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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

504愚鈍凡夫:2003/08/30(土) 18:22

>>501:に関連して、めげずに再度投稿です。

仏教興隆の中心地――クシャン王朝

 古代が終わり、中世が始まる頃、テュルク=モンゴル族が古代ロシア、シベリアおよびヨーロッパの半分を席巻した時、事実上彼らは何ら存続するようなものは残さなかった。蛮族の波が寄せるたびに、蛮族は先住者を圧倒し絶滅させた。しかし、600年か700年ほど経っても彼らは決して文化をうち建てようとはしなかった。彼らはむしろ自分たちが征服した人びとの文化に同化することを好んだ。(中略)
 中央アジアは2つの交通路の中心であった――それはペルシア経由の陸路とインド経由の回路である。――そして少なくとも100年の間、それは絶え間ない往来の場であった。この時代のクシャン帝国の領内、とくにタリム盆地の西部では、仏教が大いに広まった。商人たちに広められた路は仏教思想の広汎な布教・伝播にこのうえなく好都合であった。(中略)
 班超が緋の皮を着た騎兵を率いて、西域を平定し、パミール高原に行った時には、クシャン王国の首都は世界的に主導的な仏教の中心地になっていた。当時の貨幣からわかるように、この国には多種多彩な宗派が併存していた。ある貨幣は牡牛を伴った完全なヒンドウー教のシバ神を表しており、またあるものはブッダ、ヘリオス(太陽神)あるいはセレネ(月の女神)、太陽神ミトラス、月なるマー、水神アートースプ、あるいはセム族の豊饒の女神ナナイアを表していた。しかし、ある王の個人的な好みの結果なのか、それともめざましい宗教的指導者の影響下にあってのことなのか、それともめざましい宗教的指導者の影響下にあってのことなのか、この時代にもっとも著しい進展をなしたのは仏教であった。この宗教的な混合主義(これはクシャンの統治上の諸条件に好都合であったし、またこの期の非常に幅広く異なった貨幣があることからも証明される)、この4つの異なった宗教的思想の融合を反映する思想の自由さは、大乗仏教(マハーヤーナ)の混合的性格と比較されうるということは、一再ならず言われてきたことである。仏教思想はバクトリアナを席巻し、ソグディアナに瀰漫し、それまでゾロアスター教徒の国であったホラズミアのすぐ近くまで広がった。そしてそれに伴い、仏教がアラル海沿岸まで進展するとガンダーラのグレコ=ブッディスト(ギリシア仏教)芸術を引き起こした。ホラズミアでは、たとえば考古学者たちはギリシア様式の織物や塔のミニチュアを発掘している。これらの遠隔の地のグレコ=ブッディスト芸術には、実際にはそこでは決して見られない猿さえ表されている。さらに北方、カスピ草原を横切り、ボルガ川とカマ川を遡る陸路と水路に沿って、クシャン貨幣が発見されたが、われわれの知るかぎり仏像やその他の典型的仏教遺品は見られない。
(『シルクロード』リュセット・ブルノア著 長澤和俊・伊藤健司訳 河出書房新社 P114)

クシャン朝の時代には、想像以上にいろんな宗教が混在していたようですね。


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