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日本茶掲示板同窓会
9
:
キラーカーン
:2017/02/12(日) 00:14:47
3.2. なぜ、1990年代以降「歴史認識論争」は燎原の火のようにに盛り上がったのか
「歴史認識論争」が生起しても、それだけでは、市井の人々が左右入り乱れて議論を行うことを意味しない。現に、「論壇右翼」の時代において行われた、『大東亜戦争肯定論』を巡る議論に代表されるような歴史認識論争は知識人のものであり、市井の人々のものではなかった。
では、なぜ、この時代に「ネット右翼」(当時は「J右翼」という言い方もあった)が可視化されたのか。その理由はインターネットの普及によって「何時でも、何処でも、誰とでも」議論を行うことができる基盤が整備されたことだけが理由ではない。そのような議論が沸き起こるだけの時代背景もあり、また、歴史認識論争自体に市井の人々を巻き込む種が仕込まれていたのである。
3.2.1. 「歴史認識論争」は現在の市井の日本人を「(悪の)当事者」として巻き込んだ。
「歴史認識論争」は歴史を対象にした論争であるが、歴史というものは、その社会集団(に生きる人々)のアイデンティティーの基盤を構成するものである。特に先の大戦を巡る、「歴史認識論争」では歴史だけではなく、その時代に生きた個人(それは、現代に生きる我々の祖父母や曽祖父母である)も日本の犯罪への加担者として糾弾していった。その個人は、現在に生きる市井の日本人にとっては、その「悪逆非道な日本人」は「子供のころに優しくしてもらったお祖父ちゃん」のような形で、「実体として」記憶されている。自分の知っているお祖父ちゃんはそんな『悪逆非道』ではないし 、さらに、「『悪逆非道』なお祖父ちゃん」が存在しなければ自分自身も生まれてこなかったことも厳然たる生物学的事実である。これらのことが重なり、歴史認識論争を「当事者」として引き受ける人々が多くなった 。
そのことは、歴史認識論争において、慰安婦問題などで日本の責任を追及する立場の歴史認識を「自虐史観」と評したことにも表れている。そのような「当事者性」を認識した(本来なら、そのような「論争」とは無縁の市井の人々として暮らしていたであろう)多くの「サイレント・マジョリティ」であった市井の日本人が所謂「ネット右翼」として、インターネット普及の波に乗って歴史認識論争に参入してきたというのが実態であろう。
その逆に、日本の責任を追及する立場の日本人は自らの歴史に対する「当事者性」を引き受けられず、「私(達)は罪を認め・懺悔して悪の日本人から『解脱』した」と認識し、あたかも非日本人という「神」の視点から、日本人の「ネット右翼」を裁くような言動を歴史認識論争において行っていた 。
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