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素朴な疑問

3439顕正居士:2007/07/09(月) 11:13:22
>>3438
本尊抄のその語句は顕密体制や皇道思想とあいまってそういう解釈が室町時代に形成される。
そして明治維新後にまた国柱会によって復活する。しかし日蓮が言及している賢王は明らかに
クビライ・ハンのことである。誡責愚王は元寇以外の何物でもない。
そうした閻浮提闘諍の時代には出家といえども武器を帯びて自衛することも許される。実際に
日蓮は刀(数珠丸)を帯していた。そういう出家のあり方もまた折伏と称される。
このことは北嶺南都においては常識になっていた。ただし学生、がくしょう、ほんものの出家は
十戒だけは守り、堂衆、どうしゅう、学生の従者が武装して護衛するのを建前とする。
(実際にはこの建前も守られなかった。学生も妻帯し、時には天台座主自ら戦陣に立った)
鎌倉幕府はこの武装寺社勢力を関東において認める気はなかった。初歩的な政教分離の
思想へ進歩していたといえる。しかし関西では公然と行われている思想なのだから、日蓮の
処置には十分慎重であった、比叡山や興福寺との対立は避けなければならなかった。


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