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素朴な疑問
1
:
管理者
:2002/02/20(水) 13:44
1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47
スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。
>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・
3364
:
マハー
:2007/06/13(水) 21:35:46
>>3356
独歩さん
>パンナコッタさんに何ら間違いがあるとは、わたしは思いません。
そうですね。確かに書き下し文としては間違いではないでしょう。
「大経ニ刀杖ヲ執持シ、乃至首ヲ斬レ トイウハ是レ折ノ義」ですからね、
これは明治の小川孝栄氏の訳もこうなっています。
それでは、整理する為に当該部分の創価学会の英訳を記載しましょう。
But when the Nirvana Sutra says that one should carry swords and staves or that one should cut off their heads, it is referring to the shakubuku method.
ここでは、乃至を、OR と訳しています。
「OR」は、「あるいは、または、」ですね。文節省略の意は消えますね。
折伏の義をその宗教団体がどのように教示していくかの是非は後廻しにしても、
止観の「大経執持刀仗乃至斬首是折義」の乃至を「あるいは」「OR」に読むのはおかしいでしょうと、私は言っているのです。
「あるいは首を斬れ」であれば、「乃至斬首」の文字を涅槃経に見つけなければなりませんが、これはないわけです。
>なお、この引用は『金剛身品第五』の「執持刀杖」文、乃至『四相品第七』の
>「斬首」までではないでしょうか。
日蓮は北本の方の引用が主ではないかと思っていましたがどうでしょうか?
であれば、「金剛身品第二」でしょう。ですが、北本、南本 当該部分はほとんど変わりないと思いました。
それよりも、独歩さんは、私が示した、「乃至」は、「範囲を示す省略」の文意であるとの意見に賛同してくださっていると思っていいのでしょうか?
>また「衆生調伏」について、あとのほうに出るというのは、間違いではないでしょうか
これは間違いではありません。
於一念処起一切念処調伏衆生。(何故か旧字が出ないので変換しています。→処)
そして、これは、前段の 本有解脱摂一切法 と摂との対比で述べられていますので、私はあながち飛躍しているとは思っておりません。
それから、止観に10巻の(下)はありませんので、後世に託されたのかもしれませんし、序品に戻るのかもしれませんが、これは私にはわかりません。
>後者の折は正法護持には違いありませんが、その折を斬首とした止観の文です。
斬首とした止観の文ではなくて、斬首まで、とした止観の文と思います。
そして後文で、衆生の法性の本有を摂と伏とで説明していくのだと思います。
(もっとも残念ながら、この「諸見十乗止観修」に限らず、この難解すぎて止観を説明することは私には出来ませんが…。)
>斬首断命という手段をも、その手段の内であるという点で「ポア」と一脈を通じると論
>じたわけです。
そうですか。
私が「ポア」と結ぶのは誤解を招くと言ったのは、「ポア」は中間に対する言葉とされているからです。
>涅槃・法華経のレトリックについて
涅槃経=折、法華経=摂、が、いつのまにか、法華経=折、涅槃経=摂 に展開されるレトリックがあるように思えますが、日蓮は、法華経=摂を、更に「折」と「摂」を分けているのではないかと・・・
3365
:
マターリ
:2007/06/13(水) 22:52:58
>犀角独歩さん、レスありがとうございます。
>日興が造立した重須談所には、本地垂迹堂やら、八幡社がありました。
そうでしたか。氏神様だけは、参拝しても良いということでしょうか?
また、日量の『大石寺明細誌』、日有の『化儀抄』の文献を提示していただ
きまして、ありがとうございます。
ところで日蓮聖人は、富木殿御返事で次のように言っています。↓
天の加護を蒙らざるは、一には諸天善神此の国を去る故か。
ということは、諸天善神は、日本の神社を去ってしまっている、ということ
ではないでしょうか?
この曼荼羅を身にたもちぬれば、王を武士のまほるがごとく、子をおやの
愛するがごとく、魚の水をたのむがごとく、草木の雨をねがうがごとく、
鳥の木をたのむがごとく、一切の仏神等のあつまりまほり、昼夜にかげのご
とくまほらせ給う法にて候。
(妙心尼御前御返事)
神仏は、曼荼羅にこそ、集まって来るということでは、ないでしょうか?
>すなわち、「祈りとして叶わざるなく」とは、日寛の言に拠れば弘安二年
の本門戒壇の御本尊を信じて、南無妙法蓮華経と唱えるという要件を満たす
ことによって成就するというのが、その意味です。
ところで、日蓮聖人の、曼荼羅についての言葉は↓
日蓮が魂を墨にそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え・・・・・
あひかまえて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給え、何事か成就せざる
べき、「充満其願・如清涼地・現世安穏・後生善処」疑いなからん。
(経王殿御返事)
これからすると、この御書において、全ての祈りが叶う御本尊とは、弘安二
年の本門戒壇の御本尊ではなく、経王殿に与えられた御本尊ということにな
るかと思います。
大石寺の彫刻御本尊ですが、「日蓮聖人の御真筆」という考え方より、家にあ
る御本尊の「本家の御本尊」と考えていました。私にとっては、御真筆でなく
ても別に問題ではありません。
何しろ何百年か前の、巨大な木彫りの御本尊様、ということですので、それ
だけで畏敬の念を生ずると思います。
インターネットの真筆画像を拝見しましたが、第1御本尊から第123御本尊
まで、たくさんの真筆がありますね。
しかしインターネットの画像では解像度が低く、プリントしても、細かい
文字が出ないと思います。
私個人としては、日寛上人の御本尊様を拝んでいきたいと思っています。
3366
:
マターリ
:2007/06/13(水) 23:17:30
>犀角独歩さん、たびたびすみません。m(__)m ここのところ体調が悪く
明日は病院へ行くことになっています。入院ではありませんが、2〜3日
自宅療養ということになり、PCが打てなくなると思います。
レスが多少、遅くなるかと思いますが、必ずご返事致しますので、お待ち
願いたく、宜しくお願い致します。
3367
:
天蓋真鏡
:2007/06/14(木) 00:11:09
犀角独歩さん、レスありがとうございます。 立正安国論は諫暁であり経典の説明であり具体的な計画予定表ではありません。像法の時代であっても末法の様相を呈している事を日蓮の宗教学の背景か゛わかるかもしれません。 自分は法華一乗が日蓮のテーマだと事ある毎に書きました。掲示板でないですけど。私の言う選択肢とは学問のルート人生の縁の事です。 挙証主義は大事ですが 日蓮が云うように 言葉文字では意を尽くさない場合があるでしょう。此の掲示板に書いたか忘れましたが、武士の世に習い勢いで誤解を省みず若気の至りで物騒な物言いを書いてしまった事があるのて゛は無いかと想います。 私のはパター ン分けでは無くてメ モの整理整頓。
3368
:
犀角独歩
:2007/06/14(木) 07:37:06
3364 マハーさん
> 乃至を「あるいは」「OR」に読むのはおかしい
> 乃至」は、「範囲を示す省略」
これは、もちろん、そう思います。
> 於一念処起一切念処調伏衆生…前段の 本有解脱摂一切法
北本では、この文がありますか。南本にはありませんね。
できましたら、該当部分を提示願えませんでしょうか。
> 斬首まで、とした止観の文
そうですね。そのつもりで書きました。
> 「ポア」は中間に対する言葉
これは意味が採れないのですが、もう少しご説明願えますか。
> 涅槃経=折、法華経=摂、が、いつのまにか、法華経=折、涅槃経=摂 に展開されるレトリックがあるように思えます
そう思います。いまの日蓮門下全般の二分立は、このレトリックです。間違いであるとわたしは考えます。
> 日蓮は、法華経=摂を、更に「折」と「摂」を分けているのではないか
わたしは、そうは思いませんが、
マハーさんは、そう仰る根拠は何でしょうか。
3369
:
犀角独歩
:2007/06/14(木) 18:35:31
3367 名前:天蓋真鏡さん
> 日蓮が云うように 言葉文字では意を尽くさない
さて、日蓮がどこで斯様なことを記していますか。
むしろ逆で「不立文字 教外別伝」を批判していませんか。
日蓮の法華信仰は、換言すれば法華文字信仰であり、その極地が妙法蓮華経五文字への信仰です。
3370
:
マハー
:2007/06/14(木) 22:22:21
すみません。NGワードで投稿が出来ません。
テスト投稿
T46n1911 p0140c01(03)
3371
:
マハー
:2007/06/14(木) 22:24:28
>>3368
独歩さん
>北本では、この文がありますか。南本にはありませんね。
>できましたら、該当部分を提示願えませんでしょうか。
お互いのやりとりに、かなりの食い違いがあったようです。
経文資料の貼り付けは、漢字の変換が大変なので、URLと電子記号でどうですか?
ROMの人が大変かもしれませんが…
記号を提示しますので、面倒でしょうが、この記号をグーグル検索かけて下さい。
大経執持刀杖乃至斬首是折義 T46n1911_p0137c27(00)
於一念処起一切念処調伏衆生 T46n1911_p0140c01(03)
…前段の 本有解脱摂一切法 T46n1911_p0140b14(01
3372
:
マハー
:2007/06/14(木) 22:26:06
現在、涅槃経と呼ばれる訳はかなりの種類になると思われますが、スタンダードなものでは、
根本説一切有部毘奈耶雑事
ttp://www.cbeta.org/result/T24/T24n1451.htm
長阿含経の2~4巻の遊行経
ttp://www.cbeta.org/result/T01/T01n0001.htm
般泥洹経
ttp://www.cbeta.org/result/T01/T01n0006.htm
大般涅槃経 法顕訳
ttp://www.cbeta.org/result/T01/T01n0007.htm
大般涅槃経 慧厳 (南本)
ttp://www.cbeta.org/result/normal/T12/0375_009.htm
大般涅槃経 曇無識 (北本)
ttp://www.cbeta.org/result/normal/T12/0374_002.htm
智ギの示す「大経」とは南本、北本、ひっくるめて、「大経」と呼んだのかも知れませんね。
(因みに関係ないですが、真如苑は南本を依経としています。)
いちおう、北本で行くと、独歩さんの仰る通り、「執持刀杖」は、T12n0374_p0384a02(03)
〜斬首は、T12n0374_p0387b28(01) だと、私も思うのですが…
弘決の「乃至下文仙預国王等文」なんですが、北本では、仙預の名はでませんね。
T12n0374_p0459a23(01)
どちらにしても、仙預国王までが「斬首」の引文だとすれば、相当長いです。
3373
:
マハー
:2007/06/14(木) 22:26:47
>> 「ポア」は中間に対する言葉
>これは意味が採れないのですが、もう少しご説明願えますか。
チベット密教でも「ポア」は使われます。 ナーロー六法 などでも出てきます。
中有状態においての、転移 転生を指しているようなので、日本の葬式仏教はすべて「ポア思想」ですよ(笑
>> 日蓮は、法華経=摂を、更に「折」と「摂」を分けているのではないか
>わたしは、そうは思いませんが、
>マハーさんは、そう仰る根拠は何でしょうか
これは、正直、ちょっと整理がつきません。
日蓮の言う「弘持」というのが引っ掛かります。
独歩さんが前レスで引用した観心本尊抄
「当に知るべし、此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」
確か正宗の…摂受の折伏とか、折伏の折伏とか言う時の依文ですよね。
摂受を、「弘」と「持」に分けるのかと思っていましたがどうでしょう?
これは、日蓮というより、日寛の宗学ですか?
3374
:
天蓋真鏡
:2007/06/15(金) 00:15:46
太田入道殿御返事「書は言を尽くさず言は心を尽くさず事事見参の時を期せん」 此の御書遺文は真筆では無いのでしょうか。言葉文字は心の意思表示を明らかにする形。教義理屈と方法手段を対峙させすり替えるが如き物言いは求道者らしく無いです。 鎌倉時代の僧・日蓮は、妙法蓮華経で何を信じろと言ったのでしょうか。最下層救済の教え、天台の教え、成仏得道の教え何でしょう?
3375
:
犀角独歩
:2007/06/15(金) 05:52:59
3374 天蓋真鏡さん
> 教義理屈と方法手段を対峙させすり替えるが如き物言いは求道者らしく無いです
これは、わたしのことをいっているのですか。無礼でしょう。
貴殿の文章は、法華経の文字と手紙を同一に語っています。
法華の文字を語るところを、一片の手紙に対する言を挙げて、「すり替える」などと相手を愚弄する、さてすり替えているのは、いずれでしょうか。
わたしは「法華文字信仰…その極地が妙法蓮華経五文字への信仰」だと言ったのです。では、実際を挙げましょう。
守護国家論「念法華の文字とは此の経は諸経の文字に似ず、一字を誦すと雖も八万宝蔵の文字を含み一切諸仏の功徳を納むるなり」
祈祷抄「法華経と説きをかせ給へば、此の経の文字は即釈迦如来の御魂なり。一々の文字は仏の御魂」
木絵二像開眼の事「法華経の文字は、仏の梵音声の不可見無対色を、可見有対色のかたち(形)とあらは(顕)しぬれば、顕・形(ぎょう)の二色となれるなり。滅せる梵音声、か(還)へて形をあらはして、文字と成りて衆生を利益する」「仏の御意(みこころ)あらはれて法華の文字となれり。文字変じて又仏の御意となる。されば法華経をよませ給はむ人は、文字と思(おぼ)し食(め)す事なかれ。すなはち仏の御意なり」
法蓮抄「『今此三界皆是我有、其中衆生悉是吾子』等云云。教主釈尊は此の功徳を法華経の文字となして一切衆生の口になめさせ給ふ」「今の法華経の文字は皆生身の仏なり。我等は肉眼(にくげん)なれば文字と見るなり」「天台の云はく『稽首(けいしゅ)妙法蓮華経、一帙(ちつ)八軸四七品、六万九千三八四、一々文々是真仏、真仏説法利衆生』等と書かれて候。之を以て之を案ずるに、法蓮法師は毎朝口より金色の文字を出現す。此の文字の数は五百十字なり。一々の文字変じて日輪となり、日輪変じて釈迦如来となり、大光明を放って大地をつきとをし、三悪道無間大城を照らし、乃至東西南北、上方に向かっては非想非非想へものぼり、いかなる処にも過去聖霊のおはすらん処まで尋ね行き給ひて、彼の聖霊に語り給ふらん。我をば誰とか思(おぼ)し食(め)す。我は是汝が子息法蓮が毎朝誦する所の法華経の自我偈の文字なり。此の文字は汝が眼とならん、耳とならん、足とならん、手とならん。たとへば餓鬼は恒河(ごうが)を火と見る、人は水と見、天人は甘露と見る」
御衣並単衣御書「法華経の文字は六万九千三百八十四字、一字は一仏なり。此の仏は再生敗種(さいしょうはいしゅ)を心符とし、顕本遠寿(おんじゅ)を其の寿(いのち)とし、常住仏性を咽喉(のんど)とし、一乗妙行を眼目(げんもく)とせる仏なり。「応化は真仏に非ず」と申して、三十二相八十種好の仏よりも、法華経の文字こそ真の仏にてはわたらせ給ひ候へ。仏の在世に仏を信ぜし人は仏にならざる人もあり。仏の滅後に法華経を信ずる人は「無一不成仏」とは如来の金言なり」
以上の如くです。それに対して、文字を離れて、ほかに教えがある如き言う「不立文字 教外別伝」を、日蓮は厳しく誡めています。
貴殿の物言いは、法華文字仏か・不立文字か、いずれとなりましょうか。
3376
:
犀角独歩
:2007/06/15(金) 06:07:14
3373 マハーさん
詳細のご教示、有り難うございます。
恥ずかしながら、南北の比較を怠っていました。
読み直してみます。
わたしはもっぱら『電子天台宗典』を活用していますが、こちらでは「涅槃南」が採用されています。
http://www.biwa.ne.jp/~namu007/gaiy/gaiy.htm
> 摂受の折伏とか、折伏の折伏
この愚論ですか。何が何でも折伏だと強言するのに使われるところですね。
こんな物言いが成り立つのであれば折伏の摂受、摂受の摂受という言葉も成り立つことになります。この批正は以下のスレで行いました。
摂受と折伏について
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1117079987/
近日の議論では、今成師が「摂受か・折伏か」ということで折伏を簡び摂受を言ったことに議論が再燃しました。反論側の論法は折伏だというわけです。この議論で言えば、わたしは今成に理があると思います。
ただし、摂受か・折伏かという二者択一ではなく、日蓮が言うところは「摂受も・折伏も」です。そして、その際にどちらを先にするのか、先があればあともあるわけですから、摂折二門、ともに採るというのが日蓮であるというのは、わたしの言い分です。
3377
:
天蓋真鏡
:2007/06/15(金) 09:00:53
自分は本尊論と四箇格言を持って論議を求めていたのでは無くて、日蓮の実像と言って犀角独歩さんが十全完璧な挙証では無いかもしれないのに十の内一つでも違えば実像と違ってしまうかもしれないのに断言する勢いで議論を持っていくのは危険だと思ったまでの事。求道者と大袈裟に書いてしまったのは言い過ぎでした。犀角独歩さんの人生とキャリアとノウハウを否定したい訳では無いので御容赦願います。
3378
:
犀角独歩
:2007/06/15(金) 15:34:36
天蓋真鏡さん
わたしはあなたが指摘する危険について、十分に認知しています。
しかし、あなたは重大な見落としがあります。それは何かといえば、証拠を挙げての議論と、証拠を挙げない議論とでは、後者のほうがよほど、危険だということです。つまり、あなたは、わたしよりも危険な議論をしていながら、それよりは安全を確保している議論を危険というのは、説得力がないということです。
わたしとて、証拠を挙げず、恣に論じて善いというのであれば、富瑠那の物真似よろしく、恥知らずに莠言を吐くなど、容易いことです。
それをしないのは、証拠も挙げない放言は危険だからにほかなりません。
あなたは、他の過ちに厳しくするより、まずはご自身の危険を如何に回避することをお考えになることが先決なのではないでしょうか。
3379
:
天蓋真鏡
:2007/06/16(土) 00:23:16
拝聴に値するお言葉ですが、挙証の無い放言に 振り回されたり悪用する等暴走するのを放言した人間の所為にだけ?するのは如何でしょう。 危険回避の方法は此の掲示板では真筆で無いか違うかと言う事でしょう。
3380
:
犀角独歩
:2007/06/16(土) 08:53:08
3379 天蓋真鏡さん
あなた、なにか誤解していませんか。
> 挙証の無い放言に 振り回されたり悪用する等暴走するのを放言した人間の所為にだけ?
だれがいったい、そんなことをしたのですか。
要は、あなた自身の投稿の証憑性を上げるも下げるも、ご自身の問題でしょう。
他人のことを言う前に自分のことをまずしっかりなさったら如何でしょうか。
無意味な言いがかりはおやめください。時間の無駄ですし、議論の妨げになります。
3381
:
犀角独歩
:2007/06/16(土) 09:09:05
> 危険回避の方法は此の掲示板では真筆で無いか違うかと言う事
もちろん、この面はあります。
しかし、それだけではありません。実際に日蓮が引用した経釈に戻り、その引文の正当性も考えています。また、現代科学から結論される事実も参考にし、日蓮その教えと本尊も考えています。
いっぽう、では、天蓋真鏡さん、あなたはどうでしょうか。いったい、どんな危険回避の方法を採っていますか。
そして、挙証義務を遵守することに言いがかりをつけているだけです。
挙証に対して、応えるのは挙証です。挙証できないなかに真実もあることは事実であり、何ら否定するところではありませんが、それを証明するためには、単に自分の考えを挙証もせず挙げたところで、何の意味も有しません。
そんなことに一々対応するのは正に時間の無駄で、得るものがありません。
3382
:
マターリ
:2007/06/16(土) 14:01:20
>犀角独歩さん、PCを打てるまでに回復しましたので、また参加させてい
ただきます。
摂受と折伏スレッドを拝見しました。立正安国論では、「首をはねる」のでは
なく、「布施を止める」と書いてあります。
しかし、犀角独歩さんは、立正安国論は書き直されていると書かれています。
この、「布施を止める」という個所は、後で付け足されたのでしょうか?
3383
:
犀角独歩
:2007/06/16(土) 18:12:40
立正安国論には、概ね2本あります。
#0024-0K0 立正安国論 文応元年(1260) [p0209]
#0279-0K0 立正安国論(広本) 建治・弘安の交(1275-78) [p1455]
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/shinseki.htm
あなたが見ているのはこの文応本でしょう。その15年後に書き換えられています。
ここに「夫れ釈迦之以前の仏教は其の罪を斬ると雖も、能忍之以後の経説は則ち其の施を止む。【此れ又一途也。月氏国之戒日大王は聖人也。其の上首を罰し五天之余黨を誡む。尸那国之宣宗皇帝は賢王也。道士一十二人を誅して九州の仏敵を止む。彼は外道也、道士也。其の罪之軽し。之は内道也、仏弟子也。其の罪最も重し。速やかに重科に行へ。】」
書き足されたのは「施を止む」ではなく【】部分です。この点は、3358に書いたとおりです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/3358
しかしながら、偽物の彫刻でも、改竄された日寛の原本を用いた印刷でも本尊でよいあなたにとって、こんな原意の追及は意味はないでしょう。
3384
:
マターリ
:2007/06/16(土) 18:23:41
>犀角独歩さん、ありがとうございました。書き換えられている、とすると
やはり折伏=殺、という犀角独歩さんの考えが正しいと思います。
>しかしながら、偽物の彫刻でも、改竄された日寛の原本を用いた印刷でも
本尊でよいあなたにとって、こんな原意の追及は意味はないでしょう。
それとこれとは話が違います。失礼ながら、犀角独歩さんは毎日、どの御本
尊様を拝んでおられるのでしょうか?
3385
:
犀角独歩
:2007/06/16(土) 18:48:57
> それとこれとは話が違います。
どのように違いますか。
偽物でよいのであれば、文意の遡源など元より無意味でしょう。
そもそも偽物でよいというものの言など、証憑の対象にも、議論の対象にもなりません。
> 犀角独歩…どの御本尊様を拝んでおられる
先より記したとおり、「本尊」語は伝教以降に導入される観念であって、わたし自身は崇拝の対象と考えておりません。わたしが敬礼するのは、もちろんお釈迦様です。そして、多くの示唆を与えてくれた日蓮にも敬意は表します。
教学的な整理として、日蓮の真意を探れば、教相としては法華経寿量品五百塵点成道釈迦牟尼仏、観心からは所顕三身無始古仏でしょう。また、真偽追及の余地はあるものの、妙法蓮華経五字題目ということでしょう。
その五字を書した漫荼羅を本尊とするのが、日興の意図であれ、それを複製したものは、この限りではないというのも日興の意図でしょう。
ただし、漫荼羅であれ、尊像であれ、日蓮像であれ、その形に刻まれたものを通して、ブッダとダルマとサンガを仰ぐことに異論があるわけではありません。実際にそのような礼拝はいたします。しかし、それは創価学会等のように、近代、それぞれのグループが勝手気ままに会員向けに決めた「勤行」??という奇妙な遣り方を「拝む」というのであれば、そんなことは、やるわけもありません。
漫荼羅の彫刻は彫刻であり、漫荼羅を写真製版し印刷したものは印刷です。
こんなものが本尊であるというのは、鰯の頭と同様ですが、各人がそれを有り難がるのは勝手です。しかし、このような議論の場で、そのような代物が本尊たり得るというのであれば、きちんとした挙証を以て議論をするべきことです。
それが偽物でもよいなどということは、もとより、議論のレベルに達していない個人の範疇であると申し上げているのです。そして、そのようなものでよいのであれば、日蓮が書いた‘とされるもの’で十分なわけで、真偽論攷も、これまた無意味ということでしょう。
もっとも重要であるはずの本尊が偽物でよいあなたにとって、遺文の真偽など、論ずるに足りない問題ではないでしょうか。なぜならば、漫荼羅そのものが書き物なのであって、もっとも真偽をやかましく言われるものであるからです。
3386
:
マターリ
:2007/06/16(土) 19:44:42
>犀角独歩さん、
>こんなものが本尊であるというのは、鰯の頭と同様ですが、各人がそれを
有り難がるのは勝手です。しかし、このような議論の場で、そのような代物
が本尊たり得るというのであれば、きちんとした挙証を以て議論をするべき
ことです。
それが偽物でもよいなどということは、もとより、議論のレベルに達してい
ない個人の範疇であると申し上げているのです。
おっしゃる通りです。これは、私個人の信仰にかかわることですので、スルー
させていただこうと思いました。しかし犀角独歩さんが、レスを返すのが礼
儀とおっしゃいましたので、仕方なくレスをさせていただきました。
しかし、こちらの掲示板は科学的に、日蓮聖人の実像に迫る、ということで
すので、私の鰯の頭的・個人的信仰はさておき、真実に迫りたいと願ってい
ます。
今まで私が積み重ねてきた既成概念や信仰体験を排除して、客観的かつ科学
的に日蓮聖人を研究したいと思っています。
犀角独歩さんの日蓮研究に対しては、尊敬の念を抱いています。
創価学会員の場合、創価学会の組織を辞めて、池田氏のマインドコントロー
ルから逃れても、日蓮聖人のマインドコントロールから抜けられません。
それで法華講に移ったりするのだと思います。
私自身の独学で、いくら日蓮研究をしても、MCを脱しきれないので、こちら
で勉強させていただければと思っています。
3387
:
マターリ
:2007/06/16(土) 20:33:40
>犀角独歩さん、
>わたしが敬礼するのは、もちろんお釈迦様です。そして、多くの示唆を
与えてくれた日蓮にも敬意は表します。
>ただし、漫荼羅であれ、尊像であれ、日蓮像であれ、その形に刻まれた
ものを通して、ブッダとダルマとサンガを仰ぐことに異論があるわけでは
ありません。実際にそのような礼拝はいたします。
私も犀角独歩さんと同じ考えです。釈尊を、先ず敬いたいと思います。
唱題というより、礼拝ということなんですね。
ところで、仏像は大乗仏教になって、菩薩像の次に作られたと聞きました。
原始仏教・小乗経的に考えると、偶像崇拝は禁止されてしまうと思います。
漫荼羅・尊像・日蓮像も、偶像崇拝ということになってしまいますが、
その点、どのように考えたら良いのか悩んでいます。大乗仏教敵に考えれば
良いということでしょうか?
3388
:
再挑戦者
:2007/06/16(土) 21:10:08
3365のマターリ、、殿、、。
>、、真筆、1〜〜123号、、不鮮明、、日寛本尊、、云々、、、>>
横からゴメンします、、。 貴殿の発言には、、アアダラ、、、コウダラ、、が多すぎ、、誠に、、読みずらい限りでゴワス、、!!
何故なら、「、貴殿は、日蓮の真筆本尊を確認しながら、、未だに、不透明な、?、、大石系列の日寛某の不透明な”ニセ日蓮ブランド?”、に固執されていますようでしょうか、?、」、という
最大なる疑問が否定できません、。 ひょっとすると、某S会からの闇からの撹乱的な、、攻撃かも、?? ご用心、、御用心、!!
3389
:
マターリ
:2007/06/17(日) 00:22:20
>再挑戦者さん、レスありがとうございます。失礼ながら根拠なく、人を
疑わないでいただきたいと思います。憶測だけで判断なさらないで下さい。
私は純粋に、日蓮聖人について勉強したいと思っただけです。創価学会では
御書ですら、なかなか勉強する機会がありませんので。
ちゃんとした日本語で書いてくださいね。あなたの文章も読みにくいです。
句読点や!や?を、ダブって書くのは、特にいただけません。
3390
:
天蓋真鏡
:2007/06/17(日) 05:32:09
挙証義務に難癖をつけたいわけでも挙証する人の足ひっぱりたいわけでもありません。科学的に判断して悪を止められるなら良い事。横レス失礼しました。議論を続けてください。
3391
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 09:54:18
マターリさん
今回のご投稿で、MCについて、触れられたので、そのことに関連して、重要な点を一つ。あなたが「スルー」と記したことは、‘思考停止’ということです。
つまり、自分の信念体系について、不利になる点について、思考が停止し、考えなくする心理作用です。この形で、不合理且つ非科学的な信仰は保護されます。この技法をもっとも端的に悪用するのがカルトでしょう。
日蓮において教義と本尊は不可分な関係にあります。
ですから、教義を考えていけば、実際に図顕された本尊に到達するわけです。ですから、その一方のみを「客観的かつ科学的」に考えることはナンセンスというほかありません。
ただしかし、このような分離と思考停止は、あなたお一人の問題ではなく、創価学会を含む石山圏で日寛などの印刷を拝む人々に共通する問題であり、かつこの点は全日蓮門下、さら間口を広げれば、日本仏教徒、否、全世界の仏教徒、もっといえば、全宗教の信仰者全体に通じる問題であるとも言えます。
故に、この問題を避けて通ることは、単に思考停止を漫然と是認し、事の本質を見ないようにするばかりか、悪弊を招来に残すことになります。もっといえば、カルトを始めとする悪行を是認することにもなります。だからこそ、わたしは、この点に関して、決して論攷の手綱を緩めないわけです。
しかしながら、教学論攷から、ついに極意である本尊へ至るは道程です。まずは、教義から科学的合理的に考える方途を身につけ、ついには、本尊をも考える道すがらに入るという順位を否定する理由はありません。
「スルー」した本尊と信仰については、いつしか必ず考えることを前提として、では、こちらでの議論にお付き合いすることといたしましょう。
> 仏像は大乗仏教になって、菩薩像の次に作られた
これは近代の研究で、そのとおりいわれています。
> 原始仏教・小乗経的に考えると、偶像崇拝は禁止
「小乗」「偶像」という言葉が適切かどうか、ここでは取り敢えず置くこととして、初期釈迦教団では仰るとおりだったでしょう。
> 漫荼羅・尊像・日蓮像も、偶像崇拝
いや、もっとあります。
心のなかに描く神仏のイメージ、そのものが物理的な形こそ採らないまでも、「偶像」という言葉を使えば偶像そのものではないですか。
キリスト教を例に採れば、偶像崇拝といって、形に彫塑した像を拝むことを批判しますが、いもしない神を心に描き崇拝することは、無神論の立場に立脚すれば、まさに「心でイメージされた神という虚像」を拝む偶像崇拝そのものです。
3392
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 09:54:51
―3391からつづく―
仏教の場合、実際にいた釈尊を敬慕しました。
当時のインドでは、文字記録は、暗誦記憶に比して劣るものと考えられた故、文字化が遅れたのでしょう。実際に存在した釈尊に会ったことがなければ、その顔を正確に写すことはできないでしょうし、仮に似通って写しても実際とは異なります。このような考えから像に刻まれなかったということでしょう。
ただ、実際にいた釈尊を像に刻むことと、人間の心のなかで創作された崇拝対象を像に刻むことでは、その意味は異なります。
「偶像崇拝」というのは、いもしない神をイメージして崇拝する偶像崇拝側からの論理であって、これをもって仏教の尊像を考えると仏教信仰者の意思とは歪みがあると、わたしは考えます。
石山では、あの彫刻が生身日蓮、それも無始無の絶対仏そのものであるという信仰ですから、これはまさに「偶像崇拝」といわれても致し方がないでしょう。しかし、多くの仏教徒は、描き彫塑された尊像を、ただちにそのものと考えるというより、その像を通じて、神仏本体を信仰するという形態ではないですか。
つまり像の限界を認知したうえで、扱っているということです。
わたしは、仏像を飾っていますし、漫荼羅も奉懸しています。
しかし、その仏像を釈迦牟尼世尊そのものであるとは思っていません。その像を通じて、かつて2500年前のインドの大地を生きた仏陀に思いを馳せるに過ぎません。また、その像をインドから招来し、わたしのことを思い下さった僧侶への感謝もその像を通じて、毎日、再認識しています。この点は奉懸した漫荼羅(手書き肉筆)も同様であり、日蓮が考えた法華経観をその漫荼羅のなかに見ながら、何より、下さった方への感謝を仰ぎます。
ただ、それらがなければ駄目かといわれれば、別段、そうも思いません。
なにより、大切なことはブッダ・ダルマ・サンガを敬い、そして、精進することであると思うからです。では、仏像は仏か?ということになりますが、仏像は、文字通り仏の像(ぞう・かたち)に過ぎません。本体の仏であるはずはありません。
> …大乗仏教的に考えれば良いということでしょうか?
わたし個人は、大小の分別で優劣をつける気になれません。
自分たち以外の教えを認めないような在り方は、自分たち以外は乗れないのであって、名は大乗に借りながら実際は小乗ではないですか。
信仰とまではいわず、ブッダ・ダルマ・サンガに尊敬の念を払うだけならば、別段誰にもできます。小乗と貶称される人々の在り方です。むしろ大乗でしょう。
大小の意味はもちろん、そんなところにはありませんが、現行の仏教学で大乗・小乗という言葉を使うこと自体、旧い分類です。いまや、部派・大衆という言い方自体意味をなさないとも、わたしは考えます。
マターリさんは、本尊を印刷した紙に、方便十如までと寿量自我偈を唱えることを勤行という拝みであるとする信念体系を受け取った人とお見受けします。それ以外の在り方は駄目で、それのみに固執する様は、わたしのような見地からすれば、極めて小乗(小さな劣った乗り物)という観に駆られます。
印刷物を本尊と思うことやら、神社不拝への固執は、間違いなく上述したような排他的なグループのご都合指導によって培われたものであり、まさに「スルー」された思考停止によって永続されるのでしょう。それぞれの言葉の定義もまったく同様です。大乗、小乗などという刷り込まれた教義も同様でしょう。こんなすり込みでのみ考え・行動すること自体、「小乗」ではないですか。また、キリスト側の論理である「偶像崇拝」という思考パターンも跨いで考えてみてはどうでしょうか。
3393
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 10:09:30
天蓋真鏡さん
では、引き続きご高覧ください。
3394
:
再挑戦者
:2007/06/17(日) 17:50:24
3389のマターリ君、 ヨクゾ申した、、。
ここは「素朴な疑問」という窓口デスゾ、。
過去ログもまともに読解不足のような貴殿のような方からの叱責には? アホコケでゴワス。
再度、貴殿に言おう、、「、ここの過去ログを読みなさい、、そして、 ナニユエに、未だに、真筆からほど遠い、ニセ本尊、日寛本尊?をなんの疑問も、懐疑も抱かず拝んでおる貴殿の態度こそが、、素朴なる疑問、と写るが、?」、、、が、イカガなものか、??
3395
:
犀角独歩
:2007/06/17(日) 20:29:00
再挑戦者さん
わたしが、口を出すことではないですが、こちらの掲示板は「さん」付が決まりですよ。
3396
:
再挑戦者
:2007/06/18(月) 18:39:36
独歩さん、、 ご指摘は痛み要ります、、。 少々、調子にすぎまして、スンませんでした、、。
昨今は、世の中が「狂信〜〜発狂〜〜」、とも思える信じがたい事件の続発中のようでしょうか、?
あの現存・釈尊生誕のネパールでさえ、貧富の格差の問題があるようです。 人類差別のカーストがはびこるインド各地には、貴金属加工の有害薬品を素手で扱う少年ら、インド各地の売春宿に売られた少女らの悲惨さを(毎日新聞6月分)知りました、。
お釈迦様でさえ、思考を超えた現実の世界には「、素朴な疑問、?、、」、、を、実感中のアホ、の一人です、。コンナ愚考を 陳謝 します。
3397
:
犀角独歩
:2007/06/18(月) 21:03:18
再挑戦者さん
わたしはあなたの問題意識は、何となくわかります。ただ難読なので、レスの仕様がないということもしばしばあります。
そんなわけで、マターリさんも、悪意の方ではないので、歩みいただければ、また稔りある議論もできようかと存じます。
3398
:
しゅんかん
:2007/06/22(金) 22:28:32
私は何度か記しておりますが信仰は致しておりませ。
この様な私が以下の事を記す事、お許し下さい。
私が私としてこの世をそれなりに渡り歩く術として用いている物と少し重なる文を最近
拝読致しました、私自身が昭和57年に購入し読まずじまいだった、「日蓮、久保田正文著」
です。
ここで、知的な惑と云うもので見惑のことをご説明されておられます、
(皆さん既にご存知で恥ずかしいのですが続けますね)
見惑には五のものがあるそうですね。身見、辺見、見取見、戒取見、邪見の五つであると。
身見=自分の一身を中心としてものを見る見方、自身が経験し得ない事はそのまま、
無いものであると考えるような見方である。
辺見=自分が見た一方のことを述べようとすること、物事を一方からだけ見る見方。
見取見=人はひとたび肯定し、それが正しいと認めたことは、先入主となって、
そうでないことがわかっても、最初の見方にとらわれてこれを改めることが出来ない。
戒取見=戒とは否定の義であるから、ひとたび否定した事はそれの誤りが証明されても、
これに固執して考え方を改めることができない。
邪見=自分の利害損得を中心にし、あるいは基準としてものを見る見方。
久保田先生は、人はこのような物の見方の惑い、および感情上の惑い(思惑)、
こういうものの集合体である。
そこでこれらのものを離れて別な境地を求めていくのが、これが仏教における修行である。
と締めくくっておられます。
皆さん既に知った事で今更って処でしょう。
3338に於いて、独歩さんの記されている事、全くごもっともと拝読致しました。
創作虚偽で在ったとわかっても、先に記しました見惑により受け入れる事が非常に
困難なのでしょうね、そして叉、私の其れによる表現をしますと自我が不安定に成るのですね。
自我の安定を求め、此方の掲示板へこられ自らの信仰の確認をされる、だが安定は易々とは
得られないのでしょうね、全く石山系は罪なものですね。
(生意気な文申し訳ありませんでした)
3399
:
しゅんかん
:2007/06/23(土) 02:03:29
3062に於いて数珠の持ち方に対する疑問を呈し、独歩さんよりご教示戴きました。
ここ数ヶ月の事ですが石山寺院ねてご住職さまにもお聞きしてみましたので報告までに記させて頂きます。
私「身延や八品、つまり大石寺系以外は左梵天三つですがなぜ正宗は右三つなのですか?」
住職「元々梵天は左右二つだったのです、数珠の一方に四つ珠が在ります、是を四菩薩と云いそして父珠
の横に心一境ノ法性ノ珠があります是を左に持ちます、すると梵天二つつが左に来るようになるのです」
私「はて?・・・あの私の記憶が正しければ30数年前に数珠の持ち方、左右が変わりましたね」
・・・住職は四菩薩の方を左に持つと繰り返されたと記憶しています。
私は四菩薩側が三つなのか二つなのか記憶が定かでなかった為
私「再度、勉強致します」
と云い引き上げる。
約2月後、独歩さんよりご教示戴きました富要第一巻を持参し、P392をお見せして
私「日芳、後の33世日元上人が記されてます、父珠(四菩薩)の方を右手にと、しますと
右梵天二つに成りますが」
住職「フム・・・どれ・・・何処に書かれてますか?」
私「この行です」
住職「そうですね・・・日我とは当宗門の方ではないですね」
私「多分、保田の日我師の事を指されていると思いますが」
住職「是ですと右二つですね、」
私「ええ、身延系と同じになります」
住職「日達上人の時に左右が変わったのです」
私「やはり私の記憶はあってましたね」
住職「時の法主は血脈付法、私達はそのお言葉をただただ信じるのです、上行菩薩は曼荼羅の
南妙法蓮華経の右ですか左ですか?」
私「向って右ですか?」
住職「私達から見ると左ですが、向こうから見ますと右ですね、右そん左ひ、左そん右ひと云う言葉が在ります」
この後の会話は余り意味も無く記憶にございません。
3400
:
しゅんかん
:2007/06/23(土) 03:05:45
3399の続き
是より以前、ご住職へ
私「大石寺の近くにおられます古い檀家には御影様を奉安されているとお聞きます、私も奉安したいのですが」
住職「駄目です、現在許されていません」
私「本山や末寺、そして古い檀家ではよくて何故私は駄目なのですか?私の家の仏壇内の奉安様式は
創価系と同じでいやなのですが」
住職「信心の浅い方は御影様があるとご本尊様に向うのではなく御影様に向ってしまいます、あくまでも
御曼荼羅に向って勤行、題目を唱えるのです」
私「私の家の御本尊様を御下付いただきました母は信仰歴50年をはるかに超えておりますが」
住職「総本山よりの指導で現在許されておりません」
叉、数珠の時と同じ日に富要第一巻、32(P65)を示して
私「仏壇内に化儀抄の如く法華経二十八品を奉安したいのですが」
住職「当寺院に於いても奉安しておりますが、しかし手に入らないでしょう?」
私「いえ、販売してますよ」
住職「何処でですか?」
私「そりゃ、仏具店でです」
住職「正宗のですか?」
私「正宗専門の仏具店は余り見受けませんので販売しているかどうか?一般の仏具店ですが」
住職「身延系でしょ」
私「一般のこの辺り(関西)の仏具店は多くの宗派(一宗一派では無く)を扱っており身延系仏具店とは
いえないでしょ」
住職は笑い(苦笑?)それ以上の言葉は無かった、この件に関しては執拗以上の反対は見受けられなかった。
数珠・御影様・法華経二十八品に関しての御住職さまのお言葉で首肯に至る物はなかった
数珠は左梵天三つとし、御影様は既に読経像を製作して戴き奉安している、二十八品だが
独歩さんと菊水護国とのやりとりで、身延系などで使われている赤色の二十八品と云った内容を
記されていたと記憶しております、確かに赤色ばかりです興統法縁ではどの様な色が望ましいのでしょうか
わからず未だ奉安出来ておりません。
3401
:
しゅんかん
:2007/06/23(土) 03:10:21
3398
誤=私は何度か記しておりますが信仰は致しておりませ。
正=私は何度か記しておりますが信仰は致しておりません。
3402
:
再挑戦者
:2007/06/23(土) 20:16:00
3397, 独歩さん。
いろいろと御心労をお掛けいたし深く陳謝いたします、。
小生は、無明のバカですが、教主釈尊がのべた「、、速成就、仏心、、」、なる”目玉商品”を是非、購入したいと欲したものです。
ところが、その”商品”が疑惑まみれの欠陥商品の疑義濃厚の現実を否定を不可能な様相に感じた、、まで、、です、、。
独歩さんも「、、後世の作り話、、贋作、、?、、疑義多し、」、、と言う過去のログを重く受け止めていました。
小生も疑義を払拭し切れませんです。 「吾従成仏以来、、」(法華経第二)、「、我実成仏以来、、」、「、庶民は不能思惟、知其限数、、」などの(第16)件から思うに、「、全ては、ワシにまかせヨ、、!!!」、、という自信に溢れております、、。
でも、現実は、、??? インドのカースト制度に対しては、完全に”負け組”でしょうか、?
人類最大の差別に挑んだようですが、、「、、諸行無常、、因果応報、、」、なる宝刀も、イマイチ、末法には力が不足が否めませんでしょうか、? この隙間から、数々の、悪徳商人、悪徳宗教者らのヤリタイ放題の庶民イジメが続行中のようでしょうか、?
http://www.sankei.co.jp/ronsetsu/sankeisho/070621/sks070621000.htm
3403
:
中道一実
:2007/06/29(金) 14:15:46
しゅんかん様
>>独歩さんと菊水護国とのやりとりで
いくら菊水さんが、最近登場されない方だとしても、呼び捨ては感心しませんね。
意図的でしょうか?単なる誤りでしょうか?
さて八巻経についてですが、正宗系の仏壇屋でも取り扱っているところはありますよ。
ただし、法華経は大事なものなので、住職の紹介でなければ売らないことになっております。
1本、住職から電話を入れておいて貰えば簡単に買えますし、種類も豊富ですよ。
3404
:
中道一実
:2007/06/29(金) 14:17:33
>>3403
[しゅんかん様]は[しゅんかんさん]の誤りです。
訂正します。
3405
:
しゅんかん
:2007/06/30(土) 11:06:41
中道一実さん
はじめまして、宜しくお願い致します。
ご指摘、誠に有難うございます、
全くもって私の確認不足による脱字でした。
菊水護国さん
誠に申し訳ありませんでした。
法華経〈八巻〉は地域によりご住職さんで見解が異なるのでしょうか?
正宗仏具店で購入出来るとの事ですが、宜しければどちらの何店、不都合でしたら都道府県だけでもお教え頂けますと幸いです。
3406
:
疲労困憊
:2007/06/30(土) 20:21:37
所沢市の天晴仏具店か正信会四国の寺院で頒布していると聞いた事があります。
八の巻で経机無しでしたら、四千七百円前後で京都の池澤法衣仏具店にありますよ
3407
:
しゅんかん
:2007/06/30(土) 22:38:56
疲労困憊さん
はじめまして宜しくお願いします。
情報有難うございます、
念の為、二仏具店は正宗系なのでしょうか。
3408
:
一字三礼
:2007/06/30(土) 23:22:50
しゅんかんさん、はじめまして。
素朴な疑問でもあり、巨大なお世話でもありますが。
あなたは信仰はしていらっしゃらないのでしょう。
それなのに、日蓮正宗のご住職に八巻経の奉安について訊ねたり、日蓮正宗系の仏具屋に拘られるのはなぜですか。
そもそも、信仰をしていなければ、仏壇に何を奉っても関係ないのではないですか。
3409
:
しゅんかん
:2007/07/01(日) 08:23:28
一字三礼さん
はじめまして宜しくお願いします。
PCが不具合をきたしております、復旧後に記さて戴きます。
取りあえず携帯にて。
3410
:
マターリ
:2007/07/02(月) 20:12:06
>皆様、ご無沙汰しておりました。血管の手術をした後、体調を崩しており
ました。
>犀角独歩さん、ご指導ありがとうございます。広範な内容ですので、じっ
くり拝読させていただきます。概要は理解できました。大変、勉強になりま
した。
勉強すればするほど、色々と疑問が出てきました。日蓮聖人が安楽行品を
無視した理由・多くの殉教者や負傷者を出してしまった理由などです。
今後とも宜しくお願い致します。
>再挑戦者さん、今後とも宜しくお願い致します。
3411
:
疲労困憊
:2007/07/02(月) 20:18:27
しゅんかんさん、手続きの師匠たる住職に相談して、内事部に願い出を出さ
なければいけません!!正宗法華講員の場合は
3412
:
犀角独歩
:2007/07/02(月) 21:40:16
マターリさん
お見舞い申し上げます。
3413
:
しゅんかん
:2007/07/02(月) 22:10:13
一字三礼さん
お待たせ致しました、取敢えずネットが出来るまで復旧致しました(プロバイダのお嬢さんに全て助けて戴きました
彼女達は賢いなあ、感謝)
先ず、自己紹介にレス致しましたので、素朴な疑問[2851]以降も合わせてご覧戴ければ幸甚です。
私が皆様方よりご教示戴いてますのは、認知症を患っている母の姿を見るにつけ不憫でならないからです。
認知症の母は過去の出来事は記憶しておりますが、近年(最近)の事は全く記憶にございません。
[3398]で記しました
見取見=人はひとたび肯定し、それが正しいと認めたことは、先入主となって、
そうでないことがわかっても、最初の見方にとらわれてこれを改めることが出来ない。
戒取見=戒とは否定の義であるから、ひとたび否定した事はそれの誤りが証明されても、
これに固執して考え方を改めることができない。
健康なお方においても以上の様ですね、まして認知症の母です、記すまでもないでしょう。
私は、皆様がやり取りされてます蓮祖の教えをどの様に拝読するか、意は?につきましてはからっきし駄目です。
ですが、石山の欺瞞は其れらの事を学ばなくとも、信仰と云うものを経験していない私には容易く判別出来ます。
御本尊さまや過去帳、御仏壇を我が家で預かりましたのは私の自発的な案によるものです。
(姉兄が放置していたからです)
数ある日蓮宗の中で、日興門流・正宗を父母は縁会って信仰をもった訳です。
以前、独歩さんに蓮祖の教えを正当に継承している門流は?とお尋ねした事が在ったと思いますが
あっさりと「無いです」とご教示戴いたと記憶しております。
3414
:
しゅんかん
:2007/07/02(月) 23:29:35
[3413]の続き
私のような浅学非才者には判断しかねます、縁会った訳ですから興統法縁でと致したしだいです。
自身の信仰を変えるのも計り知れない苦痛を伴うものでしょうが、私の其れも言い表せない物が在りますよ(笑)
実を云いますと、どうして善いのか判らないのが本心です。
私は信仰をしていないと云いましても多くのお方とはやはり違い、つい近年まで神社仏閣を訪れる事が出来ませんでした。
私の地方の小学校に於ける林間学校は(金剛峯寺・高野山)修学旅行は(神宮[伊勢神宮])です。
母からは「拝むな」と、心の中で「南無妙法蓮華経」と唱えなさいと云われものです。
此れも、皆様のレスを拝見し最近カルトに拠る物だろうと理解いたしました、脅迫観念ですね。
現在も母からよく以下の言を聞かされます。
「私の為に猊下さまが書いて下さった御本尊さま」
「誰もが戴けるものではない有難い御本尊さま」
私の家で預かると云った時「私のんや、何であんた処に・・・」と嫌がったものです。
>日蓮正宗のご住職に八巻経の奉安について訊ねたり、日蓮正宗系の仏具屋に拘られるのはなぜですか。
>そもそも、信仰をしていなければ、仏壇に何を奉っても関係ないのではないですか。
〇以上の事で回答に成っておりましょうか?
〇日蓮正宗だけではございません、重須も要山に於いてもお訊ねしております。
〇「信仰をしていなければ、仏壇に何を奉っても関係ないのでは」とは思いません。
様式と云う物がございましょうから、その場には其れに合った物が肝要ではないでしょうか。
礼儀と云うものでしょうか、十戒曼荼羅と阿弥陀如来像を一に奉安するは、私は信仰をしていないのだから
何を奉っても関係ないでは、其れを本尊と崇め信仰されている方を愚弄するものでしょう。
ですがこの「何を奉っても関係ない」は信仰対象を有していない方より発せられるかも知れません。
ですが、私は一字三礼さんを申し訳ありませんがどの様なスタンスを取られておられるのか存じ上げておりません。
もし、日蓮宗系で蓮祖の教えを実行されておられるお方でしたら
>信仰をしていなければ、仏壇に何を奉っても関係ないのではないですか。
とは矛盾いたしませんでしょうか。
3415
:
しゅんかん
:2007/07/02(月) 23:36:43
疲労困憊さん
[3411]懇切丁寧な文、ありがとうございます。
3416
:
一字三礼
:2007/07/03(火) 00:02:47
しゅんかんさん
レスありがとうございます。
興味本位で聞いてしまったことに、お時間を使わせてもうしわけありません。
ただ、拘るわけではありませんが。
普通に考えてみてください。やはり、信仰のない人にとっては、仏壇自体も不必要だと思いますよ。無信仰であれば、大曼荼羅だってただの紙切れですし、日蓮大聖人御影像であっても阿弥陀仏の像もただのお人形でしょう。
しゅんかんさんは、お気づきではないのかもしれませんが、家の中に仏壇を置き、本尊を安置し、奉安形式を整える、という行為は信仰の意識から起こることではないでしょうか。
ただ、試行錯誤をされているということは理解できました。納得のいく‘かたち’が見つかるとよいですね
3417
:
しゅんかん
:2007/07/03(火) 00:38:05
一字三礼さん
う〜ん少し認識にずれがあるのかも知れません。
>大曼荼羅だってただの紙切れですし、日蓮大聖人御影像であっても阿弥陀仏の像もただのお人形でしょう。
〇信仰の無い人、無信仰者にそれらを破って捨て、焼却してみろと云って易々としてのける方多数とは
思わ無いのですが。
>しゅんかんさんは、お気づきではないのかもしれませんが、家の中に仏壇を置き、本尊を安置し、奉安形式
を整える、という行為は信仰の意識から起こることではないでしょうか。
〇先にも記しましたように、私は一字三礼さんを申し訳ありませんがどの様なスタンスを取られておられるの
か存じ上げておりませんので、お答えするのに窮しますが。
私の意識面に於いては信仰をしていないつもりです。
朝夕お題目を三唱するだけですが、これを捉えて「信仰の意識から起こること」と信仰をされておられるお方は
述べられるかもしれませんね。
ですが、私は細君の実家で本願寺派の仏壇にも手を合わせます、ただ「南無妙法蓮華経」ですけど
神社仏閣を訪れなかった事とリンクしますが幼少の頃より植え付けられています観念ですから容易く
捨て去れないのでしょうね。
>試行錯誤をされているということは理解できました。納得のいく‘かたち’が見つかるとよいですね
〇有難うございます、今後も宜しくお願い致します。
3418
:
しゅんかん
:2007/07/03(火) 18:09:15
[3414]
誤=十戒曼陀羅
正=十界曼陀羅
3419
:
マターリ
:2007/07/03(火) 18:52:04
>犀角独歩さん、お見舞いのお言葉、ありがとうございます。
3420
:
犀角独歩
:2007/07/04(水) 07:21:21
ここのところの遣り取りをざっと読ませていただきましたが、八巻は仏具店で買うのは各人の勝手、石山末寺の坊さんの許可など不要なところ。
それよりなりなにより、その坊さんは歯にくっついた御肉が生きているとか、あとから造った彫刻が本物であるという嘘八百の片棒を担いできたことを反省し、信者に謝罪することが先決です。こんな嘘八百の片棒を担ぐ者に、指導を仰いだり、許可を取るなど笑止千万というほかないということではないでしょうか。
3421
:
一字三礼
:2007/07/04(水) 21:31:13
法華経を買うなら、読めないように張り付いている八巻経より、折本の経本のほうがいつでも読誦できてよいでしょう。
読むために文字が書いてある経を飾っておいても意味がありません。
また、経本に開眼などはありえません。
日蓮遺文に明らかなように、法華経によって、開眼供養というものはなされるのです。ですから、法華経を開眼供養する経などは存在しません。
法華経にも開眼供養が必要とする人達がいるとすれば、その人達は純粋に商売として、顧客の囲い込みを目的として主張しているのでしょう。
3422
:
犀角独歩
:2007/07/04(水) 21:48:11
3421の一字三礼さんのご意見はもっともであると指示します。
3423
:
犀角独歩
:2007/07/04(水) 22:08:35
一字三礼さんのご投稿の根拠は『木絵二像開眼之事』の以下の一節でしょう。
「仏に有三十二相皆色法也。最下千輻輪より終無見頂相至までの三十一相は可見有対色なれば書つべし作つべし。梵音声の一相は不可見無対色なれば不可書不可作。仏滅後は木画の二像あり。是三十一相にして梵音声かけたり。故非仏。又心法かけたり。生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥也。何涅槃の後分には生身の仏と滅後の木画の二像と功徳斉等なりといふや。又大瓔珞経には木画の二像は生身の仏にはをとれりととけり。
木画の二像の仏の前に経を置けば三十二相具足する也。…三十一相の仏の前に法華経を置たてまつれば必純円の仏」
3424
:
一字三礼
:2007/07/04(水) 22:26:31
犀角独歩さん
私の挙証不足を補足くださり、ありがとうございます。
最近は知りませんが、以前、池袋の常在寺で売っいた経本は、‘開眼供養済み’のものだと坊さんが言っておりました。
何を言っているのやら…。
3425
:
犀角独歩
:2007/07/07(土) 08:54:31
一字三礼さん
日蓮が開眼の要諦と考えた法華経典を、開眼するという本末転倒が起きているわけですね。
ついで、日蓮が漫荼羅を図示したのは、まさに授与する相手の仏目開眼の意図があったように思えます。『本尊抄』と隣接した『開目抄』の紙背の意図と考えます。
ところが、その漫荼羅を複写し大量生産してしまったために、単なる印刷物を、どうにか本尊とこじつける必要性に迫られることになったのでしょう。そこで創案されたのが漫荼羅本尊開眼という本末転倒であったのでしょうね。
3426
:
そううそ
:2007/07/07(土) 11:06:29
こんにちは
ご無沙汰しています。
創価学会の信仰に功徳はあるか? 考え方が変わる事は退転か?裏切りか?地獄行きか?(その1)
http://blog.goo.ne.jp/soukagakkai_usotuki/e/d013cff682972c2c57cc05510c0c84f4
犀角独歩さん
上記の記事で引用をしたので許可頂けませんか?
ではでは
3427
:
犀角独歩
:2007/07/07(土) 11:48:04
そううそさん
事後承諾ですか(笑)
わたしは承諾しました。
ただし、該当の投稿は、こちら富士門流信徒の掲示板でのものですから、管理人さんにもご許可を求めるほうが筋が通ろうかと存じます。
3428
:
一字三礼
:2007/07/07(土) 18:15:43
犀角独歩さん
>日蓮が漫荼羅を図示したのは、まさに授与する相手の仏目開眼の意図があったように思えます。『本尊抄』と隣接した『開目抄』の紙背の意図と考えます。
‘大曼荼羅授与に仏目開眼の意図’確かにその考えもあったのでしょう。
真筆遺文から考えると、日蓮に上行菩薩の自覚を読み取ることは難しいですね。
それに対して不軽菩薩の自覚は、「転重軽受法門」、「神国王御書」、「撰時抄」、「高橋入道殿御返事」、「報恩抄」等々にはっきりと書かれております。
不軽菩薩の自覚を持ち、上行所伝の題目を大曼荼羅に図示して、信心堅固な弟子にのみ授与した。
このことは、やはり日蓮から弟子への‘授記’‘記別’も同時に意図していたのではないかと考えます。
不軽菩薩は、菩薩からの授記を信じない増上慢の四衆から、迫害を受けました。
日蓮は、題目を広めたことによって、念仏衆や為政者から迫害を受けました。ということは、題目を広めること自体に、‘授記’意味も含めていたのではないかと思います。
3429
:
犀角独歩
:2007/07/07(土) 20:46:02
一字三礼さん
> 真筆遺文から考えると、日蓮に上行菩薩の自覚を読み取ることは難しい
そうですね。わたしも、この点については慎重です。
> 不軽菩薩の自覚
このようにお考えですか。もう少しお聞かせ願えませんか。
わたしは日蓮が不軽菩薩を上げるのは、仏滅後の修行者という位置付けからだと考えていました。
3430
:
一字三礼
:2007/07/07(土) 22:01:39
犀角独歩さん
>わたしは日蓮が不軽菩薩を上げるのは、仏滅後の修行者という位置付けからだと考えていました。
どうでしょう、仏滅後の修行者というよりは、日蓮は、受難の法華行者という点で不軽菩薩と自身を重ね合わせたのではないでしょうか。
そしてそのことが日蓮にとって唯一の救いとなったのではないでしょうか。
正しく法華経を行じながらも、常に自身に降りかかる一向に救いこない受難。その受難に対して、大いなる意義と意味をもたせ、解決に導いてくれたのは、不軽菩薩の受難理由である‘其罪畢已’だった。
‘其罪畢已’に自らの疑念の解決をみたときに執筆したのが「開目抄」ではないでしょうか。
日蓮が不軽菩薩と自身を重ね合わせている真筆遺文をいくつか引いてみます。
「過去の不軽菩薩・覚徳比丘なんどこそ、身にあたりてよみまいらせて候けるとみへはんべれ。現在には正像二千年はさてをきぬ。末法に入ては此日本国には当時は日蓮一人みへ候か。」(転重軽受法門 文永八年)
「今日蓮は日本国十七万一千三十七所の諸僧等のあだするのみならず、国主用い給はざれば、万民あだをなす事父母の敵にも超へ、宿世のかたきにもすぐれたり。結句は二度の遠流、一度の頭に及ぶ。彼の大荘厳仏の末法の四比丘竝びに六百八十万億那由他の諸人が善事比丘一人をあだみしにも超へ、師子音王仏の末の勝意比丘の無量の弟子等が喜根比丘をせめしにも勝れり。覚徳比丘がせめられし、不軽菩薩が杖木をかほりしも、限りあれば此れにはよもすぎじとぞをぼへ候。」(神国王御書 文永十二)
「其後弥菩提心強盛にして申せば、いよいよ大難かさなる事、大風に大波の起るがごとし。昔の不軽菩薩の杖木のせめも我身につみしられたり。覚徳比丘が歓喜仏の末の大難も、此には及ばじとをぼゆ。」(報恩抄 建治二年)
「此の法門は当世日本国に一人もしり(知)て候人なし。ただ日蓮一人計りにて候へば、此れを知て申さずは日蓮無間地獄に堕ちてうかぶご(期)なかるべし。譬へばむほんの物をしりながら国主へ申さぬとが(失)あり。申せばかたき雨のごとし風のごとし。むほんのもののごとし。海賊山賊のもののごとし。かたがたしのびがたき事也。例せば威音王仏の末の不軽菩薩の如し。歓喜仏のすえの覚徳比丘のごとし。天台のごとし。伝教のごとし。」(種種物御消息 弘安元年)
「其の上、日蓮は法華経誹謗の国に生まれて威音王仏の末法の不軽菩薩のごとし。はた又歓喜増益仏の末の覚徳比丘の如し。」(上野殿御返事 弘安二年)
「法華経は三世諸仏説法の儀式也。過去の不軽品は今の勧持品。今の勧持品は過去の不軽品也。今の勧持品は未来の不軽品たるべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩たるべし。」(寺泊御書)
いっぱい貼り付けたり、検索したりしているうちに、気がついたのですが。
覚徳比丘はほとんどの場合(経典から直接の引用と一ヶ所を除いて)、同じ受難の行者として不軽菩薩と並べて挙げられるのですね。
折伏を現ずるのが有徳王で、その有徳王の折伏によって救われる受難の行者が覚徳比丘でしたね。
真筆遺文からみる日蓮の主張は、受難の行者として覚徳比丘=不軽菩薩=日蓮というものです。
ここから考えても、‘不軽菩薩と日蓮は折伏’という主張は間違いですね。
3431
:
そううそ
:2007/07/07(土) 22:49:55
>管理人さん
お世話になっています。
当掲示板への書き込みルール
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1134265404/l50
こちらでは本BBSから引用する場合のルールが書かれていませんが、
コメントした本人さんの許可が得られれば、管理人さんの許可は
不要かと思うのですが、どうでしょうか?
今後も犀角独歩さんのコメントを引用しつつ学びたいことがあると思います。
許可が必要であれば独歩さんのコメントの引用許可を下さい。
よろしくお願いします。
>犀角独歩さん
こんばんは
許可有り難うございます。
ところで、メールは届いていなかったのでしょうか?
それと、もしかして私から 2007/06/27 21:54 のメールも届いていませんか?
ではでは
3432
:
管理者
:2007/07/07(土) 23:52:43
当掲示板は公開された掲示板ですが、この掲示板の内容を引用することは、当然、著作権法の制約を受けます。そして、当掲示板の書き込みの著作権は、運営主体たる「冨士門ネット」に属します。
この意味では、書き込まれたご本人の転載許可はもとより、当掲示板の運営主体たる冨士門ネットの転載許可が著作権法上必要となると考えています。
この前提に立って、管理者の責任において、そううそさんの今回の転載を、事後承諾いたします。
3433
:
そううそ
:2007/07/08(日) 01:40:56
>管理人さん
>当掲示板の運営主体たる冨士門ネットの転載許可が著作権法上必要となる
了解しました。
>転載を、事後承諾いたします。
有り難うございます。
3434
:
犀角独歩
:2007/07/08(日) 10:07:48
そううそさん
メールは届いていません。
3435
:
犀角独歩
:2007/07/08(日) 10:16:53
一字三礼さん、ありがとうございます。
先の書き様で「日蓮…不軽菩薩…仏滅後の修行者」という表現は如何にも拙いですね。意を尽くしていませんでした。仰る筋、賛同します。
ついでながら、もう少しお付き合いいただきたいのです。
いうまでもないことですが、不軽菩薩は成仏以前の釈尊前世物語です。一方、有徳王がこれまた釈尊の前世であるということでした。
つまり、釈尊は不軽菩薩であり、有徳王であるというのが、法華・涅槃のストーリーということになりますね。
わたしが過去の修行者といったのは、日蓮の前世が不軽菩薩、覚徳比丘であるとするのではなく、仏滅後の代に出現する比丘という位置付けで自身を当て嵌めたという意味です。この説明では、どうでしょうか。
摂折の解析、まったくそのとおりであろうと存じます。
3436
:
マターリ
:2007/07/08(日) 23:27:46
日蓮聖人は、法華経の安楽行品を軽視し、勧持品を重視したと思います。
しかし安楽行品をよく見ると、厳しい戒めの言葉が書いてあります。「しな
さい。してはなりません。答えなさい。いけません。」などと。
一方、勧持品を見ると「広く此の経を説くでしょう。我等をさげずみ刀杖を
加えることでしょう。」というように、「でしょう」という言葉が多いのがわ
かります。ですから、この経には、未来予測および決意が書いてあるような
気がします。
戒めと未来予測&決意と、どちらを大事にすべきかですが、拙い私の考えでは、
戒めの方が大切なのでは、と感じます。
勧持品に書いてあるような難を防ぐためにこそ、安楽行品で厳しく戒めてい
ると思えるのです。もし前代未聞の大難が襲い来たった場合、法華経教団全
滅ということにもなりかねません。そうすれば、西暦50年ころから編纂され
たという法華経の、執筆者たちの願いも、ついえてしまいます。法華経を書
いた意味がなくなってしまいます。
法華経の執筆者たちは、未来永劫に法華経が伝えられることを祈りつつ、
安楽行品を書いたと思われます。途中で、法華経の信徒が途絶えては困る
わけです。
また、原始仏教典を読んでから法華経を見た場合、安楽行品は原始仏教典の
意に則していますが、勧持品はかなりの差が感じられます。
排他性・殉教精神・使徒的仲間意識のような激烈さが書いてあるようです。
日蓮聖人の激しい他宗排撃が、あったればこそ、日蓮宗が後世まで生き続け
たと思います。しかし逆に、それゆえ厳しい弾圧を受け、多くの信徒が殉教
し負傷してしまいました。行敏訴状御会通を見ると、弟子等を殺害に及ぶこ
と数百人と書いてある通り、すさまじい惨状です。
日蓮聖人が他宗排撃をしなければ、数百人の信徒が寿命をまっとうできたわ
けです。生命尊重の、現代に生きる私としては複雑な思いです。
安楽行品は、天台からすると迹門であり、安楽行品の菩薩は初心の菩薩です。
勧持品は本門であり、この菩薩は地湧の菩薩ということです。日蓮聖人ご自
身は、すでに初心ではないということで、安楽行品を軽視したと思います。
とはいえ、日蓮聖人が安楽行品を軽視および無視したのが、大難を受ける根
本原因だったと思われますが、いかがでしょうか?日蓮聖人は安楽行品を重
視すべきだったのではないか?という思いが消えません。
天台の、本門・迹門という立て分けを顧慮せず、二つの経典を素直に見た場
合、勧持品の未来予測&決意より、安楽行品の戒めを重視すべきではないか
と思っていますが、いかがでしょうか?
安楽行品↓
http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-14-1.htm
勧持品↓
http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-13.htm
3437
:
一字三礼
:2007/07/08(日) 23:53:16
犀角独歩さん
>わたしが過去の修行者といったのは、日蓮の前世が不軽菩薩、覚徳比丘であるとするのではなく、仏滅後の代に出現する比丘という位置付けで自身を当て嵌めたという意味です。
賛同いたします、仰るとおりであろうと思います。
>つまり、釈尊は不軽菩薩であり、有徳王であるというのが、法華・涅槃のストーリーということになりますね。
涅槃経は、法華経の影響の下で成り立っている経典ですが、法華経は涅槃経を想定してはいませんよね。だから、法華経の立場から涅槃経との会通をはかるのは本来は無理なことです。
ただ、日蓮の理解では会通が出来ていたのでしょう。
ところで、ご見解をお聞かせいただきたいのですが。
一般的な日蓮宗の解釈では、「立正安国論」は、時の為政者である時頼を法華信者にすることによって、一気に日本全土への広宣流布を図った、というものでしょう。
しかし、常識的に考えれば、日本で為政者の一人が信奉する宗教を換えたからといって、日本国民が全て改宗したという前例はありませんでした。
事実、時頼が臨済禅を信奉していても、巷で流行っていたのは念仏です。
ということは、以前に独歩さんもご主張されていたとおり、「立正安国論」の執筆動機は、為政者の権力によって‘邪宗を禁止’させるためであった。つまり、為政者に対する‘折伏の勧め’です。
‘邪宗の禁止’とは、承元元年(1206年)2月の後鳥羽上皇が怒りにまかせて命じた、念仏の禁止という措置を念頭においていたものでしょう。
この措置を再び厳格に実行すべし、というのが「立正安国論」の主張だと思います。
3438
:
一字三礼
:2007/07/08(日) 23:53:56
つづきです。
ここで思い出されるのが「観心本尊抄」の一節です。
「当に知るべし、此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す。」
日蓮は、当時を折伏による布教の時代と捉えていました。
それは、為政者が、その権力と法律とを駆使して、日蓮法華以外の信仰を禁止にすることによって、広宣流布が達成される、というものと考えられます。
自らを覚徳比丘に重ね合わせる日蓮にとって、常に求めたのは日蓮にとっての‘有徳王’だったということでしょう。
有徳王の方が覚徳比丘よりも功徳が勝っているのは、金剛身品のとおりです。
総合しますと、日蓮は、「立正安国論」を採用して、実行した為政者(王)こそが‘上行菩薩’と考えていたのではないでしょうか。
そう考えますと、日蓮が、自身を上行菩薩と想定していたとは考えられません。
しかし、この考え方が、‘三度の高名’後、文永十一年四月八日を境に、為政者に対する諦め、折伏を諦めた時から、日蓮は上行菩薩を意識するようになるのではないでしょうか。
3439
:
顕正居士
:2007/07/09(月) 11:13:22
>>3438
本尊抄のその語句は顕密体制や皇道思想とあいまってそういう解釈が室町時代に形成される。
そして明治維新後にまた国柱会によって復活する。しかし日蓮が言及している賢王は明らかに
クビライ・ハンのことである。誡責愚王は元寇以外の何物でもない。
そうした閻浮提闘諍の時代には出家といえども武器を帯びて自衛することも許される。実際に
日蓮は刀(数珠丸)を帯していた。そういう出家のあり方もまた折伏と称される。
このことは北嶺南都においては常識になっていた。ただし学生、がくしょう、ほんものの出家は
十戒だけは守り、堂衆、どうしゅう、学生の従者が武装して護衛するのを建前とする。
(実際にはこの建前も守られなかった。学生も妻帯し、時には天台座主自ら戦陣に立った)
鎌倉幕府はこの武装寺社勢力を関東において認める気はなかった。初歩的な政教分離の
思想へ進歩していたといえる。しかし関西では公然と行われている思想なのだから、日蓮の
処置には十分慎重であった、比叡山や興福寺との対立は避けなければならなかった。
3440
:
犀角独歩
:2007/07/09(月) 19:43:19
一字三礼さん
重ねてご返答、まことに有り難うございます。
3437〜3438に記されておられるところ、ほぼ同意いたします。
わたしの日蓮=上行論の最大の疑問は、真蹟から鑑みられないことも、もちろんですが、この菩薩の特質に拠ります。
釈尊五百塵点成道初発心弟子にして、已来大地の虚空に住したこの菩薩は、不軽菩薩の如く、畢える罪があるわけもなく、その偉容は「是諸菩薩 身皆金色 三十二相 無量光明」といいます。「或被軽易或形状醜陋 衣服不足 飲食麁疎求財不利生貧賎家邪見家或遭王難」などという有様とは次元を異にしています。以上の次第ですから、日蓮が自身を上行再誕と考えていたとは、とても考えづらいと思うわけです。
『立正安国論』の提出は、仰るような次第であると、わたしも思います。
承元元年2月の後鳥羽上皇の念仏の停止をモデルにして、いまでいう新興宗教、それも京都を睥睨した鎌倉の暫定武家政権に対して、物を申したというのが、当初の有様であったのではないでしょうか。
この時点で、日蓮が王難を覚悟していたか?と問われれば、わたしは、寧ろ、国師の待遇で迎え入れられるような夢想もあったのではないかと思う節はあります。しかし、結果は歴史の如くでした。その中で仏滅後の成仏のモデルを不軽菩薩、覚徳比丘に求めていったのではないかと考えています。
当初は、法華復興を基調にした考えであり、寿量仏/四菩薩本尊といったモデルも出来上がったいなかったのではないかと思えます。その意味で、初期『立正安国論』執筆段階で四菩薩出現を想定したとは考えづらいように思えますが、どうでしょうか。
しかし、その後の迫害に遭い、寿量仏/四菩薩信仰が徐々に闡明になっていったという経緯ではないでしょうか。『本尊抄』にいう四菩薩賢王は顕正居士さんが仰るとおり、クビライ・ハンを指していたと、わたしは思えます。ただでは、行摂受成僧は具体的に誰を指すのかという問いは残ります。
金色三十二相を具す無量光明を放つ菩薩の出現を日蓮は待っていたのか、実はわたしは待っていたと思います。待っていたからこそ、その四菩薩を像に刻むことを『本尊抄』に述べ、漫荼羅にも記したのだろうと思えます。
このような視点から日蓮の漫荼羅を眺め直すと、虚空に浮かぶ宝塔中の釈迦多宝、脇士四菩薩を娑婆土から仰視し、妙法蓮華経の五文字を受け取る日蓮という相関図とも見えます。それが合っているかどうかは別として、そのような観点からの日蓮解釈は十分に可能であると、わたしは考えます。
なお、「日蓮は、当時を折伏による布教の時代と捉えていました」とのことですが、この点では、わたしは少し違う見解を有しています。
『開目抄』に「無智悪人の国土に充満の時は摂受を前とす。安楽行品のごとし。邪智謗法の者多時は折伏を前とす。(常不軽品のごとし。)…末法に摂受折伏あるべし。所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国当世は悪国か破法の国かとしるべし。」
では、日蓮は日本国を如何なる国かと言ったか、
『開目抄』に「‘悪国’悪時これなり。具には立正安国論にかんがへたるがごとし」、『富木殿御返事』に「諸天善神去此‘悪国’故」、『曽谷入道殿許御書』に「其外閻浮守護天神地祇或去他方 或住 此土不守護於‘悪国’」と、日蓮は、日本国を悪国であると書いています。
ここで先に挙げた『開目抄』の文を整理してみます。
┌無智悪人の国土…=悪国は摂受
└邪智謗法の者多時=破法は折伏
となれば、日蓮は末法日本国では「摂受を前」といっていることになりませんか。だからこそ、その摂受をしない自身への批判を『開目抄』に弁明しているのではないでしょうか。ただし、それは日蓮が折伏の人ということではなく、安楽行品摂受からの逸脱を、あくまで摂受=僧の立場から論証しているのであって、僧が折伏という意味ではないわけです。
ちなみに「邪智謗法の者多時は折伏を前とす。(常不軽品のごとし。)」の文において、仮に()内の一文があったところで、折伏(暴力によって)折り伏せられることに遭った不軽菩薩ということですから、不軽菩薩が摂受である点は動きません。摂受は、常に折伏との対置して両輪の如く両者あって成り立つからです。
無知悪人:不軽菩薩=折伏:摂受
無智悪人:覚徳比丘=折伏:摂受
無智悪人:日蓮聖人=折伏:摂受
という論旨で一貫しています。
以上のようにわたしは考えますが、この点についてもご賢察を承れれば有り難く存じます。。
3441
:
一字三礼
:2007/07/09(月) 23:35:53
犀角独歩さん
レスありがとうございます。
どう頑張っても‘賢察’とはいきませんが、少し記させていただきます。
仰るところの上行菩薩の特質からのご考察、賛同します。
上行菩薩は、その六万恒河沙の眷族と共に「寿量釈尊の証明」と「神力品の別付属」を役割とする菩薩です。
その特徴を日蓮が「上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩也。」(観心本尊抄)と言うように、寿量釈尊と同じ世界に住するという特殊性のため、一品二半の中で観心として把握されるべき菩薩格ではないかと思います。
それに対して覚徳比丘と不軽菩薩は、始覚釈尊の前生として、その性質・働きが非常に具体的に表現されており、上行菩薩の特徴と比較すればかなり単純な印象さえ受けます。
現実に苦難を乗り越えて生きた日蓮にとって上行菩薩は、自身と重ねるというより、内面的に把握される存在ではなかったか、と考えます。
>この時点で、日蓮が王難を覚悟していたか?と問われれば、わたしは、寧ろ、国師の待遇で迎え入れられるような夢想もあったのではないかと思う節はあります。
私もそうではなかったかと思います。
>初期『立正安国論』執筆段階で四菩薩出現を想定したとは考えづらいように思えますが、どうでしょうか。
たしかに仰るとおりですね、ここのところで私は時系列を考慮に入れておりませんでした。
顕正居士さんもご指摘されておりました、賢王=クビライ・ハンという構図は、日蓮が日本の為政者に絶望した後の発想なのではないでしょうか。
つまり、もともと日蓮は、「立正安国論」が時頼に採用されると考えていたのでしょう。そうなれば時頼が‘賢王’に見立てられたのではないでしょうか(ご指摘のように、この時点では賢王=四菩薩の思想はなかったでしょう)。
ところが、三度諫めてもこれを用いない幕府・執権を諦めたとき、他国に賢王の存在を求めたのではないかと思います。
>金色三十二相を具す無量光明を放つ菩薩の出現を日蓮は待っていたのか、実はわたしは待っていたと思います。
私も同様に思います。
前で記しましたように、上行菩薩は、寿量釈尊と同世界に住む存在なので、分別を超えた観心で把握されるべき、抽象的な存在です。
おかしな言い方になりますが、その神聖にして抽象的な菩薩が、現実に現れると日蓮は考えていた。
矛盾する概念を渾然一体として把握するのも日蓮の魅力ではないかと思います。
>なお、「日蓮は、当時を折伏による布教の時代と捉えていました」とのことですが、この点では、わたしは少し違う見解を有しています。
挙げてくださった遺文では、たしかに日本=悪国=摂受というのも成り立ちますし、日蓮は「摂受を前」といっているように思えますが、これはどうでしょう。
少し長くなりますが、引用します。
「余に三度のかうみやう(高名)あり。一には去し文応元年[太歳庚申]七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向て云く 禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ひなきならば、此の一門より事おこりて他国にせめられさせ給ふべし。二には去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向て云く 日蓮は日本国の棟梁也。予を失ふは日本国の柱橦を倒すなり只今に自界反逆難とてどしうちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるのみならず、多くいけどりにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚をゆひのはまにて切らずは、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ。第三には去年[文永十一年]四月八日左衛門尉に語て云く 王地に生まれたれば身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず。念仏の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑ひなし。殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古国を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば、」(撰時抄)
三度ともに、為政者に対する‘折伏の勧め’とは読めませんでしょうか。
私には、日蓮は、為政者が折伏によって(権力・武力・法等)、邪宗はを取り締まるのを待望していたのではないかと思います。
3442
:
顕正居士
:2007/07/10(火) 00:44:58
>>3440
犀角独歩さん。日蓮は聖僧としての上行菩薩の近未来出現を期待していたと私も考えます。
日蓮の王仏思想は北嶺南都のジハド思想そのままで、これが完全に片付くのは織田信長を
待たねばならない。同様の思想に依然停滞していたカトリック勢力も追放し、豊臣秀吉により
世界最初の政教分離国家日本ができます。
日蓮の王仏思想はそのように時代遅れのものでしたが、一閻浮提闘諍の世界を直感したのは
素晴らしかった。当時、ユーラシアの真ん中にクビライ・ハンの世界帝国が成立していました。
豊田有恒さんの小説のように、もし四汗国の分裂抗争がなければ、13世紀に地球は統一され、
数百年早く文明が進歩した可能性は否定できません。実際にはナポレオン帝国と同様に
各地の民族主義を昂揚させ、別の形で文明の進化を促した。
クビライ・ハンの世界帝国は商業帝国であり、グローバライゼーションのために商業と相性のよい
インド大乗仏教を国教とした。帝師パスパはほぼ日蓮と同時代の人。摂受を行う聖僧と折伏を行う
賢王は実在したのですね。
なお悪国とか破法とかに深い理屈はなく、北嶺南都の常識がまず動かないものとしてあった。
章安荊渓の釈を引く大乗涅槃経折伏(ジハド)思想です。法華思想とは整合しませんから、
日蓮の言説は検討すると論理的にあいまいですが、乗急戒緩の思想がもう常識だったでしょう。
3443
:
顕正居士
:2007/07/10(火) 03:02:53
日蓮は預言者であり、一見理屈っぽいが、実は直感の人でした。
彼の理屈は破綻しているが、神秘的な感性を有しており、
大元帝国の位置と国際情勢を自己心中に投射したのです。
この点では北条氏は全然だめでした。元の国書は今日的には政権の承認を求めたものです。
中国の正統政権とは日本政府は常に公式とは限らないが修好していました。
日宋関係は非公式のほうです。日本政府が事情に疎いと考え、行った示威行為が文永の役です。
次の段階では宋はすでに滅亡しています。日本政府に修好を拒否する理由がありません。
しかるに外交官を斬殺した行為をむろん、日蓮は批難しています。
弘安の役は実際に威力をもって国交を要求する計画でした。これが失敗したのですが、
元が中国の単一政権であることはもう事実なので、商人は貿易を盛んにおこなうようになり、
幕府も禁止しませんでした。それで3次侵攻計画もありましたが、まあよいかとなりました。
幕府は愚行によって崩壊の運命が定まる。国際情勢の直感では幕府は話になりませんでした。
3444
:
犀角独歩
:2007/07/10(火) 06:08:06
顕正居士さん
ご教示くださった当時の世界情勢と日本の位置、そして、その背景から見える日蓮像は、たいへん参考になりました。神話化された日蓮物語を、貿易はもちろんのこと、実際的な人の営みの延長にある国の、世界の情勢から見直すこと。何と生き生きとした現実感かと思えました。有り難うございます。
一字三礼さん
> 三度ともに、為政者に対する‘折伏の勧め’
そのとおりだと思います。
わたしは従来の摂折論は、いくつかの思い違いに基づいていると考えます。まだ、思惟の段階で整理しておりませんが、いくつか挙げてみます。
まず、摂受・折伏のいずれかという選択論。これは違いませんか。
摂折は水火の相違と日蓮は言いながら、しかし『本尊抄』の王/僧の対比の如く、車の両輪の如く、セットされた考えです。その典型が、有徳王/覚徳比丘の物語ですね。日蓮が『開目抄』に言っているのは、どちらが‘先’かということであって、いずれか片方、それで折伏だといった選択論ではありませんよね。先を言うのは、後があることを前提にした立論です。摂受・折伏、どちらが先かということであって、結局は摂折両立であるわけです。
日蓮は仰るとおり、為政者に対して、『涅槃経』、また、『止観』から導かれる武力統制、すなわち折伏を勧めています。では、僧である日蓮はいえば、あるべき安楽行品における摂受をまず前提にして、「見壊法者」を引用し、身に宛てます。これは一貫した日蓮の在り方でした。「若能駈遺呵責挙処」、また、不軽菩薩の撃於毒鼓、申つをら(強)りは、折伏か。この点は過去に論じましたので繰り返しませんが、それが強説であれ、説法であれば、それは「弘持正法」なのであって、摂受の域です。つまり、日蓮は当時の安楽/摂受といった僧侶の襟度から、涅槃「見壊法者」を鑑み、強言説法といった摂受の限界に挑んだのではないでしょうか。つまり、『開目抄』で展開される摂折論において、日蓮が自身に宛てて論じているのは摂受の範囲内ではないかということです。
この日蓮の摂受を前として、為政者に対して折伏を勧めた。つまり、ここで、日蓮の言説が先行するわけですから、摂受が先になっている。そして、その後に為政者の折伏が続くという道程を日蓮は想定していたと思えるのですが、どうでしょうか。
3445
:
犀角独歩
:2007/07/10(火) 07:19:00
御礼を申し忘れました。
一字三礼さんのご賢察、日蓮非上行論、摂受論は示唆に富み、大いに刺激されました。感謝申し上げます。有り難うございます。
いずれにしても、日蓮門下の折伏論とは、『如説修行鈔』(文永10年5月)を真筆と扱うかどうかで大きく意見が分かれています。
わたし個人は、身延曽存、後5月の『顕仏未来記』、また『富木殿御返事』などと比して、文体が著しく異なり、メンタリティにも格段の相違があると感じます。
一字三礼さんは、この書にどのようなご見解を有していらっしゃいますか。
3446
:
マターリ
:2007/07/10(火) 10:21:06
行敏訴状御会通を見ると、弟子等を殺害に及ぶこと数百人と書いてあります
。しかし、日蓮聖人の伝記を見る限りでは、小松原の法難の際に、鏡忍坊、
工藤吉隆が戦死、あとは熱原の法難で神四郎・弥五郎・弥六郎の三人が殺害
されたことくらいしかわかりません。
数百人という膨大な数の殉教者は、どの法難で出たのでしょうか?
3447
:
顕正居士
:2007/07/10(火) 15:02:09
なぜ中世では聖戦思想が当たり前だったのか?
大乗涅槃経の折伏思想は頻繁に支配民族が交代する中央アジア、インド北部で起こったのでしょう。
インド仏教末期の折伏思想はむろんイスラームに対するものです。
しかし中世の日本や欧州では平時に聖戦思想が当たり前だった。異民族に対するものですらない。
これはなぜか?
中世の寺社は封建領主で、小作料が主な収入です。それで土地の支配権はどうやって維持するか。
中央政府が小さい封建社会では領主は軍事、警察、司法を自分で行う、自分の土地は自分で守る。
そうしますと外交関係が特にこじれている他宗他派の寺社とは常時聖戦状態になります。
延暦寺と三井寺のように。実力がない中央政府や地方政府が干渉してきますとこれとも聖戦です。
聖戦によって僧侶の日常経済生活が成り立っているのですから、一方ではいくらでも戒律の話は
並べられるが、なんら現実生活とは関係しません。人は成り立っている経済生活の基本を疑わない。
せいぜい、末法だからねでおわりです。まあ、そういう事情であったと想像します。
3448
:
マターリ
:2007/07/10(火) 16:15:24
私の質問には、答えていただけないようですね。
3449
:
顕正居士
:2007/07/10(火) 16:23:28
>>3448
その数百人というのは凶徒の人数のことです。
3450
:
犀角独歩
:2007/07/10(火) 19:05:52
顕正居士さん
実に参考になります。経典を神秘的な呪文のように考えがちなところを、そこに描かれたストーリーから、モチーフになった事実を探ることは、新たな視点を生みますね。かつて、わたしは、地涌菩薩の物語を読んだとき、これこそ、この経典を創った人々自身をモデルにしたものであると思ったものでした。
教理経説としてではなく、創作者が自分たちを肯定する為に紡いだ物語であると考えるとき、「折伏」の意味も、より具体的に見えるわけですね。
有り難うございます。
3451
:
顕正居士
:2007/07/10(火) 19:51:27
下は有名な武装寺院根来寺についてルイス・フロイスが記した書簡です。
はじめに「この国に45の宗派があり、各々一大共和国の如きもの」とまず述べています。
いわば宗教戦争先進国であった日本事情の一端が伺えます。
宣教師ルイス・フロイスが耶蘇会総長に書き送った手紙
http://www.geocities.co.jp/SilkRoad/2215/motto/ruis.htm
3452
:
一字三礼
:2007/07/10(火) 22:11:09
犀角独歩さん
もう何年も前から、ご教示いただき続けているのは私の方です。こちらこそ御礼申し上げます。
>まず、摂受・折伏のいずれかという選択論。これは違いませんか。
仰るとおりであろうと思います。
涅槃経の有徳王と覚徳比丘にしても、同時代に生存しているわけですよね。同じ時に、有徳王は折伏を現じ、覚徳比丘は摂受を行していた、という設定が摂折選択論ではないということを表していますね。
>日蓮は当時の安楽/摂受といった僧侶の襟度から、涅槃「見壊法者」を鑑み、強言説法といった摂受の限界に挑んだのではないでしょうか。
>日蓮の言説が先行するわけですから、摂受が先になっている。そして、その後に為政者の折伏が続くという道程を日蓮は想定していたと思えるのです
まさしくその通りと存じます、お説に賛同します。
「如説修行抄」についてですが。
私はこの書の来歴について、以前、れんさんにお聞きした事がありました。
興風談所の研究で、茨城県富久成寺蔵・伝日尊筆「如説修行抄」古写本は、前半部と後半部では、筆跡が異なり、奥書の署名は、静岡県伊豆実成寺蔵の日尊自筆書状の筆跡とは異なるというご教示をいただいた、と記憶しております(もしも記憶違いがありましたら、れんさん、訂正をお願いしますです)。
文献学的に考えて、日尊は、日蓮の孫弟子ですから、確かな日尊古写本が存在したとしても、もとより、身延曾存遺文・日興等六老僧古写本と比べて、信頼度は格段に落ちます。
ところが、「如説修行抄」は、とてもその孫弟子の写本とも認めることができる代物ではありません。
今成師の説を加えずとも、「如説修行抄」は、日蓮遺文を考察する上で、考慮にいれるべき書ではないと考えます。
3453
:
マターリ
:2007/07/10(火) 22:30:41
>顕正居士さん、教えていただき、ありがとうございました。昔の文章は
なかなか理解しずらいですね。古語は苦手でしたから・・・。
ルイス・フロイスというと、織田信長が連想されますね。
NHKの特集で見ましたが、織田信長が暗殺された本能寺は、日蓮宗の寺院で
した。当時の本能寺は、種子島法華宗ルートの鉄砲の集積地であり、地下に
は蓄積された硝煙蔵まであったそうです。
本能寺が炎上したとき、普通の火事ではなかった、との記録があり、硝煙蔵
が燃えた可能性が高いと思われます。
信長の死体が発見されなかったのも、その辺の事情が影響しているのでは、
ないでしょうか?
また、本能寺には、鉄砲などを複数の実力者に斡旋していたらしき記録が残
されているようです。
>一字三礼さん、
>有徳王は折伏を現じ、覚徳比丘は摂受を行していた
秋元御書を読むと、「覚徳比丘は無量の謗法の者を殺し・・・」とありますの
で、覚徳比丘も、折伏をしたのではないでしょうか?
3454
:
一字三礼
:2007/07/10(火) 23:22:42
顕正居士さんのご投稿を読みながら考えたのですが。
悪僧・僧衆(僧の集団もこう呼ぶ)とは、大きな荘園を有する、興福寺・延暦寺・東大寺等の大寺院に所属する、身分の低い・学の無い堂衆が、武装して寺院の財産を守り、他に略奪に出かける武装集団だと認識しております。
しかし、日蓮の場合は、延暦寺の出世コースを自ら放棄し、寺も持たず、当然、荘園も持たなかったので、武器を持ち人に対する理由は見当たりません。
日蓮が、どこかで剣技を身につけていたとは考えられませんし、数の知れた弟子の僧達も、弁慶とはいかなかったでしょう。
日蓮の知力から考えて、鎧・兜も着さず、ろくに使えもしない太刀一振りを持ち、少数の弟子とクーデターを企むとはとても思えません。
日蓮が武装していたとするならば、その理由はなんでしょうか。
日蓮所持と伝わる刀は、日蓮宗では、身延が貰い損なった尼崎本興寺の「数珠丸恒次」であるとし、富士派では「三条小鍛冶宗近」(当然、初代ではないでしょうが)としますが、しかし、これは伝承の域ではないでしょうか。
3455
:
一字三礼
:2007/07/10(火) 23:54:15
マターリさん、はじめまして。
こちらの掲示板では、日蓮の著作を挙げるとき、まず真筆遺文であることが基本になります。
そこからケース・バイ・ケースで、来歴のはっきりしている身延曾存や古写本も含めて論じていくこともあります。
このように慎重にせずに、来歴の不確かな写本遺文も含めて論じてしまった場合、もしその写本遺文が偽書であったら、議論している土台がすでに崩れていることになってしまい、議論すること自体が無駄になってしまいます。
このような理由から、ご指摘の「秋元殿御書」(筒御器鈔)は考慮にいれておりませんでした。
3456
:
マターリ
:2007/07/11(水) 00:53:42
>一字三礼さん、初めまして。こちらこそ宜しくお願い致します。
レスありがとうございます。「秋元殿御書」が真蹟でないとのことで、了解
しました。以前にも注意されながら、忘れていました。
>日蓮が、どこかで剣技を身につけていたとは考えられませんし、数の知れ
た弟子の僧達も、弁慶とはいかなかったでしょう。
初期の在俗信徒のほとんどが武士でした。富木五郎・太田金吾・曾谷左衛門
尉・工藤吉隆・池上宗仲・宗長親子・四条金吾・波木井六郎など。
武士の仕事は「殺人」です。彼らが、襲撃される危険性の高い日蓮聖人に、
武芸の基礎を教えた可能性は、多少でもあるのではないか、と思われます。
太刀は、かなりの重さがありますが、日蓮聖人は大柄だったとのことですの
で、振り回すことはできたと思います。
>日蓮の知力から考えて、鎧・兜も着さず、ろくに使えもしない太刀一振り
を持ち、少数の弟子とクーデターを企むとはとても思えません。
聖僧ですから、鎧・兜を着していては、さまにならないと思います。鎧は、
切られるときは安全ですが、刀の切っ先で突き刺されると、つなぎ目から
入ってしまうので危険です。
また、鎧・兜などを着用していると、戦意があるとみなされ、かえって
標的にされてしまうのではないでしょうか?大刀を持ち、防御の構えを見せ
ていた方が、敵の戦意を多少とも和らげるかも知れません。
敵が大刀で切りつけてきたとき、小刀では質量からして、大刀に押し返され
防ぎきれないと思います。
>日蓮が武装していたとするならば、その理由はなんでしょうか。
あくまでも自衛のため、だけだったのではないでしょうか?武器は、反日蓮
の徒の襲撃から、身を守るのもおぼつかない程度のものだったと、推察され
ます。
3457
:
顕正居士
:2007/07/11(水) 01:42:48
>>3454
一字三礼さん。
日蓮は僧兵によって守られた寺院に起居していたわけではないからこそ護身の武器を帯していた
と想像します。剣技というほどのものは訓練していなかったでしょうが、安全に武器をあつかう程度
はこの時代は多数の人が幼年時代に学習したでしょう。兵農分離も刀狩もずっと先のことです。
しかし鎌倉幕府は僧侶の武装を禁じていましたから、このことが後の流刑の一原因になっています。
三條小鍛冶宗近は北条弥源太から贈られたもので礼状が残っています。但し三條小鍛冶宗近と
いう名はありません。数珠丸のほうも旧国宝、現重文であり、この天下五剣の持ち主に日蓮以外
の名が挙がらないのですから、相当に信用できる伝承ではないかと考えます。
いわゆる僧兵はほんものの僧侶(官僧、学僧)の従者ですが、延暦寺の学僧といえども、良源が
定めた最小限十戒護持を放棄していたようです。中に証真のような反時代的学僧はいたでしょうが。
日蓮は関西の常識を関東に持ち込んで臆さなかったのではないでしょうか。日蓮の反感は戒律の
復興を志す僧と南宋からの亡命僧に向かっていましたから。後者は国際情勢に関して偽情報を
幕閣に伝えていると考えたのかも知れません。ともかく鎌倉幕府の武装寺院を認めない方針は
十分成功し、関西のような物凄いものは出来ませんでした。
ところで梵語学の開拓者である南条文雄は少年時代は本願寺僧兵だったそうです。神仏判然令
に対して急遽僧兵を復活、奥羽列藩側に参戦予定の教練に召集されたのだそうです。
3458
:
一字三礼
:2007/07/11(水) 22:45:08
身に命の危険が迫った時、はたして日蓮は、太刀を履いていたか、また、その太刀を護身のために使ったのでしょうか。
文永元年八月二十七日の松葉ヶ谷法難と呼ばれる、念仏者から襲撃された事件があります。
「念仏者竝びに檀那等、又さるべき人々も同意したるとぞ聞こへし。夜中に日蓮が小庵に数千人押し寄せて殺害せんとせしかども、いかんがしたりけん、其の夜の害もまぬかれぬ。」(下山御消息 建治三年)
鎌倉の市内は、険しい山に囲まれた土地柄、襲撃されて助かった例はほとんどありません。
日蓮が、なぜ逃げることができたのかを考えた場合、予め逃走路を用意していたか、山道を熟知した者の助けがあったか、そのどちらかしか考えつきません。
少なくとも、日蓮が太刀を振るって応戦していたら、たとえ敵が数十人であったとしても、衆寡敵せず、瞬く間に討ち取られていたのではないでしょうか。
もう一つは、同じく文永元年十一月十一日の小松原法難があります。
「今年も十一月十一日、安房国東條の松原と申す大路にして、申酉の時、数百人の念仏等にまちかけられて候て、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものの要にあうものはわずかに三四人也。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなずまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自信もきられ、うたれ、結句にて候し程に、いかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり。」(南条兵衛七郎殿御書 文永元)
伝承では、相手の太刀を数珠で受けたとされており、その数珠が正中山法華経寺に残っています。この時、急を聞いて駆け付けた工藤吉隆は従者と共に切り死にしたとされております。
数珠で太刀を防いだことが事実ではなくても、太刀を抜いて応戦していれば、やはり容易く討ち取られる状況ではないでしょうか。
この時も日蓮は、ただその場から逃れた、としか考えられません。
もうひとつ、五郎入道正宗以前の太刀は、実践向きではありませんでした。
元寇の時に、日本軍の太刀が蒙古軍の鎧を貫けずに、折れることが頻繁に起こったそうです。(実戦で、鎧を着けた相手に対して、刀は切るよりも突く武器であった)
いわゆる、古刀の「猪首切先、腰反りが高く、柄元に踏ん張りがある」太刀姿は、鑑賞する分には非常に美しいのですが、実践向きではなかった。
正宗は、実戦向きに「猪首切先」を止めて、切先を長くして刺さりやすいと形状にし、反りを少なくし、柄元から三つ頭までの刃幅をほとんど同じにして、厚重ねの太刀を打ちました。
正宗以前の刀は、護身用は護身用でも、悪霊や病から身を守るためのものでした。
籐四郎吉光や、正宗の師匠と言われる新籐五国光らは、短刀の名手であり、彼らの打つ刀には、魔除けを刻んだものもあります。
顕正居士さん
>日蓮の反感は戒律の復興を志す僧と南宋からの亡命僧に向かっていましたから。
日蓮は、「末法無戒」と称しながらも、自身は「南山律」を守っていた。ということは、以前、顕正居士さんがご指摘されていたことでしたね。
それなのに、何故、戒律の復興を志す僧を嫌ったのでしょうか。
南条文雄といえば、昭和2年まで生きていた方ですね。
そんな近代に僧兵の経験がある人がいるとは驚きました。
3459
:
顕正居士
:2007/07/12(木) 20:03:24
今日、仏教僧は多少種類の違いはあるが具足戒(250戒)を持っており、これを持っていれば
一大仏教サンガの成員とみなされます。例外は日本仏教の僧侶とチベット仏教ニンマ派の
僧侶だけです。ニンマ派というのはチベット固有の宗教ボン教と習合した宗派です。
この点、日本仏教はやはり日本固有の宗教神道と習合した宗派であるといえましょう。
神道は母系制社会の宗教の性格を色濃く残しており、外来の父系制社会の宗教と根本的に
相容れない面があります。しかし日本人は和魂洋才、神本仏迹という原理で外来文化を
変形して受容して来ました。日本仏教が戒律を放棄したのもその変形受容の一つと考えます。
日本仏教の思想としては理戒、事戒ということがあります。具足戒は事戒であり、釈尊の時代
の共同生活の決まりであり、仏教僧はこれを原則今日まで維持して来たわけです。
日本にはインドのような教団生活が最初からありませんでした。僧侶は外国文化を学習輸入
する役人としてはじまった。共同生活の場合、酒を飲んで暴れる人がいるとたいへん迷惑です
から、飲んでも静かな人も酒を飲まない決まりを受け入れます。でも共同生活を離れたら、
別でしょう。それで理戒という考えができます。暴れたり、記憶喪失したりがいけないんで、
酒を飲む、飲まないは個々の場合によるとするのです。最終的にはいつも正しい生活を行え
という一個の精神的戒律しかなくなります。これを一大円戒といいます。
日蓮は確かな遺文では無戒という語は一回も使っておらず、一大円戒の立場でありました。
無戒ですと三大秘法になりません。しかしそれは言葉だけで無戒も円戒も変わらぬといえば、
大衆的には変わらなくなります。結局、個々の宗派、寺院が社会生活の決まりは作るのだし、
それが個々ばらばらで一大サンガというものが存在しない、日本仏教が宗派間戦争の弊害に
陥った理由です。ともかく日蓮は事戒の復興は時代の潮流に反したものであると考えました。
3460
:
犀角独歩
:2007/07/15(日) 08:46:57
一字三礼さん
御礼が遅くなりました。『如説修行鈔』に関するご回答、有り難うございました。
3461
:
みれい
:2007/07/18(水) 19:49:43
こんにちは。
どなたかご教示ください。
神国王御書、妙法尼御前御返事、顕立正意抄、千日尼御前御返事、について、
真蹟かどうか、
また、こちらで「臨終の相」について議論されているスレッドがありましたら教えていただきたいです。
今でもこのような話で他宗批判の連絡をしてくる方がいらっしゃるとのことで、私のほうに問い合わせがありました。
内容に関してはここでは信じている方もいないと思いますが、ある意味デリケートな時期にデリケートな内容なので、
日蓮正宗系団体、および日蓮宗、あるいは日蓮系信者の現在の御遺文の取り扱いなどを調べております。
3462
:
再挑戦者
:2007/07/18(水) 19:55:28
失礼します。
昨今の今、ソゾロ素朴な疑問です、。
仏教・修行の中では、修行の姿勢を決め込むことが肝心で、その姿勢・==修行行動さえ、有れば、念仏宗、=禅宗、、含むその他の宗教?、、と言う、言説が通論になりかけていますようです、、。
これは本当に許容して、、??、、よろしいのでしょうか、?? 人間釈尊、、人間日蓮が世相の不幸・惨めな惨状からの脱皮を思い、人間らしく生き、人間らしく死ぬ為への、、考察・思索・思い、、などは、現今の、金儲け主義一本道の悪漢どもとの戦いに、いかに対処したらエエンでしょうね、、!!! 人生は不可解、、宗教も依然として混沌・不可解、、でしょうか、、!!、、??
3463
:
再挑戦者
:2007/07/18(水) 20:48:36
失礼。 補足させて戴きたく存じます、。
「四固の格言、」、、「、念仏をナニユエ,、いけない教え、人間にとり不当なよこしまな教えと断じた、日蓮さんは、???」、、釈尊でさえ、法華経以前の教えは「ビル建設の足場丸太だ、、!!」、とのべています、、??
現実は、、釈尊〜日蓮も、、教えの浅い〜深い〜重い〜軽い、、などを、事細かく、文書で残していますでしょうか、??
どの文書が偽書で、、どれが真蹟かの疑問はございますが、、 「、どの教えでも良い、??」、、などという発言は、日蓮信奉の内輪では、、いかがなものでしょうか、?? 疑問は999%、、以上にも実感しますが、、???
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