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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
524
:
ガンコ
:2003/09/05(金) 18:55
ううっ、む、むずかしい〜っ。
早坂先生の論文は半分も理解できないと申しましたが、さらに執行海秀先生のそれはほとんど理解できないです。
ひとえにわたくしの頭が悪いからなのです。もやは議論は成り立たない。まったくもって申し訳ありません。
ということで、こちらの意見を申し上げるというよりはご質問ばかりになってしまいますが、まず、早坂先生は法華経迹門を法勝人劣であるというのです。しかし、すでに愚鈍さんがお示し下さったように迹門にも人法一箇の意味が説かれているわけですから、なぜに迹門を法勝人劣にするのかその根拠がわかりません。
また、ガンコさんのよく引用する本尊問答抄・・・ですが、そう言われるのがイヤだから今回は使っていなかったんですよ。しかし、逆に今回、はっきりしたのではないかと思うのですが、法蓮抄・兄弟抄など、本尊問答抄と矛盾しない御書が多いように感じるのです。それで、御書全体の印象として法勝人劣ではないのかと考えたのですが、これは間違いなのでしょうか?
それともうひとつ、一尊四士・大曼荼羅を本尊とするのではなく、法華経の経巻を本尊とするのではないのか? ということを申し上げたわけですが、これも御書全体の印象として一尊四士の仰せは皆無に等しく、大曼荼羅もそうです。つまり、大聖人のおかれましては単に「法華経」と仰せられるケースが圧倒的なのではありませんか?
すでにこんな質問は富士門の考え方ではないと自覚しておりますが、あえて申し上げました。おそらく御書のどこに注目するかで、ぜんぜんちがったとらえ方ができてしまうのだろう、というのが今の実感であります。
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