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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
479
:
苦悩乱者
:2003/08/29(金) 15:05
477 犀角独歩さん
>(わたしは人法一箇論にはもちろん否定の立場ですが)
実は私もそうなんです。否定ではなく、まだ懐疑的の段階ですが、独歩さんのおっしゃるとおりだと思うんです。この事は私の先生と論議すると、たぶんおかしなことになってしまうでしょうけれど。富士の教義はやはり理解不能になりやすいです。
480
:
苦悩乱者
:2003/08/29(金) 15:13
475 476 アネモネさん
ご忠告有難うございます。
自分で言うのもなんですが、わたしは、非常に敏感なのです。過剰なくらいに。
481
:
苦悩乱者
:2003/08/29(金) 15:32
477 犀角独歩さん
相対、勝劣、相待、この三つを同義に扱っているようなところがあるような気がするのですが、本来は「相待」が正しいのですか。そうするとすんなり理解が進むように思います。私の感なのですが。
482
:
苦悩乱者
:2003/08/29(金) 15:35
481 訂正
>相対、勝劣、相待、この三つを同義に扱っている=誤
富士門では相対、勝劣、相待、この三つを同義に扱っているような・・・です。
483
:
愚鈍凡夫
:2003/08/29(金) 21:16
>>477
:犀角独歩さんへ
> 470のご投稿、仰るようだと思います。
有り難うございます。
> というも、およそ相(あい)対する概念とはなっていません。相対というより、むしろ灌頂記の如く相待というべきであると見えます。また、儒から数えれば、六重となるでしょうし、もし本当に種脱を入れるのであれば、七重とすべきでしょう。台学の装いから五重と整理したかったのが日蓮門下であったのかと想像しています。
大乗仏教自体が、いろんな宗教の影響を受けながら理論構築(理論武装?)してきたわけですよね。にもかかわらず、相対関係で優劣を論じ、この教義以外は全て邪義とする考え方は、大変な害毒をもたらすと思います。
特に○○学会に見られるような唯我独尊の姿勢にその害毒の恐ろしさを感じます。
484
:
ガンコ
:2003/08/29(金) 21:18
犀角独歩さんには、よき先輩ぶりを発揮されまして、たびたびのご教示、まことにありがたく思うものであります。
何よりも、多くの独歩ファンがよろこんでいることでありましょう。わたくしはファンじゃありませんけどね。
しかし、まあ、いままで、相手にもしてもらえなかったけど、ようやく相手にしていただけるようになって、うれしく思っております。
さて、御法門について、わたくしのほうからも、申し上げたいことがあるのですが、今日あたりはとても暑くって、もう、頭が湯だってしまって使い物になりません。(うちは貧乏でクーラーがありませんの)
一両日中くらいに書き込みたいと思っておりますが、まあ、わたくしの意見を読まれて、相手にする値打ちなし、と思われましたら、そのままほっといてください。(相手にする値打ちなし、なんて書かれたら、ショックで死んでしまいそう)
485
:
ガンコ
:2003/08/29(金) 21:23
苦悩乱者さん
当家三依抄ですか。いや、まいりました。いくら勉強してもぜんぜんおっつかない。まったく恐ろしい世界だわ。
486
:
ガンコ
:2003/08/29(金) 21:27
しかし、なんだろう、みんな人法一箇に否定的じゃあないですか。独歩さんといい、愚鈍さんといい、おまけに苦悩さんまで。
ひょっとして、アネモネさんも?
487
:
愚鈍凡夫
:2003/08/29(金) 22:33
>>485
:ガンコさんへ
苦悩乱者さんはこの文証のことを仰っているんです。
「行者謹んで次第を超越する勿れ、勢至経の如きんば妄語の罪に因って当に地獄に堕つべし、亦復母珠を超ゆること勿れ、数珠経の如き過諸罪に越ゆ、数珠は仏の如くせよ云々。
母珠を超ゆるの罪何んぞ諸罪に越ゆるや、今謂わく、蓋し是れ名を忌むか、孔子勝母に至り暮る、而も宿らずして過ぐ、里を勝母と名づくれば曾子入らず等云々、外典尚お然り、況んや仏氏をや。」(当家三依抄)
ちなみに、下のアドレスから「六巻抄」をダウンロードできます。
御歴代上人文書
http://nakanihon.net/nb/gorekidai.html
488
:
犀角独歩
:2003/08/30(土) 02:28
度々書き込んでしまい恐縮ですが…
愚鈍凡夫さん:
> 487
ちょっと、引用の頭が切れています。これではまるで寛師の言葉みたいですよ(笑)
「宗祖録外御書の四、戒法門御書中に数珠経」からの引用でしょうね。
戒法門「数珠経に云はく「応に母珠を越ゆべからず、過(とが)諸罪に越ゆ。数珠は仏の如くせよ」と。」
たしかに三衣抄にもありますが、『対俗三依談』にもあります。いまさらわたしが引くのもなんですが、こちらのほうが詳しいでしょう。
ただ、父珠・母珠、四菩薩、心一境法性珠なんて言っても、ガンコさん当たりはピンとこないかもしれません。(ご存じでしたら失礼)以前に数珠の各部位の名称を記した図を挙げたことがあります。再掲します。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/juzu.gif
房の着いた部分の珠は数取り用ですね。父珠から四菩薩は飛ばして題目一遍に一珠を送り、母珠に至って、母珠を越えずに折り返して父珠へ戻ってと百遍とします。これが「母珠を越ゆべからず」の意ですね。念仏の平念珠での数取りではグルグル一方向に数珠を回していきますが、これを批判した記述であるということでした。
苦悩乱者さん:
相待と書いている例は、石山文書でも、実際にあったと記憶します。
>> わたしは人法一箇論にはもちろん否定の立場
> 実は私もそうなんです。否定ではなく、まだ懐疑的の段階
おお、これは共通の見解が見出せました。嬉しいことです。
ガンコさん:
では、投稿されましたら、読ませていただきます。
489
:
犀角独歩
:2003/08/30(土) 02:55
【488の訂正】
誤)対俗三依談
正)対俗三衣談
490
:
ガンコ
:2003/08/30(土) 10:23
アネモネさん、苦悩乱者さん、愚鈍凡夫さん、犀角独歩さん・・・(不次第)
早坂鳳城先生の論文を読んでいて、ひじょうに興味深い記述を発見しました。
「法と佛の関係において、人勝法劣の立場を取るのは、爾前権教=応身正意論の立場。法勝人劣の立場を取るのは、「法華経」迹門=法身正意論。人法一箇の立場を取るのが、「法華経」本門=三身即一=報身正意論と言えるのである。」
わたくしには応身・法身・報身ないし三身即一などさっぱりわからないのですが、ここに人法一箇とあることにびっくりしているのです。早坂先生はいったいこの言葉をどこから引っ張ってきたのか? 正宗系の人なら同じような疑問を持たれることかと思います。
誤解のないように同じ論文からもうひとつ引用しますと、
「根本的には、根本の久遠佛も釈尊も同じであり、久遠佛が本体である故に本佛とするのである。この本体の一つの現われが裟婆の化佛=印度の釈尊である。だから、裟婆の化佛を普遍化、原理化したのが、久遠実成、久遠の本佛である。そして佛本尊とは、この原理的な面で表現し、原理面を本尊としている。つまり三身即一の報身正意論である。」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_170.htm
早坂先生が日蓮本仏論者であるわけなどありません。つまり、釈迦本仏論の立場において人法一箇を言っておられるのですが、まあ、この用語をどこから仕入れたかは別の問題として、ともかく人法一箇思想が日蓮宗にも存在することに驚いたものです。
さて、ここでわたくしが大いに悩んだのは、爾前経=人勝法劣、法華経迹門=法勝人劣、法華経本門=人法一箇 ということがどうして言えるのか、よくわからないことです。論文の末には、法本尊の文証・人本尊(佛本尊)の文証と思われるものを列記しているけど、直接的には人勝法劣・法勝人劣・人法一箇の文証を提示していないように思えます。文中、法佛一如を原始仏典より証明していますが、もちろん、この論文は他宗の人に対するものですから単に日蓮教説より文をとり出だしても意味がないでしょうけど、わたくしにとっては大聖人がどのように御教示であられるかが大事なのです。
いま現在、大聖人の御書を拝するに、爾前→迹門→本門を、人勝法劣→法勝人劣→人法一箇とは読み取れない、というのがわたくしの理解です。
もっとも、みなさんが必ずしも早坂先生の論に同意であるわけではないでしょうから、あんまり興味をひかないかもしれませんけど・・・
とりわけ独歩さんあたりは、再三にわたって、日蓮教説における三身論には慎重の意味を述べておられますし、してみると当該論文については早坂先生のご所論といえども「用いず」でありましょうか?
とりあえず、こんなところです。
491
:
愚鈍凡夫
:2003/08/30(土) 10:26
うっ・・・。 ヾ(;´▽`A``アセアセ
中途半端に書き込むんじゃなかった(かな?)
ほんじゃ、これらなどうだ!!なんちゃって。 (^▽^;)
「問ふ宗祖録外御書の四、戒法門御書中に数珠経に引いて云はく母珠を越ゆべからず過か越法罪なり、数珠は仏の如くせよ云云、他受用御書二冊之れに同し、数珠経に云はく母珠を越え莫過すべからず珠を越ゆる罪千万と云云、答ふ御書には台家の相伝を挙げたり故に本文に合せざるか、然るに御書引文の意は即ち母珠を捨てゝ数を取らざるの失を明す、故に一返の念仏、十の数珠を越ゆる等是れ妄語の罪重き証文を引く、既に母珠仏の如し何ぞ数を取らずして母珠を超越せんや、若し強いて之を執せば則ち菩薩の勝果珠を数えて何ぞ忽に仏母の正珠を捨てんや、故に勢至経を引いて云はく次第を超ゆる者は妄語の罪に因つて当に地獄に堕つべしと云云。
問ふ若し爾らば母珠は是れ百八珠の外なり何ぞ母珠を数ふと為んや、答ふ若し爾らば百八の外、四珠の小珠何ぞ唱る数と為るや、会合して曰はく凡そ数珠は是れ三宝を表する故に百八珠は法性の百八珠を以つて百八煩悩及び報障を対治することを表し、四小珠は是れ上行等四大菩薩、常楽我浄の四徳波羅蜜を唱へ顕すことを表するなり、釈迦多宝の二母珠は是れ境智の二法を唱へ顕はすことを表す、若し小の四珠大の母珠を除く人は只是れ法宝のみにして仏宝僧宝なし、何ぞ仏法僧の三宝を表はす数珠と云ふべけんや、然れば先師方の伝法は仏母の宝珠を捨つるに似たる者か、更に詳にせよ。
応に知るべし、此れ皆要法寺日大の邪伝を信ずる故に此の過失有る者なり、又上行等の四徳波羅蜜は界外の四顛倒を破して九界の生死を出づることを表する故に、一百八の小珠は界内の見使を破して六道三界の生死を出づる事を表するのみ、当に知るべし二母は本有の妙覚及び修徳本果の妙覚本末究竟等の故に、根本無明結業の惑を破して九界六道の生死を出づるものなり、故に御書十四(卅)但専ら本門寿量の一品に限り出離生死の要法なり云云、又録内卅一(十三)爾前迹門にして猶生死離れ難し本門寿量品に至りて必す生死を離るべし云云。」(袈裟数珠の事)
下記アドレスからダウンロードできます。
『袈裟数珠の事』
http://nakanihon.net/nb/yousyuu/yousyuu1_14.htm
492
:
ガンコ
:2003/08/30(土) 10:34
数珠のことですが、戒法門にあったとは・・・うああ、御書が読めていないのがばれちゃった。
493
:
アネモネ
:2003/08/30(土) 10:51
ガンコさん
>ひょっとして、アネモネさんも?
はい。いつのまに、そうなっていました。といっても、元々の理解度が低いですから。私の教学レベルを参考までに言いますと、法華講での教学試験の初級どまりです。
参考になるかどうかわかりませんが。私は、元々がキリスト教ですから、恐らく振り返ってみて、キリスト教の教義に日蓮正宗の教義を当て嵌めて(いや逆かな?)、そうやって教義を理解しようとしていたと思うんですね。
pundarikaにも少し書きましたけど、キリスト教の三位一体という教義解釈と、本仏論とか三身即一身は、とても似ているんです。
三位一体は、神と聖霊とイエスは一体であるという考え方なんです。ですから、神を久遠の釈尊もしくは本仏、法が聖霊、イエスを日蓮と置き換えて捉えてみとる、しっくり理解できたというわけなんです。
私は折伏を受けるとき、日蓮はインド応誕の釈尊の生まれ変わりと教えられたので、イエスのところをお釈迦様=日蓮と置き換えて捉えていたと思います。
しかしキリスト教のこの三位一体という教義ですが、イエスはそんなこと言っていないんです。そもそもイエスはお釈迦様と同じで、自分で書いた書物は残していませんしね。結局、後世の弟子たちのなかから発生した解釈というわけですが、しかし世界中に広まったキリスト教勢力の大半は、この三位一体の解釈を受け継いできており、絶大な主流となっています。やはり数の力、権威の力はすごいです。でもだかといって、それが教祖の教えを正しく汲んだものや真実だとは限らないわけです。
後世の人の解釈なのですから、三位一体を証明することはできないです。ただその解釈の源流をたどれば、誰だったか、イエスの直弟子にたどりつくはずです。
でもまあ、私はいずれにしても教義については明るくないので、感覚的なことしか書けませんけれども、結局はどこまでいっても観念的なことなのではないかなと思ってしまうんです。
平たく言い換えれば、計り知れない昔に私たちと同じ生身の人間としてこの世に生まれた方が、この世の一切の森羅万象すべてを司る法そのものだったってことでしょうか。このような表現が大きく外れたものでないとしたら、確かにロマンに満ちた話ではありますが、かといって今の自分がそのことを実感として感じられるかというと、とてもとてもそこまでのものではないのが正直なところです。その正直な実感をそのまま受け止めています。
494
:
アネモネ
:2003/08/30(土) 10:54
ところで、ガンコさんも、愚鈍凡夫さんも、富士門の掲示板の過去ログはもちろんのこと、独歩さんのサイトなども、とても熟読されていらっしゃるのですね。
あのー、もしもよろしかったら、こちらの掲示板と並行してpundarikaにも参加されてはいかがかと。独歩さんとも落ち着いて対話が出来ますし、それこそ何か新しいテーマをご提案なされば、また違った趣からの議論ができるのではではないかと思います。
495
:
ガンコ
:2003/08/30(土) 11:04
アネモネさん、どうも。
>平たく言い換えれば、計り知れない昔に私たちと同じ生身の人間としてこの世に生まれた方が、この世の一切の森羅万象すべてを司る法そのものだったってことでしょうか。このような表現が大きく外れたものでないとしたら、確かにロマンに満ちた話ではありますが、かといって今の自分がそのことを実感として感じられるかというと、とてもとてもそこまでのものではないのが正直なところです。その正直な実感をそのまま受け止めています。
ええ、わたくしもロマンに酔いしれているだけなのかも、って思うことがあります。けっこう、近いかもしれませんね。
496
:
ガンコ
:2003/08/30(土) 11:08
>あのー、もしもよろしかったら、こちらの掲示板と並行して
あっ、ダメダメ、そんな器用なことできませんですよ。
497
:
愚鈍凡夫
:2003/08/30(土) 11:10
「問ふ宗祖録外御書の四、戒法門御書中に数珠経に引いて云はく」
とは、下記の文証のことです。
「数珠経に云く「応に母珠を越ゆべからず過諸罪に越ゆ。数珠は仏の如くせよ」よ。勢至菩薩経に云く「平形の念珠を以ふる者は此れは是れ外道の弟子なり、我が弟子に非ず。我が遺弟は必ず円形の念珠を用ゆべし。次第を超越する者は因果妄語の罪に依て当に地獄に堕すべし」云云。此れ等の文意を能く能く信ずべし。平たき念珠を持ちて虚事をすれば、三千大千世界の人の食を奪う罪なり。」(戒法門)
498
:
犀角独歩
:2003/08/30(土) 11:32
愚鈍凡夫さん:
お、さすがですね。頼もしいです。
ガンコさん:
> とりわけ独歩さんあたりは、再三にわたって、日蓮教説における三身論には慎重
より、正確に言えば、それが灌頂記であれなんであれ、三身説に慎重と言うことです。
アネモネさんも挙げていらっしゃいますが、わたしは三位一体と三即一・一即三は同一ルーツではないのかと考えています。
つまり、外来説という予想です。
> 早坂先生のご所論といえども「用いず」でありましょうか
どなたの諸説であるかは問題にしていません。問題にしているのは、説の証憑性のみです。
たとえば、わたしが尊敬する執行海秀師でも『五人所破抄見聞』を妙蓮寺眼師であるとしています。
しかし、この点は用いません。
学説は日々書き換えられる、我が考えも日々書き換える、人にも学説にも固執は一切しません。
ですから、日蓮聖人と雖も、仰る内容が事実と違えば、「用いず」です。
なお、ついでに記せば、もし蓮師が、真跡中でご自身を「仏である」と言っていたとしても、それは記述として確認するのみです。
その他の事実を照らし合わせて、違うと思えば「蓮師は自分を仏と言っているけれど、これは違う」と何の躊躇いもなく斥けます。
499
:
ガンコ
:2003/08/30(土) 12:01
独歩さん
次に申し上げたいことは・・・じつはまだぜんぜん書いていないので、気長に待っててください。
さて、
>外来説という予想
これは日本におけるキリスト教伝来をお考えですか、それとも、古代の東西交流によって仏教・キリスト教に相似性がある、との意でしょうか?
>わたしが尊敬する執行海秀師でも『五人所破抄見聞』を妙蓮寺眼師であるとしています。
ええ、最近読みましたけど、師の書きようはまったく疑いを置いておられない、と読めました。
>ですから、日蓮聖人と雖も
>躊躇いもなく斥けます
まあ、これが独歩さんのご主張でしょうけど、最近はとくにその傾向が顕著ですね。
500
:
アネモネ
:2003/08/30(土) 13:53
ガンコさん
>ええ、わたくしもロマンに酔いしれているだけなのかも、って思うことがあります。けっこう、近いかもしれませんね。
自分の置かれた立場とか、蓄積とか、人間的つながりとか、それら諸々に対する愛着(執着)とか、そういうことが、ある種のしがらみとか、足かせになってしまうんですよね。
でも、時間をかけてでも納得がいくまで探求されることは、決して無駄ではないと思います。最近のガンコさんのレスを拝見していて、そういう姿勢が伺えるなあと思って拝見させて頂いています。
>あっ、ダメダメ、そんな器用なことできませんですよ。
気が向いたら、いつでも来てください。
独歩さんに対するレスですが、興味深いので少し…
>これは日本におけるキリスト教伝来をお考えですか、それとも、古代の東西交流によって仏教・キリスト教に相似性がある、との意でしょうか?
ガンコさん、着眼的がいいですね。
私は、「キリスト教伝来」の影響ということもあるかもしれませんが、やはり「古代の東西交流によって仏教・キリスト教に相似性がある」のではないかと思います。
恐らく仏教が伝来する聖徳太子の時代から既に、そのような概念の原型があるのではないでしょうか。
日本の神道にしても、完全に日本の古代人のオリジナルではなく、海を越えてもたらされたものという説はよく聞かれ、物語の類似性もみられますし、またその変遷を示すように言語の類似性までもが日本語の中にも数多く残っているらしいです。
ちなみに、ユダヤ教(キリスト教)の救世主信仰は、ペルシャのゾロアスター教のミトラ神の影響が強く、またそれは東に向かっては弥勒菩薩の源流となったといわれいるそうです。この点は、独歩さんがより詳しいと思います。
また、キリスト教が東に伝えられて中国では景教となり、一説では西暦200年頃には早くも日本に伝わっているとのことですから、ゾロアスター教、ユダヤ教(キリスト教)、さらには密教や神道や仏教などから見出される神話の類似性は、間違いなく東西文明の交流と融合を如実に証明しているものでしょうね。
古代オリエントにおける文明の交流は、それこそロマンがあって面白いです。けこう、私は興味を持っていますよ。
ここからは私の勝手な想像ですが、文字を持たな古代人が、真理に結びつくような概念を人に伝えようとするとき、それを擬人化もしくは化身化して捉えて表現することが最もわかりやすかったのではないでしょうか。
日本の八百万の神にしても、またギリシャ神話にしても、そうですしね。それもまたひとつの人間の智恵かもしれません。
だけど、人間の人知を超えた存在の化身を観念的に想定して象徴とし、その象徴に教えを説かせるということが、たとえ一種の方便だとしても、そのことによって学び伝えられた崇高な精神というものは確かにあったと思います。
なにより、人間がその存在を奢り高ぶることを抑制する力となっていたのではないかと考えたりもします。
501
:
愚鈍凡夫
:2003/08/30(土) 15:34
横レス失礼します。
参考になるかどうか分かりませんが、本からの引用です。
ギリシアと仏教の融合―ガンダーラ美術
アレキサンダー大王のギリシア軍は、北インドで仏教に遭遇した。一行はその地にバラモンの反攻のために足留めを余儀なくされていたのである。アレキサンダー軍の子孫であるインド=ギリシアの往事たちは仏教徒になった。そしてギリシアの様式と特色を仏教的姿勢と主題に組み合わせ、ガンダーラ芸術として知られる驚くべき芸術様式を始めたのは彼らの治世においてであった。ガンダーラというのはペシャワール地方の別名で、現代の研究者たちはこの様式の多くの例をここで発見している。19世紀のヨーロッパ人が北部インド(その頃にはそこから仏教は完全に消え失せていた)で、インド人の一般的なずんぐりと歪んだしかめつらの顔形とは異なる、豊かな曲線と額の線から続いている真直ぐな鼻をした、丸形の古典的なギリシアの顔に突然遭遇した時の驚きは、充分想像することができよう。ガンダーラ芸術は正確に言うならカニシュカ王時代のものである。ギリシアからきてラテン芸術家たちに影響を与えた様式は、それまでパミールで止まっていたのである。仏教の東漸はじめ中国に、後には日本にその様式を伝え、1世紀以上も大西洋から太平洋に及ぶ地域で支配的であったと言ってよいだろう。この様式はギリシアの神々の保護のもとに地中海を取り巻き、アレキサンダーとともにインドへ行き、ブッダの肖像の中に定着したのである。そして初期の中央アジアや中国への使節団の後に続くのが、まさにこの仏教的要素(象徴と型にはまった構え)とギリシアの形式との混合であった。
(『シルクロード』リュセット・ブルノア著 長澤和俊・伊藤健司訳 河出書房新社 P118)
502
:
愚鈍凡夫
:2003/08/30(土) 15:46
>>501
:訂正
> アレキサンダー軍の子孫であるインド=ギリシアの往事たちは仏教徒になった。
アレキサンダー軍の子孫であるインド=ギリシアの王子たちは仏教徒になった。
> 仏教の東漸はじめ中国に、
仏教の東漸ははじめ中国に、
です。悪しからず。 m(_ _)m
503
:
苦悩乱者
:2003/08/30(土) 15:57
犀角独歩さん、アネモネさん、愚鈍凡夫さん、カンコさん
ほんとうに有難うございます。
皆さんの御投稿は、御僧侶方の説法より、有り難いですね。あっ、これ大変な事言ってしまったかな。まあ、私は苦悩乱者ですから、もう地獄ですからいいんですけど。
あんまり多くには、答えられないんですけど
>500 アネモネさんの >ここからは私の勝手な想像ですが、文字を持たな古代人が、真理に結びつくような概念を人に伝えようとするとき、それを擬人化もしくは化身化して捉えて表現することが最もわかりやすかったのではないでしょうか。
これが私の一番大好きな方法なのです。勝手とは云いながら、きちんと書を読んでいらっしゃる。其の上で、それを踏まえて、想像を巡らせて勝手に想像される、いちいちあの書籍の誰が書いた何処何処発行の、なんてやらない、そんな事しても、その書が正しいことを書いてあるのか否か、なんて証明も出来ないわけでして、だいたい同レベルの人であれば解ってしまう。そういう事って、私みたいな不勉強な者には都合がよい、最近になって、私の先生が教えてくれた法門が有ります。御義口伝の総題釈です。これを広めてほしいと言われました。私の御書は学会版で不完全なので誰か、ここに載せて、解釈してくださませんか?
504
:
愚鈍凡夫
:2003/08/30(土) 18:22
>>501
:に関連して、めげずに再度投稿です。
仏教興隆の中心地――クシャン王朝
古代が終わり、中世が始まる頃、テュルク=モンゴル族が古代ロシア、シベリアおよびヨーロッパの半分を席巻した時、事実上彼らは何ら存続するようなものは残さなかった。蛮族の波が寄せるたびに、蛮族は先住者を圧倒し絶滅させた。しかし、600年か700年ほど経っても彼らは決して文化をうち建てようとはしなかった。彼らはむしろ自分たちが征服した人びとの文化に同化することを好んだ。(中略)
中央アジアは2つの交通路の中心であった――それはペルシア経由の陸路とインド経由の回路である。――そして少なくとも100年の間、それは絶え間ない往来の場であった。この時代のクシャン帝国の領内、とくにタリム盆地の西部では、仏教が大いに広まった。商人たちに広められた路は仏教思想の広汎な布教・伝播にこのうえなく好都合であった。(中略)
班超が緋の皮を着た騎兵を率いて、西域を平定し、パミール高原に行った時には、クシャン王国の首都は世界的に主導的な仏教の中心地になっていた。当時の貨幣からわかるように、この国には多種多彩な宗派が併存していた。ある貨幣は牡牛を伴った完全なヒンドウー教のシバ神を表しており、またあるものはブッダ、ヘリオス(太陽神)あるいはセレネ(月の女神)、太陽神ミトラス、月なるマー、水神アートースプ、あるいはセム族の豊饒の女神ナナイアを表していた。しかし、ある王の個人的な好みの結果なのか、それともめざましい宗教的指導者の影響下にあってのことなのか、それともめざましい宗教的指導者の影響下にあってのことなのか、この時代にもっとも著しい進展をなしたのは仏教であった。この宗教的な混合主義(これはクシャンの統治上の諸条件に好都合であったし、またこの期の非常に幅広く異なった貨幣があることからも証明される)、この4つの異なった宗教的思想の融合を反映する思想の自由さは、大乗仏教(マハーヤーナ)の混合的性格と比較されうるということは、一再ならず言われてきたことである。仏教思想はバクトリアナを席巻し、ソグディアナに瀰漫し、それまでゾロアスター教徒の国であったホラズミアのすぐ近くまで広がった。そしてそれに伴い、仏教がアラル海沿岸まで進展するとガンダーラのグレコ=ブッディスト(ギリシア仏教)芸術を引き起こした。ホラズミアでは、たとえば考古学者たちはギリシア様式の織物や塔のミニチュアを発掘している。これらの遠隔の地のグレコ=ブッディスト芸術には、実際にはそこでは決して見られない猿さえ表されている。さらに北方、カスピ草原を横切り、ボルガ川とカマ川を遡る陸路と水路に沿って、クシャン貨幣が発見されたが、われわれの知るかぎり仏像やその他の典型的仏教遺品は見られない。
(『シルクロード』リュセット・ブルノア著 長澤和俊・伊藤健司訳 河出書房新社 P114)
クシャン朝の時代には、想像以上にいろんな宗教が混在していたようですね。
505
:
ガンコ
:2003/08/30(土) 18:54
アネモネさんの博識ぶりにはあらためて感嘆しております。また、愚鈍凡夫さんにしても、ただちに適切な資料を提示できるところなど、日頃の研鑽振りがうかがえます。
苦悩乱者さん、学会版の御書は不完全だから? それで、何をどのように解釈しろとおっしゃっる?
506
:
苦悩乱者
:2003/08/30(土) 19:40
503
誤=解釈してくださませんか?
正=解釈してくださいませんか?
それから、最後?に一言
私達いつまで観念世界に漂っていれば良いのでしょうか?
「母殊を超えない」ということも、念珠のことではなく、もっと違う事のご教示のように思うのですが。
507
:
苦悩乱者
:2003/08/30(土) 19:49
505 カンコさん
御義口伝の総題釈です。南無妙法蓮華経です。
508
:
愚鈍凡夫
:2003/08/30(土) 20:23
苦悩乱者さんへ
> 私達いつまで観念世界に漂っていれば良いのでしょうか?
このBBSに集う人たちは、観念世界に漂っている人などいないと思いますよ。
逆に、我見の教学の世界に漂うことの恐ろしさを知っている人たちばかりだと思います。
小生は、我見の教学の恐ろしさを創価学会で嫌というほど思い知らされました(創価学会では実践の教学と呼んでいますが・・・・・)。
我見を避けるには、まず、自分の信じていることが本当に正しいのか、それについて疑念を持つことが出発点だと思います。逆の言い方をすれば、疑念を持って教義を検証し、その結果、かえってその疑念を晴らすことになれば、より一層信心が深まるのではありませんか。
小生は、少なくともその姿勢でこれからも教学研鑽に励みたいと思います。
また小生は、基本的に信じる者は救われるといった、信者を思考停止に追い込むような教団は信じません。それこそカルト宗教の証だと思っているからです。
それ故、今は個人として信仰が成り立つか、そのシミュレーションの最中です。そして、我見に陥らないために、このBBSを訪れています。
ここに書込をされる方々は、言葉遊びをしているのではありません。そのことは忘れないで下さい。
509
:
ガンコ
:2003/08/31(日) 14:49
観念世界・・・とは何を意味するかわかりませんが、わたくしのばあいはよく所属組織の中で「頭でっかちの信心はダメだ」と言われてました。
個人の資質にある程度は任せて好いと思います。考えるのが好きな人は大いに思索をめぐらせればよいし、実践あるのみと思えばそれもよし、あんまり型にはまらないほうが好いでしょう。といっても組織というのはそうもいかないですよね。ですから、この掲示板の価値があるんでしょう。わたくしなんかは建前上は御法門を学ばせていただくなんてかっこつけてますけど、いつの間にか掲示板を朝昼晩開くのが楽しみみたいになっちゃってます。多い時は一日十回くらいはのぞいていると思います。ですから、これが観念世界というのなら、もうそれが楽しみになっちゃってるんだからしょうがない、って思います。
ともかく個人の自由ですから、べつに義務感で書き込むこともないし、ほんとに書きたい、何かをうったえたい、という衝動のみで好いんだと思います。
ですから、苦悩さんの「私達いつまで観念世界に漂っていれば良いのでしょうか?」というのも切実な叫びに聞こえます。なるほど名前が苦悩さんだけのことはあるなあ、と。
だいたい御義口伝なんか持ちだすからいけないんですよう。難しくってわかるわけないじゃあない。いちおう、貫首直伝の秘書ってんですから。
もし、差し支えなければ、手塚先生の御講義を紹介してください。もちろん、この掲示板に投稿すれば、手厳しい批判にさらされることになりますけど。
510
:
観山 念子
:2003/08/31(日) 18:40
友人に勧められ時々覗かせて頂いて居ります。 No.508〜509様の御説に御同感です。 ただ506の悩乱者様が御提起された「、、観念、、??」なるもを御感じになるのは=「今までの権威(大本尊)が疑義にまみれて、その代替策をも不透明な現況、」からは一応は理解できます。
私女としましては、愚鈍様ご指摘「、、我見の創価教学に漂う恐ろしさ、、」という件には「ハッと、グサリ、」と「共感」しました。
「信のみを強要するのは===思考停止を誘導するカルト!!」との言には「ウーム、ナルホド、、」と膝を打ちました、。 貴重なる御議論「有り難う御座いました」、、。 勉強になりました。
511
:
苦悩乱者
:2003/09/01(月) 12:24
508 愚鈍凡夫さん
509 カンコさん
510 観山 念子さん (始めまして、どうぞよろしくお願い致します。)
まとめてしまってすみません。
私は皆様(アネモネさんも、独歩さんも、常徳庵さんも、kaneさんも、そのほかの人々も)が好きです。兎に角皆様は真面目に真理を追究されていると感じます。私の教学は皆様に比べれば、微々たるものです。担一つ申し上げたい事が有ります。「法華の心」というものが一番大切だと思います。数ある御書篇の中から、「所詮」、「種」、「妙」、「担」「これ体のこと」という文字を探しだされることをお勧めします。
509 カンコさんの >もし、差し支えなければ、手塚先生の御講義を紹介してください。もちろん、この掲示板に投稿すれば、手厳しい批判にさらされることになりますけど。
相談してみます。
512
:
犀角独歩
:2003/09/01(月) 21:24
苦悩乱者さん:
> …「法華の心」というものが一番大切」
こういう書き方をすると、茲の投稿者がそのようなものがないような意味に取れることになりますね。
みな法華の心に従った投稿でしょう。
513
:
アネモネ
:2003/09/02(火) 03:02
所要で、投稿ができないでいました。
愚鈍凡夫さんの501>504>の内容、とても興味深いですね。
>ギリシアと仏教の融合―ガンダーラ美術
レスを拝見させていただきながら、昨年東京で開催された、インド・ガンダーラ彫刻展で観てきた数々の仏像を思い出しました。
文献のみでは、まさに平面的な二次元的思考に狭められてしまうとすれば、仏像などにもよる考古学的研鑚というのは、まさに立体的な三次元的思考といえるものであり、目から鱗で大きく意識の変った体験だったことが思い出されます。
>仏教興隆の中心地――クシャン王朝
これは特に大乗仏教にとって、とても興味深いところですね。私は、NHKスペシャルの「文明の潮流」ではじめて知って、とても興奮した点でした。
これだけが正しいのだと教え込まれて、他の世界を見ることを閉ざされてしまうのが、日蓮正宗系といえるかと思いますが、しかし、それは実にもったいないことです。
法華経成立に至るまでの、こういった考古学的史実などに目を向けることもなく、それどころか頭ごなしに否定し、ほとんど今日的な仏教の常識や水準を知らないまま、「この信心が絶対に正しい」とだけ確信をもって言い切ってしまう、その虚勢の強さというのは、結果的には自分をどんどん限りなく追い詰めてしまうものではないかと、つくづく思い返すところです。
しかし、このようなことを平然と書くようになった私でさえ、約二年前に参加しはじめた当初の頃は、もしかして謗法になるんじゃないかと、半分は怯えていたものです。
実に図太くなったものですが、しかし考えてもみれば、これこそが絶対に正しい教えと確信をもって世間に広宣流布しようとすることのほうが、図太い神経かもしれません。
514
:
苦悩乱者
:2003/09/02(火) 11:46
512 犀角独歩さん
誤解を生むような表現を致しました。すみません。
515
:
犀角独歩
:2003/09/02(火) 18:11
苦悩乱者さん:
真摯に応じくださり、有り難うございます。
516
:
愚鈍凡夫
:2003/09/02(火) 20:25
>>513
:アネモネさんへ
あっ。どうも、今日は暑いですね。
今日の関西地方は、9月になって油断してたらいきなり反則攻撃喰らったような感じでした。
> 私は、NHKスペシャルの「文明の潮流」ではじめて知って、とても興奮した点でした。
実は、小生もあの番組を見ました。その時に思い出したんです。
「あれっ。確か、昔読んだ本に同じこと書いたぁったんちゃうかな?!」
と思って探したら「シルクロード」が見つかったんです。
それで、懐かしく読み返しました。
小生も、シルクロード関係の展覧会があるときは、時間の許す限り観にいくことにしています。
シルクロード関係の逸話は面白いものが多いですよね。
例えば、敦煌の莫高窟は1900年頃、偶然に1人の道教僧によって発見されたことや、431年にエフェソスの宗教会議で異端と宣告されたネストリウス派キリスト教がシルクロードを渡って中国に辿り着き、景教と言われるようになって、中国思想に福音の概念、三位一体の概念、洗礼の儀式、そして十字架の象徴をもたらし、中国思想新しい風を吹き込んだことは意義のあることだと思います。
517
:
ガンコ
:2003/09/04(木) 17:51
人法一箇論のつづきです。
早坂先生はあっさりと、本門=人法一箇 を言っておられるけど、はたしてそれが大聖人の御考えなのか? というと、ちょっと前に触れましたが、わたくしは大聖人の御書全体から受けた印象として、あくまで印象ですが、「法勝人劣」が大聖人の御考えであろうと思っております。ですから、大聖人所弘の御法門をいわゆる法華本門とするならば、本門=法勝人劣 であろうと考えます。
「昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉、未来の光明如来是なり。今乗明法師妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり此は経なり。経は師なり仏は弟子なり。・・・夫劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや。」(乗明聖人御返事)
ここで劣れる仏とは何か明らかではありませんが、木像とだけはわかります。わたくしが曼荼羅正意を唱えるのは仏像を劣れる仏とするこの仰せに拠りますが、それはさておき、この御文の逆の仰せが存在するのかどうか・・・つまり、法華経を劣れる経とする御文があるのかどうか・・・といえばどうもなさそうです。
「夫法華経は一代聖教の骨髄なり。自我偈は二十八品のたましひなり。三世の諸仏は寿量品を命とし、十方の菩薩も自我偈を眼目とす。・・・されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給ふ。」(法蓮抄)
「夫法華経と申すは八万法蔵の肝心、十二部経の骨髄なり。三世の諸仏は此の経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給ふ。・・・さればこの法華経は一切の諸仏の眼目、教主釈尊の本師なり。」(兄弟抄)
まさしく法勝人劣の仰せであります。大聖人は、大日・阿弥陀などの諸仏と対比する時には釈尊の勝を仰せでありますが、法華経の前では釈尊すら弟子に過ぎないと仰せであります。では、人法一箇はどうなるのか?
人法一箇は御書の表面には容易にあらわれていない、すなわち文の底にある、と拝します。
早坂先生は原始仏典に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る。」とあることを法佛一如の文証としていますが、そうしますとなおさら本門=人法一箇は成り立たないと思われます。(もちろんこの所論は河口氏に対する反論ですから不要の説明を省かれたとは思いますが、)ともかく、すでにして原始仏典にあるということは、そのエッセンスは爾前経にも反映されるでしょうし、法華経迹門にもあることになると思います。つまり、法華本門だけが人法一箇なのではなく、仏教思想全体の底流として、人法一箇(法佛一如)が説かれていることになりましょう。
何のことはない、人法一箇はあったりまえのことだから、大聖人はことさら強調されなかった。
ええ、もちろん、“文の底”というのは仏教思想全体の“底流”という意味になりますから、開目抄の「文の底」とも違いますし、種脱相対の説明でもなんでもありません。
短絡的には 本門=法勝人劣 だから 文底=人法一箇 と言いたいわけですが、そんなごまかしが通るわけないことは百も承知しております。
・・・次回は、なぜ大聖人は法勝人劣を強調されたのか? について考える予定です。(予定は未定にして確定にあらず云々)
518
:
愚鈍凡夫
:2003/09/04(木) 20:12
>>517
:ガンコさんへ。
ガンコ説に気になるところがあったので、私見を少々。
「昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉未来の光明如来是なり。今の乗明法師・妙日並に妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり、此れは経なり。経は師なり、仏は弟子なり。涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり。乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と。法華経の第七に云く「若し復人有て七宝を以て三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」。夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや。」(『乗明聖人御返事』昭和新定御書より)
を依文として、
> わたくしが曼荼羅正意を唱えるのは仏像を劣れる仏とするこの仰せに拠りますが
と仰いますが、
「夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや。」
の文は、ガンコさん引用の文の後に続く、
「但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬へば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ。」
を強調するための仰せではないでしょうか。
それに、この御遺文は法華経帰依の重要性を述べているのであって、曼荼羅正意を述べているのではないように思うのですが。
早坂氏は
「『六巻抄』の構造と問題点(二) 「文底秘沈抄」本門の本尊編を通して」
の論文の中で、
> 法の本尊、人の本尊、人法体一の本尊の、3つあるとする日寛のこの三分類本尊論ですが、天台も妙楽も伝教も日蓮聖人もいずれも本尊に三分類は行なっておりません。人法本尊の分類というのは、爾前権教の三宝論の亜流的思考です。小乗経では仏が優れております。権大乗では法が優れておる説を取ります。法華経の迹門では法が優れ人が劣る。法華本門は人法一箇です。従って、三宝論は法華経本門によって三宝一体となり、三大秘法の中の本門の本尊は三宝一体が前提ということでありますので、この日寛の分類もおかしいといえます。
と述べ、そしてさらに、
> また、本尊に人法論を展開し、人法一箇の本尊を立てますがその本尊の特徴は、文底独一の本門の事の一念三千と称します。人法一箇の人とは日蓮、法とは文底事の一念三千と規定します。この説は伝教大師の『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身」を拠所といたします。人即法の理論は成立いたしますが、人即法の本尊の文証たりえません。堅樹日寛の人法一箇本尊は独善的己義であり、曲会私情の釈だということでとりあえず結論として終らせていただきます。
と述べています。「人法一箇」という言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。
従って、ガンコさん記述の、
> 早坂先生は原始仏典に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る。」とあることを法佛一如の文証としていますが
とは何ら矛盾しないと思いますが。
519
:
愚鈍凡夫
:2003/09/04(木) 20:22
訂正
誤 「人法一箇」という言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。
正 「人法一箇」と言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。
です。悪しからず。 m(__)m
520
:
ガンコ
:2003/09/04(木) 21:01
愚鈍さん、ありがとうございます。
>それに、この御遺文は法華経帰依の重要性を述べているのであって、曼荼羅正意を述べているのではないように思うのですが。
人本尊・法本尊というのは富士の言い方なんでしょうね。それで、法本尊といえば曼荼羅本尊のことだと、そういうことになってますから、確かにその辺の整理があまいと自覚しております。おそらく正宗系だけで議論していれば指摘されることはまずない部分なのだろうと思います。ゆえに愚鈍さんのご指摘はありがたいと思っています。
曼荼羅正意についてはこれからも考えを深めていきたいと思っていますので、とりあえず保留します。
>「人法一箇」と言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。
ここですが、よくわからないです。それ以前に、早坂先生の本門=人法一箇がわかりません。教えてください。
521
:
愚鈍凡夫
:2003/09/04(木) 22:31
んモ〜!(牛かお前は) (;^_^A アセアセ…
そうくるだろうと思ったんだよな〜。
まず、『素朴な質問』スレの
>>628
に紹介した論文を読んで下さい。
人法一箇の依文は法華経にありますので、その文証を法華経から引用します。
「我為仏道。於無量土。従始至今。広説諸経。而於其中。此経第一。若有能持。則持仏身。(我仏道を為て、無量の土に於て、始より今に至るまで広く諸経を説く。而も其の中に於て此の経第一なり。若し能く持つことあるは則ち仏身を持つなり)」(妙法蓮華経見宝塔品第十一)
「若し能く持つことあるは則ち仏身を持つなり」の一節が依文になると思います。
この一節は法華経迹門ですが、法華経を持つことが仏身を持つことになるのであれば、人法一箇ですよね。
これを本尊論に持ち込んだのが日寛師だと思うのです。おかげで、早坂氏御指摘のような様々な論理矛盾をきたすわけです。
「我成佛已來。復過於此。百千万億。那由他。阿僧祇劫。自從是來。我常在此。娑婆世界。説法教化。(我成仏してより已来、復此れに過ぎたること百千万億那由他阿僧祇劫なり。是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す)」(妙法蓮華經壽量品第十六)
と、久遠実成が明かされます。そして、
「若有受持讀誦。正憶念。修習書寫。是法華經者。當知是人。則見釋迦牟尼佛。如從佛口。聞此經典。當知是人。供養釋迦牟尼佛。(若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり、仏口より此の経典を聞くが如し。当に知るべし、是の人は釈迦牟尼仏を供養するなり)」(「妙法蓮華經普賢菩薩勧發品第二十八」)
とあります。ここにも
「若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり」
と説示されているように、人法一箇が説かれていますね。
本来、人法一箇とは本尊のことを示唆しているのではないと思います。法華経を信受する者は、そのまま「教主釈尊」を拝謁し、その言葉を聴聞することになるとの意味ではないでしょうか。
これで、ガンコさんへの回答になっていますか?
522
:
ガンコ
:2003/09/05(金) 01:26
>まず、『素朴な質問』スレの
>>628
に紹介した論文を読んで下さい。
もちろん、紹介していただいた時点で、読ませていただいておりましたが、難しくて半分も理解できていません。基礎的な教学がまったくないのですよ、わたくしは。
しかし、愚鈍さんに法華経の文を提示していただき、法華経に人法一箇が説かれていること、よくわかりました。
いや、まあ、それはそうなんでしょうけど、わたくしが疑問とするのは、法華経のみが、なかんづく本門のみが人法一箇であるとする論拠です。すでに申しましたように、原始仏典にその意味を見出せるということですから、必ずしも本門だけが人法一箇とはならないのでは? それとも法佛一如と人法一箇はぜんぜんちがうと?
さらに、やや意地悪な質問かもしれませんけど、愚鈍さんのおっしゃりようですと、法華経信仰は本尊を必要としない? 経典そのものが本尊? ってなことでしょうか?
わたくしの曼荼羅正意は、つまり法華経においては文字に価値を見いだす意味があるから、大聖人の御文字御本尊が末法における“それ”に当たるのだろうと拝するわけですが・・・
523
:
愚鈍凡夫
:2003/09/05(金) 12:42
ガンコさん。
仏といっても、法といっても、多種多様なわけでしょう。
その中で最高の組み合わせが「法華本門の教主釈尊」と「法華経」ということでしょう。
更に絞れば、「教主釈尊」と「一品二半」ということですね。
だから、早坂氏は仏と仏の説く法との関係を言ってるんだと思いますよ。
ただ、「人法一箇」の一点に絞って言えば、原始仏教の経典にも説かれているということじゃないですか。
天台・伝教・日蓮の流れから言うと、「法華経」は随自意で、諸経は随他意です。
このことを視野に入れて考察する必要があると思います。
それから、「人法一箇」と「本尊論」は別問題です。日寛師が言っているから、それが蓮祖の法門であるとの解釈は間違っています。
法華経を本尊とする件に関しては、ガンコさんがよく引用する「本尊問答抄(未決書)」に、次のように記述されていますよ。
「末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり、其の故は法華経は釈尊の父母諸仏の眼目なり釈迦大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり」(「本尊問答抄」 学会版P366)
大曼陀羅の中尊は法華経の肝心です。ガンコさんはこのことを忘れているのじゃありませんか。曼荼羅は諸尊が勧請されて、それぞれの座に着くことによって本尊に成りうると言うことでしょう。
「教主釈尊」と「大曼荼羅」の関係は、犀角独歩さん推薦の論文に詳しいので、そこから引用します。
「即ち日興上人の直弟間の本尊意識に於ては、本門本尊としての一尊四士と、大曼荼羅との間に何等の区別もなく、またその間に何等の軽重をも認めて居ない。いな寧ろその本尊意識を克実すれば、それは大曼荼羅所顕の久遠本仏、即ち一尊四士の形相に依て現されるところの本門の教主釈尊であったのである。然してこの本門の釈尊の因果の功徳体、即ち事三千の相を図顕したのが大曼荼羅であると解していたものゝようである。故に大曼荼羅は、本門の本尊たる本門の教主釈尊の仏心を図顕したものに外ならないのであったのである。」(初期の興門教学に於ける本尊意識の展開)
とあります。
以前、川蝉さんが小生に御教示下さったように「一尊四士」、「大曼荼羅」、ともに本尊として差し支えないのではないですか。
524
:
ガンコ
:2003/09/05(金) 18:55
ううっ、む、むずかしい〜っ。
早坂先生の論文は半分も理解できないと申しましたが、さらに執行海秀先生のそれはほとんど理解できないです。
ひとえにわたくしの頭が悪いからなのです。もやは議論は成り立たない。まったくもって申し訳ありません。
ということで、こちらの意見を申し上げるというよりはご質問ばかりになってしまいますが、まず、早坂先生は法華経迹門を法勝人劣であるというのです。しかし、すでに愚鈍さんがお示し下さったように迹門にも人法一箇の意味が説かれているわけですから、なぜに迹門を法勝人劣にするのかその根拠がわかりません。
また、ガンコさんのよく引用する本尊問答抄・・・ですが、そう言われるのがイヤだから今回は使っていなかったんですよ。しかし、逆に今回、はっきりしたのではないかと思うのですが、法蓮抄・兄弟抄など、本尊問答抄と矛盾しない御書が多いように感じるのです。それで、御書全体の印象として法勝人劣ではないのかと考えたのですが、これは間違いなのでしょうか?
それともうひとつ、一尊四士・大曼荼羅を本尊とするのではなく、法華経の経巻を本尊とするのではないのか? ということを申し上げたわけですが、これも御書全体の印象として一尊四士の仰せは皆無に等しく、大曼荼羅もそうです。つまり、大聖人のおかれましては単に「法華経」と仰せられるケースが圧倒的なのではありませんか?
すでにこんな質問は富士門の考え方ではないと自覚しておりますが、あえて申し上げました。おそらく御書のどこに注目するかで、ぜんぜんちがったとらえ方ができてしまうのだろう、というのが今の実感であります。
525
:
犀角独歩
:2003/09/05(金) 19:58
この手のことを、今さら書くのもなんですが、ちょっとだけ。
「人法」、この用法には注意が必要です。わたしは人法ではなく、「仏法」というべきであると思っています。
真跡で見る限り、蓮師の「人法」の用法は「過人法(上人法)が一般で、『秀句十勝抄』でも使用が見られますが、これとて、今の用法とは異なっています。蓮師が「人法」というとき、人は必ず「人師」です。しかし「人法一箇」などの用法では人は仏の意義を持たせますが、このような用法は真偽未決にしか見られないものです。
わたしは蓮師は『秘密荘厳論』は見ていないであろうと思います。真跡から諮ってもその思想系譜は感じられません。しかし、『就註法華經口傳』寿量品廿七箇大事第廿一自我偈事ではもちろん使用されています。
「一念三千即自受用身 自受用身者出尊形仏矣」
出尊形仏は凡夫僧で解されることになるのでしょう。これが同じ経脈で論じられているか否かは一考を要しますが、常不軽菩薩品下三十ヶ大事第十三不値佛不聞法見僧事には
「末法佛凡夫也 凡夫僧也 法ト者題目也 僧と者我等行者也 佛共云ハレ 又ハ凡夫僧共云はるゝ也」
寛師はこれを「示同凡夫」とも言うわけですが、この語彙の使用は寛師より教師、我師が先行するものと思われます。要山と保田の影響と言うことでしょう。もちろん、日蓮本仏論と板漫荼羅濫觴の文明年間以降のことでしょう。蓮師から見れば200年もあとのことです。真跡から計るに、とてもこのような考え方が蓮師にあったとは思えません。
なお、真偽未決書に現れる『金剛ぺい(金ぺい論)』の
「阿鼻依正全處極聖之自心 毘盧身土不逾下凡之一念」
を恰も凡勝仏劣の如く扱うのは『諸法実相鈔』です。
「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。然れば釈迦仏は我等衆生のためには主師親の三徳を備へ給ふと思ひしにさにては候はず、返って仏に三徳をかぶ(被)らせ奉るは凡夫なり」
しかし、斯様な逆罪を犯す如き思想が蓮師にあったとは到底思えません。
これら蓮師とは異なる思想系譜のなかで仏法はやがて人法と置換されていき、ついには人法一箇という石山教学に影響を与えるに至ったのでしょう。これしかし、石山のオリジナルではなく、恵心流のパクリであるというのが、由比師、早坂師が指摘した点でした。
なお、法華経が「人法一箇」であるという点には、実はわたしは反対です。
その理由は法華一経を虚心坦懐に読む限り、いま言われる法に該当するものは何一つ説かれていないからです。そこに説かれるのは、ただ「教菩薩法」のみで、仏が成就したというのは「阿耨多羅三藐三菩提」、すなわち菩提であるというに留まります。
しかし、法華経に諸法実相が説かれていると意訳を加えたのは羅什であり、そこから不可思議境三千を提示したのは智邈説・灌頂記であり、さらに一念三千と結語したの湛然述でした。蓮師は、この一念三千を殊の外珍重し、妙法蓮華経の五字の内にこの珠(一念三千)を包む故に本門題目と呼称し、それを持(たも)つ久遠釈尊を本門本尊と愛敬しました。しかし、果たして、この一念三千>題目と釈尊を同一視していたのでしょうか。本法所持という意味合いを越えないのではないのかとわたしには思えます。
諸法実相=一念三千>題目の関係は見られるものの、法=仏を示す脈絡を看取できません。但し、蓮師は『本尊鈔』に我実成仏を釈するに「所見三身無始古仏」としながら、我本行菩薩道では、身土に約するに決の
「當知身土一念三千 故成道時稱此本理 一身一念遍於法界」
を引いて「所化以同体」を言うものの、これらを人法一箇とする蛮勇は、わたしは俄に生じません。
十界論という基礎概念を頂く脈絡では、いずれにしても人が仏であるわけはなく、仏法を言うならばいざ知らず、人法とはまことに仏を人より貶める逆罪・凡夫本仏論の穿った語彙の用法であると思えるわけです。もっともこの使用は何も富士の専売ではなく、他派でも使用されていることは失笑を禁じ得ないところではあります。
以上、反論される方は多々あるでしょう。是非とも真跡からご批正を賜れれば幸甚です。
526
:
愚鈍凡夫
:2003/09/05(金) 20:35
前にもやったテーマのような気がするのは小生だけだろうか・・・・・(独り言)。
攻めに回ると、いきなり復活しましたね(ズッコ〜!! by関西弁)。
ところで、何でガンコVS愚鈍凡夫なんだろう。
> なぜに迹門を法勝人劣にするのかその根拠がわかりません。
迹門の仏は「始成正覚」の釈迦牟尼仏だからじゃないですか。未だ「久遠実成」が明かされていませんから。
> 御書全体の印象として法勝人劣ではないのかと考えたのですが、これは間違いなのでしょうか?
個々の御書によってはそういう解釈ができると思いますが、経年による法門の熟成ということもあるので、一概にそうとはいえないと思います。
> 一尊四士・大曼荼羅を本尊とするのではなく、法華経の経巻を本尊とするのではないのか? ということを申し上げたわけですが、これも御書全体の印象として一尊四士の仰せは皆無に等しく、大曼荼羅もそうです。
「一尊四士」という言葉がお気に召さないのなら、「教主釈尊と四菩薩」という言葉に置き換えます。ちゃんと文証がありますよ。
「此の時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(「観心本尊抄」 昭定P720)
「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、」(「報恩抄」 P328)
これらの文証がそうです。そして、
蓮祖が曼荼羅もまた本尊と位置づけていた証拠はありますよ。
「このまんだら(曼陀羅)を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく子ををやのあいするがごとくいをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうごとくとりの木をたのむがごとく一切の仏神等のあつまりまほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」(「妙心尼御前御返事」 学会版P1477 日興写本大石寺蔵)
「御本尊図して進候」(「報恩抄送文」 学会版P330 未決書)
これでいいですか?
527
:
犀角独歩
:2003/09/05(金) 20:49
ガンコさん:
横レス失礼。
> 迹門を法勝人劣にするのかその根拠がわかりません
この理由は至って簡単です。
わたしは上述のとおり、人法語彙反対論者なので、仏法でこれを説明します。
迹門では久遠実成を説いていません。ですから、この段階の仏は、まだ完全に権を払っていません。ですから、法華経を法とすれば、そこでもっとも言おうとしていることに至っていない段階の釈尊はまだ爾前づりの仏で「法勝/仏(権迹)劣」となります。しかし、本門では久遠実成が説かれ、法華経で説こうとするところは余すことなく説かれますので、これを説く仏と説かれる法は一致しています。仏法は一致しているわけです。これを早坂師などは「人法一箇」と言ったんじゃないでしょうか。もちろん、この人は仏、つまり久遠釈尊です。(人というのは、わたしは違うと思います。仏と言うべきでしょう。法華経を法とする考えにも反対ですが、まあ、その点は前述したとおりです)
> 一尊四士・大曼荼羅を本尊とするのではなく、法華経の経巻を本尊とするのではないのか?
これはやや混乱した疑問でしょうね。
法華経創作者は当然、経典とそれを安置する宝塔崇拝論者ですから、まったくガンコさんの言う如くです。しかし、智邈師(灌頂記)では羅什の漢訳・妙法蓮華経の五字に意義を論じるわけで、ここでは一経と五字の崇拝は兼ねる形になるのでしょう。
なお、智邈・灌頂・湛然三師の段階では、そもそも「本尊」「曼陀羅」という言葉自体、まったく使用されていないことは過去に論じたとおりです。
この言葉と思想の使用は、本尊は儒家その他の中華思想・曼陀羅は密教からと、わたしは類推しましたが、顕正居士さんは共に密教の影響であると仰ったと記憶しています。
この本尊・曼荼羅が天台宗に流入したあとに蓮師は台を学びます。
蓮師はそこで特に法華一巻というより、五字の意義に傾きます。また、智邈が意識もしなかった本尊・曼陀羅の意義を含めて仏法を考えたわけでしょう。
しかし、蓮師が現実的に生涯崇めた本尊は、随身仏、つまり釈迦一体立像であったことは紛れもない事実です。
けれども、本尊鈔その他の著述から拝すれば、蓮師は一尊四士も本尊と考えていたようであり、その仏と法を中心に据えた勧請を記した曼陀羅は、当然、本尊を含むものであるから、それらを同等に扱うことに痛痒なしとしたのが執行師の見解でしょう。
以上のような時間軸の変遷があるということではないでしょうか。
ああ、また書いてしまいました。お邪魔さま。
528
:
愚鈍凡夫
:2003/09/05(金) 20:51
あっ! 犀角独歩さん有り難うございます。投稿が行き違いになってしまいました。
訂正
誤 「妙心尼御前御返事」 学会版P1477
正 「妙心尼御前御返事」 学会版P1479
です。
529
:
犀角独歩
:2003/09/05(金) 20:54
愚鈍凡夫さん:
同時にお書きになっていたようで。
気が合いますね(笑)
530
:
愚鈍凡夫
:2003/09/05(金) 20:56
済みません。勘違いです(少々疲れております)。
「妙心尼御前御返事」 学会版P1477が正解です。
悪しからず。 m(_ _;)m ゴメン!!
531
:
ガンコ
:2003/09/05(金) 21:31
愚鈍さん、独歩さん
迹門=法勝人劣はなるほど、じぶんでも少し考えてはいたのですが、おっしゃること、よくわかりました。
しかし、そうすると、わたくしには大聖人の御法門が法勝人劣に見えてしまうのですが、御書の読み方が偏っているのでしょうか?
それと、
>小乗経では仏が優れております。権大乗では法が優れておる説を取ります。
わたくしが引用した早坂先生の論文では、爾前権経を人勝法劣としておりまして、若干ずれがあるわけですが、まあ、わたくしにとってはどっちでもいいのですが、ご存知でしたら人勝法劣の根拠を教えてください。
独歩さん。人法の語彙はともかくとして、乗明聖人御返事では「経勝仏劣」を仰せですが、これが大聖人の法華経観ではなかろうかと思われるのですが、ちがいますでしょうか?
>ところで、何でガンコVS愚鈍凡夫なんだろう。
知りませんよ、そんなこと。
532
:
愚鈍凡夫
:2003/09/05(金) 22:50
>>531
:ガンコさんへ。
> わたくしには大聖人の御法門が法勝人劣に見えてしまうのですが、御書の読み方が偏っているのでしょうか?
一言。 偏っているんですよ。
> ご存知でしたら人勝法劣の根拠を教えてください。
始成正覚の釈迦牟尼仏が、衆生の機根に応じて一機一縁の法を説いたからでしょう。故に、人勝法劣なのではないですか。
ところで、ガンコさんはいつから曼荼羅正意から法華経正意に転向されたんですか。
533
:
ガンコ
:2003/09/06(土) 00:40
>一言。 偏っているんですよ
あらららら、こうもきっぱりとおっしゃられると、なんとお返ししてよいものか、わからないですね。ともかく御書の拝読が足りないのは事実ですから、今後も拝読を重ねてまいります。
>始成正覚の釈迦牟尼仏が、衆生の機根に応じて一機一縁の法を説いたからでしょう。故に、人勝法劣なのではないですか
さ、さすがですね。ようやくわかってきたような気がします。
>ところで、ガンコさんはいつから曼荼羅正意から法華経正意に転向されたんですか
いやいや、そういうつもりはなかったんですよ。簡単に申しますと、通常は仏像本尊VS曼荼羅本尊の構図があって、どちらが大聖人の正意かという議論ですが、法華経に還って見たらどうなるか、という視点をじゃっかん取り入れてみただけの話です。
いずれにしても仏像はどうも抵抗がある・・・やっぱり、これも偏っているんでしょうかね。
534
:
犀角独歩
:2003/09/06(土) 01:23
ガンコさん:
> 乗明聖人御返事では「経勝仏劣」…大聖人の法華経観
ガンコさんはこれを経典が勝れて、釈迦仏が劣ると読んだのでしょうね。
「経は師なり仏は弟子なり」の一節から、そう思われたのでしょうか。
しかし、これは違います。ここで言う仏とは一つは箔を貼られた木像(仏像)のこと、この仏はすなわち、「金珠女は金銭一文を木像の薄(箔)」を句を受けた「仏」です。経は「妙日並びに妻女は銅銭二千枚を法華経」とありますから、法華経です。
つまり、同じ供養でも、金珠女は木製の仏像に、乗妙(妙日)は法華経に供養した対比を述べる所です。そして、「経は師なり仏は弟子」の仏は釈迦仏ではなく、諸仏でしょう。
ただし、功徳という点から、仏・大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養より、法華の一四句偈を受持する福の最も多きには及ばないとします。その前提から
「夫(それ)劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや」
として、劣る木像、諸仏を供養すれば、九十一劫に金色の身となるが、勝れた法華経を供養すれば一生の間に仏位に入るという対比です。
ですから、ガンコさんが思ったような法華経勝釈迦仏劣の意味ではありませんよ。
535
:
ガンコ
:2003/09/06(土) 02:19
>ですから、ガンコさんが思ったような法華経勝釈迦仏劣の意味ではありませんよ。
そうすると、独歩さんは、人法一箇をお使いにはならないわけですが、上述の結論から導かれるのは「法華経勝釈迦仏劣ということはありえない、なぜなら法華経と釈迦仏は人法一箇であるから」としたくなるところですけど、おそらく独歩さんはこれにもくみしないんでしょうね。
どうもわたくしには、法蓮抄・兄弟抄の仰せは釈尊をも含めているように思えるし、その延長線上に本尊問答抄があって「能生・所生」を仰せのように拝せるのです。つまり、法華経の教主すら法華経から生み出されたとするわけです。これはもう、ただごとではない。普通の感覚ではまず教主がいて法が説かれると考えるでしょうから。しかし、そこが法華経の面目躍如であろうと。
そのように拝する時、乗明聖人御返事も同じに思えてしまうんですが、根本的に間違っているのでしょうか?
536
:
犀角独歩
:2003/09/06(土) 11:21
> 535
ガンコさんが言いたいことはわかります。
問題にしているところは、いわゆる日蓮教学の大問題です。この件は、過去にも何度もみなで話し合ってきたことですね。
この問題を話し合うときには、「法華経」がなんであるのかをまず定義しなければいつまで経っても噛み合わないでしょう。通常、法華経というのは法華経“経典”を指します。となると、これは蓮師の教学・歴史観では当時から2230余年前に、釈尊が、インド、霊鷲山で御歳72歳から80歳の8箇年の間に教えを説かれる有様を経典にしたものということになります。ですから、この場合、法華経は釈尊が生み出した前提になりますね。
ところが法華経の本文を読むと、法華経は過去の仏様も説いていたと、こんな記述が出てきます。ここで言われる法華経はインド応誕の釈尊が8箇年の間に説いたものではなく、過去の仏もみな法華経を説いているとなってくるわけです。
序品に「…日月燈明…是の法華経を説きたもう」と、こうあります。つまり、昔、日月燈明仏が世に出て法華経を説いたと序品から、いきなりこう来るわけです。すると法華経は、お釈迦様がインドに出て説いたものを言うのではない、となってきます。
これをずっと遡ると、もしかしたら法華経はお釈迦様を含む一切の仏様が成道する以前からずっとあったんじゃないのかという法華経神話がここに発生します。そして、ここでいう法華経とは経典を指すのではなくて、(南無)妙法蓮華経という正法、あるいは妙法と言われる「法」のことなんだと、論理が飛躍していきますね。こうなってくると法は永遠常住だから、仏様より先にあり、その法を師として仏も成道したんだ、こうなっていくわけでしょう。
実際、法華原文を読んでも、たとえば提婆達多品では「仏…吾過去無量劫の中に於て法華経を求めし」などとあります。釈尊と法華経、どっちが先か、法華原文に拠れば、これは間違いなく法華経が先です。つまり、ここまでではガンコさんの考えは正解です。ですから乗明書は別にしても、その考えはあっていると思います。
ただ、問題その先にあります。
提婆達多品の記述にしても、ここでいう法華経は釈尊が説いた法華経ではなく、過去仏が説いた法華経です。しかし、こうなってくると、釈尊一仏を一切の根本としようとする法華信奉者にはまことに都合が悪い。お釈迦様は一切の根源であり、お釈迦様より古いように見える仏に関する記述は、実は方便なのであって、本当は根本はお釈迦様なんだと、こうやりだします。一切の仏の成道よりお釈迦様の成道が先だと言おうとしたのが寿量品の久遠実成だとも言い出します。
それでも、飽きたらず、実は五百塵点は過去の特定の時を指すのではなく無始なのだ、だから、法もお釈迦様も無始古仏なんだとはじめるわけです。これは蓮師も足並みを揃えるわけでしょう。ここで展開されるのは人本尊・法本尊でそれが一箇であるというものです。仏を掴まえて人とはよく言うものだとわたしは恐れおののきますが、まあ、ここで言いたいことは仏/法の無始性でしょうね。富士ではこの無始無終の仏を「日蓮」と置き換えてしまうわけですが、この考えは蓮師はあるはずはありません。日蓮本仏論は天台本仏論の焼き直しであり、その天台本仏論は釈尊本仏論の焼き直しと見えます。
では、無始古仏という考えが、では法華経創作者にあったかといえば、それはなかったでしょうね。法華原文を読む限り、そんな思想は窺えません。三身にしてもそうです。法華経創作者は三身論などまるで問題にしていません。あるのは久遠仏思想、阿弥陀信仰と同じ仏の寿命の量り知れない長さです。まあ、それは置きます。
537
:
犀角独歩
:2003/09/06(土) 11:21
―536からつづく―
人法の立て分けで言われる「法」は正法、あるいは妙法であって、つまりは妙法蓮華経の五字である、その五字には一念三千が包み込まれている。では一念三千とはなにかというと、方便品に「諸法実相」という法華経にのみ説かれる真理(法=正法/妙法)なんだとやりだす展開でしょう。そんなことから、妙法蓮華経とは宇宙の真理であり、それを説いたことを記された経典が法華経典であるから尊い。でも、経典は経典なのであって、実はその経題である妙法蓮華経こそが本尊であり、無始已来仏と共に常住してきた真理なんだとかやり出すのが天台の系譜を踏む蓮師の考えだというのが「教学」なのでしょう。この有力な基礎が興師写本を遺す本尊問答抄でした。わたしはこれは「興師作なのでは?」と問答さんに疑問を投げかけたことがありました。蓮師の思想と思えないからです。
また、「諸法実相」は什の漢訳仏典の捏造だというのがわたしが主張してきたことで、この点は坂本幸男師辺りも言及していました。しかし、日蓮学者は諸法実相鈔も含めて、その疑義を認めたがらない。当たり前で、認めれば、一念三千論自体が崩壊してしまうわけですから。でも、わたしは正直にいきたいと思います。まあ、これも置きます。
そこでさらに、その宇宙真理を墨に染め流して書いたのが漫荼羅である。漫荼羅は法本尊だという所以です。だから漫荼羅正意だとこうなってくる。さらに寛師以降になると、その漫荼羅の中でも本懐の漫荼羅があって、それが石山にある「戒壇之大御本尊」である。それ以外の漫荼羅本尊は方便であって、日蓮真筆でもダメと言いだす。けれど、石山の歴代住職は唯受一人の血脈を受けているから、その人間が書写した漫荼羅は功徳があるとまで言うわけです。これは、すごい発想です。日蓮真筆漫荼羅はダメだけれど、石山歴代住職が書写したほうはいいと言い切ってしまうわけです。もはや、正気の沙汰とも思えません。まあ、これも置きますか。
ガンコさんが言いたいのは釈尊より法華経が勝れていて、その法華経は妙法蓮華経であり、これが本尊であって、だから漫荼羅正意が正しい、こんなところでしょうか。しかし、これは蓮師の「所顕三身無始古仏」とは違うでしょうね。
なおわたしは、蓮師に漫荼羅正意ではなかったと思います。三学無縁さん辺りとも話したことですが、蓮師は漫荼羅を拝んでいたんでしょうか。だいたい、釈迦一体仏を終生随身されたものの、では蓮師が終生随身された漫荼羅なんかあるのでしょうか。「戒壇之大御本尊」と言いたいでしょうか。でも、それを示す証拠は何一つない。「戒壇之大御本尊」の歴史的資料は江戸時代の精師まで現れることはありません。この時点での造立であるとわたしは断言してきたわけです。
また、興師は漫荼羅正意論者である、というより日蓮御影信仰者でしょう。石山の漫荼羅正意論は道師辺りからだとするのは執行師でした。
ただし、漫荼羅正意論を生み出す素地はやはり興師に求められるべきではあるかもしれません。漫荼羅には実に鄭重に扱っていた様子が窺えるからです。『白蓮弟子分与申御本尊目録事』は興師が御影堂を重須に創した年に書かれたものと見えます。
わたしがいちばん着目しているのは、蓮師が興師に授与したという要山蔵の漫荼羅です。
「文永九年太歳壬申正月元旦 問答第一 行戒智徳筆跡符法の沙門日興に之を授与す」
とあるといいます。これが本当ならば、「漫荼羅書写、付法共に興師へ」と胸を張れそうな脇書ですが、富士年表にその記載を載せません。真筆とは言えないものなのかも知れません。
話が横道に逸れました。のちに同じようなことを言い出す派はありますが、漫荼羅正意は富士の発祥であることは間違いないでしょうが。
しかし、その派祖への恭敬と影響から、その考えに固執すると蓮師の祖意は見えなくなるとわたしには思えるわけです。この点でも、ガンコさんの頭が柔らかくなると、もっと視野が広がるだろうと、投稿を読ませていただいているわけです。
538
:
愚鈍凡夫
:2003/09/06(土) 12:42
横レス失礼します。
犀角独歩さんが問題にされている曼荼羅はこれかと思います。
京都要法寺蔵曼荼羅
http://www.lbis.jp/gohonzon/058.htm
539
:
愚鈍凡夫
:2003/09/06(土) 13:06
>>538
:に紹介の曼荼羅の資料
1278(弘安1)年 ? 図顕
絹本 丈(cm) 83.6 幅(cm) 40.3
讃文 「仏滅度後二千二百三十余年之間一閻浮提之内未曽有大漫荼羅也」
です。
540
:
苦悩乱者
:2003/09/06(土) 13:34
カンコさん
犀角独歩さん
愚鈍凡夫さん
横レス失礼します。
何かすごい展開ですね。
私は富士の教義を理解するには、最低限度「録内御書」を視野に入れないと理解不能になるのでは無いかと考えております。
録内御書については、いろいろ議論もあることと思いますが・・・・。
541
:
犀角独歩
:2003/09/06(土) 13:40
> 539
有り難うございます。
この漫荼羅は弘安元年なのですか。
富要の亨師の記述と違っていますね。
しかし「二千二百三十余年」ですか。
興味深いものがあります。
弘安元年元旦であれば、なんと『就註法華經口傳』の日付と一緒です。
これまた、意味深ということになりますでしょうか。
それにしても絹本ですか。蓮師が絹本に漫荼羅を図した。うーん。
いろいろと違和感を覚えるのですが、愚鈍凡夫さんは、どう思われますか。
542
:
犀角独歩
:2003/09/06(土) 14:27
苦悩乱者さん:
たしか正信会に対して親和性をおしめになっていたと記憶します。
同会発行の図録『日蓮聖人の世界』(日蓮聖人の世界実行委員会)P109に以下のように録内・録外に対するコメントが付されています。
わたしはもっとも意見であると拝読したものでした。
如何お感じになりますか。
*** 以下転載 ***
『録内・録外御書の編纂について』
通説によれば、日蓮聖人の一周忌に六老僧が御書を持ち寄り、それ以外のものは御書として認めないことを合議し、148通におよぶ御書目録を作成した。この目録内にある御書を「録内御書」と称し、また目録作成に際して記録した一文を「御書目録日記」といっている。しかし、一周忌成立説は、六老僧が署名花押したとする御書目録日記の正本が伝わらず、目録自体にも種々何点があるため史実として容易に認められていない。宗門上代では日興の写本のように、御書が個別に書写されたことはあっても、セット化された録内御書が編纂されるまでに至っていない。近年の学説では、録内御書の成立年代の上限を聖人滅後100年頃としている。
さて録内諸本一覧を通じてみれば、、室町期より戦国期、織豊期にかけて、多くの録内御書が門弟たちにより伝写されてきたことと知る。これら録内御書は書写の形態として一筆写本、他筆写本の両様があるが、そのいずれにせよ大概の写本が行数、字配り等に留意し、鄭重な楷書体をもって書かれており、御書研鑽のテキスト=教本としての役割を充分に感じさせている。
また、録内御書はこれら写本を基として、江戸期に入るや元和の古活字版・寛永19年版・20年版・寛文9年版・宝暦修補版と続々刊行され、門下全般にわたって広汎なテキストとして活用されるようになった。大まかに言えば御書の伝承・研鑽に関し中世は写本時代、近世は刊本の時代とすることができる。
次に録外御書について少しふれておきたい。録外とは録内に対する語で、文字どおり、御書目録に外れた御書を蒐集編纂したものである。録内御書を第一集成とすれば、録外御書は第二次集成にあたる。その編纂は、各所に置いて行われているが、いま主だったものをあげれば、身延本、他受用御書、三宝寺本、本満寺本、妙覚寺本、日健自筆本、日曜自筆本、本遠寺本などが伝えられている。後になればなるほど録外の収録御書は増えていき、寛文2年の刊行時には259篇を数えるに至り、ほぼ録外御書として集大成をみた。もっとも録内御書・録外御書ともに、聖人に仮託された偽撰が含まれており、その活用にあたっては文献学、書誌学の慎重な手続きを必要とする。
543
:
愚鈍凡夫
:2003/09/06(土) 14:33
小生の曼荼羅データベースは下記のアドレスからダウンロードした資料を基に作りました。
とても便利なので、一押しです。
「日蓮真蹟大曼荼羅目録」
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/subcontents42.html
曼陀羅の番号が下記の御本尊集と同じなので、重宝してます。
「日蓮聖人御本尊集」
http://www.lbis.jp/gohonzon/
犀角独歩さんへ
絹本の曼陀羅を調べてみたら2幅ありました。
先の京都要法寺の曼荼羅と
1274(文永11)年6月 図顕
【要文】
今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護
我所説経典無量千万億已説今説当説而於其中此法華経 最為難信難解
而此経者如来現在猶多怨嫉況滅度後
一切世間多怨難信先所未説而今説之
已今当妙於茲固迷舌爛不止猶為華報謗法之罪苦流長劫
授与書 沙門天目 授与之
讃文 なし
京都府妙満寺所蔵
絹本 丈(cm)165.1 幅(cm)77.3
です。
この曼陀羅も真蹟と鑑定されていますから、事情はわかりませんが、絹本に書写することがあったようですね。
「京都府妙満寺所蔵曼陀羅」
http://www.lbis.jp/gohonzon/011.htm
544
:
犀角独歩
:2003/09/06(土) 17:45
愚鈍凡夫さん:
とても参考になりました。
有り難うございました。
たぶん、書き間違えであろうと存じますが、蓮師は漫荼羅の創案者ですから「書写」とは言いません(笑)「図す」が適当でしょうか。
さて、しばらく古巣に帰ったようで、羽休みができ、また、皆さんにお声をかけていただいたことを嬉しく思います。
愚鈍凡夫さんとはもう少しお話したいと思いました。
よろしければ、メールをお寄せください。
pundarika は、やや止まってしまいましたが、どこか公開でお話ができる場も欲しいものですね。
この前、三学無縁さんほかとお会いしたときにも申し上げたのですが、今後、富士の教学が変貌する大きな波がやってくるでしょう。ここでの議論は、そのほんの基礎をなす程度のものまでしかできなかったことは残念でしたが、しかし、それぞれ自分の頭で考えて進むことが大切ですね。ご健闘をお祈り申し上げます。
わたしのところでは勉強会並びに相談会も行っています。
東京のお出での節は、どうぞお声をおかけください。
皆さんに促していただきましたように、白か黒かを決めてしまうようにあまり頑なにならず、時にはまた、寄せていただこうと思っています。
それでは。
545
:
ガンコ
:2003/09/06(土) 17:53
独歩さん
日蓮本仏論にかかわる諸問題をあらまし総ざらえしてくださいました。
いまだわたくしの立ち入ったことのない問題も多く、コメントのしようがありません。
>しかし、これは蓮師の「所顕三身無始古仏」とは違うでしょうね。
さっぱりわかりません。
だいいちに、この本尊抄の読み下しじたい、独歩さんは従来とは見解を異にしておりますが、その意味も理解できていないです。
ゆえにさっぱりわからないのです。
あんがいに、わかっていない人が多いようにも思いますので、このさい、最新の成果を踏まえて解説いただけませんでしょうか?
すみません、わがままばかり言ってますが、よろしくお願いします。
546
:
愚鈍凡夫
:2003/09/06(土) 19:00
わざわざご丁寧に有り難うございます。
むむっ・・・・。些細なミスも見逃さない・・・・・・。 (;^_^A アセアセ…
お言葉に甘えてメールさせて頂きます。
少し気になることがあるのですが、
下のアドレスに「注法華経」があるのですが、これは蓮祖が随身仏とともに終生側に置かれた「註法華経」でしょうか。ダウンロードして悪戦苦闘しながら拝読していますが(漢文なものですから)、そのことが気になっています。
「ダウンロード 天台日蓮」
http://www.kosaiji.org/download/hokke/index.htm
547
:
苦悩乱者
:2003/09/07(日) 13:40
542 犀角独歩さん
>『録内・録外御書の編纂について』
確かに拝読いたしました。有難うございました。
録内御書については、正信会の池田令道師が、「興風」第14号に寄せた論文「録内御書の編纂と成立について」と同じ趣意のようです。令道師に許可を得ましたので、ここに、その論文のほんの一部抜粋を引用させていただきます。「・・・室町期には門下一般によく知られた事柄として定着していた様子を伝えている。しかし、成立一周忌説は、六老僧が署名花押したとする御書目録日記の正本も伝わらず、他に微する当時の文献史料も全く無いので、史実としては認められない。また、目録自体にも当時の状況と矛盾する記述ーー例えば目録にある『良寛状御返事』は宗祖滅後十年にあたる正応四年の日頂書状が混入したものーー等が散見するのである。これらの不審点についても、すでに弘経寺日健の『御書抄』や本満寺日重の『見聞愚案記』などに指摘がある。」との如くに、全面的に録内御書を認める立場に無いことは確かなことの様です。
>もっとも録内御書・録外御書ともに、聖人に仮託された偽撰が含まれており、その活用にあたっては文献学、書誌学の慎重な手続きを必要とする。
この問題については、その後「慎重な手続き」が進められているのでしょうか。ご存知でしたら、お知らせください。
548
:
苦悩乱者
:2003/09/07(日) 17:05
>547 全面的に録内御書を認める立場に無いことは確かなことの様です。=誤
全面的には録内御書を認める立場に無いことは確かなことの様です。=正
549
:
犀角独歩
:2003/09/07(日) 19:07
いちおう、今回の投稿は昨日で畢りにしようと思ったのですが、ご質問その他がありましたので、その件のみ。
ガンコさん:
もし、よろしければ、それこそ、メールでもお寄せください。
既述もことも多いのですが、掲示板で投稿するには内容が込み入っていますし、また、おわかりにならない点は、それぞれ違いますでしょう。投稿になれば、概ね之ロムの方を意識しますので、微を尽くせません。
苦悩乱者さん:
> その後「慎重な手続き」が進められているのでしょうか
『日蓮聖人の世界』の発刊の時点ではまだ御書検索システムは完成していませんでした。ですから、たぶん、該当の文章は、正信会の立場からすれば、同システムにその研究成果を反映する意味合いなのであろうとわたしは読みました。
録内の集成は祖滅100年、そうなると録内といってもかなり仮託偽撰は含まれていると疑わざるを得ません。取り敢えず安全な議論としては、まず真跡に限り、録内その他を述べるのであれば相当の証憑を挙げて行うほかありません。このような方法論は通日蓮系では一般的なことと思えます。現宗研のサイトでも真跡遺文をデータとして公開しているのもそのような見地からでしょう。
日蓮宗 現代宗教研究所
「遺文一巻」+「遺文二巻」+「図録」+「断簡」 遺文一巻
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/goibun/shinseki.htm
愚鈍凡夫さん:
> 「註法華経」…「ダウンロード 天台日蓮」
ええ、わたしもこれを読んでいます。
550
:
ガンコ
:2003/09/08(月) 03:53
メールはおっかないのでパスします。
551
:
苦悩乱者
:2003/09/08(月) 17:02
549 犀角独歩さん
>該当の文章は、正信会の立場からすれば、同システムにその研究成果を反映する意味合いなのであろうとわたしは読みました。
私も同感です。
私は、その御書システムを入手しましたが、資料欄には御書の来歴が記されており、とても客観的な見地にたっている印象があります。
又、「興風」第14号に載せられた池田令道師の論文「録内御書の編纂と成立について」では、浅井要麟氏、宮崎英修氏、高木豊氏の説を紹介しながら、最後に次のような「仮説」を立てておられました。
ここに参考までに引用いたします。
「かくして周辺状況を確認しただけではあるが、私は日什門流によって録内御書の編纂が行われた可能性が高いと考える。成立時期を言えば、おそらく日什(1314〜1392)の最晩年から没後20〜30年頃までではなかろうか。」 興風第14号より
552
:
犀角独歩
:2003/09/08(月) 18:27
苦悩乱者さん:
什門成立説ですか。なるほど。それで祖滅100年と一致してくるわけですね。読んでみようと思います。
これまた室町なのですね。中山、龍華、延山、昭朗、什門、陣門、隆門があり、富士では有師、京の教師、辰師、まったく面白いほど、訳者の揃う時代に録内が成立していったのはわかる気がします。
しかし、什門ですか。什師は元天台僧で、有師の言では仙波能化と見え、富士門徒帰伏の伝説もありましたね。
録内成立後のことになりますが、先に記した『日蓮聖人の世界』では
「録内御書は元和年間にはじめて京都本国寺において発刊されたという」(P112)
と記されていました。もちろん、これは成立とは別に、発刊についてです。
わたしが驚いたのは、この本は古活字を組んで印刷されていたことです。
元和といえば、いまから400年近くも昔のことです。この時点で組版があったことには本当に驚かされました。録内御書の一覧表もあり、いちばん旧いものは『平賀日意本』嘉吉3(1443)年、祖滅162年でしたね。成立から50年ほどして刊行。無理のない時間配分と映じました。
それにしても室町時代には既に書写から刊本に移行していたとは、まったく熱心な学風であると思えます。
苦悩乱者さんが仰る種脱判にしても、少し読み直そうと思ったのですが、五老方と興師、その脈絡から重須檀所の二人、佐渡に保田に洛を見、結局は上述の室町の熟覧期の影響から有師を見る客観性は欲しいわけです。しかし貧窮の身上、手許に歴全もなければ、日宗全もなく、資料見聞に往来する時間を割くのに骨が折れます。そんな意味で、ここの掲示板は資料情報の交換の意味が深まれば、ロムの方々にとっても、更に有用な電脳“檀林”となるかもしれません。まあ、余談ですが。
553
:
苦悩乱者
:2003/09/09(火) 14:32
552 犀角独歩さん
お話は横にそれるかもしれませんが、私は昨年末に勤め先を早期退職してから、少しづつ法門を学ぶようになったのですが、独歩さんの学識のほんの一割程度の教学力かと思っております。
現在、私は独歩さんのご推察の通り、正信会シンパです。それは、池田令道師の著書「富士門流の信仰と化儀」(副題 日有上人聞書を拝して)のp.423の〈セクトを超えて〉を読んだからなのです。
以下抜粋引用
『私達は、偏った独善主義や排他主義を出来る限り無くして、自信を持って大いに社会の人々に富士の法門を語り、お互いに同意できることの喜びを感じあいたいものです。
そして、その根本精神がすでに大聖人の教えに示されていることも、私達は学んでおかなければなりません。大聖人は減劫御書に、
「智者とは世間の法より外に仏法を行ぜず、世間の法をよくよく心得て候を智者とは申す也、殷の代の濁りて民のわずらいしを太公望出世して殷の紂が頚を切りて民のなげきを止め、二世王が民の口に苦かりし、張良出でて代をおさめ民の口を甘くせし、これらは仏法已前なれども教主釈尊の御使いとして民を助けしなり、外経の人々はしらざりしかども、彼等の人々の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり。」全集1466』、以上。
以下私(苦悩乱者)
減劫御書(真蹟 富士大石寺)録内、録外にも載らず
又、これと類似の御書は「白米一俵御書」に
『まことの道は世間の事法にて候、金光明経には「若し深く世法を識らば則ち是仏法なり」と説かれ、涅槃経には「一切世間の外道の経書は皆是仏説にして外道の説に非ず」と仰せられて候を、妙楽大師は法華経の第六の巻の「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」との経文に引き合わせて心を表されて候には、彼れ彼れの二経は深心の経々なれども、彼の経々は、いまだ心浅くして法華経に及ばざれば、世間の法を仏法に依せて知らせて候、法華経はしからず、やがて世間の法が仏法の全体と釈せらて候。』とのご教示があります。
減劫御書(真蹟 富士大石寺)録内、録外にも載らず
減劫御書
554
:
苦悩乱者
:2003/09/09(火) 14:38
553 訂正
最後の
>減劫御書(真蹟 富士大石寺)録内、録外にも載らず=誤
白米一俵御書(真蹟 富士大石寺)録内、録外にも載らず=正
555
:
犀角独歩
:2003/09/10(水) 07:33
苦悩乱者さん:
わたしは元々学会、のちに石山において仕事もした身上で、そんなことから、正信会各位とは距離を置いてきたのです。しかし、正信会開催の「日蓮聖人の世界展」「御書検索システム」を見て、それまでの偏見を一蹴しました。ついで正信会僧侶とお会いすることもし、現在に至っています。わたしは大乗経典、漢訳の是非から考えていますので、その意味からは、当然、論を跨ぐこともしばしばなのですが、しかし、真摯な研鑽の姿、実際の成果から頭が下がる思いを懐くことは度々です。
ご紹介の令道師のお言葉、学ぶところがあると思いました。々師のことは れんさん も記されてお出ででしたので、有徳の方と拝察もしました。
録内に載らない真跡のこと。この点はたしかにもっと意識されてよいものだと改めて思った次第です。有り難うございました。
556
:
初心
:2003/09/10(水) 15:55
ええー、はじめまして。
ロム専門できたものであり、蓮師門下各派の教学やそれぞれに(相互に)抱える
問題点なども把握できているわけですし、すべての用語をかんぺきに使いこなせるか
ということも怪しい部分があるくらいなのですが、あえて、そしてご質問申し上げる
かたちで、初カキコミさせていただきます。
>536
>しかし、こうなってくると、釈尊一仏を一切の根本としようとする法華信奉者には
まことに都合が悪い。お釈迦様は一切の根源であり、お釈迦様より古いように見える
仏に関する記述は、実は方便なのであって、本当は根本はお釈迦様なんだと、
こうやりだします。一切の仏の成道よりお釈迦様の成道が先だと言おうとしたのが
寿量品の久遠実成だとも言い出します。
との独歩さまのご指摘ですが、
ここのあたりで、我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数と説きあかして
久遠実成のおすがたをあらわされた後の釈尊@虚空会は、ただ今現在、インド・シャカ族
の王子の身をとってブッダが出現され法を伝えられて後のこの世界においてこそ
「釈尊」という名を添えてその呼称とされるものの、釈尊以前に法華経が説かれた時、さらには
ただ今以降の未来にまたブッダが出現されて法華経を説かれた後は、その時々の衆生は
われわれとはまた違う名前でお呼びするかもしれない、しかしその指し示すところはどの場合でも、
それぞれの時代にそれぞれ出現した仏さま方の本地である、同一の、久遠実成のブッダが
それまでの各時代での衆生教導での方便をすべてかなぐり捨てて真実のおすがたをあらわされたもの、
という風には受け取れないものなのでしょうか?
そうしてわれわれが今聞きならう御法の、直接のみなもとの大恩師であるお釈迦様、
その本質はじつはこうした無始の古仏であった。ただわれわれはこの無始より存する御法は
ひとりでに感得したのではなく、お釈迦様ご一代中八年間の説法が根源である、その大恩を
忘却すること無いよう、釈尊の御本懐を無始古仏の本質をあらわされての法華経本門八品の説法と諒解しつつも
そこに釈尊の御名を冠してお呼び申し上げるのだ、という風に、
つまりは根本をお釈迦様にとる、ということではなく、根本をわたしたちはお釈迦様を通して拝する、とでもいうような。
まわりくどい駄文長文にて、申し訳ありません。
557
:
初心
:2003/09/10(水) 16:07
また「人法一箇」等という場合にかりにも仏さまを「人」と呼称することはいかがな
ものかとおっしゃってることに関して。
常住の御佛は、具体的な形をとって衆生の前にあらわれる時は
衆生救済の活動ができる人身をとって御出現、人界の衆生の形で教導され、時機でないそれ以外の時には
まさに御法とでもいうべき形で衆生を教導されますよね。
凡夫の目には人身をとられた場合のお姿と、法そのものとしてのお姿とは別物のようにしかみえないが、
その本質は同一の存在であられる、という意味で前者を人、後者を法という用語で
いいあらわして、人法一箇とよぶのでは無いでしょうか?
お釈迦様が人の形をとって出現されたことは間違いのないことであり、かといって同じ
人身であるといってもその中身が余の人界の衆生と同様とは、佛教を奉ずる者なら
間違えても考えないでしょうから、そうめくじらを立てることもないのではないでしょうか?
558
:
初心
:2003/09/10(水) 16:17
また「人」の代わりに「仏」という言葉を使ってこのことを説明しますと、お姿を凡夫の前からは隠されて
御法としてのおすがたで教導に入られたお姿をも、
衆生をして入無上道、速成就佛身することを得させようとする、大慈大悲のはたらきを
クローズアップしてみる場合には「ほとけ(佛)さま」という風にお呼びする場合があったため、
より厳密性を期して「人」という語が用いられたのではないでしょうか?
つまりは人→人の形、法→法の形ということで…。
559
:
犀角独歩
:2003/09/10(水) 16:27
初心さん:
はじめまして。
> …お釈迦様、その本質はじつはこうした無始の古仏
仰ることは長らくの各派教学の争点ですね。
いわば、五百塵点仮説論 vs 実数論ということです。
で、わたしが記したことはそういう解釈についてではなく、ただ法華経の原文のみで考える話です。たとえば、初心さんが記された“始まりの無い古(いにしえ)の仏”は法華経のどこに説かれていますか。法華経の原文で挙げられますでしょうか?
無始であれば、「我実成仏已来」という記述にはなりませんでしょう。
ですから、わたしは法華経の創作姿勢はあくまで五百塵点実数論であると記しているわけです。それをどう解釈するかの話を記しているわけではありません。
> …無始より存する御法
これまた同様で、法華経原文にこのような御法はどこに記されているのでしょうか。
> つまりは根本をお釈迦様にとる、ということではなく、根本をわたしたちはお釈迦様を通して拝する、とでもいうような。
「根本は、お釈迦様ではなく、お釈迦様通じて拝するもの」というお考えですね。
では、この「根本」とは何でしょうか。
これは疑難ではなくて、わたしの判読力の不足を補っていただくために、まず、記された文意をお尋ねしてのことです。
560
:
犀角独歩
:2003/09/10(水) 16:41
続きがあったのですね(笑)
> …人法一箇とよぶのでは無いでしょうか?
ですから、誰がそう呼んだのかを問題にしているわけです。
蓮師の真跡では「人法」という場合、人は人師を指すので、意味が混乱するので本来の「仏法」がよいのではないのかと記したわけです。
また、「人法」の語彙の使用は蓮師思想から離れる後代の教学展開の中、特に天台本仏論、日蓮本仏論の中で特化していった語彙なので、蓮師の原型教学を素描する場合、それら教学的姿勢と分類する上で、使用しないほうが混乱がないとの意で記したわけです。
> お釈迦様が人の形をとって出現された
これは違いますでしょう。三十二相八十種好という「人」と異なる相を示しされるわけですから。
> …そうめくじらを立てることもないのではないでしょうか?
仏法ということにもめくじらを立てないでください(笑)
> 御法としてのおすがたで教導に入られたお姿をも、衆生をして入無上道、速成就佛身することを得させようとする、大慈大悲のはたらきをクローズアップしてみる場合には「ほとけ(佛)さま」という風にお呼びする場合があったため、より厳密性を期して「人」という語が用いられたのではないでしょうか?
初心さんは「法身仏」論者なのですか?
ここのところは何を記されてお出でなのか、わたしにはさっぱりわかりません。
無始古仏を言うのであれば正在報身の立場からの所顕三身論者なのかと思ったのですが、ここがいまいちわかりません。
また、大慈大悲の側面から見ると「仏」で、り厳密性を期すると「人」であるというのはどのような意味なのでしょうか。
また、誰が「人」の語を用いたのでしょうか。
どうも、よく仰ることがわかりません。
561
:
犀角独歩
:2003/09/10(水) 16:59
―559〜560からつづく―
一つ漏れました。
> 人→人の形、法→法の形
これまた、初見でなんのことかわかりません。
先にも記したとおり、仏は三十二相八十種好という仏の「形」で、人の形ではありません。
何よりわたしがわからないのは法の形ということです。
法に形があるのでしょうか??
562
:
苦悩乱者
:2003/09/10(水) 21:23
犀角独歩さん
私は、これで暫く「リードオンリー」になろうと思います。また私なりに研鑚を続けてゆくつもりです。独歩さんのような方々がおいでになることを知って、ああ、私は決して一人ではないのだ、ともに歩んでいるのだと確信しております。そして、特に印象に残ったカンコさん、愚鈍凡夫さん、そして御意見、諸資料を寄せてくださった諸氏の皆さん、有難うございました。
又、常徳庵さん、何度も「躊躇」をされながら、徹夜までされて、ご投稿をいただき有難うございました。私には決して悪気などない事を解っていただきたいと思っております。
563
:
空き缶
:2003/09/10(水) 22:31
最近デビューした空き缶です。横レス失礼します。
話が変わってしまうかも知れませんが、中国天台山の本堂の釈迦坐像には迦葉と阿難の立像が脇士となっています。
天台大師も人間釈迦を観ていたような気がしてなりません。
人間「日蓮」=末法の本仏も私としてはうなずけるのです。十界互具ですから、仏か菩薩かと論じることはどうかと思っています。
現在の大石寺系の本仏論は御影を造られた日法上人をはじめとする、日隆上人などの法華宗からの輸入による思想展開であることは確かなようですね。
564
:
顕正居士
:2003/09/11(木) 01:26
>十界互具ですから、仏か菩薩かと論じることはどうかと思っています。
「宗祖本仏論」からいうとそうであろうし、それでよいと小生も考えます。
しかし日蓮宗(諸派)のいう「人法」(人と法)とは「仏法」(仏と法)だ
という独歩さんは誤まっておらず、「仏法」では「仏の(教)法」と区別が
できないからいうので、「依法不依人」の人(人師=菩薩)とは違うんだ
は正しいでしょう。
菩薩は未だ修行を完成しない段階だから1%の「人法一箇」(名字の菩薩)
から99%の「人法一箇」(等覚の菩薩)まであるが、100%の「人法一箇」は
ない、などというとき、この「人」は「仏」の意味であります。けれども。
「十界」とは経典に出て来る生物(衆生)を整理し(六道)、聖者の種類
(四聖)を足して十だから、六道と四聖は別の分類で、かつそれが重なる。
声聞、縁覚、菩薩三聖は六道いづれにも出現し得るが、仏は人界南閻浮提
にのみ出現する。現実には地獄、餓鬼、修羅、天とは空想上の生物か人界
の身分のことであり、聖者に三乗の別があるわけでなく「一仏乗」のみが
ある。
教主釈尊とは円満の「人」のことで、「人」を超えた何者のことではない
とも日蓮は述べている。
比叡山根本中堂の御本尊が薬師瑠璃光如来であるのは、薬師薬王同体の上
から最澄は第3祖天台大師を救主・御本尊としたといえるでしょう。
参考・松本佐一郎『富士門徒の沿革と教義』(昭和48年・大成出版社)
の第3編・第4節「日蓮本仏論」は現代人の教養の上から宗祖本仏論を解説
しています。繰返し顕本論や智学居士の人物評も面白く、宗史書としては
悪評判(大石寺洗脳居士)でも、教義批評は価値があり、推薦します。
565
:
犀角独歩
:2003/09/11(木) 23:49
> 顕正居士さん:
有り難うございます。
ご教示、感謝申し上げます。
566
:
犀角独歩
:2003/09/12(金) 07:08
苦悩乱者さん:
562を読み落としていました。失礼いたしました。
「リードオンリー」になられるとのこと、各人の考えをわたしは尊重します。
ただ、わたしも引退宣言をしながら、こうしてふらりと舞い戻り、何日か書き続けたりしたところ、複数の方々から、メールその他で心温まるお言葉をかけていただきました。
あまり、頑なに白黒を決めずに、お互い大らかに行きませんか。
わたしは、今回、舞い戻ったことによって苦悩乱者さんと、メール、またこの板上で議論ができたことをうれしく思っています。この点について、御礼申し上げておきます。
有り難うございました。そして、また、今後ともよろしくお願い申し上げます。
以下は、わたしのHNの由来であるスッタニパータ−第1 蛇の章 3、犀の角 (岩波文庫『ブッダのことば』) の一節です。
「もしも汝が、賢明で、協同し律儀正しい明敏な同伴者を得たならば、一切の危難にうち勝ち、こころ喜び、念いをおちつけて、かれとともに歩め。しかしもしも汝が、賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者を得ないならぱ、あたかも王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め」
「われらは実に朋友を得る幸を讃称(ほめたた)える。自分よりも勝れ或いは等しい朋友には親しく近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め」
そして、こうもあります。
「相争う哲学的見解を超え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧を生じた。もはや他のものに指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め」
シャキャムニ「独り歩め」という教えは、孤独になれ、孤立しろというものではないことがわかります。自身の精神の自立・自律を教えるものであるとわたしは読んでいます。
ですから、時には人と語らい、談笑することもその教えを破ることにはならないとも考えるのです。また、お話いたしたいと思います。
567
:
アネモネ
:2003/09/12(金) 10:34
犀角独歩さん
>あまり、頑なに白黒を決めずに、お互い大らかに行きませんか。
そうそう。そうですよ。
568
:
アネモネ
:2003/09/12(金) 10:35
苦悩乱者さん
ひとつ、苦悩乱者さんにお伝えしたいことがあったので、ここで書きます。
たまたま今読んでいる本のなかで、以前、苦悩乱者さんがこのスレッドの>464でレスされていた「四無量心」についての記述が出てきました。抜粋します。
「この仏陀の理想に準じて、他者の幸福を増進し〔慈〕、不幸を除去し〔悲〕、しかもそれに執着しない〔捨〕といういわゆる“四無量心”を鼓吹する。」(『仏教』渡辺照宏著より抜粋)
苦悩乱者さんのレスがとても印象に残っていたので、すぐに思い出しました。
これが仏教が求める精神なのかもしれないなあと思い、どんな形であれ仏教に縁をしてよかったと思います。
学ばせて頂きました。有難うございます。
またいつでも気が向いたら(すぐにでも)、気楽に投稿してくださいね。
569
:
アネモネ
:2003/09/12(金) 18:58
↑すみません。転載に誤りがありました。
四無量心の〔喜〕が抜けていましたので訂正いたします。
誤)「この仏陀の理想に準じて、他者の幸福を増進し〔慈〕、不幸を除去し〔悲〕、しかもそれに執着しない〔捨〕といういわゆる“四無量心”を鼓吹する。」(『仏教』渡辺照宏著より抜粋)
正)「この仏陀の理想に準じて、他者の幸福を増進し〔慈〕、不幸を除去し〔悲〕、他者を助けることを喜び〔喜〕、しかもそれに執着しない〔捨〕といういわゆる“四無量心”を鼓吹する。」(『仏教』渡辺照宏著より抜粋)
570
:
愚鈍凡夫
:2003/09/12(金) 20:35
苦悩乱者さん、今晩は。
気が向いたら、何かレスして下さい。
書くことがなかったら、ボケかますとか(コラコラ、おまえだけや)。 (^_^;)
571
:
愚鈍凡夫
:2003/09/14(日) 23:08
>>566
:に犀角独歩さんがご紹介下さいました、スッタニパータの現代語訳(訳者は違います)が下記のHPで読めます。興味のある方はどうぞ。
「クリシュナムルティ学友会」
http://www7.ocn.ne.jp/~jkgyk/
572
:
ガンコ
:2003/09/15(月) 11:39
種脱相対の魅力(エッセイ) 前編
何て呼んでいたものか忘れてしまったが、誰しも子供の頃に一度や二度は遊んだことがあるだろう。砂場などで砂を手でかき集めて富士山のように盛り上げ、そこに棒を差し込むのである。それが段取りであるが、あとはかわりばんこに砂をかき取っていくのである。やがて棒は支えを失って倒れる。倒したほうが負けである。
いちどこんなことがあった。砂をぜんぶ取り除いてしまったにもかかわらず、棒は倒れなかった。そんなバカなことがあるわけないのであるが、じっさいに起こったのである。べつに絶妙のバランスで棒が立っていたわけではなかった。何のことはない、棒が地面に深く突き刺さっていたのである。
顕正会に入って間もない頃はそれなりに純粋で、まじめに折伏を実践していたものだが、じぶんの先輩が頼りなかったこともあって、よく相手に逆にやり込められてしまったものだった。
「キミたちには日蓮を超えようとの発想があるのかね?」
「いいえ、とんでもない。大聖人さまを超えるなんて、そんな恐れ多いこと・・・」
「ああ、そう。じゃあ、オレはやる気しないなあ。」
「な、なんでですか? ぜひ、やりましょうよ。」
「いいかい、キミたち。キミたちが日蓮を尊敬する気持ちはわかるし、日蓮が立派な人物だったことも間違いないだろうよ。しかし、むかしの人間だ。われわれは日蓮の時代のはるか先を生きているのだよ。だから日蓮の思想なり教えを踏まえたうえで、もっと上を行かなければおかしいだろう。だいいち、オレは人の下に付くのって好かないんだよな。もし、やるにしても、オレは野心家だから、日蓮から学ぶだけ学んで、もっと上を目指そうと思う。」
「あなたって人はバカね。大聖人さまといったらいちばん偉い仏さまなんだから、超えられるわけないじゃないの。」
「ああ、そうかい。じゃあ、やらねえーよ。」
折伏のエキスパート(?)たちは、ここからが勝負だというのであるが、わたくしもわたくしの先輩もわりに気が弱くて、だいたいがこんなところで諦めていたものだった。
上記、二つの話はまったく別個の話であって、何らの脈絡もないのであるが、このところ種脱相対について考えをめぐらせていて、それぞれ記憶によみがえってきたのだった。
すでに察しのいい人には話の落ちが見えてしまっているかもしれないが、ようするに日蓮大聖人は野心を御持ちだったか? というテーマである。
573
:
ガンコ
:2003/09/15(月) 11:41
種脱相対の魅力(エッセイ) 後編
そもそも、種脱相対ほど論理矛盾のはなはだしきはない、と思う。
なぜならば、申すまでもなく日蓮大聖人の仏法は釈迦仏法を土台にして成り立っているのである。釈迦仏法を否定して大聖人の仏法を立てるのは、土台のない構築物のようなもので、倒壊を免れない。ゆえに、仮に大聖人に野心がおありだったとしても、ただちに釈迦仏法を否定するわけにはいかない。そう考えると、むしろ御書全編を通して種脱相対の義がほとんど見られないのは自然のことであって、つねには婉曲な御表現をあそばす大聖人の、その御本意を容易に拝し得ないのは当然のことだかもしれない。
まさしく種脱相対の魅力とは、御書を拝しても容易に見つけることのできない、種脱相対の義を探し当てるという楽しみなのである。
「自讃には似たれども本文に任せて申す。余は日本国の人々には上は天子より下は万民にいたるまで三の故あり。一には父母なり、二には師匠なり、三には主君の御使ひなり。」(下山御消息)
同御書の後半には「教主釈尊より大事なる行者」との大胆な仰せがある。そして、すでに開目抄をはじめとして諸御書において「主師親」を仰せになられている。しかし、この御書では「主君の御使ひ」とやや控えめな御表現をあそばしているのである。まさに、こうしたところに大聖人の御苦心があらわれているものと拝するわけである。
先の子供の頃の遊びに振り当てるならば、大聖人の仏法ははじめ釈迦仏法におおわれていてほとんど正体をあらわしていないのだろう。すなわち、砂が釈迦仏法であり、棒が大聖人の仏法である。大聖人は御法門の展開にともなって、徐々にまわりの砂を除きはじめる。もちろん慎重に、御自身の仏法が瓦解しないように、用心深くまわりから砂を取り除いていく。どうにか大聖人の仏法は、御在世中にほぼその全容をあらわしたと思えるが、しかし、完全にはあらわれなかった。なぜなら、仏法における大事な要素たる知恩報恩のうえからも、釈尊を完全に否定することは不可能だったのである。ゆえに、大聖人はぎりぎりのところまで砂を取り除いたけれども、それには自ずと限界があった。ところが、しかし・・・
何と、大聖人の直系を主張する大石寺の歴代上人は、その後を受け取って恐れ気もなく、さらに砂を取り除きにかかったのだった。これは自殺行為である。どんなに巧みに砂を除こうと、棒はいつか必ず倒れるのである。
ところが、日寛上人の時代であろうか、砂は完全に除去されてしまい、しかも棒は倒れなかった。
土台と思えた釈迦仏法は見せかけに過ぎず、意外にも大聖人の仏法は大地に深く根を下ろしていたのだった。
「根ふかければ枝しげし」とはこのことであろうと、今さらながら御金言を深くかみしめているところである。
574
:
犀角独歩
:2003/09/15(月) 22:19
ガンコさん:
> 土台と思えた釈迦仏法は見せかけに過ぎず、意外にも大聖人の仏法は大地に深く根を下ろしていたのだった
なかなかロマンチストですね。
そうではなくて、所詮、日本の大地に根を下ろした日蓮本仏論は、釈迦仏法の本質を喪失したもので、仏(釈迦)教ではなく、日蓮教であったということでしょう。また、日蓮の教えでもなく、その後の相伝という名の捏造によって作られた蓮師の教えとも違う別物であったということでしょう。それのほうが、石山系という井戸の中では根を下ろしたと言うだけのことです。しかし、大海を見れば、ぜんぜん、そうではないということですね。
575
:
愚鈍凡夫
:2003/09/19(金) 23:12
唯授一人血脈付法に想う。
「応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし故に二に仏宝を信じ三に法宝を信じ四に僧宝を信ずと云ふなり」(「当流行事抄」 富士宗学要集第3巻P212)
「久遠元初の僧宝は即是開山上人なり」(「当流行事抄」 富士宗学要集第3巻P214)
と述べ、日寛師は更に展開して、
「南無本門弘通の大導師末法万年の総貫首開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師」(「当家三衣抄」 富士宗学要集第3巻P238)
といい、そして、
「此の如き三宝を一心に念じて唯当に南無妙法連華経と称へ乃ち一子を過すべし云々」(「当家三衣抄」 富士宗学要集第3巻P239)と述べている。
「嫡々付法歴代の諸師」をも含めて、「一心に念じて唯当に南無妙法連華経と称へ乃ち一子を過すべし」なのである。
諸師(歴代法主)に対しても題目を唱え、一生涯感謝の念を持って過ごせとのことである。
所詮、これが「六巻抄」の本当の結論ではないのか。
日蓮本仏論にこと寄せて、唯授一人血脈付法の歴代法主上人(石山では歴代住職をこう称する)に対しても一生涯南無せよとのことである。
これは、石山に宗門上の権威と権力の一切を集中させようとする目論見ではないのか。
要するに、歴代法主は日蓮大聖人の名代であって、御内証は御本仏なのであると言いたいのではないのか。
而るに蓮祖は、
「経に云く「諸の無智の人あつて悪口罵詈等し刀杖瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ」(「開目抄上」 学会版P202)
「日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(「開目抄上」 学会版P203)
と言い、更に、
「されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり」(「南条兵衛七郎殿御書」学会版P1498)
と、宣言している。
法華経の行者であり、教主釈尊の意志を継ぐ者であり、その人生は法華経の未来記実現に捧げた人生なのである。
真蹟遺文に自身を本仏と称した箇所はない。日蓮正宗独自の解釈である。
多くの遺文に自分自身のことを「法華経の行者」と称しているのは、将来、信者が迷わないためではないのか。
まさか慧心流口伝法門を取り込んで、日蓮本仏論を言い出すとは夢にも思っていなかったのに違いない。
様々な証拠から、初期興門派に唯授一人血脈付法などなかったのは事実である。
その証拠の1つとして『二箇相承』は、武田勝頼に奪われるまで、石山ではなく重須(現在の北山本門寺)にあったといわれている。
もし、日興師→日目師へと血脈相承が行われたのであれば、偽書であっても相承書が石山にあって当然ではないのか。もし血脈相承があったのならば、日興師→日代師の流れが正統と言えまいか。
石山ではなく、重須にあったことが血脈相承を否定しているではないか。
残念ながら、日興師の遺文にも偽書が多数存在するという。従って、石山の主張を鵜呑みにはできないのである。『富士一跡門徒存知の事』、『日興跡條條事』は偽書の疑いが極めて高い、と言えるだろう。
そして、日興師は重須に居を移されてからも曼荼羅書写を行っていたし、重須での日興師の弟子も書写していた。勿論、日目師も書写していたのである。
果たして、バラモン教や密教まがいの一子相伝思想が蓮祖の理想だったのだろうか。もう一度見つめ直すべき課題であると思う。
以下は、諸師の曼荼羅書写年代である。
●本尊書写年代
日郎師1287(弘安10)年
富木常忍1295(永仁3)年
日向師1296(永仁4)年
日高師1301(正安3)年
日目師1326(嘉暦1)年
日法師1331(元弘1/元徳3)年
日仙師1332(元弘2年/正慶1)年
日道師1334(建武1)年
日妙師1334(建武1)年
日郷師1344(興国5年/康永3)年
日満師1357(正平12年/延文2)年
日大師1364(正平19年/貞治3)年
日代師1388(元中5年/嘉慶2)年
576
:
空き缶
:2003/09/20(土) 02:33
愚鈍凡夫さん
あらゆるスレッドでのご活躍すばらしいです。
日興門流における日蓮本仏論の起源は、日興上人が御影をご本尊としていた点が、後代の諸氏のアイデアになったとも推察しています。
日有上人が日隆上人の教えを受けて、本仏論の原型ができたとも思います。
板曼荼羅も京都にいかれている最中に要法寺(日目上人書写の本尊)でみて真似しようと思ったんでしょうか。
それとも法華宗との交流の中で、妙本寺の板曼荼羅(日法上人彫刻)でも拝観するチャンスがあったんでしょうか。
日寛上人の本仏論はまさしく中古天台そのものですね。本因妙抄の出現も加担してると思いますので、要法寺も片棒担いでいますかね。
私の手元にある「三大章疏七面相承弘決」(大正年間のものです)は面白いです。天台宗の書簡なのに日蓮宗の寺にある写本を使って補っているのです。
この寺とは身延山久遠寺です。写本の書き主は「日辰師」と出ています。久遠寺歴代の日辰か要法寺の日辰かはわかりませんが。
要法寺の日辰師のことであれば、本因妙抄を創った人も特定できそうですが・・・
577
:
犀角独歩
:2003/09/20(土) 06:46
わたしはかつて以下のように記しました。
*** 転載はじめ ***
5 名前: 独歩 投稿日: 2002/01/15(火) 23:42
― 大石寺問題提議から転載 ―
○六巻抄は何を説こうとしたのか
六巻抄を読もう、研究しようとなると、やはり、三重秘伝抄からというのは定石となるようです。
朗門から、近年では早坂鳳城師著「『六巻抄』に関する一考察―『三重秘伝抄』を中心に―」という小冊子が出ています。この内容については、追ってダイジェストします。
しかし、私は六巻抄の主題というのは実は当流行事抄、当家三衣抄にあると考えています。つまり、三重秘伝抄は、その導入に過ぎないという考えです。
久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益し給う。若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん(当流行事抄)
が、これです。そして、
南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々。(当家三衣抄)
これこそが、六巻抄のもっとも言いたい点でしょう。
下種三宝 ― 仏・日蓮聖人、法・戒壇之、僧・興師-目師-歴代諸師
ここから、読み戻っていくと、六巻抄の真の趣旨は理解できます。
「此くの如き(下種)三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし」とは、つまり、唱題の一念を具体的に限定しているわけです。ただ、ひたすらに日蓮本仏・戒壇之・興目歴代を念じる唱題をして一生を送れというのです。
ここで注意すべき点は、寛師教学は有師已来の日蓮本仏思想を集大成したものであるという点です。もっとも疑われる点は派祖本仏思想、あるいは代官思想なのであって、要師がいう「大聖冥益・当住顕益」思想が、その奈辺にひそんでいると疑う必要があると思います。
下種三宝を一歩進めるとき、唯受一人・興目両尊から連なる歴代住職(法主上人猊下)は日蓮本仏の内証を相承し、戒壇之と不ニの尊体であるという、いわば法主本仏論が、実は本音の結論ではないのかと思えるわけです。
つまり、六巻抄とは、日蓮聖人・戒壇之・興目両尊という聖滅400年に積み重ねられた権威の一切を石山住職が一手に握ることを宣言した書であると見るべきです。この結論を見るとき、冒頭の三重秘伝などという美名は吹き飛んでしまうと私には感じるのです。
もちろん、このような思想が聖人の祖意に見られるはずはありません。
皆さんのご意見をお聞かせください。
*** 転載おわり ***
奇しくも2年を経ず、愚鈍凡夫さんが575に同様の見解を述べられたことを嬉しく思います。
578
:
空き缶
:2003/09/20(土) 10:57
全く同感です。
目師滅後の大石寺は悲惨だったと思いますよ。
日有上人にしても、同時代の久遠常院日親師や身延の行学院日朝師、法華宗の日隆上人と比べれば大した存在とはいいがたいですね。
大石寺系では少しは有名らしいですが。
やはり鎌倉・京都で弘経を展開した朗師・昭師の門流からすれば、興門は主戦場から外れた場所での動きでした。
朝廷の帰依がなく、本門寺がたたなっか時点で聖人御霊蹟の身延にも差をつけられてしまった。
寛師のような論を展開してでも、独り善がりをするしかなかったのでしょう。
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