが…意外!にも“スム−ズ”に…
何とな〜〜く?何とな〜〜く?身体が軽く…物事がうまく行きましたようなのです。

更に「今日の言葉」より【難問題は全て神に委ねますし、取越苦労は私には不必要】と…!
今日の言葉より【2項目の言葉…実行するのみでしょう…唯今!進行形…です!!】

                                  再合掌

トキ様へ…
今日の言葉…『取越苦労』…どうかしますと“ネガティブ感情”の時は、
ついつい〜〜この事が、もたげてしまいます事が〜〜〜>< 度々??
トキ様は、この経験はあられますでしょうか??
今の私は!その「気づき」の時点で、全く関係のない事を…考えるようにしています。

843ハマナス:2012/06/17(日) 23:44:57 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。今日は原宿の本部でも、谷口雅春先生の27年祭が厳かに行われました。
雅春先生のCDを拝聴し、その中で聖経『甘露の法雨』の由来をお話しされていました。


神意の実現者たれ (『新版 生活の智慧365章』P.180)

 吾々が植物の種を蒔く。植物は発芽し生長し、花を開き、実を結ぶ。この微妙にして
神秘なる働きと機構と過程とは、どんな“電子計算機”でも出来ることではないのである。
人知の最高を尽くした“電子計算機”も一個の小さき植物の種子に及ぶことはできない
のである。人間はもっと謙虚に大自然の智慧の前に跪(ひざまず)いて、神からの智慧を
受けるようにしなければならないのである。
 
 医師は傷口に消毒薬を塗って繃帯(ほうたい)する。繃帯も消毒薬も、新しき肉芽と
なることも新しき皮膚となることもできない。傷口に新しき肉と皮膚とを新生せしめる
ものは人体の内部に宿る神の生命である。医師は神の生命の動きに唯協力するに過ぎない。
こう言っても私は医術をいやしめるのではない。人間のすべての動きは「神の生命の動き」
に協力することによって万物を成就するのである。「神の生命の動き」とは法則である。
法則を守り、法則に協力することによって、吾々は益々神と一体となり偉大な神意の実現者
となる事ができるのである。

感謝合掌

844SAKURA:2012/06/18(月) 20:20:04 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

“雨”が、シトシト〜〜〜“憂鬱”になり易いです〜ネ!
そのような時には、やはり“仕事”に集中したり…“本”を読んだりして?
このネガティブ感情=憂鬱を、吹き飛ばすのも〜〜“メイン”でしょうか??
今!私自身、平均的には、この“ボ−ド”に投稿させて頂いております“書物”…
これで、随分“心が豊かに”なりますでしょうかしら〜〜〜ン!“不思議”なのです。
今日の「ネガティブ感情への神様からの“メッセ−ジ”頂きました…。
では【課題】に〜〜“本”を開きます〜♫〜

■【幸福を招く365章】
――――人の悪しき言葉に乗るな――――
怒りは火事のようなものである。あなたの心を焼きつくし、地獄の焔の中に投げ込み、
ついに身体までも病気にする力をもっているのである。誰かが不親切な言葉を
発したからとて、それを自分の心の竃の中に抛り込んではならないのである。
不親切な言葉は、あなたの心の竃の中で燃える地獄の火の燃料となるのである。
不親切に対して深切をもってし、憎しみに対して愛をもってするのは、自分の心の
中にほり込む燃料に水を注ぐようなものである。人の告げ口に乗るな。
それは怒りの焔を煽る風のようなものである。愛語と調和の言葉を雨ふらして、
心の火事をけすことである。常に「平和」を念じて祈れ。 (谷口雅春著)                       
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■さっそく「事件…」は起きました…。本当に【開けて〜“ビックリ”なのです。】

■まるで〜まるで〜「他人のプログ」に乱入したような感じにされているの?
その様にも受け止められます感じでしょうか…?
もしくは?まるで「このボ−ド」は、私の“モノ”なのョ!〜〜〜とおっしゃって
いるのかしら〜〜〜ン!と思う次第なのですが…「感情文章表現」ですか?
拝読しまして“いやな気持=ネガティブ感”になりましたが…先ず!
持ち前の【SAKURA】に戻り、友人に“メ−ル”で読んでみて〜〜〜と?送信!!
やはり【類は友を呼ぶ…】でしょう“駒がとぶ”ような仲間には、分かる様です〜ネ!

■私も、昔の【古典文学…】は分かりません。…が!何度も読み返していきますと〜〜
アバウト的に“理解”が出来るのですが〜〜?

■■【英語】でも【日本語】と同様に【方言=なまり】がありますでしょ〜〜ウ!
この【なまり…】が〜〜現代の私には【日本語から英語…】に表現します時、
その時点での“感情”を踏まえましての【英語】になりますので…難し〜〜い!

更に【古典…】で表現されます場合???その時の“環境・慣習…”も踏まえまして、
現代日本語表現になりますので、これも私に取りましては?難し〜〜い ><
なのですが〜〜〜今回!投稿者様方々より【SAKURAは火星人】にされましたが?

先ず!相手からの御親切なる“メッセ−ジ”には、一応!受け止めさせて頂きまして、
その上で、私なりの考え方を【女子会にて投稿】させて頂きました。

■今回【生長の家…お家騒動】でも、昔の【生長の家の信者】と比較しますと…
あちらの方はまるで?【創価学会なの〜〜】そのようにも見えて仕方が…
ありませんのですが…?その様な事を相手に伝えたとしても【理解が出来ない〜〜】
なのか?
むしろ【何らかのほかの”目的”が〜〜〜】との判断に至りましたが…

■【人それぞれ??ですから、自分の”視野での考え”を押しつけない事では、
ないのでしょうか〜〜♫〜〜

今回!!私自身も「この人の”文”くらい〜〜ネ!」と”心”で思っても、
いざ!それを”文章投稿”に掲載する事は、相手への??でしょうか。
やはり“本日の言葉”にて、いけないと改めて思いました…。
人の【批判・中傷…】と同じです〜〜〜ョネ!
同様に「告げ口…」は、私は昔から好きではないし、先ず【賛嘆した言葉の表現】を、
私なりに…そうなのです!
どしゃぶりの雨?様に【今後!賛嘆言葉のどしゃぶりの訓練】をして行こうと決意!
私も表現が足りない時も?そう思いますと【どしゃぶりの雨位…賛嘆表現】へ、トライ!
前以上に思った次第なのですが…!今回「先生の言葉」より、

■■【益々!賛嘆物語り】で〜す。【SAKURA…益々” 賛嘆日記…開始!】 再合掌

PS:トキ様…今日の“言葉”どの様に受け止められましたでしょうか?
“アドバイス”頂きますと幸いです…。

845ハマナス:2012/06/18(月) 22:46:50 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。今日から、第 三 部 繁 栄 の 泉 に入ります。

  いま吾が生活を支配する法則は、
  愛と信仰と繁栄と、そして真理とである
  吾れは人の間違いもなしに吾が未来を透見し得る――
  何故なら吾れは今日(こんにち)
  未来の刈入れのために善き種子を蒔きつつあるからである。
  われは善き収穫を予期する。
  それ故、吾れは平和と信仰とのうちに晏然(あんぜん)としているのである。 
  我れは神の御手に委ねる。 
  神の法則は愛である。
  愛なる神に感謝致します。
                 (谷口雅春先生著 『日々読誦三十章経』より)

第七篇 無限の供給を受ける道
 物質は神の愛の表現   

 キリストが或る時、奇跡を行った。五つのパンを五千人に分けたら食べ飽きて尚籠十二杯に
山盛りにパンが残った。そんな馬鹿らしいことがあるのかと一見思われるのであるが、聖書を
注意して読むと、イエス「一片のカケラも残らないように其のパンの屑を集めよ」と弟子に
指令しているのである。爰(ここ)に真に無限供給の原理があるのである。

 一片のカケラも全て神からの賜(たまもの)なのである。その賜を尊重する心のあるところ
に、そのカケラが増殖して、ついに十二杯の籠に山盛りのパンともなったのである。神からの
賜を尊重しないで、唯単にそれを物質的な塊だと、軽くあしらっているとことに、人間が貧しく
なる原因があるのである。物質はそのまま「神の愛の実現」である。百丈和尚は一枚の菜の葉が
川へ流れて行ったのを駈足で追って行き、それを拾って「仏物」として押し頂いたと云うことである。

感謝合掌

846ハマナス:2012/06/18(月) 22:49:03 ID:0kyCzJg6

ありがとうございます。
『新版 生活の智慧365章』P.183からの引用です。

847ハマナス:2012/06/19(火) 00:09:04 ID:0kyCzJg6

HONNE様、金木犀様
ありがとうございます。
金木犀様が、838でお書きになっていることに殆ど、同意見です。

生長の家では、“現象なし、実相独在”と教えられています。
私達の日常で、何か問題が起きた時に、余程、悟られている方でしたら、すぐに「光明面を見る」と
言われて、すぐに「実相を観る」事が出来るでしょう。
しかし、多くの場合、(長く生長の家を信仰していましても)問題(暗黒面)にひっかかって悩ん
だりします。そこで、雅春先生は、 “光明面”に対比してわかりやすくお説きになるために、
“暗黒面”という言葉をお使いになって、“心”の持ち方の重要性を教えて下さっていると思います。
決して“暗黒面”に引っかかっているのではありません。

光明面のみを見る  (『新版 生活の智慧365章』P.173)
 「事物の暗黒面を見てはならない。また他(ひと)の暗黒面を見てはならない。更にまた自分の
暗黒面をも見てはならない。を見るとき、必ず自己の“心”の中に暗黒な事を描くことになるので
ある。そして自己の“心”の中に描かれたものは必ず、いつかはその描かれたる姿が現実化して
自己の運命となったり、自己の境遇となったり、不測の災いとなったりしてあらわれて来るのである。」
 
「暗黒面を見るかわりに事物の光明面を見よ。他の光明面を見よ、更にまた自己の光明面のみを見よ。
光明面を見るとき、光明面のみが“心”に描かれ、“心”に描かれたものが増大し、具体化し、
自分が一層明るい気持ちになり、運命が一層好転し、身辺に気持ちよきもののみが現れ、ついに
自己の住む世界が地上の天国浄土となるに至るのである。暗黒面を見るよりも、光明面を見る方が
余程楽であり、容易であり、気持ちがよいのに、何故多くの人々は光明面よりも暗黒面を見たがる
のであろうか。彼らは心の法則を知らないからである。」とお書きになっています。

どんな暗闇も、光にあうと、パッーと消えてしまうように、ただ私たちが光になれば良いと教えて
下さっています。
うまくHONNE 様のお答えになっているかどうかわかりませんが。
神想観をして、神の子の自覚を得て、神との一体感を得ることが、大切ではないのでしょうか。

感謝合掌

848金木犀:2012/06/19(火) 09:50:24 ID:vaQBf3X6
相手に宿る美しき清き完全円満なる実相が
あらわれるように祈ってあげることほど
素晴らしい祈りはないのである
実相の中には“全て”が蔵されているのであるから
その実相が顕現するように祈るところの祈りには
相手が健康になるための祈り 裕かになるところの祈り
家庭が調和しすべての人々と完全に調和に入るための祈り
相手が完全に魂の自由を得て完全に個性を発揮し得る祈りが
含まれているのである
祈りは一種の霊波であって
それは電波よりも一層鋭感的に時間を超え 空間を超え
超時空の世界を媒介として われらの祈りの愛念を全人類に通じ
以て全世界に争いなき調和ある美しき裕かなる理想世界を
実顕するためのエネルギーとなるものである

谷口雅春先生著 『真理は生活にあり』より  生長の家誌昭和55年12月号

849HONNE:2012/06/19(火) 12:15:04 ID:jtmmmlXY
人は指摘を受けると、暗黒面しか見えなくなるようです。

「ある人は教えから離れ、人生の暗黒面を見て、
 人々の悪口を言う生活に自ら進んで入っていくこともある。
 せっかく光明一元の人生観を教わっても、人生の何に注目し、
 どういう目的、どういう動機で物事を行うかという点で暗い、
 間違った選択をした場合には、
 生長の家でかつては幹部活動をしていた人でも、
 光明思想から離れていくこともあります。」


【間違った選択】と決め付けていいのでしょうか?

850神の子さん:2012/06/19(火) 12:53:54 ID:???
HONNE さんが指摘した部分の文章はまさに

人間神の子の教えではなく「暗黒思想」を持った人の文章ですね。

教団から離れた人達が・・人々の悪口を言う生活・・って発想がそれです。

光明思想から離れているのはこの作者ですね。

851SAKURA:2012/06/19(火) 21:57:02 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

昨日から、相変わらず?人に押し付けているのかしら〜〜〜ンとの“想い”?
ちょっと考え込んでしまいましたが?当初の「計画…」からは、大幅に狂って… >< 
いろんな方々がいますから、当然“相手の生活環境・考えの方”も異なります〜ョネ!
ト−タル的に考えますと“複雑“なる気分です〜〜ネ??
このような“ネガティブ感情=気持ち”で…では!本を開きま〜〜〜す。
■ 名目… 合掌!! … 沈黙〜〜〜
【我此の書を開き給いて なすべき道を〜〜〜☆】出ました…では?“スタ−ト”

■■ 【幸福を招く365章】
――――天地万物に感謝せよ――――
ブラザ−・ロ−レンスは「自分は神の愛を感じながらフライパンの上でケ−キを焼く。
神の愛を感ずるには自分にとっては地に落ち散っている藁ひと筋を拾うだけで充分である」
と云ったそうである。「木の切株に腰をおろすときにはその切株を拝んでから腰をおろせ。
大根を抜くときには、大根にお礼を云ってから抜け」と云うのが金光教祖の教えであった。
一筋の藁、一本の大根、それに神の愛を感じ、感謝出来るのが宗教的境地であって、
金が儲かるから集ると云うのは相場師の境地である。百丈和尚は一枚の大根の葉が流れ
行くのを追っかけて往って拾って頂いたと云う。
人生が退屈であったり、無意識に見えたりするのはその人の愛が乏しいからである。
愛して何事でも、愛のために行うならば自然と歓喜が湧いて来て退屈であったり、
無意識に感じられたりする筈はないのである。
仕事が退屈なのは、その仕事を経済的理由で自分の労力を切売するような気持ちで
するからである。「神様、あなたの愛をこの仕事を通して実現させていただきます。
ありがとうございます」と感謝しながら仕事をするならば、決して仕事は退屈な
重荷となってこないのである。利己主義のところに真の悦びは湧いて来る筈はない。
神の愛を実現する処にのみ真の悦びは湧いてくるのである。  (谷口雅春著)                           
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■子供の頃は!“トイレの掃除”は、意外とさせられました方?なのでしょうか?
段々と高学年になっても…正直申しまして“イヤナ感情=気持ち”はなく【実行…】
逆に…【トイレの掃除をしますと〜〜〜綺麗になれる】と、ひたすら信じる“私”
従いまして“高校卒業”しました頃、初めて化粧を…しました時なのですが?
近所の方が「綺麗に〜〜なったネ〜〜♫〜〜去年より〜〜〜綺麗に〜〜♫〜〜」
更に!「美人に見えるョ〜〜〜まるで“ハ−フ”みたいに見えるの〜〜ネ!」と…
良く云われだし、更に!専門学校に行き出してから、帰りが遅くなる…
そして更に!“音楽活動でヤマハ”に行ったり…バイトに行ったり…【時間調整が〜〜】
               <つづく>             NO.1

852SAKURA:2012/06/19(火) 21:59:21 ID:V.pKl3yA
<つづく>             NO.2
トキ様 へ
観覧者様 へ
>>851投稿の続きより

■気がつきますと「トイレ掃除は??」…そうなのです〜〜ョネ!
現在!私の“パ−トナ−”の方が、気が付きますと、私より「トイレ掃除の回数」が
多いのかも??この頃!彼女は“綺麗〜〜〜”に見えます…。
本当に、良く見えるのですが…??おまけに“トイレの歌…”ありますもの〜〜ネ?

■ ■本当に「トイレの神様」は、いらっしゃいますかしら〜〜〜ン???
皆様は、どの様に思われますかしら〰〜ン!

■この頃、新たに「トイレの神様」思い始めまして、私は【ピッカと光が〜〜☆】
そうです〜〜〜ョネ!

■■【年をとらない…永遠性の秘訣??又!!「トイレ掃除…復活組」に〜〜】
今回!先生の言葉“一本の大根を抜くとき神様に感謝”……そうです〜〜ョネ!
この料理出来る“環境”…私の場合は【ダイエット料理】が出来る事…!【感謝!】
私も“神の愛”が伝わる〜〜〜と、“瞼”を閉じまして、「名目…合掌…」
本当に、不満を先に思う前に、狭い中野のあの頃の“思い出のワンル−ム”
そこにての“キッチン”は、問題にならないくらい、とても“狭かった状況”…
当時の私は【料理が…楽しくて〜楽しくて〜狭い“キッチン”を活かす料理】を…
但し、まだ“味付け”〜〜〜当に“下手”でしたが…
あれから比較しますと、現在は“リッチ感”但し私の自己満足??でしょうか?
それなのに〜〜〜 ><人間は「のど元過ぎれば熱さ忘れる?」慣れますと…
いつの間にか【感謝…】がおろそかに〜〜〜反省!
あの頃の“楽しかった事”を思い出しながら……今は“瞼”を閉じて【感謝行…】

■現在の私の環境は【四面楚歌…】ですが、小さな事から〜〜素敵な発見を〜〜
まるで【感謝!感謝!は宝の山が…一杯詰まってる!!】
今日から、再び【宝の山…探しなので〜〜す。】スタ−ト【感謝行…】   再合掌

PS:トキ様?今日の日常の些細な事柄…全て【感謝(心から)】難しいですが?
この【感謝…心から】どの様に思われますか??

853トキ:2012/06/19(火) 22:21:46 ID:tLG2kBs2
 感謝の心は大事ですね。感謝から始めて、感謝に終わる、という事ですね。

 些細な事から始めて、やっと大きな事にいくのですね。お互いに、頑張りましょう。

854ハマナス:2012/06/19(火) 22:26:29 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

生活力欠乏の原因  (『新版 生活の智慧365章』P.184)

 「物質は物質に非ず、それは神の愛の具象化である。」私たちが一片のパンの欠けらをも
神の愛として感謝する心になるとき、私たちは実相の世界にある無限供給の霊的波動に
波長を合わすことができ、必要に応じて、その欲するものを現実の世界に実現して来ることが
できるのである。

 生活力の欠乏――即ち虚弱や病気――それから、経済力の欠乏――すなわち貧乏や物質
不足は、私たちが神の愛の具象化に波長を合わさなかったときに、テレビに放送が映って出
ないように、受信力の欠陥としてあらわれて来るのである。この原理を知らないために、
或る種の人は、物質の潤沢を確保するために、霊的世界に波長を合わすことを忘れて、逆に
貪欲になって、貪り取ろうと云うような気持ちになるのである。

感謝合掌

855ハマナス:2012/06/19(火) 23:29:15 ID:0kyCzJg6

ありがとうございます。
今日『生命の實相』を読んでいましたら、ぴったりのご文章がありました。
 
それで、聖経の解釈に帰りますが、「吾は真理なり、真理より遣(つか)わされたる天使
(てんのつかい)なり。真理より照りかがやく光なり、迷いを照破する光なり」とあり
ますが、天の使いとはすなわち、真理より輝き出た光であるのです。それは迷いを破る光
であります。光がさせば闇は消えてしまう。よくない現われ、すなわち、迷いは真理に
照らされたら消えてしまうのです。ですから「生長の家」へ来ると病気が治るというのも、
何かの方法をもって病気を治すのではない。『生命の實相』を読んで、われわれが自分
たちの神の子なる実相を悟った時に、いっさいの闇は消えて不完全な現われである病など
は消え去る他はないのであります。  (『生命の實相』第21巻のP.164)

感謝合掌

856うのはな:2012/06/20(水) 19:39:01 ID:gTn97m6I
 『超宗教を建つるまで』 はしがき 谷口雅春 先生著

 此の書は近頃しきりに出る『我が生活を見よ!』と云うような気負った種類の
自伝ではない。これは寧ろ、幼きときから最近に至るまでの私の生活の恥ずかしい
方面の叙述と描写とである。此の一篇を私が『生命の實相』全集の第十巻に収録したとき、
『著者は聖者のごとき生活をしてきた人だろうと思っていたら、此の書で観ると通常の凡人の、
寧ろ穢れてきた生活を送って来た側ですね。私は今迄憧れていた目標に幻滅を感じずにはいられない』
と云っていた人もあった。また或る読者は『著者がこんなに赤裸々に自分の私生活を公表するのは
生長の家がインチキでない、真正直に本当のことを告白している証拠だと思う。

これだけ人生の色々の苦しみを嘗めて来た人にして初めて人生の指導者になり得るのだと思う。
これはトルストイの「我が懺悔」ルツソオの「懺悔録」以上に峻厳な自己暴露だ』と云って
『生命の實相』のほかのところに書かれている奇跡的な事実を、そのままあり得る、と承認して
救われた。『生命の實相』を読む人たちが、読むに従って、『自分の心の通りが書かれている』
と自己自身の心を自己解剖されて病気が治る事実が頻々あるのは、私自身が自分の心の底深く、その
暗黒面を貫くほどに見詰めて来たからである。一人の心の中に深く穿ち入るとき、それは同時に萬人の
心の世界に穿ち入ることになるのである。

かくして悩みの底にありながらも、光明に憧れ求めて来た私の光明を獲得するまでの喘ぎは、人類萬人の
等しき魂の喘ぎであると思う。この意味に於て、私は此の書が多くの悩んでいる人にも、光を求めている人にも
読んで頂きたいのである。
救いは凡人にも、悪人にも、罪人にも、如何なる人にも来るものであることを本書によって知って頂けば、本書を
単行本にして公刊する目的は足りるのである。
 最後に、最近実施された宗教団体法で、今まで教化団体なりと主張して来た『生長の家』が宗教だと認められるに到った経緯を
叙述したものを附録として収録することにした。それは礼拝の本尊なしに、礼拝の儀礼なしに、礼拝堂なしに、全然宗派的臭味なき
超宗教が、宗教とみとめられるに到った経緯である。やっぱり私は『宗教だ』と文部省でみとめられながらでも『超宗教』だと云い続けて
来たいのである。
この意味こそ、私は『超宗教を建つるまで』と本書を題した所以である。

 昭和十五年六月四日 著者 識     (現代仮名に変更写 投稿者)

857SAKURA:2012/06/20(水) 23:20:14 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。

“セルフイメ−ジ”の観点が悪いと、“プラス思考法の信頼性”は、かなり
低いのです〜〜〜ョネ!  ><
更に!「意志の力」や「気合い」「自制心」などの効率も〜〜〜><
そのような感情では、“心の世界”を考慮していく内に…【変化==>成功】にも、
影響しますかと??従いまして、それを為す前には!!
【心の世界の訓練】です〜〜〜ョネ!私の“メカニズム…脳を活性化”させましょう?
【脳の活性化】は、勿論“セルフイメ−ジの観点”を見直す“心の世界”へ〜〜ゴ−!
では“心の世界”・・・脳活性化・・・“s t a r t !”

■■【幸福を招く365章】
―――――無抵抗が最強者である―――――

恐れたところのものが、気がついて見ると味方であることがある。
困難は自分を磨く砥石である。気嫌いするから相手が意地悪く出る。同じ相手が
和解して見れば、実に自分にとって深切な味方である。この真理を貴方は
今一層はっきり自覚したのである。だから貴方は如何なる境遇にも如何なる人にも
和解の心をもって臨んで決してそれに抵抗し摩擦することはないのである。
今あなたは「無抵抗の真理」を悟ったのである。若し真にあなたが無抵抗に
なるならば何物も貴方を害する事は出来ぬのである。
                       (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■この頃「学ぶ会」の方々の「イメ−ジ」はかなり悪いです〜〜〜ョネ!
私の知り合いも…彼らの“言葉遣い?”は、【信仰…】ではない〜〜ョネ!!
聞くだけでも“悪口集合体”なの〜〜〜><この頃!
彼らの“投稿文章タッチ…”を見るだけでも〜〜??がでてくるの〜〜ョ!と?
この様な“メ−ル”が…確かに、それは、私でもいつ見ても“悪口集合体”なの〜♫〜

■彼らの【真理…】に対しての“レベル…捉え方”の相違が、感じ取られます。
【聖典…】を拝読していましたら、
もっと【調和的な精神…】更に!【人を引き付ける…言葉=用語】が
出てくる筈なんですが〜〜〜
いつの間にか?まるで【凡夫…】になり過ぎてしまったのでしょうか?
この頃は、特に!見えてしまいますが〜〜〜

これは私の“セルフイメ−ジ”を、決めつけているからでしょうかと??この頃
考えこんでしまいますのに………それでも、持ち前の「明るさ〜〜」で…
【光明面=良い面】を引き出しながら“イメ−ジ”しますが……
やはり“考え方の相違”なのでしょ〜〜か?それとも、
“聖典の捉え方”の相違なのかと……首をかしげてしまいます…。

■■このような時の【和解…?】は、難しいです〜〜〜ョネ!
逆に、そのような時程【相手の欠点…】が、目についてしまします。
そうです〜〜ョネ!【見えます時は…此方も一つの■危険信号の指令■でしょうか??】

先ず!あちら側に“好きなように”して頂きながら〜〜〜
何か?私に得る“モノ”を吸収する事でしょうか???
■■これが【無抵抗の真理】です〜〜ネ!・・・
きっと「現総裁雅宣先生派…」今!今!がまんの潮時??なのでしょうかしら〜〜ン!
このような時程【私の精神は、正しい理念に導かれていく事…この事を“信じ!!”

                               再合掌

トキ様へ
■無抵抗…あの“ガンジ−”の行動を、思い出しますが…??如何でしょうか??
トキ様は、此の“無抵抗”何か体験がおありでしょうかしら〜〜ン?

858ハマナス:2012/06/20(水) 23:47:43 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

天の倉に貯えられた徳  (『新版 生活の智慧365章』P.185)

 人の富を、その外形的な数量的な物質や貨幣の量によってはかってはならないのである。
真理を知ったところの人は、全ての富は物質の量ではなくて、天の倉に貯えられたる霊的
なる「徳」であり、その眼に見えざる「徳」が必要に応じて物質的な富として形をかえて
現象界にあらわれて来るものだと云うことを知っているのである。

 人間は神の最高の自己実現としてつくられたものであるから、神が人間を貧しくつくる
ようなことをしたまう筈はないのである。神は人間を自己の最高実現として、最高の「徳」
を実現することを目的としていられるのであるから、「徳」を行じ「徳」を実現するとき、
おのずから経済的にも豊かに「其の実相の富」をこの世に実現することができるように
なっているのである。

感謝合掌

859ハマナス:2012/06/22(金) 00:01:51 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。

現象の奥にある実相の富  (『新版 生活の智慧365章』P.185)

 人生の目的は富を得ることでもなければ名声を羸(か)ち得ることでもないのである。
人生の目的は最高の神の自己実現として、人格を神格にまで高めることである。現象に
あらわれている富を求めることは却って「実相の無限の富」を忘却させて、自己に与え
られている富を縮小することになるのである。神が与えたまう富は、霊的なものであって、
物質的な富は、ただその影に過ぎないのである。

 神は霊であり給う。それゆえに神は霊の賜を与えたまう。即ち、愛を与えたまい、智慧を
与えたまい、生命を与えたまうのである。それを感謝し受け且つ働かすとき、波長が合って、
それがテレビの画面に映像があらわれるように、物質界の富としてあらわれて来るのである。
現象の有限の富だけを握って、其のために現象の背後にある「実相の富」を
見失ってはならない。

感謝合掌

860ハマナス:2012/06/22(金) 13:49:18 ID:0kyCzJg6

SAKURA様

いつも【幸福を招く365章】からの引用をして下さり、ありがとうございます。
毎回素晴らしい、ご文章ですね。
また、精力的はご投稿に頭が下がります。SAKURA様も応援していますよ!

感謝合掌

861ハマナス:2012/06/22(金) 18:31:08 ID:0kyCzJg6
神の子のみなさま
こんばんは。

無限の宝庫を開く鍵  (『新版 生活の智慧365章』P.185)

 愛行をもって「実相の無限の富」の宝庫の扉をひらくために鍵とせよ。利己心をもって
「現象有限の富」を得ようとするならば、それは 「有限」を互いに取り分多く分配しよう
とするのであるから、其処に必ず無理が出て来て争いや戦いを生ずるのである。誰がどんな
に使っても減らないところの富と云うものが実相世界にはあるのである。実相の富は無限で
あるから、其処から幾ら富を引き出して来ても、其処には尚、無限の富が残っているのである。

 徳を積まないで、現象の富のみを積もうと考えてはならない。背後の「徳」を失っている
現象の富は吾々に生活の豊かさと安全とを保障するように見えながら実は色々の心労を齎
(もたら)すのである。それは権力を保障するように見えながら嫉妬羨望と勢力争いとを生ずる。
それは幸福を保障するように見えながら不幸を招来し、永遠を約束しながら須臾(しゆゆ)して
消えるのである。

感謝合掌

862SAKURA:2012/06/22(金) 23:10:11 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは…   ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。

今!「生長の家…」が、揺れ動いているようです〜〜〜ネ!
【現象】では、そう見えている方が、多いのでしょうか???
私は、あくまでも【実相】で、観ていく内に、何も起きてない位【スカイブル−世界】
其の中に、すっぽりと入り込んでいます様です〜〜〜が?
時折かしら〜〜〜ン“いじわるな方”が、此方の“領域”に踏み込んできます〜〜が、
まるで【シンデレラ姫物語】の様に、今は【トンデルワ?姫物語】でしょうか?
全てに“眠り姫?…暇”もない位に、【精神に集中】です。
■【意識=心世界が現れる事…】を「谷口雅春先生」は、もう〜〜〜!長く根本を、
私ども信者に説いていますのに〜〜〜><では!私も【富んで“心”が富む世界に〜!】

■【幸福を招く365章】
――−――本当の幸福は心の平和より来る――−――

幸福は常に内より来る。外に百万の富があろうとも、心の中に平和なければ
何の幸福ぞや外に何の富がなくとも、心に平和ありて、人を愛することが出来るとき、
それが本当の幸福なのである。心の平和は神との一体感によって得られるのである。
神は我々が離れたと思っている時にも決して離れていないのである。唯、自己に宿る
神の声をわざと聞かず、肉体の恵みに耳を傾けているとき最初は楽しいように
感られていても、それは神から遠ざかるから結局淋しくなって来るのである。
自分が他に対して腹立たしくなったり、あまりに批評的になったりして来た場合には、
他が悪いのではない。自分の心がイラ立っているのだと云うことを反省し、
周囲の人々に対して調和する祈り
(思念)をしなければならぬ。それは次のように念ずるがよいのである。
「神は愛である。神の愛が私の行く処に充ち満ちている。全ての人々は私に好意を
もっており、私は全ての人々に好意をもっているのである。私は周囲の人々から愛され
私は周囲の人々に感謝しているのである。有難う御座います。」
                             (谷口雅春著)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜☆

■確かに【心の平和…】なくしての“幸福論”はありえないと思います…。
最近!確かに「ネガティブの表現の投稿文」を、されています“コメント”…
拝読しますと〜〜〜><
こちらまで、変に【共有世界…の中へ】と、移動している“私”がそこにいます〜が?
このような方々が〜〜?と“心の中”で、攻めている“私”が其処にいます。
そうしますと〜〜〜><“イライラ病”が…

上層に浮いている〜〜〜の?とても“気持ちの良いもの”ではないのですが?
今日の「雅春先生の言葉」より、更に!このような「心境…」になるのは、
果たして“私の心の捉え方”になるとの事です…。

■「生長の家」は……
本来「雅春先生存命中…他人のせいにせず…先ず!【感謝…】でしたでしょうかと?
【心の状態…金剛心を鍛える…澄み切った“心境”になる事が…メインなのでしょう】
■ 心 の 平 安 !!
今日よりは、いつもの“イライラ病”が、生じました時、先生の“言葉”を唱えます。

                                  再合掌

トキ様へ
やはり「心の平和…」これこそが…“幸福への扉”に繋がるものと思います。
やはり“イライラ病”は、決してこの“扉”を“ノック”する事は出来ないものと、
私自身は思います…。此処最近は「生長の家…お家騒動」にて…心の平安??
何処なのですが?「トキ様」は『心の平安』どのように受け止められますでしょうか?

863a hope:2012/06/23(土) 08:56:22 ID:kJvHf4/g

みなさま、おはようございます。
お久しぶりでございます。
わたしはとても元気にしておりましたが、事情がありしばらく閲覧・書き込みをお休みしていました。
また少し生活に余裕が出て来ましたので、聖典の謹写を再開させていただきます。
数週間分の他の板の書き込みは、ほとんど拝見していませんので、
みなさまのお話について行けるかどうかわかりませんが、
また、書き込みもマイペースでしていきたいと思っています。
みなさま、a hopeをどうぞよろしくお願い致しますね。

感謝 合掌。


人生読本 谷口雅春先生著

>>797「神経衰弱を治す法」のつづき

働かないと病気の治らぬ訳


ところが、病気になった人に楽をしておれと申しますと、楽をしていればいいんだというので、
胃病なら胃病の人が何もしないで楽をしていると、胃袋にへんな感じがしている。

楽であるから他(ほか)の事に気を転ずることができないので、いつも胃袋に気がいって、
「胃が悪い胃が悪い」と、いつも胃袋の事ばかり考えている。

そのため、その人は楽をしているかというと決して楽ではない。
心は一番不快な胃袋の事ばかりを常に考えさせられている。

自分の病気の事は、病人にとって一番嫌な事ですが、
その嫌なことを一所懸命間断なく考えねばならない。

ですから、余所(よそ)から見ると身体(からだ)は楽なように見えますが、
その実一番苦しんでいるのです。

本当に働いたら病気の事なんか忘れてしまう。
役者なんかが胃病とか神経痛なんかで苦しんでいましても、
舞台に出て活動している間はちっとも痛まない。
舞台から降りてやれやれと思うと痛みだすものであります。

役者でなくとも、神経痛という病気の人で昼間働いている間は何でもなくて、
夜になって寝床に入ると痛んでくる人があります。
それはまだ働き方が足りないのです。

昼間働いている時には苦しくないんですが、夜になってから暇ができるので、
「病気が治らないナ」といろいろ考える余裕ができるから苦しくなるのです。

そういうふうに私達は働くという事は実にありがたい事であります。
働く事によって私達は健康も増し、能力も増し、財産も増し、
人からも喜ばれるという四つの徳が備わるのであります。

(つづく)

864SAKURA:2012/06/23(土) 18:19:13 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ

こんばんは……  ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>860拝読させて頂きまして

■「ハマナス様」へ
私に“素敵なメッセ−ジ”頂きました事…感謝申し上げます。
私も“パソコン…オ―プン”させて頂きました時…
いつもの“投稿者様方…”の「聖典…」が拝読出来ませんときは??
“ア〜〜〜ッ”どうしたのかしら〜〜ン?いつも思ってしまいます…。

こちらの方こそ「ハマナス」様の文章が【毎日の日課…拝読】となっております〜の!

今後とも“楽しく〜♫〜”拝読させて頂きま〜〜す。
尚!暦の上では『夏至…6月21日』も過ぎますと…何となく“夏本番…近づく”かと?
「ハマナス様」へ…くれぐれも“体調”に気をつけて下さいませ…。
唯今!体調調整中の【SAKURA】で〜〜す。

                                 再合掌

865ハマナス:2012/06/23(土) 21:44:05 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
こんばんは。

富は聖なる目的に使うもの  (『新版 生活の智慧365章』P.187)

 現象の富は、神の国なる実相の富の現象界への延長であることを知らなければならない。
それであるからその富は、ただ貪(むさぼ)って蓄積するだけに使ってはならないし、浪費
するために使ってもならないのである。それは実相世界の素晴らしさを現象世界にあらわす
ための聖なる目的のために使わなければならない。換言すれば建設的な目的にのみ使わ
なければならないのである。ただ蓄積のためのみに使ってはならないし、ただ消費するため
のみに使ってはならないのである。

 無論、聖なる目的のために使うためには。半端な資金ではどうにもならない事であるから、
ある金額に達するまでそれを蓄積したり、共同貯蓄することも必要である。学校や学生寮を
建設したり宗教目的に使われる建物をつくったりするのは、聖なる目的にかなうもので、
建設的な目的に使うことに当たるのである。


SAKURA様へ
 ご丁寧なメッセージをありがとうございました。嬉しかったです。
暦の上では『夏至…6月21日』も過ぎたのですね。
SAKURA様もどうぞ、体調に気をつけられてお元気にお過ごしください。
これからも、ご投稿を楽しみにしています。

感謝合掌

866 志恩:2012/06/24(日) 05:15:27 ID:.QY5jUA6
a hopeさま

おひさしぶりですね。帰って来てくださって、大変うれしいです。
また、謹写もコメントも たのしみにしています。
皆様にいつも教えていただくばかりです。これからも よろしくおねがいします。

867a hope:2012/06/24(日) 09:23:37 ID:kJvHf4/g
みなさま、おはようございます。

志恩さま、温かいお言葉ありがとうございます。
わたしも、この掲示板でこれからもたくさんお勉強させていただくつもりでいます。
こちらこそ、どうぞよりしくお願い致します。

人生読本 谷口雅春先生著

上役と調和する道


時間を無駄に費やさないで十分それを働かすという事は、
単に専門的な知識を得るというだけではなしに、
まだまだ話しても話しても尽きない功徳があるのであります。

といって、あまり勉強に凝りすぎて、一分間でも勉強しなければ損だと思って、
会社におっても与えられた会社に仕事が終わると、
ちゃんと自分の仕事は終わったから後の時間はこれは自分の時間だと思って、
自分の勉強したい本を持って来て、机の下なんかで内証に拡げて読んでいる人があります。

そうして、上役の人が何か雑談をしたり、昨日のオリンピックはどうだったなどと訊いても、
「煩(うるさ)いナ、わたしはこの勉強しなければならない、
あれもしなければならないのに、ちょっと黙っとって欲しい」などと思いますと、
上役と調和しないことになります。

上役と調和しないために、その事務所にいる事が面白くなくなってくる。
そこで仕事にも力が入らず、したがって成績も上がらず、月給も上がらない。
そこで不平の心が起こってきて、とうとうその会社を飛出す事になります。

こういう人は又次へ行っても同じ事でありまして、そんな人は、上役と調和しないから、
仕事はできても何時まで経っても出世しない事になります。
ですから人間は必ずしも能率一点張りになることがよいのではありません。

それは勉強という事に引っかかりすぎて余裕がなくなっているからであります。
善い事にでも、引っかかれば悪くなるのであります。
どんな場合でも、私達は引っかかって自由自在を失ってはならないのであります。

周囲と調和することが必要です。
「今」の時間を、「今」の機会を百パーセント生かすことが大切であります。
「今」を調和して生かす事が本当の勉強であります。

仮に上役がオリンピック大会の事を話しかけてくれたとしましたならば、
その「今」の機会を生かすのが自分の勉強です。
「今」上役がオリンピック大会の話をしかけたら、
その上役はオリンピック大会についての先生である、ありがたいと思えばよろしい。

それについてどういう表情をして、どういう気持ちで喜んでおるかという事は察して、
相手の喜びそうな事を考え、それに適当な受答えをするという事も処世の一つの生きた学問であります。

それは書物には書いてないが、本当に生きた智慧をそこから生み出してくることができるのであります。

(つづく)

868ハマナス:2012/06/24(日) 23:24:09 ID:0kyCzJg6

神の子のみなさま
ありがとうございます。

真の富はエデンの園から  (『新版 生活の智慧365章』P.188)

 必要な建設的目的に使うために蓄積されたる富は、実相の投影であるけれども、未来に
起るであろう何か不祥事を予想してたくわえる富は恐怖の投影であるから、その予想する
心が予想する不幸を呼び寄せることになるのである。心に予想することが実現すると云う
のが心の法則であるから、不幸を予想してたくわえた富は、将来必ず予想した不幸が来て、
それを消耗してしまうことになるものである。病気したときの治療費として金を貯える人は、
恰度(ちょうど)入院費用だけが貯まったときに、本当に病気に罹(かか)って、その貯金を
治療費に使ってしまい、恰度その治療費の貯えがなくなったときに病気が治ったりするのである。

 真の富と云うものは、一切のものが其処から生み出されて来る「エデンの園」(龍宮海)
即ち実相界から供給されて来るのであって、常に実相に波長の合う心を持っておれば必要に
応じて、それが現象界の富となって供給されるのである。

感謝合掌

869金木犀:2012/06/25(月) 00:55:44 ID:qMq2iFMk
a hope様

帰ってこられて、とても嬉しく思います。毎朝、a hope様の人生読本で掲示板の一日が
始まるのが、やはりいちばん気持ちがいいですね。女子会の方も、楽しい話題を提供して
くださいね。


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