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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
518
:
愚鈍凡夫
:2003/09/04(木) 20:12
>>517
:ガンコさんへ。
ガンコ説に気になるところがあったので、私見を少々。
「昔金珠女は金銭一文を木像の薄と為し、九十一劫金色の身と為りき。其の夫の金師は今の迦葉未来の光明如来是なり。今の乗明法師・妙日並に妻女は銅銭二千枚を法華経に供養す。彼は仏なり、此れは経なり。経は師なり、仏は弟子なり。涅槃経に云く「諸仏の師とする所は所謂法なり。乃至是の故に諸仏恭敬供養す」と。法華経の第七に云く「若し復人有て七宝を以て三千大千世界に満てて、仏及び大菩薩・辟支仏・阿羅漢を供養せし、是の人の得る所の功徳は此の法華経の乃至一四句偈を受持する其の福の最も多きに如かず」。夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや。」(『乗明聖人御返事』昭和新定御書より)
を依文として、
> わたくしが曼荼羅正意を唱えるのは仏像を劣れる仏とするこの仰せに拠りますが
と仰いますが、
「夫れ劣る仏を供養する尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや。」
の文は、ガンコさん引用の文の後に続く、
「但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし。譬へば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ。」
を強調するための仰せではないでしょうか。
それに、この御遺文は法華経帰依の重要性を述べているのであって、曼荼羅正意を述べているのではないように思うのですが。
早坂氏は
「『六巻抄』の構造と問題点(二) 「文底秘沈抄」本門の本尊編を通して」
の論文の中で、
> 法の本尊、人の本尊、人法体一の本尊の、3つあるとする日寛のこの三分類本尊論ですが、天台も妙楽も伝教も日蓮聖人もいずれも本尊に三分類は行なっておりません。人法本尊の分類というのは、爾前権教の三宝論の亜流的思考です。小乗経では仏が優れております。権大乗では法が優れておる説を取ります。法華経の迹門では法が優れ人が劣る。法華本門は人法一箇です。従って、三宝論は法華経本門によって三宝一体となり、三大秘法の中の本門の本尊は三宝一体が前提ということでありますので、この日寛の分類もおかしいといえます。
と述べ、そしてさらに、
> また、本尊に人法論を展開し、人法一箇の本尊を立てますがその本尊の特徴は、文底独一の本門の事の一念三千と称します。人法一箇の人とは日蓮、法とは文底事の一念三千と規定します。この説は伝教大師の『秘密荘厳論』の「一念三千即自受用身」を拠所といたします。人即法の理論は成立いたしますが、人即法の本尊の文証たりえません。堅樹日寛の人法一箇本尊は独善的己義であり、曲会私情の釈だということでとりあえず結論として終らせていただきます。
と述べています。「人法一箇」という言っていますが、「人法一箇の本尊」とは言っていません。
従って、ガンコさん記述の、
> 早坂先生は原始仏典に「法を見る者は我を見る、我を見る者は法を見る。」とあることを法佛一如の文証としていますが
とは何ら矛盾しないと思いますが。
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