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日本茶掲示板同窓会
19
:
キラーカーン
:2017/02/14(火) 23:41:20
4. 「嫌韓厨」から「ネトウヨ」へ(2002年から第二次安倍内閣成立まで)
2002年以降は、『ネット右翼の逆襲』をはじめとして「右傾化」、「嫌韓」の一環で多く述べられているところであるため、2002年の日韓W杯及び小泉総理訪朝による「半島タブー」の解禁による影響を主に述べる。
4.1. 2002年の衝撃(「半島タブー」の解禁)
ネット右翼(或いはそれと対になるべき「(ネット)左翼」)にとって、日韓W杯と小泉首相及び安倍官房副長官(当時)の北朝鮮訪問が行われた2002年は、まさに、「時代を画する」年 となった。
これらのことから、インターネットレベルにおいては、「2002年の衝撃」が事実上、ハンボードや民団掲示板といった日韓間、日朝間の「草の根対話」を破壊する威力を持っていたことが窺える。ただし、マスコミから提供される情報では、「冬ソナ」が2003年から2004年の出来事である事から窺えるように、2002年以降も「韓流」に代表される「韓国推し」が一般的であった。そのことが、逆に、2002年以降、マスコミが韓国の反日の「共犯」として批判される一因となった。しかし、世論調査等で「嫌韓」の数値が目に見えて高くなるのは、2012年の李明博韓国大統領(当時)の竹島訪問と天皇陛下への社会要求発言からである。
2002年の日韓W杯での韓国の「反日」及び小泉首相(当時)の北朝鮮訪問と拉致の事実が公式に確認された。このことにより、冷戦終了後の歴史認識論争において、左派の「錦の御旗」を支える大きな基盤であった「半島タブー」が取り払われ、「植民地支配」 、「差別」 という語で南北朝鮮に対する批判を封じ込めることができなくなった 。ネット上のみならず、「リアル」の社会でも南北朝鮮に対する「タブー」が取り払われたのが奇しくも同じ2002年であったのは偶然であっても面白いものがある。
「半島タブー」が取り払われた結果、それまでの反動もあり、「ネット右翼」的な言説には「反韓・反北朝鮮」言説を纏う割合が高くなり、「ネット右翼」と「嫌韓厨」との区別がつかなくなってきた。この結果、嫌韓厨≒ネット右翼となり、さらに、ネット右翼がネトウヨと略されたことから、「嫌韓厨≒ネトウヨ」となり、両者の区別が事実上消滅した。
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