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日本茶掲示板同窓会
25
:
キラーカーン
:2017/02/15(水) 23:43:02
4.2.1.2. 福田内閣
参議院選挙での敗北の責任をとって辞任した安倍総理の後を襲ったのは、同じ清和会の福田康夫氏であった。なお、福田氏は初の親子総理である。福田氏は森内閣及び小泉内閣における官房長官として頭角を現した 。福田氏は、内閣の「大番頭」として堅実な手腕で政権を支え、ややもすれば、「失言」の多い森総理や「パフォーマンス」先行型である小泉総理の持つ「軽さ」、「不安定さ」に対する安定役となっていた。安倍氏に続き、福田も官房長官を足がかりに総理の座へ上り詰めたことは、「官邸主導」、言い換えれば、小選挙区制導入により、自民党(内閣)が「制度化された政道連合(内閣)」から、首相という「単一の核」を持つ政党(内閣)へ変化したことを如実に表していた。
福田氏の政治姿勢自体は、中国への融和的な態度など、自民党の中では比較的リベラルなものであったため、発足当初は安倍政権との対比も有り、リベラルからの期待も高かった 。しかし、小沢民主党との大連立構想の頓挫などが有り、第一次安倍内閣と同様、約一年で政権の座を去った。
4.2.1.3. 麻生内閣
福田氏の後を襲ったのは、安倍、福田氏と同じく「麻垣康三 」の一人である麻生太郎氏であった。麻生氏は、母方の祖父が吉田茂であるのは有名であるが、その吉田茂自身も、岳父(麻生氏にとっては曾祖父)が牧野伸顕元内大臣、外相、その父が大久保利通という累代にわたり大物政治家を輩出してきた家系でもある(つまり、麻生氏自身は大久保利通に連なる「五世政治家」である)。また、父方は福岡の地元企業のオーナーであり、実の妹が三笠宮寛仁親王妃という日本屈指の名家である。
そのような出自にも関わらず、べらんめえ口調で有り、筑豊育ちでアフリカ駐在経験を有するなど「お坊ちゃん」ではない経歴も有する 。そのような背景を持つせいか、麻生氏はキリスト教徒(カトリック)であるが、政治思想的にはやや右寄りとされている 。
麻生氏の首相就任時において前回総選挙から約3年を経過していたため、内閣の求心力を維持するため内閣発足直後の解散総選挙を考えていたと言われている。しかし、リーマンショックの発生により、その対応が優先されたため、内閣発足直後の解散総選挙はできなくなった。「後知恵」的に言えば、この解散総選挙の機会を逃し、任期満了直前の解散総選挙に「追い込まれた」ことが2009年(平成21年)の総選挙で自民党が野党に転落する一因となった。
麻生内閣については、内閣発足直後の解散総選挙の機会を逃したことも有り、任期切れ間近の「死に体」と言わんばかりのイメージであった。また、麻生総理自身も「生まれが良く」、また、「口が軽く」、任期ではあったが、マスコミや野党が攻撃しやすい人物でもあった。国会審議でも「カップ麺の値段」や漢字の読み方など「揚げ足取り」の質問も多く、そのやりとりが面白可笑しく報道されることも、「自民党内閣の終焉」が近いと感じさせるものであった。
そして、任期切れ直前の総選挙によって自民党は過半数を割り、1993年以来の下野することとなった。
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