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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

526愚鈍凡夫:2003/09/05(金) 20:35

前にもやったテーマのような気がするのは小生だけだろうか・・・・・(独り言)。
攻めに回ると、いきなり復活しましたね(ズッコ〜!! by関西弁)。
ところで、何でガンコVS愚鈍凡夫なんだろう。

> なぜに迹門を法勝人劣にするのかその根拠がわかりません。

迹門の仏は「始成正覚」の釈迦牟尼仏だからじゃないですか。未だ「久遠実成」が明かされていませんから。

> 御書全体の印象として法勝人劣ではないのかと考えたのですが、これは間違いなのでしょうか?

個々の御書によってはそういう解釈ができると思いますが、経年による法門の熟成ということもあるので、一概にそうとはいえないと思います。

> 一尊四士・大曼荼羅を本尊とするのではなく、法華経の経巻を本尊とするのではないのか? ということを申し上げたわけですが、これも御書全体の印象として一尊四士の仰せは皆無に等しく、大曼荼羅もそうです。

「一尊四士」という言葉がお気に召さないのなら、「教主釈尊と四菩薩」という言葉に置き換えます。ちゃんと文証がありますよ。

「此の時、地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為りて、一閻浮提第一の本尊、此の国に立つべし」(「観心本尊抄」 昭定P720)

「一には日本乃至一閻浮提一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝外の諸仏並に上行等の四菩薩脇士となるべし、」(「報恩抄」 P328)

これらの文証がそうです。そして、
蓮祖が曼荼羅もまた本尊と位置づけていた証拠はありますよ。

「このまんだら(曼陀羅)を身にたもちぬれば王を武士のまほるがごとく子ををやのあいするがごとくいをの水をたのむがごとく草木のあめをねがうごとくとりの木をたのむがごとく一切の仏神等のあつまりまほり昼夜にかげのごとくまほらせ給う法にて候、よくよく御信用あるべし」(「妙心尼御前御返事」 学会版P1477 日興写本大石寺蔵)

「御本尊図して進候」(「報恩抄送文」 学会版P330 未決書)

これでいいですか?


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