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聖典引用 板

782金木犀:2012/06/03(日) 00:58:15 ID:j28jHRaM
(つづき)
『光』一元の世界観

さて、本日頂いておりますお題は、“いのちの進軍”でございます。『生命の實相』第十一巻の八頁から九頁にわたって、こうお示し頂いております。
『神が天地を造り給うには材料にも手段にも別に物質というものをお使いにはならなかったのであって、霊を実質とし、また霊を創造(つく)る力とせられたのであります。物質というものは本来定形(かたち)のないものであります。それは本来空(むな)しきものである。空である。それは積極的な存在ではない。それは光を非在にした状態である。光が無゜い゜ということの別名が暗゜黒゜であるということであって、暗黒(やみ)そのものには積極的に実在を主張する力はないのであります。それはただ受身的に消極的に存在するのであります。此処にはその消極的原理を「淵(わだ)」とか「水」とかの言葉で言いあらわしてあります。霊感によりますと、人生とは暗゜の中を厳(おごそ)かに進軍して行く光であるとも、「死」の中を進軍して行く「生命」であるとも教えられております。「神の霊、水の面を覆う」というのは、「水」を以て表した「消極的存在」即ち「無」「仮相」「暗」「死」「無明(まよい)」の中を「積極(プラス)的存在」たる「神の霊」即ち「有」「実在」「光」「生命」「智慧」が、厳かに圧倒的勢いをもって進軍して行くことを言ったのであります。ここに是非とも注意しなければならないのは「無」と「有」との対立、「仮相」と「実相」との対立、「暗」と「光」との対立、「死」と「生命」との対立、「無明」と「智慧」との対立は本当の対立ではなく、これを対立と考えるのは人間の「思考の形式」の誤りであるということであります。「無」と「有」と対立すると言いましても、一方は無゜い゜のでありますから、対立のしようがない訳で、本当は「有゜」の独在――「有゜」の絶対的存在――であります。それと同じように「暗黒(やみ)」も「死」も「無明」も、光が無゜い゜、生命が無゜い゜、自覚(さとり)が無゜い゜というふうに“nothingness”の別名にすぎないのでありますから、この世にありとしあらゆるものは、すべて「光明」であり「生命」であり、「智慧」であるのであって、その反対のものは、どんなにあるように見えても本当は”nothingness”(絶無)なのであります。だから「無゜」の゜中゜に゜「有゜」を゜肯゜定゜す゜る゜の゜は゜な゜ん゜で゜も゜な゜い゜。それは「一人角力(ずもう)」をすれば必ず勝つというのと同じで、神が、ただ、「光あれ」と言い給うだけで、「光」は既に「暗」を征服したのであります。』

かくの如く、尊師谷口雅春先生はお説き下さっているわけでございます。

この真理の実証は、私自身、あと一ヶ月保たないと宣告された肺癌が、忽然と消え去った体験でも明らかなわけですが、もう一つ、あるレプラ(癩病)患者についての体験をお話させて頂きたいと思います。(つづく)


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