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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

493アネモネ:2003/08/30(土) 10:51
ガンコさん

>ひょっとして、アネモネさんも?

はい。いつのまに、そうなっていました。といっても、元々の理解度が低いですから。私の教学レベルを参考までに言いますと、法華講での教学試験の初級どまりです。

参考になるかどうかわかりませんが。私は、元々がキリスト教ですから、恐らく振り返ってみて、キリスト教の教義に日蓮正宗の教義を当て嵌めて(いや逆かな?)、そうやって教義を理解しようとしていたと思うんですね。
pundarikaにも少し書きましたけど、キリスト教の三位一体という教義解釈と、本仏論とか三身即一身は、とても似ているんです。
三位一体は、神と聖霊とイエスは一体であるという考え方なんです。ですから、神を久遠の釈尊もしくは本仏、法が聖霊、イエスを日蓮と置き換えて捉えてみとる、しっくり理解できたというわけなんです。
私は折伏を受けるとき、日蓮はインド応誕の釈尊の生まれ変わりと教えられたので、イエスのところをお釈迦様=日蓮と置き換えて捉えていたと思います。

しかしキリスト教のこの三位一体という教義ですが、イエスはそんなこと言っていないんです。そもそもイエスはお釈迦様と同じで、自分で書いた書物は残していませんしね。結局、後世の弟子たちのなかから発生した解釈というわけですが、しかし世界中に広まったキリスト教勢力の大半は、この三位一体の解釈を受け継いできており、絶大な主流となっています。やはり数の力、権威の力はすごいです。でもだかといって、それが教祖の教えを正しく汲んだものや真実だとは限らないわけです。
後世の人の解釈なのですから、三位一体を証明することはできないです。ただその解釈の源流をたどれば、誰だったか、イエスの直弟子にたどりつくはずです。
でもまあ、私はいずれにしても教義については明るくないので、感覚的なことしか書けませんけれども、結局はどこまでいっても観念的なことなのではないかなと思ってしまうんです。
平たく言い換えれば、計り知れない昔に私たちと同じ生身の人間としてこの世に生まれた方が、この世の一切の森羅万象すべてを司る法そのものだったってことでしょうか。このような表現が大きく外れたものでないとしたら、確かにロマンに満ちた話ではありますが、かといって今の自分がそのことを実感として感じられるかというと、とてもとてもそこまでのものではないのが正直なところです。その正直な実感をそのまま受け止めています。


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