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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
470
:
愚鈍凡夫
:2003/08/28(木) 18:30
横レス失礼します。
「在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」(「観心本尊抄」 昭定P715)
の文証が種脱相対の依文なのでしょうか。
これは、末法の衆生の初発心の機根と釈迦牟尼在世の衆生の仏道修行に於ける最終段階の機根が共に円機であるとの意味ではないでしょうか。
要するに、本已有善の衆生は一品二半(従地涌出品後半部、如来寿量品長行、分別功徳品前半部)の信解によって成道するが、本未有善の衆生は法華経の題目の信受によって成道するということではないですか。
従って、この文証は種熟脱の三益の上から衆生の機根を述べ、それぞれに応じた成道の法を示したものであるとの意味ではないですか。
決して種脱相対の意味ではないように思います。
むしろ、時機相応の修行ならば、行法は違っても共に成道するとの意味と解釈します。
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