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素朴な疑問
2114
:
顕正居士
:2005/03/10(木) 18:26:11
妙法曼荼羅についてはわたしも独歩さんと同様に考えます。曼荼羅の様相がみな違うということは
要するに決まった形はない意味です。「再治」、「未再治」という分類をして弘安年間の曼荼羅の方
が完成しているとした学者もおられます。しかし高祖一代弘教の「正宗分」とみなされる『本尊抄』を
述作した後に妙法曼荼羅を図顕されたのですから、文永年間のは未完成というのは変でしょう。
けれども宗派ごとに「宗定本尊」は決める必要があるから、「始顕」とか「臨滅度時」とか納得し易い
のを選ぶわけです。印刷術が発達し、当代の上人があらわしたのより日蓮聖人真蹟の写真版の方
が有難いという人も増えるでしょうし。佐渡始顕を採用したのは智学居士ですがこちらは身延山に
あったのとは違うとおもいます。写しではなく実物を佐渡で入手したが、智応居士が偽筆と断定した。
身延山にあったのも昔は佐渡にあったのではないでしょうか。
特別な曼荼羅という発想は富士派以外には余りないでしょう。多くの宗派では曼荼羅でも一尊四士
でもよいのですし。富士派は分張の由来から諸山の抗争が活発であり、かつ曼荼羅主義であり、又
事戒壇の思想があるのではやくから宗定曼荼羅の必要が生じたのでしょう。曼荼羅と一尊四士とは
現実には檀徒の仏間の御本尊、寺院本堂の御本尊という次元の異なりがありますから曼荼羅主義
だと寺院は板曼荼羅に傾きます。板である以上、日蓮聖人の真蹟曼荼羅そのものではありません。
しかし一尊四士でよいなら板曼荼羅でもよいでしょう。題経寺の板曼荼羅の流行りはじめは寛永から
で堅樹日寛師が活躍したのと近い頃です。でも曼荼羅主義の板曼荼羅は考えると少し変な気もする
ので、有名になると「高祖自刻」の伝説がいわれる、もっと有名になるといささか事が面倒になります。
板曼荼羅に真も偽もないはずなのだが、「高祖自刻」というのが疑といえば疑、たわいない伝説だし、
多くの宗派にあることで済まず、分派抗争は鬱陶しい、「旧信徒」には大変迷惑なことでありましょう。
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