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鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 4

1避難民のマジレスさん:2018/07/07(土) 12:47:05 ID:GOHu/WSs0
前スレ:鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 3
http://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619

615避難民のマジレスさん:2019/02/09(土) 11:08:25 ID:LC3de7YgO
>>614
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 私たちは堂々巡りをしているようです。結局、私の知っているのは
     現在の体験的自己だけです。内面の、あるいは高次の自己とは、説
     明と奨励のために考えられた概念なのです。私たちはそれを独立し
     た存在のように話していますが、そうではないのです。
 マハラジ
 外側の自己と内面の自己はともに想像上のものだ。
 ひとつの棘を抜くために別の刺を必要とするように、あるいは毒を解毒する
 ために別の毒を使うように、「私」という存在への固執が癒されるために、
 「超―私」という別の観念への固執が必要とされるのだ。
 すべての断定は否定を呼び起こす。
 だが、これはまだ第一段階にすぎない。
 つぎの段階はその両方を超えた彼方へと行くことだ。
 質問者 外側のグルが、緊急に自分に対して何かをすべきだという注意を呼
     び起こすために必要だったことは理解します。また、私のなかの深
     い変化にとって、どれほどグルが無力かも理解します。しかし、こ
     こであなたは無始、不変、存在の根本、動かぬ約束、確かなる目的
     地である内なるグルをもたらしたのです。彼はひとつの概念なので
     しょうか、それとも実在でしょうか?
 マハラジ
 彼だけが唯一の実在なのだ。
 それ以外のすべては、「身体―精神」(デハー―ブッディ)によって時間の
 上に投げかけられた影にすぎない。
 もちろん、影でさえ実在に関連している。
 だが、それ自体では実在とは言えないのだ。
 質問者 私の知っている唯一の実在は、私だけです。サッドグル(内なる師)
     は、私が彼を想う間はそこにいます。彼に実在性を移行することに
     よって、私は何を得るというのでしょうか?
 マハラジ
 失うことが、あなたの得ることだ。
 影が影として見られたとき、あなたはそれにしたがうことをやめる。
 あなたは振り返り、そこにいつもあった太陽をあなたの背後に発見するのだ。
 質問者 内側のグルもまた、教えを与えるのでしょうか?
 マハラジ
 彼は、あなたが永遠、不変、実在―意識―愛であり、内面とすべての現れを
 超えたものだという確信を与えるのだ。
 質問者 確信では不十分です。そこには確実性がなければなりません。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 だが、この場合は確信が勇気の形を取るのだ。
 恐れは絶対的に消え去る。
 その恐れのない状態が見間違うことのないほど新しく、しかも自分自身のも
 のとして深く感じられ、否定できないものなのだ。
 それは愛する我が子のようなものだ。
 誰に疑うことができるだろう?
 質問者 霊的な努力における進歩に関して、私たちは話を聞いています。あ
     なたはどのような類の進歩を思い描いていますか?
 マハラジ
 あなたが進歩を超えていくとき、進歩とは何かを知るだろう。
 質問者 何が私たちを進歩させるのでしょうか?
 マハラジ
 沈黙が主な要因だ。
 平和と沈黙のなかで、あなたは成長するのだ。
 質問者 マインドは絶対的に落ち着きがありません。何がそれを静めるので
     しょうか?
 マハラジ
 師を信頼しなさい。
 私の例を見てみなさい。
 私のグルは、「私は在る」という感覚に留意し、ほかの何にも注意を払って
 はならないと指導し、私はただそれにしたがったのだ。
 私は呼吸や瞑想、あるいは聖典の研究などの特定の過程にはしたがわなかっ
 た。
 何が起ころうとも、それから注意を背け、「私は在る」という感覚とともに
 とどまったのだ。
 それはあまりにも単純で、粗野にさえ見えるかもしれない。
 私がそうした理由は、グルが私にそうするように言ったからだ。
 それでも、それは効果があったのだ!
 服従はすべての欲望と恐れに対する強
力な解決策なのだ。
 マインドを占有するすべてのものから注意を背けなさい。
 完成しなければならない仕事は何であれ完成させなさい。
 だが、新たな義務は避けなさい。
 空っぽでいることを保ち、つねに用意のできた、開いた状態でありなさい。
 招かずにやってきたものを拒んではならない。
 最後には、あなたは無欲、歓喜の無執着、内なる平安、そして描写不可能な
 解放の状態に達する。
 しかも、それはすばらしく実在なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

616鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/09(土) 23:04:13 ID:1d4drIFg0
インドでは実在のグルの他に誰の心の中にも真のグルがいるというのじゃ。
その内側のグルが無上菩提まで人を導くというのじゃ。
それも意識から起こるものじゃ。
本来の意識からの誘引が内側のグルと呼ばれるのじゃ。
全てであるから意識から起こる誘引を避けられないのじゃ。

617避難民のマジレスさん:2019/02/10(日) 10:41:28 ID:LC3de7YgO
>>615
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 真理の探究者が真剣にヨーガを修練するとき、内側のグルは彼を導
     き助けるのでしょうか、それとも彼自身にまかせ、結果をただ待つ
     だけなのでしょうか?
 マハラジ
 すべてはひとりでに起こる。
 探求者は何もせず、グルも何もしない。
 ものごとは起こるように起こる。
 行為者という感覚が現れた後に、非難や賞賛が割り当てられるのだ。
 質問者 何と奇妙なのでしょう! 行為者はかならず行為の起こる前に現れ
     るはずです。
 マハラジ
 それはその反対だ。
 行為が事実であり、行為者はただの観念なのだ。
 あなたの言葉そのものが、行為は確定的であり、行為者は疑わしいことを示
 している。
 責任を転嫁することは人間の特徴的なゲームなのだ。
 何かが起こるために不可欠な要因の果てしないリストについて考えていくと、
 すべてが起こるための責任は、いかに間接的であってもすべてにあると認め
 るほかはない。
 行為者とは、「私の」と「私のもの」という幻想から生まれた神話なのだ。
 質問者 その幻想はどれほど強力なものなのでしょうか?
 マハラジ
 疑いようもないほどだ。
 なぜなら、それは実在に基づいているからだ。
 質問者 そのなかの何が実在なのでしょう?
 マハラジ
 識別し、非実在であるすべてを拒絶することによって見いだしなさい。
 質問者 霊的努力における内なる自己の役割を良く理解できませんでした。
     誰が努力をするのでしょうか? 外側の自己でしょうか、内側の
     自己でしょうか?
 マハラジ
 あなたは努力、内側、外側、自己といった言葉を発明し、それらを実在の上
 に押しつけようと努めてきた。
 ものごとは、ただあるがままに起こるのだ。
 しかし、私たちはそれを私たちの言語構造に沿うように、ひとつのパターン
 に組みこむことを望むのだ。
 この習慣があまりにも強いために、私たちは実在を言葉では表現できないも
 のとして否定してしまう傾向にある。
 言葉は、繰り返されてきた体験の慣例と習慣に関係する、ただの象徴だとい
 うことを理解しないのだ。
 質問者 霊的な本の価値とは何でしょうか?
 マハラジ
 それらは無知を追い払う助けをする。
 はじめのうちは有用だが、最後には障害となる。
 人はいつそれを放棄すべきか知らなければならない。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

618鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/10(日) 21:45:14 ID:1d4drIFg0
自我を持つ者は自分があって行為があると思うのじゃ。
しかし、実際には行為に対して主体という観念が投射されるのじゃ。
行為によって起こるのが自分という観念なのじゃ。
全ては本来主体なしに起こるものじゃ。

619避難民のマジレスさん:2019/02/11(月) 05:01:21 ID:LC3de7YgO
>>617
『I AM THAT 私は在る』
【75 平和と沈黙のなかで、あなたは成長する】(つづき)

 質問者 アートマとサットヴァとの関連性とは何でしょうか?
 マハラジ
 太陽とその光線のようなものだ。
 調和と美、理解と愛情はすべて実在の表現なのだ。
 それは行為のなかの実在性、物質における魂の影響だ。
 タマスは覆い隠し、ラジャスは歪ませ、サットヴァは調和をもたらす。
 サットヴァが成長することで、欲望と恐れは終焉するのだ。
 歪曲していないマインドのなかに真の
存在は反映される。
 物質は改善され、魂は露わにされるのだ。
 その二つはひとつとして見られる。
 それらはつねにひとつだった。
 だが、不完全なマインドはそれを二つとして見ていたのだ。
 マインドの完成は人間の努めだ。
 なぜなら物質と魂はマインドのなかでであうものだからだ。
 質問者 私は扉の前にいる人のようです。扉は開いていることは知っている
     のですが、それは欲望と恐れの犬に守られているのです。どうすれ
     ばいいのでしょうか?
 マハラジ
 師にしたがい、犬たちに立ち向かいなさい。
 それらがそこにいないかのようにふるまいなさい。
 またしても、従順が黄金率なのだ。
 自由は従順によって勝ち取られるものなのだ。
 牢獄から逃げだすためには、疑うことなく、解放のために働いている人の指
 導にしたがわなければならない。
 質問者 グルの言葉は、ただ単に聞くだけでは力を及ぼしません。人は信頼
     とともにそれにしたがわなければなりません。何がそのような信頼
     をつくり出すのでしょうか?
 マハラジ
 時節が調えば、信頼はやってくる。
 すべては時節とともに現れる。
 グルはつねに分け与える用意がある。
 ただ受け取る者がいないのだ。
 質問者 そうです。シュリー・ラマナ・マハルシは、「師は多くいるが、弟
     子はどこにいるのか?」と言っていたそうです。
 マハラジ
 時節を待てば、すべては起こるのだ。
 皆が為し遂げるだろう。
 ひとりの魂も失敗することはないだろう。
 質問者 真我の実現を知的な理解として受け取ることを、私は非常に恐れて
     いるのです。私は知ることなしにそれについて語るかもしれません。
     または一言も語らずして、それを知っているかもしれないのです。
     これらの会話は出版されるそうですが、それは読者にとってどのよ
     うな影響をあたえるのでしょうか?
 マハラジ
 注意深く、思慮深い読者のなかで、それは成熟し、開花し、果実をもたらす
 だろう。
 真理に基づいた言葉は、もし完全に試されるなら、それ自身の力をもつのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

620避難民のマジレスさん:2019/02/11(月) 14:28:27 ID:LC3de7YgO
>>619
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】

 マハラジ
 身体がある。
 身体の内側には観察者、外側には観察されている世界が存在するように見え
 る。
 観察者と彼の観察、そして観察される世界は、ともに現れ、ともに消える。
 そのすべての彼方に虚空がある
 その空こそがこれらすべてなのだ。
 質問者 あなたの言われることはシンプルです。しかし、誰もが言えること
     ではありません。あなたが、そしてあなただけがその三つとその彼
     方の空について語るのです。私が見るのはすべてを含む世界だけで
     す。
 マハラジ
 「私は在る」も含まれるのだろうか?
 質問者 「私は在る」さえも含まれます。「私は在る」はそこにあります。
     なぜなら世界がそこにあるからです。
 マハラジ
 そして世界がそこにあるのは、「私は在る」がそこにあるからだ。
 質問者 そうです。それはどちらにとっても言えることです。私はその二つ
     を分けることも、超えることもできません。私が体験していないか
     ら、それが存在しないとは言えないように、私にはそれを体験しな
     いかぎり、何かがあるとは言えないのです。あなたにそれほどの確
     証を持って語らせる体験とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 私は時間、空間、原因を超えたあるがままの私自身を知っているのだ。
 あなたはほかのことに没頭していて、偶然知らないだけなのだ。
 質問者 どうして私はそんなにも没頭してしまうのでしょうか?
 マハラジ
 なぜならあなたは興味があるからだ。
 質問者 何が私に興味をもたせるのでしょうか?
 マハラジ
 苦痛への恐れと快楽への欲望だ。
 快楽は苦痛の終焉であり、苦痛は快楽の終焉だ。
 それらは果てしない連続性の中で交代しているしているだけなのだ。
 あなたがそれを超えたあなた自身を見いだすまで、その悪循環を調べてみる
 がいい。
 質問者 私には、彼方へと私を連れていくあなたの恩寵が必要なのではない
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたの内なる実在の恩寵は、永遠にあなたとともにある。
 あなたの恩寵を求めたそのこと自体がそのしるしなのだ。
 私の恩寵について思い煩うことはない。
 だが、言われたことをしなさい。
 恩寵への期待ではなく、為すことが真剣さを証明するのだ。
 質問者 何に対して真剣になればいいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの注意の領域を横切るすべてを調べなさい。
 修練とともにその領域は広がり、調査は深まっていく。
 やがてそれらは自発的で限界のないものとなるのだ。
 質問者 あなたは真我の実現を修練の結果にしているのではありませんか?
     修練は身体的な存在の限界のなかで作用します。それがどうして無
     限なるものに誕生を与えるというのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、修練と智慧の間に因果的な関連はない。
 だが、智慧への障害は修練による影響を深く受けるのだ。
 質問者 何が障害なのでしょう?
 マハラジ
 誤った観念と欲望がマインドと身体の気を消散させ、誤った行為へと導いて
 いく。
 偽りの発見と放棄は、真実がマインドのなかに入ることを妨げるものを取り
 除くのだ。
 質問者 「私は在る」と「世界はある」という二つのマインドの状態を区別
     することはできます。それらはともに現れ、ともに消え去るのです。
     人々は、「私は在る。なぜなら世界が在るからだ」と言い、あなた
     は「世界はある。なぜなら私が在るからだ」と言います。どちらが
     本当なのでしょうか?
 マハラジ
 どちらも本当ではないのだ。
 その二つはひとつであり、同じ時間と空間の中にある状態だ。
 その彼方には永遠がある。
 質問者 時間と永遠のつながりとは何でしょうか?
 マハラジ
 永遠は時間を知り、時間は永遠を知らない。
 すべての意識は時間のなかにあり、意識にとって永遠は無意識として現れる。
 それにもかかわらず、永遠なるものが意識を可能にするのだ。
 光は暗闇のなかで輝く。
 光の中で暗闇を見ることはできない。
 あるいは、ほかの言い方をすれば、果てしない光の大洋のなかで、暗く、限
 定され、対比によってしか知覚できない意識の雲が現れるのだ。
 これらは何か非常にシンプルでありながら、しかしまったく表現不可能なも
 のを言葉で表現しようとする単なる試みにすぎない。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

621鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/11(月) 22:24:49 ID:1d4drIFg0
全てである意識のほんの一部が人が自分と思うのなのじゃ。
それも謬見としてのみあるものじゃ。
大海の中の一滴の水だけを自分と思うようなものじゃ。
それは本来無いものを一部だけ切り取ってあるとしているようなものなのじゃ。
それを意識の雲とマハラジは呼ぶのじゃ。

622避難民のマジレスさん:2019/02/12(火) 00:24:08 ID:LC3de7YgO
>>620
76の2『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 言葉は橋渡しの役目をするべきです。
 マハラジ
 言葉は実在ではなく、マインドの状態に言及するものだ。
 川、二つの岸、それに架かる橋、すべてはマインドのなかにある。
 言葉だけであなたをマインドの彼方へと連れていくことはできない。
 そこには途方もない真理への熱望か、またはグルへの絶対的な信頼がなけれ
 ばならない。
 私を信じなさい。
 そこには目的地もなければ、それへ到達する道もまたない。
 あなたが道であり目的地になのだ。
 あなた自身を除いて、到達するようなものは何もないのだ。
 あなたに必要なのは理解することだけだ。
 そして理解はマインドの開花なのだ。
 樹が絶えることはないが、開花や結実は季節とともにやってくる。
 季節は移り変わるが、樹は変わらない。
 あなたが樹なのだ。
 あなたは無数の枝や葉を今まで育ててきた。
 そしてこれからも育てていくだろう。
 だが、あなたはそのまま残るのだ。
 あなたが知らなければならないことは、そう在ったことではなく、そうなる
 だろうことでもない。
 ただ在ることなのだ。
 宇宙を創造した欲望はあなたのものだ。
 世界はあなた自身の創造だと知り、自由になりなさい。
 質問者 世界は愛の子供だとあなたは言われました。私が、世界は戦争、強
     制収容所、残酷な搾取に満ちていると知るとき、どうしてそれをわ
     たし自身の創造として所有することができるでしょうか? いかに
     私が限定されていたとしても、私にはそんな残酷な世界をつくり出
     すことはできなかったでしょう。
 マハラジ
 この残酷な世界が誰にとって現れるのかを見いだしなさい。
 そうすれば、なぜそのように残酷に現れるのかを知るだろう。
 あなたの質問は完全に正当なものだ。
 しかし、それが誰にとっての世界なのかをあなたが知るまでは、それに答え
 ることはできないのだ。
 あるものの意味を見いだしたいのなら、あなたはつくり出した人に尋ねなけ
 ればならない。
 だから言っているのだ。
 あなたが住んでいるこの世界をつくり出した人はあなたなのだ。
 あなただけがそれを変え、あるいはつくり変えることができるのだ。
 質問者 どうして私が世界をつくったと言えるのでしょうか? 私はそれを
     知りもしないのです。
 マハラジ
 あなたがあなた自身を知るとき、世界のなかであなたに知ることができない
 ものは何ひとつなくなるのだ。
 あなた自身を身体と考えることで、あなたは世界を物質的なものの集合だと
 見なしてしまう。
 あなた自身を意識の中心として知るとき、世界はマインドの大海として現れ
 る。
 実在の中のあるがままの自分自身を知るとき、あなたは世界をあなた自身と
 して知るのだ。
 質問者 あなたの言われることは非常にすばらしく聞こえます。しかし、私
     の質問に答えてはいません。どうして世界にはそれほどたくさんの
     不幸があるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがただ観察者として超然として離れて在れば、苦しむことはない
 のだ。
 あなたは世界をショーとして見るだろう。
 実に、最高のショーだ。
 質問者 何ということでしょう! このリーラ(神の戯れ)の理論は受け入
     れられません。苦しみはあまりにも深刻で、あまねく存在している
     のです。不幸の悲惨な光景で楽しむなど何という倒錯でしょうか!
     何という残酷な神をあなたは差し出すのでしょう!
 マハラジ
 不幸の原因は知覚する者と知覚されるものとの同一化にあるのだ。
 それから欲望が生まれ、欲望とともに盲目的行為、結果への無頓着が続くの
 だ。
 まわりを見まわしてみなさい。
 不幸は人間のつくり出したものだということを知るだろう。
 質問者 もし人間が彼自身の不幸をつくり出しているのなら、私もあなたに
     賛成するでしょう。しかし、彼自身の愚行から他者まで苦しめるの
     です。夢見る人は個人的な悪夢のなかで、ほかでもない自分ひとり
     が苦しむだけです。しかし、他人の人生まで破壊するとは、いった
     いどんな類の夢でしょうか?
 マハラジ
 解説は数多く、矛盾しあっている。実在はシンプルだ。
 すべてはひとつなのだ。
 調和が永遠の法則であり、誰も苦しむように強いられてはいない。
 ただあなたが解説し、説明しようと試みるとき、言葉はあなたを失望させる
 のだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

623鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/12(火) 22:58:59 ID:1d4drIFg0
世界が残酷に見えるならばそれを観る者の心が残酷であるからなのじゃ。
自分ではそれを嘆いているように演技しているだけなのじゃ。
社会的に正しい態度を取って見せているだけなのじゃ。
心の中には残酷を望む願望があるのじゃ。

624避難民のマジレスさん:2019/02/12(火) 23:45:11 ID:LC3de7YgO
>>622
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 一度、マハートマ・ガンディーが、「真我は非暴力の法則(アヒン
     サー)に縛られてはいない。真我はその表現に、それを正すために
     苦しみを負わせる自由をもっている」と私に言ったのを覚えていま
     す。
 マハラジ
 二元性のレベルにおいてはそうかもしれない。
 だが、実在のなかには、それ自体は暗いが、すべてを輝かす源があるだけだ。
 知覚されないが、それは知覚を引き起こす原因であり、感じられないが、感
 覚をひき起こす原因だ。
 非存在でありながら、それは存在に感情を与える。
 それは動きの不動なる背景なのだ。
 ひとたびあなたがそこに在るなら、どこにいようと我が家のように感じるこ
 とだろう。
 質問者 もし私がそれであるのならば、私が生まれてきた原因は何なのでし
     ょうか?
 マハラジ
 過去において満たされなかった欲望がエネルギーをふさぎ止め、それが個人
 として現れる。
 その蓄積されたエネルギーが使い果たされたとき、個人は死ぬのだ。
 満たされなかった欲望は次の誕生のなかへと運ばれていく。
 身体との自己同一化は、つねに新しい欲望をつくりつづけ、その束縛の構造
 が明確に理解されるまで、それに終わりはないのだ。
 解放をもたらすのは明晰性だ。
 なぜなら、その原因と結果が明確に理解されるまで、欲望を放棄することは
 できないからだ。
 それは死ぬ。
 そして永遠に死ぬのだ。
 だが、その記憶は残る。
 そしてそれらの欲望と恐れも。
 それらが新しい個人にエネルギーを供給するのだ。
 実在は、それにはまったく関わらない。
 だが、それに光を与えることでそれを可能にするのだ。
 質問者 私の困難とはこれです。私に理解できるかぎりでは、すべての体験
     はそれ自体の現実なのです。それは体験されたものとしてそこにあ
     ります。私がそれを疑い、誰にそれが起こったのか、誰が観察者な
     のかを尋ねる瞬間、体験は過ぎ去り、私が調べることができること
     はみな、その記憶だけになってしまうのです。私には生きた現在の
     瞬間――今を調べることはできません。私の気づきは過去のもので
     あり、現在のものではありません。私が気づいているとき、今のな
     かに本当は生きてはいず、ただ過去のなかだけにいるのです。現在
     の気づきというものが本当にあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが描写しているものは気づきなどではまったくない。
 それはただ体験について考えているだけだ。
 真の気づき(サンヴィド)とは、観照されている出来事についてまったく何
 をすることも試みない、純粋な観照の状態のことだ。
 あなたの思考と感情、言葉と行為もまた、出来事の一部分なのだ。
 あなたは明確な理解の完全な光のなかで、まったく関わりをもたないまま見
 守る。
 それがあなたに影響を与えないため、あなたは何が起こっているのかを正確
 に理解するのだ。
 それはよそよそしく冷淡な態度に見えるかもしれないが、本当はそうではな
 いのだ。
 ひとたびあなたがそのなかに在れば、それがいかなる性質のものであっても、
 あなたはあなたの見るものを愛することを見いだすだろう。
 この無選択の愛が気づきの試金石なのだ。
 もしそれがそこになければ、あなたはある個人的な理由で興味をもつだけだ。
 質問者 そこに苦痛と快楽があるかぎり、人は興味を持たざるをえません。
 マハラジ
 人が意識しているかぎり、そこに苦痛と快楽はあるだろう。
 意識のレベルで快楽や苦痛と闘うことはできないのだ。
 それらを超えていくには、意識を超えなければならない。
 意識をあなたのなかにではなく、あなたに対して起こる何か外部の、異質な、
 あなたの上に押し重ねられたようなものとして見るときにだけ、それを超え
 ることが可能なのだ。
 そのとき、あなたは突然意識から自由な、まったくひとりの、何の干渉も入
 らない状態にいる。
 意識とはあなたに引っかかせようとする急激なかゆみなのだ。
 もちろん、意識から外へと出ることはできない。
 外へ出ようとする考え自体が意識のなかにあるからだ。
 だが、もし意識とは殻(から)のなかのヒヨコを包む個人的で私的な熱のよ
 うなものとして見ることを学ぶなら、その態度そのものが殻を破る転換期を
 もたらすだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

625避難民のマジレスさん:2019/02/12(火) 23:57:06 ID:LC3de7YgO
>>623
うむ。
無我であると言うことは、
その残酷な事実に苦しむ主体がないと言うことはでありますね。
無我に行き着いてない人は、残酷さに苦しむ。
無我に行き着いてない人が、その残酷さを作り出す。
だから、残酷さは、無我に行き着いてない人全ての責任であり、
覚者は残酷さを含む一切をショーとして楽しめるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

626鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/13(水) 22:12:38 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、肉体さえ自分ではなく、自分のものでもないと気付いたならばどのような残酷さもありえないのじゃ。
肉体とはいずれは全て滅していく性質の道具でしかないからのう。

記憶や知識からは気付きは起こらないのじゃ。
真の気づきは観照されている出来事について全く何をする事も試みない純粋な観照の状態とマハラジは言うのじゃ。
そうであってこそ全てをありのままに見ることができるのじゃ。
そこに主体は無く、ただ起こるだけのものとして全てが観られるのじゃ。

627避難民のマジレスさん:2019/02/14(木) 07:01:05 ID:LC3de7YgO
>>624
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】(つづき)

 質問者 仏陀は、人生は苦しみだと言いました。
 マハラジ
 彼はすべての意識が苦痛に満ちたものだと意味していたのだ。
 それは明白だ。
 質問者 では、死が解放をもたらすのでしょうか?
 マハラジ
 自分自身が生まれてきたと信じている人は、死を非常に恐れている。
 その反対に、自分自身を本当に知っている人にとって、死は幸福な出来事な
 のだ。
 質問者 ヒンドゥ教の伝統は、苦しみは運命によってもたらされ、そして運
     命は相応するものなのだと言っています。洪水、地震、戦争、革命
     といった計り知れない自然の、あるいは人的災害を見てください。
     それぞれの人たちが思いもしなかった彼自身の罪によって苦しむと
     いうこともできるのでしょうか? 何億もの苦しんでいる人々は皆、
     正当に罰せられるべき罪人だというのでしょうか?
 マハラジ
 人は自分自身の罪によってのみ苦しまなければならないのだろうか?
 私たちは本当に分離しているのだろうか?
 この広大な生命の大洋のなかで、私たちは他者の罪によって苦しみ、また私
 たちの罪によって他者を苦しめる。
 もちろん、バランスの法則が最高位のものだ。
 そして最後には貸借の決済をすませる。
 しかし、生命が続くかぎり、私たちは深く互いに影響を与え合うのだ。
 質問者 そうです。詩人はそれを「誰ひとり、孤島ではない」と言い表しま
     した。
 マハラジ
 すべての体験の背後には自己があり、その体験への興味があるのだ。
 それを欲望と呼ぶがいい。
 あるいは愛と呼ぶがいい。
 言葉は重要でない。
 質問者 苦しみを望むことはできるのでしょうか? 私は故意に苦痛を求め
     ることができるのでしょうか? 私は熟睡を期待して柔らかなベッ
     ドをつくり、悪夢に襲われて、寝返りを打ちながら夢のなかで叫ん
     でいる人のようなものです。間違いなく、悪夢を生みだしたのは、
     愛ではありません。
 マハラジ
 すべての苦しみは利己的な分離、孤立と貪欲によって起こるのだ。
 苦しみの原因が理解され、取り除かれたなら、苦しみはやむだろう。
 質問者 私は私の不幸の原因を取り除くかもしれません。しかし、他者は苦
     しみの中に残されるのです。
 マハラジ
 苦しみを理解するには、苦痛と快楽を超えていかなければならない。
 あなた自身の欲望と恐れが理解することを妨げ、それゆえ他者を助けること
 も妨げているのだ。
 実際には、他者は存在しない。
 それゆえ、自分自身を助けることで、あなたはほかの皆をも助けるのだ。
 もし人類の不幸に真面目に取り組むのなら、あなたがもっている唯一の手段
 を完全なものにしなければならない。
 それがあなた自身なのだ。
 質問者 あなたは私が世界の創造者、維持者、破壊者であり、遍在し、全知、
     全能だと言いつづけています。あなたの言うことに思いをめぐらし
     ているとき、私は自分に尋ねるのです。「どうして私の世界には、
     こんなにも多くの悪が存在するのだろうか?」と。
 マハラジ
 悪は存在しない。
 苦しみは存在しないのだ。
 生きる喜びはすべてにまさるものだ。
 見なさい。
 いかにすべてのものたちが生命にしがみついているか、いかに存在をいとお
 しんでいるかを。
 質問者 私のマインドのスクリーンのなかで、イメージが絶えることのない
     連鎖でつぎつぎと入れ代わっていきます。私に関して永久のものは
     何もないのです。
 マハラジ
 あなた自身をもっとよく見てみなさい。
 スクリーンがそこにあるではないか。
 それは変わらないのだ。
 光は揺るぎなく輝いている。
 ただその間にあるフィルムだけが動きつづけ、画像の現れる原因を引き起こ
 しているのだ。
 そのフィルムを運命(プラーラブダ)と呼んでもいい。
 質問者 運命をつくり出すのは何でしょうか?
 マハラジ
 無知が避けることができない原因なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

628避難民のマジレスさん:2019/02/14(木) 19:25:33 ID:LC3de7YgO
>>627
『I AM THAT 私は在る』
【76 知らないということを知ることが真の知識だ】

  質問者 何についての無知でしょうか?
 マハラジ
 根本的には、あなた自身についての無知だ。
 また、ものごとの真の本質、その原因と結果についてでもある。
 あなたは辺りを見回し、理解もせずにその現れを実在と見なしてしまう。
 あなたは世界とあなた自身を知っていると信じている。
 だが、「わたしは知っている」とあなたに言わせているのは、単にあなたの
 無知にすぎないのだ。
 知らないということを認めなさい。
 そしてまずそこからはじめなさい。
 無知を終わらせること以上に、世界を助けられることは何もない。
 そうすれば、世界を助けるために何か特定のことをする必要はもうないのだ。
 行為をしようと無為であろうと、あなたの存在そのものが助けとなるのだ。
 質問者 無知はどのようにして知られるのでしょうか? 無知を知るという
     ことは知識を必要条件としています。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 「わたしは無知だ」と認めること自体が知識の現れなのだ。
 無知な人は、彼の無知に無知なのだ。
 あなたは無知が存在しないと言うことができる。
 なぜなら、それが見られた瞬間、それはもはやないからだ。
 それゆえ、それを無意識、あるいは盲目と呼んでもいいだろう。
 あなたの内側とまわりに見るすべては、あなたが知らず、理解しないことな
 のだ。
 あなたはあなたが知らず、理解しないことさえも知らないのだ。
 あなたが知らず、理解もしていないことを知ることは真の知識、謙虚なるハ
 ートの知識だ。
 質問者 そうです。イエスは「幸いなるかな、心貧しき者……」と言われま
     した。
 マハラジ
 あなたの好きなように表現するがいい。
 事実は、知識とは無知でしかないということだ。
 あなたは知らないということを知っているのだ。
 質問者 無知には終わりが来るのでしょうか?
 マハラジ
 知らないことの何が悪いというのかね?
 すべてを知る必要はない。
 必要なことだけを知ればそれで充分だ。
 あとは、あなたがどうすればいいのかを知らなくとも、それ自体が面倒を見
 る。
 重要なことは、あなたの無意識が意識に対抗しないこと、すべてのレベルで
 の統合があることだ。
 知ることは重要なことではないのだ。
 質問者 あなたの言われることは、心理学的には正しいのですが、他者や世
     界を知るに至っては、わたしが知らないということを知っているこ
     とは、それほど助けにはなりません。
 マハラジ
 ひとたびあなたが内的に統合されたなら、外的な知識は自然にやってくるだ
 ろう。
 人生におけるそれぞれの瞬間に、あなたは知るべきことを知るのだ。
 宇宙的マインドの大洋のなかには、全知識が包含されている。
 それはあなたの要求しだいなのだ。
 そのほとんどは、けっして知る必要もないものかもしれない。
 だが、どちらにせよ、すべてあなたのものなのだ。
 知識がそうであるように、力においてもまたそうだ。
 何であれ、あなたがする必要のあることは間違いなく起こる。
 神が宇宙を支配する仕事に従事していることは疑いない事実だ。
 だが、彼は助けを得ることを喜ぶ。
 もしそれが非利己的で、知的な人ならば、すべての宇宙の力が彼の指揮にし
 たがうだろう。
 質問者 自然の盲目的な力でさえも従うのでしょうか?
 マハラジ
 盲目的な力というものはない。
 意識が力なのだ。
 為される必要のあることに気づいてい
なさい。
 そうすれば、それは為されるだろう。
 ただ油断なく、静かにしていなさい。
 ひとたびあなたが目的地に到着し、真の本性を知るならば、あなたの存在は
 すべてにとっての祝福となる。
 あなたは知らないかもしれない。
 世界もまた知らないだろう。
 だが、助けは広く行き渡るのだ。
 世界のなかには、すべての政治家や慈善家を合わせたより以上の善を為して
 いる人々がいる。
 彼らは意図ももたず、知ることもないまま、光と平和を放っている。
 他者が彼らの為した奇跡について話すと、彼らもまた驚きの念に打たれる。
 それにもかかわらず、何ひとつ彼らのものとして受け取らず、誇りももたず、
 名声を望むこともない。
 彼らには、ただ彼ら自身のために何かを欲望すること、他者を助ける喜びを
 求めることさえ不可能なのだ。
 神が善であると知るゆえに、彼らはただ平和の内に在るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

629鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/14(木) 22:33:02 ID:1d4drIFg0
自分自身ついて知らないことを無知とマハラジはいうのじゃ。
お釈迦様はそれを無明と説いたのじゃ。
個体としての自分があると思うことが無知であり、無明なのじゃ。
その謬見がなくならない限り苦はあり続けるのじゃ。

630避難民のマジレスさん:2019/02/15(金) 06:10:27 ID:LC3de7YgO
>>628
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】

 質問者 私は家族と所有物に対してたいへんな執着があります。この執着を
     どのようにして克服すればいいのでしょうか?
 マハラジ
 この執着は、「私」と「私のもの」という感覚とともに生まれたものだ。
 これらの言葉のもつ本当の意味を見いだしなさい。
 そうすれば、すべての束縛から自由になるだろう。
 あなたは時間のなかに広がるマインドをもっている。
 つぎつぎとあらゆることがあなたに起こり、そしてその記憶が残る。
 それには何の誤りもない。
 ただ、すべての有機的生命にとって本質的である過去の苦痛や快楽の記憶が、
 ひとつの反射的作用、支配的行動として残るとき問題が起こるのだ。
 この反射作用が「私」という形を取り、身体とマインドをいつも快楽の追求、
 苦痛からの逃避という目的のために使うのだ。
 あなたが「私」を、ひと塊(かたまり)の欲望と恐れとして、「私のもの」
 を、苦痛を避け快楽を確保するためにものごとや人びとを抱擁するものとし
 てあるがままに認識したとき、「私」と「私のもの」は、実在のなかに何の
 基盤ももたない偽りの観念だということが理解できるだろう。
 マインドによってつくられながらも、マインドがそれらを真実だと見なすか
 ぎり、そのつくり出した者を支配する。
 それが疑われた瞬間、それらは消え去るのだ。
 「私」と「私のもの」は、それ自体では存在をもたないため、身体という支
 えを必要とする。
 身体がそれらの身元の証明となるのだ。
 あなたが「私の」夫や「私の」子どもと言うとき、身体にとっての夫、身体
 にとっての子どもを意味している。
 自分が身体だという観念を捨て去り、「私とは誰なのか?」という質問に直
 面しなさい。
 即座に実在を呼び戻す動きのプロセスがはじまる。
 というよりも、そのプロセスがマインドを実在へと連れていくだろう。
 ただ、恐れてはならないのだ。
 質問者 何を恐れるというのでしょうか?
 マハラジ
 実在が在るためには、「私」と「私のもの」という観念は去らなければなら
 ない。
 あなたが手放しさえすれば、それらは去るだろう。
 そうすれば、あなたの正常で自然な状態はふたたび現れる。
 そのとき、あなたは身体でもマインドでもなく、「私」でも「私のもの」で
 もない、まったく異なった存在の状態に在るのだ。
 それは、あれやこれとしての存在ではなく、特定の、あるいは一般的な何か
 との自己同一化のない、純粋な存在の気づきだ。
 意識の純粋な光の中には何も存在しない。
 無という概念すらない。
 そこにはただ光があるだけだ。
 質問者 私には愛する人たちがいます。彼らを手放さなければならないので
     しょうか?
 マハラジ
 あなたはただ、彼らをつかんでいる手を放すだけだ。
 あとは彼ら次第だ。
 彼らはあなたに興味を失うかも知れない。
 あるいはそうではないかもしれない。
 質問者 どうして彼らが興味を失うというのでしょう? 彼らは私のもので
     はないのでしょうか?
 マハラジ
 彼らはあなたの身体のものであり、あなたのものではないのだ。
 あるいはあなた自身のものではない人は、ひとりもいないのだ。
 質問者 それでは私の所有物はどうなるのでしょうか?
 マハラジ
 「私のもの」がないとき、どこに所有物があるというのかね?
 質問者 どうか教えてください。「私」を失うことですべての所有物を失わ
     なければならないのでしょうか?
 マハラジ
 そうかもしれない、そうではないかもしれない。
 それはあなたにとってみな同じこととなるだろう。
 あなたの損失は、誰かほかの人の得となるからだ。
 あなたはかまわないだろう。
 質問者 もしかまわなければ、私はすべてを失ってしまうでしょう!
 マハラジ
 ひとたび何ももたなくなれば、問題はなくなるのだ。
 質問者 私は生存の問題とともに取り残されてしまうでしょう。
 マハラジ
 それは身体の問題であって、食べたり、飲んだり、眠ったりすることで解決
 されるだろう。
 そこにはすべてに充分なだけ、すべてを分かちあうだけ用意されているのだ。
 質問者 私たちの社会は分かちあうことではなく、つかみ取ることを基本に
     しているのです。
 マハラジ
 分かちあうことで、あなたはそれを変えるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

631鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/15(金) 22:42:40 ID:1d4drIFg0
私という観念があれば私のものとか家族とかの観念が起こるのじゃ。
そしてそれに執着するのじゃ。
執着にょって苦も起こるのじゃ。
私という観念が無ければ私も私のものもなく、執着も無く苦もないのじゃ。

632避難民のマジレスさん:2019/02/16(土) 09:28:43 ID:LC3de7YgO
>>630
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】

 質問者 私は分かちあう気にはなれません。とにかく、私は所有物によって
     重荷を負わされているのです。
 マハラジ
 これは自由意志による分かちあいと同じではない。
 社会は強制では変わらない。
 ハートの変革が必要なのだ。
 あなたのものは何ひとつなく、すべてはすべてに属しているということを理
 解しなさい。
 そのときにだけ、社会は変わるだろう。
 質問者 ひとりの人間の理解によって、世界を大きく変えることはできない
     でしょう。
 マハラジ
 あなたが住む世界は深く影響を受けるだろう。
 それは健康で幸福な世界となるだろう。
 それは光を放ち、通じあい、拡大し、広がっていくだろう。
 真実のハートの力は計り知れないものなのだ。
 質問者 どうか、もっと私たちに話してください。
 マハラジ
 話すことが私の専門ではない。
 ときに私は話し、ときには話さない。
 私が話すか話さないかは与えられた状況の一部分であって、私に依ることで
 はないのだ。
 話さなければならない状況では、私は私自身が話していることを聞き、別の
 状況では、私は私自身が話していないことを聞くのだ。
 それは私にとってみな同じことだ。
 話をしようとしまいと、存在の光と愛である私は影響を受けず、それらは私
 の制御の内にあるのだ。
 それらはある。
 そしてそれらがあることを私は知っているのだ。
 そこには喜ばしい気づきがある。
 だが、誰も喜んでいる人はそこにいない。
 もちろん、アイデンティティの感覚はある。
 しかし、それは一連の記憶のアイデンティティ、不変のスクリーン上の画像
 の連鎖とのアイデンティティのようなものなのだ。
 光とスクリーンなしに画像はありえない。
 画像がスクリーン上の光の戯(たわむ)れであると知ることは、画像が実在
 だという観念からの解放を与えてくれる。
 理解しなければならないことは、あなたは自己を愛し、自己はあなたを愛し
 ているということだけだ。
 そして「私は在る」という感覚は、あなたと自己との間の連結部であり、外
 見の多様性に妨げられないアイデンティティの象徴なのだ。
 「私は在る」を内面と外面の間、実在と現れとの間の愛の象徴として見なさ
 い。
 夢のなかでは、「私」という感覚を除いてはすべてが異なっている。
 その「私」が「私は夢を見た」と言うことを可能にするように、「私は在る」
 という感覚が、「私は真我だ」と言うことを可能にするのだ。
 私は何もしないし、私に対して何もされることはない。
 私は私であり、何も私に影響を与えることはできない。
 私はすべてに依存しているように見えるが、事実は、すべてが私に依存して
 いるのだ。
 質問者 どうしてあなたが何もしないと言えるのでしょうか? あなたは私
     に話しているではありませんか?
 マハラジ
 私には私が話しているという感覚がない。
 話をすることが起こっている。
 ただそれだけだ。
 質問者 私は話しています。
 マハラジ
 そうかね?
 あなたはあなたが話しているのを聞く。
 そして言うのだ。
 「私は話す」と。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

633鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/16(土) 22:51:51 ID:1d4drIFg0
世界はその観念を持つ者の心で作り出されるものじゃ。
そしてそれも自分のものではないのじゃ。
世界は自分で作りながら、自分で制御できないと思うのじゃ。
心を観察して変容が起これば世界も変るのじゃ。

634避難民のマジレスさん:2019/02/16(土) 23:12:42 ID:LC3de7YgO
>>632
『I AM THAT 私は在る』
【77 「私」と「私のもの」は偽りの観念だ】(つづき)

 質問者 誰もが「私は働く、私は来る、私は行く」と言います。
 マハラジ
 私はあなたの言語習慣に異議はない。
 だが、それは実際を歪(ゆが)ませ、破壊してしまうのだ。
 より正確な言い方は、「そこには話すことが、働くことが、来ることが、行
 くことが起こっている」となるだろう。
 なぜなら、何かが起こるには宇宙全体が符合しなければならないからだ。
 ひとつの出来事の原因が何か特定のものと信じるのは間違いだ。
 すべての原因は普遍的なものなのだ。
 宇宙全体がその創造と存続に貢献しないかぎり、あなたの身体は存在しなか
 っただろう。
 ものごとは起こるがままに起こる、なぜなら、世界はあるがままだというこ
 とに、私は完全に気づいているからだ。
 出来事の流れに影響を与えるには、世界のなかに新しい要因をもたらさなけ
 ればならない。
 そしてそのような要因は、私のなかで焦点を合わされた愛と理解の力である
 私自身でしかありえないのだ。
 身体が誕生するとき、あらゆることが自由に起こる。
 そしてあなたは自分を身体だと見なして、それらに関わっていく。
 あなたは映画館でずっと席に座っていて、画像が光の戯(たわむ)れにすぎ
 ないのをよく知っているにもかかわらず、画面を見て笑ったり泣いたりして
 いる人のようなものだ。
 その魔力を破るには、スクリーンから自分自身へと注意を移行させるだけで
 充分なのだ。
 身体が死ぬとき、あなたが現在生きている身体的、精神的出来事の連鎖であ
 る人生は終わりを迎える。
 それは身体の死を待たずとも、今でさえ終わらせることができる。
 注意を真我に移行し、そこにとどめておくだけで充分なのだ。
 あたかもそこに、すべてを創造し、動かす神秘の力があるように。
 すべては起こるのだ。
 あなたは動かす人ではなく、ただの観察者なのだということを自覚しなさい。
 そうすれば、あなたは平和の内にあることだろう。
 質問者 その力とは私から離れてあるものでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、そうではない。
 だが、あなたは冷静な観察者としてあることからはじめなければならない。
 そのときにのみ、あなたは普遍的な愛する者と行為する者としてのあなたの
 完全な存在を認識するだろう。
 あなたが特定の人物としての困難のなかに巻き込まれているかぎりは、何も
 その彼方にあるものを見ることはできない。
 だが究極的には、あなたは特定でも普遍的でもなく、その両方を超えたもの
 だと知ることだろう。
 鉛筆の先のごく小さな点が無数の絵を描きだすように、気づきの無次元の点
 は広大な宇宙の内容を描くことができるのだ。
 その点を探し出し、自由になりなさい。
 質問者 私は何から世界をつくり出したのでしょうか?
 マハラジ
 あなた自身の記憶からだ。
 あなたが創造者としての自分に無知なかぎり、あなたの世界は限定され、反
 復的なものになる。
 ひとたびあなたが過去との自己同一化を超えていけば、調和と美の新しい世
 界を自由につくり出すことができる。
 あるいは、あなたはただ存在と非存在の彼方にとどまるのだ。
 質問者 もし私が記憶を手放したなら、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 何も残らないだろう。
 質問者 私はそれを恐れるのです。
 マハラジ
 自由とその祝福を体験するまであなたは恐れることだろう。
 もちろん、身体を識別し導くためにはいくらかの記憶が必要だ。
 そしてそのような記憶は残る。
 だが、身体への執着が残ることはない。
 それはもはや欲望と恐れの拠(より)り所ではなくなるのだ。
 これらすべてを理解し、修練することは何も難しいことではない。
 しかし、あなたは興味をもたなければならない。
 興味なしには何もなされないからだ。
 あなたとは執着によって束ねられた一束の記憶なのだということを理解した
 上で、そこから踏みだし、外側から見てみなさい。
 はじめてあなたは記憶ではない何かを知覚するだろう。
 自分個人の関心事に忙しい某氏として在ることをやめて、ついにあなたは平
 和になるのだ。
 世界には何も間違ったところがないということを、あなたは認識するだろう
 ――間違っていたのはあなただけだ。
 そして、それは今終わったのだ。
 けっしてふたたび、あなたは無知から生まれた欲望の網の目に捕まることは
 ないだろう。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

635鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/17(日) 22:51:10 ID:1d4drIFg0
自分も世界も記憶から起こるものじゃ。
世界と対峙する自分という観念も記憶から起こっているのじゃ。
それを現実と認識するから孤独や不安や全ての苦も起こるのじゃ。
それが幻想であったと気付けば苦もまた幻想として消滅するのじゃ。

636避難民のマジレスさん:2019/02/17(日) 23:17:10 ID:LC3de7YgO
>>634
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】

 質問者 あなたの真我の実現がどのように起こったのか、尋ねてもよいでし
     ょうか?
 マハラジ
 どうしたものか、私の場合それはとても簡単で、やさしいものだった。
 私のグルが亡くなる寸前に私に告げたのだ。
 「私を信じなさい。あなたは至高の実在なのだ。私の言葉を疑ってはならな
 い。不信感をもってはならない。私は真実を伝えているのだ。それに基づい
 て行動しなさい」と。
 私には彼の言葉を忘れることができなかった。
 そして忘れないことで、私は真我を実現したのだ。
 質問者 しかし、実際にあなたは何をしたのでしょうか?
 マハラジ
 何も特別なことはしなかった。
 私は私の人生を生き、商売に励み、家族の面倒を見、時間の許すかぎり私の
 グルと彼の言葉を覚えていたのだ。
 じきに彼は逝き、私は記憶に頼ることしかできなかった。
 それで充分だったのだ。
 質問者 それはグルの恩寵(おんちょう)と力だったに違いありません。
 マハラジ
 彼の言葉は真実だった。
 だからそれは実現されたのだ。
 真実の言葉はつねに実現される。
 私のグルは何もしなかった。
 彼の言葉が働きかけたのだ。
 なぜなら、それらは真実だったからだ。
 何であれ、私のしたことは願わず、求めずして内側から起こったものだ。
 質問者 グルは自ら参加することなしに、一連の変化を起こしたということ
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたの好きなように表現するがいい。
 ものごとは起こるように起こるのだ。
 なぜ、どうしてなのかを誰が言えるだろうか?
 私は何ひとつ意図的にしなかった。
 手放そうという熱望、ひとりになること、内側へと向かうこと、すべてはひ
 とりでに起こったのだ。
 質問者 あなたはまったく何の努力もしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 何ひとつしなかった。
 私は真我を実現しようと苦悩したわけでさえない。
 彼は私に「あなたは至高なるものだ」と告げ、そして死んだのだ。
 私にはただ彼を疑うことができなかった。
 それ以外はすべてひとりでに起こっていった。
 私は変わりつづけていく私を見ていた。
 ただそれだけだ。
 実のところ、私は驚いている。
 しかし、彼の言葉を実証したいという熱望が湧いてきたのだ。
 私には彼が嘘をついているはずがないというあまりにも強い確信があったた
 め、彼の言葉の完全な意味を実現するか、そうでなければ死ぬしかないと感
 じたのだ。
 私の決意は強固なものだったが、何をすべきか知らなかった。
 私は何時間も彼のことと彼が確約した言葉を想い、議論することなく、ただ
 彼の言った言葉を覚えていたのだ。
 質問者 そして、何があなたに起こったのでしょうか? どのようにしてあ
     なたが至高なるものだと知る
に至ったのでしょうか?
 マハラジ
 誰かがそれを伝えにきたわけではない。
 内面でそう言われたのを聞いたわけでもない。
 事実、努力したのは、ほんのはじめのころだけだ。
 私は光を見たり、声を聞いたり、神々に出会ったり、彼らと話をしたりとい
 う奇妙な体験を通り抜けてきた。
 ひとたびグルが私に「あなたは至高の実在だ」と言ったとき以来、幻想や超
 越状態を体験することはなくなり、とても静かに、そしてシンプルになった。
 私は欲望をもつことや知ろうとすることがだんだんなくなっていき、最後に
 はまったくの驚きとともに、「私は何も知らない。私は何も欲しくない」と
 言うまでに至ったのだ。
 質問者 あなたは本当に欲望と知識から解放されたのでしょうか、それとも
     グルによって与えられたイメージにしたがってジニャーニ(賢者)
     を人格化したのでしょうか?
 マハラジ
 いかなるイメージも与えられなかったし、私自身ももっていなかった。
 グルは何かを期待するようにとは一切言わなかったのだ。
 質問者 今以上のことがあなたに起こるかもしれないのでしょうか? あな
     たの旅は終焉したのでしょうか?
 マハラジ
 そこにはけっしていかなる旅もなかったのだ。
 私は、つねに私であったままの私なのだ。
 質問者 あなたが到達したという至高の実在とは何だったのでしょうか?
 マハラジ
 私はもはや騙(だま)されない。
 それだけだ。
 私は世界をつくり出し、そこに住んでいた――もはやそうすることはないの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

637避難民のマジレスさん:2019/02/17(日) 23:19:09 ID:LC3de7YgO
>>636
くまも鬼和尚もみなも、至高の実在でありますね。
(´・(ェ)・`)つ

638鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/18(月) 22:07:35 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、至高の存在なのじゃ。
 それを疑わなくなった時に全ては始まるのじゃ。

マハラジの如く完全な信仰があれば全ての恐れも障害も乗り越えて悟りはやってくるのじゃ。
誰でも自分の心の中を観るのは恐ろしいものじゃ。
自分がなくなるような感じがするじゃろう。
それを乗り越えるには師の言葉を信じて進むしかないのじゃ。
行った事のない山を登るのにはガイドを信じて登るしかないようにのう。

639避難民のマジレスさん:2019/02/18(月) 22:19:29 ID:LC3de7YgO
>>636
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 それでは、あなたはどこに住んでいるというのでしょうか?
 マハラジ
 存在と非存在を超えた、意識を超えた空のなかだ。
 その空はまた充満してもいるのだ。
 私を哀れんではいけない。
 それは、「私は私の仕事を終えた。もう何もするべきことはない」と言う人
 のようなものだ。
 質問者 あなたは真我の実現の確かな日時を伝えています。それはつまり、
     その日に何かが起こったということでしょうか? 何が起こったの
     でしょうか?
 マハラジ
 マインドが出来事をつくり出すことをやめたのだ。
 遙かなる昔からの絶え間ない探求が終焉したのだ。
 私は何も望まず、何も期待せず、何ひとつ私のものとして受け取らなかった。
 そこに闘おうとする「私」は残っていなかった。
 ただの「私は在る」さえも消え去ったのだ。
 もう一つ気づいたことは、すべての習慣的な確信を失ったということだ。
 以前、私は多くのことに確信をもっていた。
 今、私には何ひとつ確かなことはないのだ。
 だが、知らないことで何かを失ったようには感じない。
 なぜなら、私のすべての知識が偽りだったからだ。
 私が知らないということ自体、すべての知識は無知なるものだという事実の
 知識なのだ。
 「私は知らない」だけが私にできる唯一の表明だ。
 「私は生まれた」という考えを例にとってみなさい。
 あなたはそれを真実だと受け取っているかも知れない。
 そうではないのだ。
 あなたはけっして生まれなかったし、けっして死ぬこともないだろう。
 生まれて、そして死んでいくのは観念であり、あなたではないのだ。
 あなた自身を「私は生まれた」という想念と同一化することで、あなたは死
 をまぬがれない者となる。
 映画のなかではすべてが光であるように、意識が広大な世界となるのだ。
 よく見てみなさい。
 すべての名前と形は、意識の大海のはかない波にすぎず、ただ意識だけが存
 在するのだ。
 意識のかぎりない広がりのなかに、ひとつの光が現れる。
 小さな点は急速に動き、紙の上にペンで形を描くように思考、感情、概念、
 観念を描きだす。
 その描きだすインクが記憶だ。
 あなたはその小さな点であり、あなたの動きによって世界はつねに再創造さ
 れていくのだ。
 動くのをやめなさい。
 すると世界はなくなるだろう。
 内側を見なさい。
 すると身体のなかの広大な光の反映は、「私は在る」という感覚としての小
 さな光の点だと見いだすだろう。
 ただ光だけがあり、それ以外のすべては現れにすぎないのだ。
 質問者 あなたはその光を知っているのでしょうか? それを見たのでしょ
     うか?
 マハラジ
 マインドにとってそれは暗闇として現れる。
 それはその反映を通してだけ知ることができる。
 日の光以外はすべて日の光のなかで見られるのだ。
 質問者 私たちのマインドは同じものだと理解していいのでしょうか?
 マハラジ
 どうしてそうあり得よう?
 あなたは記憶によって織り込まれ、欲望と恐れによってひとつに束ねられた、
 あなた自身の個人的なマインドをもっているのだ。
 私は自分自身のマインドというものをもっていない。
 私が知る必要のあることは、宇宙は私に食べる物を与えるように私のもとへ
 運んでくるのだ。
 質問者 あなたは知りたいことをすべて知っているのですか?
 マハラジ
 私にとって知りたいことは何もない。
 だが、知る必要のあることは知ることになるのだ。
 質問者 この知識はあなたの内側からやってくるのでしょうか、それとも外
     側から来るのでしょうか?
 マハラジ
 その表現は当てはまらない。
 私の内側は外側であり、私の外側は内側なのだ。
 必要な知識をあなたから得るかも知れない。
 だが、あなたは私から離れていないのだ。
 質問者 第四の状態と呼ばれているトゥリーヤとは何でしょうか?
 マハラジ
 世界を描きだす光の点がトゥリーヤだ。
 光そのものとなることがトゥリーヤーティータだ。
 だが、実在がこれほど間近にあるというときに、そのような名称が何になる
 というのだろうか?         
(´・(ェ)・`)
(つづく)

640避難民のマジレスさん:2019/02/18(月) 22:21:01 ID:LC3de7YgO
>>638
うむ。至高の存在である!
(´・(∀)・`)つ

641避難民のマジレスさん:2019/02/19(火) 19:50:24 ID:LC3de7YgO
>>639
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 あなたの状態に進展はあるのでしょうか? あなたは昨日の自分を
     今日の自分と比較したとき、変化や進展が見られるのでしょうか?
     あなたの実在の見解はより広く、深くなっていくのでしょうか?
 マハラジ
 実在は不動のものだ。
 それにもかかわらず、絶え間ない変化のなかにある。
 それは力強い川のようなものだ。
 それは流れていくが、しかも永遠にそこにある。
 流れていくのは、川とその川床と両岸ではなく、水だ。
 同じようにサットヴァ・グナ、普遍的調和の質はタマスとラジャス、暗闇と
 絶望に対して戯(たわむ)れる。
 サットヴァのなかには、つねに変化と進展がある。
 ラジャスのなかには、つねに変化と後退がある。
 一方、タマスは混沌(こんとん)を代表する。
 三つのグナ(質)は永遠に互いに対抗して戯れあう。
 それは事実であり、そこに事実との不和はありえないのだ。
 質問者 私はつねにタマスとともに愚鈍になり、ラジャスとともに絶望する
     のでしょうか? サットヴァはどうでしょうか?
 マハラジ
 サットヴァはあなたの真の本性の輝きだ。
 あなたはつねにそれをマインドの彼方に見いだすことができる。
 だが、あなたが世界を望むならば、三つのグナを分離不可能で、本質的にひ
 とつである物質―エネルギー―生命として受け容れなければならない。
 時間と空間のなかには、誕生と死、進歩、後退、また進歩、ふたたび後退と
 いった、一見、はじまりも終わりもないような永遠の流れがある。
 永遠、不変で身体を持たず、マインドのない気づきが至福なのだ。
 質問者 あなたによれば、すべてが意識の状態なのだと私は理解しました。
     世界はもので満ちています。砂の一粒はものであり、惑星ももので
     す。それらはどのように関係しているのでしょうか?
 マハラジ
 意識の届かないところから物質ははじまる。
 ものとは私たちが理解してこなかった存在のひとつの形態だ。
 それは変化しない。
 それはつねに同じで、それ自体として、何か奇妙な異質なものとしてそこに
 あるように見える。
 もちろん、それは意識のなかに在る。
 だが、一見不変に見える外観ゆえに、外側にあるように見えるのだ。
 ものの根本は記憶のなかにある。
 記憶なしには認識はないからだ。
 創造―維持―破壊すなわちブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァ。
 これが永遠の過程だ。
 すべてのものごとはそれに支配されているのだ。
 質問者 そこからの脱出はありえないのでしょうか?
 マハラジ
 私はほかでもない脱出だけを示しているのだ。
 ひとつが三つを含んでいることを理解しなさい。
 そしてあなたこそがそのひとつなのだ。
 そうすれば、あなたは輪廻(りんね)から解放されるだろう。
 質問者 そのとき、何が私の意識に起こるのでしょう?
 マハラジ
 創造の段階の後に、調査、そして熟考の段階が来る。
 そして最終的に放棄と忘却の段階となる。
 意識は残るが、潜在的な、静かな状態なのだ。
 質問者 アイデンティティの状態は残るのでしょうか?
 マハラジ
 アイデンティティの状態は実在のなかで固有のものであり、けっして消え去
 るものではない。
 しかし、アイデンティティとは一時的な個人(ヴィヤクティ)でも、カルマ
 によって束縛された人格(ヴィヤクタ)でもないのだ。
 それはすべての自己同一化が偽りとして放棄されたときに残るものだ。
 純粋な意識、そこにある、またはありうるすべての存在の感覚だ。
 意識ははじめ純粋で、終わりもまた純粋なままだ。
 その中間において、創造の根本である想像によって汚されてしまうのだ。
 意識はつねに同じ状態で残る。
 それをあるがままに知ることが真我の実現であり、永遠の平和なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

642鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/19(火) 22:58:46 ID:1d4drIFg0
>>640 そうじゃ、至高の存在じゃ。

この世でのさまざのまな知識は全て仮想の観念としてあるだけなのじゃ。
他人に伝えるための言葉とイメージとして伝わっているだけなのじゃ。
それらは金とか鍬とかペンチとかの道具と同じように本来いらないものじゃ。
ただ便利な道具として生きている間だけ役に立つものなのじゃ。
知識の彼方に永遠の意識は在るのじゃ。

643避難民のマジレスさん:2019/02/19(火) 23:29:16 ID:LC3de7YgO
>>641
『I AM THAT 私は在る』
【78 すべての知識は無知なるものだ】(つづき)

 質問者 「私は在る」という感覚は実在なのでしょうか、非実在なのでしょ
     うか?
 マハラジ
 その両方だ。
 私たちが、「私はこれだ。私はあれだ」と言うとき、それは非実在であり、
 「私はこれでもなく、あれでもない」と言うとき、それは実在なのだ。
 知る者は知られるものとともに来ては去り、一時的なものだ。
 だが、知らないということを知り、記憶と期待から自由なそれは永遠なのだ。
 質問者 「私は在る」自体が観照者なのでしょうか、それともそれらは別々
     なのでしょうか?
 マハラジ
 ひとつがないときにはもうひとつもない。
 しかし、それらはひとつではない。
 それは花とその色彩のようなものだ。
 花なしには色彩もない。
 色彩なしには――花が見られることもないままだ。
 その彼方には、花と接触することで色彩を生みだす光がある。
 あなたの真の本性は純粋な光だけであり、知覚者と知覚されるものは、とも
 に来ては去っていくだけだ。
 その両方を可能にし、また可能にしないもの、それがあなたの真の存在なの
 だ。
 それは「これやあれ」としての存在ではなく、存在と非存在の純粋な気づき
 なのだ。
 気づきがそれ自体に向かったとき、その感覚は「知らない」というものだ。
 それが外側に向いたとき、知ることの可能なものが現れる。
 「私は私自身を知っている」と言うことは、言葉の上で矛盾がある。
 なぜなら、「知られる」ことが「私自身」であることができないからだ。
 質問者 もし自己がつねに知られざるものならば、真我の実現のなかでは何
     が実現されるのでしょうか?
 マハラジ
 知られることは私、あるいは私のものではありえない、ということを知るこ
 と自体、充分な解放だ。
 一式の記憶と習慣との自己同一化からの自由、存在の無限な広がりに対する
 驚愕(きょうがく)、その無尽蔵な創造力と完全な超越、意識のあらゆる状
 態が錯覚であり、一時的であることの認識から生まれた絶対的な恐れのなさ
 ――それらは深く、かぎりない源から湧き出るものだ。
 源を源として、現れは現れとして知ること、自己を唯一の源として知ること
 が真我の実現なのだ。
 質問者 観照者はどちらの側にあるのでしょう? 実在でしょうか、非実在
     でしょうか?
 マハラジ
 誰も「私は観照者だ」と言うことはできない。
 「私は在る」はつねに観照されているものだ。
 冷静な気づきの状態が観照意識、「鏡のマインド」だ。
 それは対象物とともに現れては消えるものであり、それゆえ完全に実在とは
 言えない。
 対象物がなんであれ、それは変わらず残る。
 それゆえそれは実在とも言えるのだ。
 それは実在と非実在の両方の質をもっているため、そのふたつに架ける橋な
 のだ。
 質問者 もしすべてが「私は在る」にだけ起こるのなら、もし「私は在る」
     が知る者と知られるものと知識そのものであるなら、観照者がする
     こととは 何なのでしょうか? それが何の役に立つというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 それは何もしない。
 そして何の役にも立たないのだ。
 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて話すのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、それはそこに在るからだ。
 橋は渡すというひとつの役割を果たすだけだ。
 あなたは橋の上に家を建てたりはしない。
 「私は在る」はものごとを見るが、観照者はそれらを見通すだけだ。
 それはそれらを非実在で一時的なものとして、ありのままに見る。
 「私ではなく、私のものではない」と言うことが観照者の役目なのだ。
 質問者 観照者とは、非顕現(ニルグナ)が表現された顕現(サグナ)なの
     でしょうか?
 マハラジ
 非顕現は表現されない。
 顕現されたものには非顕現を表現することはできないのだ。
 質問者 それでは、なぜ私たちはそれについて語るのでしょうか?
 マハラジ
 なぜなら、そこが私の誕生の地だからだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

644避難民のマジレスさん:2019/02/19(火) 23:35:22 ID:LC3de7YgO
>>643
> 「私は私自身を知っている」と言うことは、言葉の上で矛盾がある。
 なぜなら、「知られる」ことが「私自身」であることができないからだ。
> 知られることは私、あるいは私のものではありえない、ということを知るこ
 と自体、充分な解放だ。

目は直接自分の目を見ることはできないってやつでありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

645鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/20(水) 23:17:07 ID:1d4drIFg0
↑ そのようなものじゃ。
 主体無く全てはただ起こるのじゃ。
 そこに私は無いのじゃ。
 私が無いことを主体無く気付くことができるのじゃ。
 気付く主体も気付かれる私も無いのじゃ。
 私という認識の観念そのものが気づきによってなくなるのじゃ。

646避難民のマジレスさん:2019/02/20(水) 23:27:39 ID:LC3de7YgO
>>643
『I AM THAT 私は在る』
【79 個人、観照者、至高なるもの】(つづき)

 質問者 私たちには意識を拡張する麻薬のさまざまな体験の長い経歴があり
     ます。それらは高次や低次といった別の意識状態の体験を、そして
     麻薬は信頼できず、良くても一時的であり、最悪では有機体と人格
     を破壊するという確信を私たちに与えてくれました。私たちは意識
     の発達と超越のためのより良い方法を探しています。探求の結果が、
     薄れゆく記憶と無力が後悔に変わるのではなく、私たちとともにと
     どまり、人生を豊かにしてくれることを望んでいるのです。もし霊
     的ということで、私たちが自己探求と発達を意味するなら、インド
     に来た目的はまぎれもなく霊的なものです。幸福なヒッピーの時代
     を私たちは後にしたのです。私たちは、今真剣に進んでいこうとし
     ています。そこに発見すべき実在があることは知っているのですが、
     どのようにしてそれを見つけ、つかまえればいいのか知りません。
     私たちには説得ではなく指導が必要なのです。助けていただけます
     か?
 マハラジ
 あなたに助けは必要ない、ただ助言だけが要る。
 あなたが探しているものは、すでにあなたのなかにある。
 私の場合は例に見てみなさい。
 私は真我の実現のために何もしなかった。
 私の師が、実在は私のなかにあると言ったのだ。
 私は内面を見て、そこにそれを発見した。
 まさしく、師の言ったように。
 実在を見ることは、自分の顔を鏡で見ることのように簡単なことなのだ。
 ただ鏡は汚れのない、本物でなければならない。
 欲望や恐れによる歪みがなく、観念や意見から自由な、すべてのレベルで明
 晰(めいせき)な、静かなマインドが実在を反映するために必要なのだ。
 澄んで、静かに在りなさい。
 油断なく冷静に在りなさい。
 そうすればほかのすべてはひとりでに起こるだろう。
 質問者 あなたは真理を悟る前に、マインドを澄んだ静かな状態にしなけれ
     ばなりませんでした。どうや
ってそれをしたのでしょうか?
 マハラジ
 私は何もしなかった。
 それはただ起こっただけだ。
 私は私の人生を送り、家族の必要に従事していたのだ。
 私のグルも何もしなかった。
 彼が言ったとおり、それはただ起こったのだ。
 質問者 ものごとはただ起こるものではありません。すべてに原因があるは
     ずです。
 マハラジ
 起こることすべてが起こることすべての原因なのだ。
 原因は無数にある。
 たったひとつの原因という考えはただの幻想だ。
 質問者 あなたは何か瞑想やヨーガといった特別なことをしていたに違いあ
     りません。真我の実現がひとりでに起きるなどと、どうして言える
     のでしょうか?
 マハラジ
 何も特別なことはなかったのだ。
 私はただ私の人生を生きていただけだ。
 質問者 驚きです!
 マハラジ
 私もそうだったのだ。
 だが、驚くような何があるというのだろう?
 私の師の言葉が現実となった。
 だから何だというのだろう?
 彼は、私自身を私よりよく知っていたのだ。
 なぜ原因を探すのか?
 最初のうち、私は「私は在る」という感覚に注意を払っていた。
 だが、はじめのうちだけだ。
 しばらくしてグルは死に、私は生きつづけた。
 彼の言葉が真実だと証明された。
 それだけだ。
 それはすべてひとつの過程だった。
 あなたはものごとを時間のなかで区別し、それから原因を探しだそうとして
 いるのだ。
 質問者 あなたの現在の仕事は何でしょうか? あなたは何をしているので
     すか?
 マハラジ
 あなたは在ることと、することを同一視している。
 それはそうではないのだ。
 マインドと身体が動き、変化し、ほかのマインドと身体を動かし、変化させ
 ていく。
 それがすること、行為と呼ばれるものだ。
 私が見るには、燃えることによって火が続いていくように、行為がつぎの行
 為を生みだしていく、それが行為の本質だ。
 私は行為もしなければ、ほかの者に行為させることもしない。
 私は永遠に、起こっていることに気づいているのだ。
 質問者 あなたのマインドのなかや、他者のマインドのなかのことも気づい
     ているのでしょうか?
 マハラジ
 そこには、「私はこれだ、私はあれだ。これは私のものだ。あれは私のもの
 だ」という考えが群れをなしたひとつのマインドがあるだけだ。
 私はマインドではない。
 けっしてそうではなかったし、そうあることもないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

647避難民のマジレスさん:2019/02/21(木) 06:55:26 ID:LC3de7YgO
>>646
>  マインドと身体が動き、変化し、ほかのマインドと身体を動かし、変化させ
 ていく。
 それがすること、行為と呼ばれるものだ。
 私が見るには、燃えることによって火が続いていくように、行為がつぎの行
 為を生みだしていく、それが行為の本質だ。

←仕事は何かと問われて、このように答えていますが、
これは、心も、身体の動きも、連続しているように見えるので、一つの統一した自我が在るように見えるだけであり、錯覚のようなものである。みたいな意味でありますかね。
(´・(ェ)・`)つ

648避難民のマジレスさん:2019/02/21(木) 20:05:25 ID:LC3de7YgO
>>646
『I AM THAT 私は在る』
【79 個人、観照者、至高なるもの】(つづき)

 質問者 マインドはどうやって現れたのでしょうか?
 マハラジ
 世界は物質、エネルギー、知性で構成されている。
 それらは多くの方法でそれ自体を現している。
 欲望と想像が世界を創造する。
 知性はその二つを調停し、平和と調和の感覚をもたらすのだ。
 私にとっては、それはすべて起こるだけだ。
 私は気づいていて、しかも影響を受けないままなのだ。
 質問者 影響を受けないまま、気づいていることはできません。そこには言
     葉上の矛盾があります。知覚とは変化です。ひとたびあなたがある
     感覚を体験したら、記憶は以前の状態に後戻りすることを許さない
     でしょう。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 記憶に加えられたことを消去するのは簡単なことではない。
 しかし、間違いなくそれはできる。
 事実、私はつねにそれをやっている。
 飛ぶ鳥のように、私は足跡を残さないのだ。
 質問者 観照者は名前と形をもっているのでしょうか、それとも、それらを
     超えているのでしょうか?
 マハラジ
 観照者は気づきのなかの単なる点にすぎず、名前も形もない。
 それは露のしずくに映る太陽の反映のようなものだ。
 露のしずくには名前も形もない。
 だが、光の小さな点は太陽によってできたものだ。
 しずくの透明さとなめらかさは必要な条件であるが、それ自体としては充分
 と言えない。
 同じようにマインドの明晰性と沈黙は、マインドのなかに実在の反映が現れ
 るために必要であるが、それだけでは充分でないのだ。
 それを超えたところに実在がなければならない。
 実在は永遠に存在しているため、必要条件のほうが強調されるのだ。
 質問者 マインドが澄んで、静かにあるでもかかわらず、反映が現れないこ
     ともありうるのでしょうか?
 マハラジ
 運命が考慮されなければならない。
 無意識は運命に捕らえられている。
 事実、それが運命なのだ。
 人は待たなければならないかもしれない。
 しかし、運命の手がいかに重くのしかかろうと、忍耐と自己制御によって取
 り除くことはできるのだ。
 統合と純粋さが障害をぬぐい去るとき、マインドのなかに実在の姿は現れて
 くる。
 質問者 どのようにして自己制御を習得するのでしょうか? 私のマインド
     は軟弱なのです!
 マハラジ
 まず、あなたはあなたが考えているような個人ではないということを理解し
 なさい。
 あなたがあなた自身だと考えていることは、単なる想像や思いつきにすぎな
 いのだ。
 あなたに両親はいない。
 あなたは生まれてもいなければ、死にもしないのだ。
 私がそう言うのを信じるか、あるいは探求し、調査することでそれに到達す
 るがいい。
 完全なる信頼の道は速い。
 もうひとつの道は遅いが、安定している。
 どちらも行為によって試されなければならないのだ。
 あなたが真実だと信じることにしたがって行動しなさい。
 これが真理への道なのだ。
 質問者 真理を受けるに値する人となることと運命とは、ひとつであり同じ
     ことなのでしょうか?
 マハラジ
 そうだ、それらはどちらも無意識のなかにある。
 意識している長所とは単なるうぬぼれにすぎない。
 意識はつねに障害なのだ。
 障害のないとき、人はそれを超えることができる。
 質問者 私は身体ではないという理解が自己制御に必要な力を与えてくれる
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたが身体でもマインドでもないと知るとき、それらによって影響される
 ことはなくなる。
 それがどこにあなたを連れていこうとも、あなたはする必要のあることをし、
 払うべき代償が何であれ、真理にしたがっていくだろう。
 質問者 行為は真我の実現に本質的なものなのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現にとっては、理解が本質的なものだ。
 行為は偶然のものでしかない。
 確固とした理解の人は行為を差し控えるだろう。
 行為とは真理の試験なのだ。
 質問者 試験が必要なのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたがつねにあなた自身を試験しなければ、実在と空想との区別はで
 きなくなるだろう。
 観察と注意深い理性はある程度の助けになる。
 しかし、実在は逆説的なのだ。
 思考と感情、言葉と行動を見守り、なぜ、どのようにして、あなたの知らな
 いうちにそれらが変化していくのかを疑わないかぎり、あなたが真我を実現
 したということをどうして知ることができるだろう?
 本当に驚くからこそ、それが実在だと知るのだ。
 予想され、期待されたものが実在であることはまれだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

649鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/21(木) 22:37:26 ID:1d4drIFg0
>>647 そのような理解で善いのじゃ。
 行為があるから行為の主体があるはずだと自我の在る者は思ってしまうのじゃ。
 それはただ自動的に続くものごとに自分の観念を投射しているだけなのじゃ。

 マハラジは人に両親は居らず、生まれても入なければ死にもしないというのじゃ。
 人が自分と思っているものは想像や思いつきであるからというのじゃ。
 実際にはそれは認識であるがのう。
 認識による謬見が自我と呼ぶものなのじゃ。

650避難民のマジレスさん:2019/02/22(金) 07:05:13 ID:LC3de7YgO
>>648
『I AM THAT 私は在る』
【79 個人、観照者、至高なるもの】(つづき)

 質問者 個人はどのようにして現れるのでしょうか?
 マハラジ
 光が身体によって遮(さえぎ)られたとき、影が現れるのと同じように、純
 粋な自己覚醒が「私は身体だ」という想念によって妨げられたとき、個人が
 現れる。
 そして影が地上の光によってその位置と形を変えていくように、個人も運命
 のパターンにしたがって喜んだり、苦しんだり、休息したり、あくせく働い
 たり、見いだしたり、失ったりするように現れて見えるのだ。
 身体がもはやなくなったとき、個人は再帰することなく完全に消え去る。
 ただ観照者と偉大な未知なるものだけが残るのだ。
 観照者は「私は知っている」と言い、個人は「私は為(な)す」と言うのだ。
 「私は知っている」ということは、真実に反することではない。
 それは単に限定されているだけだ。
 しかし、「私は為す」ということは、まったくの間違いだ。
 なぜなら、そこには為す人など誰もいないからだ。
 行為者であるという観念さえ含めたす
べてはひとりでに起こるのだ。
 質問者 それでは、行為とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 宇宙は行為であふれている。
 だが、そこに行為する者はいないのだ。
 そこには自己同一化によって行為していると想像している無数の小さな、そ
 して大きな、そしてとても大きな個人たちがいる。
 だが、それが行為の世界(マハーダカーシュ)はすべてに依存し、すべてに
 影響する単一の統一体だという事実を変えることはない。
 星たちは私たちに深く影響を与え、私たちも星たちに影響を与える。
 行為から意識へと一歩退き、行為は身体とマインドにまかせなさい。
 行為はそれらの領域なのだ。
 観照者さえも至高なるもののなかに消え去るまで、純粋な観照者としてとど
 まりなさい。
 木々でいっぱいの密林を想像してみなさい。
 木材から板が切りだされ、一本の小さな鉛筆でその板に書いていく。
 観照者は書かれたものを読み、そして鉛筆と板は密林に間接的に関係しては
 いるが、書かれたことはそれとは何の関係もないことを知る。
 それは完全にその上に付け加えられたものであり、その消滅には何の重要性
 もないのだ。
 人格の消滅にはつねに大いなる解放の感覚が続くものだ。
 あたかも重荷が落ちたかのように。
 質問者 あなたが、「私は観照者を超えた彼方にいる」と言うとき、どのよ
     うな体験があなたにそう言わせるのでしょうか? それはただの観
     照者としてある段階とはどのように違うのでしょうか?
 マハラジ
 それはプリント地の布を洗うようなものだ。
 はじめにデザインが消え、それから背後の色が落ち、最後に布が真っ白にな
 る。
 人格は観照者に場をゆずる。
 それから観照者は去り、純粋な気づきが残るのだ。
 布は、はじめは白く、終わりも白い。
 パターンと色はしばらくの間ただ起こっただけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

651鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/22(金) 22:53:03 ID:1d4drIFg0
個我や主体の観念は永遠の意識に一時だけついた仮の幻想なのじゃ
 色や柄のようなものじゃ。

652鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/22(金) 22:54:45 ID:1d4drIFg0
布が洗い流されたとき色も柄も無くなり、白い色が再び現われるように観照によって個我も主体も消え去るのじゃ。
そして元通りの永遠の行きだけがあり続けるのじゃ。

653避難民のマジレスさん:2019/02/23(土) 00:57:23 ID:LC3de7YgO
>>650
黄金の華の秘密
スワミ・アナンド・モンジュ訳
第八話 昏沈こんちんと散乱の克服(つづき) 
 より抜粋

さて、ここでもう一度思い出してほしい。
男と女について 話しているとき、私は生物学の用語を使っているのではない。
どの男の内側にも男性だけでなく内なる女性がいる。
その女の内側にも女性だけでなく内なる男性がいる。
男はたんなる男ではなく、女はたんなる女ではない。
彼らは両方だ。男女ともに両性だ。彼らは両方の性をそなえている。
ある人が男なのは、おそらく一方が優勢だからだろう。
男性の部分が優位に立って―つまりアニムスが意識に昇り、 アニマが無意識の
奥深くに潜んでいると、あなたは男になる。
あるいは、あなたが女であるというのは、アニマが意識に昇り、 女性的な部分
が優位に立って、男性的な部分、アニムスが無意識の なかに潜んでいるという
ことだ。
だが、両性がつねにともにある。 陰陽の極なくして電気が存在しえないように
、両極なくして生物は 存在しえない。
「男と女」「陰と陽」「明と暗」「シヴァとシャクティ」 ―あなたは好きな名
前で呼べばいい。
この二つの誤りを克服しなければならない。
静かな行を中断せずに毎日続けること
が必要になる。

そうすれば確実に成果が現れるであろう

この静かな行とは何か?
これが静かな行だ―
(p285)

静坐して瞑想しなければ、しばしば散乱していてもそれに気つ゛かない。
あなたはそれを観察したことがあるにちがいない。
たくさんの人々が私に報告している。
私のまわりでは何千人もの人々が瞑想しているからだ。
これは瞑想者が等しく認める体験だが、瞑想をはじめると、人は突然奇妙な
現象に気つ゛くようになる。
瞑想をすると、これまで一度もなかったほど心マインドが落ち着かなくなって
くる。
最初のうちはこれがひどく奇妙に思える。
瞑想すれば心が静かになるものと期待しているからだ。
ところが、起こっているのはまったく逆のことだ。
心はますます落ち着きを失ってゆく。
日常の生活をしているときよりも多くの思考がやってくる。
店や会社や工場で働いているときには、さほど思考は邪魔にならない。
ところが 、お寺やモスクや教会に坐って数分でも瞑想すると、突然、思考が群
れをなしてやって 来て、まわりを取り囲み、あちこちに引きずりまわしはじめ
る。
頭がおかしくなりそう になり、わけがわからなくなる。
瞑想者は穏やかで静かになるものと思っていたからだ。
ところがまったく逆のことが起こっている。
どうしてこんなことになるのだろう?
その理由はこうだ。
あなたがたはいつもこれらの思考と行動をともにしてきた。
店や工場や会社で働いているときでさえ、これらの思考はつねにそこにあった
のだ。
だが、仕事に夢中になるあまり、気つ゛かなかっただけのことだ。
目新しいのは 思考の群れではない―思考はあなたがどこに坐っていようが気に
かけない。
教会なのか、寺院なのか、瞑想ホールなのか、思考は気にかけない。
ようするに、坐って瞑想しているときには外界の事物に気を取られていない の
で、心がいつも内側で騒ぎ立てているすべてのものにはっきりと気つ゛く よう
になるというだけのことだ。
瞑想のせいでいつもより多くの思考がやって 来るわけではない。
瞑想によってあなたはそこにあるものに、いつもそこにあった ものに気つ゛く
ようになる。あなたが前よりももっと気つ゛くようになるだけだ。
静坐して瞑想しなければ、しばしば散乱していてもそれに気つ゛かない。
散乱に意識を向けることにより、おのずと散乱を取り除くことができる。
外界の雑務から身を引き、完全に身を引き、全力をあげて内界を観察するため
に、少なくとも毎日一、二時間、坐って瞑想することが強調されるのはそのた
めだ。
最初のうちはパンドラの箱を開けたように見えるだろう。
最初のうちは精神病院に踏み込んだように見えるだろう。
あなたは逃げだして、再び雑務に没頭したくなる。
この誘惑を避けなさい。
この誘惑はなんとしても避けなければならない。
さもなければ、けっして瞑想をすることはできない。
この内なる混乱から目をそらすために数々のトリックが見いだされてきた。
超越瞑想は瞑想のテクニックではなく、内なる現実に直面するのを避けるため
のテクニックだ。
マントラが与えられ、それをくり返すように告げられる。
それは役に立つ―瞑想の助けになるのではなく、気を紛らわしておく助けにな
る。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

654避難民のマジレスさん:2019/02/23(土) 01:25:00 ID:LC3de7YgO
>>653
また。
まちがえたのである。
うむ。
なにかうわのそらなのである。
気を付けないといけないのである。
(´・(ェ)・`)つ

655避難民のマジレスさん:2019/02/23(土) 01:33:32 ID:LC3de7YgO
>>650
『I AM THAT 私は在る』
【79 個人、観照者、至高なるもの】(つづき)

 質問者 気づきの対象物なしに気づきはありうるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきとその対象物を、私たちは観照と呼ぶのだ。
 そこに欲望や恐れによって起こる対象物との自己同一化があるとき、そのよ
 うな状態が個人と呼ばれるのだ。
 実際にはただひとつの状態があるだけだ。
 自己同一化によって歪曲(わいきょく)されたとき、それは個人と呼ばれる。
 それが存在の感覚で色づけされたとき、それが観照者であり、色も限定もな
 いとき、それは至高なるものと呼ばれるのだ。
 質問者 私はつねに落ち着きがなく、切望し、期待し、探しだし、見つけだ
     し、楽しみ、放棄し、また探しはじめるのです。何が私を煮えたた
     せつづけるのでしょうか?
 マハラジ
 本当は、あなたは知らぬままにあなた自身を探しているのだ。
 あなたは愛するにふさわしい、完全に愛する価値あるものに恋いこがれてい
 る。
 無知ゆえに、あなたはそれを矛盾と対立の世界のなかに探し求めている。
 あなたがそれを内側に見いだしたとき、あなたの探求は終わるのだ。
 質問者 私はいつまでもこの悲しみに満ちた世界に取り組んでいくのでしょ
     う。
 マハラジ
 先走ってはいけない。
 あなたは知らないのだ。
 すべての現れが対立のなかにあるのは本当だ。
 快楽と苦痛、善と悪、高い低い、進歩と後退、休息と闘い。
 それらはすべて、ともに来て、ともに去っていくものだ。
 そしてそこに世界があるかぎり、その矛盾はそこにあるだろう。
 そこにはまた完全な調和、至福、そして美のときがあるかもしれない。
 だが、ほんのしばらくの間だけだ。
 完全なものは、すべての完全なものの源に帰り着き、対立するものはその戯
 (たわむ)れを続けるのだ。
 質問者 どのようにして完成に到達するのでしょうか?
 マハラジ
 静かになりなさい。
 世界のなかでのあなたの仕事をするがいい。
 だが、内側では静かにしていなさい。
 そうすればすべてはやってくるだろう。
 真我実現のためにあなたの仕事に頼ってはならない。
 それは他者に利益をもたらすかもしれないが、あなたにではない。
 あなたの希望は、マインドのなかでは沈黙を保ち、ハートのなかで静かにし
 ていることにあるのだ。
 真我実現した人たちはとても静かなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

656鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/23(土) 22:59:31 ID:1d4drIFg0
静かにしていればアートマンは実現するとマハラジは言うのじゃ。
タオでは受動性を極めると教えるのじゃ。
何が起ころうと全てを受け入れ、過ぎ去るままにしていればそれはやってくるのじゃ。
自我さえも起こっては消えていく幻影と気付くからなのじゃ。

657避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 00:32:08 ID:LC3de7YgO
>>655
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】

 質問者 真我を実現するには時間がかかるのでしょうか? それとも時間は
     実現を助けることができないのでしょうか? 真我の実現はただ時
     間の問題なのでしょうか? それとも時間以外の要因に依存するの
     でしょうか?
 マハラジ
 待つことは無駄なことだ。
 問題を解決するために時間に依存することは自己欺瞞(ぎまん)だ。
 未来は、単に過去がそれ自体を繰り返すだけなのだ。
 変化は未来のなかではなく、いまの中だけで起こりうる。
 質問者 何が変化をもたらすのでしょうか?
 マハラジ
 澄みきった明晰(めいせき)性で変化の必要性を見なさい。
 それだけだ。
 質問者 真我の実現は物質のなかで、あるいはその彼方で起こるのでしょう
     か? それは身体とマインドに依存する体験なのでしょうか?
 マハラジ
 すべての体験は限定された、一時的な幻想でしかない。
 体験からは何も期待してはならない。
 それが新しい次元の体験へと導くことはあっても、真我の実現自体はひとつ
 の体験ではないのだ。
 新しい体験がいかに興味深いものであっても、古いものより真実だというわ
 けではない。
 真我の実現が新たな体験ではないことは明らかだ。
 それはすべての体験における時を超えた要因の発見だ。
 それは体験を可能にする気づきなのだ。
 すべての色のなかで光が色彩をもたない要因であるように、すべての体験の
 なかには気づきが存在している。
 それにも関わらず、気づきは体験ではないのだ。
 質問者 もし気づきが体験ではないとするなら、それはどのようにして認識
 されるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきは常にそこにある。
 それが認識される必要はないのだ。
 マインドの扉を開きなさい。
 そうすればそれは光で満ちあふれるだろう。
 質問者 物質とは何でしょうか?
 マハラジ
 あなたは物質を何だと理解しているだろう?
 質問者 科学は物質を理解しています。
 マハラジ
 科学は、単に私たちの無知の境界線を押し戻しているだけだ。
 質問者 それでは自然とは何でしょうか?
 マハラジ
 意識的な体験の総体性が自然だ。
 意識的自己としてのあなたは自然の一部なのだ。
 気づきとしてのあなたはその彼方にある。
 自然を単なる意識として見ることが気づきなのだ。
 質問者 気づきの段階というものはあるのでしょうか?
 マハラジ
 意識のなかに段階はあるが、気づきのなかにはない。
 それは均質がひと塊(かたまり)なのだ。
 マインドのなかでのその反映が愛と理解だ。
 理解における明晰性の段階や、愛の強烈さに度合いはあっても、その源に段
 階はないのだ。
 源は単一であり、シンプルだ。
 だがその贈り物は無限のものだ。
 ただ、贈り物を源と取り違えてはならない。
 あなた自身が川ではなく源であることを自覚しなさい。
 それだけだ。
 質問者 私は川でもあるのです。
 マハラジ
 もちろんだ。
 「私は在る」としてのあなたは、身体の岸の間を流れる川だ。
 だが、あなたはまた源でもあり、海でもあり、空の雲でもあるのだ。
 どこであれ、そこに生命と意識があるとき、あなたは在る。
 極小よりも小さく、極大よりも大きい。
 あなたは在る。
 ほかのすべては現れにすぎない。
 質問者 存在の感覚と生命の感覚――それらは同一のものでしょうか、それ
     とも異なるものでしょうか?
 マハラジ
 空間のなかのアイデンティティがそのひとつをつくり出し、時間のなかの継
 続性がもうひとつをつくり出すのだ。
 質問者 あなたはかつて、見る者、見ること、見られるものは、三つではな
     くひとつの単一体だと言われました。私にとって、その三つは分離
     しています。あなたの言葉を疑うわけではありません。ただ、私に
     は理解できないのです。
 マハラジ
 注意深く見てみなさい。
 すると、見る者と見られるものは、見ることがあるときにだけ現れることが
 理解できるだろう。
 それらは見ることの属性なのだ。
 あなたが、「私はこれを見ている」と言うとき、「私」と「これ」は見るこ
 ととともに現れ、それ以前にはないことがわかる。
 あなたは目に見えない「これ」や見ていない「私」をもつことはできないの
 だ。
(´・(ェ)・`)
(つづき)

658避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 09:53:44 ID:LC3de7YgO
>>657
>見る者と見られるものは、見ることがあるときにだけ現れることが
 理解できるだろう。
 それらは見ることの属性なのだ。
 あなたが、「私はこれを見ている」と言うとき、「私」と「これ」は見るこ
 ととともに現れ、それ以前にはないことがわかる。
 あなたは目に見えない「これ」や見ていない「私」をもつことはできないの
 だ。

これが、自我を投影するということでありますね。
とてもわかりやすいであります。
(´・(∀)・`)つ

659避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 10:09:30 ID:LC3de7YgO
>>657
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】(つづき)

 質問者 私は、「私は見ない」と言うことができます。
 マハラジ
 「私はこれを見ている」が「私は私が見ていないことを見ている」、あるい
 は「私は暗闇を見ている」になるのだ。
 見ることは残る。
 知られるもの、知ること、知る者という三位のなかでは、知ることだけが事
 実だ。
 「私」と「これ」は疑わしいものだ。
 誰が知ろう?
 何が知られるというのだろう?
 知ることがあるということを除いては、そこには何の確実性もないのだ。
 質問者 どうして私は知る者ではなく、知ることに確信があるのでしょうか?
 マハラジ
 知ることは、在ることと愛することとともに、あなたの真の本性の反映なの
 だ。
 知る者と知られるものは、マインドによって加えられるのだ。
 実際は何もないところに、主体―客体の二元性をつくり出すのがマインドの
 本質なのだ。
 質問者 欲望と恐れの原因とは何でしょうか?
 マハラジ
 明らかに、過去の苦痛と快楽の記憶だ。
 そこには何も偉大な神秘があるわけではない。
 同じ対象物に恐れと欲望が関係したときにだけ葛藤(かっとう)が起こるの
 だ。
 質問者 どのようにして記憶を終わらせることができるのでしょうか?
 マハラジ
 それは必要でもなければ、可能でもない。
 すべては意識のなかで起こり、あなたがその根本、源、意識の根底なのだと
 いうことを認識しなさい。
 世界は体験の連続にすぎず、あなたはそれらに意識を与えるものだ。
 しかも、あなたはすべての体験を超えた彼方にとどまるのだ。
 それは熱、炎、燃える木材のようなものだ。
 熱は炎を維持し、炎は木材を焼き尽くす。
 熱がなければ炎も燃料もなかっただろう。
 同じように、気づきなしには意識も、物質を意識の媒体に変容する生命もな
 かっただろう。
 質問者 あなたは、私がいなければ世界はなく、また世界と世界に関する私
     の知識は同一のものだと主張しています。科学はまったくこれとは
     異なった結論に至っています。世界とは何か具体的な、継続的なも
     のであり、一方、私とは神経系統の生物学的進化の副産物なのです。
     それは根本的には意識の中枢であるよりも、個人的、種族的存続の
     機構なのです。あなたの話はまったく主観的な見解です。一方、科
     学は客観的言語で描写しようと試みています。この矛盾は避けるこ
     とができないのでしょうか?
 マハラジ
 その混乱は明白であり、純粋に言葉によるものだ。
 在るものは在る。
 それは主観的でも客観的でもない。
 物質とマインドは分離したものではない。
 それらはひとつのエネルギーの二つの相なのだ。
 マインドを物質の機能として見てみなさい。
 そうすればあなたは科学を手にする。
 物質をマインドの産物として見てみなさい。
 そうするとあなたは宗教を手にするだろう。
 質問者 しかし、何が真実なのでしょうか? マインドと物質、どちらが先
     に現れるのでしょうか?
 マハラジ
 どちらも先に現れはしないし、どちらか一方が現れるのでもない。
 物質は形であり、マインドは名前なのだ。
 それらはともに世界をつくる。
 浸透し、超越するのが実在、純粋な存在―意識―至福、あなたの本質そのも
 のなのだ。
 質問者 私が知っているのは意識の流れ、出来事の果てしない連鎖だけです。
     時間の川は容赦なく流れ、運び去ります。つねに未来は過去へと変
     容していきます。
 マハラジ
 あなたは自分の言葉の犠牲になっていないだろうか?
 あなたは時間の流れについて語る。
 あたかもあなたが不動でいるかのように。
 だが、あなたが昨日目撃した出来事を、誰かほかの人が明日見るかもしれな
 い。
 動きのなかにいるのはあなたであって、時間ではないのだ。
 動きを止めなさい。
 すると時間は止まる。
 質問者 時間が止まる? それはどういう意味でしょうか?
 マハラジ
 過去と未来が、永遠の今のなかで溶け合うのだ。
 質問者 しかし、実際の体験のなかで、それはどういう意味をもつのでしょ
     うか? あなたにとって時間が止まったと、どうやって知るのでし
     ょうか?
 マハラジ
 それは過去と未来がもはや重要ではなくなるという意味でもありうる。
 それはまた、かつて起こったすべて、これから起こるだろうすべてが、思い
 のままに開かれた本として読むことができるという意味でもある。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

660鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/24(日) 22:04:33 ID:1d4drIFg0
>>658 そうじゃ、それが行為によって自我が投射されることなのじゃ。
 自我も刹那に起こる観念なのじゃ。

時間とは記憶に拠って創られた観念に過ぎないのじゃ。
以前の記憶と違うものを見て、人はそこに時間が過ぎたと思うのじゃ。
変化を説明するために時間は作られたのじゃ。
それがなくなれば時間も無くなり、全て止まるのじゃ。

661避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 22:42:33 ID:LC3de7YgO
>>659
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】(つづき)

 質問者 訓練によってアクセスできる宇宙的記憶というものを想像すること
     はできます。しかし、どのようにして未来が知られるというのでし
     ょうか? 予期しない出来事は不可避です。
 マハラジ
 あるレベルで予期しなかったことは、高次のレベルから見れば確実に起こる
 ことかもしれない。
 結局、私たちはマインドの限界内に在る。
 実際には、何も起こってはいないのだ。
 過去もなければ、未来もない。
 すべては現れであり、何も存在しないのだ。
 質問者 何も存在しないとはどういう意味でしょうか? あなたは虚空にな
     るのでしょうか、それとも眠りにつくということでしょうか? あ
     るいは、あなたは世界を消し去り、あなたのつぎの思考のひらめき
     で私たちが生命に連れ戻されるまで、私たちを停止の状態にとどめ
     るということでしょうか?
 マハラジ
 いいや。
 そんなひどい話ではない。
 マインドと物質の、そして名前と形の世界は続いていく。
 だが、それは私にとってまったく重要ではない。
 それは影のようなものだ。
 それはそこにある。
 どこへ行こうともついてくる。
 だが、どのような意味でも私を邪魔することはない。
 体験の世界はそのまま残る。
 だが、欲望と恐れで私に関わる名前と形は残さないのだ。
 体験とは、いわば属性をもたない純粋な体験だ。
 ほかによりよい言葉がないために、私はそれを体験と呼ぶのだ。
 それは大海の波のようなものだ。
 つねに存在しながら、その平和な力に影響を与えることはない。
 質問者 体験は無名無形の定義できないものだということでしょうか?
 マハラジ
 はじめは、すべての体験がそのようなものだ。
 記憶から生まれた欲望と恐れが名前と形を与え、ほかの体験と分けてしまう
 のだ。
 それは意識的な体験ではない。
 なぜなら、それはほかの体験と対立しているわけではないからだ。
 それでもそれは同じ体験なのだ。
 質問者 もし体験が意識的ではないなら、どうしてそれについて話すのでし
     ょうか?
 マハラジ
 ほとんどのあなたの体験は無意識のものだ。
 意識的なものは非常に少ない。
 あなたは事実に気づいていないのだ。
 なぜなら、あなたにとっては意識的なものしか数に入らないからだ。
 無意識に気づくようになりなさい。
 質問者 無意識に気づくことができるのでしょうか? どのようにするので
     しょう?
 マハラジ
 欲望と恐れが覆(おお)い隠し、歪(ゆが)ませてしまう要因なのだ。
 マインドがそれらから解放されたとき、無意識は容易に手に入るようになる。
 質問者 無意識が意識的になるという意味でしょうか?
 マハラジ
 むしろ反対だ。
 意識が無意識とひとつになるのだ。
 それをどちらから見ても区別がなくなるのだ。
 質問者 困惑してしまいます。どうして気づいていながら、しかも無意識で
     あることができるのでしょうか?
 マハラジ
 気づきは意識に対して限定されてはいない。
 それは存在するすべてに対するものだ。
 意識は二元性のものだ。
 気づきのなかに二元性はない。
 それは純粋な知覚のひと塊なのだ。
 純粋な存在と純粋な創造についても同じように、無名、無形、静寂であり、
 しかも絶対的実在だと言うことができる。
 言葉では言い表せないということが、それらに影響を与えることはまったく
 ない。
 それらは無意識でありながら、本質的なものなのだ。
 意識を根本的に変えることはできない。
 それは修正することができるだけだ。
 いかなるものも、変化するためには朦朧(もうろう)とした状態と消滅を、
 死を通らなければならないのだ。
 金の装飾品は、ほかの形に鋳造される前に溶解されなければならない。
 死ぬことを拒むものは再誕生できないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

662避難民のマジレスさん:2019/02/24(日) 22:44:52 ID:LC3de7YgO
>>661
> いいや。
 そんなひどい話ではない。
と、言った時のマハラジの柔和な笑顔が思い浮かぶであります。
(´・(∀)・`)つ

663鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/25(月) 22:54:23 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。

なにものも他人の意志によって作られていないのじゃ。
自らの記憶と経験によって世界は創られているのじゃ。
名前とイメージが全てのものに与えられて世界は形作られているのじゃ。
その自らの心の働きに気付くのじゃ。

664避難民のマジレスさん:2019/02/25(月) 23:14:39 ID:LC3de7YgO
>>661
『I AM THAT 私は在る』
【80 気づき】(つづき)

  質問者 身体の死なしに、どのように死ぬというのでしょう?
 マハラジ
 内側に向かうこと、超然と離れてあること、手放すことが死だ。
 生を全(まっと)うするには、死は欠くことのできないものだ。
 すべての終焉(しゅうえん)がすべてのはじまりをもたらす。
 その一方、よく理解しなさい、生きる者ではなく、ただ死ぬ者だけが死ぬこ
 とができる。
 あなたのなかで生きているもの、それは不死なのだ。
 質問者 欲望はどこからそのエネルギーを引き出すのでしょうか?
 マハラジ
 記憶から引き出した名前と形からだ。
 エネルギーは源から流れだすのだ。
 質問者 ある欲望は完全に間違ったものです。間違った欲望が、どうして崇
     高な源から流れだすことができるのでしょうか?
 マハラジ
 源は正しくも間違いでもない。
 欲望そのものも、正しくも間違いでもないのだ。
 それは幸福を求める努力にほかならない。
 自分自身を一片の身体と同一化して途方にくれ、あなたは幸福と呼ぶ充足と
 完全性の感覚を絶望的に探しまわるのだ。
 質問者 いつそれを失ったのでしょうか? 私はけっしてもってはいなかっ
     たのです。
 マハラジ
 今朝、目覚める前にあなたは持っていたのだ。
 意識を超えていきなさい。
 そうすれば見いだすだろう。
 質問者 どうすれば彼方へと超えていけるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはすでに知っているのだ。
 そうしなさい。
 質問者 あなたはそう言われますが、私は何も知らないのです。
 マハラジ
 それでも、私は繰り返そう。
 あなたはそれを知っているのだ。
 そうするがいい。
 超えていきなさい。
 あなたの正常な、自然な、根本的な状態に戻りなさい。
 質問者 私はとまどうばかりです。
 マハラジ
 目のなかのほこりが、あなたを盲目だと思わせるのだ。
 ほこりを洗い落として見てみなさい。
 質問者 私は見ています! ただ暗闇が見えるだけなのです。
 マハラジ
 ほこりを取り除きなさい。
 そうすれば、あなたの目は光りにあふれることだろう。
 光はそこにあり、待っているのだ。
 目はそこにあり、用意ができている。
 あなたが見ている暗闇は、ほこりの影にすぎないのだ。
 それを取り除きなさい。
 そしてあなたの本性に戻るのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

665鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/26(火) 22:49:14 ID:1d4drIFg0
名称とイメージが観念をつくり、その中で人は欲望や執着を見出すのじゃ。
それも観念が無くなれば消えるものじゃ。
観念として認識できないものに欲望や執着は持てないからのう。
全ての観念を捨てて本性に還るのじゃ。

666避難民のマジレスさん:2019/02/26(火) 23:04:15 ID:LC3de7YgO
>>665
なんとなくわかる気はするのでありますか、それって、悟らないと無理な気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

667避難民のマジレスさん:2019/02/26(火) 23:18:03 ID:LC3de7YgO
>>664
『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】

 マハラジ
 あなたはどこから来たのかね?
 質問者 アメリカから来ました。ですが、ほとんどはヨーロッパで暮らして
     います。インドには最近来たばかりです。私はリシケーシの二つの
     アーシュラムに滞在し、そこでは瞑想と呼吸法を教わりました。
 マハラジ
 どのくらいの期間そこに滞在していたのかね?
 質問者 ひとつのところでは八日間、ほかでは六日間です。私はそこでは楽
     しめず、立ち去りました。それから三週間、私はチベット人のラマ
     僧とともにいました。しかし、彼らは皆、形式と儀式にばかり夢中
     でした。
 マハラジ
 それでは、そのすべての結果とは何だったのだろうか?
 質問者 間違いなく、エネルギーの向上はありました。しかし、リシケーシ
     へと発(た)つ前に、南インドのプッドゥコッタイの自然療法の療
     養所でダイエットと断食を行ない、それが途方もなく良い結果をも
     たらしました。
 マハラジ
 エネルギーを感じはじめたのは、より良い健康のせいかもしれない。
 質問者 私には何とも言えません。しかし、それらすべての試みの結果とし
     て、身体のあちこちで炎が燃えはじめたのです。そしてありもしな
     い声やマントラの復唱を耳にしました。
 マハラジ
 それでは、あなたは今、何を求めているのだろうか?
 質問者 さて、私たちは皆、何を求めているのでしょうか? 何らかの真理、
     何らかの内的な確信、何らかの真の幸福です。さまざまな真我実現
     の学派では、気づきに関する話をたいへん多く聞きます。それゆえ、
     気づき自体が至高の実在だという印象に最終的に行き着くのです。
     それはそうなのでしょうか? 身体は脳によって面倒を見られ、脳
     は意識によって光を照らされ、気づきは意識を見守っています。気
     づきの彼方には何かがあるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは気づいているということをどうやって知るだろうか?
 質問者 私は存在する、と感じるのです。それ以外に表現しようがありませ
     ん。
 マハラジ
 あなたが注意深く脳から意識を通って気づきへと観察していくと、二元性の
 感覚が続くことを見いだす。
 あなたが気づきを超えた彼方へと行くとき、そこには非二元性の感覚がある。
 そこに知覚はなく、ただ純粋な存在だけがある。
 もし存在という言葉が何か特定の存在を意味しているというならば、それを
 非存在と呼んでもいいだろう。
 質問者 あなたが純粋な存在と呼ぶものは普遍の存在、すべての存在という
     ことでしょうか?
 マハラジ
 すべてとは特定のものの集合を暗示している。
 純粋な存在のなかでは、特定という観念自体が不在なのだ。
 質問者 純粋な存在と特定の存在には何か関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 存在と単なる現れとの間にいかなる関
係がありうるだろうか?
 海と波との間に何か関係性があるだろうか?
 実在は非実在の出現を可能にし、それを消滅させる。
 はかない瞬間の連続が時間という幻想をつくり出すのだ。
 しかし、純粋な存在の永遠の実在性は運動のなかにはない。
 なぜなら、すべての運動には不動の背景が要求されるからだ。
 それはそれ自体、背景なのだ。
 ひとたびあなたのなかでそれを見つけたならば、すべての区別と分離から独
 立したその存在を失ったことはけっしてなかったと知るだろう。
 しかし、それを意識のなかに探してはいけない。
 そこに見いだすことはないだろう。
 どこを探してもいけない。
 なぜなら、何もそれを含むことはできないからだ。
 その反対に、それがすべてを含み、すべてを表すのだ。
 それは、それ自体は不可視でありながら、すべてを可視にする日の光のよう
 なものだ。
 質問者 意識のなかには実在を見いだすことができないと私に言うことが、
     いったい何の役に立つというのでしょうか? ほかのどこでそれを
     探すというのでしょう? それをどうやって認識するというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 それはシンプルなことだ。
 もし私があなたに口の中の味はどのようなものかと尋ねたならば、あなたは、
 「それは甘くもなく、苦くもなく、酸っぱくもなく、渋くもない」と言える
 だけだ。
 それはすべての味がないとき残ったものなのだ。
 同じように、すべての区別と反応がなくなったとき残るものが、シンプルで
 実質的な実在なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

668鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/27(水) 23:03:38 ID:1d4drIFg0
>>666 そうかもしれん。
 全ては悟った後にわかるものじゃ。

マハラジの言葉もまた難解で在る事じゃろう。
心を観察すれば初めは観る者と見られる心の二つがあるじゃろう。
やがて観る者と心は一つであると気付くのじゃ。
そこには二つのものはもはや無いのじゃ。
主体という概念そのものがなくなるのじゃ。
そしてさまざまな区別や反応も消えていくのじゃ。

669避難民のマジレスさん:2019/02/27(水) 23:17:22 ID:LC3de7YgO
>>668
思考、感情、感覚、記憶を認識するためのスクリ-ンか、それらを スクリーンに映し出す光みたいなものが、ただひとつの意識かなと思えるのであります。
だいぶわかってきているくまであります。
(´・(∀)・`)つ

670避難民のマジレスさん:2019/02/27(水) 23:34:50 ID:LC3de7YgO
>>667
『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】(つづき)

 質問者 私に理解できることと言えば、私ははじまりのない幻想のなかに捕
     らえられているということだけです。そして、どうすればそれを終
     わらすことができるのかわからないのです。もしそれができるのな
     ら、とっくの昔にそうしていたでしょう。過去に、私は多くの機会
     を得ていたに違いありません。未来もまたそうでしょう。起こらな
     かったことは起こることができないことなのです。あるいは、もし
     そうであったとしても、続かないのです。遥か何百万年も後の、私
     たちの哀れな状態は、良くても約束された究極的な消滅であり、最
     悪では、果てしなく続く無意味な繰り返しへの脅威なのです。
 マハラジ
 あなたの現在の状態は無始無窮(むきゅう)だと、どうやって証明するとい
 うのだろう。
 生まれる前、あなたはどうだったのか?
 死んだ後、あなたはどうなるのか?
 そして現在のあなたの状況を、あなたはどれほど知っているだろうか?
 今朝、目覚める前のあなたの状況さえ、知らないのではないかね?
 あなたはわずかばかりの現在の状態を知るだけで、それからすべての時と場
 所における結論を引き出しているのだ。
 あなたはただ夢を見ているだけかもしれない。
 そして夢が永遠のものであると想像しているのだ。
 質問者 それを夢と呼ぶことが状況を変えるわけではありません。私の質問
     を繰り返します。私の果てしない過去が満たせなかったことに、ど
     んな希望がもてるというのでしょうか? なぜ、私の未来が過去と
     は違うと言えるのでしょうか?
 マハラジ
 熱にうなされた状態で、あなたは過去と未来を投影し、それを実在だと見な
 しているのだ。
 事実、あなたの知っているのは現在の瞬間だけだ。
 なぜ、想像上の過去と未来について尋ねるより、今とは何なのかを調べよう
 としないのだろうか?
 あなたの現在の状態は無始でも無窮でもない。
 それは一瞬のうちに過ぎるのだ。
 それがどこから来るのか、どこへ行くのか、注意深く見てみなさい。
 あなたはじきに、その背後にある永遠の実在を見いだすだろう。
 質問者 なぜ、私は以前にそうしなかったのでしょうか?
 マハラジ
 マインドが発見するのだ。
 質問者 それは答えを見いだすのでしょうか?
 マハラジ
 それは答えの必要のない、質問のない状態に在ることを見いだすのだ。
 質問者 生まれたということは事実です。死ぬことももうひとつの事実です。
     それらは観照者にとってどのように映るのでしょうか?
 マハラジ
 子供は生まれ、人は死ぬ。
 単なる時間の経過のなかでの出来事だ。
 質問者 観照者にとって進歩というのはあるのでしょうか? 気づきは進歩
     するのでしょうか?
 マハラジ
 気づきの光が焦点を当てたとき、見られる者は多くの変化を通り抜けるかも
 しれない。
 だが、変化するのは対象物であって、光ではないのだ。
 植物は日光のなかで生長する。
 しかし、太陽は成長しない。
 それ自体では、身体も観照者も不動のものだ。
 だが、それらがともにマインドのなかにもたらされるとき、両方とも動いて
 いるように見えるのだ。
 質問者 そうです。動き、変化するのは「私は在る」だけだということが理
     解できます。「私は在る」はいったい必要なのでしょうか?
 マハラジ
 誰がそれを必要とするだろうか?
 それは今、そこにある。
 それにははじまりがあり、終わりがあるだろう。
 質問者 「私が在る」が去ったとき、何が残るのでしょうか?
 マハラジ
 来ることも、去ることもないものが残るのだ。
 完成へ向けての進歩と進化という観念をつくり出したのは、つねに貪欲(ど
 んよく)なマインドなのだ。
 それは妨害してから秩序について語り、破壊してから安全を求めるのだ。
 質問者 運命、カルマには進展があるのでしょうか?
 マハラジ
 カルマとは満たされなかった欲望と、理解されなかった恐れの未使用のエネ
 ルギーの蓄積にすぎない。
 蓄えは絶えず新しい欲望と恐れによって補充されていく。
 それが永遠にそうである必要はないのだ。
 あなたの恐れの根本原因であるあなた自身からの疎外と、欲望の根本原因で
 ある自己への切望を理解しなさい。
 そうすればあなたのカルマは夢のように消え去るだろう。
 地上と天国の間で、生は続いていく。
 何も影響されはしない。
 ただ身体が成長し、滅びるだけだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

671鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/02/28(木) 22:49:38 ID:1d4drIFg0
>>669 そのような理解で善いのじゃ。
 後は実践あるのみなのじゃ。

観念に囚われている者には未来や過去があると思っているのじゃ。
それが記憶による幻想と気付いていないのじゃ。
記憶からは同じことしか起こらないから未来も過去と同じと思うのじゃ。
現在の瞬間だけが知っているものとマハラジは真実を語るのじゃ。
今しかないから今心を観るのじゃ。

672避難民のマジレスさん:2019/03/01(金) 06:24:56 ID:LC3de7YgO
>>670
81の2『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】(つづき)

 質問者 個人と観照者には何の関係があるのでしょうか?
 マハラジ
 何の関係もない。
 なぜならそれらはひとつだからだ。
 分離してはいけない。
 関係性を探そうとしてはいけない。
 質問者 もし見られるものと見る者がひとつなら、どのように分離は起こる
     のでしょうか?
 マハラジ
 その本性からして異なり多様である名前と形に魅せられて、あなたは自然で
 あるものを区別し、ひとつであるものを分割するのだ。
 世界は豊かな多様性を持っている。
 だが、あなたがなじめず、おびえを感じるのは誤解によるものなのだ。
 危険な状態に在るのは身体であって、あなたではない。
 質問者 基本的な生物学的不安、逃避の本能が多くの形を取り、私の思考と
     感情を歪曲してしまうことは理解できます。しかし、不安はどのよ
     うにして現れるのでしょうか?
 マハラジ
 それは「私は身体だ」という観念によって生じた精神的状態だ。
 それは「私は身体ではない」という反対の観念によって取り除くことができ
 る。
 どちらも観念であり偽りだ。
 しかし、ひとつがもうひとつを取り除く。
 どの観念もあなた自身のものではないということを認識しなさい。
 それらはみな、外側からあなたにやってくるのだ。
 あなたは全力をあげて考えなければならない。
 あなた自身があなたの瞑想の対象になりなさい。
 あなた自身を理解しようと努力することがヨーガなのだ。
 ヨーギになりなさい。
 あなたの人生をそれに捧げなさい。
 熟考し、驚き、探求しなさい。
 あなたが誤りの根本と誤りを超えた彼方の真理にたどり着くまで。
 質問者 瞑想の中で瞑想するのは誰でしょうか、個人、あるいは観照者でし
     ょうか?
 マハラジ
 瞑想とは意識の高次の状態を貫き、最終的にそれを超えていこうとする意図
 的な試みなのだ。
 瞑想の技法とは、後に残してきたレベルの理解を失わないままつねにより精
 妙なレベルへと注意の焦点を移行する技だ。
 ある意味では、それは制御しながら死を迎えるようなものだ。
 人は最低の段階からはじめる。
 社会環境、習慣と慣例。
 身体的環境、姿勢と身体の呼吸。
 感覚器官、それらの感覚と知覚。
 マインド、その思考と感情。
 人格の構造全体が把握され、確実に捕らえられるまでだ。
 瞑想の最終段階は、アイデンティティの感覚が「私はこれだ」を超え、「そ
 こに在る」を超え、すべての観念を超えて、非人格的な、純粋な存在へと到
 達されることだ。
 だが、あなたが瞑想するときは精力的でなければならない。
 それは間違いなくパートタイムの仕事ではない。
 あなたの興味と活動を、あなたに必要なこととあなたの家族にとって最低限
 の必要に制限しなさい。
 あなたのエネルギーと時間を、あなたのまわりにマインドが築いてきた壁を
 破壊するために確保しなさい。
 私を信じるがいい。
 けっして後悔しないだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

673鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/01(金) 22:32:44 ID:1d4drIFg0
人は瞑想によって個我の観念を超えられるのじゃ。
その瞑想をする者という観念があってはならないのじゃ。
瞑想をする者という観念があれば瞑想さえも又自我を強化するものとなるじゃろう。
誰も瞑想するものが居なければ全ての観念をも超えられるのじゃ。

674避難民のマジレスさん:2019/03/01(金) 23:13:46 ID:LC3de7YgO
>>672
『I AM THAT 私は在る』
【81 恐れの根本原因】(つづき)

 質問者 私の体験が普遍的なものだと、どうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 瞑想が終わったとき、すべてが直接知られるだろう。
 どのような証明も必要ない。
 すべての海の水滴が海の味を含んでいるように、すべての瞬間は永遠の味を
 含んでいるのだ。
 定義や描写は探求を先に進めていく有用な誘因としての役割にあるが、あな
 たはそれらを超えて、否定的言語以外では定義不可能な、描写不可能ななか
 へと進んでいかなければならないのだ。
 結局、普遍性や永遠性でさえも、時間と場所に拘束されたものに対立する、
 単なる概念にすぎない。
 実在はひとつの概念ではない。
 顕現もまた概念ではないのだ。
 それは概念とは何の関係もない。
 あなたのマインドに関わりなさい。
 その歪曲や不純を取り除きなさい。
 ひとたびあなたがあなた自身の自己を味わったなら、どこでも、いつでもそ
 れを見いだすことができるだろう。
 それゆえ、あなたがそれを実現することは本当に重要なことなのだ。
 一度それを知れば、けっして失うことはないのだ。
 だが、あなたは強烈で、困難さえともなう瞑想に自分を捧げなければならな
 いのだ。
 質問者 正確には、あなたは私に何をしてほしいのでしょうか?
 マハラジ
 あなたのハートとマインドを「私は在る」について熟考させなさい。
 それが何なのか、どのようなものなのか、その源は何なのか、その意味とは
 何かを熟考しなさい。
 それは井戸を掘り下げていくことにとても似ている。
 生命の泉に達するまで、あなたは水でないものをすべて拒絶していくのだ。
 質問者 私が正しい方向に進んでいるということを、どのようにして知るの
     でしょうか?
 マハラジ
 あなたの熱意、明晰性の進展と、修練に対する献身によって知るのだ。
 質問者 私たちヨーロッパ人にとって、静かにしていることは非常に困難だ
     ということを知りました。世間のことで頭がいっぱいなのです。
 マハラジ
 いいや、そうではない。
 あなた方もまた夢を見ている。
 ただ私たちと夢の内容が違うだけなのだ。
 あなた方は完全性を未来のなかに求めている。
 私たちはそれを今の中に見いだそうとしているのだ。
 限定されたものだけが、完成されうる。
 無限なるものはすでに完全なのだ。
 あなたは完全だ。
 ただ知らないだけなのだ。
 あなた自身について学びなさい。
 そうすれば、驚くべきことどもを発見するだろう。
 必要なことはすべてあなたの内側にあ
る。
 ただ、あなたは敬虔さと愛情を抱いてあなた自身に接近しなければならない。
 自己非難や自己不信は悲惨な過ちだ。
 あなたの絶え間ない苦痛への闘いと快楽の追求は、あなたがあなた自身に抱
 く愛のしるしなのだ。
 私があなたに願うことは、あなた自身への愛を完全なものにしなさい、とい
 うことだ。
 あなた自身のなかの何ひとつ、否定してはならない。
 あなた自身に無限性と永遠性を与えなさい。
 そして、あなたはそれらを必要としないことを発見しなさい。
 あなたはその彼方にあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

675鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/02(土) 22:02:51 ID:1d4drIFg0
世間とか社会というのも幻想なのじゃ。
その中で立派に何かをやり遂げなければならないという条件付けがされているだけなのじゃ。
社会も世間もいずれは滅びて行くものじゃ。
一時だけ現れて永遠に消えてしまう泡のようなものと知るが善いのじゃ。

676避難民のマジレスさん:2019/03/02(土) 22:33:47 ID:LC3de7YgO
>>674
『I AM THAT 私は在る』
【82 絶対的な完成は今ここにある】

 質問者 戦争が起こっています。戦争に対するあなたの態度とはどのような
     ものでしょうか?
 マハラジ
 ある場所、またはほかの場所で、ある形で、あるいはほかの形で、戦争はつ
 ねに起こっている。
 戦争の起こらなかったときがかつてあっただろうか?
 ある人は、それは神の意志だと言う。
 ある人は、それを神の戯(たわむ)れだと言う。
 それは戦争とは不可避であり、誰の責任でもないということの別の言い方に
 すぎない。
 質問者 しかし、あなた自身の態度とはどのようなものでしょうか?
 マハラジ
 なぜ私に態度を押しつけるのかね?
 私自身のものと呼べる態度を私はもってはいないのだ。
 質問者 この恐るべき無意味な虐殺の責任を取るべき誰かがかならずいるは
     ずです。どうして人びとはそんなにも互いに殺しあう用意があるの
     でしょうか?
 マハラジ
 その犯人を内側に探し求めなさい。
 すべての衝突の根本には、「私」と「私のもの」という観念があるのだ。
 それから自由になりなさい。
 そうすれば、あなたは衝突から解放されるだろう。
 質問者 私が衝突から解放されたからといって、それが何になるのでしょう?
     それが戦争に影響を与えはしないでしょう。もし私が戦争の原因な
     らば、私は破壊される用意があります。それでも、何千人もの私の
     ような者の消滅が、戦争を止めることがないのは明かです。それら
     は私の誕生とともにはじまったのではなく、私の死とともに終わる
     のでもありません。私に責任はないのです。誰にあるというのでし
     ょうか?
 マハラジ
 争いや闘いは存在の一部分なのだ。
 どうしてあなたは存在の責任が誰にあるのかを調べないのだろうか?
 質問者 なぜあなたは存在と衝突が不可分だと言うのでしょうか? 闘うこ
     となしには存在はありえないと言うのでしょうか? 私自身である
     ために他者と闘う必要はありません。
 マハラジ
 あなたは「身体―精神」、特定の名前と形として存続するために、つねに他
 者と闘っているのだ。
 生きるために、あなたは破壊しなければならない。
 懐妊された瞬間から、あなたは周囲と戦争を始めたのだ――死があなたを解
 放するまで、相互に根絶しあう残酷な戦争を。
 質問者 私の質問はまだ答えられてはいません。あなたは単に私の知ってい
     ることを描写しているだけです――人生とその不幸を。しかし、あ
     なたは誰に責任があるかを言いません。私がせがむと、あなたは神
     やカルマ、あるいは私の欲望や恐れを非難し、それは単にそれ以上
     の質問を招くだけなのです。どうか最終の答えをください。
 マハラジ
 最終の答えとはこれだ。
 何も存在しない。
 すべては宇宙的意識界のなかの一時的現れだ。
 名前と形としての継続性は、容易に一掃できるただの精神的形態なのだ。
 質問者 私は直接の、一時的な現れについて尋ねているのです。ここに兵士
     によって殺された子どもの写真があります。あなたをにらみつけて
     いる――それは事実です。あなたはそれを否定できません。さて、
     この子どもの死の責任は誰にあるのでしょうか?
 マハラジ
 誰の責任でもない。
 あるいは皆の責任だ。
 世界とは、それが包含するものであり、それぞれがそのほかのすべてに影響
 を与えるのだ。
 私たち皆が子どもを殺し、私たち皆が子どもとともに死ぬのだ。
 すべての出来事には無数の原因があり、無数の結果を生みだしている。
 責任の所在を求めることは何の役にも立たない。
 何に起因するわけでもないのだ。
 質問者 あなたの国の人びとはカルマや因果応報という言葉を使います。
 マハラジ
 それはただ相対として真実に近いというだけだ。
 実際には、私たちは互いの創造者と創造物であり。互いの重荷の原因であり、
 互いの重荷の重さに耐えているのだ。
 質問者 では、無実の人が罪で苦しんでいるというのでしょうか?
 マハラジ
 無知であることで、私たちは無実なのだ。
 行為のなかで、私たちは有罪だ。
 私たちは知らずに罪を犯し、理解することなく苦しむのだ。
 私たちの唯一の希望は、止まって、見て、理解し、記憶の罠から抜けだすこ
 とだ。
 なぜなら記憶が想像をあおりたて、想像が欲望と恐れをひき起こすからだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

677避難民のマジレスさん:2019/03/03(日) 11:31:15 ID:LC3de7YgO
>>676
『I AM THAT 私は在る』
【82 絶対的な完成は今ここにある】の3回目

 質問者 いったい、なぜ私は想像するのでしょうか?
 マハラジ
 意識の光が記憶のフィルムを通してあなたの脳に画像を投影するのだ。
 脳の欠陥と混乱のために、あなたが知覚することは歪曲(わいきょく)し、
 好き嫌いの好みに色づけされてしまう。
 あなたの思考を秩序あるものにし、過度の感情的な意味づけから自由になり
 なさい。
 そうすれば、あなたは人々やものごとをあるがままに、明晰性と慈愛を持っ
 て見ることだろう。
 誕生、人生、死の観照者は同一だ。
 それは愛と苦痛の観照者なのだ。
 なぜなら限定と分離の存在が悲しみに満ちたものであるにもかかわらず、私
 たちはそれを愛しているからだ。
 私たちはそれを愛し、同時に憎んでいるのだ。
 私たちは争い、殺し、生命や所有物を破壊する。
 そしてそれにもかかわらず私たちは愛情深く、献身的なのだ。
 私たちは優しく子供の世話をする。
 そして子供を捨てもするのだ。
 私たちの人生は矛盾で満ちている。
 しかし、それでも私たちはそれにしがみつく。
 この執着がすべての根底にある。
 その上それは完全に表面的なものだ。
 私たちは何かに、あるいは誰かに全力でしがみつき、そしてつぎの瞬間それ
 を忘れてしまう。
 子供が泥だんごを作り、軽い気持ちで捨て去ってしまうように。
 それに触れてみなさい。
 子供は怒りとともに泣き叫ぶことだろう。
 気をそらしてみなさい。
 彼はそれを忘れてしまう。
 なぜなら、私たちの人生は今に在るからだ。
 そして人生への愛は今に在るからだ。
 私たちは多様性を、苦痛と快楽の劇を愛している。
 私たちは対比によって魅せられているのだ。
 このために対立するものと、それらの表面上の分裂を必要としている。
 しばらくの間それらを楽しみ、それから退屈して、純粋な存在の平和と沈黙
 を切望するのだ。
 宇宙のハートは絶え間なく鼓動している。
 あなたはその観照者であり、そのハートでもあるのだ。
 質問者 私は絵を見ることはできますが、画家は誰なのでしょうか? 誰が
     この悲惨な、しかし賞賛すべき体験の責任を取るのでしょうか?
 マハラジ
 画家は絵の中にいるのだ。
 あなたは画家を絵から引き離し、そして彼を探そうとする。
 分割してはいけない。
 偽りの質問をしてはいけない。
 ものごとはありのままだ。
 そして、誰か特定の人に責任があるわけではない。
 個人的責任という考えは媒介者という幻想から来ている。
 「誰かがそれをしたに違いない、誰かに責任がある」と。
 今のような社会と、その法律と習慣の構成は、分離した責任ある個人という
 考え方を根底にしている。
 だが、これが社会にとって選択できる唯一の形態ではない。
 分離の感覚が弱く、責任が拡散した別の類(たぐい)の社会形態もありうる
 だろう。
 質問者 あなたには何の問題もないのでしょうか?
 マハラジ
 私には問題がある。
 もう言ったはずだ。
 在ること、名前と形とともに存在することは苦痛に満ちたものだ。
 それでも私はそれを愛している。
 質問者 しかし、あなたはすべてを愛しているのです!
 マハラジ
 存在のなかにはすべてが含まれている。
 私の本性そのものが愛なのだ。
 苦痛に満ちたものでさえ、愛すべきものだ。
 質問者 それが苦痛を弱めるわけではありません。なぜ無限のなかにとどま
     らないのでしょう?
 マハラジ
 それは探求の本能なのだ。
 未知への愛、それが私を存在のなかへと連れ出したのだ。
 在ることのなかに平和を探すことが、成ることの本性そのものであるように、
 成ることのなかに冒険を見いだすことが、在ることの本性そのものなのだ。
 この在ることと成ることの交替は不可避だ。
 だが、私の住処(すみか)はその彼方にあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

678鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/03(日) 22:20:08 ID:1d4drIFg0
戦争などの人災は観る者の心の中にあるものじゃ。
実際はそのようなものごとは何も存在しないのじゃ。
ただ自らの心の中にそのようなものごとがある世界を作り上げるのじゃ。
全ての者が死に行く世界で永遠の権力も武力も存在できないのじゃ。

679避難民のマジレスさん:2019/03/03(日) 22:47:45 ID:LC3de7YgO
>>677
『I AM THAT 私は在る』
【82 絶対的な完成は今ここにある】(つづき)

 質問者 あなたの住処は神のなかにあるのでしょうか?
 マハラジ
 ある神を愛し、礼拝することもまた無知なのだ。
 私の家は、いかに高尚なものであろうとすべての概念の彼方にある。
 質問者 しかし、神は概念ではありません! それは存在を超えた実在です。
 マハラジ
 どんな言葉でも好きなように使うがいい。
 何であれ、あなたの考えることを私は超えているのだ。
 質問者 ひとたびあなたの家を知ったのなら、なぜそこに住まないのでしょ
     うか? 何があなたをそこから連れだしたのでしょうか?
 マハラジ
 集合的な存在への愛から、人は生まれる。
 そしてひとたび生まれたなら、人は運命に巻きこまれる。
 運命とは、成ることから分離できないものだ。
 特定のものに成ろうとする欲望が、個人的な過去や未来といったすべてを含
 んだ個人にあなたを仕立てあげるのだ。
 ある偉大な人物を見てみなさい。
 何と素晴らしい人物だったのだろう!
 だが、何と彼の人生は困難に満ち、その成果はかぎられたものだったろうか。
 何と人の人格は完全に依存したものか。
 そして何と世界はそれに無関心なのだろうか。
 そしてそれにも関わらず、私たちはそれを愛し、その取るに足らない無意味
 さゆえに、それを保護するのだ。
 質問者 戦争が起こっています。そこには混沌(こんとん)があり、あなた
     は食物供給センターを監督するように頼まれます。あなたは必要と
     されるものを与えられ、それはただ仕事を通して得るということが
     らにすぎません。あなたはそれを拒絶するでしょうか?
 マハラジ
 働くか、働かないかは私にとって同じことだ。
 私は監督するかも、しないかも知れない。
 そのような仕事には、私よりふさわしいほかの者たちがいるかもしれない。
 例えば本職の飲食店業者のように。
 だが、私の態度は異なっている。
 子供の誕生を祝わないように、私は死を災難としては見ないのだ。
 子どもは困難のなかへと生まれてきた。
 死者はそれから立ち去るのだ。
 生命への執着は不幸への執着だ。
 私たちは私たちに苦痛を与えるものに執着するのだ。
 私たちの本性とはそんなものなのだ。
 私にとって、死の瞬間は恐れではなく祝福の瞬間だ。
 私は泣いて生まれてきた。
 私は笑って死ぬだろう。
 質問者 死の瞬間における意識の変化とは何でしょうか?
 マハラジ
 どのような変化を期待するというのだろう?
 フィルムの投影が終わったとき、後に残るのはそれがはじまったときと同じ
 ものだ。
 あなたの誕生以前の状態は、またあなたの死後の状態なのだ。
 もしあなたが覚えているとすればだが。
 質問者 私は何も覚えていません。
 マハラジ
 なぜなら、あなたはけっして試みたことがないからだ。
 それはただマインドの波長を合わせる問題なのだ。
 もちろん、それには訓練が要求される。
 質問者 なぜあなたは社会活動に参加されないのでしょうか?
 マハラジ
 だが、私はほかでもないそれだけをいつもしているのだ。
 どんな社会活動を私にしてほしいと言うのだろう?
 寄せ集めの仕事は私のものではない。
 私の立場は明らかだ。
 分配するために生産しなさい。
 あなたが食べる前に食事を与えなさい。
 あなたが取る前に与えなさい。
 あなた自身のことを考える前に、他者のことを考えなさい。
 分かちあいに根ざした非利己的な社会だけが、安定した幸福な社会なのだ。
 これは実質的な解決法にすぎない。
 もしあなたがそれを望まないのなら闘うがいい。
 質問者 それはすべてグナ(属性)の
問題です。タマス(受動性)とラジャ
     ス(活動性)が支配するところでは、争いは避けられません。サッ
     トヴァ(純粋性)が支配するところには平和があるでしょう。
 マハラジ
 あなたの好きなように表現するがいい。
 それは同じことだ。
 社会は動機によって構築されている。
 根底に善意を敷きつめなさい。
 そうすれば、特別な社会事業家は必要なくなるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

680避難民のマジレスさん:2019/03/03(日) 23:13:40 ID:LC3de7YgO
>>678
この点について、マハラジは、
> 争いや闘いは存在の一部分なのだ。
 ・・・・・ 生きるために、あなたは破壊しなければならない。
 懐妊された瞬間から、あなたは周囲と戦争を始めたのだ――死があなたを解
 放するまで、相互に根絶しあう残酷な戦争を。

としつつ、その責任は、
> 誰の責任でもない。
 あるいは皆の責任だ。
 世界とは、それが包含するものであり、それぞれがそのほかのすべてに影響
 を与えるのだ。

で、
> 最終の答えとはこれだ。
 何も存在しない。
 すべては宇宙的意識界のなかの一時的現れだ。
 名前と形としての継続性は、容易に一掃できるただの精神的形態なのだ。

結局、鬼和尚の話と似てるような気がするであります。
(´・(ェ)・`)つ

681鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/04(月) 20:38:20 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、全て幻想なのじゃ。
 心に争いがある者がこの世の争いを選んで見るのじゃ。
 それが自らの世界を創っているということなのじゃ。
 心に争いの無い者は争いをみないのじゃ。
 そこに平和があるじゃろう。
 心に何も無い者は全てを正しく観るのじゃ。

682避難民のマジレスさん:2019/03/05(火) 08:12:03 ID:LC3de7YgO
>>679
『I AM THAT 私は在る』
【82 絶対的な完成は今ここにある】(つづき)

 質問者 世界はより良くなってきています。
 マハラジ
 世界はつねにより良くなるべきだった。
 しかし、それでもそうならなかった。
 未来にどんな希望があるというのだろうか?
 もちろん、サットヴァが上昇しているとき、そこには調和と平和の期間があ
 った。
 だが、ものごとはそれ自体の完成によって破壊されるものだ。
 完全な社会は静的であることを余儀なくされる。
 それゆえ、それは停滞し、崩壊するのだ。
 頂上からすべての道は下へと向かっていく。
 社会は人びとのようなものだ。
 それは生まれ、成長し、ある時点で相対的な完成を遂げ、そして衰退し、死
 を迎えるのだ。
 質問者 崩壊しない絶対的な完成の状態はあるのでしょうか?
 マハラジ
 何であれ、はじまりあるものには終わりがなくてはならない。
 永遠のなかでは今ここですべてが完全なのだ。
 質問者 しかし、私たちはやがて永遠に到達するのでしょうか?
 マハラジ
 時が来れば、私たちははじまりの地点に戻ってくる。
 空間が空間の外に私たちを連れだすことができないように、時間は時間の外
 に私たちを連れだすことはできない。
 待つことであなたが得るのは、さらに待つことだけだ。
 絶対的な完成は、近くか遠くか、いつかの未来にではなく、今ここにある。
 秘密は今ここの行為にある。
 あなたをあなた自身に対して盲目にさせるのは、あなたのふるまいなのだ。
 何であれ、これがあなた自身だと考えていることを無視して、あたかもあな
 たが絶対的に完全であるかのように行動しなさい。
 安全性についてのあなたの考えが何であれ。
 あなたに必要なのは勇気だけだ。
 質問者 どこにそんな勇気を見つけられるのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、あなた自身にだ。
 内側を見てみなさい。
 質問者 あなたの恩寵(おんちょう)が助けてくれるでしょう。
 マハラジ
 私の恩寵が今、内側を見なさいとあなたに言っているのだ。
 あなたは必要なすべてをもっている。
 それを使いなさい。
 あなたの知る最上のあり方でふるまいなさい。
 すべきだと思うことをしなさい。
 過ちを恐れてはならない。
 いつでもそれは正すことができる。
 ただ維持が重要なのだ。
 ものごとがどのように形を取るかは、あなたの手中にはない。
 行為の動機はあなたにかかっているのだ。
 質問者 どうして不完全から生まれた行為が、完全へと導くことができるの
     でしょうか?
 マハラジ
 行為が完全へと導くのではない。
 完全性が行為によって表現されるのだ。
 表現によってあなた自身を判断するかぎり、それらには最高の注意を払うが
 いい。
 あなたが自己の存在を実現したとき、あなたのふるまいは自発的に完全なも
 のとなるだろう。
 質問者 もし私が永遠に完全であるなら、いったいどうして私は生まれてき
     たのでしょうか? この人生の目的は何なのでしょうか?
 マハラジ
 それは金をひとつの装飾品につくり変えることに、いかなる利益があるのか
 と尋ねるようなものだ。
 装飾品は色彩と金の美しさを得るのだ。
 金が豊かになったわけではない。
 同じように、実在が行為のなかで表現されたとき、その行為は意味をもち、
 美しくなるのだ。
 質問者 その表現を通して、実在は何を得るのでしょうか?
 マハラジ
 それが何を得るというのだろう?
 まったく何も得はしない。
 だが、それ自身を表現し、それ自身を肯定し、困難を克服するのは愛の本性
 なのだ。
 ひとたび世界は行為のなかの愛なのだと理解するならば、あなたはそれをま
 ったく違ったように見ることだろう。
 しかし、まずあなたの苦しみに対する態度を変えなければならない。
 苦しみは根本的に、注意を求める呼びかけだ。
 それ自体が愛の動きなのだ。
 幸福よりも、愛は意識と存在の広がりと深まりにおける成長を求める。
 何であれ成長を妨げるものは苦痛の原因となる。
 そして愛は苦痛を避けたりはしないのだ。
 正義と秩序のために働くエネルギー、サットヴァは妨害されてはならない。
 進行を妨害されると、それはそれ自身に敵対して破壊的になるのだ。
 いつであれ愛を与えることが控えられたとき、そして苦しみが広がることが
 許されたとき、争いは不可避となる。
 隣人の苦しみへの無関心が、私たちのもとへ苦しみをもたらすのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

683鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/05(火) 22:40:22 ID:1d4drIFg0
実在は何かを得たり失ったりしないのじゃ。
それは永遠に満たされているのじゃ。
人を実在に導くのは自他を一つと見る賢者の慈悲なのじゃ。
幻想の苦によって嘆き悲しむ人のために目覚めた者達は法を説くのじゃ。

684避難民のマジレスさん:2019/03/06(水) 06:39:39 ID:LC3de7YgO
>>682
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】

 質問者 先日、あなたは真我の実現の根本がグルへの信頼だった
     と言われました。彼は、あなたが絶対的な実在なのだと
     確信させ、それ以上何もされることはなかったのです。
     あなたは彼を信頼し、そしてそれにすべてをまかせまし
     た。努力することも、闘うこともないまま。さて、私の
     質問ですが、グルへの信頼がなかったとしたら、あなた
     は真我を実現していたでしょうか? 結局のところ、あ
     なたが信頼しようとしまいと、あなたであるものが、あ
     なたなのです。疑いはグルの言葉の働きを妨げ、それを
     無効にしてしまうのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの言うとおりだ。
 それはしばらくの間、無効とされてしまうだろう。
 質問者 それでは、グルの言葉のなかの力、あるいはエネルギー
     には何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それは現れないまま、潜在的な状態で残るのだ。
 だが、質問そのものが誤解に基づいている。
 師、弟子、そして彼らの間にある愛と信頼、それらはひとつの事
 実であって、数ある独立した事実ではない。
 それぞれがほかの一部分だ。
 愛と信頼なしには、そこにグルも弟子もないだろう。
 それは電灯のスイッチを入れるようなものだ。
 ランプ、コード、スイッチ、変圧器、送電線、そして発電所。
 それらがひとつの全体を形づくっている。
 ひとつの要素でも欠ければ、光はないだろう。
 不可分なものを分離してはならない。
 言葉が事実をつくり出すことはない。
 それらは描写するか、あるいは歪(ゆが)めるかのどちらかだ。
 事実はつねに言葉を必要としないのだ。
 質問者 まだ良く理解できません。グルの言葉は満たされないま
     ま残るのでしょうか? それとも、それはかならず真実
     であることを証明するのでしょうか?
 マハラジ
 賢者の言葉がその目的を逃すことはけっしてない。
 それは時間がかかるかもしれないが、正しい条件が揃うのを待つ
 のだ。
 それは自然なことだ。
 なぜならそこには種を植える季節と、収穫の季節があるからだ。
 だが、グルの言葉とは死ぬことのない種子なのだ。
 もちろん、グルは身体とマインドを超え、意識自体を超え、空間
 と時間を超え、二元性と統合を超え、理解と描写を超えた本物の
 師でなければならない。
 善き人びとは多くを読み、たくさん語ることがあり、あなたに有
 益なことを教えるかもしれない。
 だが、彼らはその言葉がかならず実現される真のグルではないのだ。
 彼らもまた、あなたが究極の実在そのものだと告げるだろう。
 だが、それが何になるというのだろうか?
 質問者 それでも、私がある理由から偶然彼らを信頼し、したがうことにな
ったとしたら、私は敗北者となるのでしょうか?
 マハラジ
 もし信頼し、したがうことができるなら、あなたはすぐに真のグ
 ルを見いだすだろう。
 あるいはむしろ、彼があなたを見いだすだろう。
 質問者 真我を知る人すべてがグルとなるのでしょうか、それと
     も他者を実在に導くことができなくても、実在を知る人
     となることができるのでしょうか?
 マハラジ
 もしあなたが教えることを知っているのなら、あなたは知ってい
 ることを教えることができるのだ。
 ここでは賢者としての状態と、教師としての状態はひとつだ。
 だが、絶対的な実在はその両方を超えている。
 自称グルは成熟や努力、功績や達成、運命や恩寵について話すだろう。
 これらすべては単なる精神的構造であり、耽溺(たんでき)した
 精神の投影だ。
 助ける代わりにそれらは妨害するのだ。
 質問者 誰にしたがい、誰を疑うべきかをどのようにして知るのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが確信するまで、すべてを疑いなさい。
 真のグルはけっしてあなたに屈辱を与えたりはしない。
 また、けっしてあなたをあなた自身から遠ざけたりはしないだろう。
 彼は生来の完全性という事実へあなたを絶え間なく連れ戻し、内
 面を探求するように勇気づけるだろう。
 彼はあなたが何も必要ないことを、たとえ彼でさえも必要ないこ
 とを知っている。
 そしてあなたに思い出させることに、けっして飽きたりはしない。
 自称グルは弟子よりも彼自身に関心があるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

685鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/06(水) 23:53:01 ID:1d4drIFg0
グルを信頼するならば自己を失う恐れも乗り越えられるのじゃ。
それはがけに上ってしまった幼子が親を信じてがけから飛び降りるようなものじゃ。
親を信じているからがけからも飛び降りることかできるのじゃ。
自己をなくすことが消滅することではないとグルを信じて恐れを飛び越えるのじゃ。

686避難民のマジレスさん:2019/03/07(木) 05:15:07 ID:LC3de7YgO
>>684
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】(つづき)

 質問者 あなたは、実在が実在の知識と教えを超えていると言わ
     れました。実在の知識は至高なるもの自体ではありませ
     んか、そして教えはその達成の証明なのではありません
     か?
 マハラジ
 実在あるいは自己の知識はマインドの状態だ。
 ほかの人たちに教えることは、二元性のなかの動きなのだ。
 彼らはマインドの関心があるだけだ。
 サットヴァ(純粋性)もやはりひとつのグナ(質)でしかないの
 だ。
 質問者 それでは、何が実在なのでしょうか?
 マハラジ
 マインドを非実現と実現のものとして知る人、無知と知識をマイ
 ンドの状態として知る人、彼が実在だ。
 ダイヤモンドと砂利の混ざったものをもらったとき、あなたはダ
 イヤモンドを見つけるかもしれないし、見失うかもしれない。
 問題は見ることのなかにあるのだ。
 見る力なくして、どこに砂利の灰色とダイヤの美しさがあるだろ
 う?
 知られるものは形にすぎず、知識は名前にすぎない。
 知る者はマインドの状態にすぎないのだ。
 実在はその彼方にある。
 質問者 もちろん、客観的知識やものごとの観念は自己知識と同
     じものではありません。ひとつは脳を要し、もうひとつ
     は必要としません。
 マハラジ
 議論のためにあなたは言葉を脚色し、それらに意味を与えるかも
 しれない。
 だが、すべての知識は無知から来たものだという事実は残る。
 もっとも精密な地図も、ただの紙にすぎない。
 すべての知識は記憶のなかにある。
 それはただの認識なのだ。
 一方、実在は知る者と知られるものという二元性の彼方にあるの
 だ。
 質問者 それでは、実在は何によって知られるのでしょうか?
 マハラジ
 何とあなたの言葉は誤解をまねくものだろうか!
 あなたは無意識のうちに、実在もまた知識によって到達できるも
 のだと思っている。
 その上、実在を超えた、実在の知者を話のなかにもたらすのだろ
 う。
 在るために実在が知られる必要はないということを理解しなさい。
 無知と知識は実在のなかではなく、マインドのなかにあるのだ。
 質問者 もし実在の知識というものが存在しないのなら、どうや
     ってそれに到達するのでしょうか?
 マハラジ
 すでにあなたとともに在るものに到達する必要はない。
 到達しようとすること自体がそれを逃してしまうのだ。
 それを見出していないという考えを放棄しなさい。
 そしてただ、マインドのなかのすべてを取り除くことによって、
 今ここにある直接の知覚の焦点へとそれを入ってこさせなさい。
 質問者 去るべきものがすべて去った後には、何が残るのでしょ
     うか?
 マハラジ
 空が残る。
 気づきが残るのだ。
 意識的存在の純粋な光が残るのだ。
 それはすべての家具を取り除いたとき、部屋には何が残るのかと
 尋ねるようなものだ。
 もっとも役に立つ部屋が残るのだ。
 そして壁さえもが取り払われたとき、空間が残る。
 空間と時間の彼方には、実在の今とここがあるのだ。
 質問者 観照者は残るのでしょうか?
 マハラジ
 意識がそこにあるかぎりその観照者もまたそこに在る。
 その二つはともに現れ、ともに消えるのだ。
 質問者 もし観照者もまた一時的なものなら、なぜ、それほどに
     も重要性を与えられるのでしょうか?
 マハラジ
 知覚されるものだけが実在だという既知の幻想の魔力を破るため
 だ。
 質問者 知覚が第一のもの、観照者は第二のものです。
 マハラジ
 これが問題の核心だ。
 外側の世界だけが実在だと信じているかぎり、あなたはその奴隷
 なのだ。
 それから自由となるには、あなたの注意が観照者である「私は在
 る」に引きつけられなければならない。
 もちろん知る者と知られるものは二
つではなくひとつだ。
 だが、知られるものの魔法を破るには、知る者が最前面にもたら
 されなければならない。
 どちらも主要なものではなく、どちらも言い表すことのできない、
 つねに新しく、つねに今にあり、言葉に置き換えようのない、マ
 インドよりもすばやい体験の記憶の反映なのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

687鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/07(木) 21:46:42 ID:1d4drIFg0
実在についての知識とは本来存在しないものじゃ。
実在を知識にしたならばそれは全て嘘になるのじゃ。
それは言葉とイメージである観念を超えたものであるからのう。
あえて言葉にするのは悟りを求める者のためなのじゃ。
仮の言葉で人を導くために実在もサットヴァもあると説くのじゃ。

688避難民のマジレスさん:2019/03/07(木) 23:01:37 ID:LC3de7YgO
>>687
サットヴァもでありますか。
明晰と調和と言う意味以外に、ぐくってみたら、純質なと言う意味も出てきたであります。
純質と調和の両方の意味を含むわかったようなわからないような言葉でありますね。(´・(ェ)・`)つ

689避難民のマジレスさん:2019/03/07(木) 23:27:33 ID:LC3de7YgO
>>686
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】(つづき)

 質問者 私はグルからグルへと解放を求めてさまよい歩く、単な
     る探求者です。私のマインドは病に侵され、欲望に身を
     焼き、恐れに凍りついています。私の日々は苦痛によっ
     て赤く、退屈によって灰色に過ぎ去っていきます。私は
     老いてゆき、健康は衰え、未来は暗く、恐れおののいて
     いるのです。この分では、私は悲しみのうちに生き、絶
     望のうちに死ぬことでしょう。私に希望はあるのでしょ
     うか? それとも遅すぎるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたには何の間違いもない。
 ただ、あなたのあなた自身に関する考えは、まったくの間違いだ。
 欲望をもち、恐れ、苦しむのはあなたではなく、環境と影響によ
 ってあなたの身体に築かれた個人なのだ。
 あなたは個人ではない。
 これがあなたのマインドのなかで明確に確立されるべき、けっし
 て見失ってはならないものだ。
 通常は、長い期間のサーダナ(修練)、何年もの苦行と瞑想が必
 要なのだ。
 質問者 私のマインドは弱く、優柔不断です。力もサーダナのた
     めの粘り強さもありません。私は絶望的です。
 マハラジ
 ある意味では、あなたの状況はもっとも希望のもてるものだ。
 サーダナに代わるほかの手段がある――信頼だ。
 もしあなたが成果ある探求から生まれた確信を得ることができな
 かったなら、私の発見を利用するがいい。
 私はそれをあなたと分かちあうことを心から望んでいるのだ。
 私には、あなたがけっして今まで、今も、そしてこれからも実在
 から離れて在ることのないことを、最高の明晰(めいせき)性と
 ともに見て取ることができる。
 あなたは今ここで完璧に完全なのだ。
 あなたがあなたである、という生得権を何ものも奪うことはでき
 ない。
 あなたはまったく私と異ならない。
 ただ、それを知らないだけだ。
 あなたが何であるかを知らないため、あなたではないものをあな
 た自身だと想像するのだ。
 それゆえに欲望をもち、恐れ、そして絶望に圧倒されてしまう。
 そしてそれから逃避しようと無意味な行動をしてしまうのだ。
 ただ、わたしを信頼しなさい。
 そして私を信頼することによって生きなさい。
 私はあなたを惑わせたりはしない。
 あなたは世界とその創造者を超え、意識とその観照者を超え、す
 べての断定と否定を超えた至高の実在なのだ。
 それを覚えておきなさい。
 それについて考えなさい。
 それにしたがって行動しなさい。
 すべての分離の感覚を放棄しなさい。
 すべてのなかにあなた自身を見て、それに沿うように行動しなさ
 い。
 行動とともに至福が訪れ、至福とともに確信がやってくるだろう。
 結局、悲しみに暮れて、あなたはあなた自身を疑うようになって
 しまった。
 幸福、自然、自発性、永遠を想像できなくなってしまったのだ。
 それがそこにあろうと、なかろうと。
 ひとたびあなたが外的な原因の必要のない平和、愛、幸福を体験
 し始めたなら、すべての疑いは消え去るだろう。
 ただ、わたしの言ったことをしっかりと捕まえ、それによって生
 きなさい。
 質問者 あなたは私に記憶によって生きろと言われるのでしょう
     か?
 マハラジ
 どちらにせよ、あなたは記憶によって生きているのだ。
 私は単に古い記憶を私の言ったことの記憶に置き換えなさいと言
 っているだけだ。
 あなたが古い記憶にしたがって行動したように、新しい記憶にし
 たがって行動しなさい。
 恐れてはならない。
 なぜなら、ときどき古いものと新しいものの間に葛藤(かっとう)
 が起こるからだ。
 だが、もしあなたが堅い決意で新しい側に自分をとどめたなら、
 葛藤はすぐ終りを告げ、幻想から生まれた欲望や恐れによって欺
 (あざむ)かれるのではなく、努力を要しない状態の自己として
 在ることを自覚するだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

690鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/09(土) 00:01:21 ID:1d4drIFg0
>>688 そうじゃ、それもまた悟りの為に創られた観念なのじゃ。
 調和と純質を守って実践するためなのじゃ。

人は記憶に拠って生きているとマハラジは言うのじゃ。
グルに従うのも古い記憶から新しい記憶に拠って生きることに他ならないのじゃ。
ただ古い記憶はどれも苦に導くだけのものであるが、グルによって与えられた教えの記憶は苦からの解放に導くのじゃ。
それが観念であっても悟りのためであるから記憶も利用するのじゃ。

691避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 00:37:26 ID:LC3de7YgO
>>689
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】(つづき)

 質問者 多くのグルたちは彼らの恩寵(おんちょう)のしるしと
     して、頭にかぶる布や、杖、托鉢碗、法衣などを与える
     習慣があり、それによって彼らの弟子の真我の実現を伝
     達、あるいは承認します。そのような習わしに何の価値
     もないことは私にも理解できます。伝承されたのは真我
     の実現ではなく、自尊心なのです。一体全体真実ではな
     く、何かへつらうようなことを言われることが、何の役
     に立つというのでしょうか? 一方で、あなたは多くの
     自称グルについて私に警告をし、もう一方では、私にあ
     なたを信頼してほしいのです。なぜあなたは例外だと主
     張するのですか?
 マハラジ
 私は、あなたに私を信頼しろとは言ってはいない。
 私の言葉を信頼し、それを覚えておきなさい。
 私は私の幸せではなく、あなたの幸せを願っているのだ。
 あなたとあなたの真の存在との間に距離をつくり、仲介者として
 自ら申し出る者たちを疑いなさい。
 私はそのようなことは一切しない。
 約束さえしない。
 単に、「もし私の言葉を信頼し、それらを試みれば、あなたはそ
 れがどんなに絶対的に真実だったかを自ら発見するだろう」と言
 っているだけだ。
 もしあなたが冒険を試みる前に証明を求めるなら、私はただ、
 「私が証明だ。
  私は師の言葉を信頼し、それを心のなかに保ち、彼が正しかっ
  たことを見いだしたのだ。
  私は今まですべてを抱擁し、すべてを超越する無限の実在であ
  ったし、今もそうであり、これからもそうであるだろう」
 と言えるだけなのだ。
 あなたが言うように、あなたには長い修練のための時間もエネル
 ギーもない。
 私はほかの手段を差しだしているのだ。
 私のこの言葉を信頼して受け入れ、新たな人生を生きなさい。
 あるいは悲しみのなかに生きて死ぬがいい。
 質問者 どうやら、真実にしては話がうますぎるようです。
 マハラジ
 助言の単純さに惑わされてはならない。
 無垢(むく)で単純なことを信頼する勇気をもつ者は非常にまれ
 なのだ。
 あなたがマインドの囚人であり、自らつくり出した想像の世界の
 なかに住んでいると知ることは、智慧(ちえ)の現れだ。
 何もそれから求めず、それを完全に放棄する用意のあることが誠
 実さだ。
 本当の絶望から生まれた、そのような誠実さがあなたに私を信頼
 させるのだ。
 質問者 私は充分苦しんでいないでしょうか?
 マハラジ
 苦しみはあなたを鈍くさせ、その重大な誤りを見ることを不可能
 にしてしまったのだ。
 あなたの最初の仕事とは、あなたとあなたのまわりにある悲しみ
 を見ることだ。
 そしてつぎは解放への強烈な熱望だ。
 熱望の強烈さそのものがあなたを導くだろう。
 ほかの導きは必要ない。
 質問者 苦しみは私を鈍くさせました。それ自体にさえ無関心な
     のです。
 マハラジ
 あなたを鈍くさせたのは苦しみではなく、快楽かも知れない。
 調べてみなさい。
 質問者 何が原因であれ、私は愚鈍なのです。私には意志もエネ
     ルギーもありません。
 マハラジ
 いいや、あなたには第一歩を踏みだすに充分な力がある。
 そして一歩ずつが、つぎの一歩のために充分なエネルギーを生み
 だすだろう。
 エネルギーは確信から、確信は体験からやってくるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

692避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 12:35:07 ID:LC3de7YgO
>>691
『I AM THAT 私は在る』
【83 真のグル】(つづく)

 質問者 グルを変えることは正しいのでしょうか?
 マハラジ
 なぜ変えないのかね?
 グルは道しるべのようなものだ。
 ひとりからほかへと移っていくことは自然なことだ。
 それぞれがあなたに方向と距離を告げるだろう。
 一方、サッドグル、永遠の師は道そのものなのだ。
 ひとたび道が目的地であり、あなたはつねに道の上に在り、目的
 地に到達することではなく、その美しさと智慧を楽しむことを悟
 れば、人生は仕事ではなくなり、それは自然でシンプルに、それ
 自体で歓喜となるのだ。
 質問者 では、礼拝し、祈り、ヨーガの修練をする必要はないの
     でしょうか?
 マハラジ
 毎日すこしずつ掃き清め、洗い流し、沐浴(もくよく)すること
 は良いことだ。
 自己覚醒が一歩一歩あなたに何をすべきかを示してくれるだろう。
 すべてが為(な)されたとき、マインドは静になるのだ。
 今、あなたは名前と形、喜びと悲しみをともなった個人として目
 覚めの状態にある。
 あなたが生まれる前に、個人はそこにいなかったし、あなたが死
 んだ後もそこにはいないだろう。
 自分ではない何かに成ろうと個人として奮闘する代わりに、なぜ
 個人的な人生全体を後にして、目覚めの状態を超えていかないの
 だろうか?
 それは個人の消滅を意味するのではない。
 ただ正しい視点から見ることを意味しているのだ。
 質問者 もうひとつ質問があります。あなたは、私が生まれる以
     前、私は実在の純粋な存在とひとつだったと言われまし
     た。もしそうなら、私が生まれるべきだと誰が決定した
     のでしょうか?
 マハラジ
 実際には、あなたはけっして生まれなかった。
 そしてけっして死ぬこともないのだ。
 だが、今あなたは存在すると、あるいは身体をもっていると想像
 し、何がこの状態をもたらしたのかと尋ねている。
 この限定された幻想のなかでの答えは――記憶から生まれた欲望
 があなたを身体に引き寄せ、それとひとつだとあなたに考えさせ
 るからだ。
 だが、これは相対的な見地から見たときだけの真実だ。
 事実は、そこには誰もいず、それを含む世界もない。
 そこあるのはただの精神状態、夢のような状態だけだ。
 その実在性は疑うことでたやすく払いのけられるのだ。
 質問者 あなたは死んだ後、ふたたび戻ってくるのでしょうか?
     もし私が長く生きるなら、もう一度あなたに会えるので
     しょうか?
 マハラジ
 あなたにとっては、身体は実在のものだ。
 私にとっては、そこには何もない。
 あなたが見ている私は、あなたの想像のなかにしか存在しないの
 だ。
 もちろん、もしあなたが私を必要とするなら、あなたはふたたび
 私を見ることだろう。
 太陽が日の出や日の入りに影響されないように、それは私に影響
 を与えはしない。
 影響を受けないため、必要とされるときには、かならずそこに在
 るのだ。
 あなたは知識に没頭している。
 私はそうではない。
 私にはあなたに知ることを切望させる不確実な感覚がないのだ。
 子供が興味をもつように、私は興味をもつ。
 だが、私には知識のなかに避難場所を求めるような不安がない。
 それゆえ、私は再誕生するのか、世界がどれほど長くつづくのか、
 といったことには関心がない。
 これらの質問は恐れから生まれたものなのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

693避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 12:37:41 ID:LC3de7YgO
>>692
> 事実は、そこには誰もいず、それを含む世界もない。
 そこあるのはただの精神状態、夢のような状態だけだ。
 その実在性は疑うことでたやすく払いのけられるのだ。

←うぅぅ・・・・くまにはたやすくないのである。
けっ、くまも信じてみるのである。
(´・(ェ)・`)つ

694避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 22:56:34 ID:LC3de7YgO
>>693
訂正
けっ→けど

695鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/09(土) 22:59:57 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、全て疑うのじゃ。
 疑って観察してみれば真実も分かるのじゃ。

マハラジも師匠は道標のようなものと言っているのじゃ。
お釈迦様と同じなのじゃ。
道標を見て悟りに向かって進むことができるのはその言葉を信じる者だけなのじゃ。
全ての道しるべが同じ方向を示しているのを見るのじゃ。
その同じ方向とは自分自身の心なのじゃ。
心を観るのじゃ。

696避難民のマジレスさん:2019/03/09(土) 23:24:45 ID:LC3de7YgO
>>692
『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】

 質問者 あなたは、数多くの自称グルがいるが、真のグルは非常にまれだと
言われました。
自らを真我を実現したと想像している多くのジニャーニがいます。
しかし、彼らがもっているのは本からの知識と高い自己評価だけです。
ときおり、彼らは人びとに感銘を与え、魅了し、弟子を引きつけます。
そして役に立たない修練によって彼らの時間を浪費させるのです。
何年かたって弟子が自分自身を評価したとき、何の変化もなかったことを見いだし、
彼が師に不平を訴えると、努力が足りないのだという通常の叱責を受けるのです。
責任は弟子のハートの愛と信頼の欠如にあると非難されます。
ところが実際には弟子を受け入れ、彼らの希望を向上させようとしないグルの
ほうに責任があるのです。
そのようなグルからどうやって自分を守るのでしょうか?
 マハラジ
 なぜそれほどまで他者に関心をもつのかね?
 グルが誰であろうとも、もし彼が良き信仰のもとに行為し、純粋なハートをもって
いるなら、弟子たちに何の害も与えることはないだろう。
 もし何の進展も見られないのなら、過失は弟子のほうにあるのだ。
 彼らの態度と自己制御の欠如がそれだ。
 一方、もし弟子が誠実で、サーダナ(修練)に対して知的で、熱心に取り組んでい
るなら、彼はもっと遠くへ彼を連れていける、より適格な師にかならず出会うことに
なる。
 あなたの質問は三つの偽りの仮定から出てきたものだ。
 そのひとつ目は、人は他者との関わりを必要とするということ。
 二つ目は、人はほかの人を評価できるということ。
 三つ目は、弟子の進歩はグルの仕事であり、責任であるということだ。
 実際には、グルの役割とはただ指導し、勇気づけることだけなのだ。
 弟子は完全に彼自身に責任があるのだ。
 質問者 私たちはグルへの完全な明け渡しがあれば充分であり、残りはグルがする
だろうと聞いてきました。
 マハラジ
 もちろん、完全な明け渡しがあれば、自己の過去、現在、未来と、身体的、そして
霊的安全性や地位に関するすべての完全な放棄があれば、豊かな愛と美にあふれた新
たな人生の夜明けはやってくる。
 そうすればグルは重要ではない。
 なぜなら、弟子は自己を守る殻(から)を破ったからだ。
 完全な自己放棄そのものが解放なのだ。
 質問者 弟子と師の両方が不適切な場合は何が起こるのでしょうか?
 マハラジ
 長期にわたってみれば、すべては適切になるだろう。
 結局、双方の真我は、しばらくの間彼らが演じたコメディによる影響を受けはしな
いのだ。
 すぐに彼らは冷静になり、成熟し、関係性のより高いレベルへと移行していくだろ
う。
 質問者 あるいは、彼らは別れていくでしょう。
 マハラジ
 そうだ。
 彼らは別れるかもしれない。
 結局、いかなる関係性も永遠ではないのだ。
 二元性は一時的な状態だ。
 質問者 私があなたに出会ったのは偶然であり、別の偶然によって私たちは別れ、
けっしてふたたび出会うことはないのでしょうか?
 あるいは、あなたとの出会いはある宇宙的なパターンの一部であり、私たちの人生
の偉大なドラマのひとコマなのでしょうか?
 マハラジ
 実在は意味深く、意味深いことが実在と関係するのだ。
 もし私たちの関係が私とあなたにとって意味深いものであれば、それは偶然ではあ
りえない。
 過去がそうであるように、未来もまた現在に影響をあたえるのだ。
 質問者 誰が真の聖者であり、誰がそうではないのかを、どうしたら見極めること
ができるのでしょうか?
 マハラジ
 人のハートへの明晰な洞察をもたないかぎり、あなたに見極める
 ことはできない。
 外見はあてにならないのだ。
 明白に見るためには、あなたのマインドが純粋で無執着でなければならない。
 自分自身を知らないかぎり、どうして他者を知ることができるだろう?
 そして、あなた自身を知るとき、あなたが他者なのだ。
 しばらく他者のことは後回しにして、まず自分自身を調べなさい。
 あなたが何なのか、誰なのか、どうして生まれることになったの
 か、今、何をなぜしているのか、あなたはどこへ行くのか、あなたの人生と死、そ
して未来にはどのような意味と目的があるのか?
 あなたに過去があるのか、未来があるのか?
 あなたの全存在が幸福と平和のために闘っているというのに、どうして苦しみと悲
しみのなかに生きるようになったのか?
 これらのことが重要な問題であり、最初に留意しなければならないことだ。
 あなたには、誰がジニャーニであり、誰がそうではないのかを見つけだす時間もな
ければ、必要もないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

697避難民のマジレスさん:2019/03/10(日) 08:01:55 ID:LC3de7YgO
>>696
84の2『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】の2回目

 質問者 私は正しくグルを選択しなければなりません。
 マハラジ
 正しい人でありなさい。
 そうすれば正しいグルがかならずあなたを探しだすだろう。
 質問者 あなたは私の質問に答えていません。どのようにして正
     しいグルを見いだすのでしょうか?
 マハラジ
 だが、私は質問に答えたのだ。
 グルを探してはならない。
 考えさえしてはならない。
 あなたの目的をあなたのグルとしなさい。
 結局のところ、グルとは終焉(しゅうえん)そのものではなく、
 終焉への道なのだ。
 あなたにとって重要なのは彼ではなく、何を彼から期待するかだ。
 さて、あなたは何を期待しているのだろうか?
 質問者 彼の恩寵によって、幸福に、力強く、平和になることで
     す。
 マハラジ
 なんという野望だろう!
 どうして時間と空間に限定された単なる「身体―精神」であり、
 誕生と死の狭間(はざま)で苦痛に喘(あえ)いでいるひとりの
 個人が幸福になれるというのだろうか?
 個人が現れるその条件自体が幸福を不可能にしているのだ。
 平和、力、幸福。
 これらはけっして個人的な状態ではない。
 誰も「私の平和」「私の力」と言うことはできない。
 なぜなら、「私のもの」とは除外を暗示しているからだ。
 それはこわれやすく、はかないものなのだ。
 質問者 私が知っているのは、私の条件づけられた存在だけで、
     ほかには何もありません。
 マハラジ
 もちろん、そうとは言えない。
 深い眠りのなかでは、あなたは条件づけられていなかったのだ。
 どんなにあなたは喜んで、進んで眠りにつくことか、どんなに眠
 りのなかで平安で、自由で、幸福であることか!
 質問者 私はそのことをまったく知らないのです。
 マハラジ
 それを否定的に表現してみなさい。
 あなたが眠っているとき、そこには苦痛も、束縛も、落ち着きの
 なさもないのだ。
 質問者 私にはその要点が理解できます。目覚めている間、私は
     私が在ることを知っています。しかし、私は幸福ではあ
     りません。眠りのなかで、私は在り、幸福です。しかし、
     それを私は知らないのです。私に必要なことは、私が自
     由で、幸福だと知ることなのです。
 マハラジ
 まったくそのとおりだ。
 今、深く内側に入っていきなさい。
 目覚めた眠りと言える状態のなかへ入っていきなさい。
 世界に気づくのではなく、自分自身に気づいている状態のなかへ
 と入っていきなさい。
 その状態のなかで、あなたは疑いの余地もなく、存在の根底では
 自由で幸福なのだと知るだろう。
 唯一の困難は、あなたが体験に耽溺し、記憶を大切そうに抱えて
 いることだ。
 実際には、その反対なのだ。
 思い出されたことは、けっして実在ではなく、実在は今あるのだ。
 質問者 言葉の上ではすべて理解できますが、私自身の一部分に
     ならないのです。それはマインドのなかで見られるため
     の絵としてとどまるのです。その絵に命を与えるのはグ
     ルの役目ではないのでしょうか?
 マハラジ
 またしてもその反対なのだ。
 絵は生きている。
 死んでいるのはマインドなのだ。
 マインドが言葉とイメージでできているように、マインドのなか
 のあらゆる反映もまたそうなのだ。
 それは言語化することで実在を覆い隠しておいて、それから不平
 を言うのだ。

 あなたはあなたに奇跡を起こすためにグルが必要だと言う。
 あなたは言葉で戯れているだけだ。
 ロウソクと炎のように、グルと弟子はひとつの単一体なのだ。
 弟子が誠実でないかぎり、彼を弟子と呼ぶことはできない。
 グルがまったくの愛であり、献身的でないかぎり、彼をグルと呼
 ぶことはできない。
 偽りではなく、ただ実在だけが実在を生みだすことができるのだ。
 質問者 私には、わたしが偽りであることがわかります。誰が私
     を真実にしてくれるのでしょうか?
 マハラジ
 あなたが言ったその言葉自体がそれをするだろう。
 「私には、私が偽りであることがわかる」というその言葉が、あ
 なたの解放に必要な全てを含んでいるのだ。
 それについて熟考しなさい。
 そのなかへと深く入っていきなさい。
 その根源まで行きなさい。

 それが働きだすだろう。
 力は人のなかにではなく、言葉のなかにあるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

698鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/10(日) 21:34:46 ID:1d4drIFg0
弟子が真摯に悟りを求めない限り、真のグルも見出せないのじゃ。
自分を偽る者が偽者のグル騙されるのじゃ。
それは実は自分で自分を騙しているだけなのじゃ。
自分を偽らず、自分の偽りに気付けばそこから修行が始まるのじゃ。

699避難民のマジレスさん:2019/03/10(日) 22:23:18 ID:LC3de7YgO
>>697
『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】(つづき)

 質問者 私はあなたを完全に理解していません。一方では、あな
     たはグルが必要だと言い、他方ではグルは助言だけを与
     え、努力は私のものだと言います。どうか、はっきりお
     っしゃってください。グルなしに、真我は実現できるの
     でしょうか、それとも、真のグルを見いだすことは本質
     的なことなのでしょうか?
 マハラジ
 それ以上に本質的なことは、真の弟子を見つけることだ。
 私を信じなさい。
 真の弟子は非常にまれなのだ。
 なぜなら、自己を見いだすことによって、すぐさま彼はグルの必
 要性を超えるからだ。
 あなたの得た助言が知識からのものなのか、それとも有効な体験
 からなのかを見定めようとすることで時間を浪費してはならない。
 ただ誠実に助言にしたがうがいい。
 もしほかのグルが必要なら、人生があなたにもたらすだろう。
 あるいは、人生はあなたから外側の導きすべてを奪い取り、あな
 た自身の光にあなたを置き去りにするかもしれない。
 個人としてのグルではなく、教えが重要だと理解することは非常
 に重要なことなのだ。
 あなたを笑わせたり、泣かせたりするような手紙を受け取ったと
 しよう。
 あなたを笑わせたり、泣かせたりするのは郵便配達人ではない。
 グルはあなたの真我に関する良き知らせを告げ、そこへの帰り道
 を示すだけだ。
 だが、メッセージはひとつだけだ。
 「あなたとして在りなさい」というものだ。
 あるいは違う言い方をすれば、あなたが真我を実現するまでは、
 誰が真のグルかを知ることはできないのだ。
 あなたが実現したとき、すべてのグルたちがあなたの実現に貢献
 したのだと知ることだろう。
 あなたの真我の実現が、グルが本物だったことを証明する。
 それゆえ、彼をあるがままに受け入れなさい。
 彼が言うことを、熱意と誠実さをもって行ないなさい。
 そして、もし何かが間違っているようなら、あなたのハートが警
 告することを信頼しなさい。
 もし疑いが起こったなら、それと闘ってはいけない。
 疑いのないことを手放してはいけない。
 そして疑わしいことは放っておくがいい。
 質問者 私にはグルがいて、彼のことをとても愛しています。し
     かし、彼が私の本当のグルかどうか、私にはわかりませ
     ん。
 マハラジ
 あなた自身を見守りなさい。
 もしあなたが変わっていき、成長していくなら、あなたは正しい
 人を見いだしたのだ。
 彼は美しいかもしれないし、醜いかもしれない。
 快いかも、不快かもしれない。
 あなたを褒めるかも、叱るかもしれない。
 内的な成長以外は何ひとつ問題ではないのだ。
 もしそうでないのなら、彼は多分あなたの友人かもしれない。
 だが、あなたのグルではないのだ。
 質問者 私が学歴のある西洋人と出会い、グルや彼の教えについ
     て語ると、彼は、「そんな無意味なことを教える人は狂
     っているに違いない」と言うのです。彼に何といえばい
     いのでしょうか?
 マハラジ
 彼を彼自身に直面させるがいい。
 彼がどれほど彼自身について知らないかを見せるがいい。
 いかに彼が彼自身についてのもっとも馬鹿げた表明を神聖な真理
 と見なしているかを。
 彼は身体であり、生まれ、そして死に、両親をもち、義務をもっ
 ていると人から言われてきた。
 彼はほかの者たちが学ぶことを学び、ほかの者たちが恐れること
 を恐れているのだ。
 完全に、記憶によって生き、習慣によって行動する、伝統と社会
 の創造物なのだ。
 彼は彼自身の真の関心について無知で、偽りの目的を追求し、つ
 ねに欲求不満をつのらせている。
 彼の生と死は無意味で苦痛に満ち、そこに出口はないかのようだ。
 それから彼に言うがいい。
 出口は彼の手の届くところにあるのだと。
 それは別の一式の観念に転向するのではなく、一切の観念と生き
 方のパターンから解放されることだ。
 グルや弟子については、語ってはならない。
 このような考え方は彼のためにふさわしくない。
 内なる道が彼のものだ。
 彼は内なる衝動によって突き動かされ、内なる光によって導かれ
 てきたのだ。
 彼が反抗するように誘いなさい。
 そうすれば反応するだろう。
 誰それが賢者であり、グルとして受け入れられるなどと、彼に印
 象づけることはやめなさい。
 彼は彼自身を信頼しないかぎり、他者を信頼することもできない
 のだ。
 そして確信は体験とともにやってくるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

700鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/11(月) 23:26:02 ID:1d4drIFg0
本当は師匠がいなくても悟れるのじゃ。
お釈迦様もマハラジも師匠がいなくても悟れたのじゃ。
自分の心をどこまでも追求して行く意志があれば悟りもやってくるのじゃ。
師匠はその助けになるだけなのじゃ。

701避難民のマジレスさん:2019/03/11(月) 23:46:49 ID:LC3de7YgO
>>699
『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】(つづき)

 質問者 何と奇妙なのでしょうか! 私にはグルなしの人生など
     考えられません。
 マハラジ
 それは気質の問題なのだ。
 あなたもまた正しいのだ。
 あなたにとっては、神を讃えて歌うことで充分だ。
 真我の実現への欲望をもつことさえ、サーダナ(修練)をするこ
 とさえ必要ない。
 神の名前があなたに必要なすべての食事なのだ。
 それによって生きるがいい。
 質問者 このわずかばかりの言葉の絶え間ない繰り返しは、ある
     種の狂気ではありませんか?
 マハラジ
 それは狂気だ。
 だが、意図された狂気なのだ。
 すべての繰り返しはタマス(受動性)だ。
 だが、神の名を復唱することは、その高い目的ゆえにサットヴァ
 ―タマスなのだ。
 サットヴァ(純粋性)の存在ゆえにタマスは尽き果て、そして完
 全な冷静さ、無執着、放棄、超然、普遍性の形を取るだろう。
 タマスは確固たる土台となり、その上に統合された人生が生きら
 れるのだ。
 質問者 不変なるもの――それは死ぬのでしょうか?
 マハラジ
 変わりゆくものが死ぬのだ。
 不変なるものは生きも死にもしない。
 それは生と死の永遠の観照者なのだ。
 それが死ぬとは言えない。
 なぜなら、それは気づいているからだ。
 それが生きているとも言えない。
 なぜなら、それは変化しないからだ。
 それはテープ・レコーダーのようなものだ。
 すべてひとりで記録し、再生する。
 あなたはただ聞くだけだ。
 同じように、私はあなたに話していることも含めた起こることす
 べてを見守っている。
 話をしているのは私ではなく、マインドのなかに言葉が現れ、そ
 れから、それらが語られているのを聞くのだ。
 質問者 誰もがそうなのではありませんか?
 マハラジ
 誰が違うと言ったかね?
 だが、あなたはあなたが考え、あなたが話すと主張するのだ。
 一方、私にとっては、そこに考えることと話すことがあるだけだ。
 質問者 二つの考慮すべきことがあります。私がグルを見つけた
     か、あるいは見つけていないかです。それぞれの場合、
     するべき正しいこととは何なのでしょうか?
 マハラジ
 あなたはけっしてグルなしでいることはない。
 なぜなら、彼は永遠にあなたのハートのなかに存在しているから
 だ。
 ときどき、彼は彼自身を母、妻、教師として具現させ、あなたの
 人生の高揚と改善の要因としてあなたのもとにやってくる。
 あるいは彼は公正さと完成への内なる衝動としてとどまるかもし
 れない。
 あなたがするべきことは、彼にしたがい、彼の言うことを為すだ
 けだ。
 彼があなたにしてほしいことはシンプルだ。
 自己覚醒、自己制御、自己放棄を学ぶことだ。
 それは厳しく見えるかもしれない。
 だが、もしあなたが誠実ならば、それはたやすい。
 そして、もしあなたが誠実でなければ、まったく不可能だ。
 誠実さが必要であり、またそれで充分だ。
 すべては誠実さに道を譲るのだ。
 質問者 何が人を誠実にするのでしょうか?
 マハラジ
 慈悲が誠実さの土台だ。
 あなたと他者に対する慈悲、あなた自身と他者の苦しみから生ま
 れた慈悲だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

702鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/12(火) 23:01:32 ID:1d4drIFg0
死は肉体の変化の一つに過ぎないのじゃ。
動いていたからだが動かなくなり分解するという最後の変化なのじゃ。
それは生まれてから成長する変化と同じなのじゃ。
意識は生も死も無く常に変らないのじゃ。

703避難民のマジレスさん:2019/03/12(火) 23:18:38 ID:LC3de7YgO
>>701
『I AM THAT 私は在る』
【84 あなたの目的はあなたのグルだ】(つづき)

 質問者 誠実になるために私は苦しまなければならないのでしょ
     うか?
 マハラジ
 もしあなたが感じやすく、仏陀がしたように他者の苦しみに反応
 するなら、その必要はない。
 だが、もしあなたが冷淡で哀れみがないなら、あなた自身の苦し
 みがあなたに避けがたい質問を尋ねるようにさせるだろう。
 質問者 私は自分自身が苦しんでいることに気づいています。し
     かし、充分ではありません。人生は不快なものですが、
     耐えられないほどではないのです。私のわずかな快楽は
     小さな苦痛の埋め合わせをし、全体的に見て、私は私の
     知っている人たちよりも暮らし向きがいいのです。私の
     状況が不確実なものだということは知っています。災難
     がいつ襲いかかっても不思議はないからです。危機が私
     を真理への道へ導くのを待つべきなのでしょうか?
 マハラジ
 あなたの状況がいかに壊れやすいかを見た瞬間、あなたはすでに
 注意しているのだ。
 だから気づいていなさい。
 注意を払い、尋ね、調べ、マインドと身体の過ちを発見し、それ
 らを放棄しなさい。
 質問者 そのエネルギーはどこから来るのでしょうか? 私は燃
     えさかる家のなかで麻痺した人のようです。
 マハラジ
 麻痺している人でさえ、ときには自分の足が危険に直面している
 ことに気づくのだ!
 だが、あなたは麻痺していない。
 ただ想像しているだけだ。
 第一歩を踏みだしなさい。
 そうすればあなたは進んでいくだろう。
 質問者 私はあまりにも強く身体にしがみついているため、「私
     が身体だ」という観念をあきらめることができません。
     身体が存続するかぎり、それは私にしがみつくでしょう。
     生きている間は、真我実現は不可能だと主張する人びと
     がいます。私は彼らに同意したい気分なのです。
 マハラジ
 あなたは賛成、あるいは反対する前に、どうして身体という観念
 自体を調べないのだろうか?
 マインドは身体のなかに現れるのだろうか、それとも、マインド
 のなかに身体が現れるのだろうか?
 もちろん、そこには「私は身体だ」と考えるマインドがなければ
 ならない。
 マインドなしの身体は「私の身体」ではありえない。
 マインドが停止しているとき、「私は身体だ」という観念は必ず
 不在だ。
 マインドが思考と感情に深く没頭しているときもまた、それは不
 在なのだ。
 ひとたびあなたが、身体はマインドに依存し、マインドは意識に
 依存し、意識は気づきに依存していることを、そしてその反対で
 はないことを自覚すれば、死が訪れるまで真我の実現を待つとい
 うあなたの疑問に答えられたのだ。
 まず、あなたが「私は身体だ」という観念から自由にならなけれ
 ばならず、それから真我を実現するのではない。
 それは間違いなくその反対だ。
 真実を知らないから、あなたは偽りにしがみつくのだ。
 完全性ではなく、誠実さが真我の実現の必須条件なのだ。
 徳や力は真我の実現とともに現れる。
 それ以前ではないのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

704鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/13(水) 23:00:43 ID:1d4drIFg0
修行のことを他人に話せばとても無理じゃとかいろいろいうのじゃ。
他人の意見は何の意味もないのじゃ。
そのようなことを気にしている間にも自らの心を探求するとよいのじゃ。
真摯に追求し続ければ道も開かれるのじゃ。

705避難民のマジレスさん:2019/03/13(水) 23:09:00 ID:LC3de7YgO
>>704
うむ。
深刻な苦があるほど、修行ははかどり、修行が安楽となるのであります。
で、状況が変わり、ちょぴっと楽になると、何であの時はあんなにできたのだろうと思い、できないのであります。楽になるとさぼってしまうくまであります。

けど、できるだけ意識的にいようとしてるし、くまは至高のくまであると思うようにしてるくまであります。
(´・(ェ)・`)つ

706避難民のマジレスさん:2019/03/13(水) 23:12:33 ID:LC3de7YgO
>>703
85の1『I AM THAT 私は在る』
【85 「私は在る」――すべての体験の根底】の1回目

 質問者 私は、あなたが自分自身に関して「私は永遠で、属性を超えた不変
     なるものだ」と言われるのを聞きました。いったいどのようにして
     それを知るのでしょうか? 何があなたにそう言わせるのでしょう
     か?
 マハラジ
 私はただ「私は在る」が現れる前の状態を描写しようと試みているだけだ。
 だが、マインドとその言語を超えたその状態自体は描写不可能なものだ。
 質問者 「私は在る」はすべての体験の根底です。あなたが描写しようと試
     みていることも、限定された一時的なひとつの体験に違いありませ
     ん。あなたはあなた自身が不変なるものだと話しています。私はそ
     の言葉の音を聞き、辞書の意味を思い起こしますが、不変の存在を
     体験したことはないのです。どうすれば私は障壁を打ち破り、不変
     として在ることの意味を個人的に、親密に知ることができるのでし
     ょうか?
 マハラジ
 言葉そのものが橋なのだ。
 それを覚えておきなさい。
 それについて考えなさい。
 それを探索しなさい。
 それとともに在りなさい。
 それをあらゆる方向から見てみなさい。
 誠実な忍耐とともにそのなかに飛び込みなさい。
 すべての遅れや失望に耐えなさい。
 突然、マインドが言葉から離れ、言葉を超えた実在に向かって振り返るまで。
 それは名前だけ知っている人を探しだすようなものだ。
 あなたの探求が、あなたに彼との出会いをもたらす日がやってくる。
 そして名前は実在のものとなるのだ。
 言葉には価値がある。
 なぜなら言葉とその意味との間にはきずながあり、もしたゆみなく調べれば、
 人は概念を超え、その根本にある体験のなかへと入っていくからだ。
 実際には、そのように言葉を超えていこうと繰り返し試みることが、瞑想と
 呼ばれるものなのだ。
 サーダナ(修練)とは言語から非言語へと超えていく執拗な試みにほかなら
 ない。
 その仕事は絶望的に見える。
 突然、すべてが明らかで、シンプルで、素晴らしく、たやすいものとなるま
 で。
 だが、現在の生き方に関心があるかぎり、あなたは未知へと飛び込む最後の
 機会を前にしておじけづいてしまうだろう。
 質問者 なぜ未知なるものが私に興味を起こさせるというのでしょうか? 
     未知が何の役に立つというのでしょうか?
 マハラジ
 まったく何の役にも立ちはしない。
 だが、何があなたを既知の狭い領域のなかに閉じ込めているのかを知ること
 は価値あることだ。
 あなたを未知へと連れだすのは、完全で正確な既知の知識なのだ。
 それを有用や有益といった条件で考えることはできない。
 静かで冷静に在り、すべての利己的な領域を超え、すべての自己中心的な考
 えを超えることは、解放のための避けることのできない条件だ。
 あなたはそれを死と呼ぶかもしれない。

 私にとって、それはもっとも意味深く、強烈な生き方だ。
 なぜなら、私はその完全性と全体性において生命とひとつだからだ。
 強烈さ、意味深さ、そして調和。
 これ以上何を求めるというのだろうか?
 質問者 もちろん、それ以上何ひとつ必要ありません。しかし、あなたは可
     知なるものについて語っています。
 マハラジ
 不可知なるものについて語ることができるのは、沈黙だけだ。
 マインドは知っていることについてしか語れないのだ。
 もしあなたがたゆまず可知なるものを調べるなら、それは消え去り、不可知
 なるもののみが残る。
 だが、想像と興味のかすかなゆらめきが、不可知なるものを隠してしまう。
 そして既知なるものが前面に現れるのだ。
 既知なるもの、変化するものは、あなたがともに生きているものだ。
 不変なるものは、あなたにとって何の役にも立ちはしない。
 あなたが変化するものに飽き果てて、不変なるものを熱望するときだけ、マ
 インドのレベルから見たとき空や暗闇として描写できるものへと方向転換し、
 踏み込む用意ができたのだ。
 なぜならマインドは内容と多様性を求めるからだ。
 一方、実在とはマインドにとって内容物のない不変なるものなのだ。
 質問者 私にとってそれは死のように見えます。
 マハラジ
 そうだ。
 それはまたすべてに浸透し、すべてを征服した、言葉を超える強烈なものだ。
 普通の脳では、粉砕されずにそれに耐えることはできない。
 それゆえ、サーダナが絶対的に必要なのだ。
 身体の純粋さ、マインドの明晰性、非暴力、そして非利己的な人生は、知的、
 霊的な存在としての存続に欠かせないのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

707避難民のマジレスさん:2019/03/14(木) 20:52:07 ID:LC3de7YgO
>>706
『I AM THAT 私は在る』
【85 「私は在る」――すべての体験の根底】(つづき)

 質問者 実在のなかに存在はあるのでしょうか?
 マハラジ
 アイデンティティは実在だ。
 実在がアイデンティティなのだ。
 実在とは無形の集合や無言の混沌ではない。
 それは強力で、気づいていて、至福に満ちている。
 それと比べれば、あなたの人生など太陽に対するロウソクのようなものだ。
 質問者 神と師の恩寵(おんちょう)によって、あなたはすべての欲望と恐
     れを失い、不動の状態に到達しました。わたしの質問は単純です。
     どうやってあなたの状態が不動のものだと知るのでしょうか?
 マハラジ
 ただ変化するものについてだけが考えられ、語ることができるのだ。
 不変なるものは、沈黙のなかでだけ認識されることができる。
 ひとたび真我が実現されたなら、それは変化するものに深く影響を与え、し
 かもそれ自体は変化しないまま残るのだ。
 質問者 あなたが観照者だということをどうやって知るのでしょうか?
 マハラジ
 私は知らない、私は在るのだ。
 私は在る、なぜなら在るためにはすべてが観照されなければならないからだ。
 質問者 聞き伝えによっても、存在は受け入れられます。
 マハラジ
 ついにあなたは直接、観照者が必要とされる地点に来たのだ。
 観照は、もし個人的で実際的でないなら、少なくとも可能であり実行できる
 ものでなければならない。
 直接体験が最終的な証明だ。
 質問者 体験は不完全であり、誤りに導きます。
 マハラジ
 そのとおりだ。
 だが、体験の事実がではない。
 体験が何であれ、真実であろうと偽りであろうと、体験が起こったという事
 実は否定できない。
 それはそれ自体の証明なのだ。
 あなた自身を念入りに見てみなさい。
 そうすれば意識の内容が何であれ、観照することはその内容物に依存しない
 ことがわかるだろう。
 気づきはそれ自体で在り、出来事とともに変化することはない。
 出来事は快いもの、あるいは不快なものかもしれない。
 重要なもの、あるいは重要でないものかも知れないが、気づきは同じままだ。
 純粋な気づきの固有の本質である、自己意識の痕跡(こんせき)のまったく
 ない自然な自己のアイデンティティに気づきなさい。
 そしてその核心まで行くがいい。
 するとあなたはすぐに気づきがあなたの真の本性だと自覚することだろう。
 あなたが気づくことは、何ひとつあなたのものと呼ぶことはできないのだ。
 質問者 意識とその内容物はひとつであり、同じものではないでしょうか?
 マハラジ
 意識は空に浮かぶ雲のようなものだ。
 そして雨の水滴がその内容物なのだ。
 雲が見えるためには、太陽が必要だ。
 そして意識は気づきのなかで焦点を合わせられる必要があるのだ。
 質問者 気づきは意識の一形態ではないのでしょうか?
 マハラジ
 意識の内容が好き嫌いなしに見られたとき、その意識が気づきなのだ。
 だが、意識のなかに反映された気づきと、意識を超えた純粋な気づきとには
 違いがある。
 反映された気づき、「私は気づいている」という感覚は観照者だ。
 一方、純粋な気づきは実在の本質なのだ。
 水滴のなかの太陽の反映は、確かに太陽の反映だ。
 だが、太陽そのものではない。
 観照者として意識のなかに反映された気づきと、純粋な気づきとの間にはギ
 ャップがある。
 マインドはそれを超えることができないのだ。
 質問者 それはあなたの見方によるのではないでしょうか? マインドは違
     いがあると言い、ハートはないと言うのです。
 マハラジ
 もちろん、そこに違いはない。
 実在は非実在のなかに実在を見るのだ。
 非実在をつくり出すのはマインドであり、偽りを偽りとして見るのもマイン
 ドなのだ。
 質問者 偽りを偽りとして見た後に、実在の体験が続くことは理解していま
     す。
 マハラジ
 実在の体験というようなものはない。
 実在は体験を超えているのだ。
 すべての体験はマインドのなかにある。
 実在として在ることで、あなたは実在を知るのだ。
 質問者 もし実在がマインドも言葉も
超えているのなら、なぜそれほどそれ
     について語るのでしょうか?
 マハラジ
 もちろん、その喜びのためだ。
 実在とは至高の至福だ。
 それについて語ることさえ幸福なのだ。
 質問者 あなたは揺らぐことのない至福について語っていますが、それにつ
     いて語るとき、何をあなたは想っているのでしょうか?
 マハラジ
 私のマインドのなかには何もない。
 あなたが言葉を聞くように、私もそれらを聞くのだ。
 すべてを起こらせる力が、それをも起こらせるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

708鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/14(木) 22:34:31 ID:1d4drIFg0
>>705 そうじゃ、どんどん苦を超えていくが善いのじゃ。
 
時間による変化さえも記憶による観念から起こるものじゃ。
その観念を超えれば全ては不動と知れるのじゃ。
観念が無ければ変化するものも無いのじゃ。
全ては永遠にあるがままに在るのみなのじゃ。

709避難民のマジレスさん:2019/03/14(木) 23:04:04 ID:LC3de7YgO
>>707
『I AM THAT 私は在る』
【85 「私は在る」――すべての体験の根底】(つづき)

 質問者 しかし、話しているのは、私ではなくあなたです。
 マハラジ
 それはあなたにとってそう見えるのだ。
 私が見るには、二つの「身体―精神」が象徴的な雑音を交換しているだけだ。
 実際には、何も起こっていない。
 質問者 どうか聞いてください。私はあなたのもとへ来たのです。なぜなら、
     私は困っているからです。私は理解することのできない世界のなか
     の迷える魂なのです。私は、成長し、子供をつくり、そして死ぬよ
     うに私に求める母なる自然を恐れています。私がこれらすべての意
     味や目的について尋ねても、彼女は答えないのです。私はあなたの
     もとへ来ました。なぜなら、あなたは親切で賢明だと聞いてきたか
     らです。あなたは変化するものは偽りで一時的なものだと言い、そ
     れは私にも理解できます。しかし、あなたが不変なるものについて
     語ると、迷ってしまうのです。「これではない、あれでもない。知
     識を超えた無益なもの」――では、いったいなぜそれについて話す
     のでしょう? それは存在するのでしょうか、それともただの概念
     なのでしょうか、変化するものに対する、ただの反対の言葉なので
     しょうか?
 マハラジ
 それは在る。
 それのみが在るのだ。
 だが、砂漠のなかで喉の渇きで死にそうな夢を見ているあなたにとって、ベ
 ッド脇の水が何の役にも立たないように、現在のあなたの状態では、それが
 役に立つことはないだろう。
 夢が何であれ、私はあなたを夢から覚まそうとしているのだ。
 質問者 どうか私が夢を見ていて、すぐにも目覚めるなどと言わないでくだ
     さい。もしそうであるなら、そうあってほしいところです。しかし、
     私は目覚めていて、苦痛のなかにいるのです。あなたは苦痛のない
     状態について話します。しかし、現在の私の状態ではそれを得るこ
     とはできないとあなたは付け加えるのです。これでは当惑するばか
     りです。
 マハラジ
 とまどってはいけない。
 私はただ、不変なるものと至福に満ちたものを見いだすには、変化するもの
 と苦痛に満ちたものへのあなたの執着を放棄しなければならないと言ってい
 るだけだ。
 あなたは、あなた自身の幸福に関心がある。
 そして私は、そんなものはないと言っているのだ。
 幸福はけっしてあなた自身のものではない。
 それは「私」がないときにあるのだ。
 私はそれがあなたの手に届かないところにあると言っているのではない。
 あなたはただ、あなた自身の彼方に手を差しださなければならないのだ。
 そうすればそれを見いだすだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

710鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/15(金) 22:23:16 ID:1d4drIFg0
不変なものについての知識はある意味不要なものじゃ。
どれほどその知識を多く集めてもそれに達していない者には理解できないからのう。
ただそれを達成する道を説くことが出来るだけなのじゃ。
全ての者は知識によらず自ら達成するしかないのじゃ。

711避難民のマジレスさん:2019/03/15(金) 22:39:33 ID:LC3de7YgO
>>709
『I AM THAT 私は在る』
【85 「私は在る」――すべての体験の根底】(つづき)

 質問者 もし私が私自身を超えていかなければならないのなら、なぜはじめ
     から「私は在る」という観念を得たのでしょうか?
 マハラジ
 マインドは円を描くために、中心を必要とする。
 円は大きく成長していくだろう。
 そして大きくなるたびに「私は在る」には変化があるだろう。
 自分自身を制御するヨーギは螺旋(らせん)を描いていく。
 しかしいかに螺旋が広大でも中心は動かない。
 この企て全体が偽りとして見られ、放棄される日がやがてやってくる。
 中心点は消え、宇宙が中心となるのだ。
 質問者 そうなのかもしれません。しかし、私は今、どうすればいいのでし
     ょうか?
 マハラジ
 たゆみなくあなたの変化しつづける人生を見守りなさい。
 あなたの行為を超えた動機のなかを、深く綿密に探っていきなさい。
 そうすればあなたは、じきにあなたを閉じこめていた泡を突き刺すことだろ
 う。
 ヒヨコは成長のために殻(から)を必要とする。
 だが殻が破られなければならない日が来る。
 もしそうでなければ苦しみと死がやってくるだろう。
 質問者 つまり、もしヨーガに没頭をしなければ、私は消滅するように運命
     づけられているということでしょうか?
 マハラジ
 あなたを救いにグルが現れるだろう。
 それまでは、あなたの人生の流れを見守ることで満足しなさい。
 もしあなたの注意深さが深く、揺るぎなく、つねに源に向いているなら、そ
 れは徐々に上昇し、突然それが源となるのだ。
 マインドではなく、気づきに仕事をまかせなさい。
 マインドはこの仕事に適した道具ではないのだ。
 永遠は永遠によってのみ到達できる。
 あなたの身体とマインドはともに時間に支配されている。
 ただ気づきだけが時間を超えている。
 それは今でさえ超えているのだ。
 気づきのなかで、あなたは事実に直面する。
 実在は事実を好むのだ。
 質問者 あなたはグルや神ではなく、完全に私の気づきが仕事を引き受ける
     と期待しているのですか?
 マハラジ
 神はあなたに身体とマインドを与え、それらの使い道を示したのだ。
 だが、源へと帰り着くのはあなたの仕事だ。
 質問者 神が私を創造したのです。彼が私の面倒を見てくれるでしょう。
 マハラジ
 そこには無数の神々が、それぞれ彼らの宇宙のなかにいる。
 彼らは永遠に創造し、再創造している。
 あなたは彼らが救いの手を差しのべるのを待っているのかね?
 解放に必要なことは、すでにあなたの手の届くところにあるのだ。
 それを使いなさい。
 あなたの知っていることを、その果てまで調べるがいい。
 そうすれば、あなたは存在の未知の層に達するだろう。
 さらに進んでいきなさい。
 すると、あなたのなかで予期せぬ爆発が起こる。
 そしてすべてを粉砕し尽くすだろう。
 質問者 それは死を意味するのでしょうか?
 マハラジ
 それは、ついに生を意味するのだ。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

712鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2019/03/16(土) 22:27:40 ID:1d4drIFg0
解放に必要なことは既にあなたの手の届くところにあるとマハラジは言うのじゃ。
それは全ての者にあるものじゃ。
死の寸前でもあり続けるじゃろう。
僅かな時間に意識を集中し自分とは何かを追求し続ければ善いのじゃ。
それが出来れば悟りもやってくるのじゃ。

713避難民のマジレスさん:2019/03/17(日) 00:27:11 ID:LC3de7YgO
>>711
『I AM THAT 私は在る』
【86 未知なるものは実在の住処だ】

 質問者 グル(師)とは誰でしょうか、そして至高のグルとは誰でしょうか?
 マハラジ
 あなたの意識のなかで起こることすべてがあなたのグルなのだ。
 そしてその意識を超えた純粋な覚醒が至高のグルだ。
 質問者 私のグルはシュリー・ババジです。彼についてどう思われますか?
 マハラジ
 何という質問だろうか!
 ボンベイの空間がプーナの空間についてどう思うかと尋ねられたようなもの
 だ。
 名前は異なっても空間は異ならない。
 「ババジ」という言葉は単なる住所にすぎない。
 誰がこの住所に住んでいるのかね?
 困難があるときにだけ、あなたは質問をする。
 誰が誰に困難を与えたのかを調べなさい。
 質問者 誰もが真我を実現することを余儀なくされています。それは義務な
     のでしょうか、それとも運命なのでしょうか?
 マハラジ
 真我の実現とは、あなたが個人ではないという事実なのだ。
 それゆえ真我の実現は、消え去る運命にある個人の義務ではありえない。
 運命とは自分を個人だと想像する人の義務なのだ。
 その人とは誰なのかを見いだしなさい。
 そうすれば想像された個人は消え去るだろう。
 自由とは何かからの自由だ。
 あなたは何から自由になるというのだろう?
 明らかに、あなたは自分自身だと思いこんでいる個人から自由にならなけれ
 ばならないのだ。
 なぜなら、あなたが自分自身に関してもっている観念、それがあなたを束縛
 しているからだ。
 質問者 どのようにして個人は取り除かれるのでしょうか?
 マハラジ
 決意によってだ。
 それは取り除かなければならないものだということを理解しなさい。
 そしてそれが去ることを願いなさい――もしあなたが真剣ならば、それは去
 るだろう。
 誰でもいいが、誰かがあなたに、あなたは「身体―精神」ではなく、純粋な
 意識だと告げるだろう。
 それを可能性として受け入れなさい。
 そして真剣に調べてみなさい。
 あなたは、空間と時間に拘束された個人ではないと発見するかもしれない。
 それがどれほどの違いをもたらすことか、考えてみるがいい!
 質問者 もし私が個人でないならば、私とは何なのでしょうか?
 マハラジ
 濡れた布は、濡れているかぎり、見た目も感じも、匂いも異なって見える。
 乾けば、それはふたたび普通の布だ。
 水が布から去れば、誰にそれが濡れていたと立証できるだろうか?
 あなたの真の本性は、あなたの外見とは異なるのだ。
 個人として在るという考えを放棄しなさい。
 ただそれだけだ。
 すでにあなたで在るものになる必要はないのだ。
 本来のあなたとしてのアイデンティティがあり、その上に個人が重ねられて
 いるのだ。
 あなたが知っているのは個人だけだ。
 個人ではないアイデンティティをあなたは知らない。
 なぜならあなたはけっして疑ったことがなく、「私は誰か?」という決定的
 な疑問を自分に問いかけたことがなかったからだ。
 アイデンティティとは個人を観照する者だ。
 そしてサーダナ(修練)とは表面的で変化し続ける個人から、普遍で常在の
 観照者に視点を移行させることにあるのだ。
 質問者 どうして「私は誰か?」という質問は、私を引きつけないのでしょ
     うか? 私は聖者とともに快い時を過ごすことのほうを好むのです。
 マハラジ
 あなた自身の存在のなかにとどまることもまた、聖なるものとの交際なのだ。
 もしあなたが苦しみと苦しみからの解放の問題をもっていなければ、真我の
 探求に必要なエネルギーと持続力をもてないだろう。
 あなたに危機をつくり出すことはできない。
 それは真正なものでなければならないのだ。
 質問者 真正な危機とはどのようにして起こるのでしょうか?
 マハラジ
 それはつねに起こっている。
 だが、あなたは充分に気づいていないのだ。
 隣人の顔の影、計り知れない、至るところに浸透している存在の悲しみは、
 あなたの人生における普遍の要因なのだ。
 あなたは苦しみ、また他者の苦しむのを見ている。
 だが、あなたが反応しないだけなのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

714避難民のマジレスさん:2019/03/17(日) 10:52:45 ID:LC3de7YgO
>>713
『I AM THAT 私は在る』
【86 未知なるものは実在の住処だ】(つづき)

 質問者 あなたの言われることは本当です。しかし、私に何ができるという
     のでしょう? それが実情なのです。私の無力さと愚鈍さはその一
     部でもあるのです。
 マハラジ
 よく言った。
 あなた自身を落ち着いて見てみなさい。
 それで充分だ。
 あなたを閉じこめている扉はまた、あなたを解き放つ扉でもあるのだ。
 「私は在る」が扉だ。
 それが開くまで、そこにとどまりなさい。
 実際のところ、それは開いている。
 ただ、あなたがそこにいないだけなのだ。
 あなたは、実際には存在せず、けっして開くことのない描かれた扉の前で待
 っているのだ。
 質問者 私たちの多くはある時点で、ある程度の麻薬を摂っていました。人
     びとは意識の高次のレベルへと突破するために麻薬を摂るのだと言
     っていました。ほかの者たちは、同じ目的でふんだんなセックスを
     するよう勧めました。これらの問題に関するあなたの意見をうかが
     えますか? 
 マハラジ
 麻薬が脳とマインドに影響を与え、そして約束されたあらゆる類(たぐい)
 の奇妙な体験をあなたに与えることは疑いのないことだ。
 だが、悲しみと恐れのなかに生まれ、来ることも続くこともない幸福の探求
 を生きるという、このもっとも尋常でない体験を与える麻薬に比べれば、そ
 れらすべての麻薬が何だというのだろう?
 この麻薬の本質について調べ、その解毒剤を発見すべきだ。
 誕生、人生、死――これらはひとつのものだ。
 何がこれらの原因なのかを発見しなさい。
 あなたは生まれる前に、すでに麻薬を飲まされていたのだ。
 それは何の類の麻薬だったのだろうか?
 あなたはすべての病気を治療するかもしれない。
 だが、もしあなたがいまだにこの根元的な麻薬の影響下にあるなら、表面上
 の治療が何の役に立つだろう?
 質問者 再誕生の原因はカルマではないのでしょうか?
 マハラジ
 あなたは名前を変えるかもしれない。
 だが、事実は残るのだ。
 あなたがカルマ、あるいは運命と呼ぶ麻薬は何なのだろうか?
 それがあなたではないものを、あなただと信じさせたのだ。
 それは何なのか?
 そしてあなたはそれから自由になれるのだろうか?
 先へと進む前に、あなたは外見上のあなたではないということ、あなたが麻
 薬の影響下にあるということを、少なくとも役に立つ説として受け入れなけ
 ればならない。
 そのときにだけ、症状を調べ、それらの共通の原因を探しだす衝動と忍耐力
 もつことだろう。
 グルがあなたに言えることは、「あなたはあなた自身についてまったくの思
 い違いをしている。あなたはあなた自身だと考えている個人ではないのだ」
 ということだけなのだ。
 誰も信じてはならない。
 たとえ自分でさえも信じてはならない。
 探求し、見つけだしなさい。
 あなたが真実の生命の水と真理の岩に達するまで、すべての憶測を取り除き、
 拒絶しなさい。
 あなたがその麻薬から解放されないかぎり、宗教や科学、祈りやヨーガは何
 の役にも立たないだろう。
 それらは誤解をもとにしているため、麻薬の影響を強めるだけなのだ。
 だがもしあなたは身体でも、マインドでも、それらの観照者でもなく、まっ
 たくすべてを超えたものだという観念とともにとどまるならば、あなたのマ
 インドは明晰性のなかで、欲望は純粋性のなかで、行為は慈愛のなかで成長
 するだろう。
 そして内なる蒸留作用が、あなたを真実と恐れのない愛の別の世界へと連れ
 ていくことだろう。
 あなたの古い感情と思考の習慣に抵抗しなさい。
 自分自身に言いつづけなさい。
 「いいや、違う。そうはありえない。私はこんなものではない。それは私に
 必要ない。私はそれを欲しくない」と。
 そうすれば、過ちと絶望の構造全体が崩壊し、新しい人生のための基礎が開
 放される日が必ずやってくる。
 結局、あなたが没頭しながらしていることは目覚めの時間と、一部分、夢の
 時間のなかにあるだけだ。
 眠りのなかですべては脇にのけられ、忘れ去られているのだ。
 それはいかにあなたの目覚めの時間が重要なものではないかを示している。
 単に横になって、目を閉じることがそれを終わらせてしまうのだ。
 毎回、目覚めるという確証のまったくないまま、あなたは眠りにつく。
 しかしそれでも、あなたはその危険を受け入れいるのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)


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