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素朴な疑問

3356犀角独歩:2007/06/12(火) 18:03:50

マハーさん

何点か同意点がありましたね。
しかしながら、以下の点の相違について、わたしも記します。

「大経に刀杖を執持し、乃至首を斬れというはこれ折の義」というのは、門下一般の訓読(全集)です。ちなみに全集に載る現代語訳は「涅槃経金剛身品に『刀や杖をいつも携えて、あるいは首を斬れ』と説くのが折伏の意義である」となっています。パンナコッタさんに何ら間違いがあるとは、わたしは思いません。

なお、この引用は『金剛身品第五』の「執持刀杖」文、乃至『四相品第七』の「斬首」までではないでしょうか。

> …「是折義」というのは、折=正法護持、伏についてはその後に見られる衆生調伏でしょう。
> よって、折伏=正法護持衆生調伏 の意であって、この引用から、折伏=殺 というのは飛躍しすぎだと思います

さて、では、「飛躍」はどちらでしょうか。

まず第一に、止観の原文はパンナコッタさんが引用くださったとおりです。
ここに「雖与奪殊途俱令利益」とあります。これは与=摂:奪=折で、この与奪とは命を奪わず与える摂受と、命を奪う折ということを「与奪ことなりといえども、倶(とも)に利益せしむ」というわけですから、正法護持に守護があるのではなく斬首と同じく命を奪うこと、つまり「殺」にその意義があります。そしてですから、利益・功徳の対比ではなく、摂・折の対比のうえで共に利益ありという対比です。

また「衆生調伏」について、あとのほうに出るというのは、間違いではないでしょうか。これは『序品第一』の段階で出ています。以下のとおりです。

「爲欲利益安樂衆生 成就大乘第一空行 顯發如來方便密教 爲不斷絶種種説法 爲諸衆生調伏因縁故」

伏という字は同じでも、これを折伏の伏とする理由がわかりません。
衆生を利益‘安楽’せんとするという道筋ですから、寧ろ安楽、摂受に親和性があるのではないですか。

以上の次第ですから、マハーさんの折伏の解釈は意に沿っていません。
意はあくまで斬首=殺=折ということでしょう。

第二に、止観の原文はパンナコッタさんが引用してくださったとおりで、ここでは、安楽行品の「長短を称せざれ」を摂:大経の「刀杖を執持・首を斬る」を折の対比であり、後者の折は正法護持には違いありませんが、その折を斬首とした止観の文です。これが‘殺’以外の何でしょうか。止観で述べるところは以上のとおりで、飛躍でも何でもありません。

第三に、日蓮は、止観の意をそのままに採ったわけですから、折=斬首=殺と記しているとして、何ら原意から外れるところはありません。

なお、これはマハーさんのご投稿とは関係ありませんが、以上の止観の部分は、パンナコッタさんが引用くださったとおり「入正皆可攝受」すべしであり、いまの日蓮門下が摂受も折伏だと乱暴な意見を強言することと裏腹に、「皆まさに摂受に入らしむべし」とは、なんとも味わいのあるところです。

> 日蓮の論調は「救済志向」が底にあって論を展開してる

日蓮が救済思考を有していた点について何ら異論はありません。
ありませんが、斬首断命という手段をも、その手段の内であるという点で「ポア」と一脈を通じると論じたわけです。


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