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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

490ガンコ:2003/08/30(土) 10:23
アネモネさん、苦悩乱者さん、愚鈍凡夫さん、犀角独歩さん・・・(不次第)

早坂鳳城先生の論文を読んでいて、ひじょうに興味深い記述を発見しました。
「法と佛の関係において、人勝法劣の立場を取るのは、爾前権教=応身正意論の立場。法勝人劣の立場を取るのは、「法華経」迹門=法身正意論。人法一箇の立場を取るのが、「法華経」本門=三身即一=報身正意論と言えるのである。」
わたくしには応身・法身・報身ないし三身即一などさっぱりわからないのですが、ここに人法一箇とあることにびっくりしているのです。早坂先生はいったいこの言葉をどこから引っ張ってきたのか? 正宗系の人なら同じような疑問を持たれることかと思います。
誤解のないように同じ論文からもうひとつ引用しますと、
「根本的には、根本の久遠佛も釈尊も同じであり、久遠佛が本体である故に本佛とするのである。この本体の一つの現われが裟婆の化佛=印度の釈尊である。だから、裟婆の化佛を普遍化、原理化したのが、久遠実成、久遠の本佛である。そして佛本尊とは、この原理的な面で表現し、原理面を本尊としている。つまり三身即一の報身正意論である。」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho31/s31_170.htm
早坂先生が日蓮本仏論者であるわけなどありません。つまり、釈迦本仏論の立場において人法一箇を言っておられるのですが、まあ、この用語をどこから仕入れたかは別の問題として、ともかく人法一箇思想が日蓮宗にも存在することに驚いたものです。
さて、ここでわたくしが大いに悩んだのは、爾前経=人勝法劣、法華経迹門=法勝人劣、法華経本門=人法一箇 ということがどうして言えるのか、よくわからないことです。論文の末には、法本尊の文証・人本尊(佛本尊)の文証と思われるものを列記しているけど、直接的には人勝法劣・法勝人劣・人法一箇の文証を提示していないように思えます。文中、法佛一如を原始仏典より証明していますが、もちろん、この論文は他宗の人に対するものですから単に日蓮教説より文をとり出だしても意味がないでしょうけど、わたくしにとっては大聖人がどのように御教示であられるかが大事なのです。
いま現在、大聖人の御書を拝するに、爾前→迹門→本門を、人勝法劣→法勝人劣→人法一箇とは読み取れない、というのがわたくしの理解です。
もっとも、みなさんが必ずしも早坂先生の論に同意であるわけではないでしょうから、あんまり興味をひかないかもしれませんけど・・・
とりわけ独歩さんあたりは、再三にわたって、日蓮教説における三身論には慎重の意味を述べておられますし、してみると当該論文については早坂先生のご所論といえども「用いず」でありましょうか?
とりあえず、こんなところです。


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