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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
577
:
犀角独歩
:2003/09/20(土) 06:46
わたしはかつて以下のように記しました。
*** 転載はじめ ***
5 名前: 独歩 投稿日: 2002/01/15(火) 23:42
― 大石寺問題提議から転載 ―
○六巻抄は何を説こうとしたのか
六巻抄を読もう、研究しようとなると、やはり、三重秘伝抄からというのは定石となるようです。
朗門から、近年では早坂鳳城師著「『六巻抄』に関する一考察―『三重秘伝抄』を中心に―」という小冊子が出ています。この内容については、追ってダイジェストします。
しかし、私は六巻抄の主題というのは実は当流行事抄、当家三衣抄にあると考えています。つまり、三重秘伝抄は、その導入に過ぎないという考えです。
久遠元初の仏法僧は則ち末法に出現して吾等を利益し給う。若し此の三宝の御力に非ずんば極悪不善の我等争でか即身成仏することを得ん(当流行事抄)
が、これです。そして、
南無仏・南無法・南無僧とは若し当流の意は、南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初、自受用報身、無作三身、本因妙の教主、末法下種の主師親、大慈大悲南無日蓮大聖人師。
南無本門寿量の肝心、文底秘沈の大法、本地難思境智冥合、久遠元初の自受用報身の当体、事の一念三千、無作本有、南無本門戒壇の大。
南無本門弘通の大導師、末法万年の総貫首、開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主、伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師。
此くの如き三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし云々。(当家三衣抄)
これこそが、六巻抄のもっとも言いたい点でしょう。
下種三宝 ― 仏・日蓮聖人、法・戒壇之、僧・興師-目師-歴代諸師
ここから、読み戻っていくと、六巻抄の真の趣旨は理解できます。
「此くの如き(下種)三宝を一心に之れを念じて唯当に南無妙法蓮華経と称え乃ち一子を過ごすべし」とは、つまり、唱題の一念を具体的に限定しているわけです。ただ、ひたすらに日蓮本仏・戒壇之・興目歴代を念じる唱題をして一生を送れというのです。
ここで注意すべき点は、寛師教学は有師已来の日蓮本仏思想を集大成したものであるという点です。もっとも疑われる点は派祖本仏思想、あるいは代官思想なのであって、要師がいう「大聖冥益・当住顕益」思想が、その奈辺にひそんでいると疑う必要があると思います。
下種三宝を一歩進めるとき、唯受一人・興目両尊から連なる歴代住職(法主上人猊下)は日蓮本仏の内証を相承し、戒壇之と不ニの尊体であるという、いわば法主本仏論が、実は本音の結論ではないのかと思えるわけです。
つまり、六巻抄とは、日蓮聖人・戒壇之・興目両尊という聖滅400年に積み重ねられた権威の一切を石山住職が一手に握ることを宣言した書であると見るべきです。この結論を見るとき、冒頭の三重秘伝などという美名は吹き飛んでしまうと私には感じるのです。
もちろん、このような思想が聖人の祖意に見られるはずはありません。
皆さんのご意見をお聞かせください。
*** 転載おわり ***
奇しくも2年を経ず、愚鈍凡夫さんが575に同様の見解を述べられたことを嬉しく思います。
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