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素朴な疑問
3441
:
一字三礼
:2007/07/09(月) 23:35:53
犀角独歩さん
レスありがとうございます。
どう頑張っても‘賢察’とはいきませんが、少し記させていただきます。
仰るところの上行菩薩の特質からのご考察、賛同します。
上行菩薩は、その六万恒河沙の眷族と共に「寿量釈尊の証明」と「神力品の別付属」を役割とする菩薩です。
その特徴を日蓮が「上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩也。」(観心本尊抄)と言うように、寿量釈尊と同じ世界に住するという特殊性のため、一品二半の中で観心として把握されるべき菩薩格ではないかと思います。
それに対して覚徳比丘と不軽菩薩は、始覚釈尊の前生として、その性質・働きが非常に具体的に表現されており、上行菩薩の特徴と比較すればかなり単純な印象さえ受けます。
現実に苦難を乗り越えて生きた日蓮にとって上行菩薩は、自身と重ねるというより、内面的に把握される存在ではなかったか、と考えます。
>この時点で、日蓮が王難を覚悟していたか?と問われれば、わたしは、寧ろ、国師の待遇で迎え入れられるような夢想もあったのではないかと思う節はあります。
私もそうではなかったかと思います。
>初期『立正安国論』執筆段階で四菩薩出現を想定したとは考えづらいように思えますが、どうでしょうか。
たしかに仰るとおりですね、ここのところで私は時系列を考慮に入れておりませんでした。
顕正居士さんもご指摘されておりました、賢王=クビライ・ハンという構図は、日蓮が日本の為政者に絶望した後の発想なのではないでしょうか。
つまり、もともと日蓮は、「立正安国論」が時頼に採用されると考えていたのでしょう。そうなれば時頼が‘賢王’に見立てられたのではないでしょうか(ご指摘のように、この時点では賢王=四菩薩の思想はなかったでしょう)。
ところが、三度諫めてもこれを用いない幕府・執権を諦めたとき、他国に賢王の存在を求めたのではないかと思います。
>金色三十二相を具す無量光明を放つ菩薩の出現を日蓮は待っていたのか、実はわたしは待っていたと思います。
私も同様に思います。
前で記しましたように、上行菩薩は、寿量釈尊と同世界に住む存在なので、分別を超えた観心で把握されるべき、抽象的な存在です。
おかしな言い方になりますが、その神聖にして抽象的な菩薩が、現実に現れると日蓮は考えていた。
矛盾する概念を渾然一体として把握するのも日蓮の魅力ではないかと思います。
>なお、「日蓮は、当時を折伏による布教の時代と捉えていました」とのことですが、この点では、わたしは少し違う見解を有しています。
挙げてくださった遺文では、たしかに日本=悪国=摂受というのも成り立ちますし、日蓮は「摂受を前」といっているように思えますが、これはどうでしょう。
少し長くなりますが、引用します。
「余に三度のかうみやう(高名)あり。一には去し文応元年[太歳庚申]七月十六日に立正安国論を最明寺殿に奏したてまつりし時、宿谷の入道に向て云く 禅宗と念仏宗とを失ひ給ふべしと申させ給へ。此の事を御用ひなきならば、此の一門より事おこりて他国にせめられさせ給ふべし。二には去し文永八年九月十二日申の時に平左衛門尉に向て云く 日蓮は日本国の棟梁也。予を失ふは日本国の柱橦を倒すなり只今に自界反逆難とてどしうちして、他国侵逼難とて此の国の人々他国に打ち殺さるのみならず、多くいけどりにせらるべし。建長寺・寿福寺・極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて、彼等が頚をゆひのはまにて切らずは、日本国必ずほろぶべしと申し候ひ了んぬ。第三には去年[文永十一年]四月八日左衛門尉に語て云く 王地に生まれたれば身をば随へられたてまつるやうなりとも、心をば随へられたてまつるべからず。念仏の無間獄、禅の天魔の所為なる事は疑ひなし。殊に真言宗が此の国土の大なるわざわひにては候なり。大蒙古国を調伏せん事真言師には仰せ付けらるべからず。若し大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば、」(撰時抄)
三度ともに、為政者に対する‘折伏の勧め’とは読めませんでしょうか。
私には、日蓮は、為政者が折伏によって(権力・武力・法等)、邪宗はを取り締まるのを待望していたのではないかと思います。
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