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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
381
:
ガンコ
:2003/07/27(日) 19:01
アネモネさん、どうもです。
何ひとつまともにお答えできませんので、概括的なことを書きます。
よくご存知のことでしょうけど、本年初頭に日蓮本仏論者の今里祐二さんがお出でになって議論をされてました。
けっこう刺激を受けまして、わたくしもマネをしてみたいなんて思ったりしたのですが、とても無理そうなのでつまらぬ駄文を書いてお茶を濁しているわけです。
つぶやきのほうでも書きましたが、板本尊と本仏論は証明できないということらしいですし、また、大聖人の御認識も今の時代から見るとあちこちで事実誤認がある、あるいは大聖人の御考えじたいも現代的には批判されるべき・・・といったことはおおむね承知しているつもりです。
わたくしがいま何をやっているかというと、まず、大聖人の御法門を学ぶこと、大聖人の御本意をじぶんの目で確認するということです。つまり、いままでは所属教団の恣意的な解釈を学んでこと足れりとしていたわけです。いまは生意気なようですがなるべく解説書の類を見ないで、じかに御書を拝読してじぶんなりに頭で考えている最中です。
おそらく次の段階にあるのは、じぶんなりに大聖人の御本意を十二分にわかった上で、今日における科学的考察とのすり合わせ・・・つまり仏滅年代などの諸問題にどのようにアプローチをするか、だと思います。
この順番は信仰者としてはごく自然と思いますが、たぶん信じていない人には時間の浪費に映ることでしょう。
そういうことで、今回は大聖人が正意とされたのは曼荼羅なのか、それとも仏像なのかという、アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、いろいろと細かい質問をいただきましたがお答えする段階ではないし、また、その能力もありませんのでご勘弁ください。
382
:
アネモネ
:2003/07/27(日) 19:39
ガンコさん
レスありがとうございます。
>本年初頭に日蓮本仏論者の今里祐二さんがお出でになって議論をされてました。
懐かしいですね。ガンコさんは、ロムなさっていらしたのですね。
>板本尊と本仏論は証明できないということらしいですし、また、大聖人の御認識も今の時代から見るとあちこちで事実誤認がある、あるいは大聖人の御考えじたいも現代的には批判されるべき・・・といったことはおおむね承知しているつもりです。
そのような認識を視野に入れていらっしゃるわけですね。私などは、この富士門の掲示板に参加した2年前まで全く知らなかったことです。そのような検証事実を自分の中に受け止めるのに、約2年近くかかったことを振り返ります。ガンコさんの信仰歴に比べれば、私などはほんの序の口、葛藤の苦しさは比較にならないかもしれませんが、しかし、ガンコさんのご自分の所属する組織に対する記述などを拝見しながら、私は2年前の自分の姿を思い起こしています。そんな気持ちです。
>いまは生意気なようですがなるべく解説書の類を見ないで、じかに御書を拝読してじぶんなりに頭で考えている最中です。
その姿勢はとても御立派だと思います。
>おそらく次の段階にあるのは、じぶんなりに大聖人の御本意を十二分にわかった上で、今日における科学的考察とのすり合わせ・・・つまり仏滅年代などの諸問題にどのようにアプローチをするか、だと思います。
了解いたしました。
>今回は大聖人が正意とされたのは曼荼羅なのか、それとも仏像なのかという、アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、
いえいえ、そんなことはありません。
論考の真意を理解いたしましたので、思う存分レスをお続けになってください。私も学ばせて頂きます。
>アネモネさんから見ればはなはだ狭い範囲の考察でして、
とんでもありません。どのような結論に至ろうとも、真剣に自分の信仰と向き合うことは、非常に重要なことだと思われます。何をテーマとして論考わするかは、人それぞれですね。そこに狭いも広いもないものと思われます。
>いろいろと細かい質問をいただきましたがお答えする段階ではないし、また、その能力もありませんのでご勘弁ください。
了解いたしました。場合によっては私も、考えが変わることだってあるかもしれませんので、引き続き今後とも、ガンコさんの論考を楽しみに拝見させて頂きます。
本当に、レスありがとうございました。
383
:
ガンコ
:2003/07/30(水) 19:14
曼荼羅正意の問題点
「仏は文字に依って衆生を度し給ふなり。」(蓮盛抄)
「仁王経に云はく・・・人の夜書くに火は滅すれども字は存するが如く、三界の果報も亦復是くの如し」(立正安国論)
上記の御書をもって直ちに曼荼羅正意に結び付けようとすれば“切り文”との批判を受けることになりましょう。わかりきったことですが、蓮盛抄の御指南は禅宗の教外別伝不立文字に対応するものであって本尊についての仰せではないし、立正安国論の引用部分は全然関係ありません。だいいち仁王経が本尊の説明であるわけがない。
しかし、ここにおいて申し上げたいことは、大聖人は文字に対してこだわりをもっていらっしゃる、ということが推察できるのではないか? と思うのであります。
「法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。・・・応化は真仏に非ずと申して、三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。」(御衣並単衣御書)
この御文を拝するとまさに御文字御本尊の優位を感ぜずにはいられないところであります。大聖人の御曼荼羅は仏菩薩をはじめとする十界の聖衆を文字で顕したものであり、法華経の六万九千三百八十四文字には提婆や阿闍世も含まれることを勘案すれば、その一字一句に至るまで「仏なり」との仰せは意味合いにおいてまさに御文字御本尊と法華経は全同ということになろうかと思います。法華取要抄の「日蓮は広略を捨てゝ肝要を好む、所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり。」とは、御本尊をもっとも略したすがたが妙法蓮華経の五字であり広くはいわゆる十界曼荼羅・・・いずれにしても羅什の六万九千三百八十四文字から見れば肝心肝要を顕したものが大聖人の御文字御本尊と考えられます。
さて、曼荼羅正意の問題点は申すまでもなく、大聖人はまったく仏像を御認めあそばさなかったのかといえば決してそうではないというところにあります。
日眼女釈迦仏供養事などの一体仏造立の問題・・・とか、
あるいは忘持経事の「教主釈尊の御宝前」とは何か・・・といった問題をクリアしなければなりません。
384
:
常徳庵
:2003/07/31(木) 10:53
藤波太郎さん (1)
初めて掲示板に書き込みをします。ご覧の皆様初めまして、”常徳庵” と申します。宜しく願いします。
歴史が研究対象で、教学上のことは分かりませんが、今回初めて書き込む動機に“北山(重須)本門寺”の関係の方の発言を観ましたので、小生の手元に北山本門寺本末の資料が少ないため、質問形式的になって悪いとは存じますが、教えてください。
>314 現在、重須では釈尊を本仏として拝んでおりますなんといっても、本門戒壇可建霊>場
「重須では釈尊を本仏」とありますが、これは三派合同以降のことと(片山氏の晋山以降)考えられますが、如何なものでしょうか? これ以前に、釈尊を本仏としたと記載された物が有るのでしょうか、。
因みに、文政六年『富士山重須本門寺由緒並霊宝』(未刊)の中には、釈迦の文字は(古文書ですので小生は苦手のため全文解読が出来ませんが) 観た感じでは見つかりませんでした。 書き出しは、寺の由緒が頭より始まり、つぎに「一 宗祖日蓮大聖人 御影壱体」と続き、以下霊宝の記述まで本尊(曼荼羅及び釈尊)についての表記が、見あたりませんでしたし、霊宝の中身にも、釈尊については観られませんでした。
参考に古来より“富士門流”においては、日蓮本仏論が正式論であり、これを否定することは富士門流信徒とは言えないのでは無いのでしょうか。(この段に付いては反論があっても回答しません。この掲示板内での各人各様の大聖人観の書き込みをみて、出典が御書と、又は上代の数少ない文献で、推定又は自己推量の世界が感じていますので、但し新たな新出典で論議の展開が在れば、別ですが)
上記・文献より切り文みを1つだします。
『万年不滅乃日蓮末世開導乃日蓮と、のたま□候』
種々是からも、色々お聞きしたきことがあります。宜しくお付き合いが続きますよう念願いたします。
(悔いのない余生に又、分かりにくい富士門流の歴史を、少しでも多く解明して残したく存じております)
あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのは、幾ら掲示板だと軽く思われての書き込みなのですか。其れとも両方ともが“本尊”とでも。富士門流(中世以降)の中でも一番軟派と称せられた北山ですから、この様なことが罷り通るのですか???
石山を除く富士七本山の惣領とも称された時もありながら、今でも身延(一致派)の支配下で「本門寺根源」「本門戒壇可建霊場」と称して笑い物扱いされて、これが日興上人の御精神が一文でも残っているのかと言いたい。
つい、書いている内に感情が高鳴りきつい文になってしまい、以後注意するように努力します。314を読み、書いている最中に316の冒頭が、目に入って追記のような形となりました。317以降は、まだ目を通していませんので、矛盾が在りませんように……
385
:
常徳庵
:2003/07/31(木) 10:57
藤波太郎さんへ (2)つづき
あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのはどうゆう理由からでしょうか。
幾ら掲示板だからと思われての書き込みなのですか。其れとも両方共が“本尊”とでも。富士門流(中世以降)の中でも一番軟派と称せられた北山ですから、この様なことが罷り通るのでしょうか??? (一番軟派と思われている要山は、京都本山会よりの圧力が影響し、換えって要山末寺の方が、富士の流儀を渇仰する本末転倒があり、二番目の軟派と考えています)
石山を除く富士七本山の惣領とも称された時もありながら、今でも身延(一致派)の支配下(北山は勝劣派に分類され、勝劣・一致さえも、亡脚の彼方へ言ってしまったのか)で「本門寺根源」「本門戒壇可建霊場」と称して笑い物扱い(失礼)されても、未だに身延の下にぶら下がって、口先で“富士門流寺院”と詭弁する、これでも日興上人の御精神が一文でも残っているものでしょうか。回答が欲しいのです。
この事は「日蓮本仏論」に、関係して論議されなくてはと、(不受不施派は、別の一件で、ここでは除外して下さい)過去レスを流し読みしましたが、該当すべき文字がヒットできなかったのです。経釈の自己流指摘(解釈)で、それ以上の展開・裏付け・系年と言った論議が(歴史観も含め)このスレッドの中では、記述は難しく、内容が分りにくく、そして「日蓮本仏論」の否定論者が、徐々に増加している観(かん)が看られ、富士門徒(その他は除外して)と称して居るのなら、他宗・他派の人々と同じでは無いのでしょうか!!! 更に非常識な者は、富士門徒と称して(富士系全体でなく『石山系列』の事)「何処にも所属していず、一人信心です」と、石山系の中で出現している、この様な現状を醸し出している。その中でも金儲けに利用する。当然その本人の信心状態は、石山・学会風表現で言えば、“退転者”と呼ぶべき範疇の人間に当たるのでは……
一人信心で、信心が本当に理解できる者が、稀にでも存在するのでしょうか?
難波さんへの、問い合わせの積もりで書き出したのですが、このスレッドのテーマへ戻る様な形かなーと……… 難波さんには失礼いたしますが、この中で回答できる範囲でお願い致します。
つい、書いている内に感情が高鳴り、きつい記述になってしまい、以後注意するように努力します。314を読み、書いている最中に316の冒頭が、目に入って追記のような形となりました。317以降は、まだ目を通してません、矛盾が在りませんように……
タイピングが遅いので、速攻での質問等、 間が空く事も有ると思いますが、宜しくお付き合いを願います。
この掲示板の常連の方々の書き込みまで、引き合いに要旨にて引用し、批判めいた内容と思わないで下さい。時代考証が今までかなり気になってまして、化儀化法にて書き込みがされ、歴史よりの検証が甘い感がしてましたので…… 藤波さんが宜しければお付き合い下されば、また他の方々とも私の歴史観よりの検証に、お付き合い下さい。
386
:
常徳庵
:2003/07/31(木) 11:09
長文と思い、2つに分けた積もりが、重複した部分がでました。
失礼しました。(1)の最初「藤波さん」『へ』がぬけました。
387
:
藤波太郎
:2003/08/01(金) 09:13
常徳庵様
はじめまして、よろしくお願いします
鋭いご質問をいただき、ありがとうございます
私は重須を代表して発言する者ではありません
しかも、富士門といっても、日蓮宗の一信者であることをまずは明言いたします
そのことを前提としまして、あえて発言させていただきます
>あれ! 316には「重須の本尊は曼荼羅本尊です」314と316が? 元富士門流の一本寺たる北山に於いて、、、藤波さん「釈尊」と記したのはどうゆう理由からでしょうか。
たしかに、私は矛盾することを申し上げておりました
失礼しました
しかし、これは読み返してあえてそう思えるのあり、私の中では
なんら矛盾しているという自覚はなかったこともまた申し上げたく存じます
314で申し上げました「釈尊」とは、現在日蓮宗の本尊として規定されている
「久遠実成の本師釈尊」
のことであります
316で「曼荼羅本尊」と申し上げましたのは、勧請形式として「曼荼羅」を
掲げているということで、やはり本尊は「久遠実成の本師釈尊」です
信仰の対象はあくまで「久遠実成の本師釈尊」であり
その勧請形式が種々ことなっているだけです
「曼荼羅本尊」をみて、「久遠実成の本師釈尊」を仰ぐのです
「久遠実成の本師釈尊」=「曼荼羅本尊」
これは、日蓮宗では何ら疑問視される発言ではありません
この認識のもとに私は発言したわけです
また重須以外の日蓮宗諸山では
歴史的に一尊四菩薩像、一塔両尊四菩薩、等
さまざまな勧請形式がとられてきた経緯があります
いずれも本尊は「久遠実成の本師釈尊」です
ところで、問題はこれが「重須」なるが故に、でありましょう
重須では、私の知る限り釈尊像をおまつりした歴史はありません
「曼荼羅本尊」を掲げてきました(勧請形式として)
これは、700年来、一貫していたと聞いております
ただ、日蓮本仏論の時代もたしかにありました
「曼荼羅本尊」をみて、本仏日蓮大聖人と仰いだ時代があったということです
また、釈尊本仏論の時代もありました
大きくは、石山教学と要山教学、この二つに揺れ動いてきた歴史があります
明治・大正・昭和(初期)においては、重須は要山教学(日辰教学)一色で
故に釈尊本仏論時代であったと聞いております
ただ、石山・要山においても、教学史があり、大きく変貌を遂げてきた
歴史がありますね
ご存知のとおり、日蓮本仏論を掲げるまで、そして掲げたあとも
教学は決して盤石ではなく、揺れ動いている部分はあるのではないでしょうか
それにしても、
常徳庵様のおっしゃるとおり、重須は「一番軟化」であったのかもしれませんね
第一、重須教学というのを、聞いたことがないですよね
常徳庵様のご指摘は、辛辣です
私も長くなってしまいました
とりあえず、このへんで
388
:
常徳庵
:2003/08/03(日) 05:01
難波太郎さんへ つづき(3)
レスありがとうございます。
>387 私は重須を代表して発言する者ではありません。
>387 富士門といっても、日蓮宗の一信者で。
その積りで書き込みをしておりました。了解です。小生も個人として書いております。今後とも、よろしくお付き合い願います。
>387 その勧請形式が種々ことなっているだけです
当然、延山の勧請形式については、種々異なる事は承知しておりますし、他宗他派を吸収しながら今日に至り、又布教による展開で五千ヶ寺に及ぶ単称日蓮宗となり、特に転入寺院に関しては、転入前の化儀・化法の一部を認める事があるのは、何処の宗派でもある事で、勧請形式についてもその範疇と心得ておりますが、この事で「本尊造濫」を助長する事となったと、理解しています。
これが難波さんの常識と考えておりますが? 但し北山は、一本寺であったプライドが今、無いとゆうか、見あたらない所が遺憾に思うとこなのです。今の貫首さんは、佐渡・世尊寺より晋山と聞いています。先代の方と思うのですが、戦後、世尊寺が延山末を、心よしとせずか、離脱し単立となるが又、元の鞘に収まって今日を迎えている。
この事と、片山氏の晋山の経緯について、教えて下さい。
>314で申し上げました「釈尊」とは、現在日蓮宗の本尊として規定されている「久遠実成の本師釈尊」のことであります
>316で「曼荼羅本尊」と申し上げましたのは、勧請形式として「曼荼羅」を掲げているということで、やはり本尊は「久遠実成の本師釈尊」です信仰の対象はあくまで「久遠実成の本師釈尊」でありその勧請形式が種々ことなっているだけです「曼荼羅本尊」をみて、「久遠実成の本師釈尊」を仰ぐのです
>387 これは、日蓮宗では何ら疑問視される発言ではありません。この認識のもとに私は発言したわけです
是は、「宗定本尊」の話ですね、延山については今のところ研究してないのでよく分りませんが、「宗定本尊」であれば、戦後のことですよね、この辺の事を教えて下さい。
389
:
藤波太郎
:2003/08/03(日) 08:56
常徳庵様
北山は一本寺であったプライドがない
たしかに、そうかもしれません
しかし、プライドを捨てて重須を護ってきた先師がいたこともまた
事実であると想います
ことに明治の廃仏毀釈以降、寺の存続すらあやぶまれる時代があったと聞きます
現に塔中の坊は、いくつも廃寺となりました
さらに本門寺は明治四十二年、境内をことごとく焼失しました
そして、ご存知の通り三派合同となります
片山猊下の晋山は、三派合同にともない身延山から派遣された「特撰住職」です
当寺、本門寺末の世尊寺、本間俊明上人は貫首候補として有力視されていたそうです
その他、数名の候補がいたとも聞いております
ただ、本門寺は片山猊下を迎えました
かりに、片山猊下晋山に対して、他の候補が複雑な思いを抱いたにせよ
片山猊下が五十年にわたり貫首職を全うされたことに私は敬意を表します
「宗定本尊」と呼ばれる本尊は、曼荼羅ですが正確には「宗定」ではありません
便宜上、そう呼ばれているのであり、宗制で定められた本尊という意味ではありません
そして、これは勿論戦後の話です
私はここで確認しておきたいのですが
常徳庵様は日蓮宗の本尊「久遠実成の本師釈尊」に疑問を感じていらっしゃるのでしょうか
あるいは、重須が歴史的に弱腰であったこと、そして現在も富士本山を名乗りながら
身延の傘下にいることを叱咤されているのでしょうか
私は、日蓮宗の本尊が間違っていないと思っています
ご指摘のとおり日蓮宗寺院には「本尊造濫」といわれても仕方がないような
現実もありますが
これは常徳庵様が歴史的経緯を説明して下さった通りの結果であります
しかし、「久遠実成の本師釈尊」に異論をとなえる人はいないはずです
むしろ、いまだに(と言っては失礼でしょうか)日蓮本仏論を掲げて
文献批判に門を閉ざしつづけている石山こそ信仰の危機を迎えていると
私は懸念しております
富士門は、本当に本来日蓮本仏論なのですか?
それは、相伝書をもととしているのではないですか?
信仰の姿勢をいま問われているのは、重須だけではありません
重須は何もしてこなかったわけですから
しかし石山は相伝書をもととする教学を形成してしまったわけでしょう
お互いに反省すべきところは多々あると思いますが
いかがでしょう
390
:
ガンコ
:2003/08/07(木) 16:18
教主釈尊の御宝前とは? その1
大聖人の思い描かれる教主釈尊像とは申すまでもなく霊山八年の釈尊、なかんずく八品所顕、さらには一品二半、そして究極は「但題目の五字なり」との仰せに尽きているわけで、いわゆる仏像を安置せられていたとは考えられません。
本宗においては“八品所顕の本尊”という言い方はしないそうですが、曼荼羅の相貌じたいはいわゆる虚空会の儀式をかたどったものであることは否めないと思います。つまり大聖人が教主釈尊を思い描く時にはつねに、二仏並座・本化上行等の四菩薩・以下迹化他方ら諸の聖衆がうち列なる、あの大儀式のイメージにおいて以外にはありえない、と考えるものであります。
さて、教行証御書には「爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。」とあります。これは考えようによってはじつに変な御言葉であろうと思うのですが・・・なぜならば、釈尊は爾前の時も迹門の時も本門の時も同一人物のはずです。ようは発迹顕本するかしないかの違いであって、釈尊であることに変わりはないはずなのですから。もし三沢抄の御指南をも併せて忠実に守るならば、佐渡以前の日蓮大聖人は物の数ならず、と申し上げなければなりません。ところが本宗においては絶対にそういうことは言わないのであります。
これによって何がわかるかといえば、大聖人はあくまで経文の勝劣を本とせられていることで、釈尊のすがた・かたちではないということであります。ちなみに教行証御書をもう少し丁寧に引用すると「・・・日蓮が弟子等は臆病似ては叶ふべからず。彼々の経々と法華経と勝劣・浅深・成仏不成仏を判ぜん時、爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず。何に況んや其の以下の等覚の菩薩をや。・・・」となります。
だいたい、われわれシロウトが仏像を見たって名札が付いてないと誰だかわからない。おそらく、ちょっと精しいくらいの人だって、手指のカッコウで判断しているわけであり、仏像をお顔でわかる人はいないでしょう。だって、みんな同じに見えるんですもの。しかも、あんまり写実的ではないんだから。
それでは大聖人御自身は釈尊のお顔をご存知であられたか? 「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。・・・」(三大秘法稟承事) いわゆる面授口決が本当のことなら大聖人は釈尊のお顔を知っていらっしゃることになりましょう。
しかし、そうであっても大聖人は釈尊像を仏師に彫らせることも自ら刻むこともせられなかった。それはもちろん「法華経の教主を本尊とす、法華経の正意にはあらず。」(本尊問答抄)であるから当然ですが、つぎの観心本尊抄の御文を拝するとより理解が深まるかと思います。
「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はず、不孝の失之有り。迹門十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」
391
:
ガンコ
:2003/08/07(木) 16:23
教主釈尊の御宝前とは? その2
地涌の菩薩は・・・釈尊五十年の説法を最初から最後まで聞いていたわけでもなければ、法華経の説法を全部聞いていたわけでもない・・・とんでもない連中であります。
いまの各教団では、集会に遅れて来るものや途中で退席するものはやる気のないものと見るでありましょう。
しかし法華経においては彼らが主役なのです。おそらく釈尊のすがた・かたちを克明におぼえるということなら、もっと他に適任者がいたことでしょうけど、もっとも重要な儀式においてそれを克明に記憶するのはその当事者以外にはいない。つまり、大聖人の御曼荼羅の相貌が顕しているものは釈尊のもっとも重要な説法であり、儀式なのであります。
そうは言っても、大聖人が上行菩薩の再誕であって二千余年の昔を記憶せられていたなどとは、おそらく誰だって信じがたいと思うことでしょう。ですから、あくまで経文の説相よりイメージを喚起せられたと拝して一応は構わないと思うのです。
すなわち、「日蓮は凡夫なり。天眼なければ一紙をもみとをすことなし。宿命なければ三世を知ることなし。而れども此の経文のごとく・・・」(閻浮提中御書)との仰せのごとくであります。
そうしますと、「今此の御本尊は教主釈尊五百塵点劫より心中にをさめさせ給ひて、世に出現せさせ給ひても四十余年、其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて、宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕はし、神力品嘱累品に事極まりて候ひしが・・・」(新尼御前御返事)と仰せあそばす寿量品に建立する所の本尊の相貌は教主釈尊のお顔なんかではなく、まさしく妙法五字の大曼荼羅となるわけであります。
このことを上行菩薩の立場で考えると、釈尊がいよいよ重大説法をあそばすギリギリ直前に大地の底より涌出せられた・・・まさしく教主釈尊の御宝前に馳せ参じたわけでありまして、つまり、この光景が御本尊の相貌そのものなのであります。
よって、教主釈尊の御宝前とは、即物的には大曼荼羅安置の御宝前でありましょう。そして、イメージは法華経の説相に示されるごとくでありましょう。
だいたいにおいて、御書には「法華経の御宝前」という御表現が多くあって、「教主釈尊の御宝前」は異例中の異例であります。その必然的な理由は次項で考えることにしますが、その前に法華経の御宝前とは何かについて触れておきます。
すでに申し上げたように、曼荼羅の相貌は虚空会の儀式をかたどったものであります。また、以前の投稿で「御衣並単衣御書」を引用し、法華経は一字一句すべてが仏であるとの仰せから、そこには提婆等の悪人をも包含せられている意味があるので、まさしく法華経と大曼荼羅はまったく同じである、と申し上げました。
つまり、大聖人が仰せられる法華経の御宝前とは大曼荼羅安置の場所と考えてまったく問題ないと思うものであります。
392
:
ガンコ
:2003/08/07(木) 16:28
教主釈尊の御宝前とは? その3
「然る後深洞に尋ね入りて一菴室を見るに、法華読誦の音青天に響き、一乗談義の言山中に聞こゆ。案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に母の骨を安置し、五体を地に投げ、合掌して両眼を開き、尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む。」
忘持経事は短い御書でありますから、全文拝読してその文意を確認していただきたく思いますが、わたくしはエッセイのようなおもむきを感じるし、また、詩情あふれる御文であると思っております。つまり、ひねりの効いた文章であるから、教主釈尊を字句どおり受け取ってはならないと考えるのです。
しかし、おそらくは異論があるでしょう。たとえば、「尊容を拝する」との意は曼荼羅にはふさわしくない、というような意見が想定されます。
それは・・・まったく、そのとおりであります。
わたくしは、もっとひねりが効いていると思っているのです。ここに仰せの「教主釈尊の御宝前」は“日蓮大聖人の御宝前”の意であられると。
理由をいくつか挙げますが、まず最初に申し上げたいことは身延参詣の主目的は大聖人に御目通りを賜わることであります。三沢抄には「又うつぶさの御事は御としよらせ給ひて御わたりありし、いたわしくをもひまいらせ候ひしかども、・・・」とあって、はるばる遠くから来たものであっても御目通りの叶わなかったものが少なくないようであります。むろん、富木殿は在家分の筆頭格ともいうべき存在でありますから、御会いできないことはなかろうと思いますが、しかし、よくよく本文を拝読しますとどうしたことでしょうか、大聖人のおすがたはまったく捨象されてしまっているのです。エッセイないし詩と申し上げたのはこのような意味からでもあります。まるで大聖人はどこかに御隠れになって富木殿の行動を観察していらしたような御文であります。しかし、そうではありません。
「我が頭は父母の頭、我が足は父母の足、我が十指は父母の十指、我が口は父母の口なり。譬へば種子と菓子と身と影との如し。教主釈尊の成道は浄飯・摩耶の得道、吉占師子・青提女・目犍尊者は同時の成仏なり。是くの如く観ずる時無始の業障忽ちに消え、心性の妙蓮忽ちに開き給ふか。」
これは大聖人の御説法・御指導であります。つまり、富木殿は大聖人に御会いするためにはるばる下総より参上したわけであり、このような趣旨の御説法をじっさいにはもっとたっぷりと拝聴したものと思われます。そうであれば、前段の「案内を触れて室に入り、教主釈尊の御宝前に・・・」とは、大聖人に御目通りする様を形容したものであり、「歓喜身に余り」とは、久々に大聖人の御尊容を拝見しての喜びの様をあらわしたもの・・・と考えることができようかと思います。
393
:
ガンコ
:2003/08/07(木) 16:32
教主釈尊の御宝前とは? その4
富木殿のケースに近い事例として、弘安三年の千日尼御返事を拝してみたいと思います。
「故阿仏聖霊は・・・流人日蓮に値ひて法華経を持ち、去年の春仏になりぬ。・・・其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて、去年は七月二日、父の舎利を頸に懸け、一千里の山海を経て甲州波木井身延山に登りて法華経の道場に此をおさめ、今年は又七月一日身延山に登りて慈父のはかを拝見す。子にすぎたる財なし、子にすぎたる財なし。」
また、弘安元年七月の御返事には、「人は見る眼の前には心ざし有れども、さしはなれぬれば、心はわすれずともさてこそ候に、去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に、佐渡国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし。」とあります。
さらに同年、閏十月には、「佐渡の国より此の国までは山海を隔てゝ千里に及び候に、女人の御身として法華経を志しましますによりて、年々に夫を御使ひとして御訪ひあり。・・・譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮かび、雷門の鼓は千万里遠けれども打てば須臾に聞こゆ。御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来たれり。・・・御面を見てはなにかせん。心こそ大切に候へ。」とあります。
身延参詣を三度まで果たした阿仏房は超人的でありますが、夫を送り出した妻の信心も大変なものであります。むしろ大聖人はこうした千日尼の信心こそ大絶賛せられているように思えます。また、富木殿の奥さんに対しても、ちょうど忘持経事の前の御書で「いまときどののこれへ御わたりある事、尼ごぜんの御力なり。・・・今ときどのにげざんつかまつれば、尼ごぜんをみたてまつるとをぼう。」と仰せになっており、富木殿をかげで支える信心を賞賛せられているように思えます。
このような大聖人のきめ細やかな御配慮を拝するならば、誰しも純粋熱烈なる信心をおこさずにはいられない、という気がいたします。一般に、大聖人は女性に人気があった・・・との論評が多いように思うのですが、さもありなん、といったところでありましょう。では、富木殿の母君はどうであったか? いまだ御書の本文より探しあぐねていますが、いちぶ千日尼の信心と重なる部分があるように思います。
おそらく母君はご晩年、大聖人様に御会いしたい、身延に参詣したいとの希望を懐いていたことと思います。しかし富木殿はお許しにならなかった。「齢既に九旬に及ぶ。」とありますから、常識的に当然の判断かと思われます。おそらくは臨終が近づくにつれ、くりかえし“いまいちど大聖人様に御会いしたかった”等と漏らされたのではないかと考えます。そうなると(もうちょっと元気なうちに参詣させるべきだったか)との後悔の念が富木殿に生まれます。それが「舎利を頸に懸け」ての身延参詣につながっているのではないでしょうか。そのように拝する時、「尊容を拝するに歓喜身に余り、心の苦しみ忽ちに息む。」は、ようやく母君の願いを叶えることができた、母君を大聖人のもとにお連れすることができた、といった感慨をあらわしているように感じる次第であります。
394
:
ガンコ
:2003/08/07(木) 16:37
教主釈尊の御宝前とは? その5
「我が頭は父母の頭、」以下の御指南は、親子一体の義を御述べでありまして、まさに富木殿と母君(の遺骨)を前にしての大慈大悲に満ちた御説法であります。と同時に、大事の御法門を密示せられているようにも拝するものであります。
このほぼ一年前に著された撰時抄において、はじめに「釈子日蓮」と御名乗りあそばしてのち本文にて、「此の三つの大事は日蓮が申したるにはあらず。只偏に釈迦如来の御神我が身に入りかわせ給ひけるにや。」と仰せでありますが、まさしく父子一体のおもむきを感ずるものであります。
ゆえに、「是くの如く観ずる時」とは、大聖人こそ教主釈尊なり、と観ずるべきであることを暗示せられているように拝します。
さらにわたくしは、大聖人は富木殿を地涌千界になぞらえているのではないか、という気がしてなりません。「然る後、随分に仏事を為し、事故無く還り給ふ云云。恐々謹言。」との締めくくりはなんとなく他の御書とちがう印象を受けるのです。御手紙の体裁ではないし、もちろん法門書でもありません。ようは追伸なのでしょうが、しかし、それにしては手の込んだ文章であります。つまり、すでに申しましたように詩ないしエッセイのおもむきを感ずるものであります。
富木殿が身延にやってきて、そして還ってゆく・・・これを地涌千界の八品来還に見立てていらっしゃるのではないか? 「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はず、不孝の失之有り。迹門十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」であります。
もし大聖人が八品来還を意識せられて御書きあそばしたのであれば、教主釈尊の御宝前はすなわち日蓮大聖人の御宝前となりましょう。
ちなみに南条殿御返事には「彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり。」とあり、松野殿女房御返事には「天竺の霊山此処に来たれり、」とあります。
これらを図示すると、
霊山八年=身延九年 地涌千界=富木殿(その他門下全般) 教主釈尊=日蓮大聖人
となりましょうか。もっとも松野殿女房御返事の次下には「我が身は釈迦仏にあらず、」とありますので、“釈迦仏”ではないのでしょう。この辺がいちばんむずかしいところでありますが、さしずめ日蓮大聖人は“和製教主釈尊”と申し上げておきたいと思います。
いまだ文底の意を尽くしきれていない愚論でありますが、今回はこれでまとめとさせていただきます。(以上)
395
:
苦悩乱者
:2003/08/12(火) 18:10
御書にも方便があります。
それを知らずに読んでいると,迷路にはまります。
396
:
藤波太郎
:2003/08/13(水) 07:42
ガンコ様
熱い思いが伝わります
ただ、日蓮宗の私としては大変不思議な解釈と感じます
大聖人が本仏である、という前提のもとに御書を拝すると
ガンコ様のように解釈することになるのでしょう
しかし、釈尊が本仏であるという前提のもとに同じ御書を拝すれば
釈尊本仏で納得することもできるのです
ともあれ、日蓮宗しか知らない「井の中の蛙」である私にとって
ガンコ様の解釈は、大変興味深く、刺激的です
「和製教主釈尊」
ですか
良い言葉ですね
397
:
Jルーカス
:2003/08/13(水) 08:30
藤波太郎さん
大聖人の仏法は、所謂「月氏、漢土の仏法」とは全く異なる「和国の教主大聖人」が創始した仏法であるのが真実だと思います。
日蓮宗は釈尊の創始した仏教の流れの正当性として解釈しました。
日蓮正宗は、和国発祥の新義仏法として解釈したのだと思います。
さて、話は変わりますが・・・
中山法華経寺には「血染めの白五条袈裟」が残っています(小松原の剣難の時のものとされております)。
つまり、大聖人も当宗と同じく「白五条袈裟」を着ていた訳ですが、
何故に日蓮宗では、七条・九条の色袈裟を使うのでしょうか?
後裔の僧侶を宗祖より偉い事にしてしまってますね。
398
:
藤波太郎
:2003/08/13(水) 09:34
Jルーカス様
おっしゃる通り、日蓮宗は「仏教日蓮宗」
釈尊仏教の正統ということになっています
「なっています」というのは、必ずしも日蓮宗徒がそう認識しているか否かは
別であるという意味です
私自身、「日蓮仏法」「上行仏法」という言葉が妥当であると思いますし
「日蓮教」という言葉を用いる人もいますね
さて、色衣をナゼ着るか…
これは私も大いに疑問をいだいております
色衣は着るべきではない、これが私の持論であることをまず明言します
京都妙顕寺第二世・大覚妙実上人が延文三年(1358)後光厳天皇より
「四海唱導」の称をうけ、日蓮聖人は「大菩薩」、日朗・日像両師は
「菩薩」号をうけました
いわゆる、公武との関係を強めたわけです
同じく京都、本圀寺はさらに公武に近づき、洛中における地位を増大させます
皇室との関係から、色衣を着ざるをえない状況に
さらに色衣が正装であるという認識にかわっていったものと思われます
七条・九条についても同じですね
このような歴史的経緯があるのですが
当時、墨染めを脱ぎ、どんな思いで色衣を着ていたか
現代人の私には想像できない部分もあります
大聖人の弟子、せめてその流類を名乗るのであれば
王家を折伏するのが本化の精神であり、
「世間並みの衣装を」と迎合することは恥ずべきであると思います
富士門は立派です
日蓮宗のお坊さんで、色衣を着る人をみるたびに、私は「あ〜あ」と
思います
ただ、法服に関しては『日蓮宗宗制』の中に法服規定があって
正式な場では色衣を着用することになっています
これは、大聖人に恥ずべき現実だと思います
余談ですが
私の記憶では鴨川の鏡忍寺にも血染めの五条袈裟が
ありました
どっちがホンモノでしょう??????????
399
:
ジャンノレン
:2003/08/13(水) 10:26
ガンコさん、濃密な論文読ませて頂きました。
真跡、御妙判から聖祖の意をくみ取るとの努力はとりわけ日蓮宗各派の論点ですが、私はここに
御本尊の真跡も入れないことにはどうも宗祖の本意全体を知ることにはならないのではないか、
と思います。山中喜八氏の丹誠によって鑑定されたおおよそ百何福の真筆が残っていますが、本
尊相貌に於いてみる限りは、釈尊を中心とした佛教展開は感じられないのです。
印度にて説法された虚空会霊山を模した座配に、なんで日本の神がいるのですかね。集合といえ
ば集合させる意味があるのでしょうか?天照・八幡を勧請せねばならない理由はなんでしょうか。
しかも、花押も初期はバン字・後期はボロン字と変わって往く辺りはもろに、真言の影響も確認
されます。御存知の通り、真言では釈迦は立てません。台密としても、不動・愛染感見記の両明
王も本地は真言宗、大日の垂迹です。これも本尊中に四大天王の両脇左右にお認めであります。
こうなると、御書就中、本尊抄、開目抄ほか五大・十大部は法門の断片を説いた物で、本尊の讃
文も含めて詮議することでより、聖祖の本意が伺いできるのではないかと思うのですが・・・。
400
:
ガンコ
:2003/08/13(水) 11:56
藤波太郎さん
>大変不思議な解釈
ええ、おっしゃるとおりです。だいたい正宗のほうでも身延には仏像が安置せられていたと認識しているようですから、わたくしの考えはまったく荒唐無稽だかもしれません。
もし身延に仏像が安置されていて、大聖人が仰せの本門の教主釈尊がそれであったなら、なぜに富士系においては仏像を安置しないのか?という素朴な疑問があります。
日興上人は申すに及ばず、日目上人は身延において七年間、大聖人のおそばに御仕えになった・・・後に富士系に属するであろう方々も多くいらしたことでしょうから、大聖人の御法門を取り違うことは考えにくいのではないか?と思うのです。
ちなみに和製教主釈尊というのではとうてい文底の意を尽くしたことにはならないので、そういう言い方は誰もしないです。だって、意味合いとしては本家本元は外国にあって大聖人はそれをまねただけ、ということになってしまうからです。
そういうわけで、まだまだ本仏論といえるレベルには達していないと自覚しております。
401
:
Jルーカス
:2003/08/13(水) 13:15
ガンコさん
身延山久遠寺に行きますと、大変不思議な事実に気づくと思います。
本佛とされているハズの釈迦堂より、僧宝に過ぎないハズの祖師堂の方が大きいのです。
明らかに過去において、本佛日蓮大聖人として崇めていた証拠が現出されております。
身延の中でも、日蓮大聖人を「妙覚の位(佛様)」と表現した方もおりますのは御存知かと思います。
402
:
ガンコ
:2003/08/13(水) 13:33
ジャンノレンさん
いちばん難しい問題をぶつけられてしまいました。
御本尊の相貌は弘安二年の日女御前御返事に詳しいですが、どうもこの御書を引用するとある方面から“真偽未決”とか言われそうでこわいですね。
同じく弘安二年の日眼女釈迦仏供養事には、「天照太神・八幡大菩薩も其の本地は教主釈尊なり。例せば釈尊は天の一月、諸仏菩薩等は万水に浮かぶる影なり。」とありまして、また、法華取要抄には「大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の諸仏は、我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ是なり。」とあります。で、このすぐあとに「この多宝仏も寿量品の教主釈尊の所従なり。」とあって、釈尊がすべての中心のごとくであります。
ところが、もっとも単純な疑問を申し上げれば、念仏宗では南無阿弥陀仏なのに何故にこっちは南無妙法蓮華経なのか? つまり、大聖人の御曼荼羅の中心は釈尊ではない、ということがあるわけです。
わたくしの現時点での理解は、大聖人の御法門はいわゆる法勝人劣であられる、というものです。これは御書全編を拝してのばくぜんとした印象なので間違っているかもしれませんが、阿弥陀などの諸仏と対比する時には釈尊の勝を仰せになるものの、法華経と釈尊を対比する時にはいわゆる能生所生の関係を強調せられているわけです。乗明聖人御返事には「経は師なり仏は弟子なり。・・・夫劣れる仏を供養するに尚九十一劫に金色の身と為りぬ。勝れたる経を供養する施主、一生に仏の位に入らざらんや。」ときわめて露骨な御表現をあそばしておられます。
しかし、文底の意をもって拝するならば、上記はいまだ階梯にすぎないのでしょうね。最終的には人法体一のわけですから。
いずれにしましても御本尊の相貌については大聖人御自身あまり御説明あそばさなかったわけであり、おっしゃるとおり御書を拝しているだけではわからないことが多いですね。
403
:
ガンコ
:2003/08/13(水) 13:46
Jルーカスさん
身延には行ったことがないんですよ、わたくしは。ですから、へぇーって感じです。
本宗は相伝仏法である、ということをしばしばおっしゃっていますが、どうなんでしょうか、御書を拝しているだけでは“本仏論”にはぜったいに到達できないんでしょうか?
身延のどなただか存じませんが、大聖人を妙覚の位とおっしゃったと?
これは大石寺のマネをしたのでしょうか?
404
:
ジャンノレン
:2003/08/13(水) 16:14
>明らかに過去において、本佛日蓮大聖人として崇めていた証拠が現出されております。
>身延の中でも、日蓮大聖人を「妙覚の位(佛様)」と表現した方もおりますのは御存知かと思います。
Jルーカスさまがお引きの該当文書は以下のことでしょうか。
広蔵院日辰師と並ぶ中世の学僧、その著作物は身の丈程もあったといわれる身延十一世行学院日朝
師が観心本尊抄私記第四、宇治物語に「地湧の菩薩とは元品の無明を断ぜぬ因位の菩薩ではなく妙
覚の仏の萬行萬善の色に顕れたものだ」というのをひかれて「故に地湧の菩薩実妙覚位也」(学十
六223頁)と仰せになったとか、、。また本尊相貌についても四代前の七世日叡師は聖人を列衆に
入れることに躊躇され真間の日蓮宗各僧・茂原妙光寺諸師と詮議され首題直下に日蓮大聖人と書き
この下にそれぞれ自分の名前を書くことにした(本尊相伝事本一7頁)この方式は日朝、日意、日
伝の三師まで守られたが二十代一如院日重師の時に逆戻りしてしまった。なお、天竺は右尊左卑と
いう座配の説を曼陀羅に導入したのは朝師の考えということである。
さて、本尊のことも出ましたので板に刻むという方法は聖祖の昔、比叡山にも見られ宝塔式の板本
尊は長谷寺などにも見られる。身延山においても大聖人の御筆を写した板本尊が延山中蔵に民部日
向の添書が「正安二年庚子十二月 日、右日蓮幽霊成仏得道乃至法界平等利益の為に之を造立す」
とある。この他にも中世の数枚の諸師の板本尊が東蔵に秘蔵されている、ということです。何のた
めに秘蔵されて開放されないのかは知りません。
405
:
Jルーカス
:2003/08/13(水) 18:42
ジャンノレンさん
付随説明、感謝申しあげます。
また、さらに別の資料も参考になりました。検討してみます。
406
:
苦悩乱者
:2003/08/13(水) 20:45
404>身延の中でも日蓮大聖人を「妙覚の位」云々・・・
その様な御僧侶が居られるから,おかしくなるのです。いやちがう,いやそうだ。他人の懐の財布の中身を想像しているだけでしょう。解らないでしょう。「覚者」となられたのは確かなことでしょう。それ以上は直接お聞きしなければ
妙字即だって,本当は無限段階あるわけです。大体にして,誰がその段階を決めるのでしょうか。誰が「妙覚」であることを誰がわかるのでしょう。自分で言っても,もう一人の妙覚の仏様に証言してもらわなければ,外の人が承知しないことです。するとその証言したもう一人の妙覚の仏様は,亦復三人目の仏様に証言してもらわなければ証明されない,それでも疑わしいと言っている間に歳取って
死んでしまう。ああ私は,修行を忘れてしまっていた。結局,大聖人様はどんな位の仏様であったのかは解らなかった。ああ。
407
:
愚鈍凡夫
:2003/08/13(水) 22:11
>>406
:苦悩乱者さんへ
始めまして、愚鈍凡夫です。
結局、自分ところの宗祖こそが真の仏であると申告した者たち同士が法論でもして決めるしかないのじゃないですか。
「生身の仏」とは何ぞやと言われても、100人いれば100通りの回答があるわけですから。
408
:
苦悩乱者
:2003/08/13(水) 22:57
「末法本仏」なのか,末法が付かない「御本仏」なのか?「末法本仏」=「御本仏」なのか?「末法本仏」≠「御本仏」なのか,だれか教えてください。
409
:
苦悩乱者
:2003/08/13(水) 23:21
愚鈍凡夫さん
始めまして,よろしくお願いいたします。
兎に角,皆さん,勉強されていますね。そのうちに,それぞれの門流に法論にで出かけられそうですね。実は私,今年4月頃にある住職に今年の目標は,こちらのご住職と一緒に真宗を折伏するのが目標です。と言ったら,「それはダメだ」と言われました。後になって折伏の話になった時,法論する時はふるえてしまうと語ってくれました。真宗なんて大元は,目つぶって経典つかんで,それで一宗旗揚げでしょう,そんな出鱈目相手に震えること無いのに
増して,手ごわい近親の門流同士,心臓が飛び出てしまうのではないでしょうか。
410
:
藤波太郎
:2003/08/17(日) 18:15
日蓮宗のお寺をお詣りしておりますと、日蓮宗は釈尊本仏と仰ぎつつ
いわゆる「祖師信仰」であることに気づきます
お祖師様に救っていただく
そう信じている信者が多いのです
曼荼羅本尊、一塔両尊四菩薩、一尊四菩薩等、さまざまな勧請形式が
あるにしても、
たいていのお寺には、御本尊が見えない位、大きな祖師像が奉安されています
はじめてそれを拝む人には、祖師像が本尊であるかのようにとられても
仕方がないくらい
ただ、これ(「祖師信仰」)と「日蓮本仏論」とは違うと思います
事実、「妙覚の位」と大聖人を位置づける表現があったとしても
私の記憶する範囲では、本仏論については
五百億塵点劫を実数としてとらえず、したがって久遠元初という時間を設定していません
「サテハ如来成仏ノ初ハ無リケリ、所詮無始無終ノ仏ニテ御座ス也、
爾ハ仏計リ不可無始無終、我等モ無始無終也」(『法華草案抄』第八巻17丁)
すなわち五百億塵点劫は久遠実成の譬喩であるということです
さらに、日朝師は我等衆生もまた本来、常住にして無始無終であるというのです
どちらかというと、天台教学と日蓮教学との違いを明確化した人というよりも
中古天台よりの学僧かな、とみてとれますが
411
:
苦悩乱者
:2003/08/19(火) 09:53
日蓮本仏論は日蓮本物(本物の仏)論に摩り替っているように思うのですが?
末法にお生まれになった「本因妙の教主(釈尊)」と私は理解しております。
412
:
苦悩乱者
:2003/08/19(火) 15:58
仏陀=覚者の「お悟り」には二も無く三も無い,ということだと思います。
それに迷うのが学者さん。
迷わないのが,信仰者でしょうか?
413
:
ガンコ
:2003/08/19(火) 17:06
>(本物の仏)
本物の対義語はなんでしょうか? 偽物ですか?
また、「本因妙の教主(釈尊)」もよく使われる言葉ですが、その対義語はなんでしたっけ?
>それに迷うのが学者さん。
>迷わないのが、信仰者でしょうか?
まさに、迷いがないということが信仰者の強みでしょうけど、“迷うだけの材料を与えられていない”というのが組織・教団に身を置いている人間の実態であると、この掲示板の先輩方が論じてこられました。じっさい、この掲示板は現役バリバリの組織信仰者はいないようですね。
ようするに、あなたのおっしゃる「永遠の迷路」にさまよう信仰者の掲示板かもしれません。
414
:
ガンコ
:2003/08/19(火) 17:42
藤波太郎さん
つまらない質問ですが、御相伝書を抜きにして、つまり日蓮宗で使われる御書だけで、日蓮本仏に到達することはありえないのでしょうか?
現代感覚で言えば、「我は仏である」などと自称することははなはだこっけいであり、第三者による客観的評価がなければ信用できるものではありません。そういう意味では法華経における多宝仏の証明はけっこう重要であり、また、現代的ともいえるのではないか? と思います。(法華経じたいが現代的かどうかわかりませんが)
つまり、大聖人御自身が「我は本仏なり」と言ったか言わないかではなく、まったく異なる評価法があるのではないか? と思うのです。
もしかしたら、この方法で本仏論は成立するのではないか? なんてことを考えています。
日蓮宗も正宗も大差ない、という意見では藤波さんと一致しているわけですから、わたくしの言わんとしていることはご理解いただけると思うのです。
祖師信仰と本仏論は大差ないのではないかと考えます。わたくしの立場で言わしていただけば、日蓮宗は正宗に本仏を先取りされちゃったから、言いたくても言えない、で、なんだか意地をはって釈尊に固執している・・・とか書くととうぜん反論があるでしょうけど、学会員のれんさんあたりのご説明を聞いていると、日蓮宗と正宗がまったく同じに思えます。ちょっと、よろしかったら、偽作論の過去レスをご覧になって見てください。
415
:
藤波太郎
:2003/08/19(火) 18:17
ガンコ様
偽作論の過去レスはのちほど拝見いたします
「日蓮宗で使われる御書」の基準を立正大学・身延山大学におくとしますと
①真蹟現存②真蹟曽存(身延大火で焼失した開目抄等)③日興上人写本現存
この三種です
もちろん、このほかにも重要視される写本はありますが、
一応、この三種をもって日蓮教学の根幹はなされているわけです
私の管見では、この三種から「日蓮本仏論」は証明できません
焦点は、五百億塵点劫の点があるかないか。そして久遠元初があるかないか。
とりあえず、この二点に私は着目しているわけですが、
いまのところ、読み取れません。
真摯に御書をひもとき、日蓮本仏論を証明しようとされているガンコ様の
姿勢は、私はいたいほどわかります。
私も、そんな気持ちになることがしばしばあるからです。
しかし、みつけることができずにいます。
もちろん、観心本尊抄の「脇士となして」「所化以って同体なり」等は
私も大いに注目しておりますが。
416
:
ガンコ
:2003/08/20(水) 23:48
藤波太郎さん、どうも遅くなりました。
ちょっと上のほうを読み返してみたのですが、どうも同じところにとどまっているような感があります。申し訳ありません。偏にこちらの責任であります。
つまり、御書の使用基準を藤波さんのお示しどおりとした上で、こちらがもっと斬新な理論なり仮説なりを提示しなければならない、それができていないわけです。
どだい、わたくしなんかにできっこないんですけど・・・
れんさんの書き込みは本仏論というよりは上行論の補強に過ぎないのかもしれません。もちろんご本人にお聞きしないとわかりませんが。
417
:
常徳庵
:2003/08/21(木) 04:02
藤波さん
回答が遅く成りまして、近日中に続きを行いましょう。
別のサイトで、気になり浮気心で、書き込みしていた者で、気にはしていたのですが、北山について、更にお聞きしたく、存じております。
418
:
苦悩乱者
:2003/08/23(土) 20:42
413 ガンコさん
>本物の対義語はなんでしょうか? 偽物ですか
本物に対すれば偽物になります。本来は、本仏、迹仏の意でしょうけれど、別に本地垂迹という時の本地と垂迹が本仏と迹仏にあたるのではないかと思います。・・・常徳庵さんいかがでしょうか。
>「本因妙の教主(釈尊)」もよく使われる言葉ですが、その対義語はなんでしたっけ?
本果妙ですよね。本因と本果が一対に。
419
:
苦悩乱者
:2003/08/23(土) 20:49
尚、「御本尊」のこと、
御義口伝、第四是人持此経安住稀有地の事 (学御 p.763)
に興味深いことが書かれています。
420
:
ガンコ
:2003/08/24(日) 17:23
苦悩乱者さん
本宗では本因妙・本果妙を当たり前に使っていますが、おそらく御相伝書以外には見られない語彙であり、はたしてこれが聖人の祖意なのか? ということがこの掲示板でしつこく議論されてきたものですから、それを踏まえて何か斬新な意見が聞けるものと期待したのです。
ところで御義口伝の御文を拝見しましたが、何が興味深いのかわかりません。
教えてください。
421
:
苦悩乱者
:2003/08/24(日) 18:10
ガンコさん
法師功得品四箇の大事
御義口伝、第四是人持此経安住稀有地の事 (学御 p.763)
明鏡たる本尊という御文が有るのです。
明鏡つまり「かがみ」です。
御本尊は鏡ですよ!と
普通の鏡は姿を写しますが、御本尊である鏡は「こころ」を写します。
自分の姿は鏡でしか見えませんが、それにたとえて、「こころ」を写す鏡ですよと。
御本尊というのは「かがみ」です。
すると、本体は自分の方の「こころ」になることになりますよね。
全部で七行くらいの短い御文ですから、読めば「明鏡たる本尊」は中頃に出てきます。
全体を通しての通解はプロの方(常徳庵様)にお願いしたいのですが・・・
最後の方に「不軽とは一切衆生の内証所具の三因仏性を指すなり仏性とは法性なり法性とは妙法蓮華経なり云々。
と仰せですが、
この、一切衆生の内証所具の三因仏性(つづめると仏性)というのは我等が凡夫の「こころ」に仏性が存在していますよ!その仏性は又、法性とも言いますと、又、妙法蓮華経とも言いますよと、その我等が「こころ」に存在するところの「仏性」を写すのが「御本尊」という明鏡なのですよとのご教示だと思うのです。
常徳庵様、如何でしょうか?
明鏡たる本尊なり
422
:
苦悩乱者
:2003/08/24(日) 18:15
なにか、本尊論になってますね。
423
:
苦悩乱者
:2003/08/24(日) 19:05
ついでなので本尊論で行きます。
この我等が「己心の仏性」は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」(学御p241の終2行め)から、然りといえども、我等が劣心に仏法界を具する事、信を取り難き者なり・・・中略・・・答えて曰く、汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば・・云々。と、「唯一大事因縁」の経文とは、方便品第二の本末究境等以下につづく世雄げに有ります。月水御書に「されば、常の御所作には、方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給え。」とのご教示が有ります。
424
:
苦悩乱者
:2003/08/24(日) 19:16
ガンコさん
>420 本宗では本因妙・本果妙を当たり前に使っていますが、おそらく御相伝書以外には見られない語彙であり、はたしてこれが聖人の祖意なのか? ということがこの掲示板でしつこく議論されてきたものですから、それを踏まえて何か斬新な意見が聞けるものと期待したのです。
本因妙、本果妙もつづめれば、因と果ではないかと思います。ほんとに解らないですね。
私が、一番好きな御書は「白米一俵御書」です。もうあとは何も要らないくらいに。
425
:
苦悩乱者
:2003/08/24(日) 19:34
常徳庵様
それにしても、何処へ行かれたのでしょうか?
心細くて仕方有りません。
たまには、お叱りのお言葉でも下さい。
426
:
ガンコ
:2003/08/24(日) 20:22
>本因妙、本果妙もつづめれば、因と果ではないかと思います。ほんとに解らないですね。
いやあ、どうもすみません。わからずやなものですから。
ついでに、ご質問・・・我が己心に仏性があるというのは迹門の所談であっていまだ本門ではないと思うのです。いや、もちろん、わたくしも仏性の話を最初に聞いたときは感動しました。けれども、今になって見るとよくわかっていません。
三大秘法抄には、
「問ふ、一念三千の正しき証文如何。答ふ、次に申し出だすべし。此に於て二種有り。方便品に云はく「諸法実相所謂諸法如是相乃至欲令衆生開仏知見」等云云。低下の凡夫理性所具の一念三千か。寿量品に云はく「然我実成仏已来無量無辺」等云云。大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり。」
とあります。
つまり、単に仏性があるというだけではいけないわけです。では本門に何が説かれているかといえば、正直に申し上げればよくわからないのです。久遠実成の当初証得ということがよくわからない、実感が持てない、といったところです。
やっぱり、わからずや・・・なのでしょうか?
ちなみに、白米一俵御書はわたくしも、だ〜いすきです。
427
:
苦悩乱者
:2003/08/25(月) 06:38
ガンコさん
>426 いやあ、どうもすみません。わからずやなものですから。
いやいや、そう意味じゃ無くて、私も含めて、富士の「教え」は難しい、「よく解らない」という意味です。
>久遠実成の当初証得ということがよくわからない、実感が持てない、といったところです。
これは、今、文証を示せないのですが、久遠実成の当初(そのかみ)は時間という概念ではない、「久遠即末法」と聞いたことがあります。御書にも、「久遠は今にあり、在世は今なり」という御文があったように思います。
常徳庵様、この件の文証を、よろしくお願い致します。
428
:
苦悩乱者
:2003/08/25(月) 07:04
ガンコさん
百六箇抄(学御p.864)第70 本化事行一致の本迹(本化自行の意味は解りません)に
「本迹殊(こと)なりと謂ども不思議一云々、本因妙の外に並に迹とて別して之無し、故に一と釈するものなり、真実の勝劣の手本の義なり云々」とのご教示が有ります。
このご教示は、開目抄(富士門の開目抄 学御P215)に、「宗宗、互いに種を争う、予此れをあらそはず、担経に任すべし、法華経の種に依って天親菩薩は種子無上を立てたり、天台の一念三千これなり、華厳経、乃至諸大乗経、大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり天台智者大師、一人この法門を得給えり、華厳宗の澄観、この義を盗んで・・・云々」
とのご教示と同義のものと思います。
429
:
苦悩乱者
:2003/08/25(月) 07:16
ガンコさん
>428 百六箇抄(学御p.864)第70 本化事行一致の本迹(本化自行の意味は解りません)に
本化=本家かも知れませんね。
(正)=「本化事行」を(誤)=本化自行としてしまいました。訂正します。
430
:
ガンコ
:2003/08/25(月) 19:04
なあんだか、とっても難しい議論でして、さっぱりわかりません。
「本迹殊なりと雖も不思議一なり」
これは大聖人の御書に、ほとんど見られない引用だそうです。
山中講一郎氏の「からぐらねっと」に、総在一念抄の真偽論が載っていて、ぶっちゃけた言い方をするならば、この御書はいわゆる一致派の手による偽書、逆に血脈抄は勝劣派の創作・・・みたいなことが書かれています。もちろん、そこまであからさまではありませんが。
苦悩乱者さんは開目抄に類似性を見いだしていらっしゃいますが、わたくしにはよくわかりません。もうちょっとかみ砕いて教えてくださらないと。
http://www.ginpa.com/column/20000205.html
http://www.ginpa.com/column/20000206.html
暑くって、頭がボ〜っとしちゃって、このところぜんぜんダメです。
431
:
苦悩乱者
:2003/08/25(月) 20:11
ガンコさん
私の基本は、なんでもあーりなんです。偽書、偽経、何でもです。それから自分で判断するのです。まあ、傍から見れば我見じゃないか。といわれてしまいますが、それ以外に迷わない道が無いことに気がついたのです。「うえー」でしょう。
>「本迹殊なりと雖も不思議一なり」
この先が大事です。
「本因妙の外に並に迹とて別して之無し、故に一と・・」
百六箇抄の第100番 下種十妙実体の本迹に曰く
「日蓮は本因妙を本となし、余を迹と為すなり、是れ真実の本因本果の法門なり」
相伝がないと解らないかも知れません。
432
:
苦悩乱者
:2003/08/25(月) 20:30
観己(カンコ)さん(己心を観る)
我が法華経も本迹和合して利益を無量にあらわす。・・・中略・・・内より論出きたればいっぽうの相扼も漁夫の恐れ有るべし、南無妙法蓮華経と御となえ、つつしむべし、つつしむべし、恐恐」 兵衛志殿御返事(学御p.1108)真蹟 京都本隆寺
433
:
苦悩乱者
:2003/08/25(月) 21:08
カンコさん
仮に、自分が悟りをひらいたと思ってみてください。
そして法華経を説いていると思ってみてください。
その法華経を説いている自分は、傍から見ると、先ほど悟ったと自分で言っているだけの唯の人です。誰にもわかりません。それでもまあ悟ったと思ってください。そこで、実は私はさっき悟ったのではなく、久遠のむかしに既に悟りを開いていたのです。唯、人に言わなかっただけなのです。と思ってください。さあ、どうですか。迹門といわれる法華経も実は、本門の仏様の教えではないですか。
434
:
苦悩乱者
:2003/08/25(月) 21:21
カンコさん
浅井さんがどんな指導をされているのか知りませんが、四無量について聞いたこと有りませんか。
正信会の御僧侶は、きちっと教えてくれますよ。
435
:
犀角独歩
:2003/08/26(火) 08:35
苦悩乱者さん:
pundarika のわたしとの議論は一問答にも及ばず、先送りにした割には元気に書き込んでおりますね。「風邪を引いたPCは直った」とお見受けします。向こうでお待ちしておりますが、いらっしゃらないので、こちらでひと言申し上げます。
> 私の基本…偽書、偽経……我見…迷わない道が無い
自分の都合の好いものであれば、偽書・偽経も問わず、それは迷わないでしょう。
しかし、それで他人と接して議論が成り立つはずはありません。所謂、「独り善がり」ということでしょう。我見というより、独善という批判を免れません。四依で言えば「依智不依識」が廃れます。
本因妙抄と御義口伝について、少し申します。
本因妙抄は蓮興尊に継承したとされる書、石山系になんの謂われがありますか。尊門の血脈譜を肯定するわけでしょうか。御義口伝は京都の古書から見出され、尊門の系譜がこれを奇貨とし、のちに石山にもたらされたものと聞きます。前書は時師写本を遺すと石山は主張するもののその信憑性を外に信じるものはおらず、後者に至っては元亀年間に石要合同で開版をなし、あたかも両山の相伝書の如き扱いですが、そんな手前味噌を信じるわけにはいきません。まして、元亀の開版は、石山が要山の影響下にあったことを語るばかりでしょう。
そもそも、熟読玩味すれば、すぐにわかることですが、本因妙抄と御義口伝はその教学的姿勢は異なっています。特に後者は就註法華經口傳と言われるのであって、蓮師が終生、持たれたいた『註法華経』に就いて解読する口伝である故にこの名があるのでしょう。しかし、学会版の御書全集はこの名を隠しています。さらに以下の文を削り取ってもいます。
「六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ。是併ら私に最要文を集めて読誦せしむる所なり。然る間法華諸要の文書き付け畢んぬ。此の意は或は文を陰して義を取り、或は義を隠して文を取り、或は文義共に顕はし、或は文義共に隠して講談するなり。
委しくは註法華経を拝見すべし。然りと雖も文義甚深の間、愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや}
ここにはっきりと「六老僧」の名が見えるのであって、故に興師唯受一人の口伝とする如き本因妙抄とはその姿勢を異にします。また、重要な点はここに「六老僧」の名が見えながら、この書の日付が「弘安元年戊寅正月一日」となっていることです。言うまでもなく、六老僧(本弟子六人)の選定は興師真筆を残す遷化録に明確です。すなわち、
「蓮華阿闍梨日持、伊予公日頂、佐渡公日向、白蓮阿日興、大国阿日朗、弁阿日昭。右六人者本弟子なり仍つて向後のために定る所件の如し。
弘安五年十月八日」
この4年も前に「六老僧」などと記せるはずもありません。
「さらに末文には「委しくは註法華経を拝見…此の註法華経に過ぎん」と言うのであって、御義口伝の如きは、註法華経に過ぎるものではないと明言されているわけです。
この部分のみ、後人の添加などと嘯けるものではありません。
この日付に関する疑義は本因妙抄にもあるのであって、この署名が「弘安五年太歳壬午十月十一日 日蓮花押」などというは、到底、不可能なことでしょう。
以上の事情を隠蔽し、あるいは知らず、引文する姿勢を、既にこの掲示板では何度となく、弾訶してきたわけです。まして、真跡に「久遠元初」なる語はただの一度も現れないばかりか、真偽未決書にすら現れない語であることは周知の事実です。これを恰も蓮師の言の如く扱う神経はわたしに理解できません。そして、この語が使われる書こそ、本因妙抄、語義口伝あることをわたしは注視しています。
もっとも偽書・偽経なんでもござれであれば、上述の如きは意味をなしません。
しかし、それは、ここ富士門流信徒の掲示板で真摯な議論を続ける人々と、ロム者に対する冒涜であるとわたしには思えます。
真面目なロムの方には以下の文書をお薦めします。
日蓮教学上に於ける御義口伝の地位
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_002.html
日興の著作と真偽論
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kaishu_004.html
> 正信会の御僧侶は、きちっと教えてくれます
所詮、依法不依人ではなかったのではないでしょうか。
436
:
犀角独歩
:2003/08/26(火) 08:40
−435の補−
本因妙抄に云う血脈譜は蓮興目尊とするもあり、また、また蓮目尊とするが上古に先行したと記憶しています。
いずれにせよ、蓮興目道時という石山の主張する血脈譜とは無縁のものです。
437
:
犀角独歩
:2003/08/26(火) 08:59
重ねて 苦悩乱者さん:
昨晩、pundarika にスレッドを立てていらっしゃいましたか。
これは失礼いたしました。この点を謹んで訂正し、お詫びいたします。
では、種脱相待(相対)、向こうでしっかりと議論いたしましょう。
pundarika
http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html
438
:
苦悩乱者
:2003/08/26(火) 10:48
犀角独歩さん
おひさしぶりです。
>pundarika のわたしとの議論は一問答にも及ばず、先送りにした割には元気に書き込んでおりますね。「風邪を引いたPCは直った」とお見受けします。向こうでお待ちしておりますが、いらっしゃらないので、こちらでひと言申し上げます。
私は、pundarikaの密室より、こちらが好きです。こちらでお話いたしましょう。又、種脱の事は、昨日pundarikaのスレッドに書き込みました。行き違いでしょう。
>独善という批判を免れません。四依で言えば「依智不依識」が廃れます。
独善とみられれば、甘受いたしましょう。
「依智不依識」については、ご教示ねがいます。
>「さらに末文には「委しくは註法華経を拝見…此の註法華経に過ぎん」と言うのであって、御義口伝の如きは、註法華経に過ぎるものではないと明言されているわけです。
この件に関しては聞き及んでおります。
私は、何れの「派」にも執して居りません。
>偽書・偽経なんでもござれであれば、上述の如きは意味をなしません。
偽書だ・偽経だと言い争っていても「らち」があかないのではないですか。
偽書であれ、偽経であれ、そこに人を「安らげる心」を観ればそれで良いと私は思っております。争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。
「法」に依るとはどういうことなのか、良く解るようにご教示ください。
「教主釈尊の出世の本懐は、仏の御振舞いにて候らいけるぞ、日蓮が出世の本懐は「南無妙法蓮華経」には過ぎず」という御文が有りますが(出典は忘れました)どのような意味なのか、ご教示ください。
独歩様は学識豊かな方とお見受けいたします。どうぞよろしくお願いいたします。
>所詮、依法不依人ではなかったのではないでしょうか。
「法」は自ら口を利きません。人を介してのみ口をききます。
これから17:00頃まで失礼します。
439
:
犀角独歩
:2003/08/26(火) 13:35
こちらで長く話をする気はありません。
1回だけ、残りは pundarika で、といたします。
> 私は、pundarikaの密室…
pundarika は別に密室ではありません。
茲より更に、厳粛に議論を進めているだけです。
> 「依智不依識」については、ご教示ねがいます。
金光玄義、法界次第、涅槃經疏、涅槃經南、隨自三昧などに出ております。
>> …御義口伝の如き…
> 私は、何れの「派」にも執して居りません。
派を問うているのではありません。相伝書は相伝に預かるもののみにその内容を有効とするものです。ですから、それ以外の者が引用したところで意味はなさない(是一)
また、不預の立場からすれば、その信憑性を問うのは当然のこと(是二)
以上、二重の意味で、相伝書を以て、論じるのであれば、その相伝に預かるか否か、その証憑性は是非を論じて、拠出するのが真面目な姿勢であるといっているのです。
> 偽書だ・偽経だと言い争っていても「らち」があかないのではないですか。
なぜでしょうか。もっとも大事なことです。
蓮師が言っていないことを蓮師が言ったように語るのでは嘘になります。
そのようにならない責任ある投稿をすべきであると言っているわけです。
> 偽書であれ、偽経であれ、そこに人を「安らげる心」を観ればそれで良いと私は思っております。争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。
安らぎがあるのは別段否定しませんが、それを真書として扱えば、虚偽を申し述べることになる、そのような無責任なことをいまだに平然としてのは富士門流ぐらいのものだ、恥ずかしいからやめようと、通年、申し述べてきたのです。
嘘でもなんでもいいのであれば、何もこのような議論の場で論じることもありません。
これは安らぎ云々とは同列に論じることではありません。
> 「法」に依るとはどういうことなのか、良く解るようにご教示ください。
依法不依人については、法界次第、涅槃經疏、涅槃經南にあります。ご自分でお調べください。
> 「教主釈尊の出世の本懐は、仏の御振舞いにて候らいけるぞ、日蓮が出世の本懐は「南無妙法蓮華経」には過ぎず」という御文が有りますが(出典は忘れました)どのような意味なのか、ご教示ください。
なんですか、このデタラメな記述は。
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」
です。まったくお話になりません。
人にものを尋ねるのであれば、もっと真面目に致すべきでしょう。
>> 所詮、依法不依人ではなかったのではないでしょうか。
> 「法」は自ら口を利きません。人を介してのみ口をききます。
何を根拠にこのような戯れ言を。
法が口を聞くはずはありません。人の口から出たものが法であるわけもありません。
智邈師の「言語道斷心行處滅」を思い合わすべきでしょう。
なお、申すまでもありませんが、法の四依を以て捌くのは、苦悩乱者さんがこれを以て挙げたからです。それを説明するわけでもなく、逆に問うというのは問答の常道に反します。
では、続きは pundarika にて。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html
440
:
苦悩乱者
:2003/08/26(火) 17:28
犀角独歩さん
メールの記録です。
(私)
> 2、種脱相対について私が知っているのは,真蹟遺文では「観心本尊抄」ですね。
(犀角独歩さん)
この書のどこに種脱相待がございますか。
五重相待はむしろ『開目抄』に説くところであり、内外は省きながらもその名目を覗か
せ、大小、権実、権迹、本迹の相違を考えられたものではありませんか。
『本尊抄』に「彼脱此種」というのは別抄に述べるところであって、五重相待義に含むべ
きものではないと拝します。
種脱相待とは“解釈”さればかりで、蓮師、興師ともにその考えは窺えないと存じます。
次に私が送らせて頂いた開目抄の抜粋(御書システム 興風談所発行)です。
菩薩心を発せる者の父なり」等云云。真言・華厳等の経々には種熟脱の三義名字す
ら猶なし。何に況や其の義をや。華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は、経は権
経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり、道鏡が王位に居
せんとせしがごとし。
宗々互ひに権を諍ふ。予此れをあらそわず。但経に任すべし。法華経の種に依り
て、天親菩薩は種子無上を立てたり。天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経
・大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師一人此の法門を得給えり。
・・・中略・・・・
(これは開目抄 下 学御上巻p.215 終から6行目あたりからです。)
手塚師による意訳開目抄(上、下)によれば,同p.204に,「天親菩薩はその著,法
華論の中で十無上という事を言っています。
・・中略・・即ち,1、種子無上,2、修行無上,3、増上力無上,4、了解無上,5、
清浄国土無上,6、脱無上7、教化衆生無上,8、成大菩提無上,9、涅槃無上,10、勝
妙力無上の十がそれであります。」とあります。
(そして犀角独歩さんの御返事です。)
> 手塚師…
この人の考えにわたしはまるで賛同いたしません。問題外です。
なお、『御書辞典』と記されていますが、これは何でしょうか?
創価学会教学部編とかいうパクリ回しあの稚拙な語彙と珍解説を載せる書を使用されての
ことですか。
わたしは、これほど醜悪な辞典はないと考えます。
この手をお調べになるのであれば、『織田佛教辞典』をお薦めします。
更に私の返事です。(>が私です)
> 残念ながら,私は漢文を読めません。
それでは、漢訳の経論は何もわかりませんね。
> 所謂,一文不通の荒凡夫という事です。
> 己心の仏性を信じるのみです。
これはただの言い訳にしか聞こえません。
わたしも最初から白文が読めたわけではありません。
読めるようにならざるを得なかったのです。
> 末法に入りぬれば,余経も法華経も詮なし,只,南無妙法蓮華経なり
> どの御書は忘れましたが,確か真蹟では無いと思います。
> 不正確ですみません。確認はしておきます。
蓮師の御書を自分の不勉強の言い訳に使ってはいけませんね。
> 寛道師を全く評価しないのであれば,お話になりません。
はて、依法不依人ではありませんでしたか。
真跡ではありませんが「強敵を伏して始めて力士をしる」です。
真跡ならば「智者に我が義やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべ
し」を挙げておきましょう。
1日も早く“風邪”が治ることをお祈り申し上げます。
こんな風に険悪な雰囲気なので、密室ではお断りします。
尚、開目抄の種脱相対の記述について、お答え願えれば幸いです。
もともと、種脱相対についてお話ししたかったのです。
最後に、諸経が教主釈尊の真説(真蹟ではありません)であるという証明は、三身即一身、一身即三身、この思想以外にそれを証明できる方法は無いのではないでしょうか。
再度、申し上げますが、私は公開された場所でしか、お話し合いは致しません。
441
:
苦悩乱者
:2003/08/26(火) 20:35
犀角独歩さん
更に以前のメール記録です。
>は私
>学会御書には,開目抄の真蹟は無いことになっているのですが
> 私の無智のいたすところでしょう。
(犀角独歩さん)
開目抄は、かつて身延にありましたが、大火で焼けてしまったために、いまはないとされ
ますね。
ご承知のように、ここに焼けた書の数は多く、しかし、それらを真跡無しと捨てること
は、通常はいたしませんでしょうね。
ただし、精査な写真技術が発達以前に、これを失したために、その流伝の段階でいくつの
瑕疵を残すところが、議論を分かつことになっておるのでしょう。
開目抄自体はまだ身延にあった頃にすでに断片に分かれていたと言うことでした。
数年前のことですが、開目抄の真跡を手に取り目の当たりに拝見したことがあります。
紙の質、墨痕ともに優美でした。宮崎師の鑑定も付されていましたが、では、「真跡か」
と問われれば、確証はありません。
> 日興要文となっていて,録内御書です。
(犀角独歩さん)
日興要文とは如何なる根拠によるものでしょうか。
古写本として伝わるのは、保田妙本寺蔵・我師本、本満寺・乾師本ですね。
興師本があるのでしょうか。未聞で驚き入っています。
442
:
愚鈍凡夫
:2003/08/26(火) 22:50
横レス失礼します。
学会版の御書全集には北山本門寺に日興師写本の「開目抄」があるとありますが・・・・。
何故未聞なのでしょうか?
443
:
愚鈍凡夫
:2003/08/26(火) 22:52
苦悩乱者さんへ
>>432
:に引用の
> 我が法華経も本迹和合して利益を無量にあらわす。・・・中略・・・内より論出きたればいっぽうの相扼も漁夫の恐れ有るべし、南無妙法蓮華経と御となえ、つつしむべし、つつしむべし、恐恐」 兵衛志殿御返事(学御p.1108)真蹟 京都本隆寺
ですが、確かに学会版によると「京都本隆寺」に真蹟があるようですが、日蓮宗ではこの遺文は偽書扱いになっていると思います。それに、録内・録外の何れにもない遺文です(それだけで偽書と判断するのは早計だと思いますが)。にもかかわらず真蹟としているのは、何か根拠があってのことでしょうか?
例えば、筆跡鑑定の結果真蹟であるとの結果が出たとか。
御書全集に詳しいようなので、ご存知ならば宜しくお願いします。
444
:
苦悩乱者
:2003/08/27(水) 10:03
愚鈍凡夫さん
お久しぶりです。
資料を送るせていただきます。
● 兵衛志殿御返事
1-248・24184・C0
《書名備考》 『本満寺録外』は「兵衛志御書」、『日諦目録』『高祖遺文録』は「与兵衛志書」、『縮刷遺文』『定本』『新定』『対照録』『真蹟集成』は「兵衛志殿御返事」である。
《系年》 「建治三年六月十八日」 『境妙庵目録』『日諦目録』『高祖遺文録』『縮刷遺文』『新定』は弘安四年六月十八日に系け、『定本』『対照録』は建治三年六月十八日に系ける。いま、花押を見るにバン字型であり弘安四年ではないことが明らかであり、『対照録』の文字鑑定を尊重して建治三年とする。
《対告》 「 兵衛志」 真蹟本状奥に、「兵衛志殿御返事」とある。
《真蹟蔵所》 真蹟一紙完、京都府本圀寺蔵
《解題》 真蹟一紙完、京都府本圀寺蔵。『本満寺録外』『高祖遺文録』等所収。
兵衛志が銭五貫文を供養した返状である。南無妙法蓮華経と一返唱えたことを伝える誠に短い書状である。「新池殿御消息」に「今一乗妙法蓮華経の御宝前に備へ奉りて、南無妙法蓮華経と只一遍唱えまいらせ候畢」とあるのと同意であろう。
御書システム (興風談所)からのコピーです。
445
:
苦悩乱者
:2003/08/27(水) 10:29
愚鈍凡夫さん
すみません。資料を間違えたようです。
同名の御書が他にあるので、
もう少しお待ちください。
446
:
苦悩乱者
:2003/08/27(水) 11:03
愚鈍凡夫さん
有りました。同名御書が七つ見つかりました。今度は間違い有りません。
兵衛志殿御返事
2-041・32264・C9
《書名備考》 本書宛所に「ひやうえの志殿御返事」とある。
《系年》 「弘安三年」 『日蓮聖人遺文講義』『定本』など弘安三年に系ける。内容に問題はあるが、従来の説を掲げておく。
《対告》 「 兵衛志(池上宗長)」 本書宛所に「ひやうえの志殿」とある。
《真蹟蔵所》
《解題》 『縮刷遺文』(続集)に収録。『縮刷遺文』ならびに『日蓮聖人遺文講義』では、真蹟の所在を京都本隆寺と記しているが、『定本』以降に刊行された諸本には存在を記していない。『真蹟集成』にも未収録である。
本書は兵衛志に対し、『法華経』の本迹・車の両輪・鳥の羽などを例にとって、二人の兄弟が力を合わせてこそ物事は為し得るのであると説いている。ただ文中に「二人同心して大御所・守殿・法華堂・八幡等つくりまいらせ給ならば法華経の御利生とをもわせ給ざるべき」との記述があって、これについては一考を要する。 番号405「八幡宮造営事」では、池上宗仲は八幡宮の「大ばんしやうをはづされた」と記されているし、何よりも宗祖は弘安三年の「諫暁八幡抄」において、八幡の捨国を記しているから、その再建を宗祖が肯定されているとも考えられず、少なくとも本書を弘安三年以降に系けることは難しいのではないだろうか。また鶴岡八幡宮の炎上は弘安三年十一月十四日だから、本書を同年に系けると、炎上前に再建について記していることになり、この点も矛盾しよう。また『遺文講義』は「今迄の御消息に於ては、親父と兄弟との不和が問題であったが、本書に於ては、兄弟の女房達の不和が問題となつて居る」と注意を促している。文献的には慎重に扱わなければならないが、本書には「八幡宮造営事」や、永仁3年(1295)7月29日の「鎌倉幕府政所裁許状」に見られる池上氏の職種(大工)に関連する記述があり、これらをトータルにとらえて検討すべき文書と言える。→『鎌倉遺文』25-125P:18878号、高木豊『日蓮とその門弟』、福島金治「信濃国太田荘と金沢北条氏」(『信濃』561号)。
御書システム 興風談所発行より
真蹟は無いもようです。
447
:
苦悩乱者
:2003/08/27(水) 11:47
犀角独歩さん
犀角独歩さんとのメールのやり取りの中で、犀角独歩さんの真蹟主義は破綻したと存じます。厳密にいえば、真蹟主義は全ての資料に対して「真蹟」を求めるもので有って、諸経典、止観、法華玄義、文句、等々、全てがその俎上に登るのではないでしょうか。当然、真蹟主義者はそれら全てを真蹟であることを証明してから、論を進めるべきだと考えます。
相手は私達のように法華を信じる人ばかりでは有りません。論に窮する事になりませんか。私の知る限りでは、久遠寺で二回、大石寺で二回の大火に見舞われております。多くの真蹟遺文が失われた事は犀角独歩さんも認めておられたではないですか。犀角独歩さんは漢籍をお読みになられるとの事、ご尊敬申し上げます。私はあるいは「祈り」の道を歩んできたのかも知れません。独歩様とのやり取りの中で、失礼がございました事などお詫び申し上げます。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
448
:
アネモネ
:2003/08/27(水) 14:28
苦悩乱者さん
横レスを失礼いたします。
非常に重要なテーマの議論を提示されていることと拝察いたします。
ただ一点、教義内容とは別に気になることがございまして、レスをさせて頂きます。
ここに掲載された独歩さんとの個人メールのやりとりというのは、独歩さんの承諾を得て転載されていらっしゃるものなのでしょうか?
もしも承諾を得ていないのならば、このような公の場に個人メールのやりとりを一方的に公開することは、あまり好ましい行為ではないように思われます。
内容は大変興味深いものですが、もしも無断転載であるならば、マナー違反ではないでしょうか。
お節介がましく、ぶしつけにお尋ねする失礼の点、お許し下さい。
尚、pundarikaに参加されており、スレッドも立てられていらっしゃいますが、管理者さんからの指示も出ましたので、スレッド提案の手続きをふまえて頂けないでしょうか。
あちらの掲示板は、手続き上、参加規制はありますが、ロム閲覧には規制はありませんので、苦悩乱者さんが懸念されるほどの密室議論ではありません。ぜひ、続けてご参加されますことをお待ちしております。
また、私からは「富士門信徒の掲示板の過去ログについては、どの程度お読みになられているのでしょうか」といった質問も投稿させて頂いております。
こちらの掲示板でのご返答でもけっこうです。今後の議論のうえでの参考までに、お答えを頂ければ幸いです。
細かいことを申し上げるようで恐縮です。横レス失礼いたしました。
どうぞ、議論をお続けください。
449
:
苦悩乱者
:2003/08/27(水) 15:59
アネモネさん
始めまして、苦悩乱者です。よろしくお願いいたします。
>個人メールのやりとりというのは、独歩さんの承諾を得て転載されていらっしゃるものなのでしょうか?
ルール違反でした。すみませんでした。
>447 独歩様とのやり取りの中で、失礼がございました事などお詫び申し上げます。
は、そのことも含めてのお詫びの言葉です。
唯、全体を通してお読みいただければ、お解りかと思いますが、「手塚師は問題外」と言う発言を始めとして、全体に私に対する言葉が乱暴に感じられ、独歩さんの直近のレスにも現れていますように、私に対する敵対心を感じるようになりました。まあ、売り言葉に買い言葉と言う処でしょうか。独歩さん自身の言葉ではありますが。
プンダリカのことですが、開目抄の出典については、論議しても、私には埒をあけられないので、出典に関しては論議できません。学会版御書と御書システムを前提にするしか、私には方法がありません。「種子無上」の文字を指し示しただけです。なお、私は独歩さんとのやりとりで非常に不愉快な思いを致しました。
>私からは「富士門信徒の掲示板の過去ログについては、どの程度お読みになられているのでしょうか」といった質問も投稿させて頂いております。
荒々というところです。私が申し上げたかった事は、大聖人様の法門には種脱相対がある。ということです。
最後に参考になる御書を紹介したいと思います。
減劫御書(学御p01465)と上野殿御返事(学御p.1545)です。
それでは。
450
:
ガンコ
:2003/08/27(水) 16:25
議論が錯綜しているようなので、発言を控えさせていただいておりましたが、もっとも基本的なところに戻って申し上げますと、わたくしなどは御相伝書を認める立場ではありますけれども、相手が認めないというのであれば使えないものだと観念しております。
今は底辺において、法華講対学会、あるいは法華講対顕正会、あるいは学会対顕正会の法論もどきが行なわれていますが、御書の使用範囲ということでは特に問題はないように思われます。ところが他山と法論をするとなると問題が起きてまいるわけです。まず、法論に先立っていろいろの取り決めが行なわれますが、その時に御書の使用範囲も決められます。そしてほぼ間違いなく、大石寺で当たり前に使っている御相伝書は使っちゃダメということになるようです。結局、その御書の正当性を証明できないのだから、どうしようもないわけです。
ただ、苦悩乱者さんのおっしゃりたいことはわかるような気がします。例えば、ちょっと前に紹介しましたが、わたくしの好きな御書に「信心強盛にして但余念無く南無妙法蓮華経と唱へ奉れば凡身即ち仏身なり」というのがありまして、残念なことにこれは本因妙抄の御文なのです。では、もう使えないのかといえばそうではないような気がします。
わたくしのつたない言葉で申しますれば、たとえ本因妙抄が偽書であってもそこに説かれていることが「絶対的真理」であれば捨てるべきにあらず、という考えです。
本門と迹門の相違についてしばらく考えをめぐらせていたのは、だいたいにおいて、皆さん「一切衆生悉有仏性」ということをおっしゃるわけですが、確かにこれば現代的にわりと受容されやすい意味内容をもっているわけですが、あくまでこれはいまだ迹門の範疇に過ぎないと思うのです。そして大聖人の真理観はまさしく本門こそ絶対的真理であるとされているように思うのです(あるいはさらに文底があるとするか)。ところが、これが案外にわかりにくい、現代的には受容しづらい、気がするわけです。
おそらく単純には「悉有仏性」を迹門の理とするならば、「悉皆成仏」を本門の理(あるいは事というべきか)とするのでしょう。
ここで問題となるのは、本当にそれが絶対の真理なのか? ということであり、すでに日蓮信仰を卒業してしまった人が必ず突いてくる点であろうと思います。
そうなると「凡身即仏身」もまったく同じ俎上にのってくるわけであり、大聖人は本仏なのか上行なのか凡夫なのか、そんなことを論じている場合ではなくなってくるような気がします。問題は本当に成仏できるのか否か、このことが虚妄であったならば議論の意味はない、最終的にはこの点まで視野に入れて論ずるべきだと考えます。
なんだか、じぶんで書いていて、うわあ〜これは無理だあ〜、って思っちゃってます。
451
:
犀角独歩
:2003/08/27(水) 16:54
アネモネさん:
有り難うございます。
愚鈍凡夫さん:
> 学会版の御書全集には北山本門寺に日興師写本の「開目抄」があるとありますが・・・・。
何故未聞なのでしょうか?
仰るとおり、亨師編による学会版御書全集ではたしかに「日興要文・北山本門寺」となっていますが、その後、川澄師編・昭和新訂でも、顕師編・平成新編でもこの点を先述したように改めており、いわば、「日興要文」を引っ込めた形になっているからです。
つまり、この北山蔵の信憑性が確認されたことを「未聞」とわたしは言ったのです。
逆に質問申し上げますが、「日興要文」が興師の筆であることは確証されたのでしょうか。
452
:
犀角独歩
:2003/08/27(水) 16:59
苦悩乱者さん:
さて、個人でやり取りしたメールを公開するばかりではなく、自分の都合の良いように切り文して公開することはまさにネチケット違反の極みであると断固、抗議いたします。本来であれば、この投稿の削除を求めるべきところですが、いったん出てしまったものを引っ込めて今さら遅いと言わざるを得ません。故に、切り文ではなく、全文を公開し、切り文との比較を皆さんにしていただくことにいたしましょう。
『苦悩乱者さんとの往復メール』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/kunoransha.html
いずれにしても、今回の議論は、そちらから申し出、さらにpundarikaに会員登録をし、なおさらにスレッドまで提案したものでした。それを「密室」云々と批判したうえでその議論を打ち切ること事態、常軌を逸しています。その言い訳のために当人の許可もなく、個人のやり取りを発表することもまた常軌を逸した行為です。
なお、わたしの「真跡主義が破綻した」云々などと言っています。こういう決めつけこそ、敵対心、険悪というのです。また、仮にそれが事実であっても「偽書・偽経なんでもござれ」という考えが破綻していないとは言えません。
言われる如く真跡の調査は、逐一、研究が進められるべきでしょう。
わたしは蓮師の考えを知るうえでは真跡主義によらざるを得ないという学問的な姿勢を遵守してるのに過ぎません。偽書・偽経なんでもござれでは議論の仕様がないからです。
なお、灌頂記が果たして、本当に智邈師の言に拠るのか、この点については、もちろん、わたしは慎重です。故に法華三大部なども「天台」とせず灌頂記としています。さらに湛然師の思想は、およそ灌頂が言うところの智邈説から論理の飛躍が見られ、わたしはこの点に大いに疑義を懐きますので、智邈・灌頂・湛然を一色単に語ることはしません。
あと、法華経を含む教典の真筆云々などという的外れな言いがかりをわたしにつけていますが、この掲示板をお読みいただければ、それらを後世の創作であるという立場をわたしが取っていることは一目瞭然のはずです。さらに漢訳者・鳩摩羅什にも疑義を向けてもいます。
> 全体に私に対する言葉が乱暴に感じられ
文章を切り文して、このような記述するのはやめていただきたいと思います。
乱暴、不愉快というのは当人の許可を取らずメールを平然と公開する如き態度にこそ言われるべきことです。
また、種脱相対の議論をしようというものが、その議論の結末を待たず、「種脱相対がある」と決めつけるような態度こそ、乱暴というものでしょう。
だいたい、手塚師をどう思うと、それはわたしの見解であって、この点について、とやかく言われる謂れも、また、手塚師への個人的な見解を公にされる謂われもありません。
453
:
愚鈍凡夫
:2003/08/27(水) 18:46
犀角独歩さん勘違いしていました。済みません。
苦悩乱者さんのレスが犀角独歩さん同意のもとであると勝手に判断してしまいました。
横レスする前に苦悩乱者さんに確認すべきだったと思います。
> その後、川澄師編・昭和新訂でも、顕師編・平成新編でもこの点を先述したように改めており、いわば、「日興要文」を引っ込めた形になっているからです。
このことを知りませんでした。申し訳御座いません。 m(__)m
454
:
犀角独歩
:2003/08/27(水) 19:36
愚鈍凡夫さん:
いえいえ、お詫びには及びません。
ご丁寧に有り難うございます。
455
:
苦悩乱者
:2003/08/28(木) 10:20
犀角独歩さん
私との往復メールの件確かに間違い有りません。
皆様にも読んでいただきたいと思います。
又、私からの、一方的なメール公開は改めてお詫び申し上げます。
今回の件については、私は議論というより、お話し合いを望んでいたのですが、いつしか法論(勝敗を決する)に思われていたのですね。私はすこしでも「何か」がわかるようになると良いなと思っているだけです。
開目抄に関しても、どうも独歩さんの持っておられる「開目抄」と私の持っている「開目抄」では内容が違う印象を持っています。そこで、プンダリカにスレッドを立てさせていただいたのです。開目抄の真偽を糾す目的では有りません。あくまでも、両開目抄の相違を確認する事が主眼でした。言葉が足らない為に誤解を生じたのかもしれません。其の点についてもお詫びいたします。
更に、再度申し上げます。プンダリカは会員制との事、私は誰でも参加できる方を選びます。横レス(この言葉もようやく意味が解るようになりました)大歓迎です。
456
:
犀角独歩
:2003/08/28(木) 10:42
苦悩乱者さん:
謝罪、承りました。
> 法論(勝敗を決する)に思われていた
まったく、そのようなことは考えていません。
> 開目抄の真偽を糾す目的では有りません
わたしも斯様な考えはありません。
> 私は誰でも参加できる方を選びます
どうぞ。何度も申し上げたとおり、原則的にわたしは当掲示板で記すべきことは記しましたので、こちらで議論をする気はありません。
上述の如きですので、以下、述べて、この投稿を終了します。
伝教大師は日本顕密の元祖、秀句に云く ̄他宗所依経雖有一分仏母義然但有愛闕厳義。天台法華宗具厳愛義。一切賢聖学無学及発菩提心者之父等云云。
真言・華厳等の経経には種熟脱の三義名字すら猶おなし。何に況んや其の義をや。華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり。種をしらざる脱なれば超高が位にのぼり、道鏡が王位に居せんとせしがごとし。宗々互いに権を諍う。予、此れをあらそわず。但経に任すべし。法華経の種に依て天親菩薩は種子無上を立てたり。天台の一念三千これなり。華厳経乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子、皆一念三千なり。天台智者大師一人、此の法門を得給えり(『昭和定本日蓮聖人遺文』)
この文をどうやら種脱相対の依文とする如くです。が、果たしてそうでしょうか。種脱相対とは、釈尊末法の蓮師(下種仏)・在世の釈尊(脱益仏)の相対を言う寛師説と見えます。また、石山における日蓮本仏論は二つの系譜があり、一つは蓮師が釈尊の久遠の師であるとするもの、そして、もう一つは蓮師こそ、久遠の釈尊であるとするものです。寛師の記述はどちらかというと後者に偏っていますが、現石山系教学圏にある集団では蓮師が釈尊の師である説に拠っていると映じます。この点で前者を支持する日蓮本仏論者は実は寛師説を否定した日蓮本仏論者なのですが、このことを当人達も気付いていない構造があります。
さて、上述の開目鈔に言うところは「天台智者大師一人、此の法門を得給えり」なのであって、そもそも蓮師と釈尊の相対にもなっていません。また、ここの教学的な姿勢は法華経と華厳・真言を比するもののであり、法華経・一念三千のみが種であるというのであって、いわゆる種脱相対の種と、字こそ同じであれ、意味するところはまったく違っています。
史実的には、引用される天台智邈師は華厳との相克はあれ、では「真言は」となるとこちらは最澄師に係ることになります。引用文では現れませんが、最澄師については「日蓮云く 日本に仏法わたりてすでに七百余年、但、伝教大師一人計り法華経をよめりと申すをば諸人これを用いず」とその師の意義を示しています。また、「新来真言家則泯筆受之相承 旧到華厳家則隠影響之軌模〔新来の真言家は則ち筆受之相承を泯し 旧到の華厳家は則ち影響之軌模を隠す〕」との一節から最澄師の弘法師批判の実際を引いて、加えて華厳に触れ、伝教(天台) 対 真言・華厳の優劣と論は進みます。ここで法華・一念三千=種の盗人と華厳・真言と言うのであり、ここでも天台と華厳・真言の対峙を述べるに留まっています。
さて、法華・一念三千=種とするこの既述が、どうして種(日蓮)脱(釈尊)相対の文章となり得るわけがあるでしょうか。また、引文の箇所は像法・天台/伝教の所談なのであって、末法・蓮師の身上に触れる段でもありません。
実際に末法・蓮師自身について、触れるのは、あとの「此に日蓮案じて云く 世すでに末代…権経に堕ちぬ。権経より小乗経に堕ちぬ。外道外典に堕ちぬ。結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり。日本国に此れをしれる者、但日蓮一人なり」と言う前後からでしょう。しかし、ここでも所謂種脱相対?なることをいうのではなく、当世の日本の状態が、権経に堕ちぬ(権実相対廃る)権経より小乗経に堕ちぬ(大小相対廃る)外道外典に堕ちぬ(内外相対廃る)という浅ましい状態にあることをただ蓮師一人が知ったというのです。ここから、ご自身の半生を述べ、法華・一念三千=種(実教)の顕彰を身業読誦から宣揚しようとするので、しかし、法華経の行者の名が示すとおり、五重相対で言えば権実相対の範疇から論及を越えません。ちなみにこれが種脱相対ともなれば、「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」などと尊門相承に現れるような明確な記述が求められましょうが、そのようなものは真跡遺文に窺うことはできません。
やや、後文まで触れましたが、苦悩乱者さんが示すところの開目鈔の引文中の「種」は種脱相対の種とは何等関係のないものであることは明確です。
以上、畢ります。
457
:
苦悩乱者
:2003/08/28(木) 10:56
450 カンコさん
なんかもう、すごく核心に迫って居られる様な気が致します。
458
:
ガンコ
:2003/08/28(木) 11:54
日蓮大聖人の御法門に種脱相対が説かれているかどうかといえば、説かれていると申し上げてよいかと思います。
申すまでもなく、観心本尊抄に「但し彼は脱、此は種なり。」とあるごとくです。
問題は、大石寺でたてるがごとくの勝劣・・・つまり、種勝脱劣を意味するか、もっとあからさまにいえば、下種の本仏と熟脱の迹仏といった明確なたてわけを仰せなのかどうか、これが議論の分かれ目であろうかと思います。
本因妙抄に「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり。」とありますが、これが確実な文証たりえれば話は早いんですけど・・・
もうひとつの問題は、開目抄における五重の相対ですが、肝心の種脱相対はどのように説かれているかといえば、苦悩乱者さんの云はく、「・・・真言・華厳等の経々には、種熟脱の三義、名字すら猶なし。・・・種をしらざる脱なれば・・・」 あれ? そ、そうでしたっけ?
これはちがうと思います。文意は明らかに権実相対をさしていると読めますから。つまり、真言・華厳等を法華経と対比しているわけですから、これを種脱相対としてしまうと、「彼は脱、此は種」の意味がちがってきちゃいます。本尊抄では在世の本門を脱、末法の初めを種としているのに、開目抄では真言・華厳等を脱、法華経を種としているように読めます。
大胆に読むならば、後年の「余経も法華経も詮無し」との仰せを含意せしめて、在世の本門すら「種をしらざる脱」に置換してしまう・・・まあ、大胆というよりアホウと言われそうですが、だいたいに文底読みというのはそういう芸が好きなのです。
「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底にしづめたり。」というのがいわゆる種脱相対の依文であろうかと思いますが、これもいろいろと問題の多い箇所です。もっとも御文に忠実な読み方は、前後の「華厳宗と真言宗との二宗は偸かに盗んで自宗の骨目とせり。」「善無畏三蔵・金剛智三蔵、天台の一念三千の義を盗みとって・・・華厳宗は澄観が時・・・天台の一念三千の法門を偸み入れたり」を拝せば明白で、やはり権実相対を仰せのように読めます。ところが寿量品文底大事には「文の底とは他門徒に於ては、平文面には様々の料簡を為すと雖も、聖人の御本懐に於ては全く知らざる者なり。」とあって、かくかくしかじか書かれているわけです。それはそれとして、なぜに平文面に相違があるのか? すなわち文底大事では「一念三千の法門は寿量品の文の底に秘して沈めたまへり」となっているのです。ちなみに顕正会版御書では「一念三千の法門は、但法華経の、本門寿量品の、文の底に秘してしづめたまへり。」となっています。
種脱相対を考える以前に、なんなんだ〜この不整合は? ってな気分になってしまいます。
459
:
ガンコ
:2003/08/28(木) 12:04
なんだか独歩さんのご所論とダブってしまって、まるでまねして書いたみたいで、そのわりには稚拙な文章で、まったくお恥ずかしいかぎりであります。
開目抄の要文というのは、開目抄のどの御文なのか、わかっているんでしょうか?
つまり、日興上人が御写しになられたというのであれば、あの長文の開目抄のどの部分をピックアップせられていらっしゃるか、その傾向から日興上人の法門理解ということがわかるのでは? また、いろいろと読み方で問題になっているところも、日興上人の写本を基準にするならば、説得力を増すのでは? それとも都合が悪いことが書かれている?
ご存知の方、よろしくお願い申し上げます。
460
:
ガンコ
:2003/08/28(木) 12:09
苦悩乱者さん
密室? あえて密室にこだわるならば彼の掲示板は全面ガラス張りの密室でしょうか。だって、わたくし、くまなく拝見してますもの。
461
:
ガンコ
:2003/08/28(木) 12:25
そ、それと、四無量でしたっけ?
そんなに大事の法門ではないのでは。だって大聖人もほとんどあげていらっしゃらないようですし。
ちなみに浅井からはいちども教わったことありません。だいたい戒定慧の三学を“難しくなるからやめておきましょう”といって説明しないんですから、知らないことだらけなんです、わたくし達は。
462
:
苦悩乱者
:2003/08/28(木) 13:10
犀角独歩さん
>456 拝読いたしました。
本当に有難うございました。
今後の研鑚の為の貴重なご教示とさせていただきます。私論ですが、確かにはっきりとは種脱相対を云われておらないのかも知れません。「いや相対だ」、「いや相対ではない」、どちらにしようかな、と言うところでしょうか?
開目抄(上)学御p203 11行目からの
「但し世間の疑ひといゐ、自心の疑ひと申し、いかでか天扶け給はざるらん。諸天等の守護神は仏前の御誓言あり。法華経の行者にはさる(猿)になりとも法華経の行者とがうして、早々に仏前の御誓言をとげんとこそをぼすべきに、其の義なきは我が身法華経の行者にあらざるか。此の疑は此の書の肝心、一期の大事なれば、処々にこれをかく上、疑を強くして答へをかまうべし。」(御書システム 興風談所より)と仰せの如くに、開目抄の真の目的は、五重の相対を論説するに有るのではないのでは無いか。と思っております。五重の相対を論説するのであれば、「五重相対抄」と題しておられたのではないか?と思って居ります。五重の相対は御書全般に渡って読み取るものと考えます。
これは、私論ですから、反論は読ませていただきますが、議論は極力避けさせていただきます。ご容赦をお願い致します。
重要な事は全体として、大聖人様の法門には「種脱相対」が存在するか否かと言うことであって、わたしは「存在する」という立場にあるということです。ここから先はいわゆる「相伝」の範疇に入る事なのだと思っているので、信じる者は、求めるもよし、信じないものは求めざるも良し、と言うところでしょうか。
なにか独善的と云われてしまいそうですが、もうこれ以上は仕方が無いことだと思っております。
独歩様、本当に有難うございました。
463
:
苦悩乱者
:2003/08/28(木) 13:26
458 カンコさん
>苦悩乱者さんの云はく、「・・・真言・華厳等の経々には、種熟脱の三義、名字すら猶なし。・・・種をしらざる脱なれば・・・」 あれ? そ、そうでしたっけ?
いや、これは開目抄の種脱を論じられた箇所と思う所を抜粋したものです。手塚師の「意訳開目抄」に、「種脱相対の教え」の章が「ここに最も重大な事は真言宗、華厳宗等の諸経には、種・塾・脱の・・・」で始まるので、其のへんであろうと(これは間違っていないと思います)思いまして。
464
:
苦悩乱者
:2003/08/28(木) 13:55
461 カンコさん
四無量のことですが、
いつも読誦する処の、「方便品第二」中頃に「如来知見、広大深遠、無量無碍、・・・」とあるところの、無量無碍の内の無量、省略されていますが、これが、四無量心、つまり 1、慈無量心、2、悲無量心、3、喜無量心、4、捨無量心、これを略すと、大慈大悲大喜大捨、更に略すと、慈悲喜捨となると教えていただきました。
人を慈しみ、人の悲(かなしみ)を自分の悲とし、ひとの喜(よろこび)を自分の喜とし、自分の手柄を自慢せず捨ててしまう。小乗と大乗では解釈が違っているようですが(大乗はより積極的)だいたいこんな事です。
465
:
ガンコ
:2003/08/28(木) 16:39
苦悩乱者さん
四無量心というのは方便品に説かれているのですか。毎日勤行しているけど、まったく気がつきませんでした。
法蓮抄に載っているようですが、文意をよくつかんでいません。
しかし、ネットで検索をかけると、なんだかオウム真理教あたりがよく使っているみたいですね。
466
:
苦悩乱者
:2003/08/28(木) 17:22
465 カンコさん
>なんだかオウム真理教あたりがよく使っているみたいですね。
そうですか、オウムはものすごい慈悲ですね。
>460 密室? あえて密室にこだわるならば彼の掲示板は全面ガラス張りの密室でしょうか。だって、わたくし、くまなく拝見してますもの。
私は、BBS初めてなので(これがBBSだってことも子供に聞いて初めて知ったのです。それからメールのことも無断で公開してはいけないなんて!)いやはや、子供にも怒られました。
それから、方便品のことですが、私は方便品の長行を読んでいます。無量無碍の経文は、如是本末究竟等までの短かい経の中間頃にあります。長行は世雄偈とも呼ばれ、そのあとに続く比丘偈はいちおう除外されているようです。
467
:
ガンコ
:2003/08/28(木) 17:46
>長行は世雄偈とも呼ばれ、そのあとに続く比丘偈はいちおう除外されているようです。
世雄偈があるということは聞いたことがありますが、比丘偈というのもあるんですか? まったく知りませんでした。知らないことばっかり。
そうすると、勤行はどのような形式なのですか? ものすご〜く時間がかかりそう。
468
:
苦悩乱者
:2003/08/28(木) 17:49
管理人様
いろいろ錯綜したこを書き込みましてすみませんでした。
私のハンドル・ネームに免じてお許し願いたいと思います。
何故富士門が(宗教全般か)分裂するのかを垣間見たような気がいたします。
やはり、下種だけで済ますべきなのでしょうか。
荒らし屋みたいなことをしてしまったのか?と、少し反省もしています。
川澄勲師の書き物に「大石寺の法門は大石寺自身も本当は解っていないのでは?との記述がありますが、その川澄師は最後には「川澄の教学」から「川澄の狂学」とまで、ののしられたと述懐しておられました。その川澄師の法門は「己心の法門」と呼ぶべきものだと、私は解しております。そして、大石寺は「心でも己心でも良い、それを捨てよ!」と言い切ったそうです。
以上、大変ご迷惑をおかけいたしました事、お詫び申し上げます。
又、苦情を呈する事も無く、書き込みをお許しいただいたこと、感謝いたします。
草々
今後は誰かの呼びかけに出来るだけ応じることに専念いたします。
469
:
苦悩乱者
:2003/08/28(木) 18:22
467 カンコさん
月水御書に、方便品の長行と寿量品の長行とご教示のように、
朝
天拝には
両長行共省略読誦後、引き題目、御観念文
その後
方便品の長行と寿量品の長行のあと唱題最低数珠玉一巡、親玉を超えないように送って(112返くらい)
その後、2、3、4、5座のご観念文です。
これでも省略型です。
夕は
天拝を省きます。(日有上人の時代には御宗門では朝夕の天拝があったようです)
しかし、これは私が会社勤めを止めたので、できるようになっただけです。
四信五品抄にご教示あるように、私はそれほどこだわらなくても良いと思います。
唯、方便品の長行は是非、時間があるときに読んで見てください。新しい発見があるかもしれません。
カンコさんが、なにか一番分かり合えるようなそんな気がします。
なにもかも一致しているなんて、考えるだけで恐ろしい事です。
あるご住職がその様に語ってくれました。
それから、夜はきちんと寝た方が良いのでは、と思います。
私も、結構眠れない日が続いたりしますが、そんな時は適当に遊びます。
それでは、お体をお大切に。
470
:
愚鈍凡夫
:2003/08/28(木) 18:30
横レス失礼します。
「在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」(「観心本尊抄」 昭定P715)
の文証が種脱相対の依文なのでしょうか。
これは、末法の衆生の初発心の機根と釈迦牟尼在世の衆生の仏道修行に於ける最終段階の機根が共に円機であるとの意味ではないでしょうか。
要するに、本已有善の衆生は一品二半(従地涌出品後半部、如来寿量品長行、分別功徳品前半部)の信解によって成道するが、本未有善の衆生は法華経の題目の信受によって成道するということではないですか。
従って、この文証は種熟脱の三益の上から衆生の機根を述べ、それぞれに応じた成道の法を示したものであるとの意味ではないですか。
決して種脱相対の意味ではないように思います。
むしろ、時機相応の修行ならば、行法は違っても共に成道するとの意味と解釈します。
471
:
ガンコ
:2003/08/28(木) 18:41
>それでは、お体をお大切に。
まるでお別れみたいじゃないですか。もっと教えてください。
>方便品の長行と寿量品の長行のあと唱題最低数珠玉一巡、親玉を超えないように送って(112返くらい)
親玉を超えないとはどういう意味でしょうか? あんまり長く唱えてはいけないってこと?
472
:
ガンコ
:2003/08/28(木) 19:02
あっ、愚鈍凡夫さん、どうもです。
ええ、ええ、おっしゃるとおりです。だいたい、そういうことを想定して書いたつもりだったんです。
もう、種脱相対といえば、大聖人の勝・釈尊の劣ってことを意味してしまうと思われちゃうけど、そこまではわたくし申してませんです。(ほんとは言いたい)
ちょっと前の過去レスにも書きましたが、一同に純円である以上、勝劣はないとの意味を申しました。また、所説の法門の相違をもって、能説の教主の相違を示されたものと拝すると書きましたが、常住此説法の意味から教主はあくまで一人であろうから、そうすると大聖人を教主とは呼べないかもしれない、というようなことも書きました。
つまり、現状では御書の字面どおり、大聖人御みずから種と脱を対比せられていることを申し上げたまでのことです。
473
:
愚鈍凡夫
:2003/08/28(木) 21:01
訂正
> 従って、この文証は種熟脱の三益の上から衆生の機根を述べ、それぞれに応じた成道の法を示したものであるとの意味ではないですか
変な日本語ですね。
従って、この文証は種熟脱の三益の上から衆生の機根を述べ、それぞれに応じた成道の法を示したものではないでしょうか。
こっちに変えます。
ガンコさんレス有り難うございます。
何やら、苦悩乱者と2人で種脱相対肯定論に持ち込もうとしているように感じたものですから。
種脱相対が蓮祖の法門であると仰るのは構わないと思います。しかし、それならそれである程度の説明責任が生ずるように思うのです。
悪しからず。 m(__)m
474
:
愚鈍凡夫
:2003/08/28(木) 21:05
再び訂正です。
>何やら、苦悩乱者と2人で
ではなく、
何やら、苦悩乱者さんと2人で
です。
再び、悪しからず。 m(__)m
475
:
アネモネ
:2003/08/29(金) 01:09
苦悩乱者さん
またもや横レス失礼いたします。
>449
レスありがとうございます。
私も含めて誰しも感情的になってしまうと、冷静な振る舞いが出来なくなってしまうものですね。しかしそうなってしまっては、せっかく記述されている仏の教えも、語るに落ちてしまいかねません。私などが、生意気を申し上げましたが、どうぞこれからは留意なされますように。
>唯、全体を通してお読みいただければ、お解りかと思いますが、「手塚師は問題外」と言う発言を始めとして、全体に私に対する言葉が乱暴に感じられ、独歩さんの直近のレスにも現れていますように、私に対する敵対心を感じるようになりました。
具体的な記述内容につきましては、私には深い見識もなく、見解はまるで述べられませんが、ただ拝見させて頂いた全体の感じとしましては、別段、独歩さんが苦悩乱者さんに敵対心をあらわにしているという印象は受けず、むしろ公の場のレスも個人宛のレスも、変わりない論調と姿勢なのだという印象を受けたくらいです。
しかしまあ、感じ方は人それぞれで、苦悩乱者さんにとっては、違った受け止められ方をされたものなのでしょう。またそう思わざるを得ない、大きなこだわりのようなものもあおりだったと拝察いたします。
>まあ、売り言葉に買い言葉と言う処でしょうか。独歩さん自身の言葉ではありますが。
いささか個人的なことになるかもしれませんが、私も、過去2〜3回、独歩さんとは意見が衝突したことがありました。
私はもとより自己主張が強く、またおいそれとは自説を曲げませんし、一方の独歩さんは、歯に衣着せぬ単刀直入なレスをされますから、そのまま見解の相違がぶつかってしまったことが幾度かありました。
しかし、そのようなぶつかり合いをしながらも、この掲示板で長く議論に参加させて頂きながら、独歩さんが単刀直入に示す言葉のひとつひとつは、昨日今日の教義研鑚で導き出されたものではないということが、次第にわかってきたものです。
そのことが理解できるようになってからは、独歩さんの痛烈なレスも、私なりに真摯に耳を傾けられるようにもなりました。少し冷静に考え直してみると、非常に納得のいくことが多く、今となっては、学ばせてもらったことはたくさんあります。
まあ、そんなことで、せっかくのご参加なのですから、どうぞ苦悩乱者さんも気を取り直して、できれば過去ログを少しずつでも、じっくり読みながら結論を急がす、多くの対話を重ねて、これからも議論に取り組んでみられてください。
476
:
アネモネ
:2003/08/29(金) 01:10
(つづき)
それから、偽書か真蹟かという議論について、少し。
長く、日蓮聖人の書として読み親しみ、また深く感涙してきた御文が、偽書の可能性ありと言われたところで、俄に自分の中に受け入れ難い気持ちは私なりにもよくわかります。
しかし、この問題、非常に重要なことだと思います。
私はここに参加されている方々ほど、御書を精読してきたわけではないので、たいして説得力を持たないかもしれませんが、以前、この偽書問題における独歩さんのレスのなかで、私が意識改革に至るうえで、非常に納得させられた文章があり、検索でみつけましたので、ここに紹介させて頂きます。
「富士大石寺の歴史について」の以下過去ログにおける、>128のレスです。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/rekisi.htm
該当する独歩さんのレスを、以下転載しておきます。
「平和呆けした我々からすれば『仏教は平和主義』などと何の躊躇いもなく答えるのですが、日本はオウム真理教の出現を待つまでもなく、仏教テロリズムの国家であり、各寺院は武装し、僧侶は僧兵となって軍勢をかね、自分たちの都合に遭わない寺院・本尊は焼き落し、不利な資料は簒奪して破り捨て、さらには偽書を捏造しては己が正統性を主張して憚らない謀略が罷り通った国であった、このような視点を失うと、すべてを見間違う点を私はつくづく最近、感じるのです。」
私は、この一文で、偽書問題の歴史的な根深さを理解するようになったんですね。
現在、私は富士門の信仰からは距離を置いて、そして広く日本の仏教に関する書物などにも時折目を通してきましたが、独歩さんが記された文面通りの史実が横たわっていたことを、改めて認識してきたものです。また大石寺といえども、その例外ではなさそうです。
>争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。
争いを避ける…一見平和的な言葉に思われますが、実際に避けているのは「争い」ではなくて、「真実」かもしれません。矛盾に目を背ければ、当然、真実を遠避けてしまうことになるでしょう。結局は、現状にただ妥協しているだけということも有り得ますね。
重ねて、生意気なことを申し上げ失礼いたしました。
こちらの掲示板で議論をお続けになりながら、またいつでもpundarikaにご参加ください。お待ちしております。
477
:
犀角独歩
:2003/08/29(金) 13:14
昨日で投稿は終わらせようと思ったのですが、いくつかのレスをいただき、それぞれに気になるところもありますので、少しだけ失礼します。
まずはアネモネさん:
かつて「意見が衝突した」ことがありましたお相手に、自分のことをご説明いただき、こそばゆい思いです。
有り難うございました。
愚鈍凡夫さん:
ガンコさん:
苦悩乱者さん:
470のご投稿、仰るようだと思います。
以下、たぶん、愚鈍凡夫さんには特にご賛同いただける点ではないのかと思います。
どうも、所謂、下種教学が固定観念化してしまうと真跡本文が素直に読めなくなる障害が起きるものだと愚鈍凡夫さんも観察されておられるでしょうね。
いつも思うのですが、本当に皆、ちゃんと本文を読んでいるのだろうかと。
種脱観は、もっともその典型であると思うわけです。
蓮師が言う種というのは、一念三千です。権大乗では久遠実成が記されていないので、真の下種の意味が現れていない、それが蓮師の言う下種の意味ですね。それで、下種の正体は一念三千、下ろされたのは(地涌の菩薩)後に他の結縁衆であるとし、自分は法華経の行者か、日本国衆生の親であり得るかと自身を論じていくのが開目鈔の規模でしょう。
そこから、この下種は久遠実成の仏様が菩薩にされたものであるという点を重視されているわけです。ですから、
つまり、久遠に脱益した仏が一念三千を衆生に下種した。
脱とは仏、種一念三千、下した先は結縁衆。
故に本尊鈔に「彼(仏)脱・此(菩薩)種」という関係を述べているわけでしょう。
これはしかし、もちろん、相対論ではありません。脱(仏):種(一念三千)係です。この二つを相対したら(わたしは人法一箇論にはもちろん否定の立場ですが)人法一箇が崩れます。
そもそも開目鈔における展開が、本尊鈔の語句を待って完結するなどと言うのはなんともはや、よくぞ考えたこじつけであると思うわけです。この点はしかし、批判して言うのではなく、富士門で当然のように言われてきたこの常識を「当然のこととして刷り込まれている」のだと指摘したいわけです。しかし、実際の本文はそうはなっていません。
開目鈔では、一貫して法華経の一念三千という種と下ろされる菩薩衆生を説明するのであって、その意味でその種が、なんでひっくり返って仏などと言われるのか、本文をしっかり読めば読むほど、よくもまあ、こんなことが思いつくものだと呆れもします。
もちろん、その理由ははっきりとわかります。『秘密荘厳論』に
「一念三千即自受用身、自受用身とは出尊形の仏なり」
からの連想でしょう。種は一念三千、その一念三千は自受用身で仏であるという連想ゲームです。ちなみに、出尊形仏を「示同凡夫」であるとする記述は、富要で見る限りでは、教師、我師、寛師の順番になっています。これまた、日蓮本仏論創作のあの時代の出来事でした。この頃に種は人法にわたる仏と相成って、今に至るのでしょう。蓮師の真跡にまったく現れない、中世教学と限りなく偽書と考えられる真偽未決書、相伝書で塗り固められ、わたしが捏造教学と呼ぶものです。
なお、相対などといいますが、この点もどうも短絡であると見えます。それは、蓮師は湛然師の言を挙げて儒について
「妙楽大師云く ̄仏教流化実頼於茲。礼楽前駆真道後啓〔仏教の流化、実に茲に頼る。礼楽前きに駆せて真道後に啓く〕
といい儒道を仏教宣布の道を整えるためのものであったととらえ、また外道についても、
「外道の所詮は内道に入る、即ち最要なり」
というも、およそ相(あい)対する概念とはなっていません。相対というより、むしろ灌頂記の如く相待というべきであると見えます。また、儒から数えれば、六重となるでしょうし、もし本当に種脱を入れるのであれば、七重とすべきでしょう。台学の装いから五重と整理したかったのが日蓮門下であったのかと想像しています。
さて、この記述をご理解いただくためには、富士門教学の常識を、いったん捨てて、読み物を読むように頭から虚心坦懐に開目鈔を読んでみることです。この書が書かれたときにはもちろんのこと、相伝書はありませんでした。なかった時点の読者に徹してみると、文意はストレートに心に飛び込んでくることでしょう。かつてわたしが心がけた仏教再考、蓮師教学再考のアプローチの有様です。
478
:
苦悩乱者
:2003/08/29(金) 14:54
471 カンコさん
当家三依抄 の最後に書かれています。
「・・・前略・・・此くの如き三宝を一心に之を念じて、『唯』まさに南無妙法蓮華経と称(とな)え、乃(すなわ)ち一子(いちご)を過すべし云々。行者謹んで次第を超過するなかれ、勢至経の如くんば妄語の罪に因(よ)って当(まさ)に地獄に堕つべし、亦復(またまた)母殊を超ゆることなかれ・・・」
「勢至経」を探して読んでみます。日にちがかかるかも知れません。
それと、なにか、「唯まさに南無妙法蓮華経と称(とな)え、乃(すなわ)ち一子(いちご)を過すべし」この「ご教示」は「生死一大事血脈抄」や「上野殿御返事 学御p1545」のご教示にそっくりですね。「『担』南無妙法蓮華経なるべし。上野殿御返事」、「異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の『所詮』是なり・・生死一大事血脈抄」
解らないのに色々と議論するより「担南無妙法蓮華経」と信心無二に唱えなさい、と言われているような、そんな気が・・・。四無量心を磨きなさいと。
479
:
苦悩乱者
:2003/08/29(金) 15:05
477 犀角独歩さん
>(わたしは人法一箇論にはもちろん否定の立場ですが)
実は私もそうなんです。否定ではなく、まだ懐疑的の段階ですが、独歩さんのおっしゃるとおりだと思うんです。この事は私の先生と論議すると、たぶんおかしなことになってしまうでしょうけれど。富士の教義はやはり理解不能になりやすいです。
480
:
苦悩乱者
:2003/08/29(金) 15:13
475 476 アネモネさん
ご忠告有難うございます。
自分で言うのもなんですが、わたしは、非常に敏感なのです。過剰なくらいに。
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