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素朴な疑問

3438一字三礼:2007/07/08(日) 23:53:56
つづきです。

ここで思い出されるのが「観心本尊抄」の一節です。

「当に知るべし、此の四菩薩は、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す。」

日蓮は、当時を折伏による布教の時代と捉えていました。

それは、為政者が、その権力と法律とを駆使して、日蓮法華以外の信仰を禁止にすることによって、広宣流布が達成される、というものと考えられます。

自らを覚徳比丘に重ね合わせる日蓮にとって、常に求めたのは日蓮にとっての‘有徳王’だったということでしょう。

有徳王の方が覚徳比丘よりも功徳が勝っているのは、金剛身品のとおりです。

総合しますと、日蓮は、「立正安国論」を採用して、実行した為政者(王)こそが‘上行菩薩’と考えていたのではないでしょうか。

そう考えますと、日蓮が、自身を上行菩薩と想定していたとは考えられません。

しかし、この考え方が、‘三度の高名’後、文永十一年四月八日を境に、為政者に対する諦め、折伏を諦めた時から、日蓮は上行菩薩を意識するようになるのではないでしょうか。


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