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素朴な疑問

3436マターリ:2007/07/08(日) 23:27:46
日蓮聖人は、法華経の安楽行品を軽視し、勧持品を重視したと思います。

しかし安楽行品をよく見ると、厳しい戒めの言葉が書いてあります。「しな
さい。してはなりません。答えなさい。いけません。」などと。

一方、勧持品を見ると「広く此の経を説くでしょう。我等をさげずみ刀杖を
加えることでしょう。」というように、「でしょう」という言葉が多いのがわ
かります。ですから、この経には、未来予測および決意が書いてあるような
気がします。

戒めと未来予測&決意と、どちらを大事にすべきかですが、拙い私の考えでは、
戒めの方が大切なのでは、と感じます。

勧持品に書いてあるような難を防ぐためにこそ、安楽行品で厳しく戒めてい
ると思えるのです。もし前代未聞の大難が襲い来たった場合、法華経教団全
滅ということにもなりかねません。そうすれば、西暦50年ころから編纂され
たという法華経の、執筆者たちの願いも、ついえてしまいます。法華経を書
いた意味がなくなってしまいます。

法華経の執筆者たちは、未来永劫に法華経が伝えられることを祈りつつ、
安楽行品を書いたと思われます。途中で、法華経の信徒が途絶えては困る
わけです。

また、原始仏教典を読んでから法華経を見た場合、安楽行品は原始仏教典の
意に則していますが、勧持品はかなりの差が感じられます。
排他性・殉教精神・使徒的仲間意識のような激烈さが書いてあるようです。

日蓮聖人の激しい他宗排撃が、あったればこそ、日蓮宗が後世まで生き続け
たと思います。しかし逆に、それゆえ厳しい弾圧を受け、多くの信徒が殉教
し負傷してしまいました。行敏訴状御会通を見ると、弟子等を殺害に及ぶこ
と数百人と書いてある通り、すさまじい惨状です。

日蓮聖人が他宗排撃をしなければ、数百人の信徒が寿命をまっとうできたわ
けです。生命尊重の、現代に生きる私としては複雑な思いです。

安楽行品は、天台からすると迹門であり、安楽行品の菩薩は初心の菩薩です。
勧持品は本門であり、この菩薩は地湧の菩薩ということです。日蓮聖人ご自
身は、すでに初心ではないということで、安楽行品を軽視したと思います。

とはいえ、日蓮聖人が安楽行品を軽視および無視したのが、大難を受ける根
本原因だったと思われますが、いかがでしょうか?日蓮聖人は安楽行品を重
視すべきだったのではないか?という思いが消えません。

天台の、本門・迹門という立て分けを顧慮せず、二つの経典を素直に見た場
合、勧持品の未来予測&決意より、安楽行品の戒めを重視すべきではないか
と思っていますが、いかがでしょうか?

安楽行品↓
http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-14-1.htm

勧持品↓
http://comet.endless.ne.jp/users/fnwo/h-13.htm


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