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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

2081犀角独歩:2005/03/03(木) 02:00:28

まあ、余談ですが、先に示した戸田指導の内、

2月19日には「私は創価学会の会長でありますけれども、よく私のことを『仏さまだ』『生き仏さま』『神さま』『教主さまだ』とか言うが、いつ私がそんな片輪(ママ)になったという」(P186)

同28日には「今の猊下は10年間、猊下になられてから一度も丑寅勤行をおこたられたことのない、すっかり仏さまになっておられる方であります」(P191)
「何が不思議だ不思議だといっても、御肉牙ほど不思議なものはない。日蓮正宗は、日蓮正宗、日蓮正宗といばる理由が、いっぺんでわかります。今から700年前に抜いた歯の肉が盛り上がってきて、お歯を包んでいるということは、どういうことです。こんな不思議なことは、世界じゅうのどこにもない」(P192)

などという文章が載っています。

2082単己:2005/03/03(木) 06:08:54
パンナコッタさん、犀角独歩さん。
戸田さんの講演会を録音したレコードがあります。そのレコードを何枚か、20年位前にテープにダビングさせてもらったものですが、その時に書き込んだ見出しに「昭和31年2月21日(火曜日)大阪中之島中央公会堂「一般講義」とあります。
この時の発言だと思われますが、今テープを再生できる機器がありません。思い出したこの機会に、テープデッキを友人にでも借りてMP3ファイルにでもして保存しようと思います。

2083犀角独歩:2005/03/03(木) 08:26:38

単己さん:

そうすると、わたしのもっている指導集は抜粋であったということですね。もしくは、御書講義を別収録したと言うことだったのですね。

有り難うございました。

2084パンナコッタ:2005/03/03(木) 13:45:44
単己さん、ありがとうございます。まったくそのとおりです。

レコード集「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」のNO、18 からの引用です。
背面の説明文によると、昭和31年2月7日(火)午後6時半から、1時間15分の前半と
昭和31年2月21日(火)午後6時半から、1時間の後半の講演となっています。
日付は 昭和36年6月 刊行とあります。

MP3ファイルに、いいですね。ウチもプレーヤーがないので音の悪いテープでしか、たまに聞けないので。
内容的には、「曼陀羅の主題が末広がりなのは?」とか「本因妙抄とは?」とか「万年救護と一閻浮提の違い」
等、興味深い質問が多々あり、それに答えています。(正しいかどうかは別として)

ウチには22枚ほどレコードがありますので聞きたい人がいれば、考えてもいいですよ。

2085管理者:2005/03/03(木) 14:19:23

単己さん

>思い出したこの機会に、テープデッキを友人にでも借りてMP3ファイルにでもして保存しようと思います。

パンナコッタさん

>ウチには22枚ほどレコードがありますので聞きたい人がいれば、考えてもいいですよ。

是非お願いしたいと思います。聞きたい人は沢山いると思います。また、非常に貴重な歴史的レコードであることは間違い有りません。労作業ですが、宜しくお願い致します。

もし、著作権の問題がクリヤー出来るなら、当掲示板にリンクを張って、誰でも聞けるように出来ると良いですね。或いは、リンク集は容量が大分余裕が有りますので、そこに資料としてアップする事も出来ると思います。

2086犀角独歩:2005/03/03(木) 20:11:30

2085 管理者さん、これは時期尚早です。
著作権問題をクリアしていません。

2087管理者:2005/03/03(木) 21:10:44

>著作権問題をクリアしていません。

アッそうですね。死亡から50年だから、2008年4月2日以降なら良い訳ですよね。あと3年少しはダメな訳ですね・・・残念。了解しました。当面、諦めます。お騒がせしました(汗)

2088犀角独歩:2005/03/03(木) 22:14:25

2087 管理者さん、けれど、別段、個人的な授受、また、原典を明示した引用はまったく著作権に抵触しません。個人的であれば、なにも問題はないかと存じます。

2089管理者:2005/03/03(木) 22:47:30

犀角独歩さん

版権についてお聞きします。

著作権は著者が死亡してから50年の期間、その権利を保護するとなっています。同様、レコードの版権は同じく50年間となっていますが、これは最初に発売されたときから起算するのでしょうか。又、創価学会版の御書全集であれば、幾つも版を重ねていますが、版権50年の起算はどの時点になるのでしょうか。

2090パンナコッタ:2005/03/03(木) 22:53:01

確かにネット上で公開するとなると、著作権絡みの問題がありますね。レコードの製作は
ビクター音産で版権が残っているかもしれませんし、単純に信者が布教目的の為に使った
としても問題が出るかもしれませんね。

しかし、あくまで個人としてなら、聞きたい人に聞かせるのは問題はないのですから。
管理者さんが、かなりノリ気だったので巧い方法があれば協力は惜しみません。しかし、個人の
貸し借りをやった場合、数が多くなったりすると、とても対応は出来なくなるので何か良い提案
はないでしょうか?

2091単己:2005/03/03(木) 22:53:04
>2083 犀角独歩さん。さっそくテープデッキを借りて確認してみました。
佐渡御書の『又云く「及び余の種種の人間の苦報現世に受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云』というところで戸田さんが、「よく罰が当たると言う事をよく言いいますがね、あれは止めてもらいたいですね。罰なんか当たるもんじゃないですから。ウンコは出るもんで…」と話が続きます。
会場が沸いて調子付いたのか何度も連発しています。(笑)この時も、コップ酒ちびちびヤリながら話していたんですかね。

著作権のことですが、例えば『レコード集「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」』からと原典明示であればネットに置いてもいいのでしょうか?それとも原典明示の上、個人的授受ということでしょうか?

>2084 パンナコッタさん。

>レコード集「創価学会々長 戸田城聖先生の教え」のNO、18 からの引用です。
そうそう、確かにそういう題だったなと思い出しました。それで、もしかしてと思ったらやっぱり出てました。Yahoo!オークション 。22枚なんですね。これで全部なんでしょうか。自分が以前ダビングしたレコードは18枚分みたいです。それでも、いい加減に放って置いたのでちゃんと再生出来るか不安です。


>2085 管理者さん

パンナコッタさんの話が出て、テープをMP3にしておけばあとあと保存できるし、必要な人が資料として役立てることもできるかなと思いました。あと、3年はダメなんですね。テープは劣化していくので出来るだけ早めにデジタルデータに変換しておきます。

2092パンナコッタ:2005/03/03(木) 23:27:19

単己さん、「ウチにあるのが22枚」というだけで数枚抜け落ちているのもあるようです。
他に池田会長就任時のソノシートとか、正本堂落慶記念の音声記録ソノシートなんてのもあります。

実際に戸田さんの講義を聴いた母の話を聞くと、「御書は全然見てないの。それで頭をふーらふーらと、
動かして原文拝読を聞いているの」とのことなので、御書講義などは何杯かひっかけてやっていたのでしょう。
だから正宗寺院の落成法要のあいさつなどは聞いていても、ちっとも面白くありません。(^。^)
やはり御書講義をすっ飛ばしてやる質問会に、戸田さんの真骨頂があると聞いていて思われます。

2093犀角独歩:2005/03/04(金) 11:37:41

2089 管理者さん:

> 版権

わたしは、最初の発刊からと認識していました。
学会の御書全集なんかの場合、しかし、微妙ですね。

平成初頭の例の分断劇の折、石山は御書全集が学会版権である理由で使用を取りやめた経緯がありましたね。けれど、この版権も当然、初版から起算になろうかと思います。ただし、途中で、改訂・増補などの変更があったときは、今度はそちらはそこからの起算となるのではないでしょうか。

2094犀角独歩:2005/03/04(金) 11:47:45

2091 単己さん

> 罰なんか当たるもんじゃないですから。ウンコは出るもんで…

ご確認、有り難うございます。
まあ、豪放磊落というかなんというか、思わず笑うほかない話だと。

> 著作権…原典明示であればネットに置いてもいいのでしょうか?

文章の抜粋などであれば、仰るような形で、かつ原文の儘であれば、侵害に当たらないと思います。
ただし、音楽、録音となると、ちょっと、判断は分かれると思います。

けれど、現時点でも、たとえば、池田さんとか、阿部さんのスピーチは部分的にネットにアップされているわけで、これを著作権侵害の側面から裁判沙汰にした例は、あまり聞いたことがありません。
安全な方法は、テープ起こしした文を出典明示でアップということになるのではないでしょうか。

少し前ですが、戸田さん、浅井さん、松本被告の録音を聞き比べる会に参加しましたが、これはなかなか面白いものでした。

たしかに文にしてしまうと、話口調が伝わらないわけで、仰るようなアップは、個人的にはたしかに聞いてみたい・設置してほしいという思いはありますが。いろいろハードルは高いようにも思います。

2095犀角独歩:2005/03/04(金) 14:35:03

2093の自己レスです。

ちょっと、ぼっとして、おかしなことを書きました。

版権という言葉が皆さんのご投稿で著作権などを含む広い意味で使われていたので、流れに沿って書いてしまいましたが、出版権、著作権については、ちゃんと分類して考えたほうがよいのでしょうね。

2096祝8郎:2005/03/05(土) 01:46:41
著作権については、著作者つまり作者の死後、50年を保護期間として、遺族など著作権継承者に著作権があるとされます。著作権は財産権ですので、保護期間中に著作権継承者が死亡しても、他の遺族がいる場合にはそちらに著作権は継承されることになります。
ただし数年前に改正された著作権法では、保護期間が75年に延長されたと思います。これは改正施行後の著作物に適用されることになったと思います。
版権つまり出版権ですが、これは著作者と出版社の間で契約書を交わし法的拘束力が発生しますが、契約書を交わさず口頭によるものや、印税および部数ていどのとりきめを口頭でするていどの場合も少なくありません。
書面による契約書が無い場合、一般的に版権は著作物の最終発行年月日から五年から十年の間に増刷がなされないと自然消滅したものと考えられます。
著作者もしくは著作権継承者が他の出版社から再版したいと考えたときには、著作者はいちおう出版社に対してその旨伝えたほうが後々面倒なことにならないでしょう。

2097おしえてクン:2005/03/07(月) 06:21:21
「天台本覚思想について」のスレで、どなたが書いていていた、御義口伝の
以下の文、どう言う意味なんでしょう、できたら現代語訳で、どなたか
説明してもらえませんか?

「六老僧の所望に依って老期たりと雖も、日蓮が本意の一端護義せしめ畢んぬ。
是併ら私に最要文を集めて読誦せしむる所なり。然る間法華諸要の文書き付け
畢んぬ。此の意は或は文を陰して義を取り、或は義を隠して文を取り
或は文義共に顕はし、或は文義共に隠して講談するなり。
委しくは註法華経を拝見すべし。然りと雖も文義甚深の間
愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや。」

2098顕正居士:2005/03/07(月) 09:42:40
「此意 或陰文取義 或陰義取文 或文義共顕 或文義共陰 講談也」

の意味ですか。文は法華経、義は法華文句と法華文句記でしょう。或いは両方引用し、或いは片方
引用し、或いは両方引用せず講談したという意味です。

2099新発意:2005/03/07(月) 11:39:45
横レス失礼します。
おしえてクンさんの疑問が解決してからお願いします。

法華経の訓を読んでいての疑問に思った事について質問させていただきます。

自我偈の最初の偈文の「自我得仏来」の訓読が「我仏を得てより来」となっております。”自”の文字が訓読では消えるのはなぜでしょうか。「自ら我仏を得てより来」とか「我自ずから仏を得てより来」とはならないのでしょうか。
いくつかの法華経の訓読を見てみましたが、全て”自”が省かれておりました。本覚門、始覚門の読み方にこだわっての事ではありません。正しい訓読をおしえてください。

2100犀角独歩:2005/03/07(月) 11:56:54

> 2097

顕正居士さんのご教示とは、やや違う側面から。

> 六老僧の所望…

この文章はまったく嘘です。
同書の末文には「弘安元年戌寅正月一日」とありますが、「六老僧」の決定は弘安5年9月のことであって、弘安元年段階で決まっていませんでした。また、その時点では「六老僧」と言わず、「本弟子六人」と記される、この二重の科から、この文は証憑に堪えません。

> 委しくは註法華経を拝見すべし。然りと雖も文義甚深の間愚昧に及ぶべからざるなり。広宣流布の要法、豈此の註法華経に過ぎんや

御義口伝は『就註法華経口伝』、すなわち「『註法華経』に就(つ)いての口伝」であって、不勉強な者にはその意味を理解することはできないといい、重要な点は、広宣流布の要法は『註法華経』であるという点です。御義口伝<註法華経という関係であるということです。
石山系の御書全集などで御義口伝ばかりを載せて、註法華経を省くというのは、まったくその原意に悖る行為と言うことになるでしょう。

2101犀角独歩:2005/03/07(月) 12:02:29

> 2099

この質問は基本的な漢文の基礎を欠いたことに拠ります。

> 「我仏を得てより来」

とは、「我、仏を得て自(よ)り来」ということで、自は文頭に来る場合の多くは、「ヨり」と読みます。それを「自ら」と現代語から即断するところに誤りがあります。

2102顕正居士:2005/03/07(月) 13:14:19
『注法華経』とは?

『注法華経』とは日蓮が所持の法華経の余白に法華文句などの経文を書き込んだものです。現存し
写真版が発行されています。書き込み部分をテキストに編集したのが下記です。

http://www.genshu.gr.jp/DPJ/database/bunken/goibun/ibun_tyu.htm

例の六老の跋文は御義口伝が注法華経を下敷きにした講義であったように述べています。しかし
御義口伝における法華文句の引用は注法華経のと全く違います。そして16世紀半ばの天台の学匠
尊舜の『法華文句略大綱私見聞』の引用とほぼ同じです。したがって『法華文句略大綱私見聞』を
下敷きに日蓮法華的アレンジを施したのが御義口伝であり、成立は16世紀終わりと推定できます。

六老の跋文を書いた人は注法華経を見ておらず、御義口伝がその講義だと思い込んだのでしょう。
したがって跋文は御義口伝が成立した後に付加されたものと断定できます。

2103パンナコッタ:2005/03/07(月) 13:23:17
横レス失礼します。
弘安元年戌寅正月一日 という日付があると思いでしょうか? 弘安の改元は
2月29日。 都合の悪いことに『弘安改元ノ事』〈真筆あり〉なんてのが
残っていたりしていて、日付が書いてあり「疫病の故か」と、蓮祖は申しております。

2104パンナコッタ:2005/03/07(月) 13:31:40

御義が出たのでついでに質問。
執行海秀師が指摘していた、徐氏の科註法華経からの引用とはどの辺のことでしょうか?

2105犀角独歩:2005/03/07(月) 13:38:08

2102 顕正居士さん:

正確な補完を下さり、まことに有り難うございました。


2103 パンナコッタさん:

弘安改元事 「弘安元年[太歳戌寅]、建治四年二月二十九日改元。疫病の故か」

ああ、たしかに。なるほど。

2106顕正居士:2005/03/07(月) 14:22:10
>徐氏の科註

「宝塔品下廿箇大事」の第十です。「科註四云〜」とあります。

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049035&VOL_NUM=00001&KOMA=49&ITYPE=0

2107パンナコッタ:2005/03/07(月) 14:57:52

〉2106 顕正居士さん、ありがとうございました。

2108パンナコッタ:2005/03/07(月) 15:11:13

〉2106 学会版の御書では、『補註の四に云く・・』となっていたので、
気が付かなかった。 顕正居士さん、本当にありがとうございました。

2109おしえてクン:2005/03/08(火) 21:49:42
顕正居士さん、 犀角独歩さん遅ればせながらありがとうございます。
それで、御書ですが、御書のなかには、なんとか御返事とか、蓮祖の
手紙が、御書になっていますが、手紙って、その人あてだけであって
手紙の文中が、全ての万民に通用するって皆さん思いますか?

2110犀角独歩:2005/03/09(水) 09:49:41

2109 おしえてクンさん:

この問題意識は、わたしは馴染めます。かつて、同様のことを考えていましたし、いまもってそのスタンスは変わりません。

わたしの場合、この疑問は蓮師の御筆漫荼羅に向いていました。授与者を特定して、1舗ずつ図示した個人宛の漫荼羅が他の人の信仰対象足り得るのかという疑問です。たぶん、この疑問は興師も懐いたのであろうと想像しています。その根拠は興師自身が、蓮師滅後、御筆漫荼羅に意義を書き足しているからです。

消息文が「全ての万民に通用」するか・否かという二者択一で考えることではないように思います。つまり、通用するところもあれば、通用しないこともあるというのが、わたしなりの結論です。

2111おしえてクン:2005/03/09(水) 22:14:57
犀角独歩 さん今晩は、通用するところもあれば、しないところもある
そうですよね、その人の置かれた状況で、書かれてるんですから
話は変わりますが、創価学会、宗門と完全分離するのに、三沢抄を
持ち出してくるんじゃないかと思います、あれには、新しい法が現れる
って書いてあるんですよね、本尊はやはり、最初に書かれた、佐渡始顕本尊
が、日蓮上人の本位じゃないかと思うのですが、日興上人が正当なら、なんで
佐渡始顕本尊を持っていかなかったか疑問です。

2112顕正居士:2005/03/10(木) 01:16:26
日蓮の文章の大半は特定の檀越に宛てた書簡ですから、遺文から日蓮の思想を読み取る場合、
五大部などの「著述」といえるものを基本とし、一二の書簡のみに見える表現については慎重に
考慮する必要があります。「今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」(上野殿御返事)の
類いです。法華経は滅後末法のための経典であるというのが日蓮の思想ですから、ここは特殊
な文脈であらわれた表現でしょう。法華経に拠るならば女人は西方往生を頼むべきだろうか、と
いう質問に切れたのであろうと以前に此処に書きました。末法に入ったならば西方往生について
は法華経にどう書いてあろうが、ということです。

*「若如來滅後後五百歳中。若有女人。聞是經典如説修行。於此命終。即往安樂世界阿彌陀佛
大菩薩眾圍繞住處。生蓮華中寶座之上」(薬王菩薩本事品)。法華経は女人往生の経典とされる。

2113犀角独歩:2005/03/10(木) 14:38:07

2111 おしえてクンさん:

> 三沢抄…新しい法が現れる

とは、以下の文を指すのでしょうか。

―― 法門の事はさど(佐渡)の国へながされ候し已前の法門は、ただ仏の爾前の経とをぼしめせ。此国の国主我代をもたもつ(持)べくば、真言師等にも召合せ給はんずらむ。爾時まことの大事をば申べし。弟子等にもなひなひ(内内)申ならば、ひらう(披露)してかれら(彼等)しり(知)なんず。さらばよもあわ(合)じとをもひて各各にも申ざりしなり。而に去る文永八年九月十二日の夜、たつ(龍)の口にて頸をはね(刎)られんとせし時よりのち(後)ふびんなり、我につきたりし者どもに、まこと(真)の事をいわ(言)ざりけるとをも(思)て、さど(佐渡)の国より弟子どもに内内申す法門あり。此は仏より後迦葉、阿難、龍樹、天親、天台、妙楽、伝教、義真等の大論師、大人師は、知てしかも御心の中に秘せさせ給し。口より外には出し給はず。其故は仏制して云く「我滅後末法に入らずば此の大法いうべからず」とありしゆへなり。――

> 佐渡始顕本尊が、日蓮上人の本位

そのようにお考えですか。
わたしはこの点は意見を異にします。蓮師図示の中で、「本位」、もしくは「最高」のいって、漫荼羅に序列があるとは考えておりません。

2114顕正居士:2005/03/10(木) 18:26:11
妙法曼荼羅についてはわたしも独歩さんと同様に考えます。曼荼羅の様相がみな違うということは
要するに決まった形はない意味です。「再治」、「未再治」という分類をして弘安年間の曼荼羅の方
が完成しているとした学者もおられます。しかし高祖一代弘教の「正宗分」とみなされる『本尊抄』を
述作した後に妙法曼荼羅を図顕されたのですから、文永年間のは未完成というのは変でしょう。

けれども宗派ごとに「宗定本尊」は決める必要があるから、「始顕」とか「臨滅度時」とか納得し易い
のを選ぶわけです。印刷術が発達し、当代の上人があらわしたのより日蓮聖人真蹟の写真版の方
が有難いという人も増えるでしょうし。佐渡始顕を採用したのは智学居士ですがこちらは身延山に
あったのとは違うとおもいます。写しではなく実物を佐渡で入手したが、智応居士が偽筆と断定した。
身延山にあったのも昔は佐渡にあったのではないでしょうか。

特別な曼荼羅という発想は富士派以外には余りないでしょう。多くの宗派では曼荼羅でも一尊四士
でもよいのですし。富士派は分張の由来から諸山の抗争が活発であり、かつ曼荼羅主義であり、又
事戒壇の思想があるのではやくから宗定曼荼羅の必要が生じたのでしょう。曼荼羅と一尊四士とは
現実には檀徒の仏間の御本尊、寺院本堂の御本尊という次元の異なりがありますから曼荼羅主義
だと寺院は板曼荼羅に傾きます。板である以上、日蓮聖人の真蹟曼荼羅そのものではありません。
しかし一尊四士でよいなら板曼荼羅でもよいでしょう。題経寺の板曼荼羅の流行りはじめは寛永から
で堅樹日寛師が活躍したのと近い頃です。でも曼荼羅主義の板曼荼羅は考えると少し変な気もする
ので、有名になると「高祖自刻」の伝説がいわれる、もっと有名になるといささか事が面倒になります。
板曼荼羅に真も偽もないはずなのだが、「高祖自刻」というのが疑といえば疑、たわいない伝説だし、
多くの宗派にあることで済まず、分派抗争は鬱陶しい、「旧信徒」には大変迷惑なことでありましょう。

2115犀角独歩:2005/03/10(木) 23:20:37

> 2114

当掲示板に投稿をはじめて、わたしに「同様」の考えというお言葉を頂戴したのは、たぶん、はじめてのことです。
喜びとして、日記につけさせていただきます。

2116ファリオン:2005/04/03(日) 05:07:25
前から疑問に思っていたので、質問致します。

創価学会で「財務」と言えば、世間で言う「寄付」に該当するものです。
なぜか、創価学会関係のサイト・掲示板では、当たり前の様に「財務=寄付」として、定着しています。

通常なら「財政上の事務」と言う意味ですが、何故、創価学会では寄付(或いは喜捨・布施)に対して、隠語同様に使っているのでしょうか。
ご存知の通り、隠語は特定集団内のみに通用する言葉であり、大抵は部外者から内容を秘匿するために用います。
いつ頃から使い出したのか、また、その経緯などをお教え頂ければと存じます。

2117犀角独歩:2005/04/03(日) 11:46:52

> 2116

財務ですか。この起源はかなり初期まで遡れるのではないでしょうか。
戸田さんの時代のことです。(戦前にあったかどうかは知りません)
当時、一定の収入があり、生活が安定している人に限り、「財務部員」となることを許すというものでした。財務部員になると「鶴丸バッジ」が授与されました。(いま顕正会会員が付けているのは、そのバッジを模倣したものでしょう)
たしか、バッジにはランクがあり、金、銀、銅の3種ではなかったでしょうか。このランクはしかし、財務の納入額の差であったか、本部幹部その他の役職を含む上下差であったかは記憶が定かではありません。どなたか補完してくだされば、有り難く存じます。

昭和28年入会の町工場を営む父は、いつもは油まみれの作業着で働いているのに、学会、本山に向かうとき、ダークスーツをびしっと着込み、胸に鈍く光鶴丸バッジを付けて出掛けていったものでした。

正直な思い出を記すと、このバッジは学会員のステータスのようなもので、いわば憧れの対象でした。「いつか、あのバッジを付けられるようになりたい」、幼心にそんなことを思っていたのを覚えています。ところが、自分が長じるころには廃止になり、それなのに、「せっかく建てた」正本堂に反対するビラを寺の門前なんかで配る「連中」が、自分たちの専売特許のように、胸に付けていたことを、腹立たしく思ったものでした。

さらに余計なことを記せば、わたしが中学校のころ、「高等部長」になると「部長バッジ」というものがあり、これまた、憧れの対象。朝晩の勤行を欠かさず、1日1時間の唱題をし、会合も皆勤で、教学試験にも合格して、「いざ、部長に」という高校2年。高等部長は中心グループ長と名称が変更になり、バッジも廃止。「残念!」という思い出があります。

…、こうして書いてみると、わたし(と家族)は、典型的な創価学会員であったことを、改めて自己認識します(自嘲)

しかし、そうですね。「財務」は隠語というか、公然とした特殊用語。なるほどというご指摘ですね。

しかしながら、財務は「財政に関する事務」なのに寄付そのものを指す理由は、拠出する各人は、その事務に直説携わるのと同じという精神からではなかったのかと想像されます。

いずれにしても、当初の財務と、正本堂以降のそれとは天地雲泥の差があります。
少なくとも、戸田さんは財務を出せば、功徳・御利益があるとは言わなかったからです。

2118ファリオン:2005/04/03(日) 18:33:31
犀角独歩さん

有難う御座います。よく解りました。
元々は本来の使い方であったのが、そこに携わる人たちの代名詞になった訳ですね。
そして、ステータスでもあるのだから、言葉としても特別な意味を帯びる。納得です。

>正本堂以降のそれとは天地雲泥の差
本当はこんな見方は間違いかもしれませんが、池田氏が、宗教法人を隠れ蓑に金を漁っていると、勘繰りたくなります。

それにしても、独歩さんの体験談を読んで、当時の学会に違和感を感じました。
どこか「信仰」からずれていて、何かの会社のように思えます。
現在でも、何かを競わせて学会員を煽っているような指導があるそうで、上層部が変わらない限り、世間で言うカルト的な部分はなくならないのでしょうね、

2119犀角独歩:2005/04/03(日) 18:51:51

2118 ファリオンさん:

> 体験談を読んで、当時の学会に違和感

それはそうでしょう、書いている本人がご感想そのものの感を懐くわけですから(笑)

こんな分析をする学者がいるかどうか知りませんが、戦後復興の歩調に載って発展した創価学会はまた、その高度成長社会の‘時代の子’であり、それは近代史の「現世利益」を書き換えたものであったのでしょう。

「創価学会組織で成功する人間は、どんな会社営業でもこなせるようになるよ」とは、学会時代に先輩から言われた言葉です。要は、「拡張営業」のノウハウの多くはダブっており、そのモチベーションをつけるやり方は、自己啓発セミナーなどとダブっていると言うことでしょうね。

では、それが宗教といえるか? という問いかけが成り立つわけですが、それが戦後日本型宗教の典型であり、その宗教団体が政府与党にまで食い込んだと言うことは、結局のところ、多数決の論理から言えば、戦後日本人が最も支持した宗教形態であったということになりますか。しかし、こんな政治評論家が言うような得票=民意という考えは「糞食らえ」というのが、わたしの気分です。

2120パンナコッタ:2005/04/03(日) 19:13:21

〉横レス失礼します。
学会の場合、会館付を『任務』と言い、おそらく「作務」からの引用と思われます。
つまり教団に奉仕することも、布施する事も「つとめ」として捉えさせようとの
考えからだと思われます。

2121ファリオン:2005/04/03(日) 21:05:41
>>2119
犀角独歩さん

>書いている本人が──
失礼しました。言わずもがな、ですね。

>「拡張営業」のノウハウ
そうですね。だから、似たような団体がぞろぞろ出て来る訳ですね。
とどのつまりが、宗教の皮を被った集金団体……

以前、ちょっとだけ「アムウェイ」の集会に顔を出したことが有りますが、新興宗教そのものでした。
まるっきり違う世界だったので、引きまくっていました。他人を勧誘しなくて良かったと、今更ながら思っています。

求心力の有る人がいると、僅かな切っ掛けで盲信してしまうのは、日本人の特性なのでは、と思っています。
だからこそ、芳しくない噂が有ってもその集団に入ってしまうのでしょうね。
自分の中にも、そういった部分が有ると思うと、ぞっとします。

>>2120
パンナコッタさん

「任務」は友人の学会員から聞いたことが有ります。
その時は聞き流していましたが、今考えると、得体の知れない違和感を感じます。

2122犀角独歩:2005/04/03(日) 22:02:18

パンナコッタさん、ちょっと、おひさしぶり。
先だっては、有り難うございました。

「任務」。そうですね、、これまた、言われてみれば、不思議な言葉ですね。
そうやって次々と考えていくと、あそこの役割名というのも、一般社会からすれば、違和感がありますね。今はどんな呼び名か知りませんが、牙城会、錦城会(字、忘れました。合ってますか)、会館を守る会、白蓮グループとか、信一会、水滸会…。ご学友グループ…、これは違いますか(笑)

わたしが特に嫌いな‘特殊用語’は「新聞啓蒙」です。

2123吉祥仙人:2005/04/04(月) 05:13:25
 犀角独歩さんへ

 私の理解では、「財務部員」以外から総本山整備のために募られたのが
「特別財務」。
 そして今や、普通の家庭が参加する。年1回の「財務」

 ということではないでしょうか。

 「財務」という言葉が今も使われているのは、犀角独歩さんの時代の人達が、
「福運を積んで、『いつかはクラウン』にも乗って、『いつかは財務部員』」という
「伝統」かもしれません。

 「新聞啓蒙」も役所が「啓蒙」から「啓発」に改めたのに習って「新聞啓発活動」に
改めるべきではあるでしょう。

2124犀角独歩:2005/04/04(月) 09:19:02

> 2123

これは吉祥仙人さんの個人的な勘違いでしょう。

「総本山整備」ということですから、これは離間以前の話ですね。
学会席、35年のわたしのほうが正確に記述できます。

「財務」という言葉は、あくまで学会運営に当てる資金調達を指す言葉です。
これに対して、石山・坊さんに拠出するものは「供養」と言い分けていました。

では、財務と特別財務の差ですが、前者は毎年決まって行う恒例のもの、後者は特別に新しい会館を建てるとかなんとかという名目で前者とは別にさらに徴収するものを言ったわけです。

なお、「供養」語は「正宗寺院・僧侶(まあ、彼らの口上では「御本尊様」に限って使う)」語であるのに、それを学会(殊に池田さん)が受けられると言ったのが『仏教史観を語る』という講演で、これが大問題になって、第一次紛争の火種になっていったわけです。

仏教史観を語る
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/shikan.htm

石山の反論と学会の答え
http://nonakashin.hp.infoseek.co.jp/kuyou.htm

今では、離間したわけですから、当然、学会内部の認識としては、財務=供養ということが、公然と正当化されているのでしょう。

しかし、戸田さん以降、財務と供養を厳格に分けるところに信仰を見た人々にとって、これは隔世の感があることを「歴史」として知っていただきたいと思います。

2125犀角独歩:2005/04/04(月) 09:59:22
> 「新聞啓蒙」も役所が「啓蒙」から「啓発」

たしかに、最近の役所は「啓発」と言い換えています。しかし、だから、学会が、同じように言い換えればよいと言うことではないでしょう。

「啓蒙」は啓蒙思想、主義を転用したものでしょう。

けいもう-しそう―さう 【啓蒙思想】

18世紀フランスを中心としてヨーロッパ全域に広がった革新的思想。キリスト教会などの伝統的権威から解放された理性の使用を公衆に促し、人類の普遍的進歩を図った。フランスではデカルト的体系への批判を伴った。フランスのボルテール・百科全書派、イギリスのロック・ヒュームが代表。啓蒙主義。(三省堂提供「大辞林 第二版」)

しかし、新聞の販売というのは、宗教法人に許される33の収益事業の一つです。
となれば、一般の新聞社が使用する「拡販」というのがいちばん適当な言葉ではないでしょうか。

2126ファリオン:2005/04/04(月) 18:38:01
皆さん、いろいろとご教示下さり、有難う御座います。
これで、単なる勘繰りを一つ改めることが出来ました。

聖教新聞──学会側と世間とで、位置付けが曖昧になっているから、話がこじれるのではないでしょうか。
機関紙であるなら、趣旨や主張を外部に伝えるのも役割の一つだと思うのですが、実際は学会員に対する内容のみです。
一方、世間では機関紙とは思っていないようで、他の新聞と同じ扱いですから、理解するどころか反発を起こしています。
何とも、不幸なことだと思います。

2127:2005/04/05(火) 05:16:59
はじめまして。
気になったんですが、チョンガーさん、独歩さん、犀角独歩さんは
もしかして同一人物ですか?

2128問答迷人:2005/04/05(火) 06:25:24

理さん

>チョンガーさん、独歩さん、犀角独歩さんはもしかして同一人物ですか?

チョンガーさんは札幌の人、犀角独歩さんは東京の人、全くの別人です。犀角独歩さんは、当初『独歩』のハンドルで書かれてました。


参考までにチョンガーさんのサイトはここです。

http://shunpo.ld.infoseek.co.jp/chuui.htm

2129宝浄:2005/04/05(火) 13:50:23
ここは多重HNを禁止しているわけじゃないから「だれがだれ」みたいな犯人探しあてっこはやめようよ。
よけいですが(犀角)独歩さんのHPは以下。執行海秀論文なんかが消えてしまったのは残念。
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/

2130犀角独歩:2005/04/05(火) 17:36:19

わたしはチョンガーさんではありません。同氏のHPが「独立独歩」であることをわたしは知らず、いまのペンネームで参加してしまい、本日に至っております。いまさらながらですが、チョンガーさんには、陳謝申し上げるものです。

なお、わたしも宝浄さん…どこかで聞いたことのある名前です…のご意見に賛成です。また、執行海秀師資料に関しては、近く再アップする予定です。また、HPアドレスも変更になっています。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/
http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/

2131犀角独歩:2005/04/07(木) 04:22:57

自己レスになってしまいますが、池田さん講演『仏教史観を語る』、誰が原稿を書いたのか知りませんが、よい出来でした。ここら辺に現役さんからの、何のレスもないのは寂しいですね(笑)

2132えばら:2005/04/07(木) 20:11:03
独歩さんと西川さんは同一人物ですか。

2133犀角独歩:2005/04/07(木) 23:51:14

> 2132

再三なので、申し上げます。
わたしはこの手の質問には今後、応じません。今回を最後とします。

西川さんは女性、わたしは男。西川さんと電話その他で話されたこちらの常連さんは多くいます。その常連さんで、わたしと実際にお会いしている人もいらっしゃります。
つまり、別人です。

西川さんはネット書店の店長で、わたしはそこの書き手という関係です。
こんなことまで、書かなくてもよいのですが…、ついでに書けば、わたしの携帯はボーダーフォンで掲示板の閲覧・投稿が困難です。
そんなことから、掲示板の内容を送信してもらい、そのレスを返信して、代理で投稿していただくことはあります。
しかし、これはわたしの文章です。以上です。

2134犀角独歩:2005/04/08(金) 10:22:26

藤川さん、おはようございます。

ちょっと、レクチャーしていただきたいのです。
本日、明け方から、小笠原慈聞著『法華経の玄理一念三千の法門』を読みました。このなかで「本尊機関説」(P97)なる造語が出てきて興味深かったのです。しかし、これは置いて、この機関説と言えば、想起されるのは「天皇機関説」となりますが、この辺と石山の近代教学というのは、どんな具合に理解されることになるのでしょうか。ご賢察をお伺いしたいのですが、よろしくお願いいたします。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18322301.html

2135藤川一郎:2005/04/08(金) 12:02:20
本尊機関説?もとい天皇機関説ですか?
この小笠原師の「本尊機関説」の内容に興味が湧きますが、それはさておき・・・
立憲君主制の元での、天皇機関説というのはかなり正論に近かったようです。
昭和天皇は天皇機関説を最も支持されたようです。
しかしながら、昭和天皇が天皇機関説支持を表明されなかったのは、「機関」である御身が不用意に発言してはならないからという、ジレンマの中にいたためのようです。つまり天皇機関説支持を表明することが天皇機関説に反するという御考えからだそうです。

さて、この天皇機関説を美濃部達吉氏が発表したのは、1912年(大正元年)の『憲法講話』に遡るのですが、その当時は、天皇主権説の上杉慎吉氏との間に論争が生じただけであり、未だ社会的な批判にはなっておりません。
これが社会的に問題になるのは、1935年(昭和10年)まで待たねばなりません。
昭和10年といえば226事件の前年ですが、既に満州事変の勃発した後であります。
つまり国策として天皇機関説が非難されたのであり、真摯な学者の論争にはなっておりません。
さて、大正元年に発表された天皇機関説と吉野作造氏の民本主義等が相まって、当宗における、日柱上人追落し事件(大正14年)に影響があったことはあると思われますが正確には分かりません。しかしながらもともと、民主主義や機関説等という考え自体が絶対のものではありませんし、それをもって理論的武装をするのは、下克上的発想とも考えられます。
そんな中、反日柱上人の御僧侶に対し、唯受一人の日柱上人に味方したのが、東京の在家信徒たちですが、この方たちすら、御法主利用の心が全くなかったかは疑問です。
当時の文書を読んでも、御法主の衣を利用して自分らの正義を主張した観が無いとは言い切れません。
現今の創価学会が、御法主を権威主義と非難しますが、その権威を隠れ蓑に利用していたのは外ならぬ創価学会だったのです。権威を持ち上げるだけ持ち上げておいて、それを利用価値が無くなったから捨て去っただけです。はしごの上に人を乗せて於いて、はしごを外したようなものです。

2136藤川一郎:2005/04/08(金) 12:03:31
さて、戻りまして天皇機関説について私論を申し上げますと、やはり余り正論とは言えないようです。そもそも天皇陛下の地位を法で定めることに無理があるのです。
そもそも天皇という地位は法で定められたものではありません。大日本国憲法前の大宝律令ですら、実は全く明示されておりません。
天皇という地位が有史以来初めて名文されるのは「禁中並びに公家諸法度」なのであります。しかも家臣である徳川家が主君である天子(天皇)を法で縛るという、明らかなる下克上法なのです。天皇という御地位を歴史的連続性から法で定めることは元来無理なのです。戦前の憲法を「天皇主権の欽定憲法」等と評しますが、その中で天皇の地位を定めている時点で、既に天皇を縛るものであるのです。戦後の象徴天皇制ですら、その上に乗っかっているものに過ぎません。昭和天皇が天皇機関説を支持されたのは、その帝王学の教育の賜に過ぎません。幼き日より「立憲君主」の御教育を受けられていたから、憲法を越える天皇など夢のまた夢だったようです。

最後に隆慶一郎の小説「影武者徳川家康」に面白い下りがありました。
道々の者(天皇以外主を持たない階層)出身の主人公大御所家康の影武者、世羅田二郎三郎元信に、現将軍として秀忠が「禁中並びに公家諸法度」の裁可を願ってくる場面です。
その時の主人公の言葉がまさに日本の天皇観を語っているので面白いで、最後に記しておきます。
「そのほう、気は確かか?そのほうは知らんのだ!古来より天子を縛る法が定められたことは無いのだぞ!法とて全て天子より出ずるのだ。法と天子は同格だ。このような下克上の法度が認められる分けなかろう!」
結局歴史は、この法を定めてしまうわけですから、「禁中並びに公家諸法度」「大日本帝国国憲法」「日本国憲法」は全て、不連続の連続の範疇にあると捉えても間違いは無いでしょう。
ちなみに、この中に出てくる「道々の者」等の末裔が今の被差別部落の方たちなのですが、その方々が根本理念を忘れて「天皇制打破」を言うのは間違っているという考えが、水平社の中でも持ち上がっており、「灘本・師岡論争」として話題になっております。

2137犀角独歩:2005/04/08(金) 14:32:14

藤川さん、長文のご教示有り難うございました。
参考になりました。

> 法と天子は同格だ

うーむ。これはまさに「人法一箇」。「戒壇の大御本尊と御法主上人猊下は不二の尊体」と、脈絡を同じにしているように見えます。

> 下克上法

やや脱線しますが、天皇も民衆も法の下に平等というのは、憲法の読み違えでしょうね。

2138問答迷人:2005/04/08(金) 14:43:30

確か現憲法では、基本的人権は天皇には認められていないのでは有りませんでしたか?

2139犀角独歩:2005/04/08(金) 15:33:40

問答さん、仰るとおりであろうかと存じます。
これは「創価学会が」ということかどうかわかりませんが、民主主義の下では、天皇も民衆も平等であるとわたしは学会で習った記憶があります。

2140えばら:2005/04/08(金) 17:53:36
独歩さん、すみませんでした。

2141問答迷人:2005/04/10(日) 20:51:26

「南無妙法蓮華経」と蓮師が説かれるとき、その意味は?

一 漢訳大乗経典の「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻に帰命すること。
二 漢訳大乗経典の「妙法蓮華経」の経題たる「妙法蓮華経の五字」に帰命すること。
三 大乗仏教の「サダルマプンダリーカスートラ」と名付けられた教えに帰命すること。
四 漢訳大乗経典の「妙法蓮華経」の文底に秘沈された、蓮師の出世の本懐たる三大秘法惣在の本門戒壇の大御本尊(大石寺戒壇板本尊)に帰命すること。
五 蓮師が上行菩薩として虚空会に於いて釈尊より付属された要法たる「妙法蓮華経の五字」に帰命すること。
六 大宇宙の本源の法が妙法蓮華経であり、その大宇宙の本源の法に帰命すること。

まだまだ、色々と説明が考えられそうです。蓮師の本意は如何?

2142犀角独歩:2005/04/10(日) 21:29:31

一念三千の宝珠を裏むことも挙げられますね。
以前であれば、「因果倶時」と言ったでしょうが、これはどうでしょうか。

わたしは「六」はないと考えます。諸法の実相、すなわち、一心、一念の実相であるという認識であったと思います。

2143問答迷人:2005/04/10(日) 21:56:31

犀角独歩さん

四の可能性は、幾らかは否定しきれない、ということでしょうか。

>一念三千の宝珠を裏むことも挙げられますね。

妙法蓮華経の意味としては、そういうことになるかと思います。ただ、今、僕が疑問としているのは、南無妙法蓮華経というとき、それは、どこまでも「妙法蓮華経」に「南無」する、という意味以外は無いと思いますので、蓮師が無妙法蓮華経と言われる場合の「妙法蓮華経」とは一体何を指して「妙法蓮華経」とされたのであろうか、という疑問なのです。

そうすると、一は経文の書かれている通りの経巻信仰ですから、これが蓮師の大枠の捉え方なのでは無いかと思うわけです。二は、蓮師が遺文の各所に説かれるところですから、一を煎じ詰めたら二になるのだと思います。三は妙法蓮華経が羅什の漢訳本という事情を勘案すれば、当然の帰結で、蓮師もこのお考えで有ったろうと思います。五は真偽未決の三大秘法抄に説かれるところですが、本尊抄の文脈からすれば、蓮師の考えにそんなに外れることは無いのではないかと思います。六は創価学会が好んで用いる表現ですか、蓮師の本意に叶うかどうか、いささか疑問です。これではまるでバラモンの梵我一如の延長のように思います。

結局、突き詰めると、五、辺りが蓮師の本意なのでしょうか。

2144犀角独歩:2005/04/11(月) 08:42:12

2142は舌足らずでした。もちろん、四の考えは、彫刻本尊が後世の造立である以上、蓮師の考えであるはずはありません。

> 五、辺りが蓮師の本意

以前、問答さんと議論したところですが、五百塵点成道の釈尊は法華経を師として成仏したわけですね。法華梵本で読むと経典は永遠の過去からあったとなっているわけですが、天台以降は「妙法蓮華経」の五字となっていき、それが蓮師において徹底されるといった趣です。いずれにしても、法華経が師であり・仏は弟子の関係でした

わたしは釈尊上行を一体と見る解釈はまったく承伏しかねます。
しかし、本尊抄を読む限り、上行菩薩は釈尊己心の菩薩であり、三身所顕無始古仏という考えであったように見受けます。

ここで考えられるのは、釈尊を仏にした五字への信仰かどうかという点ですね。
わたしは蓮師の上行応誕論というのは、興師門下で醸造したものであったろうと考えます。何故ならば、自身上行菩薩の確信となれば、釈尊己心となりますから、すなわち、釈尊であるという宣言に他ならないことになるからです。ただし、このような信仰的な方向は、たとえば「釈尊己心の上行菩薩となろう」という目標設定としては可能かも知れません。

通常、一念三千は「生命の諸相」のように言われますが、教学的な構築はそうはなっていません。要は釈尊が五百塵点成道と菩薩道、娑婆世界説法を明らかにしたことで素材が出揃うという組み立ててであるわけです。つまり、一念三千は久遠釈尊なしでは成り立たない教義である点が、殊に現行の学会を含む石山門下では等閑にされています。
要は一念三千法門の成就は三妙合論される久遠釈尊という仏界を得ざれば成立しないわけで、信奉する側の教学的な姿勢は、その久遠釈尊の体内となる信仰にほかならないとわたしは観察します。

ここでポイントになるのは、自分自身が、五百塵点成道釈尊の弟子か否かという証明の取り方でしょう。艱難辛苦を堪え、法華経を滅後末法に弘通するということ自体が、此土有縁深厚の地涌菩薩の流類である証明という半ば脅迫観念的な心身行動規範が蓮師にはあったと見受けます。

わたしは、この蓮師の行動規範として謎に思うのは、冒頭に記した仏の師は法華経という点です。しかし、その後、その師仏有縁の衆生は恒に仏を師として成道するというの常軌となります。しかし、蓮師は、師を仏にした法を直ちに仰ぐという方法論を採ったわけです。ただし、このように記すと、恰も、蓮師が師仏成道の次第を自分と滅後の衆生に当てはめたのかという疑問は生じるわけですが、しかし、これはやや違うように思えます。

何故ならば、上述したとおり、一念三千は釈尊自体の久遠成道の次第をもって完結する以上、その師仏を飛び越えての法華信仰は一念三千足り得ないからです。

では、法華信仰とは、師仏信仰と。その師仏を仏にした経典信仰の二人三脚かという疑問を呈することは出来ようかと思います。わたしは、この考えはある程度は当たっていると思います。つまり、法華以前の経典を爾前権経と斥け、独り法華を採って、しかも釈尊を信仰するという構造です。

このような教学的な姿勢が本尊抄までに、本門本尊(久遠釈尊)と本門題目(妙法蓮華経)という形で結実したのではないのかと類推します。

その後、本門戒壇の勘案が足され「三つの法門」という形式を整えようとしながら、ついに戒壇義を十分に練ることなく、円寂したのであろうと思えます。その意味において、本門戒壇は言葉はあっても、その意義を蓮師自身十分には尽くさなかったと結論せざるを得ません。これを「ご本仏であるから一切の施化を畢えられはずであるから、説いていないわけがない」などというドグマに、わたしは付き合う気はありません。

以上のことから、蓮師の妙法蓮華経信仰は、自身地涌菩薩という「目標」に教学的根拠を久遠釈尊、決要付属要法(妙法蓮華経)の流布に邁進することで証明するという構造をもったものではなかったのかと思え、その意味から問答さんが2141に掲げられた一から六のなかでは、わたしも、類型的には五であろうと考えるものです。

2145問答迷人:2005/04/11(月) 11:48:54

犀角独歩さん

>法華信仰とは、師仏信仰と。その師仏を仏にした経典信仰の二人三脚
>蓮師の妙法蓮華経信仰は、自身地涌菩薩という「目標」に教学的根拠を久遠釈尊、決要付属要法(妙法蓮華経)の流布に邁進することで証明する

なるほど。判りやすいですね。また、逆に経典信仰を突き詰めると、少なくとも久遠釈尊との関係を避ける事が出来ない。そういう意味で確かに二重構造になつていますね。

ところで、久遠釈尊を師と仰ぐ事と、久遠釈尊を本尊とする事とは、蓮師にとって同義だったと考えられますか、この点、独歩さんのお考えを承りたく存じます。

2146犀角独歩:2005/04/11(月) 12:07:33

> 久遠釈尊を師…久遠釈尊を本尊…蓮師にとって同義

これはどうでしょうか。非常に難しいご質問ですね。

蓮師が感得した久遠釈尊は、法華を拠り所として、己心に観た本尊であったわけですね。観心本尊であり、その本尊を末法本尊とするところが本門本尊であり、付属の要法は本門題目ですね。では、師はとなると、この本尊を教える仁ということになるので、教理的に分ければ、法華経典の説法主と経でなければならないことになります。
厳格に分類すれば、久遠本仏と現在の師は分けるべきと思えます。もちろん久遠に立ち還った段階で異仏にあらずですが。しかしまた、釈尊の末法に生まれた蓮師は、在世に会わず、となれば、師と出来たものは法華経典=梵音声という考えがあったようにも思えます。

問答さんは、どのようにお考えになられますか。

2147問答迷人:2005/04/11(月) 13:59:18

難しいですね。言える事は、『漢訳大乗経典の「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻に帰命する』という経巻信仰の帰結として、蓮祖は久遠釈尊を感得されたであろうこと。それが、「観心本尊」であり「本門の本尊」なのだと思います。そして、その経巻信仰の具体的実践が唱題であったこと。それは、付属の要法を直ちに唱える、という形であり、それが「本門の題目」なんだと思います。

順序から言うと、『本門の題目』(唱題の実践)→『本門の本尊』(本尊の感得) という流れなんだと思います。

そうすると、師はやはり『「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻』を師とされたということになりましょうか。

2148犀角独歩:2005/04/11(月) 14:47:41

本尊と本師が両方出てくる文があります。本尊抄の

「其の本尊の為体、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏…」

という余りに有名な一節です。ここでは本尊、本師、妙法蓮華経、釈迦牟尼仏が使い分けています。しかし、以前も記しましたが、わたしはこの読み下し、どうも違っていると思うわけです。まあ、それはいまは置きます。
この文章の構成は、大きく本尊を説明するのに、本師、妙法蓮華経、釈迦牟尼仏が使われている関係にあります。本師はイコール釈迦牟尼仏でしょう。さらに妙法蓮華経とその十界聖衆を挙げていきます。そして、妙法蓮華経は一念三千の珠を裏むともいうわけですね。

> 『「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻』を師

ここはですね。妙法蓮華経の説法主=教主、が師と考えがちですが、ともかく、釈迦の在世ではなく、末法という時代設定は無仏の時代を意味します。となれば、やはり、おっしゃるように法華経典=師となるのでしょうか。このように考えると、無始に遡れる無限循環は論理的に整合性を持つことになるにはなりますが。

やや、話を進めますが、わたしは梵本直訳を読んで直ちに感じたのは、このテキストでは、法華経によって成仏という形を提供するわけですが、結局のところ、その成仏の要因は菩薩行に尽きているという点です。つまり、法華経とは、どのように菩薩行をするのかというテキストであるということです。ですから、蓮師のように常不軽菩薩、また、地涌菩薩という菩薩の有様を鑑み、その行動規範を心身に当てはめていく上で、妙法蓮華経があるという形は、いわば健全であると思えます。

しかし、密教的な要素というか、妙法蓮華経が宇宙の妙法だとか、リズムだとか、そんなことを言い出すと、いわば、一種のマントラ、もっと悪い言い方をすれば「おまじない」の様相を呈していきます。心身でやっていることなど、どうでもよく、悪いことをやろうが、何しようが「南無妙法蓮華経」と呪文を唱えると、これでオーケー、こんなイージーゴーイングに行き着いた末、ばっさりと忘れ落とされてきたのが菩薩行です。また、菩薩行は、単に教団拡張という折伏の異名と解釈し直されたとき、菩薩はただの勧誘員に成り下がり、菩薩行は潰えてしまったという流れがあると思えるのです。

本尊は何か、師は何か、という問題も重要ですが、その本尊、師を仰ぎ、いったい、何をするのかというほうが、よほど重要な課題であることが忘れ去られています。挙げ句の果てに禅民衆が題目を唱えて戒壇を建立すれば災害が収まり、みんな平和だなどという与太話で人を先導するというのは、まったく蓮師の元意に悖ると断言できます。その意味からも、本門戒壇は考証し直されなければならないとわたしには思えます。

2149犀角独歩:2005/04/11(月) 14:49:45

【2148の訂正】

誤)ここはですね。
正)ここですね。

誤)禅民衆
正)全民衆

2150問答迷人:2005/04/11(月) 16:18:03

>蓮師のように常不軽菩薩、また、地涌菩薩という菩薩の有様を鑑み、その行動規範を心身に当てはめていく上で、妙法蓮華経があるという形は、いわば健全であると思えます。

僕もそのように思います。蓮師の「法華経を身で読む」という実践、それは、具体的には不軽菩薩の跡を継ぐ振る舞いであり、地涌菩薩たらんとする振る舞いに他ならないと思います。それを「妙法蓮華経に帰命」=「南無妙法蓮華経」と端的に表現されたのだと思います。

2151問答迷人:2005/04/11(月) 18:09:25

つづきです。

>2148 本師、妙法蓮華経、釈迦牟尼仏が使われている関係にあります。本師はイコール釈迦牟尼仏でしょう。

つまり、蓮師にとって本師とは釈迦牟尼仏であり、蓮師の生きた時代は釈迦牟尼仏の滅後なるが故に、釈迦牟尼仏の梵音声たる『「妙法蓮華経」の一部八巻の経巻』を本師とされたと言う事ですね。そうすると、「本門の本尊」と「本師」は蓮師において、同義ではなかったことになりますね。

2152問答迷人:2005/04/11(月) 18:15:35

つづきです。

>2148その本尊、師を仰ぎ、いったい、何をするのか

菩薩行を法華経は勧めています。それでは蓮師の考え行った菩薩行とは具体的にはどういう内容だったのでしょうか。慈善事業、利他行、六波羅蜜・・・

2153犀角独歩:2005/04/11(月) 20:11:29

> 2152

やはり、この問題に至りますね。結局のところ、法華経の菩薩行のコンセプトは滅後弘教という一点に重点があります。仰るような慈善的な側面は見られないように思えます。

極端に神格された経典崇拝。その経典を奉持し、弘教のために身を擲ち、艱難辛苦、法難に遭うところに過去の滅罪があるといいます。しかも、その難を受けることは宿命(しゅくみょう=過去世の一生)であり、自分の罪による、その罪を受難で消し去るとき、仏となって長遠の寿命を得ることが出来る。これが法華経という物語で語られる偽らざる菩薩観ですね。

問答さんは、このような菩薩観と、法隆寺の玉虫厨子に描かれる捨身飼虎図と言った本生故事(ジャータカ)に見られる菩薩観と、どちらを優位とご覧になりますか。

2154犀角独歩:2005/04/11(月) 20:20:45

2153の補足

元)宿命(しゅくみょう=過去世の一生)であり
補)宿命(しゅくみょう=過去世の一生)の結果であり

2155愚鈍凡夫:2005/04/11(月) 20:44:55

横レス失礼します。
法華経って、今風にいえばマニュアル的要素が強いですよね。言葉を換えれば「成仏マニュアル」ってところでしょうか。そう意味で、法華経信奉っていうのは、「参考書を抱えた受験生」みたいな感じもしますね。マニュアル人間大量生産という意味では、今の時代と大して変わらない価値観かと思います。
歴史上の釈迦牟尼が聞いたら、そんなマニュアル書いた覚えはないし、そんなものは仏教じゃないと言うかも知れませんね。

「ふふふっ、大乗仏教は既にあんたの手を離れているんだよ。あんたはおとなしく、名義だけ貸していればいいのさ」(by 巨大カルト教団の名誉会長) (-.-)y-〜〜

「誰かのホンネが聞こえたような気がしました。空耳かなぁ〜ッ」(by 独り言)

2156一字三礼:2005/04/11(月) 22:08:50
横レス失礼します。

法華経は、あらゆる菩薩行を想定してそれを肯定しているように思います。

方便品に「十方世界の中には尚ほ二乗なし、何に況んや三あらんや。」を説き出す前振りとして、序品で、東方八千の仏国土を照らした時、そこに展開されている様々な声聞行や菩薩行は、一仏乗を表しているのではないでしょうか。
また、方便品とは、何も新しい教説を付加せずに、今迄あった四諦・十二因縁・三十七道品等のあらゆる修行と教説をそのまま実は一仏乗であった、と言ってしまう思い切った教えです。方便品の精神からは、およそ全ての仏教の菩薩行は、法華経の菩薩行と言えるでしょう。
現代で言う慈善事業的な意識が希薄であるのは、もとより仏教が、病や貧困等の苦しみを精神面から克服する事を目的としたものなので、むしろ当たり前のように思います。

2157問答迷人:2005/04/11(月) 22:11:47

>本生故事(ジャータカ)に見られる菩薩観と、どちらを優位

勿論、ジャータカの菩薩観が先行し、法華経の菩薩は、それらを集大成しようとした試みであろうと思います。

法華経にも、利他行、慈善無きにしも非ずです。観世音菩薩と妙音菩薩は、先行する菩薩観を法華の菩薩として統合しようとしたのだと思います。そういう意味では、法華の菩薩は本来は融通無碍、自由闊達な有様であったと思います。ところが、蓮師はこれら観世音菩薩や妙音菩薩に触れられた真蹟遺文はほとんど見当たらないのでは、と思います。偽書の疑いが高い真偽未決の御義口伝や、御講聞書において見られるに過ぎないと思います。

2158問答迷人:2005/04/11(月) 22:17:56

舌足らずでしたので、もう少し補足しますと、観世音菩薩は三十三身、妙音菩薩は三十四身を現じて衆生を済度むする、と説かれています。医者となって仏の教えを実践するもの、商人となって仏の教えを広めるもの・・・・等々、そこにはあらゆる慈善事業も包括していると思います。

2159犀角独歩:2005/04/11(月) 22:53:56

一字三礼さん
問答迷人さん

なるほど。法華経の菩薩観を弘教に限るというのは、やや狭隘な見方であるというご指摘と拝しました。わたしも考えを改めようと思います。

2160犀角独歩:2005/04/12(火) 08:06:39

問答さんのご指摘を承けて、種々勘案し直しました。

わたしは、法華経の創作者が仰るように、それまでの仏菩薩を統合し、そのあとを継承しようとしたとすれば、それは実に素晴らしいことであったと思うのです。
実際に、そのような認識に基づく、法華信奉者は、その後、数多輩出されたのかも知れません。

ただ、一点、押さえておきたいことは、それまでの菩薩運動と、法華創作者グループの性質の違いと云うことです。一字三礼さんが「精神面から克服する事を目的」と仰る点、わたしは同意します。同意といいましても、それが理に叶った菩薩の在り方ということではなくて、法華菩薩というのはそのような性質ではないのかという意味合いでです。

博物館などで、時折、展示される古代の菩薩像などを見ると、すぐさま気が付けるのは、その姿が在俗であるということです。それもかなり裕福な人々です。髪を綺麗に結い、豪華な布で作られた衣服をまとい、装飾品も身に付けています。貨幣・流通経済の発達によって生じた裕福な階層、それはたぶん一般庶民階級の、取り分けに商業を営む成功者達であったのでしょう。もちろん、支配階級も含まれると思います。これらの裕福な人々が自分たちの財産の一部を積極的に使い、慈善活動に従事していった。これが、たぶん、菩薩の原形であろうと言われています。そのなかには、薬・医療によって人々を救済する人もあったのでしょう。

一方、法華経を創作したグループは、アフガニスタン周辺の人々で、かなり小規模な集団であったのではないのかと言われています。また、それまでの仏教教団がシャキャムニの舎利の分骨を聖遺物としてきたのに対して、そのようなものにあやかれない信仰教団であったのではないのかと想像できます。たぶん、彼らは、その頃、西欧社会で急激に発達していく聖典信仰の影響を受けていたのではないのかとも想像されます。それまでの、聖遺物は、いま記したとおり、舎利であったり、それを祀る仏塔であったりしたわけですが、法華経創作グループはそのようなものにあやかれない代わりに経典を創作し、それこそが釈尊そのものであるという経典崇拝、経典を祀る経典塔崇拝を確実なものとしていきました。従来の仏教の様式とは違うために、ひどい迫害も受けたでしょう。さらに自分たちの正当性を誇張するために全身に香油を塗った挙げ句、火を付けたもの、肘を焼いて見せたもの等、その行動はかなり過激且つ狂信的な側面をもっていたのかも知れません。しかし、彼らはどのような迫害に遭ってもやり返すことも言い返すこともせず、ただひたすらに堪えて、それが宿命(過去世)で犯した自分の罪の消滅の方法であると信じ、この法華経典を流布していくことが真の菩薩行であるという、従来の財施的な側面から、法施的な側面の強調へ転換していったのではないでしょうか。この転換はしかし、この教団が小規模であり、それまでの菩薩活動を推進するような裕福な階層に属するわけではなく、救済に充てる潤沢な資金もない規模であったのではないのかとも想像できます。その言い訳と断じてしまえば、言い過ぎかも知れませんが、ともかく、彼らは、法華経典の流布こそ、真の菩薩道であるという新たな菩薩観を展開していったように思えます。

以上の素描は、要は、梵本直訳から看て取れる時代背景と、創作者集団の姿です。
わたしは、この素描が大きくは外れていないと思うのは、法華経はその創作地ではついに根付くことなく消えていったという史実からです。結局のところ、経典崇拝を熱心に薦められることより、実際の慈善援助(従来の菩薩活動)のほうが、人々にとって功利的であったからでしょう。

2161犀角独歩:2005/04/12(火) 08:06:59

―2160からつづく―

しかし、この法華経典が中国に渡り、漢訳されると事情は一変していきました。それは、中国において、孔子が生きた時代はほぼシャキャムニと一致するわけですが、賢人・聖人・その言説崇拝という土壌がありました。わたしは、これが法華の有様によくマッチしたのではないのかと思います。この影響はそのまま、日本に伝わり、定着していったのでしょう。また、法華漢訳以後、密教が成立し、現世利益を祈祷で成就するとい有、およそそれまでの仏道とは正確を異にする方法論と習合していきます。

ここでは八正道その他の仏道の有様は等閑とされて、神秘的な霊力に、絶対的な神仏にあやかることによって祈願を成就するというおよそ仏道からかけ離れた方法論が民衆の心をとらえていくことになりました。法華集団も、その影響の例外ではなかったのであろうと思えます。

このような、経緯のなかで、とらえられ、実践されてきた、法華の菩薩は、しかし、従来の菩薩活動を摂取・積極的に行ったのか、それとも弘法優先・祈願優先といった方向になっていったのか、わたしは残念ながら、後者の様ではなかったと思うのです。

ただし、以上、記したことは雑駁な素描に過ぎず、問答名人さん、また一字三礼さんをはじめ、皆さんには、また違った観察もお持ちのことと存じます。ご賢察を披瀝願い、さらに議論を深めたいと存じます。

2162ラキ:2005/04/12(火) 15:39:59
勤行について疑問があります。
日蓮大聖人の信徒団体により、勤行の仕方が違うのは何故なのでしょうか?

私が知ってる範囲では
1)大石寺や法華講は五座三座の勤行だと思いました。
2)創価学会では現在1座だけ?になり、また、ご観念文の部分が大分変更されているみたいです。
3)顕彰会では朝晩1座だけです。

学会の言い分では、時代に合わす為に(時間が多忙?)勤行を1座だけにしたと聞きました。
正式には五座三座が正しいのでしょうか?
(現在も大石寺、法華講では五座三座をしてるのでしょうか?)
ご観念文も時代と共に多少変化してると聞きました。
誰か、ご存知の方が居ましたら、日蓮大聖人の生きていた時代の勤行のあり方か、
勤行とご観念文の正式な仕方の御書の箇所か、文献など教えて頂けると助かります。

あと、お数珠の持ち方なのですが、右手に房が3個あるほうを持ちますけど、
左手に房2個あるほうを持つとき、半回転ひねりますが、右ひねりか左ひねりか、
どちらが正式な持ち方かわかりません。
お手までなければ、教えてください。
単純な疑問かも知れませんが、私には大切な疑問。悩みなので、ぜひお助け願いたく存じます。
お願いばかりで、申しわけありません。

2163愚鈍凡夫:2005/04/12(火) 15:51:43

法華経の際だった特徴は、経典信仰を繰り返し説いていることでしょうか。法華経自らが、法華経こそが経典の最高峰であると位置づけ、法華経を信じ広めることが仏道修行であると、高飛車なまでに決めつけていることでしょうか。
蓮祖は、法華経の中の寿量品に説かれる「五百塵点劫成道の教主釈尊」を抽出して「御本尊」と定められましたが、主眼は飽くまでも法華信仰に置かれていたように思います。

小生は、法華経に「此経」と出てくる度に、「此の経の何処」を指すんだろうと思ったものです。
法華経自らが法華経最第一と自賛する理由の根拠を法華経の文に求めたものですが、見つかりませんでした。

ところで、法華経の序品に次のような文があります。
「為諸菩薩説大乘經。名無量義。教菩薩法。佛所護念。佛説此經已。結跏趺坐。入於無量義處三昧。身心不動。(諸の菩薩の為に大乗経の無量義・教菩薩法・仏所護念と名くるを説きたもう。仏此の経を説き已って、結跏趺坐し無量義処三昧に入って身心動したまわず。)」(妙法蓮華經序品第一)

恐らく、この文との整合性を持たせるために中国で「無量義経」が創作されたものと思いますが、実際に「佛説此經已」とは何経を指すのでしょうね。

2164犀角独歩:2005/04/12(火) 17:27:24

ラキさん、はじめまして。
先頃、戸田さんの『日蓮正宗方便品寿量品精解』という本を読み直していたら、当時の勤行観念が載っていました。当時は石山はもちろん、学会も、妙信講(顕正会の前身)も、みんなこの勤行観念であったのでしょう。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18203465.html

蓮師の時代、勤行は方便品も長行(じょうごう)をやっていたというのは、以前もここで議論した話でした。

そもそも、数珠の形がいつの頃か、変わってしまいました。
何もかも変わったと言うことです。
何が「正しいか」というご質問ですが、「大聖人と同じ」というのであれば、みんな間違っているということになりますね。

「自分がいちばん正しい」と言われれば、「あ、そう。ご勝手に」という類の話です。

2165犀角独歩:2005/04/12(火) 17:37:20

> 2163 愚鈍凡夫さん:

善いところ、吐いていますね。これはたしかに『無量義経』を指すと、採るほか無いですね。

自分のブログの紹介で恐縮ですが、戸田さんの『獄中記』を読みましたが、「仏とは生命のことだぁ」と「悟った」時に『無量義経』を読んでいたという記述にはついにぶつかれませんでした。残念。

http://blog.livedoor.jp/saikakudoppo/archives/18083354.html

2166問答迷人:2005/04/12(火) 18:44:01

慈善事業を行った仏者としてわが国で特に有名なのは行基菩薩でしょうね。

http://www.city.sakai.osaka.jp/arekore/person/person3.html

蓮師は行基菩薩については、『譬へば日本国の行基菩薩と鑒真和尚との法華経の義を知り給ひて弘通なかりしがごとし。』(神国王御書)と述べています。

2167愚鈍凡夫:2005/04/12(火) 18:51:58

犀角独歩さん、どうもです。
例の「人間革命第4巻・生命の庭」ですね。
小生が初めて、無量義経を読んだとき、徳行品の次の文に出会して、「おお〜ッ。これや、これや。こんだけで仏の正体が生命と分かる戸田先生はもの凄い人なんや」
と、「人間革命第4巻」の影響もあって、勝手に感動していました。 (┯_┯) ウルルルルル

「其身非有亦非無。非因非縁非自他。非方非圓非短長。非出非沒非生滅。非造非起非爲作。非坐非臥非行住。非動非轉非閑靜。非進非退非安危。非是非非非得失。非彼非此非去來。非青非黄非赤白。非紅非紫種種色(其の身は有に非ず亦無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず円に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、坐に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず去来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種々の色に非ず。)」(無量義經徳行品第一)

ところが、無量義経説法品第二で次のような文と出会しました。
「仏言。善男子。是一法門。名為無量義。菩薩欲得修学。無量義者。応当観察。一切諸法。自本来今。性相空寂。無大無小。無生無滅。非住非動。不進不退。猶如虚空。無有二法。(仏の言わく、善男子、是の一の法門をば名けて無量義と為す。菩薩、無量義を修学することを得んと欲せば、応当に一切諸法は自ら本・来・今、性相空寂にして無大・無小・無生・無滅・非住・非動・不進・不退、猶お虚空の如く二法あることなしと観察すべし。)」(無量義經説法品第二)

「う〜ん? さっきのナゾナゾの答えって、これとちゃうんか。何でこれが「仏」やねん。何でこれが「生命」やねん」
と、思ったのですが、当時は「人間革命」の話をするときは、学会員ならば誰しもが遠い目をして(ほとんどイッてました)、「犯すべからず」の雰囲気だったので、そっと胸の奥に仕舞い込んでしまいました。 アセアセ( ̄_ ̄ i)タラー

2168パンナコッタ:2005/04/12(火) 19:34:36
お数珠の三つ房の形の違う一房は、カウンターですよ。
学会も以前は、右二房、左三房でしたよ。

2169顕正居士:2005/04/12(火) 20:43:44
佛説「此經」已

梵文は見ていませんが、WebにあるKern訳法華経を見るとa textです。
お釈迦さまの在世の説法に仮構するタテマエにちょっと反しますね。

Now at that time it was that the Lord surrounded以下。
http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot01.htm

無量義経について今昔物語に面白い話があります。
「此ノ経、何ゾ必ズ法花経ノ序タルベキ」と疑う人がいたが、夢に神さまがあらわれ
「汝ヂ、若シ此ノ経ヲ信ゼズハ、当ニ其ノ頭・頸ヲ斬ルベシ」と脅迫されたという。

恵表比丘将来伝説は法華文句にあり、注法華経にも引用されています。

http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/konjaku/doc/kj07/kj07tx15.htm

2170パンナコッタ:2005/04/12(火) 22:07:04

ケルン訳だとカシミール系のネパール本ですよね。正法華経や妙法蓮華経は中央アジア本系
で差異がかなりあるのですが、ここの所はどうでしょうか?

2172犀角独歩:2005/04/13(水) 00:01:56

パンナコッタさん、この数珠の形は後天的なものなんですよ。
近代まで、通日蓮宗とその形は一緒だったんですが、いつの頃からか、二つ、三つになったわけです。

2173愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 00:18:00

顕正居士さん、ご教示ありがとうございます。法華文句の下記の文のことですね。

「今謂此經是宋元嘉三年慧表比丘。於南海郡朝廷寺。遇曇摩耶舎受此本。還武當山。永明三年始傳於世。經既已来豈可送還天竺。光宅云。無量義以萬善同歸能成佛道。」(妙法蓮華經文句卷第二下)

鳩摩羅什が長安で法華経を漢訳したのが401年頃で、曇摩伽陀耶が無量義経を漢訳したとされるのが481年頃でしたか。今風に言えば、無量義経は仏教と道教のコラボレーションとかって奴ですかね。 (^_^;)

序品の同じ箇所を法華經と正法華經とで並べてみました。

「爲諸菩薩説大乘經。名無量義。教菩薩法。佛所護念。佛説此經已。結跏趺坐。入於無量義處三昧。身心不動。」(妙法蓮華經序品第一)

「講演菩薩方等大頌一切諸佛嚴淨之業。説斯經已昇于自然師子之床加趺而坐。三昧正受定意。名曰立無最頌。尋應所宜不見身貎不得心意。」(正法華經卷第一・光瑞品第一)

2174パンナコッタ:2005/04/13(水) 00:54:42
日興上人の数珠は左右二房でしたね。
在家の念珠は108珠で、日蓮系では変わりないと思いますが。

2175ラキ:2005/04/13(水) 01:56:56
皆様。はじめまして。
こんなに早く、たくさんの方から回答が頂けて、とても感激です。
なんとお礼申し上げてよいのか、回答をしていただいた皆様。
ありがとうございました。
参考資料のリンクまでしていただき、感激です。

ご観念文は、一昔?前までは一緒だったのにいつの頃からか、独自?変ってしまたのですね。
お数珠の房の数が変ってしまったのも、驚きです。
玉の数が108個は、煩悩の数を?あらわしてるのかと思い込んでしまってますが、間違っていたらごめんなさい(><)
難しい事は判りませんが、時代と共に少しずつ変ってる部分があるのですね。
日蓮聖人の時代の勤行。御観念文て、どんな形式だったのか興味が出てしまいました。(^^;
見てみたい。体験してみたいと思っても、文献とか作法を書いた書籍とか、
正確にどこかに残っているのでしょうか?・・・
皆様とても物知りで(勉強家と言った方が適切かも知れません。失礼な言い方になってしまったら、
無知な者の発言と、少しだけ、暖かく見守ってください。)私の無知。勉強不測の発言が・・・
わぁ〜頭が知恵熱出て混乱してます。(^^;
文書に纏まりがないですが、ここのHPを見てこれから、色々勉強していきたいと思います。

2176ラキ:2005/04/13(水) 02:09:50
追伸。
皆様に質問ばかりしてしまい、申しわけございません。m(__)m
ここのスレッドの最初から見て、勉強しなおします。
それでも判らない疑問があったら、また、質問させていただきます。
自分で調べる前に質問て、甘えすぎでした。
自分の浅はかさに自己嫌悪(><)

2177愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 04:56:55

ラキさん、始めまして。
蓮祖は、勤行について門下の檀那に次のように御指南されています。

「方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし、」(「曾谷入道殿御返事」P1026)

また、未決書ではありますが、「月水御書」には次のように記されています。

「されば常の御所作には方便品の長行と寿量品の長行とを習い読ませ給い候へ、又別に書き出してもあそばし候べく候、余の二十六品は身に影の随ひ玉に財の備わるが如し、寿量品方便品をよみ候へば自然に余品はよみ候はねども備はり候なり、薬王品提婆品は女人の成仏往生を説かれて候品にては候へども提婆品は方便品の枝葉薬王品は方便品と寿量品の枝葉にて候、されば常には此の方便品寿量品の二品をあそばし候て余の品をば時時御いとまのひまにあそばすべく候。」(「月水御書」学会版P1201)

ご参考までに。

2178愚鈍凡夫:2005/04/13(水) 05:17:48

訂正
> 「方便品の長行書進せ候先に進せ候し自我偈に相副て読みたまうべし、」(「曾谷入道殿御返事」P1026)

は、偽書でした。m(_ _;)m ゴメン!!
それに、「曾谷入道殿御返事」は学会版ではP1025です。

2179犀角独歩:2005/04/13(水) 09:28:32

2174で、また、パンナコッタさんがわかりきったことを書いてしまいました。
失礼しました。

2180ラキ:2005/04/13(水) 10:22:49
おはようございます。^^
少し気になり覗きに来たら、レスが付いていて感激です。
(気になると考え込んでしまい、もやもや〜て残ってしまうので、今日は朝からスッキリした気分で
過す事が出来ます。^^)

愚鈍凡夫さん。
御書指南されてる箇所まで調べて載せていただき、ありがとうございます。
一つ驚いたのですが、御書にも「偽書」が存在したなんて!
御書全集として出版されている書籍には、全部検証して間違いがないように、
編纂されている物と、勝手に思い込んでいました。
偽書。また信憑性が薄い物には、掲載されてないか、注意書きで指摘されていると、
これも、勝手に思い込んでました。(^^;
私の周りには、色々な日蓮聖人の信徒団体の方がいまして、偽書があることも一言も聞いたことがありませんでした。
(現学会に対しては、信用度は0です。学会員の方がいましたら、申し訳ございません。理由としては、言う事とする事の矛盾が納得できません。
とても身近な知り合いの方は、そのような矛盾した行為がないので、個人的には信用しておりますが、近所に住む学会の方は、矛盾だらけ。選挙。新聞勧誘等の時は一生懸命なのですが、
こちらの、疑問。質問に対しては、明確な答えが返ってこないばかりか、後日回答いたしますと言い、音信が途絶えて黙殺!これが宗教をしている方の態度、行動なのかとあきれてしまっております。
自覚ある行動。誠意ある行動が、その人の言ってる事の信憑性をますと、私は思っております。
あぁ〜また話が脱線してしまいました。(^^;)

御書購入を考えておりますが、お勧めというか、一番忠実に編纂されている御書などありましたら、
教えていただけないでしょうか?


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