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日本茶掲示板同窓会

8キラーカーン:2017/02/12(日) 00:12:11
3. 「ネット右翼」(ネトウヨではない)の時代(1990〜2002年)
3.1. 概論
インターネットは普及する前(当時は「パソコン通信」といっていた)から、我が国にはnifty-serveのフォーラムに代表される、ネット環境で行う議論空間というものが存在していた。しかし、筆者はこの時代にはネット上で政治的な議論をしたことが無いため、この時代の「ネット右翼」のことについては全く以て知見がない。但し、出入りしていたnifty-serveのフォーラムの参加者から、それらしいイベントの誘いを一度だけ受けたことがあるだけである(しかし、そのフォーラムは、そのような歴史認識論争とは無関係な議論を行うフォーラムであった)。現在でも、ネットでの書き込みを見ると、偶に、この時代の「思い出話」に出会わせることもある。
その後、WINDOWS95をはじめとするパソコンのOSが正式にインターネット接続をサポートし始めた1990年代半ばからインターネットが一般に普及した 。これを契機に、インターネットの「掲示板」で議論を行われ始めた。
当然のことながら、「ネット右翼」という語が使われ出すのはインターネットが普及し始めた1990年代半ば以後のことである。パソコン通信時代の「フォーラム」あるいは「会議室(BBS)」は限られた参加者(会員)で行う議論であったが、インターネット上では「誰でも」参加が可能な「開かれた」議論の場である。このことから、これまで「論壇」という限られた空間・参加者で行われてきた議論が一般大衆も行う基盤が整った。
当初、左派の側も、冷戦終結とソ連崩壊による左派の低迷からの盛り返しの起爆剤としてインターネットは市民勢力の結集に活用できるとして、インターネットの普及を自派の勢力拡大の好機であると肯定的に捉えていた。しかし、冷戦終結・ソ連崩壊から四半世紀が経過した結果、少なくとも我が国おいて、インターネットは、左派の勢力伸長ではなく、それまでの左派・マスコミの「欺瞞」を白日の下に晒し、左派(リベラル)離れを加速させたというのが中立的な評価であろう 。
更に言うなら、戦後の55年体制においても、国政選挙における実質的勝敗ラインは「与党が三分の二の議席を占めるか否か」であった。つまり、55年体制下であっても保守の側が圧倒的優勢であり、それがインターネットで可視化されたに過ぎないといえるのかもしれない。つまり、「ネット右翼」或いは「ネトウヨ」というのは、ネットが生み出した者ではなく、ネットが可視化させたものであるともいえる。


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