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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
575
:
愚鈍凡夫
:2003/09/19(金) 23:12
唯授一人血脈付法に想う。
「応に久遠元初の三宝を信じ奉るべし故に二に仏宝を信じ三に法宝を信じ四に僧宝を信ずと云ふなり」(「当流行事抄」 富士宗学要集第3巻P212)
「久遠元初の僧宝は即是開山上人なり」(「当流行事抄」 富士宗学要集第3巻P214)
と述べ、日寛師は更に展開して、
「南無本門弘通の大導師末法万年の総貫首開山付法南無日興上人師、南無一閻浮提座主伝法日目上人師、嫡々付法歴代の諸師」(「当家三衣抄」 富士宗学要集第3巻P238)
といい、そして、
「此の如き三宝を一心に念じて唯当に南無妙法連華経と称へ乃ち一子を過すべし云々」(「当家三衣抄」 富士宗学要集第3巻P239)と述べている。
「嫡々付法歴代の諸師」をも含めて、「一心に念じて唯当に南無妙法連華経と称へ乃ち一子を過すべし」なのである。
諸師(歴代法主)に対しても題目を唱え、一生涯感謝の念を持って過ごせとのことである。
所詮、これが「六巻抄」の本当の結論ではないのか。
日蓮本仏論にこと寄せて、唯授一人血脈付法の歴代法主上人(石山では歴代住職をこう称する)に対しても一生涯南無せよとのことである。
これは、石山に宗門上の権威と権力の一切を集中させようとする目論見ではないのか。
要するに、歴代法主は日蓮大聖人の名代であって、御内証は御本仏なのであると言いたいのではないのか。
而るに蓮祖は、
「経に云く「諸の無智の人あつて悪口罵詈等し刀杖瓦石を加う」等云云、今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、日蓮なくば此の一偈の未来記は妄語となりぬ」(「開目抄上」 学会版P202)
「日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん」(「開目抄上」 学会版P203)
と言い、更に、
「されば日蓮は日本第一の法華経の行者なり」(「南条兵衛七郎殿御書」学会版P1498)
と、宣言している。
法華経の行者であり、教主釈尊の意志を継ぐ者であり、その人生は法華経の未来記実現に捧げた人生なのである。
真蹟遺文に自身を本仏と称した箇所はない。日蓮正宗独自の解釈である。
多くの遺文に自分自身のことを「法華経の行者」と称しているのは、将来、信者が迷わないためではないのか。
まさか慧心流口伝法門を取り込んで、日蓮本仏論を言い出すとは夢にも思っていなかったのに違いない。
様々な証拠から、初期興門派に唯授一人血脈付法などなかったのは事実である。
その証拠の1つとして『二箇相承』は、武田勝頼に奪われるまで、石山ではなく重須(現在の北山本門寺)にあったといわれている。
もし、日興師→日目師へと血脈相承が行われたのであれば、偽書であっても相承書が石山にあって当然ではないのか。もし血脈相承があったのならば、日興師→日代師の流れが正統と言えまいか。
石山ではなく、重須にあったことが血脈相承を否定しているではないか。
残念ながら、日興師の遺文にも偽書が多数存在するという。従って、石山の主張を鵜呑みにはできないのである。『富士一跡門徒存知の事』、『日興跡條條事』は偽書の疑いが極めて高い、と言えるだろう。
そして、日興師は重須に居を移されてからも曼荼羅書写を行っていたし、重須での日興師の弟子も書写していた。勿論、日目師も書写していたのである。
果たして、バラモン教や密教まがいの一子相伝思想が蓮祖の理想だったのだろうか。もう一度見つめ直すべき課題であると思う。
以下は、諸師の曼荼羅書写年代である。
●本尊書写年代
日郎師1287(弘安10)年
富木常忍1295(永仁3)年
日向師1296(永仁4)年
日高師1301(正安3)年
日目師1326(嘉暦1)年
日法師1331(元弘1/元徳3)年
日仙師1332(元弘2年/正慶1)年
日道師1334(建武1)年
日妙師1334(建武1)年
日郷師1344(興国5年/康永3)年
日満師1357(正平12年/延文2)年
日大師1364(正平19年/貞治3)年
日代師1388(元中5年/嘉慶2)年
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