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素朴な疑問

3444犀角独歩:2007/07/10(火) 06:08:06

顕正居士さん

ご教示くださった当時の世界情勢と日本の位置、そして、その背景から見える日蓮像は、たいへん参考になりました。神話化された日蓮物語を、貿易はもちろんのこと、実際的な人の営みの延長にある国の、世界の情勢から見直すこと。何と生き生きとした現実感かと思えました。有り難うございます。

一字三礼さん

> 三度ともに、為政者に対する‘折伏の勧め’

そのとおりだと思います。

わたしは従来の摂折論は、いくつかの思い違いに基づいていると考えます。まだ、思惟の段階で整理しておりませんが、いくつか挙げてみます。

まず、摂受・折伏のいずれかという選択論。これは違いませんか。
摂折は水火の相違と日蓮は言いながら、しかし『本尊抄』の王/僧の対比の如く、車の両輪の如く、セットされた考えです。その典型が、有徳王/覚徳比丘の物語ですね。日蓮が『開目抄』に言っているのは、どちらが‘先’かということであって、いずれか片方、それで折伏だといった選択論ではありませんよね。先を言うのは、後があることを前提にした立論です。摂受・折伏、どちらが先かということであって、結局は摂折両立であるわけです。

日蓮は仰るとおり、為政者に対して、『涅槃経』、また、『止観』から導かれる武力統制、すなわち折伏を勧めています。では、僧である日蓮はいえば、あるべき安楽行品における摂受をまず前提にして、「見壊法者」を引用し、身に宛てます。これは一貫した日蓮の在り方でした。「若能駈遺呵責挙処」、また、不軽菩薩の撃於毒鼓、申つをら(強)りは、折伏か。この点は過去に論じましたので繰り返しませんが、それが強説であれ、説法であれば、それは「弘持正法」なのであって、摂受の域です。つまり、日蓮は当時の安楽/摂受といった僧侶の襟度から、涅槃「見壊法者」を鑑み、強言説法といった摂受の限界に挑んだのではないでしょうか。つまり、『開目抄』で展開される摂折論において、日蓮が自身に宛てて論じているのは摂受の範囲内ではないかということです。

この日蓮の摂受を前として、為政者に対して折伏を勧めた。つまり、ここで、日蓮の言説が先行するわけですから、摂受が先になっている。そして、その後に為政者の折伏が続くという道程を日蓮は想定していたと思えるのですが、どうでしょうか。


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