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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について
439
:
犀角独歩
:2003/08/26(火) 13:35
こちらで長く話をする気はありません。
1回だけ、残りは pundarika で、といたします。
> 私は、pundarikaの密室…
pundarika は別に密室ではありません。
茲より更に、厳粛に議論を進めているだけです。
> 「依智不依識」については、ご教示ねがいます。
金光玄義、法界次第、涅槃經疏、涅槃經南、隨自三昧などに出ております。
>> …御義口伝の如き…
> 私は、何れの「派」にも執して居りません。
派を問うているのではありません。相伝書は相伝に預かるもののみにその内容を有効とするものです。ですから、それ以外の者が引用したところで意味はなさない(是一)
また、不預の立場からすれば、その信憑性を問うのは当然のこと(是二)
以上、二重の意味で、相伝書を以て、論じるのであれば、その相伝に預かるか否か、その証憑性は是非を論じて、拠出するのが真面目な姿勢であるといっているのです。
> 偽書だ・偽経だと言い争っていても「らち」があかないのではないですか。
なぜでしょうか。もっとも大事なことです。
蓮師が言っていないことを蓮師が言ったように語るのでは嘘になります。
そのようにならない責任ある投稿をすべきであると言っているわけです。
> 偽書であれ、偽経であれ、そこに人を「安らげる心」を観ればそれで良いと私は思っております。争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。
安らぎがあるのは別段否定しませんが、それを真書として扱えば、虚偽を申し述べることになる、そのような無責任なことをいまだに平然としてのは富士門流ぐらいのものだ、恥ずかしいからやめようと、通年、申し述べてきたのです。
嘘でもなんでもいいのであれば、何もこのような議論の場で論じることもありません。
これは安らぎ云々とは同列に論じることではありません。
> 「法」に依るとはどういうことなのか、良く解るようにご教示ください。
依法不依人については、法界次第、涅槃經疏、涅槃經南にあります。ご自分でお調べください。
> 「教主釈尊の出世の本懐は、仏の御振舞いにて候らいけるぞ、日蓮が出世の本懐は「南無妙法蓮華経」には過ぎず」という御文が有りますが(出典は忘れました)どのような意味なのか、ご教示ください。
なんですか、このデタラメな記述は。
「一代の肝心は法華経、法華経の修行の肝心は不軽品にて候なり。不軽菩薩の人を敬ひしはいかなる事ぞ。教主釈尊の出世の本懐は人の振る舞ひにて候けるぞ。穴賢穴賢。賢きを人と云ひ、はかなきを畜という」
です。まったくお話になりません。
人にものを尋ねるのであれば、もっと真面目に致すべきでしょう。
>> 所詮、依法不依人ではなかったのではないでしょうか。
> 「法」は自ら口を利きません。人を介してのみ口をききます。
何を根拠にこのような戯れ言を。
法が口を聞くはずはありません。人の口から出たものが法であるわけもありません。
智邈師の「言語道斷心行處滅」を思い合わすべきでしょう。
なお、申すまでもありませんが、法の四依を以て捌くのは、苦悩乱者さんがこれを以て挙げたからです。それを説明するわけでもなく、逆に問うというのは問答の常道に反します。
では、続きは pundarika にて。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html
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