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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

556初心:2003/09/10(水) 15:55
ええー、はじめまして。
ロム専門できたものであり、蓮師門下各派の教学やそれぞれに(相互に)抱える
問題点なども把握できているわけですし、すべての用語をかんぺきに使いこなせるか
ということも怪しい部分があるくらいなのですが、あえて、そしてご質問申し上げる
かたちで、初カキコミさせていただきます。

>536
>しかし、こうなってくると、釈尊一仏を一切の根本としようとする法華信奉者には
まことに都合が悪い。お釈迦様は一切の根源であり、お釈迦様より古いように見える
仏に関する記述は、実は方便なのであって、本当は根本はお釈迦様なんだと、
こうやりだします。一切の仏の成道よりお釈迦様の成道が先だと言おうとしたのが
寿量品の久遠実成だとも言い出します。

との独歩さまのご指摘ですが、
ここのあたりで、我本行菩薩道、所成寿命、今猶未尽、復倍上数と説きあかして
久遠実成のおすがたをあらわされた後の釈尊@虚空会は、ただ今現在、インド・シャカ族
の王子の身をとってブッダが出現され法を伝えられて後のこの世界においてこそ
「釈尊」という名を添えてその呼称とされるものの、釈尊以前に法華経が説かれた時、さらには
ただ今以降の未来にまたブッダが出現されて法華経を説かれた後は、その時々の衆生は
われわれとはまた違う名前でお呼びするかもしれない、しかしその指し示すところはどの場合でも、
それぞれの時代にそれぞれ出現した仏さま方の本地である、同一の、久遠実成のブッダが
それまでの各時代での衆生教導での方便をすべてかなぐり捨てて真実のおすがたをあらわされたもの、
という風には受け取れないものなのでしょうか?

そうしてわれわれが今聞きならう御法の、直接のみなもとの大恩師であるお釈迦様、
その本質はじつはこうした無始の古仏であった。ただわれわれはこの無始より存する御法は
ひとりでに感得したのではなく、お釈迦様ご一代中八年間の説法が根源である、その大恩を
忘却すること無いよう、釈尊の御本懐を無始古仏の本質をあらわされての法華経本門八品の説法と諒解しつつも
そこに釈尊の御名を冠してお呼び申し上げるのだ、という風に、

つまりは根本をお釈迦様にとる、ということではなく、根本をわたしたちはお釈迦様を通して拝する、とでもいうような。

まわりくどい駄文長文にて、申し訳ありません。


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