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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
476
:
アネモネ
:2003/08/29(金) 01:10
(つづき)
それから、偽書か真蹟かという議論について、少し。
長く、日蓮聖人の書として読み親しみ、また深く感涙してきた御文が、偽書の可能性ありと言われたところで、俄に自分の中に受け入れ難い気持ちは私なりにもよくわかります。
しかし、この問題、非常に重要なことだと思います。
私はここに参加されている方々ほど、御書を精読してきたわけではないので、たいして説得力を持たないかもしれませんが、以前、この偽書問題における独歩さんのレスのなかで、私が意識改革に至るうえで、非常に納得させられた文章があり、検索でみつけましたので、ここに紹介させて頂きます。
「富士大石寺の歴史について」の以下過去ログにおける、>128のレスです。
http://fujimonshinto.hp.infoseek.co.jp/keijiban/rekisi.htm
該当する独歩さんのレスを、以下転載しておきます。
「平和呆けした我々からすれば『仏教は平和主義』などと何の躊躇いもなく答えるのですが、日本はオウム真理教の出現を待つまでもなく、仏教テロリズムの国家であり、各寺院は武装し、僧侶は僧兵となって軍勢をかね、自分たちの都合に遭わない寺院・本尊は焼き落し、不利な資料は簒奪して破り捨て、さらには偽書を捏造しては己が正統性を主張して憚らない謀略が罷り通った国であった、このような視点を失うと、すべてを見間違う点を私はつくづく最近、感じるのです。」
私は、この一文で、偽書問題の歴史的な根深さを理解するようになったんですね。
現在、私は富士門の信仰からは距離を置いて、そして広く日本の仏教に関する書物などにも時折目を通してきましたが、独歩さんが記された文面通りの史実が横たわっていたことを、改めて認識してきたものです。また大石寺といえども、その例外ではなさそうです。
>争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。
争いを避ける…一見平和的な言葉に思われますが、実際に避けているのは「争い」ではなくて、「真実」かもしれません。矛盾に目を背ければ、当然、真実を遠避けてしまうことになるでしょう。結局は、現状にただ妥協しているだけということも有り得ますね。
重ねて、生意気なことを申し上げ失礼いたしました。
こちらの掲示板で議論をお続けになりながら、またいつでもpundarikaにご参加ください。お待ちしております。
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