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日本茶掲示板同窓会

1匿名:2014/07/28(月) 04:40:24
告知失礼します
スレ立てしました
2chなので匿名で良いと思うので(もちろんHN付きでも可)来て下さい


日本茶掲示板同窓会
http://anago.2ch.net/test/read.cgi/kova/1405456563/

2新八:2014/07/28(月) 20:33:26
覗いてみたが、とても参加できるような雰囲気じゃないね。
どういう意図があるか知らないが、あれじゃ誰も来ないよ。

3キラーカーン:2014/08/02(土) 23:33:39
確かに日本茶同窓会というよりも小林よしのり論といった趣

4Emmanuel Chanel !ninja ◆YgrwY/6wqs:2014/08/10(日) 22:54:24
小林よしのり論をディープにやられても、ここにいる旧日本茶系の興味から離れています
しねえ…私も入り込みにくいです。まあ、期待されていないかも知れませんし、言及されて
いないので、そのままの方がいい感じでもありますけど。

5キラーカーン:2014/08/29(金) 23:09:51
結局、小林よしのり論がひと段落すると誰も書き込まなくなった

6キラーカーン:2017/02/12(日) 00:06:13
「歴史認識論争」に端を発する2002年以前のネット上のウヨサヨ論争については、書籍はおろか、ネット上においても言及されることが少ないため、当時の記憶が残っているうちに、「回顧録」的にまとめている原稿の草稿を「チラシの裏」ではありませんが、掲示板のコメントとしてネット上に残しておきます(これで、理論上は「全世界に公開」となります)
まだ、草稿の全体像は書き上げてはいませんが、せめて、2002年までの回顧録は何とかアップできると思います


1. はじめに
 昨今、「ネトウヨ」という語が人口に膾炙している。「ネトウヨ」とは「ネット右翼」の略称或いは別称(蔑称)というのが一般的な解釈であるが、その「ネトウヨ」の指す内容について必ずしも統一性が無いように思われる。極端な例を挙げれば、神原元弁護士が「極左ネトウヨ」 という「右翼」と「左翼」が同居している統語法上「あり得ない」(文法上は間違いではないが、文として意味をなさない用法。ネットスラングでいえば「一行で矛盾している」)用法を駆使した例がある。
 本稿では、このような背景をもつ「ネトウヨ」という語が生じた背景を探り、
①  「ネット右翼」という言葉がかつて存在していたが、現在使われている「ネトウヨ」はその「ネット右翼」の単純な略称ではなく、かつて使われていた「嫌韓厨」の後継用語としての色彩が強いこと。
②  上記①の理由として、「ネット右翼」と「嫌韓厨」は同一ではないが、その存在は近接或いは一部重複しており相互に影響を及ぼす関係にあった事が挙げられる。そのため、両者の総称として、「ネット右翼」やそれに類する言葉が使われた時期もあった。
③  発生論的には「ネット右翼」と「嫌韓厨」は所謂「歴史認識(論争)」を媒介とする近縁種であるとは言えるが、同一ではない。
④  「ネット右翼」と「嫌韓厨」両者の関係が決定的に変化する契機となったのが、日韓サッカーW杯及び小泉首相の北朝鮮訪問と一部拉致被害者の帰国という事象が生起した)2002年であった。
 これらの事象を契機として、リアル、ネットを問わず、反朝鮮半島的言説に対する「タブー」が崩壊し「ネット右翼」と「嫌韓厨」との力関係が決定的に変化し、「ネット右翼」が「嫌韓厨」に事実上吸収された。そのため、「ネット右翼」と「嫌韓厨」の総称が「ネトウヨ」という語で語られるようになった。
⑤ 「ネット右翼」が「嫌韓厨」に吸収された主な理由として、
A)2002年以後、韓国を中心とする周辺諸国の「反日姿勢」が我が国でも報じられるようになり、それらの国々の「反日」に対抗する理論的根拠として、従来からの「ネット右翼」が用いてきた言説が流用された。この結果、「ネット右翼」より「嫌韓厨」の方が目立つようになったため
B)歴史認識論争の主戦場であった「慰安婦問題」の事実問題について「強制連行否定派」の勝利で事実上決着がついたこと、及び、もう一つの主戦場であった「南京大虐殺」問題でも、事実上「大虐殺説」が崩壊したという一応の目的を達成したことから、歴史認識論争を主とする「ネット右翼」が可視化されにくくなった。
 しかし、南北朝鮮の「反日」的傾向は依然として継続しており、その「反日」の根拠として「歴史」を理由としているため、「歴史認識論争」が南北朝鮮発の「反日」への防御・反撃という性格へ変化したこと
⑥ 「ネット右翼」ではなく「ネトウヨ」と表記され、人口に膾炙したのは、語呂が良いこと(日本語でよくみられる四音節の短縮形)及び「サヨク」に対する意趣返しという意味がある。
ということを明らかにする。
 そして、この両者が可視化されるきっかけとして、①「インターネットの普及」、②「戦後の終わり」(あるいは「短い二十世紀の終わり」)、というものがあったということも併せて明らかにする。
なお、本稿は「通史」的な小論であるが、筆者は、西暦2000年前後にNC4の掲示板に出入りしていたことがあるので、知見に偏りがある事はご容赦願いたい。また、当時の掲示板・ホームページ等で現在では閉鎖されて閲覧可能であるものは少なく、また、閲覧可能であったとしても、当時の書き込み等は消去されている場合もあるため、現時点で確認をとることが困難であり、記憶に頼るところが極めて大きい 。このため、本稿は「回顧録」的なものとして読んで頂ければ幸いである。

7キラーカーン:2017/02/12(日) 00:08:09

2. ネトウヨ前史(「論壇右翼」の時代:昭和時代=冷戦終結前)
 「1 はじめに」で述べたように、「ネトウヨ」という語が「ネット右翼」を基にして作られたということについては異論が見られない。つまり、本来、ネトウヨとは「(インター)ネット上で右翼的な言説を開陳する人々」という意味であった。そのことは、その右翼的な言説はインターネットが普及する前から存在していることを意味する。
 では、その「右翼的」な言説とは何かということになる。これについては、ある程度明確な基準線がある。それは、林房雄氏の「大東亜戦争肯定論」に代表される「東京裁判史観」の否定であり、次のような言説をとる傾向がある。
① 「太平洋戦争」とはいわず「大東亜戦争」という語を使用する
② 日本は欧米とは「対等」の戦争を行った(我が国だけが「侵略国」と言われる筋合いはない)
③ 第二次大戦は欧米支配から植民地解放戦争である(アジア主義)
④ 反米自主防衛論者
このような、先の「侵略か自衛か」をはじめとする我が国が戦った先の大戦の性質については、戦後、総合雑誌等の論壇において議論されてきている戦後論壇における「定番」の論題でもある。ただし、戦後復興・高度成長、及び日米安保体制の中、この議論が一般社会・生活に影響を及ぼすことは殆ど無く、わずかに教科書検定を巡る問題として間欠的に噴出する程度であった 。
 この時代は、当然ながらインターネットというものは存在しておらず、このような立場に立つ論者は、単に「保守派」、「右派」、「右翼」と呼ばれ、「ネット右翼」とは言われていない。しかし、この時代の議論を基礎として「ネット右翼」あるいは「ネトウヨ」と呼ばれる層の議論が形作られることとなるので、その意味において、その立場に立ってネット上で議論或いは自説を開陳する者が「右翼」或いは「右」という色彩を帯びるのは仕方の無いことであった。

8キラーカーン:2017/02/12(日) 00:12:11
3. 「ネット右翼」(ネトウヨではない)の時代(1990〜2002年)
3.1. 概論
インターネットは普及する前(当時は「パソコン通信」といっていた)から、我が国にはnifty-serveのフォーラムに代表される、ネット環境で行う議論空間というものが存在していた。しかし、筆者はこの時代にはネット上で政治的な議論をしたことが無いため、この時代の「ネット右翼」のことについては全く以て知見がない。但し、出入りしていたnifty-serveのフォーラムの参加者から、それらしいイベントの誘いを一度だけ受けたことがあるだけである(しかし、そのフォーラムは、そのような歴史認識論争とは無関係な議論を行うフォーラムであった)。現在でも、ネットでの書き込みを見ると、偶に、この時代の「思い出話」に出会わせることもある。
その後、WINDOWS95をはじめとするパソコンのOSが正式にインターネット接続をサポートし始めた1990年代半ばからインターネットが一般に普及した 。これを契機に、インターネットの「掲示板」で議論を行われ始めた。
当然のことながら、「ネット右翼」という語が使われ出すのはインターネットが普及し始めた1990年代半ば以後のことである。パソコン通信時代の「フォーラム」あるいは「会議室(BBS)」は限られた参加者(会員)で行う議論であったが、インターネット上では「誰でも」参加が可能な「開かれた」議論の場である。このことから、これまで「論壇」という限られた空間・参加者で行われてきた議論が一般大衆も行う基盤が整った。
当初、左派の側も、冷戦終結とソ連崩壊による左派の低迷からの盛り返しの起爆剤としてインターネットは市民勢力の結集に活用できるとして、インターネットの普及を自派の勢力拡大の好機であると肯定的に捉えていた。しかし、冷戦終結・ソ連崩壊から四半世紀が経過した結果、少なくとも我が国おいて、インターネットは、左派の勢力伸長ではなく、それまでの左派・マスコミの「欺瞞」を白日の下に晒し、左派(リベラル)離れを加速させたというのが中立的な評価であろう 。
更に言うなら、戦後の55年体制においても、国政選挙における実質的勝敗ラインは「与党が三分の二の議席を占めるか否か」であった。つまり、55年体制下であっても保守の側が圧倒的優勢であり、それがインターネットで可視化されたに過ぎないといえるのかもしれない。つまり、「ネット右翼」或いは「ネトウヨ」というのは、ネットが生み出した者ではなく、ネットが可視化させたものであるともいえる。

9キラーカーン:2017/02/12(日) 00:14:47
3.2. なぜ、1990年代以降「歴史認識論争」は燎原の火のようにに盛り上がったのか
 「歴史認識論争」が生起しても、それだけでは、市井の人々が左右入り乱れて議論を行うことを意味しない。現に、「論壇右翼」の時代において行われた、『大東亜戦争肯定論』を巡る議論に代表されるような歴史認識論争は知識人のものであり、市井の人々のものではなかった。
 では、なぜ、この時代に「ネット右翼」(当時は「J右翼」という言い方もあった)が可視化されたのか。その理由はインターネットの普及によって「何時でも、何処でも、誰とでも」議論を行うことができる基盤が整備されたことだけが理由ではない。そのような議論が沸き起こるだけの時代背景もあり、また、歴史認識論争自体に市井の人々を巻き込む種が仕込まれていたのである。
3.2.1. 「歴史認識論争」は現在の市井の日本人を「(悪の)当事者」として巻き込んだ。
「歴史認識論争」は歴史を対象にした論争であるが、歴史というものは、その社会集団(に生きる人々)のアイデンティティーの基盤を構成するものである。特に先の大戦を巡る、「歴史認識論争」では歴史だけではなく、その時代に生きた個人(それは、現代に生きる我々の祖父母や曽祖父母である)も日本の犯罪への加担者として糾弾していった。その個人は、現在に生きる市井の日本人にとっては、その「悪逆非道な日本人」は「子供のころに優しくしてもらったお祖父ちゃん」のような形で、「実体として」記憶されている。自分の知っているお祖父ちゃんはそんな『悪逆非道』ではないし 、さらに、「『悪逆非道』なお祖父ちゃん」が存在しなければ自分自身も生まれてこなかったことも厳然たる生物学的事実である。これらのことが重なり、歴史認識論争を「当事者」として引き受ける人々が多くなった 。
そのことは、歴史認識論争において、慰安婦問題などで日本の責任を追及する立場の歴史認識を「自虐史観」と評したことにも表れている。そのような「当事者性」を認識した(本来なら、そのような「論争」とは無縁の市井の人々として暮らしていたであろう)多くの「サイレント・マジョリティ」であった市井の日本人が所謂「ネット右翼」として、インターネット普及の波に乗って歴史認識論争に参入してきたというのが実態であろう。
その逆に、日本の責任を追及する立場の日本人は自らの歴史に対する「当事者性」を引き受けられず、「私(達)は罪を認め・懺悔して悪の日本人から『解脱』した」と認識し、あたかも非日本人という「神」の視点から、日本人の「ネット右翼」を裁くような言動を歴史認識論争において行っていた 。

10キラーカーン:2017/02/12(日) 00:17:12
3.2.2. 時代背景
3.2.2.1. 冷戦の終結
 1989年にベルリンの壁が崩壊し、翌90年にソ連が崩壊した。このことにより、社会主義或いは共産主義の魅力が無くなり、従来の左派はイデオロギー的再編を迫られた。この事態に直面した我が国の左翼或いは進歩派(所謂「左派」)といわれる勢力が選択したのが、明治憲法下の「軍国日本」という「過去の歴史」であった。これは、所謂「東京裁判史観」と大筋で合致するため、他国とも連携をとりやすいという利点があった。しかし、その反作用として「ネット右翼」と「嫌韓厨」とを結びつける媒介項となった。
3.2.2.2. 昭和天皇の崩御
 昭和天皇の崩御もほぼ同時期であった(1889年1月)。「聖断」に代表されるように、昭和時代は、昭和天皇自身が先の大戦における最大の当事者(の一人)であるため、昭和史について語ることについて、幾ばくか憚られるものがあった。昭和天皇の崩御はその憚りを消滅させ、「昭和史」(特に戦前昭和史)に関する議論が「完全解禁」となった。

3.2.2.3. 戦前・戦中世代の引退
 昭和60年代になると、先の大戦の「真の」体験者が日本社会から退場する事となる。ここで言う「真の体験者」とは、何らかの形で戦時体制に組み込まれた者としての「戦争を知っている」世代、言い換えれば、先の大戦終結前に成人を迎えた者、即ち、昭和20年までに成人した者を指す。これらの者は事実上、明治・大正生まれであり、昭和60年までには60歳の定年を迎えた。
「真の体験者」を少し広くとって、終戦までに義務教育を修了した者(つまり、「社会人」になることが可能な年代)と捉えても、昭和20年までに義務教育(小学校・国民学校)を修了する昭和7〜8年生まれ辺りが下限となる。彼らも平成の初めには60歳の定年を迎える。つまり、20世紀末には「戦争を知っている」世代が引退し、戦争体験が「風化」することを意味した。このことは、職場等の「知り合い」に戦争体験者がいなくなった事を意味する
この結果、「戦争体験」を聞くには、「田舎の祖父母」の下へわざわざ出向かなければいけないことを意味するようになった。したがって、「家庭や職場・学校で戦争体験を聞く」ということが不可能になった。このことによって若い世代が「自然」に戦争体験が耳に入ってくることに比べて難易度が格段に上昇し、自分自身から能動的に聞きに行かなければならないこととなった。

3.3. 時代の「必然」としての歴史認識論争
 先に述べたように、1990年前後に「戦後の終わり」を否応なく実感させる事象が我が国で連続して生じた。この時代背景に合致した「左派」の戦略が「戦前日本の歴史的悪行を言挙げする」(歴史認識論争を仕掛ける)と言うことであり、その象徴として担ぎ上げられたのが「慰安婦強制連行」であった。
 先に述べたように、冷戦の終結とそれに続くソ連の崩壊により、左派は、自身の生存のため、社会主義に変わる「錦の御旗」を必要とした。また、冷戦の終結は「資本主義の未来」としての社会主義或いは共産主義の未来を否定したこととなるため、その「錦の御旗」は、勢い過去に向かうこととなった。これまでの先の大戦に関する論争の歴史もあり、左派が「軍国日本の悪」に「錦の御旗」を求めるのは合理的な選択であった。
 この「錦の御旗」を巡る論争が「歴史認識論争」として冷戦終結後定着することとなった。そして、その「悪辣・残虐性」を際立たせるために必要だったのが「無辜の民に対して暴虐の限りを尽くす日本軍」という構図であった。その構図に合致するために選ばれたのは、それまでにも話題となってきた「南京大虐殺」と1990年代に問題化 した「従軍慰安婦の『強制連行』」であった。
特に従軍慰安婦問題については問題化した時期、主張者及び時代背景から見てもソ連崩壊後によりその魅力を大幅に減じた社会主義理論に変わる結集軸としての「左派の錦の御旗」とされたとするのが妥当な推論であろう。秦郁彦氏も断定はしていないが、「印象論」として同趣旨の事を著書で述べている 。
 こうして、「歴史認識論争」は冷戦の崩壊及びソ連の崩壊により、自身の存在意義そのものが問われかねない状況に陥った左派が自身の生き残りを懸けた戦いとして幕を開けた。

11キラーカーン:2017/02/12(日) 23:42:35
3.4. 左派側の先制攻撃と「自虐史観」及び「サヨク」化への道
3.4.1. 事実認定の甘さから「自虐史観」へ
 前節で述べたような背景で発生した歴史認識論争であるため、同論争は左派側から仕掛け、右派側がそれを防御(否定)するという構図で始まった。
左派側の目的としては、日本軍が悪ければ悪いほど都合がよい。このため、左派は「日本軍の悪行」が事実以上に誇張するという傾向があり、右派はその誇張を「嘘」或いは「捏造」として反撃するのが定番の構図であった。
従軍慰安婦の「強制連行」については、強制連行説の破綻が比較的早期に明らかになり、「広義の強制」や「売春そのものが問題」というように論点が移動していったが、朝日新聞がその「誤報」を取り消すまで25年を要している。
南京事件についてもその事実認定が困難であり、また、論者によって「被虐殺者」の定義が異なる。そして、日本軍の悪を強調したい左派は犠牲者を多く「盛る」誘因が存在するので、可能な限り「被虐殺者」の定義 を拡大し、被害者を「水増し」する傾向ある。この結果、南京事件の被害者を主な基準として、論者が「まぼろし派」、「中間派」、「小中虐殺派」、「大虐殺派」というように分類されるのが通例となっている。
「南京大虐殺」については、現在明らかになっている以上の「事実認定」が事実上不可能である 現状から、「まぼろし派」〜「大虐殺派」の各立場の溝は埋まらないと見られるが、中国の公式見解である「犠牲者30万人」については「水増し」という点で事実上コンセンサスは得られている。

3.4.2. 他国との連携、特に「戦勝国史観」並びに南北朝鮮及び中国の「反日」の利用
 「日本の過去の悪行」を効果的に宣伝するため、近隣諸国の「反日」を利用することも左派の常套手段であった。つまり、「虐殺の被害者(遺族)」、「強制連行の被害者」、「性奴隷」という境遇にある外国人を「広告塔」として使い始めた事である。韓国人慰安婦がその典型例である。
 また、そのような外国人被害者の「発掘」に並行して、左派は「国際共同戦線」を構築していった。日本は第二次大戦の敗戦国であることから、「第二次世界大戦における日本の悪行」を叩き潰した「正義の連合軍」という筋書き にすれば、中国、南北朝鮮のみならず、欧米先進諸国の支持も取り付けやすかった。その最大の成果が国連への食い込みであり、「クラワスワミ報告書」に結実する。

3.4.3. 「左翼」から「サヨク」へ
このように、「日本の悪行」を協調するための「水増し」、「誇張」、(他国による日本批判の主張への無分別な同調の結果としての)「国家意識の欠如」などが「捏造」、「自虐」と右派からの批判を受けるのは必然であったとも言える。
そして、この歴史認識論争を通じて「反転可能性テスト」及び「二重基準の禁止」という他国の「リベラル」では必須と言われるものが我が国の左派(後に彼らは「リベラル」と名乗るようになる)には決定的に欠けていた事が明らかになった 。これを揶揄して「きれいな○○」という表現が広まった 。「ネット時代」の必然としてこの「自己に都合のよい二重基準を駆使する」という左派・リベラルのご都合主義が「満天下にさらされた」ため、ネット上の議論では劣勢に立っていった。
このような経緯をたどり、日本の左翼(左派)は国際基準で言う左翼とは異なるという共通認識ができあがり、「左翼」とは異なる用語で日本の左派を形容する必要が生じ、「サヨク」という語に収斂していった 。

12キラーカーン:2017/02/12(日) 23:45:21
3.5.1. 「ネット右翼」の2大潮流
3.5.1.1. 総論
 インターネットの普及に伴い、色々な組織・団体がWEB上にホームページを開設し、そのコンテンツの一つとして広報と親善を目的に掲示板を開設する場合が少なくなかった。
 広報、交流等を目的とする掲示板という性質上、基本的には掲示板は不特定多数の者に解放されており(誰でも閲覧・書き込み可能)が、その結果として、何らかの「議論」が行われることもあった。これは、パソコン通信時代の「会議室文化」の影響を受けているのかもしれない。
そのような中で、右派的な思想傾向を持つ人々が、自然発生的に「同志」として結集し(緩い)組織化がされていった。その中での2大潮流が「NC4(系)」と「鉄扇会」であった。しかし、NC4も鉄扇会も2002年より前に、ネットにおける影響力を事実上喪失していた。このため、現在の「ネトウヨ」を語る上では直接の関係がないと見なされ、言及されない事が多い 。
 彼らは教職員組合等左派と思われる組織の掲示板に(挑発的に)右派的な書き込みを行い、当該組織構成員若しくはそのシンパと議論を吹っ掛けることも珍しくなかった。このような彼らのネット上での姿勢が「ネット右翼」として認知されるようになっていった。NC4系ではそのような掲示板下の書き込み或いは議論を「出撃」と称していた(この場合、NC4が「出撃基地(作戦室)」という含意がある)。場合によっては、外国のサイトに対して英語での議論も辞さないという事もあった。
 右派側の反論のパターンとしては、「証拠」と「論理的一貫性」を主な武器としていた。これは、井上達夫氏がリベラリズムの条件として挙げた「二重基準の禁止」及び「反転可能性」については敏感である事を意味し、その意味では、ネット右翼こそが「リベラリズム」であるとも言える。その中で、左派による「日本の悪行」の「水増し」或いは「誇張」の度が過ぎるとされていった。そして、議論に疲れた或いは劣勢になることを恐れた左派(サヨク)の掲示板開設者が掲示板を閉鎖するという例も見られた。

13キラーカーン:2017/02/12(日) 23:46:22
3.5.1.2. NC4(日本ちゃちゃちゃクラブ)系
 小林よしのり氏の愛読者が開設していた「よしりんウォッチ」が朝日新聞の記事で事実上閉鎖に追い込まれ、その後継サイトとして立ち上げたものである。NC4設立の経緯については、初代管理人の「らーめん屋次郎」氏がツイッターで次のように述べている 。

「私はこいつ(引用者注:朝日新聞の北野記者)に昔、騙されましたよ。」
「私は脱正議論をめぐって京都大学に通っている学生(中略)も取材したと聞いたので北野記者を信用していたのです」
「あの記事から『殺す』をはじめ、身辺に対する危害を示唆するメールが大量に届きました。掲示板は完全に破壊され、あまりの横暴さから複数の有志の方と『日本ちゃちゃちゃクラブ』(NC4)を立ち上げたのです。」

 NC4は「小林よしのりファンクラブ」を題目に掲げているが、小林氏自身とのつながりは全くといってよいほどない 。したがって、「公認」というレベルではなく、単なる小林氏の著作の愛読者「有志」の集まりというものである。しかし「小林よしのり」或いは氏の著作である『戦争論』を全面に掲げていたため、注目度はそれなりにあり、「2ちゃんねる」も観察スレがたてられ、また、特定の話題で盛り上がると、その話題に特化したスレが立てられたという程度にはネット内では注目されていた。また、『戦争論妄想論』でも取り上げられたのは、これまでに述べたとおりである 。
 サイト内は、気軽に書き込める「雑談のため」の掲示板と「議論のため」に設置された「未来ボード」と「歴史ボード」という2つのツリー型掲示板(通称「ボード」)があり、都合3つの掲示板があった。掲示板はイベント等の告知事項や歴史認識論争の枠にはまらない「雑談」が主であり、中には、「○○の掲示板(左翼系)で左派的な議論が行われているので、(その掲示板に乗り込んで)『論破しよう』」というような書き込みがあり、NC4に書き込みを行っている面々が当該掲示板の議論に参加することもあった(NC4から他の掲示板へ出張って書き込みを行うことから「出撃」と形容された)。そのような書き込みから掲示板でも議論が行われることもあったが、「一定期間が経過すると自動的に削除される」という掲示板の仕様上、腰を据えた議論には不向きなものが有り、ある程度議論が発展すると、それまでの書き込みをどちらかの「ボード」に転載した上で「ボード」で議論を継続するという事も少なくなかった。
 歴史ボードはその名の通り、「歴史」に関する議論であり、「歴史認識論争」の本丸的掲示板である。未来ボードは、現在の話題と将来のあるべき方向性を議論する掲示板であった。
 また、「出撃」やNC4の掲示板に書き込んでいる者で(当時においても、複数の掲示板で「常連」となっている形態は珍しくなかった)他の掲示板の議論で優位に立つために、議論の相手から提示された論点・反論について、NC4に持ち帰り掲示板で反論のための「作戦会議」を行うこともあった。掲示板の過去ログはそのような過去の議論のアーカイブという使用方法もあった。
 また、NC4の常連が個人的にサイトを運営している場合も多々あり、そのようなサイトには他のNC4の常連も掲示板に書き込んだりして、一種の「サイト群」という形態となっていった。NC4の運営者はそのようなサイトを「十二支版」 として、NC4公認友好サイト としてNC4のトップページからリンクを張っていた。
 NC4自身は、2001年頃に生じた「内戦」 により、「ネット右翼」の結集軸としての存在意義を事実上失った。
 NC4系で特筆すべき事項としては、平成における皇位継承問題において、男系維持派の根拠の一つとなっている「Y染色体論」は、NC4の有名常連が考案したものと言われている 。

14キラーカーン:2017/02/12(日) 23:48:13
3.5.1.3. 鉄扇会(「ネット右翼」の始祖的存在)
 鉄扇会(てっせんかい)は、記憶の限り、「ネット右翼」を標榜した初めての「匿名集団」 として特筆すべきものであり、現在の「ネット右翼」の始祖的存在として位置づけられる。ネット上に存在する「草の根」の保守・右派論客を糾合し、ネット上の一大勢力たらんとしたという試みは、我が国のネット言論史において特筆すべき例であると考えられる 。
 鉄扇会についての詳細は把握していないが、NC4のように「総本山」的なサイトは無かったと記憶している。ただし、当然ながら、会員の個人サイトは存在し、サイト間の相互リンクにより、会としての連携は保たれていたものと推測される。
そのような「緩やか」な連合体であっても、「会則」は存在し、当時のネット上に公開されていた記憶がある。その中で、鉄扇会員がネット上で発言する場合、「ハンドルネーム/鉄扇会」という形の名乗りで発言することとなっていた。この点からも、鉄扇会が「会(集団)」としての行動を重視していたことが窺える 。
 記憶に依れば、鉄扇会が「会」として活動していた期間はそれほど長くはない。NC4と同様に2002年までには「会」としての実質的な活動は終息し、会員は個人としての活動に転換していったものと思われる。

3.5.1.4. その他(個人サイト等)
 当時のネット右翼には、NC4及び鉄扇会双方から距離を置いて「独自の活動」を行っていたものも多い、というよりも、実数ではこのような「独立派」が最多数派だったのかもしれない。
 このような独立派のサイトは、基本的に、これまでに作成した個人論説のアーカイブ或いは、時事評論が主要コンテンツであった。このため、議論用の掲示板を設置していないサイトも少なからず存在した。掲示板が存在したとしても、議論用ではなく、閲覧者からの情報提供用窓口(或いは告知内容の補足説明用)という色彩の方が強かったと思われる。
 また、当時のサイトの常として、「リンク集」がコンテンツに存在していることが多く、そのリンク集を辿って必要な情報や知識を手に入れると言うことが定番であった(リンク集には、リンク集作成者の「独断と偏見による」評価・分類がなされていた)現在でも、当時のものを改良して維持しているサイトではその面影が残っている場合もある。

3.5.1.5. その他(議論のアーカイブとしての個人サイト等)
 インターネット上に開設されたサイトはインターネット回線さえあれば、世界のどこからでも閲覧することができるというこれまでに無い利点があった。また、同様に、インターネット上の議論も全世界に公開されていることとなる。「歴史認識論争」はそれに加えて同時多発的に発生していた。
 このような場合、あるサイト・掲示板で行われていた議論と同様の議論が他の場所で行われることも少なくない。そのような場合の「事例集」或いは「論破の手引き」として他所での議論及びそのときに使われた典拠、論理展開等をネット上の集合知として活用することが自然発生的に行われた。NC4の項でも述べたように、そのような議論のアーカイブ或いは作戦室としてインターネット上のサイト(掲示板を含む)が活用されていくようになる。そして、ネット民から高評価を得られたサイトは多くの参加者に共有されるようになった 。
 このように過去の議論及び議論の典拠がアーカイブ化されると言うことは、遅れて議論に参加した者に対する知識の普及及び「それは過去に決着がついた議論」として無駄に同じ議論を繰り返すことが避けられたという効果を持つ。とは言っても、インターネットの中の話であるので、そのような「アーカイブ」の存在を知らなければ、他所で決着がついた議論の結論を知らずに延々と議論を繰り返し時間を浪費したということもあったと推測される。

15キラーカーン:2017/02/13(月) 23:03:04
3.5.2. 小林よしのり「戦争論」の影響(「新しい教科書をつくる会」:「論壇右派」と「ネット右翼」との邂逅と相克)
3.5.2.1. 『戦争論』の衝撃
 インターネットとは関係ないが、1990年代の「ネット右翼」を語る上で無視できないのが、漫画家小林よしのり氏が書いた『戦争論』である。その影響力は、先に述べたように、「らーめん屋次郎」氏が氏の著作に影響を受け、「よしりんウォッチ」から「日本ちゃちゃちゃクラブ」というサイトを立ち上げ、20世紀末期の「ネット右翼」の牽引車となった事にも現れている。
同書は、左派論壇の「反戦平和」に真っ向から異を唱え、「公」をキーワードに「平成の『大東亜戦争肯定論』」とも言うべき内容のものであった。また、同書はその内容のみならず、このような内容の書が漫画という形式で書かれた(描かれた)という手法 も、新しい平成時代の幕開け(1990年代)としても捉えられた。
 漫画という体裁と、当時、先の大戦の概論的入門書が無かった事が相まって、『戦争論』の言説は若い世代に急速に受け入れられていった。これは、先に述べた、①冷戦の終結、②昭和天皇の崩御、③戦争を知っている世代の社会からの引退、によって生じた歴史体験の伝承の空白にはまったからと思われる 。これ以後、小林氏は『戦争論』(及び『ゴーマニズム宣言』)により、漫画家の枠を越え、評論家としての活動の論壇に活動の場を得ることとなり、評論家活動の比重を増やしていった。

3.5.2.2. 「つくる会」の設立(リアルの世界での「歴史認識論争」における右派の反攻)
 「歴史認識」が問われる場として代表的なものとして、文部省検定教科書の記述がある。インターネットが普及する前から、歴史教科書の記述は「家永教科書裁判」 或いは「侵略・進出」書き換え事案など、左右両派が激突する「戦場」でもあった。このため、従来からの(ネット右翼ではない)右派は、具体的な活動として、右派的な歴史認識を取り入れた教科書の作成・採択運動に乗り出した。その活動母体として、彼らは「新しい教科書をつくる会」(以後、「つくる会」と呼ぶ)を設立した。
 「つくる会」は1990年代初めから歴史認識論争に参加していた右派の知識人を中心として1996年に設立された。その中で、2001年の検定に合格し、採択を目指すという方針が立てられた。その時期がインターネットの普及と重なったため、ネット上の活動に飽き足らない「ネット右翼」がつくる会の運動に参加することも見られた 。しかし、つくる会幹部のインターネットに対する理解度は低く、「つくる会」が運動を進めていく中で、「ネット右翼」だった(である)人物がつくる会に参加する際にインターネット上の活動を自粛するよう「要請」があったことも参加者は明らかにしている 。
 時代的な背景もあり、つくる会の活動で旧来型の保守・右派と「ネット右翼」との協力関係が生まれたが、つくる会の活動はインターネット普及前の「旧来型の保守・右派的活動」の域を出ることが無いまま現在に至っている。しかし、当時のマスコミや論壇がインターネットの影響力を計りかねていた(或いは「過小評価」していた)当時において、「歴史認識論争」における左派に対する橋頭堡を確立し 、「ネット右翼」を取り込んだという点では大きな役割を果たしたと言えよう。
 しかし、運動団体にありがちな内部(路線)対立があり、「つくる会」も小林氏も途中で脱会する等主要メンバーの離合集散が激しく、現在では、「つくる会」自体が分裂した。「つくる会」を脱退したメンバーを中心に「教科書改善の会」を設立し、現在は両者が並立状態である。また、歴史教科書は、双方から出版されている 。

16キラーカーン:2017/02/13(月) 23:04:22
3.6. 「嫌韓厨」の発生(歴史認識論争或いは「ネット右翼」の副産物)
3.6.1. 総論
 「歴史認識論争」を仕掛けた左派は他国の視点を持ち込むことにより優位に立つことを戦術の一つとしていた。その中で、主に用いられてきたのは「植民地支配」を受けた朝鮮半島の人々であり、特に「従軍慰安婦」とされた人々であった。これは、先に述べたように、社会主義に変わる左派の「錦の御旗」として「従軍慰安婦」が持ち出された事を意味する。
このため、左派側の歴史認識は「朝鮮半島視点」となりやすく、また、「従軍慰安婦論争」の基盤として「大日本帝国の朝鮮半島支配」に対する半島側の反発が存在する以上、この歴史認識論争に参加する韓国・朝鮮人も左派の側に立つことが予想される 。このような議論であれば、在日朝鮮人の側も「在日差別」の延長線上で同論争に参加でき、従来の「運動」を継続できるという利点もあった 。
この結果、左派の側からの「歴史認識論争」の一部に「朝鮮ナショナリズム」を組み込んだことに対する右派側の反発及び意識が「反・朝鮮半島」とある程度一体化するのは仕方の無いことであった。
そのような状況の中で、朝鮮半島と聞くと条件反射的に嫌悪感を催す言動を行う者もネット上に現れた。彼らは「嫌韓厨」 と呼ばれた。そして、結論を先取りすれば、後述する「2002年の衝撃」以降、嫌韓厨が「ネット右翼」の代表的存在となり、現在では「ネトウヨ」と呼ばれることとなった。そのため、大阪大学大学院人間科学研究科辻准教授(当時)の作成した報告書『インターネットの「右傾化」現象に関する実証研究』においても「ネット右翼」の3条件の一つとして「『韓国』『中国』いずれに対しても「あまり」「まったく」親しみを感じない」としているのもその一つである 。

3.6.2. 2チャンネル「ハングル板」での議論
 匿名掲示板の代名詞的存在である「2ちゃんねる」には朝鮮半島問題を議論する「ハングル板」というものが存在している。現在では、「嫌韓」の総本山的な印象を持たれているが、西暦2000年頃まではそうでも無かったと言われている 。中には韓国に対する理解が深いという自負から「世間が嫌韓となっても最後に残る親韓サイトはハングル板」という内容の書き込みがあったと記憶している。
 このハングル板での議論で特徴的だったのは「ソース至上主義」と言われるものである。当時から、韓国に限らずネット上の書き込みには虚実ない交ぜのものが多く 、意図的なデマも存在する。また、書き込み時に注目を浴びたいとの欲求から、日本人の常識離れした「突拍子もない」事例 を書き込むことが多かった。そのため、「信頼に足るソースが無ければその書き込みは信用しない(≒デマと見なす)」という作法が確立していった。そして、韓国の「反日」が明らかになるにつれ、親韓→知韓→疑韓→嫌韓→反韓→怒韓→呆韓→笑韓→哀韓→憂韓→達韓という「進化」を辿るとまで言われていた 。

17キラーカーン:2017/02/13(月) 23:05:23
3.7. 「ネット左翼」の動向
 「歴史認識論争」が「従軍慰安婦(強制連行)」を錦の御旗にして、韓国をはじめとする「日本軍に侵略されたアジア」糾合するという戦略を立てていた以上、「ネット左翼」と在日朝鮮人のみならず、韓国本土の活動家とネット左翼が連帯する事は同然の成り行きであった。その過程で欧米の「リベラル」の持つ「戦勝国史観」 をも糾合することに成功した。このため、従軍慰安婦が日本の「悪の象徴」であり、それを叩く連合国は「正義」であるという言説は世界に広まっていった。
旧来の論壇・マスコミでは非主流であったが故に、また、論壇・マスコミへのアクセスが限られていた「草の根右派」はマスコミに依らない伝達・記録ツールとしてネットを活用することで知見の標準化・一般化を行い、かつ誰でも利用中たちで「アーカイブ化」するという方策を採った。その一方、(草の根)左派はネットをツールとして用いてはいたが、旧来の運動論の延長線上にあり、従来型の左翼(左派)と比べて「ネット左翼」に特筆すべき特徴は無かったと思われる 。つまり、当時の左派はインターネットを「告知・お知らせ」手段としてインターネットを活用しており、掲示板システムを用いた「双方向の意見交換手段」としての比重は少なかった。
管見の限り、そのような傾向にある左派の中で、ハンドルネーム「クマ」氏が主宰する『「問答有用」掲示板』が例外的に左派の中での「対右派作戦室」というNC4的掲示板の機能を持っていた。
 左派のインターネット活用がそのようなものとなった背景として、平成になっても、マスコミは依然として左派が優勢であり、従来型の運動論で特段の不都合を感じなかった事が理由であると推測できる。

18キラーカーン:2017/02/13(月) 23:07:08
3.8.2. 日対朝韓間議論
3.8.2.1. 日韓翻訳掲示板(NAVER)での日韓議論
 歴史認識論争の主戦場は慰安婦問題、特に朝鮮人の「強制連行」問題であったことから、日本国内だけではなく、日韓間でも発生した。特徴的なことは、論壇だけで発生したのではなく、インターネットの普及と翻訳ソフトの発達により、日韓両国の一般国民が直接対話・議論することが可能となり、議論の裾野が飛躍的に拡大した。その中の代表的な存在がNAVERの「日韓翻訳掲示板」 であった。
 インターネットの普及による場所や発信手段の壁だけではなく、翻訳精度の問題はあるにせよ、ITにより言語の壁も超越したことにより、日韓間の議論に参加できる障壁が事実上消滅したことは議論の裾野が爆発的に拡大することとなった。
 日韓翻訳掲示板の功績は、日韓間の市井の人同士が直接に行う議論を成立させたことである。そのことで、日韓それぞれの民衆レベルでの「本音」に直接触れることができた。その結果としては、韓国の「反日」が政府レベルではなく、一般国民レベルでも広く浸透している事を日本側が知ったことである。その「成果」が、現在の「ヘイト政治家」として扱われている「日本第一党」党首の桜井誠氏 であり、氏をはじめとする「行動する保守」として「ネトウヨ」が現実社会へ飛び出した事であった 。
また、当時の日韓翻訳掲示板で日本人と韓国人との間で直接生起した議論(書き込み)の内容も書籍化 された。
 掲示板に限らず、インターネットでの議論の利点として、(何らかの理由で削除されない限り)過去に行われた議論が「過去の記録」として残されることである。これにより、掲示板での議論の参加者は、過去の議論の結果に関する膨大な蓄積(論理、知識)を自己のものとすることかできた。特に、NAVERの場合には、日韓間における直接野議論であったことから、韓国人の反応も分かるというのが他の掲示板に対する有利名点であったと思われる。先に述べたように、NC4の参加者には、その点について自覚的な参加者が多かったが NC4の議論は基本的に日本人同士の議論であると思われることから、その点においては、「日本側の作戦会議、議論の際の武器庫」という側面が強かった。

3.8.2.2. 従来型の在日朝鮮人との議論(「ハンボード」を中心に)
 我が国には、少なくない在日朝鮮人も居住しており、在日朝鮮人向けのHP或いは掲示板というものも存在している。その中で、有名であったのは、在日三世の金明秀氏が主宰する「ハンボード」であった 。
 「ハンボード」は「han.org」という在日朝鮮人向けのHPにある数あるコンテンツの一つであった 。主宰の金氏の思想傾向は親北朝鮮的であったため、掲示板へ書き込みをする者は親北朝鮮的傾向を有する人々が多かったが、右派からの書き込み(論戦の挑発)も比較的多く見られた 。議論は日本語で行われていたため、基本的には日本国内向けであるが、主催者が在日朝鮮人である事もあり、在日朝鮮人と日本人との間で疑似的な日朝間議論が行われることとなった。
ただし、管理人の編集態度が強硬であり、反北朝鮮的傾向の投稿は削除される傾向にあったため、自由な議論が行われたかという点については疑問が残る。ハンボードは金正日が日本人拉致を認めた時点で事実上掲示板の機能は停止し、程なくして書き込みも禁止となった。
 親北朝鮮系の掲示板の代表が「ハンボード」とするならば、韓国系の掲示板の代表は韓国民団掲示板であろう。当該掲示板は民団のHPの1コンテンツとして存在していたため、ハンボードと同様に疑似的な日韓間議論が行われていた。しかし、ハンボードと同様に日韓W杯の前後から、民団或いは韓国の「反日」的姿勢を批判する書き込みが目立つようになり、掲示板は閉鎖された。

19キラーカーン:2017/02/14(火) 23:41:20
4. 「嫌韓厨」から「ネトウヨ」へ(2002年から第二次安倍内閣成立まで)
 2002年以降は、『ネット右翼の逆襲』をはじめとして「右傾化」、「嫌韓」の一環で多く述べられているところであるため、2002年の日韓W杯及び小泉総理訪朝による「半島タブー」の解禁による影響を主に述べる。
4.1. 2002年の衝撃(「半島タブー」の解禁)
 ネット右翼(或いはそれと対になるべき「(ネット)左翼」)にとって、日韓W杯と小泉首相及び安倍官房副長官(当時)の北朝鮮訪問が行われた2002年は、まさに、「時代を画する」年 となった。
 これらのことから、インターネットレベルにおいては、「2002年の衝撃」が事実上、ハンボードや民団掲示板といった日韓間、日朝間の「草の根対話」を破壊する威力を持っていたことが窺える。ただし、マスコミから提供される情報では、「冬ソナ」が2003年から2004年の出来事である事から窺えるように、2002年以降も「韓流」に代表される「韓国推し」が一般的であった。そのことが、逆に、2002年以降、マスコミが韓国の反日の「共犯」として批判される一因となった。しかし、世論調査等で「嫌韓」の数値が目に見えて高くなるのは、2012年の李明博韓国大統領(当時)の竹島訪問と天皇陛下への社会要求発言からである。
2002年の日韓W杯での韓国の「反日」及び小泉首相(当時)の北朝鮮訪問と拉致の事実が公式に確認された。このことにより、冷戦終了後の歴史認識論争において、左派の「錦の御旗」を支える大きな基盤であった「半島タブー」が取り払われ、「植民地支配」 、「差別」 という語で南北朝鮮に対する批判を封じ込めることができなくなった 。ネット上のみならず、「リアル」の社会でも南北朝鮮に対する「タブー」が取り払われたのが奇しくも同じ2002年であったのは偶然であっても面白いものがある。
「半島タブー」が取り払われた結果、それまでの反動もあり、「ネット右翼」的な言説には「反韓・反北朝鮮」言説を纏う割合が高くなり、「ネット右翼」と「嫌韓厨」との区別がつかなくなってきた。この結果、嫌韓厨≒ネット右翼となり、さらに、ネット右翼がネトウヨと略されたことから、「嫌韓厨≒ネトウヨ」となり、両者の区別が事実上消滅した。

20キラーカーン:2017/02/14(火) 23:42:11
4.1.1. 2002年日韓W杯(韓国の「反日」の公然化)
2002年W杯は開催地決定時点から波乱含みであった。元々、W杯の開催地ローテーションから、2002年W杯はアジア開催が有力視されていたこと及び競技施設整備能力などから日本単独開催の可能性が高いとみられていた。しかし、当時のFIFAの副会長に現代財閥の鄭夢準氏がいたこともあり韓国側の巻き返しが激しく、その結果、韓国の「ごり押し」で日韓共同開催となったことが「嫌韓」の発端であった。
以後、大会準備における日韓間の調整段階において、①開会式と決勝戦の韓国開催、②両国の表記順は(慣例であった)アルファベット順によるJapan, KoreaではなくKorea, Japan とすべき(日本語表記も日韓ではなく韓日とすべき )、③サッカー場をモチーフにしたポスターが「日」の字と似ていることによる変更要求、等の「無理難題」を吹っ掛けるということが常態となっていった。そして、その「無理難題」を正当化するため、少なからず日韓併合時代における我が国の植民地支配ひいては歴史認識を理由にしていた。その結果、そのような歴史認識論争や政治から離れてサッカーを楽しみたいと思っていたサッカーファンの不満のみならずネット右翼からの不満(嫌韓)を醸成させていった。
そのような開催準備期間における「韓国側のいちゃもん」のみならず、大会開催期間中、韓国民衆の日本に対する応援態度に現れる「反日」が明らかになった。また、韓国人は日本人と比べて観戦マナーも悪かった 。何よりも、その後、FIFA自身も求めるように、日韓W杯では韓国戦絡みの「誤審」が目に余った 。
さらに、一概に悪いとは言えないが、韓国戦以外の韓国開催試合の入場者数が日本より少なく、韓国(戦)のみしか眼中にないと見られたことも「サッカーより国威発揚」と否定的な目で見られることとなった。この頃からインターネット上では「知れば知るほど嫌いになる国」として、韓国の「反日」 を集めたサイトが目立つようになった。
そのような草の根レベルの「嫌韓」に対して、我が国のマスコミはの報道姿勢も「日韓親善」で一貫しており、韓国の「反日」を報道せずに、韓国を持ち上げる報道史かしなかった 。このため、日韓W杯以後、マスコミへの批判 が激化し、同年に「ゴミ拾いオフ」 という形で抗議運動を行った。このことから、マスコミも「反日」の共犯として「ネトウヨ」の標的となっていった。

21キラーカーン:2017/02/14(火) 23:43:23
4.1.2. 小泉首相訪朝(拉致問題の公然化:「北朝鮮タブー」の解禁)
 2012年9月には小泉首相が北朝鮮を訪問し、金正日朝鮮労働党総書記(当時)と初の日朝首脳会談を実施した。その会談の席で、金総書記は日本人拉致を行ったことを明らかにした。それまでは、状況証拠から北朝鮮による拉致である事は確実視されていたが、当事者の北朝鮮が拉致を認めていなかったことから、公式には「疑惑」の段階であり、また、北朝鮮批判を行うことは「半島タブー」に触れることから、公の場で北朝鮮に対する懸念を表明することは避けられた 。
 また、拉致問題については、北朝鮮批判につながるため、拉致問題を取り上げることは「右翼」或いは「保守反動」勢力に対する支援になるとして左派は黙殺してきた 。しかし、小泉首相訪朝時に金総書記自身が日本人拉致を認めたため、それを突破口としてそれまでの「半島タブー」から北朝鮮に対して奥歯に物が挟まったような批判しかできなかった不満が一気に噴出した 。また、北朝鮮による拉致被害者に対する調査結果も杜撰なもので、日本国民を納得させるもからはほど遠かったことも北朝鮮への批判に拍車をかけた。
これ以降、北朝鮮は核実験や弾道ミサイル発射実験を現在に至るまで行い、我が国に対する軍事的脅威となっていることから、北朝鮮が我が国において「悪の帝国」の位置を占めることとなる。

22キラーカーン:2017/02/14(火) 23:44:30
4.1.3. 『マンガ嫌韓流』の出版
 当時の「韓流」で統一されたかのようなマスコミの報道に対する不満を反映して日韓W杯からしばらく経った後の2005年に刊行されたのが、山野車輪著『嫌韓流』 である。同書も小林よしのり氏の『戦争論』と同じく漫画形式である。同書はマスコミが吹聴する「韓流」というものから一歩引いて、「現実の韓国」を見据えようという趣旨で出版された。
同書の内容はこれまで、「2ちゃんねる韓国板」をはじめとするネットで話題になっていたものの寄せ集めであり、当時からの韓国ウォッチャーには目新しいものはない。しかし、それまでのマスコミの「方針」に抗して、そのような韓国の「否定的」側面を堂々と取り上げた書籍が出版されたことも、「表の韓流」とは異なり、「草の根の嫌韓」が浸透してきたことの証左とも言える 。
Amazonの『嫌韓流』紹介ページによれば、同書の出版に際して「各出版社から(中略)出版拒否された」という扱いもあったようである。そのことが、逆に、「半島タブー」に真っ向から挑戦するという形となったため、嫌韓やネトウヨといった層からのamazonでのネット購入予約も増え、シリーズ化されたことから見て、一応ヒット書籍となった模様である 。また、出版直後、朝日新聞社に提供されたamazonの書籍売上ランキングでは、同書がランキング対象外となったというような「事件」もあった。これ以降、日本社会の「嫌韓」意識の増加を反映した所謂「嫌韓本」という分野が成立し、新書等の一般書籍が追随した 。

23キラーカーン:2017/02/15(水) 23:40:37
4.2. 左派(リベラル)の逆襲とその限界点
 このように、2002年を境にして所謂「歴史認識論争」の潮目が代わり、ネット上或いは論壇での議論では、親韓国、親北朝鮮、反大日本国帝国を基軸とした左派は守勢に立つこととなった。しかし、マスコミの論調では依然として、左派が優勢で有り、テレビ番組は衛星放送を中心に韓国ドラマが放送されていたため、表面上、日本における「韓流」の傾向は変わらないように見えた。

 政治情勢においても、国内政治では、依然として非自民勢力への期待はまだ失われていなかった。2009年8月に行われた総選挙で、鳩山由紀夫代表が率いる民主党が衆議院の安定多数を得た第一党となり、民主党・社民党・国民新党の三党による1993年以来の非自民(連立)政権が誕生した 。

 リベラル・左派の期待を背負って成立した鳩山内閣であったが、ネット(特にネトウヨ層)から、「御花畑(現実から遊離した独り善がりの理想論)」と揶揄されたように、国民から納得できる業績が上げられなかったことから、鳩山-管-野田と三代の内閣を経て、2012年の総選挙に突入したが、民主党は自民党に地滑り的大敗を喫し下野を余儀なくされた。以後、その総選挙で首相に返り咲いた 安倍晋三内閣が国政選挙で手堅く勝利を重ね、「ネトウヨの時代」となっている。

24キラーカーン:2017/02/15(水) 23:42:38
4.2.1. 小泉以後の自民党政権
 小泉首相が5年間の任期を全うして2006年9月に総理・自民党総裁の座を降りた。首相の個性が政権のイメージに直結するという点では、小選挙区制の申し子というものであった。また、「刺客」など「自分(首相)対敵」という構図を巧みに作り上げ敵対者をつぶしていったという点もその流れに沿ったものであった。言い換えれば、小泉政権とは「55年体制の『終わりの終わり』」というものであった。

 これは、細川政権下で導入された小選挙区制により、各選挙区で政党は1名しか公認を出せなくなった結果、「1対1」の対決の構造に持ち込みやすくなり、「タイマン」が得意な政治家(「対決型」や「劇場型」政治家とも言われる)にとっては都合のよい選挙制度であった 。
また、小選挙区制導入に伴い、各選挙区で自民党候補が1名となることから、自民党の派閥が「党中党」として、個別に選挙戦を戦う事が不可能となった 。その結果、候補者の公認などにおいて、自民党の各派閥より自民党総裁への権限集中をもたらすこととなったため、小泉氏の後を襲った安倍晋三氏及び福田康夫氏はそれまで言われていた首相候補と認められるための条件を満たすことなく、内閣官房長官経験を足場に首相の印綬を帯びることとなった 。このことは、首相(「官邸」)権力の強化、或いは日本政治の「大統領制化」というものが進行していることの証左となる。

 小泉内閣以降、自民党に対する風当たりは強く、閣僚の失言等で大臣が辞任に追い込まれることもしばしばで有り、安倍内閣では松岡農水大臣が自殺に追い込まれている 。

4.2.1.1. 安倍内閣
 任期満了で「余力」を残して退陣した小泉首相から禅譲の形で安倍晋三氏が首相の座に就いた。安倍氏の政治家としての主な経歴も閣僚では内閣官房長官、党務では党幹事長という経歴で首相に就任した。幹事長はともかく、入閣経験が官房長官 の1度のみで首相の座に就いた という点は、日本国憲法下では異例中の異例である。また、戦後最年少総理で有り、初の戦後生まれの総理でもある。
 安倍総理は右派の政治家としてのイメージが強く、総理就任後も「戦後レジームからの脱却」といった右派的「脱戦後」を目指していた。そのため、「リベラル」勢力(特に朝日新聞等の左派マスコミ)からは敵視され、その影響は第二次安倍内閣となっている現在にまで続いている。
 安倍政権において郵政民営化問題で小泉首相と対立し政権時代に自民党籍を失った議員を自民党に復党させたことは「小泉改革の逆行」であると批判を受けた。失言等により、農水大臣が短期間で何人も交代するという自体に成り、2007年の参議院選挙で敗北し、当初は続投の意思を示していたが、結局辞任に追い込まれた。

25キラーカーン:2017/02/15(水) 23:43:02

4.2.1.2. 福田内閣
 参議院選挙での敗北の責任をとって辞任した安倍総理の後を襲ったのは、同じ清和会の福田康夫氏であった。なお、福田氏は初の親子総理である。福田氏は森内閣及び小泉内閣における官房長官として頭角を現した 。福田氏は、内閣の「大番頭」として堅実な手腕で政権を支え、ややもすれば、「失言」の多い森総理や「パフォーマンス」先行型である小泉総理の持つ「軽さ」、「不安定さ」に対する安定役となっていた。安倍氏に続き、福田も官房長官を足がかりに総理の座へ上り詰めたことは、「官邸主導」、言い換えれば、小選挙区制導入により、自民党(内閣)が「制度化された政道連合(内閣)」から、首相という「単一の核」を持つ政党(内閣)へ変化したことを如実に表していた。

 福田氏の政治姿勢自体は、中国への融和的な態度など、自民党の中では比較的リベラルなものであったため、発足当初は安倍政権との対比も有り、リベラルからの期待も高かった 。しかし、小沢民主党との大連立構想の頓挫などが有り、第一次安倍内閣と同様、約一年で政権の座を去った。

4.2.1.3. 麻生内閣
 福田氏の後を襲ったのは、安倍、福田氏と同じく「麻垣康三 」の一人である麻生太郎氏であった。麻生氏は、母方の祖父が吉田茂であるのは有名であるが、その吉田茂自身も、岳父(麻生氏にとっては曾祖父)が牧野伸顕元内大臣、外相、その父が大久保利通という累代にわたり大物政治家を輩出してきた家系でもある(つまり、麻生氏自身は大久保利通に連なる「五世政治家」である)。また、父方は福岡の地元企業のオーナーであり、実の妹が三笠宮寛仁親王妃という日本屈指の名家である。

 そのような出自にも関わらず、べらんめえ口調で有り、筑豊育ちでアフリカ駐在経験を有するなど「お坊ちゃん」ではない経歴も有する 。そのような背景を持つせいか、麻生氏はキリスト教徒(カトリック)であるが、政治思想的にはやや右寄りとされている 。

 麻生氏の首相就任時において前回総選挙から約3年を経過していたため、内閣の求心力を維持するため内閣発足直後の解散総選挙を考えていたと言われている。しかし、リーマンショックの発生により、その対応が優先されたため、内閣発足直後の解散総選挙はできなくなった。「後知恵」的に言えば、この解散総選挙の機会を逃し、任期満了直前の解散総選挙に「追い込まれた」ことが2009年(平成21年)の総選挙で自民党が野党に転落する一因となった。

 麻生内閣については、内閣発足直後の解散総選挙の機会を逃したことも有り、任期切れ間近の「死に体」と言わんばかりのイメージであった。また、麻生総理自身も「生まれが良く」、また、「口が軽く」、任期ではあったが、マスコミや野党が攻撃しやすい人物でもあった。国会審議でも「カップ麺の値段」や漢字の読み方など「揚げ足取り」の質問も多く、そのやりとりが面白可笑しく報道されることも、「自民党内閣の終焉」が近いと感じさせるものであった。
 そして、任期切れ直前の総選挙によって自民党は過半数を割り、1993年以来の下野することとなった。

26キラーカーン:2017/02/19(日) 01:44:53
4.2.2. 民主党政権と「非自民の時代」の頂点とその終焉

4.2.2.1. 総説
 小泉氏が任期満了で政権の座から去った後、(多分にマスコミの「揚げ足取り」的色彩もあったが)安倍、福田、麻生の各内閣が一年内外で退陣に追い込まれ、自民党に対する国民の求心力は失われていった。特に、麻生政権は発足直後の解散総選挙をもくろんでいたといわれるが、その機会をリーマンショックへの対応で失ったことから、任期満了(直前)の総選挙は確定的となり、その時点で自民党の敗北は多くの人が予想するところであった。

 そして、2009年の総選挙で民主党が300を超える議席を獲得し、自民党が下野することとなった。しかし、参議院では民主党は過半数を得ていなかったため、社民党及び国民新党と連立を組んで衆参両院での過半数を確保した。

 民主党政権は、外交・安保分野では在日米軍再編問題、中国及び韓国との関係改善を掲げ、国内政治では、公共事業からの脱却、官僚政治からの脱却といった「自民党政治的なものからの脱却」を掲げていた。また、東日本大震災及び福島第一原発の事故への対応に追われた。
結果として、民主党政権は理念先行型で、現実の政権運営の未熟さから、どれ一つとして達成できず、「リベラル」勢力に対する幻滅を残して2012年の総選挙で大敗を喫し下野した。その後、自民党は国政選挙で手堅く勝利を重ね、「安倍一強」と言われる政治情勢が現出している。

 民主党は、「民進党」に党名を変更したが、依然として党勢は低迷している 。支持率が高く「安倍一強」ともいわれる第二次安倍政権も積極的な指示ではなく「他に選択肢がないから」という理由で支持している国民も多く、「健全な野党」として民進党が生まれ変わることを期待している層も少なからず存在する。

27キラーカーン:2017/02/19(日) 01:45:59
4.2.2.2. 党と政府との関係
 政治主導を確立するには、党と内閣が一体となって政局を運営していく必要がある。鳩山由紀夫内閣発足時の閣僚は「オールスター」で、当時の民主党で名前が売れていた政治家を軒並み入閣させた 。

 党の方には小沢幹事長を配し、鳩山首相と小沢幹事長の体制で政治主導を確立させようとした。小沢氏は、党外からの陳情窓口を党に一本化しようとした。このことは民主党幹事長である小沢氏が党外からの陳情を一手に仕切るということを意味した。さらに言えば、民主党要求の予算配分を小沢氏が行うことを意味した。この結果、内閣主導という民主党の方針が揺らぐこととなっていった。

28キラーカーン:2017/02/21(火) 23:49:12
4.2.2.3. 外交・安保分野
橋本内閣からの懸案であった在日米軍、特に在沖縄米軍の再編に関して「最低でも県外」という公約を鳩山内閣は掲げていたが、結局行き詰まり、社民党が連立離脱するなど、鳩山首相の求心力は目に見えて落ちた 。このため、民主党政権になっても、自民党の第一次安倍内閣以降続いている一年程度の短命政権という傾向に歯止めがかけられなかった 。
民主党には社民党との連立政権でも有り、また、民主党内にも旧社会党出身議員が少なからず存在していたことから、外交・安保分野では親中・親韓的要素が強かった 。特に管直人総理在任中に日韓併合100周年を迎えることから、いわゆる「村山談話」を踏襲した談話を発表し、朝鮮儀軌の返還といった融和的な政策を行っていった。他には、土肥隆一国会議員の中にも日本の竹島領有権放棄に賛同する韓国側作成の文書に署名したことが発覚し、党の役職辞任に追い込まれている。そして、李明博韓国大統領(当時)が現職大統領として初めて竹島に上陸したことにより、対韓融和ムードは完全にといってよいくらい消滅した 。

 また、中国に対しては、習近平国家副主席(当時)の訪問時の「天皇陛下会見ごり押し 」や小沢民主党幹事長(当時)以下の大規模訪中団を組織し、中国への配慮を見せた。しかし、尖閣沖での漁船と海上保安庁の艦艇との衝突事故の処理 や尖閣諸島の「国有化」 などによる日中関係の緊迫化や歴史認識問題は沈静化せず、対中韓外交もさして好転しなかった。このため、その後、そのような親中親韓(サヨク的外交政策)は国民の支持を失っていった。

 菅首相(当時)は、同氏の政治資金管理団体か在日韓国人から違法に献金を受け取っていたことが発覚し、自民党などから辞職を求められる事態となっていた 。また、日本赤軍が起こした「よど号事件 」の実行犯と密接な関係がある団体に政治資金を行っていた問題が生起していた 。菅首相自身にとっては同問題からの追及を免れる絶好の機会となった。

29キラーカーン:2017/03/01(水) 23:25:29
4.2.2.4. 内政問題
 民主党政権となり、「政治主導」や「コンクリートから人へ」というスローガンの下、民主党政権は政権運営手順を変革しようとした。しかし、政治家としては「未熟」である民主党の政務三役(大臣、副大臣、政務官の総称)による性急な「政治主導」は官僚機構の反発を招き、また、「宇宙人」ともいわれた鳩山由紀夫総理の奇矯な言動もあり、鳩山政権の統治能力は目に見えて落ちていった。

 その中でも、民主党政権での「ヒット作」といわれたのが「事業仕分け」であった。外部専門家の目を入れて事業全体としての費用対効果等見極めるという事業仕分けの発想そのものは、事業管理手法として是認できるものであった。しかし、カメラを入れた公開の場での審議は、財政赤字抑制という目的 もあり、ややもすると要求側の「公開処刑」という趣があった 。この結果、事業仕分けも国民向けの「見世物」として消費されていった。

 経済政策も、基本的に円高・デフレ政策であり、株価と景気も低迷していた。景気対策に失敗したことからも、民主党政権に対する支持が失われていった。

30キラーカーン:2017/03/02(木) 23:23:54
4.2.3.5. 東日本大震災(福島第一原発の事故も含む)
4.2.3.5.1. 総説
 東日本大震災が民主党政権における最大の事件、少なくとも最大の事件のうちの一つであったということについては異論がないと思われる。

 東日本大震災への対応については、汗牛充棟であるので、詳しいことはそちらに譲るとして、ここでは、大略のみ述べることとする。結論から言えば、東日本大震災への対応も民主党の「未熟さ」の実例とされている。代表的なものとしては、政府会議の乱立、支援物資の分配・配布にかかる不手際であった。

東日本大震災の対応における民主党の対応は以下のようなものであった。
①民主党政権は、これまでの情報公開の方針を翻し。政府の会議録を作成しない
②官房長官が記者会見を頻繁に行い、内閣官房長官の知名度向上に寄与した。
 (この結果、官房長官は総理への足掛かりとなる「主要閣僚」への昇格を果たした)

 このような事態に対し、民主党から自民党に対し、危機対応のための(救国)大連立内閣の申し出があったが、自民党側が断った 。

31キラーカーン:2017/03/04(土) 01:11:58
4.2.3.5.2. 福島第一原発の事故
 東日本大震災により、東京電力の福島第一原発も被害を受けた。地震によって電源を喪失し冷却機能不全となったことから、水素爆発が起こり、原子炉内の放射性物質が大気中に拡散されることとなった。この際の指示やSPEEDIによる情報提供の遅れ、エネルギー政策の転換 等の民主党政権の対策にも疑問が持たれていた。 その一方東北電力の女川原発は安全に機能を呈したことから、東北電力との比較で東京電力の対応に疑問がもたれることとなった。

 この事態に左派は放射能の被害をことさらに言挙げし不安を煽った が、その中には明らかな嘘も交じっていた。右派から見れば、反核運動と反原発とを強引に結び付け、「反原連」として結実する。その人脈は、SEALDsや沖縄反米軍基地闘争の母体となっていく 。

4.2.3.6. 民主党政権の終焉
 小選挙区制導入に代表される「政治改革」の申し子であり、自民党政治に不満を持つ層やかつての左派あるいは社会民主主義者の「希望」としての民主党政権は
① 中韓両国との関係改善に失敗
② デフレと円高による国内不況
③ 東日本大震災に対する対応への不満
により、任期末期には国民の支持を失っていた。

 そして、2012年の総選挙で民主党は大敗し下野することとなった。その後も党勢は低迷し、党勢回復の切っ掛けさえ掴めない状況にあるのは、既に述べたとおりである。

32新八:2017/03/04(土) 21:12:44
>このような事態に対し、民主党から自民党に対し、
>危機対応のための(救国)大連立内閣の申し出があったが、
>自民党側が断った 。

これは、とても大きいこと。
彼我の違いを認識していた重要な要素なので、色々と背反する様な事象が起きているように見えても
この点を押さえておく必用があると考えております。

33キラーカーン:2017/03/07(火) 00:18:11
5. 「ネトウヨ」の時代(第二次安倍内閣成立以降)
5.1. 総説
5.1.1. 「ネトウヨ」の最大公約数的内容(最早「ネット」とは関係ない)

「サヨク」の時代であった「非自民」の時代は2012年の総選挙での民主党の敗北で終わった。そして、今、この時代を言い表すのに適切な言葉を捜せば、「ネトウヨ」となる。首相に返り咲いた安倍氏の政治姿勢が保守的であること、あるいは世論の「右傾化」ともいわれる状況から、反安倍派からは日本が「ネトウヨ化」 しているとの指摘もある。この後に詳述するが、「安倍一強」といわれる状況下で、左派の影響力は低下の一途であり、ネトウヨの声が大きくなり始めているという分析はわかりやすいが、実際には「左派の自滅」により、無党派層が左派を嫌悪するようになったというのが妥当なとこrであろう

 これまで述べてきたように、「ネトウト」と「ネット右翼」との間には幾許かの乖離はあるが、現在の世情をまとめると。基本的には、
① 中韓(朝)に厳しい外交姿勢であり
② 移民に厳しく
③ 国民の福利厚生の向上を優先
ということが「ネトウヨ化」の最大公約数的内容になると思われる。

 このような内容は「ナショナリズム」と親和性が高く、その意味では、政治的には「右派・保守」に位置するということでは「ウヨ」(右翼)と評されることについては一定の理由がある。欧州では上記「②」を主張する一見排外主義に見える主張を唱える党派を「極右」と称していることも影響しているのであろう。実際には排外主義というよりも、行き過ぎた経済のグローバル化によって貧困層に転落した(転落しそうになっている)中間層の反発であり、外国人排斥そのものが目的ではない(「反グローバリズム」を「排外主義」と定義するのであれば、論理的には一貫するが、それでは乱暴に過ぎる)。

 しかし、現実の政治家を指して「ネトウヨ」というに至っては、最早「ネット」とは関係がない。百歩譲っても「ネット発」の政治運動がリアルの面でも影響を及ぼしたという程度の意味でしかない。公道で行われている「リアル」のデモ行進を「ネトウヨ」と称するのは、もはや「赤い緑」という程度に矛盾している。

 また、インターネットが現代社会に不可欠な社会インフラと化している状況に鑑みれば、「ネット」と「リアル」を区別する実益はないのではないかとも思える。しかし、今後の技術の発達により(特に「VR」及び「AR」)、「リアル」と「ネット」(「サイバー」)を区別・分離する方が合理的である時代が到来するかもしれない。
民主党政権の失敗と「右傾化」する世論の中で、日本国憲法下で安倍晋三氏は初の政権返り咲きを果たした。安倍氏は政権返り咲き後の選挙でも手堅く勝利し、また、外交・内政双方とも決定的な失政がない。この結果、現時点において「安倍一強」という状況が現出しており、他党はおろか、自民党内においても対抗馬がいないといわれるくらい政権基盤は安定している。

 このような状況の中で、左派は復活の手掛かりさえ見出していない。先に述べたように、民主党の2012年の下野以降、党勢も低下の一途であり、党勢の回復を期してみんなの党や維新の一部といった「第三極」といわれた政党を吸収したとはいえ、党の支持率から見れば、合併効果は表れておらず、低落傾向は継続していると言わざるを得ない。

34キラーカーン:2017/03/07(火) 22:27:54
5.2. インターネットでの情報発信に対する既存マスコミの反発と対応
5.2.1. 総説
 21世紀に入ってブログやSNSも普及したこともあり、インターネットでの発言・表現手法も発展してきた。インターネット初期には文字情報だけであったが、現在では、文字情報のみではなく、音声、画像(静止画、動画双方)による発言・表現手段も一般化した。そのようなインターネット環境の変化に伴い、ネットでの「炎上」の主な舞台が、掲示板⇒ブログ⇒ツイッターと変化してきていることも、インターネット環境の発展の証左でもある。

 本稿との関係でいえば、「ネトウヨ」が「ネット右翼」であったインターネット黎明期(2002年より前)ほどの圧倒的存在感は失っているが、我が国におけるインターネット文化の代表的なものとして「掲示板文化」を挙げることについては異論が少ないであろう。それは、今現在においても、インターネットの代表的存在として「2ちゃんねる」の名前が挙がる事にもその影響は明らかである。

 我が国の掲示板文化の特徴として、発言が「匿名」で行われることがある。筆者がインターネット普及前に参加していたパソコン通信サービス「ニフティサーブ」の「会議室」では、「ニフティサーブ」のIDが表示されることから、当該会議室での匿名性は事実上存在しないに等しかった。

 また、我が国では、「何を言ったか」よりも「誰が言ったか」による判断基準が優勢であることから、「実名」で社会的問題(特に政治問題)に関して意見を発表することによる不利益が大きく、「実名」の知名度が上がることによる利益(≒売名効果)が明白でない限り、市井の人が実名で発言する利益はまず考えられない。このことから、匿名で「本音」を語れる匿名掲示板は広く受け入れられた。掲示板からブログやSNSにインターネットでの発言手段が変化しても、「匿名性」の文化は変わることなく受け継がれている。

 そして、そのようなインターネットの特徴が既存マスコミからの「敵意」を向けられ、「インターネットvs既存マスコミ」という対立構造が生まれている。

35キラーカーン:2017/03/08(水) 22:47:13
5.2.2. 従来の言論空間との対比
5.2.2.1. 総説
 このような匿名性と双方向性というインターネット文化の二大特徴に危機感や反発を擁いたのは従来のマスコミであった。マスコミは、これまで、一般大衆(マス)向けの情報発信を事実上独占していたことから、個人でもマスコミ度同党の全世界への発信手段を持たせてくれるインターネットは、自身に対する脅威に映ったことは想像に難くない。その結果、文字情報(記事)は言うに及ばす、マスコミが報道してくれなくても、自分自身で現場から映像をインターネットで全世界に配信することが可能となった。これも、インターネットには管理者がいないことによるネット利用の「自由」がもたらしたものであった。

この結果、その中で、マスコミが掲示板に対する批判として挙げたのは、
①匿名性
②虚実ない交ぜ
、という2点であり、その結論として、「出所が明らかでなく真偽が明らかにできない」のでネット情報は信用できないとする批判が多くなった。

5.2.2.2. 掲示板文化との対比
「リアル」側からの批判を受けるまでもなく、インターネット界隈では「うそはうそであると見抜けない人は(掲示板を使うのは)難しい」という箴言が所謂ネット民の人口に膾炙していた(物理的にはディスプレイ上であり、「人口」ではないが)。このように、ネット上の情報が虚実ない交ぜである事は常識に近い認識であった 。

 とはいっても、これでだけインターネットが普及すると、そのような「偽情報」に振り回される人も多くなり、その社会的影響も大きい 。中には、そのような情報を意図的に流してその反応を楽しむ「釣り」という「いたずら」も発生し 、そのいたずらを行う人を「釣り師」と呼んだ。

 ネット配信の記事には読者がコメントをつけることが可能となっているものがある。我が国においてはJ-CASTがこの形式であるが、全国紙など、新聞社ではそのような形式になっているところは管見の限り存在しない 。外国では、有名な新聞社のサイトでもそのような仕様になっているところがあり、記者と読者との双方向性が確保されている。
我が国においては、マスコミは一般的に左派・リベラル寄りであるので、右派からの批判的なコメントがつくことが多い。その点からも、マスコミとネトウヨとの相性が悪い、或いは、それまで可視化されなかった「草の根保守」が可視化されたというだけかもしれない。

36キラーカーン:2017/03/10(金) 00:14:51
5.2.2.3. 匿名文化との対比
 「匿名性」については、日本の社会習慣も関連するため、一概に「悪」とは言えない。特に内部告発に準じるような「内幕暴露」的な内容であれば猶更である。ただ、市井の人々にとって実名でインターネット上で発言することのメリットは殆どない 。メリットがあるのは、そのような発言(≒売名行為)を行うメリットのある者に限られる。

 「実名」での議論が「匿名」での議論より優れているという言説の背景には、実名で議論を行うことにメリットを見出す者が、そうでないものに対してインターネット上の議論を有利に進めるために、自分の土俵に引きずり込むという底意が往々にして感じられる。実名での議論を申し込んで拒否されれば、その相手は「議論から逃げた」と「勝利宣言」を行うことができる。このため、既存マスコミや論壇に近い人物がネット上で議論を行う際に、「匿名は卑怯だ」、或いは、「実名を明らかにしろ」という言辞を吐くことは、リアルの肩書(社会的信用)を梃子にして議論を優位に進めようとすることにほかならず、議論そのものでは不利に陥ったことを無意識のうちに悟っていることによる「敗北宣言」として機能することが閲覧者にも感じ取れることが往々にしてある。
とはいっても、インターネットの中においても、継続的に投稿・発言を行う人が発生する。そのような人は、他者との識別のために「インターネット上のペンネーム」をつけることがある。というよりも、インターネットに投稿する際には、実名ではなく、そのような名前(ハンドルネーム )をつけることが慣例となっている。

 そして、同一ハンドルネームでのインターネット上の発言が蓄積されていくと、その発言を基にして、それらのハンドルネームに対する「ネット上の人格」が付与されていくこととなる。

 特に、インターネット上の発言は長期間にわたって消去されることなく保存され、あるいは拡散され、インターネットの中に留まる。したがって、インターネットで言論活動を行う場合は、学術論文にも匹敵する形で、(本人が忘れ去ってしまっている)「過去の発言」との整合性を不断にチェックされることとなる。

 インターネット上において、一旦、そのような「人格」が付与されると、そのハンドルネームでの発言には一定の枠が嵌められることとなる(所謂「キャラが独り歩きする」状態となり発言者自身がその「キャラ」に縛られた言動を強いられる)。
そして、元来、匿名掲示板である「2ちゃんねる」でそのようにハンドルネームを固定して発言する者(コテハン:「固定ハンドルネーム」の略)はそれ自体で尊敬されるということには、コテハンにすることにより、匿名が許される掲示板上においても「固有の人格」を形成する覚悟がある者として認められるということが背景にある。

 逆に、同一の掲示板で複数のハンドルネームを駆使して、「多重人格」を操るものは「ダブハン」(「ダブル・ハンドルネーム」の略)といわれ、「コテハン」を使用しているのにもかかわらず、コテハンの利点だけを享受し、不利益を引き受けることを拒否しているという意味でコテハンの「覚悟」のかけらもない者として一般的には軽蔑の対象となる 。

 先に述べたNC4の「内戦」の原因の一つにこの「ダブハン」問題があったといわれている。

37キラーカーン:2017/03/10(金) 23:26:50
5.2.2.4. 双方向性から誰もが発信者へ(個人とマスコミとが台頭に)
5.2.2.4.1. 双方向性の結果としての個人の報道記者(マスコミ)化
 インターネットには、インターネット全体の管理者が存在しないことは周知の事実である(企業内ネットなど個別のネットには管理者がいるが)。このため、インターネットプロバイダーに加入していれば、インターネットの利用は自由である。また、最近は技術の発展により、通信速度及び通信技術(特に動画配信)において格段の進歩を遂げ、個人が事故現場に行って、そこから撮影した動画をインターネットで全世界に中継することが可能となった。

 この時点で、大衆への情報発信はマスコミ或いは論壇の専有物ではなくなった。これまで、マスコミを通じてのみ情報発信が可能であったのが、インターネット回線への接続環境があれば、個人でも全世界に向けて情報発信することが可能となった。

 これまでは、マスコミの「編集」により自身の意図が十分に伝わらない(或いは「捻じ曲げられた」)場合であっても泣き寝入りするしかなかった一般大衆が、「実際はこうである」とマスコミの報道に対して堂々と反論することが可能となった。特に「報道しない自由」を行使されていた右派の市民活動は自身によるネット中継に活路を見出した。この点からもネットと右派との相性の良さが見受けられる。

 最近では、記者会見を自社のホームページに「ノーカット」で掲載するのが一般的になっており、国会中継もインターネット中継ではそのようなっている。マスコミがニュースで「編集」した個所そして、その編集の意図が明らかになるようになっている。これは、マスコミの「情報操作」、極論すれば、「嘘」を見抜く或いは報道被害を防ぐための道具としてインターネットが重要な役割を果たしていることを意味する。これが、マスコミと所謂ネット民との対立の構図となっている。

 有名な例では、尖閣沖での海上保安庁の巡視船と漁船との衝突事故のビデオを「流出」させる際に、マスコミではなく、「youtube」を選択したように、「事実」を発表するのに、マスコミではなく、ネットを選ぶことも見られている。このように、マスコミは「報道機関」としての信用度が目に見えて落ちてきている。

5.2.2.4.2. そして我が国のマスコミのWEB版からコメント欄が消滅した
 インターネットが普及したことにより、既存マスコミもインターネットへの対応を迫られた。当初は、既存の紙媒体のネット化による配達業務の合理化、読者からのコメント・問い合わせといったものであった。しかし、インターネットが普及し始めた時期と「歴史認識論争」の盛り上がった時期が重なっており、また、日韓W杯を巡る報道からも、マスコミの「角度をつけた記事」 に合わせた報道がインターネットを通じて市井の人々に広く共有されることとなった。

 そのような「マスコミの横暴」に対する反感・批判がコメント欄に向かうこととなった。これは、マスコミだけではなく、「ご意見聴取」という名目で掲示板が設置されていた各種団体も同じであった。本稿でいえば、先に述べた韓国民団のHPにあった掲示板がそうであった。そのような批判が多くなった掲示板は旧来の「情報の発信者(マスコミ)と受け手(市井の人々)」という「一方通行」的な関係に慣れきっており、インターネットの普及・発達によってもたらされた「双方向」ひいては「対等」という関係を理解することができず、また、耐えることもできず、そして、順応することもできなかった。

 この結果、我が国のマスコミのWEB版からは記事に対する読者からのコメント機能が消滅していった 。

38キラーカーン:2017/03/12(日) 23:32:34
5.2.3. 「オーマイニュース」の挫折
5.2.3.1. 「オーマイニュース」及び「市民記者制度」とは
ネトウヨが絡むと、マスコミとネットメディアとの関係は対立関係にあるという論調が主流であるが、ネトウヨが絡まない部分では、ネットをマスメディアとの融合・共同を模索する動きもあった。その有名な例が2006年に日本語版のサービスが開始された「オーマイニュース」である(2009年4月にサービス終了)。

 オーマイニュースはもともと韓国のニュースサイトであるが、オーマイニュースが注目されたのは、韓国発というところよりも、「市民記者」制度にあった。市民記者とは、オーマイニュースと契約した上でオーマイニュースのサイトに記事を投稿するという「ネット上の契約記者」という形態、かつ、その「市民記者」には市井の人々がなることも可能という点にあった。

5.2.3.2. 「オーマイニュース」のビジネスモデル
 このビジネスモデルが成立するためには、
①一定以上の購読者を確保するため「市民記者」の記事の質を一定レベル以上に保つ必要がある、
②その質を担保する原稿料収入を確保できる広告就任の確保、
の2点が必須であった。さもなければ、単なる時事問題の評論を主題とする個人ブログ或いは掲示板と大同小異となる。このため、オーマイニュースでは、鳥越俊太郎氏と青木理氏を編集長と副編集長に迎え、記事の質を保証する体制を構築した。しかし、広告・営業担当は最後まで存在しなかったと元オーマイニュース編集部デスクの村上和巳氏は述懐している 。

5.2.3.3. 「左傾化」した市民記者制度
 「市民記者」ということで、集まった投稿記事の7割程度が左派的な記事であったとも村上氏は述懐している 。また、鳥越氏及び青木氏は左派に属するジャーナリストであったということと、マスコミ出身ということから、サービス開始前の鳥越氏の「2ちゃんねる」敵視発言があり、所謂ネトウヨとの対決姿勢を見せていた。このため、既にネット上に確固たる勢力を築いていたネトウヨ勢とは相性が悪いということは予想されていた。また、投稿された記事の割合からも、オーマイニュース自体の論調も自然と「左傾」していった。

 サービス開始後も、記事の質はあまり上がらず、その中で、市民記者の投稿記事は左傾化した記事が多く、記事のコメント欄は炎上状態となった。そのような事態を受け、市民記者体制及びコメント欄のあり方について議論されたが、その中で編集部が出した結論は、旧来のマスコミに依拠して、拒否反応を示しただけであった 。そのことは、記事に対するコメントとの間に生ずるネット上の「混然」となった議論に対し、既存の記者と読者との分離という発想から脱却できなかったことを意味しており、「オーマイニュース」がひいては「市民記者制度」に依拠したネットメディアが破綻するまでは一本道であった。

5.2.3.4. 「市民記者制度」の終焉
 このようなに中、オーマイニュースも含め市民記者制度が我が国に根付くことはなく 、その機能は、ニュース速報としてはツイッター 、解説記事はブログ、評論はコメントという「ボランティア」の形で受け継がれている。そして、現在では、マスコミが、ツイッターなどインターネット上に投稿された記事を「後追い」して報道することも珍しくなくなっている。

39キラーカーン:2017/03/13(月) 23:53:38
5.2.4. 毎日新聞「waiwai」事件
 「WaiWai」とは毎日新聞が英語で発信していた日本紹介コンテンツであり、2000前後からWEBに掲載されるようになったものである。マスコミ系のコンテンツとしては古参に属するコンテンツといってもよいであろう。そして、日本の大手新聞社が英語で全世界に向けて日本の実情を発信する貴重なコンテンツでもあった。

 この事件は2008年4月から5月頃にかけて、「WaiWai」の記事に、およそ事実とは思えない、日本人の性癖に関する品性下劣な記事が継続して連載 されていることについて、読者から問い合わせがあり、引用元からも抗議を受けた。メディアでも取り上げられたことで表面化する 。

 毎日新聞の調査によれば、外国人ライターが、興味本位で「目立つ話題」を英訳して掲載していたとのことである。また、その記事の内容についても部内で私的されることもあったが、その時は問題視されなかったといわれている。

 しかし、国内マスコミは全くと言ってよいほど報道しなかった。ジャーナリストの佐々木俊尚氏はこの件に関する取材で「身内をかばうのではなく『次の標的は自社』という恐怖から報道することができなかった」との言葉を引き出している 。この渦中で、毎日新聞のWEB版から広告が一斉に引き上げられるという事態にまで発展した。

 この事件を巡る毎日新聞の反応も、反論する者には訴訟(今日でいう「スラップ訴訟」)も辞さないという態度を取ったり、ネットメディアに対する情報統制などネットに対して敵対的なものであった。その意味では、毎日新聞社内では「ネット君臨」に代表される「ネットはマスコミの敵」という観念が上層部にいきわたっていたことを示している 。

 余談ではあるが、これ以後、毎日新聞を指すネット上の隠語として「変態新聞」という名が定着した 。

40キラーカーン:2017/03/18(土) 00:19:21
5.2.5. 毎日新聞連載「ネット君臨」事件
 これまでに述べたような、ネット言論に対するマスコミ側の反発の一応の到達点とされるのが、毎日新聞で2007年元旦から始まった連載「ネット君臨」であった。

 内容はネットの負の側面を取り上げるものであり、ネット言論の拡散・普及に対してマスコミ側から警鐘を鳴らすものであった。このような、「反ネット」的論調について話題を呼んだが、ネット上で話題になったのは、連載第一回の記事を巡っての「匿名・実名論争」と「がんだるふ」氏に対する取材方法であった 。

 当時、毎日新聞では、「まいまいくらぶ」というブログ形式のコンテンツがあり、会員登録をした読者から投稿されたコメントも掲載されるようになっていた(筆者は会員登録をしていなかったが、コメントの閲覧は可能であった。コメントの閲覧のみであれば、会員登録を行わなくても可能であった模様)。また、「まいまいクラブ」にも「ネット君臨」の記事が掲載(転載)されていたことから、「まいまいクラブ」のコメント欄でも議論が行われていた。

 「がんだるふ」氏に対する毎日新聞側の取材状況については、「まいまいクラブ」の該当記事のコメント欄に、直接、「がんだるふ」氏本人からコメントが寄せられた 。その概要は次の通りであったとされている。

 「がんだるふ」氏は、所謂「募金詐欺」の問題で、募金主が「事実無根」の誹謗中傷にされているという視点での毎日新聞からの取材を受けた。本記事で問題となったのはであったその中で、記者が「匿名は卑怯」という方向性で記事を編集するための現地を得るための取材という意図が明白であったと「がんだるふ」氏は認識した。そのため、記者に現地を取られないよう言葉を選びながら、教師が生徒に講義するように説明した 。結果として、「がんだるふ」氏の努力は、既に確定している「筋書き」に当てはめるための才良探しであった記者の取材の前には何の意味も持たなかった。

 「5.2.3 従来の言論空間の対比」でも述べたが、ネットにおける「匿名・実名論争」は、我が国のインターネット文化を語る上で古くて新しい問題である。「2ちゃんねる」をはじめとする掲示板文化に代表される我が国のインターネット文化はこの匿名性とともに発展してきたともいっても過言ではない。それは、他国に比べて「プライバシー」の保護に鈍感な社会風土によるところが大きい。また、現実社会においても「政治と野球の話はするな」という箴言が戦後長く言われてきたことからも、このような政治(社会問題)に対して市井の人々「実名」で発言することのリスクが大きい。

 「ネット君臨」ひいては毎日新聞の幹部は、そのような社会的背景を考慮せず、記者という「実名」で社会問題を論ずることが許されている立場に依拠して、その優位を最大限に活用するために、只管「匿名は卑怯」という言説に固執していたということが読み取れた。そのような旧来のマスコミ人としての振る舞いがネット民の不興を買った。

 インターネットにおける「匿名・実名論争」は、旧来のマスコミ像とそのアンチテーゼとしての我が国のインターネット文化の特徴を巡る議論として、今後もいろいろな形で続いていくのであろう。

41キラーカーン:2017/03/19(日) 23:22:41
1.1. 「ネトウヨの時代」前史
1.1.1. 2009年の自民党下野まで(「行動する保守」運動の発生)
1.1.1.1. 総説
 小泉純一郎氏が任期満了に伴い2006年9月に総理及び自民党総裁を退任した頃から、自民党政権の安定度に陰りが見え始める。小選挙区制の導入に親和的であった小泉首相の政治スタイルと比べて、安倍氏の政治スタイルは、戦後最年少での総理就任と実年齢は若かったが、小泉氏よりは旧来の自民党政治家の「匂い」がする政治家であった 。

 2002年以後、ネットの世界では、ネット右翼(ネトウヨ)は確固たる基盤を築いた。その影響からか、リアルの世界でも、自虐史観はもとより、あからさまな北朝鮮擁護は影を潜めた。しかし、自民党政権であるのにもかかわらず、韓流を始め、マスコミの親中、親韓は続いており、ネトウヨの影響力の限界も感じさせていた。

 このようなネットとリアルとの間の「世論」の差異が可視化されたな状況の中、『嫌韓流』の出版がある程度話題になったものの、ネットだけでの活動では限界があるとする見解が浮上した 。その結果、それまではインターネット内での言論活動(掲示板等への書き込み)を主な活動としていた「ネトウヨ」の中からがネットを飛び出す人々が現れ、「行動する保守運動」としてリアルでの活動を行い始めた。

1.1.1.2. 「在特会」の誕生
 このような活動は、行動する保守運動の代表的人物であり、現「日本第一党」党首である桜井誠氏の述懐によれば、日本政府(軍)による慰安婦の「強制連行」を認めたとされる2006年の「河野談話 白紙撤回運動」が嚆矢とされている 。

 これまでにも述べてきたように、歴史認識論争では「自虐史観」と「在日朝鮮人ナショナリズム」とが共同戦線を張っていたこと、また、『嫌韓流』発売の後から、「保守運動」とは言いつつ、反共産主義・反社会主義という色彩を帯びるというよりも、「反特定アジア(中国及び南北朝鮮の3か国を指すネットスラング)」が主流となるのは当然の成り行きであった。このような流れの中で、桜井氏は2008年「在日特権に反対する日本人会」(在特会)と設立し 、現在の「日本第一党」の設立につながっている。

42御前:2017/03/20(月) 23:45:28
メディアが韓流ゴリ押ししすぎて、みんなウンザリしたのもありますね。自由競争資本主義の世の中で韓国関連を自発的に買わなくなったからといって、まさか「差別だ!」とは言いますまい。(被害者ビジネスは通用しないよ、もう)

特定の人種をDNAや血によって優劣つけるのはナチスと同じになってしまいますが、特定の国の人間の犯罪率が高ければ、「だから〇〇人はよー」と相対的に言われる傾向になるのは避けられません。それをヘイト法のような政治的介入でもって抑圧すれば、不公平感を持つ人間が増えて、早々に暴動が起きると思います。(血の気の多い大阪なんか特に)

在日問題に関して言えば、在日(元在日も含め)でも、マトモに「話ができる」例えば、鄭大均、竹田青嗣、朴炳陽、前田日明あたりの討論を、私はもっと聞きたい。

43キラーカーン:2017/03/22(水) 00:08:21
>>朴炳陽

朴炳渉(半月城)に見えて???でした

44キラーカーン:2017/03/22(水) 00:10:02
5.3.2. 民主党政権時代
5.3.2.1. 総説
 在特会の結成をはじめとする「行動する保守」の組織化と軌を一にするかのように、自民党政権が倒れ、民主党政権が発足した。
彼らにとって、中国や南北朝鮮に融和的である「リベラル」の民主党政権は敵以外の何物でもなかった。選挙結果の判明とともに、ネトウヨは雌伏の時代であることを覚悟した。マスコミも基本的にはリベラルであることから、論調は民主党に好意的であり、そのようなリベラルな流れに抗する「行動する保守」に関する記事は報道せず 、外国マスコミが報道したことから、我が国の情報を入手するために外国語の記事を読まなけれなければならないこともあった 。
 このような中で、「目立たなければ我が国のマスコミに報道されない」として、「行動する保守」の運動が過激な言動に走ることもあり、後の「ヘイトスピーチ」問題への伏線となっていった。さらに、ネット上の言論活動だけで実際に(過激)な行動を起こさない人々を「きれいごと右翼」として批判することもあった 。

45キラーカーン:2017/03/24(金) 01:03:06
5.3.2.2. フジテレビデモ事件
 民主党政権時代におけるこの種の運動として特筆すべきものは、2011年8月に行われた「フジテレビデモ」事件であろう。事件の概要は

以前から親韓的報道姿勢が目立っているフジテレビの報道姿勢に対し抗議するためフジテレビ社屋前でデモをする

というものであった。

 日韓W杯以来、所謂ネトウヨ層の間では、マスコミの中でもフジテレビが目立って親韓的傾向が強いと話題になっていた 。その中で、俳優の高岡蒼甫氏がツイッターでフジテレビの親韓的状況を批判したところ、所属事務所から解雇されたことが引き金となって、フジテレビに抗議デモを行う動きがインターネット上で盛り上がった。最初のデモは「お散歩」 と称する非公式なデモとして8月7日に行われた。

 これ以降もデモは何回か行われていたが、報道するマスコミはなかったといわれており 、デモの参加者は、デモの状況を自分自身でインターネット配信を行っていた。「自由」なインターネットを活用することにより、マスコミや論壇に独占されていた言論空間に風穴を開けることができる。これは、インターネットと「ネトウヨ」との相性が良いとされる一例であろう。

46御前:2017/03/27(月) 12:11:01
安倍明恵氏についてはメールが証拠で、辻本議員の名前が出た途端、そのメールはウソって、一体何を言ってるのかわからない民進党...

47キラーカーン:2017/03/28(火) 22:19:46
>>一体何を言ってるのかわからない

これが、この「回顧録まがい」の主題のひとつでもあります。

>>「ブーメラン」と「国家(主権)意識」の欠如を二本柱として、
>>民主党は我が国のリベラルの信用を地に貶めた
>>(実は、1990年代の「歴史認識論争」の時代からネットでは
>>ある程度知られていたことであり、それが現在ではネット以外でも
>>白日の下に曝されたと言うべきであろう)

48キラーカーン:2017/03/28(火) 22:22:10
5.4. 第二次安倍政権と左派の自壊状況
5.4.1. 総説
 民主党の政権与党としての政策は国民を満足させるものではなかった。経済は円高不況で、外交も尖閣問題や韓国の反日など中韓朝各国との緊張緩和とは程遠いものであった。そして、「アベノミクス」や「黒田バズーカ」といった大胆な金融緩和政策などによって、デフレ不況から脱しつつあるというのも安倍政権ひいては安倍総理を支持するネトウヨ層の基盤強化につながるものであった。

 そのような状況の中で、ネトウヨの代表的存在と見られていた田母神元航空幕僚長が2014年の都知事選挙に出馬し、60万票を獲得し、若年層の支持率が高かったという出口調査の結果で、ネトウヨが無視できない勢力として可視化された。

 しかし、それは、他国のように「極右政党」の躍進ではなく、ネトウヨ層が安倍政権の支持層に包含されていき、他国のような「極右政党」が壊滅に瀕しているところが我が国独自の状況であり、また、安倍総理が一人の政治家としてネトウヨ層の支持を得ているということを意味している 。

 しかし、一番大きいのは、左派の「ブーメラン」であった。民主党が政権を取ったことで、野党として自民党を批判していた言動と自身が与党として批判を受けた場合の対応が首尾一貫しておらず、自民党への批判がそのまま自身の言動への批判として跳ね返ってくることが多かった事象を指している。こうした言動は、井上達夫氏がリベラリズムの条件として挙げた「二重基準の禁止」及び「反転可能性」については敏感である事を意味している

 また、「ブーメラン」と匹敵するくらいの問題点が「国家意識」の欠如である。元来、左翼には「世界同時革命論」に代表されるように、国家(主権)意識が欠如しており、それと「自虐史観」が結びつけは、「国」は忌むべきものであるという結論まで行きつくのは然程難しくはない。その国家意識の欠如がもたらしたのが、蓮舫民進党党首の「二重国籍」問題である。

 「ブーメラン」と「国家(主権)意識」の欠如を二本柱として、民主党は我が国のリベラルの信用を地に貶めた(実は、1990年代の「歴史認識論争」の時代からネットではある程度知られていたことであり、それが現在ではネット以外でも白日の下に曝されたと言うべきであろう)。そのせいもあり、下野後の国政選挙では連戦連敗といってよい状況である。その退勢を立て直すため、第三極であった「みんなの党」や日本維新の会を吸収するも、未だに党勢回復の切っ掛けを掴めておらず、「安倍一強」という状況が続いている。

49新八:2017/03/29(水) 23:39:48
>(実は、1990年代の「歴史認識論争」の時代からネットではある程度知られていたことであり、
>それが現在ではネット以外でも白日の下に曝されたと言うべきであろう)。そのせいもあり、
>下野後の国政選挙では連戦連敗といってよい状況である。

そのハズなんですけど、私の選挙区では保革逆転してしまっているんですよね。(新潟3区)
そういう状況なので、あまりこの辺で政治談義は探りながらやっております。

50キラーカーン:2017/03/30(木) 22:40:23
>>新潟3区
といえば田中角栄、というネタもそろそろ通じなくなるのでしょう
で、局所的にはそういうのも出てしまうのは仕方がないのでしょう

51キラーカーン:2017/03/31(金) 23:54:48
5.4.2. 田母神氏都知事選出馬と意外な「善戦」(可視化された「ネトウヨ」)
5.4.2.1. 田母神氏の人物像(自衛官退官まで)
自民党が政権を奪還したことにより、「保守化(右傾化)」の潮流をとらえて、政治の世界に進出しようとする人物も出てきた。その中で、一番知名度があったのは田母神俊雄元航空幕僚長であろう。
田母神氏は防衛大を卒業し航空自衛隊に入隊した。自衛官としては優秀であり、航空自衛官としての最高位である航空幕僚長(空軍大将待遇)にまで上り詰めた。航空幕僚長時代に執筆し、「真の近現代史観」懸賞論文に応募した『日本は侵略国家であったのか』が最優秀賞を受賞したが、その内容が当時の政府見解と異なることから、航空幕僚長の重責にある者が部外に公表 する文書としては不適切 として航空幕僚長を解任 された経歴を持つ。
5.4.2.2. 都知事選出馬と選挙結果(可視化された「ネトウヨ」)
田母神氏は自衛官退官後、軍事評論家或いは保守系活動家として積極的に活動を行っていた。その中で、政治家への転身も視野に入れていたらしく、猪瀬都知事の辞任に伴う東京都知事選(2014年2月)に出馬した。当初は泡沫候補の中の一番手といった扱いであったが、石原慎太郎日本維新の会共同代表(当時)の支援を受けるなど、有力三候補(舛添要一、細川護熙、宇都宮健児)に次ぐ存在を確保し、テレビ討論でも「4人」でということもあった。

 選挙結果は60万票余りを獲得し、4位となった。当選した舛添氏の200万票余りはともかく、2位の宇都宮氏、3位の細川氏がいずれも100万票弱の得票に終わった中での60万票は「大健闘」といってよいものであった。特に、田母神氏は若年層の得票率がたかったとされている 。この結果は、これまで、「伝説の存在」といわれていたネトウヨがその姿を現したとして、マスコミに代表される「リベラル」層に衝撃を与えた 。

 しかし、その後、「自民党の右」に位置する安倍総理の安定した政権運営もあり、「自民党の右」に位置する政党の支持層が自民党に吸収されていったことも 、「安倍一強」の一因でもある。とはいっても、これらの政党はネットでの支持が一般の世論調査よりも高い傾向にあるため、その意味で「ネト」或いは「ネット」と表現するのは間違いではないのかもしれない。

5.4.2.3. 田母神氏のその後(選挙違反で有罪)
 都知事選で予想外の「善戦」をしたことで、田母神氏の政治(活動)家としての価値は高まった。丁度、安倍首相が所費税延期を理由に衆議院を解散したことから、2014年12月に衆議院総選挙が行われることとなった。田母神氏は次世代の党公認で東京12区から出馬した。東京12区は自公の選挙協力により、公明党の指定席であったことから、「行き場のない保守票」を求めて同区から立候補したものと思われる。選挙結果は立候補者4名中最下位ではあったが、2位から4位までは4万票前後で拮抗していたことから、「惨敗」とまでは言えないが、自公協力の壁は厚かったというべきであろう。

 総選挙落選後、都知事選での政治資金の扱いを巡って、田母神氏は公職選挙法違反で逮捕され、運動員に有罪判決(執行猶予付き)が下った。この結果、田母神氏の政治家としての将来は事実上立たれた状態にある。

52キラーカーン:2017/04/04(火) 23:38:38
5.4.3. 民進党(民主党)の「反転可能性」、「二重基準」への無理解
 自民党が政権に返り咲き、民主党(当時)が野党に転落した。野党に転落した民主党は、政権獲得前の「自民党に難癖をつける」という「なんでも批判」政党へ回帰した。民主党が政権を奪取する2009年より前であれば、民主党政権も「将来の希望」であったことから、そのような手法も通用したが、一度政権を奪取した後であれば、政権与党時の実績を基に野党としての言動を評価されることもまた当然な成り行きである。

 そのような変化も理解せずに、かつての野党時代のように与党批判を繰り返していることから、その批判が自身の言動にも突き刺さるという意味で、民主党の与党批判は「ブーメラン」といわれ、反転可能性或いは二重基準の禁止の観点から説得力をなくしている。

 このような姿勢は我が国の「リベラル」といわれる勢力一般にみられる傾向である 。その点からも「リベラル」は我が国の市井の人々の支持を失っており、その傾向は現在においても継続している。その結果、民主党から民進党へ「看板をかけ替え」ても、党勢が回復しない一因となっている。

 次項以下では、そのような「国家意識の欠如」及び「反転可能性及び二重基準」の禁止というリベラルの自殺行為を象徴する事例について述べることとする。

53キラーカーン:2017/04/06(木) 23:03:29
5.4.4. 蓮舫「二重国籍」問題(リベラルの「国家意識の欠如」)
5.4.4.1. 総説(政治家と国籍)
 主権国家が現在の国際社会における主役であることから、どの国家に帰属意識を持っているか(或いは持たないか)ということは、政治家及び国家公務員にとって決定的意味を持つ。我が国においては、政治家を含む国家公務員には日本国籍を有する者であることが求められている(日本国籍を含む多重国籍者であっても法律上は排除されていない)。他国の例として、米国では大統領就任資格がある者は出生によって米国国籍を取得した者に限られる。したがって、所謂移民一世は、閣僚(○○長官)州知事や大統領就任資格を持たない 。この結果、閣僚であっても大統領職の継承順位からは排除される。

 このように、政治家を含む公職を志望する者にとって国籍は決定的な意味を持つ。特に、複数の国籍を有する二重国籍(多重国籍)者が国家の最高指導者に就任する場合は、「忠誠」を尽くす国家がどの国家であるかという問題が生ずる 。即ち、「国家に忠誠を誓う」べき政治家が多重国籍である場合、「複数の国」に忠誠を誓う義務を有する多重国籍者が国家の重要政治家特に大統領や首相に就任することは、その職務遂行と多重国籍が抵触する場合が生じる。
したがって、政治家を目指す者にとっては、多重国籍である事自体が政治家として不適格であるとの烙印を押される可能性を負う(リスクがある)ことを意味する。現に、米国においては、大統領候補者や首相候補者が二重国籍である場合、不適格者とみなされ、米国以外の国籍の放棄を強いられることがある 。

 他国では、フィリピンのヤサイ外相が米国との二重国籍疑惑で同国の閣僚任命委員会が同氏の閣僚任命を否決し、事実上の解任・更迭となった。このように、国家指導者(≒閣僚級)にとって他国との多重国籍は事実上の欠格事由となることが往々にして生ずる。

5.4.4.2. 蓮舫氏の場合
 そのような、政治家と国籍との関係に無頓着であったのが民進党であり、同党党首に選出された蓮舫民進党党首代表である。この蓮舫党首の例が象徴的であるが、民主党をはじめとする我が国のリベラル・左派勢力の政治家は国家(主権)というものに対する無頓着さを隠そうとしない。時には、その無頓着さこそが「地球市民」として将来あるべき人類の姿であるという振る舞いを行う 。
閑話休題、蓮舫党首は本名を村田蓮舫である(姓が「蓮」、名が「舫」ではない)。 蓮舫党首は台湾人の父と日本人の母との間に生まれた。芸能人時代は「国際化」の時流にも乗り、その出自が有利に働いた。また、雑誌やマスコミとの対談記事などでも「台湾系」をセールスポイントとしていた。また、民主党政権時代の「事業仕分け」の仕分け人としても知名度が高かった。このため、党勢回復の切り札として、参議院議員という難点 はあるが、野党第一党党首という「影の首相」の座に蓮舫女史が党首選に擁立された。
 この党首選挙の際、芸能人時代の言動から、蓮舫女史が台湾国籍を放棄していないのではないかという疑いが浮上した。蓮舫女史が日本国籍を保持していることは疑いがない 。問題は、蓮舫女史が日本国籍を選択した際に台湾国籍(中華民国国籍)を放棄したか否かという問題である。評論家の八幡和郎氏によれば、この問題を蓮舫事務所に問い合わせた際の応答ぶりから蓮舫女史はいまだに二重国籍状態を継続していると確信したとのことである 。

 結局蓮舫女史は二重国籍であったことを認めるのであるが、それまでの説明が二転三転しており、その中には、台湾系日本人でありながら、「日本は台湾を国家承認していないので、中華人民共和国の法律によって台湾国籍は処理される」という旨の「台湾の存在をないがしろ」にする説明を行っており、その点からも、蓮舫女史の国家意識の欠如が垣間見えるものとなっていた。蓮舫女史現在に至るまで、本件の結末を説明していない。

 このように、自身の問題について説明が不十分である状態を放置したままでいるということは、与党の説明不足を責める蓮舫党首の言葉の説得力にも影を落としており、ネットでは、蓮舫党首が与党を追及するたびに「戸籍を公開しろ」という「突っ込み」が入るのが定番となっている。

54キラーカーン:2017/04/10(月) 23:07:40
5.4.5. 「日本死ね」問題と「新語・流行語大賞」
5.4.5.1. 最近の「新語・流行語大賞」の概要
 我が国の年末の風物詩として「今年の漢字」と並んで取り上げられるのが、「新語・流行語大賞」(所謂「流行語大賞」)である。流行語大賞は、当初は『現代用語の基礎知識』(自由国民社)の単独主催であったが、2004年から『現代用語の基礎知識』(自由国民社)と株式会社ユーキャンとの共催 となった。

 ここ、数年来、『現代用語の基礎知識』の編集内容が、所謂左派寄り となっていたこともあり、最近の「新語・流行語大賞」も左派の活動を宣伝する内容のものが取り上げられる傾向にある 。また、選考委員もそのような志向を隠していなかった。

 このような「左傾」した選考の例として、2014年の大賞が「集団的自衛権」及び「ダメヨ〜ダメダメ」となったことが挙げられる(2つ繋げると「集団的自衛権、ダメヨ〜ダメダメ」となる 。

55キラーカーン:2017/04/13(木) 23:29:42
5.4.5.2. 「日本死ね」問題
 安倍政権は「一億総活躍」というスローガンを掲げ、働く女性の支援にも力を入れようとしていた。その場合、両親共働きという形態が当然に予想できることから、問題となるのは、両親が仕事で家にいない間の子供(幼児)の世話は誰が行うのかということになる。

 このような問題意識から、安倍内閣としても保育所の増設(保育可能人数の増加)には力を入れてきたところであり、その効果は着実に上がっていた。しかし、景気の回復に伴い、働きに出る女性の増加に保育可能人数の増加が追い付かなくなってきており、特に首都圏において、子供を保育園に入所させられない問題(所謂「待機児童問題」)が深刻となっていた。

 このような情勢の中、あるブログで「保育園落ちた。日本死ね」との書き込みが話題になり、民進党の山尾議員がこの書き込みを基に政府の姿勢を追及した。これにマスコミも同調し、安倍政権への批判の世論を高めようとしたが、待機児童問題は地方自治体が主管となって行う施策である事から、安倍内閣に対する打撃は小さく支持率は然程下がらなかった。

 待機児童問題に関しては、そもそも、「日本死ね」が書かれたブログは匿名ブログであり、また、「言葉が汚い」ことから、国会で取り上げるべきものかという批判はあった。待機児童問題は早急に解決すべき問題であるとの認識は与野党に共通しているので、そんな言葉を使わなくても前向きな答弁を引き出すことはできる見込みがあったこともその批判の背景にあった。

5.4.5.3. 「待機児童」よりも「ネトウヨ叩き」を優先
 その騒動の中で、「日本死ね」が

安倍政権の批判の道具として待機児童問題を利用しただけであって待機児童問題の解決には関心がない

と判断され所謂ネトウヨ層からの反発を買う決定的事案が発生した。

 東京都新宿区も待機児童問題が深刻化していた。舛添東京都知事(当時)は、保育所に使いたいという新宿区の要望を断る形で、韓国学校を建設しようとしていた。元々、左派の「マッチポンプ」を疑っていたネトウヨ層は、単なる「安倍たたき」か、或いは、本当に待機児童の問題を憂いているのかの試金石として「日本死ね」を書き込んだ人に、韓国学校ではなく保育所を建設するよう(待機児童問題を主管している)都知事に陳情に行くべきだと進めたが、「日本死ね」を書き込んだ人は

嫌韓思想を押し付けるな(韓国学校のためなら「保育園落ちた」でも構わない)

という回答だった 。
 これが、「日本死ね」が目的で「待機児童」は安倍叩きのための「だし」であったとネトウヨ層の疑惑が確信に変わった瞬間であった。

 保育園に落ちただけで「日本死ね」という激烈な言葉を浴びせながら、待機児童問題を放置し、親韓一辺倒であるかのような政策を推進する都知事の姿勢には理解を示したことで、「反日」と「親韓」というネトウヨにとってはこれ以上のない「コンボ」が完成した。

 また、「日本死ね」の記事が投稿されてから、至短時間で当該ブルグ記事が所謂リベラル・左派のツイートによって「拡散」されていることからも、周到な準備の下に仕組まれた「マッチポンプ」であったのではないかという疑惑が持ち上がった。実際、2014年の解散総選挙においても、リベラル・左派の側は、「小学校四年生」という「純真な子供」を騙って安倍首相の解散に疑問を呈するという形式で、反自民の世論を高めようとした事案があった。それは、「青木大和小学四年生詐称事件」といわれるものであった。

56キラーカーン:2017/04/16(日) 00:51:44
5.4.5.4. リベラルの「自作自演」の原型(「青木大和小学四年生詐称事件」)
 ここで、リベラルによるネット発の「マッチポンプ」の前科(未遂)としての「青木大和小学四年生詐称事件」に触れなければならない。

 「青木大和小学四年生詐称事件」とは、「僕らの一歩が日本を変える」代表の青木大和氏がウェブサイトを作成し、小学四年生と偽って、安倍総理に「解散の大義」を質問するというものであった。小学四年生が急いで作ったにしては余りにも「レベルの高い」ウェブサイトであったことから、「小学四年生を騙った大人」が解散総選挙で安倍自民党の評価を下げるために「でっち上げた」という疑いが浮上した。

 そのような中、当該WEBサイトのソースコードやドメイン名取得記録などから、「僕らの一歩が日本を変える」代表の青木大和の依頼に応じ、灘高校在校中から天才プログラマとして知られていたtehu氏が党外WEBサイトを作成したことが明らかとなった。青木氏は民主党のイベントに招かれるなど民主党(当時)とつながりが深く 、また、青木氏が民主党のイベントにゲストとして呼ばれたことがあったことから、青木氏と民主党が組んだ反安倍政権世論醸成のための「マッチポンプ」という疑いが浮上した 。

 この一件については、安倍総理も「子供になりすます最も卑劣な行為」と自身のフェイスブック上で批判するまでに至った 。
 このような前科があったことからも、今回の「日本死ね」事案も「民主党或いはそのシンパによる『マッチポンプ』による安倍叩き」という疑惑の目で最初から見られた。

5.4.5.5. 「新語・流行語大賞トップテン」受賞とダブルスタンダード
 「日本死ね」は結局、年末の「新語・流行語大賞トップテン」に入り、国会で取り上げた山尾参議院議員が授賞式に出席した。過去にも、オウム真理教関連の言葉が流行語大賞の対象外となった事例もある事から、「日本死ね」の受賞には、その語調の強さから、流行語として不適切との意見が上がった 。

 その際、受賞擁護派の主張として、①強い語調でなければ問題提起にならない、②「死ね」という言葉だけではなく、文脈を読まなければならない、などといった理由が挙げられた 。
しかし、後述の「ヘイトスピーチ」規制にもつながる論点であるが、所謂ネトウヨ或いは行動保守側も同様の理由で自己の言動を正当化しており、そのことについてリベラル・左派は「死ね」という言葉は使うべきではないなどと強い批判を加えていた。このような経緯を知っている者、特にネトウヨ層にとって、この問題での「日本死ね」擁護論は典型的な「ダブルスタンダード」として批判の対象となった 。

57キラーカーン:2017/04/18(火) 23:29:12
5.4.6. 「しばき隊」とその暴力的体質
5.4.6.1. 総説(「しばき隊」とは何か)
 本稿では、リベラル・左派の市民運動が抱える「暴力性」或いは「抑圧性」を体現する象徴的な団体として、俗に「しばき隊」 といわれる集団に焦点を当て、「しばき隊」を中心「しばき隊」及び「しばき隊」が引き起こしたリンチ事件を糸口にして、現在のリベラル・左派の市民運動が抱える「暴力性」或いは「抑圧性」について述べる 。

 元来、環境保護運動と左派的市民運動とは相性が良いことは、ドイツの「緑の党」を持ち出すまでもなく、全世界的な傾向であり、我が国においても例外ではない。このため、左翼は「赤から緑」へシンボルカラーが変化したと評されることもある。

 したがって、環境保護活動としての反原発運動と左翼活動とは相性が良いのは我が国に限らず、先進国一般にみられる傾向である(但し、その国における影響度は、その国々固有の政治情勢によって異なるのはいうまでもない)。

 東日本大震災とそれに続く福島第一原発事故をきっかけとして、「しばき隊」に代表される暴力的なリベラル・左派活動団体に活気が出てきたのも、一応、その文脈でとらえることは可能である。その「運動」に便乗し、その運動体の暴力的な側面に目をつぶっていた(或いは黙認していた)。その活動をリベラル・左派知識人が支援し、はるか昔に挫折した「60年安保の再来」という「見果てぬ夢」を追っているという点もある 。

 福島第一原発の爆発事故は日本のみならず、世界中で衝撃をもって受け入れられた。この事故の結果、原子炉の中の放射線物質或いは放射線が大気中に放出され、東日本が放射能に汚染されるのではないのかとの恐怖感が広まった。暫定的ながらも、原子力安全・保安院は国際原子力事象評価尺度(INES)による事故評価の最高値は、チェルノブイリ原発事故以来のレベル7となったことによる影響もあったと推測できる。

 我が国には、第二次世界大戦の末期に、広島と長崎に原爆を投下されて以来、原子力或いは放射能に対する「アレルギー」といわれる強い拒否反応がある。さらに言えば、反原子力活動においては、(原爆だけではなく)ビキニ環礁での水爆実験でも我が国の第五福竜丸が被爆したという事例も併せて語られることも多い。そして、そのような「民族としての記憶」は映画「ゴジラ」シリーズの基本設定として現在にも影響を及ぼしている。

 そのような「原子力アレルギー」は、当然のことながら、反原発運動と親和性 が高くなる。この観点から、左派系市民運動が福島第一原発の事故を反政府活動の活性化に利用しようとするのは当然の成り行きである。

 その後、左派の市民運動家は、目標について、反原発⇒反特定秘密保護法⇒反集団的自衛権と次々と看板を掛け替え、現在は反在沖米軍、或いは反レイシズムを金看板として反政府運動を継続している。このため、これらの運動を行う主要な「活動家」は重複しているとの参加者の証言 もある。そして、実際にしばき隊も、この在沖米軍基地反対闘争を支援している。

 そして、そのような左派的市民運動から、「人権活動家」の名を騙った暴力で反対派の活動を封じ込めようとする、まさに、かつての共産主義国家やナチスドイツを彷彿とさせるような暴力的言論弾圧集団である「しばき隊」 が誕生した。そして、少なくない左派系の知識人や識者がその「暴力性」に魅せられ、現代の左派的市民運動を象徴する存在とまでになった。

 以下、現在の左派的市民運動を語る上で欠くことができない存在となった「しばき隊」について述べていくこととする。

58キラーカーン:2017/04/19(水) 22:52:07
5.4.6.2. 「しばき隊」の暴力性
 「しばき隊」という名の元となっている「しばき」の元々の意味は「(相手を物理的な)力で叩きつける」というという意味の関西弁である。このことから、「しばき隊」は本来的に暴力的傾向を有するというのは、主宰の野間氏自身も隠していない。

 現実にも、「しばき隊」及びその界隈には、そのような暴力的スタイルを実践している。沖縄に派遣された機動隊員の「土人」という暴言が話題となったが、在沖縄米軍基地反対闘争を行っている活動家には、それ以上の「暴言」や「暴力行為」を為す者も多い。実際にも在沖縄米軍基地反対闘争においては、先に挙げた「しばき隊」と密接に関係のある「男組」構成員や現地の活動家からも逮捕者を出している。

 また、ジャーナリストの安田浩一氏がしばき隊の主宰である野間氏を連れて米軍基地容認派の女性の自宅にアポなしで押しかけ、野間氏或いは「しばき隊」によるプライバシー暴き或いは「突撃」を支援・容認するかの行動をとっている。

 「しばき隊」による「暴力的威圧」として特筆すべきものとして、「しばき隊」支援者として知られている有田参議院議員の街宣車(通称「有田丸」)に「しばき隊員」が同乗して、反「しばき隊」の立場を鮮明している人士の自宅に本人不在の時間を狙って「突撃」したという疑惑が持ち上がっている (幸運にも、家族も不在だったため、実害はなかった模様である)。

 野間氏自身も、「(相手への言動は)勿論、傷つけるために言っている。それがしばき隊のスタイル」と暴力によって相手の言動を威圧・弾圧することが目的である事を隠していない 。

 「しばき隊リンチ事件」でも野間氏自身が被害者のプライバシーを暴き、また、金明秀氏が、先に述べたように、実名で被害者に対して恐喝まがいのツイートも行っている 。また、過去の事件では、野間氏が相手のプライバシーを暴露し、氏の支援者がその相手の自宅に突撃したことから、突入された相手から損害賠償請求訴訟を起こされ、野間氏は敗訴し、賠償金支払が確定した。

 また、そのような「過激な」言動により、ツイッター社からは野間氏はツイッターアカウントの凍結処分を複数回受けている。ツイッター上で話題になる人士でアカウント凍結になるのは、所謂ネトウヨよりも所謂リベラル・左派が多くなっていることも特筆すべき事項である。このような言動から、リベラル・左派は「自分自身は『正義』であり、法を無視しても許される」という遵法・規範意識の欠如に向かう傾向が強いと判断される。

 また、そのような現状から、所謂ネトウヨ層の方がリベラル・左派より遵法意識ひいては「反転可能性」や「二重基準の禁止」という「リベラル」の根本基準に敏感であると推測できる。そのような、「『ネトウヨ』が実は『リベラル』」という状況となり、昨今の我が国における「右傾化」に歯止めがかけられない状況となっている。

 このように、現状は、所謂リベラル・左派に対して厳しい状況に陥る状況になりつつある。この状況に焦りを感じた北田暁大氏をはじめとする多くの社会学者、有田芳生参議院議員など多くの「有識者」が、「しばき隊」に代表される「暴力的」スタイルが纏う「突破力」に、自身や左派系市民運動団体の市民運動家としての将来を感じ、「しばき隊」の暴力路線に賛同或いは黙認をした 。

 しかし、そのような武力革命集団と見まがうばかりの「暴力路線」に活路を見出すリベラル系の「有識者」の焦燥をあざ笑うかの如く、「しばき隊リンチ事件」の発覚後、「しばき隊」と「在特会」とが「合わせ鏡」や「どっちもどっち」ではなく「しばき隊」とそれを支援している社会学者・識者の方が「よりひどい」という論調がインターネットでは優勢になりつつある。

 少なくとも世論調査を見る限り、安倍内閣の支持率は概ね50%以上を維持しており、「安倍一強」といわれる政治状況にも変化がない。また、野党の支持率も依然として低迷している。特に、野党第一党である民進党の支持率が10%を超える気配がない。これらのことから、「しばき隊」による「暴力路線」が安倍政権に打撃を与えている、或いは無党派層を野党支持層に取り込んでいるとは言い難い状況である。

59キラーカーン:2017/04/20(木) 23:21:46
5.4.6.3. 「しばき隊」の暴力性の発露(「しばき隊リンチ事件」)
5.4.6.3.1. 総説
 このような、「反転可能性」の欠如及び「ダブルスタンダード」による傍若無人の振る舞いが、部内における暴力的私的制裁(リンチ)という醜悪かつ凄惨な形で噴出したのが、いわゆる「しばき隊リンチ事件」(旧「十三ベース事件」である。

 この事件は、発生後、加害者側の在日朝鮮人のための人権活動を支援する社会学者や弁護士を巻き込んだ在日韓国朝鮮人支援者のネットワークで長らく隠蔽されてきた。そのため、その事件の真相はおろか、実際に発生したか否かの真偽も明らかでなかったことから、ネットの中の「在日ウォッチャー」の間で都市伝説的に語られてきたものである。それが、ある週刊誌の「勇み足」的記事がきっかけとなって、世に知られ、また、細部はともかくかつて「十三ベース事件」と呼ばれた暴力事件が発生したこと自体は事実であることが確実こととなった。

 この事件が、かつて「十三ベース」事件と呼ばれていた理由は、
 ① 大阪市の十三で起きた(実際は北新地で発生)
 ② 日本赤軍の「山岳ベース」事件と同様に、彼ら運動体の暴力的性質が端的に表れた事件
とみられたことによる。

 しかし、その後、事件は十三ではなく北新地で起きたことが判明したため、現在では「十三ベース」事件ではなく、「しばき隊リンチ事件」という名称で呼ばれることが多い。この事件では、本稿でも触れた金明秀氏もリンチの隠蔽、もみ消し、矮小化に加担した人物として名前が挙げられている。

5.4.6.3.2. 事件の概要
 この事件の概要及び背景については、鹿砦社から出版された『ヘイトと暴力の連鎖 反原連-SEALDs-しばき隊-カウンター』(『紙の爆弾』2016年7月号増刊)及び『反差別と暴力の正体』(『紙の爆弾』2016年12月号増刊)に詳しい。というよりも、本件について唯一活字化された書籍である。その他に情報を収集するためには、インターネットで断片的な情報を収集しなければならない。

 詳細は『ヘイトと暴力の連鎖』及び『反差別と暴力の正体』に譲るとして、事件の内容を簡略化して述べると
① 被害者と加害者は「同志」として「レイシスト」への「カウンター」活動に参加
② 参加者Aが別の参加者が「レイシスト」団体から金銭を受領していたとの疑念を抱く
③ Aが北新地の飲み屋に呼び出される(かつては「十三」の飲み屋とされていた)
④ Aがリンチを受ける(加害者側が挑発して被害者に暴力を振るわせようとした
⑤ 加害者側が謝罪の意を示すが、後に反故にする
⑥ カウンター参加者が一斉に「B(加害者)は友達」というツイートを実施
⑦ カウンターを支援していた社会学者 などを巻き込んで隠蔽工作
⑧ 週刊誌に事件の概要が出るが、一部事実誤認 があったため謝罪記事が出る
➈ Aが加害者(複数)を不法行為で提訴(現在係争中)
というようなものである 。

60キラーカーン:2017/04/21(金) 23:17:04
5.4.6.3.3. 事件の反響とマスコミの沈黙
 運動方針を巡っての路線対立から仲間割れはよく見られることである。戦後の我が国においては、日本赤軍などの極左暴力集団が「内ゲバ」と言われた内部の武力抗争が発生し、それもあって、我が国における左翼運動は70年安保闘争前後で事実上終焉した。

 本件については在日朝鮮人に対する「暴力行為」に対する反対運動を推進していた側が、内部の路線対立から暴力事件を起こし、かつ、ツイッターを活用し暴行事件の被害者を運動体から疎外した。かつての極左暴力団体において見られた内ゲバというような双方向的なものではなく、一方的な「リンチ」或いは「いじめ」というべき行為によって、組織の方針に反対する者を精神的に追い詰め、更に事件の存在自体を隠蔽した。

 このような「仲間の人権」すら擁護することができず、あまつさえ、その後の被害者に対する言動などが「インターネット」で「全世界に公開」されているという現代社会において、そのような敵対者の人格を毀損して恥じないという「人権運動団体」にあるまじき行為をしたということで「カウンター」運動自体の正当性を疑わせるに十分なものであった。

 更に、被害者が「身の安全」のため、身に着けていた録音機に記録されていた暴行の音声の一部及び暴行を受けた直後の被害者の痛々しい顔がインターネットに「公開」されたことは、事件を知った人々に対して衝撃を与えた。それは、この「リンチ事件」が、まさに「山岳ベース」事件を元ネタにして「十三ベース」事件と称されるに足るものであった。

 事件がインターネット上で周知のものとなった後も、金明秀氏 は「(事件に関するツイートは)トータルとしてデマ」或いは「(被害者に対し)自分や彼女を守ってもらっている自覚はあるのか」というような脅迫まがいのツイートを行っていた。また、支援者が事件の隠蔽のみならず、被害者のプライバシーを暴くなど、被害者に対する「二次被害」もあり、その点からも、「人権活動家」としての資質に疑問がもたれるようになっている。

 このような「人権活動運動」の正当性に疑念を抱かせるに足る重大な暴力事件であるのにもかかわらず、活字媒体で取り上げたのは、先に挙げた鹿砦社のみであり、マスコミはおろか週刊誌でも報道されない状況となっている。この事件は、文字通り「インターネットでのみしか知ることのできない事件」となっている。

 それどころか、マスコミ及び少なくない学者や人権活動家は加害者側の人士を「現代リベラルの旗手」として、あたかも「民主主義の擁護者」として紹介している 。このような現状では、リベラル系のマスコミが、そのような「人権活動家」の暴力的側面を黙認して、マスコミの「正義」のためには、暴力弾圧のための暴力行為を働いても構わないという底意があると判断せざるを得ない。

 「しばき隊リンチ事件」のように、マスコミが好意的に取り上げた人士・団体が起こした独善的で残虐な側面についての「報道しない自由」を行使していることは、マスコミも「しばき隊」との「心中」を決意したと判断する要素となり得る。そして、このような、「マスコミにとって『都合の悪い』事件」は、インターネットを通じてのみ知ることができる。現代のように、個人がマスコミにも匹敵する発信者となり得るインターネット社会であるがゆえに表面化した事件であり、そのような社会でなければ、マスコミによってこの事件は「隠蔽」され市井の人々に周知される機会すらなかった。

 このように、インターネットによる個人の発信は、これまでの「社会の木鐸」というマスコミ像を突き崩しつつあることから、繰り返しとなるが、マスコミがネット言論を「目の敵」にする理由がある。

61キラーカーン:2017/04/26(水) 00:13:00
5.4.6.4. 「しばき隊」への左翼・リベラル勢力の暗黙の支援(「在特会」との違い)
5.4.6.4.1. 総説
 街頭で活動し、口汚く罵ることや、直接的暴力行為によって相手の言論活動を否定するという点で、「しばき隊」は「在特会」と比較されることが多い。確かに、「罵倒など強い言葉でなければマスコミに取り上げられない」に代表される両者の運動論は合わせ鏡のように相似形を描くことが多い。

 おそらく、「思想」はどうであれ、街頭でのデモ活動を行い、「汚い言葉遣い」で注目を浴び、その際、街頭で反対勢力との(物理的)衝突を排除するという目的(方針)が「在特会」と「しばき隊」双方の共通点であれば、その目的に応じて選択される「行動」面が類似してくるのは合理的な帰結である(魚とイルカとの形が「似たようなもの」になるのと同じ)。

 少なくない「保守」や「ネトウヨ」が「在特会」とは一線を画していると公言している結果(詳しくは後述)、保守やネトウヨの側からは「在特会」の運動は、「あんなものは『保守』とは異なる」という抗弁が可能であるのに対し、リベラル・左派の主流は「しばき隊」の暴力的活動を公然或いは黙示的に支持している(少なくとも、表立っての反対意見は見られない)ため、「しばき隊」の悪評によって自身の社会的影響力を消失させていくことになっていった 。

 そして、「しばき隊」の悪名が世間に広まるにつれ、「しばき隊」を公然と或いは黙示的に支持し、「しばき隊」と心中の道を選んだ所謂リベラル・左派系の政治団体や識者の言説に説得力が無くなっていくのも理の当然である。その結果、「在特会」及び「しばき隊」双方から距離を置いていた「無党派層」が反「しばき隊」、即ち「反リベラル・左派」 の側へ追いやる結果になっていくというのも当然の帰結であった。

5.4.6.4.2. 既存の「保守系知識人」の側からの批判も少なくない「在特会」
 しかし、「しばき隊」と「在特会」との間には決定的な違いがある。「在特会」は「保守の風上にも置けない」として、従来の保守系知識人・文化人・識者は、「在特会」を毛嫌いし、「在特会」と同類扱いされることを明確に拒否するという者も少なくなかった 。
 また、ネトウヨ層でも「在特会」的路線を忌避する意見がインターネット上で開陳されることも少なくない。したがって、保守・ネトウヨの主流と「在特会」との間には大きな断層があると判断できる。それは、選挙戦においても、「日本のこころを大切にする党」や「幸福実現党」といった(所謂ネトウヨ層の支持が期待できる)「自民党より右」に位置する政党・政治団体が田母神氏の「大量」得票以後、選挙で結果を出していない という点にも表れている。これらの事象から判断すると、ネトウヨ層の大部分は「安倍自民党」に吸収さているとみられる。

 勿論、これらの政党・政治団体は自民党とは別個に選挙を戦っていることから、自民党を含めた「右派」がそれらの政党・政治団体と共闘することもない。

5.4.6.4.3. 「しばき隊」と「心中」を選んだリベラル・左派
 その一方、「しばき隊」には「タレント精神科医」として知られる香山リカをはじめとする大学教授を始め、有田芳生民進党参議院議員といった政治家も公然と「しばき隊」を応援し、「しばき隊」を排除しようとはせず、逆に「仲間」或いは「同志」として受け入れた 。

 また、SEALDsのような左派系市民運動団体も、福島第一原発事故を契機とした反原発運動以来、しばき隊と良好な関係を保っている。2016年7月の東京都知事選挙でも、民進党、共産党をはじめとする野党と「しばき隊」をはじめとする左派系市民運動団体が連携して、事実上の野党統一候補を擁立したことにも表れているように、しばき隊は所謂リベラル・左派勢力に欠かせない「戦力」となっている。

 そして、マスコミはそのような左派系市民運動を支援する観点から報道することはあっても、彼らの暗部や汚点といったマイナス面(「暴言」や「暴力行為」など)については「報道しない自由」を行使し、報道されることはまずない 。
それとは逆に、朝日新聞系のAERAでは、野間氏を「新しい市民運動の旗手」として紹介し、「しばき隊」をAERAなど「リベラル」が系のメディアが支援している状況にある 。このような事情も「しばき隊」の汚点に関しては、リベラルが主流であるマスコミで報道されない一因であると推測される。

 このように、マスコミが「報道しない自由」を行使している案件について市井の人々が深く状況を知るためには、インターネットで情報を収集するしかない。この点からも、マスコミの「情報発信権の『独占』」が崩れつつあり、マスコミがインターネットを「目の敵」にしているということが実感できる。

62キラーカーン:2017/04/28(金) 00:03:48
5.4.7. SEALDs(シールズ:左派的市民運動の新しい受け皿)
5.4.7.1. SEALDsとは
 現在の日本社会において、街頭デモなど、旧来の左派的市民運動の枠組みにこだわっていては、若者を取り込むことができず、運動のさらなる拡大が望めないため、若者、特に学生の受け皿としての

 「新しい」左派的市民運動団体が求められていた。
そのような状況の中で、これまでの市民運動とは「全く関係のない」新しい学生運動の形として、マスコミやリベラル・左派(特に学者)から称賛された団体として「SEALDs」(自由と民主主義のための学生緊急行動:Students Emergency Action for Liberal Democracy-s)がある 。

 「新しい」と表現しているが、SEALDsも、その時々で焦点となっている政治問題に特化した名称に変更して現在に至っているのは「大人」の左派市民運動団体と同じである。SEALDsの運動論も、ラップを使ったりして「新しさ」や「オシャレさ」を醸し出そうとしているが、結局、旧来の左派的市民運動の運動論と「同類」のものであり、若者向けの「客寄せパンダ」或いは60年安保世代の段階サヨクの「懐旧」が生み出したものとして認知されている 。

 SEALDsは、特定秘密保護法に反対する学生団体(SASPL)が「衣替え」する形で2015年5月に結成され、2016年8月に解散した。しかし、元来が、既存の学生運動団体の衣替えで始まったこともあり、他の左派系市民運動団体の例に漏れず、SEALDsも、先に述べたように、元来は「特定秘密保護法」に反対する学生団体という形で看板を書き換えて現在も左派的市民活動を継続している。

 SEALDsのメンバーが主体となって立ち上げた実質的なSEALDs後継団体としては「REDEMOS(シンクタンク)」や「未来のための公共」といった団体がある 。その背景には、これらの「社会運動」が時の政権(≒第二次安倍政権 )に有意な影響を与えられなかったことから、その「敗北」をリセットするために名前を変えていると推測される。

63キラーカーン:2017/05/04(木) 01:13:09
5.4.7.2. 「しばき隊」との関係(密接な連携から絶縁へ)
 SEALDsは設立当初「しばき隊」と親密な関係を保っていた。そのことは、「しばき隊」の隊員などのツイートや当該ツイートに挙げられた写真や動画により明らかになっている 。また、SEALDsのメンバーと対談することになっていた小林よしのり氏は、その際のSEALDsメンバーの挙動から、「SEALDsの学生は『しばき隊』の言いなり 」という感触を得ていた 。

 この辺りは、反原連、反特定秘密保護法、反集団的自衛権行使といったこれまでの左派的市民運動で培った「市民運動」ネットワークが生きており、そのようなネットワークから有形無形の支援は受けていたのであろう 。そのような「繋がり」があったとしても、SEALDsは(既存のSASPLの「看板の掛け替え」に過ぎないとしても)これまでの市民運動と関係なく、「純粋に国家を憂うる若者」が立ち上がったとしている(主観的にはそうであったのかもしれない)。

 しかし、所謂ネトウヨ層から見れば、SEALDsの後ろには、「60年安保の夢再び」とばかりに結集した「老人」や左翼団体の影がはっきりと見えており、「その『影』を消すことすらできない」ところに、彼らの『未熟さ』を感じ取っていた 。

 しかしながら、SEALDsの設立者である奥田愛基氏は「しばき隊リンチ事件」の存在が公然となった時点で「しばき隊」とは「絶縁宣言」 をしており、その面では、他のリベラル・左派系の市民活動家とは異なり、まだ、合理的・理性的な判断ができているとの見解もネット上で散見された。

64御前:2017/05/05(金) 21:15:16
SEALDsに関して思うこと。
自分の若い頃をふり返ってみれば、スカスカのヒダリーなことを言ってたわけで、彼らを正面切って罵る気にはなれません。
まぁ、あの年頃は、しょーがないだろう思うので。
それよりも、私が嫌だと感じるのは、彼らを担ぐ大人たちの存在です。SEALDsに喜んでた学生運動OB達も、みんな付和雷同的にやってた連中ばかりでしょう。
私は、60年なり70年なり中心になってやっていた人達、例えば東大で三島由紀夫との公開討論会を企画したような人達に、もし良心があるのであれば、SEALDsの若者に語って欲しいと欲しいと思いますね。
別に後悔だの反省する必要なんかないから、何を得て何を失ったか、大人達に利用され、裏切られ、失望した経験とか、その後の人生でわかったこととか、正直に伝えるのが「総括」でもあるからです。
おそらく若い連中は聞く耳持たないと思うけど、それでも語ることに意味があると思います。

もしSEALDsが西部邁とか と公開討論するぐらいやったら、思い切り見直すのですが、あのラップのセンス見たら、それを望むのは無理か、やっぱ...
その点において、三島由紀夫と討論した学生達の言ってることは多分に観念論ではあるが、知的レベルはSEALDsより明らかに高いといわざるを得ません。また、彼らに真摯に応えている三島も、立派な大人だと思いましたね。

https://www.youtube.com/watch?v=5wLaND09VF8

65キラーカーン:2017/05/07(日) 01:31:02
>>公開討論するぐらいやったら

奥田氏は「朝生」などの番組で対談、討論をしているようですが、
ネット上での評判は芳しくないようです
(元々、ネット上でSEALsの評判はよくないですが)

小林よしのり氏との対談予定だったのが「しばき隊」の助言でキャンセルメンバーが居るようです。
(奥田氏のみが対談に参加)

奥田氏は、一橋大学の大学院へ進学できたようですが
一橋は「左」で有名なところです
(ビックスの『昭和天皇』も一橋人脈でできたような本なので
 日本語訳は「ひどい」という専らの話です。
 原文は、「左傾」しているようですが、日本語訳ほどではないらしい)

66キラーカーン:2017/05/10(水) 23:39:27
5.4.7.3. 「しばき隊」以外の左派系(特に共産党系)団体との関係

 SEALDsは既存の団体とは関係なく、学生の「自主的」運動によって立ち上げられた団体という「性格付け」がなされている。しかし、ネトウヨ層は、先に述べたように、その主張などから、学生が旧来の左派系市民運動団体と無関係というSEALDsの「性格付け」に疑問を持っていた。更に、小林よしのり氏の著作 を待つまでもなく、そのような運動にありがちな傾向として、SEALDsの背後に共産党などの既存左派系市民運動団体の影があるとの疑いを持っていた。

 共産党(系団体)との結びつきも指摘されている。例えば、SEALDsの活動日程は日本共産党機関紙の「赤旗」に掲載されていたことから、日本共産党も「友好(同志)団体」と認定していたと思われる。また、この見方を裏付けるように、メンバーの中にも民青(共産党系学生団体)のメンバーが入り込んでいたという報告もある。また、共産党系の団体の街宣車を「たまたま使っていないから」と「気軽に」借りることができ程度の親密な関係はある模様である。

 これらのことから、若者を取り込みたい共産党も含む共産党系の団体が、若者を運動に取り込む「広告塔」としてSEALDsを利用したいという意図は推測できる 。しかし、それ以上の結びつきがあるか否かについて筆者は判断する材料及び知見を持ち合わせていない。特に、SEALDs側から積極的に共産党との連携を求めていなくても、共産党やその他の左派系市民運動団体から、彼らの運動の「広告塔」的存在として連携を持ち掛けられたという仮説が成立する可能性は十分に存在する。したがって、これ以上の分析は筆者の能力を超える。

67キラーカーン:2017/05/15(月) 00:08:36
5.4.7.4. キリスト教繋がりによる左派的市民運動の広がり
SEALDsについては、先に述べた通り、その運動方針及び「街宣車の貸し出し」など関係者の関わりから、所謂左派系市民運動団体、もっと直接的にいえば、共産党、左翼団体或いは極左団体との繋がりは取りざたされていた。

 しかしながら、SEALDs自体は、左翼団体としての連携よりも、実は、直接的な人的関係から、キリスト教系団体との繋がりの方が大きいのではないかとの見解もある 。これまで、ネットなどの情報で明らかになっていることは、

① 奥田氏は全寮制のキリスト教高校)出身
② その他のSEALDs主要メンバーも奥田氏と同じ高校出身
② 出身高校は違っていても、奥田氏と同じ高校の生徒の進学先或いはキリスト教系大学

というように、SEALDs主要メンバーはキリスト教教育を通じての共通点が存在する。
奥田氏の通っていた高校は「平和教育」や「植民地支配」への反省教育に力を入れており、その点でも左派系市民運動とは親和性が高い 。また、我が国では、そのような左派系市民運動団体の中にキリスト教団体の存在が見受けられることも珍しくはなく、左派系市民運動とキリスト教団体とが連携している左派系市民運動 も見受けられる 。

 これらのことから、SEALDsそのものは、我が国におけるキリスト教と左派系市民活動との親和性の高さから生じたものであり、そもそもは共産党(系団体)とは連携するという確固たる意志はなかったのかもしれない。しかし、SEALDsの「広告塔」としての利用価値に気付いた共産党及び共産党系市民運動団体が、前節で述べたように、キリスト教系の左派的市民活動団体との「繋がり」を活かして、そもそも、キリスト教系学校の学生同士の関係で立ち上げたSEALDsへ秋波を送ったという推測も成り立ち得る。

68キラーカーン:2017/05/15(月) 22:44:30
5.4.8. 「ヘイト(スピーチ/クライム)」を巡る問題
5.4.8.1. 「ヘイトスピーチ」或いは「ヘイトクライム」とは

 「在特会」の出現以来、「差別」に代わって、反朝鮮的な言説を批判する言葉として「ヘイト(スピーチ/クライム)という語が脚光を浴びている。「ヘイトスピーチ」については明確な定義はないが、「不特定多数が属する集団に向けられる侮辱的表現」とされている 。それが、具体的な犯罪行為(障害・殺人など)を伴う場合には「ヘイトクライム」と称される。我が国では、事実上、在日朝鮮人に対する批判的な言動を指す語として使われている 。

69キラーカーン:2017/05/15(月) 22:46:59
5.4.8.2. 我が国における「ヘイトスピーチ」の特殊な用法
5.4.8.2.1. 日本において、日本人に対するヘイトスピーチは「あり得ない」のか
 本来、「ヘイトスピーチ」は「不特定多数が属する集団」に対するものとされており、集団の大小、ましてや、「ヘイトスピーチ」の対象となっている集団が多数派か少数派かという「多数派の暴力」の有無は問題とされていない。しかし、我が国においては、この問題の直接の契機が「在特会」の誕生である事から、在日朝鮮人の人権擁護運動の一環としてとらえられてきている。その影響もあり、「ヘイトスピーチ」から「在日朝鮮人から日本人に対する『ヘイトスピーチ』」を排除するため「ヘイトスピーチ」の定義に多数派(マジョリティ)から少数派(マイノリティ。事実上、在日朝鮮人)に対するもの という「条件」を付加することが一般的である。

 このため、「しばき隊リンチ事件」において加害者の在日朝鮮人が被害者の日本人に対して吐いた言辞の中に「日本人に対するヘイトスピーチ」があったとされ、ヘイトスピーチの法的規制を求める立場からは、「日本においては、多数派である日本人に対するヘイトスピーチは論理上あり得ない 」という見解が示されることも珍しくない 。

 このような議論の影響を受け、先日成立した所謂「ヘイトスピーチ規制法」も、正式な法律名が「本邦街出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」とされている。この結果、我が国におけるヘイトスピーチ規制法令も、我が国に居住する外国人(外国系日本国民を含む)の人権保護という文脈で語られ、日本人に対するヘイトスピーチという存在自体が彼らの思考の外にあった 。このため、同法では、日本人に対するヘイトスピーチは「野放し」になるとの批判を浴び、所謂ネトウヨ層からは「日本人差別法」と揶揄されることもある。

5.4.8.2.2. 英米独仏各国の状況
 しかし、元来、ヘイトスピーチの定義の中に「多数派から少数派」に対するものというものはなく、「少数派から多数派」へのヘイトスピーチも当然あり得るとされている。したがって、ヘイトスピーチに対する法的規制がある英独仏の各国では、少数派から多数派へのヘイトスピーチは当然あり得るという前提でヘイトスピーチ規制法令を運用している。

 また、ヘイトスピーチに対する法的規制がない米国においても、公民権運動が盛り上がっていた1960年代においても、少数派の表現に対してもヘイトスピーチ規制が適用されることがあり得るということについて自覚的であった。

 このようなことからも、我が国における「ヘイトスピーチ」を巡る議論は「ガラパゴス化」というべき特殊な状況となっている。

70キラーカーン:2017/05/15(月) 22:47:09

5.4.8.2.3. 日本人からの「正当な」批判を封じる道具としての「ヘイト」
 人種差別、特にユダヤ人虐殺という経験を有する欧米におけるヘイトスピーチに関する議論・現状・経緯を無視し、「多数派から少数派に対するもの『のみ』」ヘイトスピーチが成立するとの言説が我が国において広く流布しているという「特殊事情」は考察に値する。

 このことは、我が国において、外国人問題というものが、事実上在日朝鮮人問題に限られてきたことと密接に関連する。
現在に至るまで、我が国は外国人の移民受け入れに条件が厳しいということが言われている 。このため、我が国に居住する外国人は、先の大戦の敗戦を契機に日本国籍を離脱した在日朝鮮人に事実上限定されてきたという現実がある。

 そのような歴史的経緯の中で、在日朝鮮人は、「差別」を名目にして様々な要求を日本社会に突き付けてきた 。在日朝鮮人が乱暴狼藉を働く「免罪符」として「在日差別」を利用していたということも一つの事実である 。

 「2002年の衝撃」で南北朝鮮及び在日朝鮮人の「日本に対する敵意」を見せられた中で、「在特会」というような「適正国民」である在日朝鮮人は排撃すべきとする「過激派」も出現してきた。そのような状況の中、終戦後、半世紀以上が立ち、冷戦も終結した中で、「在日差別」の実体験がない世代が増えたため、従来からの「差別」や歴史認識論争の進展による「強制連行」という語が日本側からの批判を排除する「魔法の呪文」としての効力が失われつつあった。

 そのような中で、在日朝鮮人を支援する「人権活動家」が新たな「魔法の呪文」として持ち出したのが「ヘイト(スピーチ/クライム)」という語であった。

5.4.8.2.4. 「ヘイトスピーチ規制法」を巡る問題(同法は「日本人差別法」か)
 我が国のヘイトスピーチを巡る議論が、「ヘイト」とは何かから、在日朝鮮人保護のための「武器」としてどのように活用できるかという議論 に転化していったことから、「ヘイトスピーチ規制」自体が、新たな「在日特権」という議論を巻き起こした。その典型的な例として、ネット上で揶揄されたのが、先に「5.4.5 『日本死ね』問題と『新語・流行語大賞』」の節で述べたような

「日本(人)死ね」は流行語大賞だが、「朝鮮(人)死ね」は「ヘイトスピーチ」

というものであった。

 「ヘイトスピーチ」を巡る議論では「死ね」という語自体が不当という立論をしていたのにもかかわらず、「日本死ね」の流行語大賞には「問題提起」と擁護するのが左派・リベラル側の識者の一般的傾向であり、この面でも、が左派・リベラル側の識者「ダブルスタンダード」或いは「反転可能性の欠如」という井上達夫氏が指摘する「リベラル」にとっての致命的失策を犯している。

 この「日本」という概念を意図的に消去或いは無視することも所謂左派・リベラル側の人士の特徴であり、彼らの「国家意識の欠如」をも示しており、そのことは、所謂「自虐史観派」の歴史認識に対しても影を落としている 。


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