したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

日本茶掲示板同窓会

15キラーカーン:2017/02/13(月) 23:03:04
3.5.2. 小林よしのり「戦争論」の影響(「新しい教科書をつくる会」:「論壇右派」と「ネット右翼」との邂逅と相克)
3.5.2.1. 『戦争論』の衝撃
 インターネットとは関係ないが、1990年代の「ネット右翼」を語る上で無視できないのが、漫画家小林よしのり氏が書いた『戦争論』である。その影響力は、先に述べたように、「らーめん屋次郎」氏が氏の著作に影響を受け、「よしりんウォッチ」から「日本ちゃちゃちゃクラブ」というサイトを立ち上げ、20世紀末期の「ネット右翼」の牽引車となった事にも現れている。
同書は、左派論壇の「反戦平和」に真っ向から異を唱え、「公」をキーワードに「平成の『大東亜戦争肯定論』」とも言うべき内容のものであった。また、同書はその内容のみならず、このような内容の書が漫画という形式で書かれた(描かれた)という手法 も、新しい平成時代の幕開け(1990年代)としても捉えられた。
 漫画という体裁と、当時、先の大戦の概論的入門書が無かった事が相まって、『戦争論』の言説は若い世代に急速に受け入れられていった。これは、先に述べた、①冷戦の終結、②昭和天皇の崩御、③戦争を知っている世代の社会からの引退、によって生じた歴史体験の伝承の空白にはまったからと思われる 。これ以後、小林氏は『戦争論』(及び『ゴーマニズム宣言』)により、漫画家の枠を越え、評論家としての活動の論壇に活動の場を得ることとなり、評論家活動の比重を増やしていった。

3.5.2.2. 「つくる会」の設立(リアルの世界での「歴史認識論争」における右派の反攻)
 「歴史認識」が問われる場として代表的なものとして、文部省検定教科書の記述がある。インターネットが普及する前から、歴史教科書の記述は「家永教科書裁判」 或いは「侵略・進出」書き換え事案など、左右両派が激突する「戦場」でもあった。このため、従来からの(ネット右翼ではない)右派は、具体的な活動として、右派的な歴史認識を取り入れた教科書の作成・採択運動に乗り出した。その活動母体として、彼らは「新しい教科書をつくる会」(以後、「つくる会」と呼ぶ)を設立した。
 「つくる会」は1990年代初めから歴史認識論争に参加していた右派の知識人を中心として1996年に設立された。その中で、2001年の検定に合格し、採択を目指すという方針が立てられた。その時期がインターネットの普及と重なったため、ネット上の活動に飽き足らない「ネット右翼」がつくる会の運動に参加することも見られた 。しかし、つくる会幹部のインターネットに対する理解度は低く、「つくる会」が運動を進めていく中で、「ネット右翼」だった(である)人物がつくる会に参加する際にインターネット上の活動を自粛するよう「要請」があったことも参加者は明らかにしている 。
 時代的な背景もあり、つくる会の活動で旧来型の保守・右派と「ネット右翼」との協力関係が生まれたが、つくる会の活動はインターネット普及前の「旧来型の保守・右派的活動」の域を出ることが無いまま現在に至っている。しかし、当時のマスコミや論壇がインターネットの影響力を計りかねていた(或いは「過小評価」していた)当時において、「歴史認識論争」における左派に対する橋頭堡を確立し 、「ネット右翼」を取り込んだという点では大きな役割を果たしたと言えよう。
 しかし、運動団体にありがちな内部(路線)対立があり、「つくる会」も小林氏も途中で脱会する等主要メンバーの離合集散が激しく、現在では、「つくる会」自体が分裂した。「つくる会」を脱退したメンバーを中心に「教科書改善の会」を設立し、現在は両者が並立状態である。また、歴史教科書は、双方から出版されている 。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板