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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

560犀角独歩:2003/09/10(水) 16:41

続きがあったのですね(笑)

> …人法一箇とよぶのでは無いでしょうか?

ですから、誰がそう呼んだのかを問題にしているわけです。
蓮師の真跡では「人法」という場合、人は人師を指すので、意味が混乱するので本来の「仏法」がよいのではないのかと記したわけです。
また、「人法」の語彙の使用は蓮師思想から離れる後代の教学展開の中、特に天台本仏論、日蓮本仏論の中で特化していった語彙なので、蓮師の原型教学を素描する場合、それら教学的姿勢と分類する上で、使用しないほうが混乱がないとの意で記したわけです。

> お釈迦様が人の形をとって出現された

これは違いますでしょう。三十二相八十種好という「人」と異なる相を示しされるわけですから。

> …そうめくじらを立てることもないのではないでしょうか?

仏法ということにもめくじらを立てないでください(笑)

> 御法としてのおすがたで教導に入られたお姿をも、衆生をして入無上道、速成就佛身することを得させようとする、大慈大悲のはたらきをクローズアップしてみる場合には「ほとけ(佛)さま」という風にお呼びする場合があったため、より厳密性を期して「人」という語が用いられたのではないでしょうか?

初心さんは「法身仏」論者なのですか?
ここのところは何を記されてお出でなのか、わたしにはさっぱりわかりません。
無始古仏を言うのであれば正在報身の立場からの所顕三身論者なのかと思ったのですが、ここがいまいちわかりません。

また、大慈大悲の側面から見ると「仏」で、り厳密性を期すると「人」であるというのはどのような意味なのでしょうか。
また、誰が「人」の語を用いたのでしょうか。
どうも、よく仰ることがわかりません。


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