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『日蓮大聖人が御本仏である』という教義について

438苦悩乱者:2003/08/26(火) 10:48

犀角独歩さん

おひさしぶりです。

>pundarika のわたしとの議論は一問答にも及ばず、先送りにした割には元気に書き込んでおりますね。「風邪を引いたPCは直った」とお見受けします。向こうでお待ちしておりますが、いらっしゃらないので、こちらでひと言申し上げます。

私は、pundarikaの密室より、こちらが好きです。こちらでお話いたしましょう。又、種脱の事は、昨日pundarikaのスレッドに書き込みました。行き違いでしょう。

>独善という批判を免れません。四依で言えば「依智不依識」が廃れます。

独善とみられれば、甘受いたしましょう。
「依智不依識」については、ご教示ねがいます。

>「さらに末文には「委しくは註法華経を拝見…此の註法華経に過ぎん」と言うのであって、御義口伝の如きは、註法華経に過ぎるものではないと明言されているわけです。

この件に関しては聞き及んでおります。
私は、何れの「派」にも執して居りません。

>偽書・偽経なんでもござれであれば、上述の如きは意味をなしません。

偽書だ・偽経だと言い争っていても「らち」があかないのではないですか。
偽書であれ、偽経であれ、そこに人を「安らげる心」を観ればそれで良いと私は思っております。争いは避けるべきと言うのが私のスタンスです。時には矛盾も生じるかもしれませんが。

「法」に依るとはどういうことなのか、良く解るようにご教示ください。
「教主釈尊の出世の本懐は、仏の御振舞いにて候らいけるぞ、日蓮が出世の本懐は「南無妙法蓮華経」には過ぎず」という御文が有りますが(出典は忘れました)どのような意味なのか、ご教示ください。

独歩様は学識豊かな方とお見受けいたします。どうぞよろしくお願いいたします。

>所詮、依法不依人ではなかったのではないでしょうか。
「法」は自ら口を利きません。人を介してのみ口をききます。

これから17:00頃まで失礼します。


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